校長先生から……?思わずみんな顔を見合わせてしまった。先程と打って変わって、講堂が静まり返る。
「えー、放課後ティータイムの皆さん、素晴らしい演奏をありがとう。そして、メジャーデビューおめでとう!!」
校長先生が拍手をすると、またも大歓声と拍手の嵐が講堂を包んだ。
「時間も余り無いので、手短に。……実は、一つお願いが有るんだけどね……聞いて貰えるかな?」
お願い?なんだろ?私達は無言で頷いた。
「はい、無理な事で無ければ……どんな事ですか?」
律先輩が代表して答えた。
「そんなに難しい事じゃ無いよ、……アンコールのリクエストをお願いしたいんだがね……僕の司会で。どうかな?」
私達は満面の笑みで頷き、唯先輩が答えた。
「勿論です!!ありがとうございます!!」
その声に、再び大歓声が起こった。

「準備は良いかな?……それでは、当校初のプロミュージシャン『放課後ティータイム』の初ライブ最後の曲です、『ふわふわ時間』レッツゴー!!」
律先輩のカウント。
唯先輩のギターリフ。
先程と同じ様に演奏が始まる。
だけど……私達の気持ちは全く違う。
唯先輩のサプライズから産まれた新しい一体感。
それは、演奏することの『嬉しい』や『楽しい』を演奏する私達だけでなく、聞いている人全てに分け与えられる……そんな感覚だ。

キミを見てるといつもハートDOKI☆DOKI
―今回の事は本当にドキドキです、唯先輩。まぁ、嬉しかったから許してあげますけど。……特別、ですよ……


もすこし勇気ふるって
自然に話せば
何かが変わるのかな?
そんな気するけど
―唯先輩、今日は勇気を出して私の気持ちを伝えますから、か……覚悟していて……下さいね


ふわふわ時間 ふわふわ時間 ふわふわ時間

みんなで楽器を掻き鳴らす。
ゆっくりと緞帳が下がる。
「みんなぁ~!!!ありがとぉ~!!!!」
唯先輩が大声で挨拶をする。
緞帳が下がりきる直前に、皆で合わせて演奏を終了する。
ギターの、ベースの、キーボードの、ドラムの、それぞれの余韻を残しながら、緞帳が下がりきった。

一瞬の間を置いて、緞帳の向こうから大きな拍手が聞こえてきた。

「みんな、ご苦労様。今までの中で最高のステージだったわよ」
緞帳を操作していた山中先生が話しかけてきた。
「さわちゃん先生……ウッ……ウウッ……」
「ゆ、唯先輩!?どうしたんですか?」
私は思わず駆け寄っていた。
「……グズッ……大丈夫だよ……あずにゃん……」
そう言うと、大きく深呼吸をして改めて山中先生を見つめた。
「りっちゃん隊長!お願いします!」
「おっしゃ!……さわちゃん、3年間ありがとうございました!」
『ありがとうございました!!』
そう言った先輩達の顔は、涙を浮かべているけれど、とても清々しくて、凛々しくて……。
あ……そっか……先輩達は、今日で先生とお別れなんだよね……。
そう考えたら、私の胸にも熱いものが込み上げてきた。

「こちらこそ、こんな私を顧問にしてもらえて嬉しかったわ……」
山中先生は本当に嬉しそうに話した。
「でもね……別に、卒業したからって、学校で会えないだけなんだから、そんなにしんみりしなくて良いのよ」
うん……そうだ、もう2度と会えない訳じゃないんだから、悲しむ必要なんか……
「それに、これからは『衣装担当』になるから、ちょくちょく会えるわよ」

……あ、先輩達が固まってる……私もだけど……
って、えぇぇぇーーー!!!
『えぇぇぇーーー!!!』
「さわちゃん、それマジか?」
「本当よぉ~」
「えと、これからはもっと沢山の人に見られるからさ、あの、作るのは、恥ずかしくない衣装……だよ……ね」
「勿論よ、澪ちゃん!バージョンアップしたメイド服を楽しみにしていて!」
「ちょーっとまったぁー!!バージョンアップって、余計恥ずかしくなってるって事じゃん!」
「あら……田井中さん……不満かしら……?」
「ひぃっ!!いえっ、全然、そんな、不満なんて、全く……」

……なんだかんだ言ってても、先輩達楽しそうだな……。本当はみんな、先生の衣装を着るのが好きなんですよね。

そんな事を考えていたら、不意に緞帳の向こうの拍子が気になった。先程と違って、一定のリズムを刻んでいる。
……これって……
「せ、先輩!緞帳の向こう、聞いてみて下さい!」
私がそう言うと、みんな耳を澄ませた。

「あずにゃん……これって……」
「唯先輩……多分、そうです」
「アンコール?でも、そんな時間は無いわよ」
山中先生が非情な言葉を告げる。
でも……みんな待っているんだから……少しくらいは……。
私がそう言おうとしたその時、突然ムギ先輩が口を開いた。
「先生、ごめんなさい!」
そう言って、キーボードを弾き始めた、……えっ、このコード進行って!
「さわちゃん、ごめんな!」
律先輩も気付いたらしく、ドラムを叩き始める。
「みんなが待っているからな」
澪先輩もベースを弾き始めた。
「唯先輩!行きますよ!」
私もギターを弾き始める。
「先生!!緞帳を上げて!!!」
一際大きな声を上げ、唯先輩もギターを弾き始めた。

ステージ中央を向いて、楽器を掻き鳴らす私達。
まるで去年の文化祭を再現しているようだ。
ゆっくりと上がる緞帳。
段々と大きくなる歓声。
緞帳が上がるに連れて、みんなの熱気も上がってゆく。
緞帳が上がりきった。
唯先輩が目で合図を送る。
皆も合図を送り返す。
私達と講堂内の気持ちが最高潮になったその瞬間、唯先輩が振り向きマイクに向かって叫ぶ。

「もういっかーーーーいっっ!!!!」

◆ ◆ ◆ ◆

あれ……何してるんだろ?もうすぐ行く時間なのに……。
うーん、こっちには全然気付いていないみたいだねぇ~。
そーっと……そーっと……せーのーで。
「あ~ずさっ!」
そう言って、私は背後から梓に抱き着いた。

「なーに?唯……」
むぅ~、流石に照れたりはしないかぁ~、……でも、抱きしめる手に自分の手を重ねてくれたから、良しとするか~。
「何してるの?……あ、この写真って……」
「うん、唯達の卒業式が終わった後、部室で撮ったでしょ」
「懐かしいねぇ~、もう5年かぁ~」
「5年も経ったんだね~」
「私、あの日の事は今でもちゃんと覚えているよ~」
「私も……ライブ楽しかったなぁ~」
「私は『その後』も忘れずに覚えているよ……」
わざと耳元でそんな言葉を囁いたら、梓の顔がボッと赤くなった、可愛いなぁ~。
「あ、あ、あ、あれは、覚えていなくても、構わない、から」
「そうはいかないよぉ~、梓が告白してくれたんだもん、忘れるつもりはありませ~ん」
私の台詞がかなり恥ずかしかったのか、小さな声で「恥ずかしいコト言わないでよぉ~」と呟いて下を向いてしまった。

でもね、この日はホントに私にとって『死ぬまで忘れたくない日』なんだよ……。


ふぅ……屋上に行くのも、今日が最後かぁ~。
あずにゃんてば、物凄い真剣な顔で「HRが終わったら、屋上に来て下さい!」なんて言うんだもん……。
ちょっと……期待しても……良い……のかな?

屋上の扉を開けると、心地好い風が私を包んだ。えーと……あ、いた。
「あ~ずにゃんっ!」
私がそう呼ぶと、ゆっくりと振り向いてこちらに顔を向けた。
「唯先輩……わざわざすみません……」
「そんな~、気にしなくて良いよ~」
私は手をパタパタと振りながら近づいた。
「ところで、ご用はな~に?」
「えっと……唯先輩、卒業おめでとうございます!」
そう言って、あずにゃんは頭を下げた。
「ありがと~、……んと、それだけ?」
「あ……いえ……その……もう一つだけ……」
「そうなんだ~、どんな事~?」

……嘘だった、本当は屋上に着いた時から知っていた。
だって、緊張のし過ぎで顔色が真っ青になっているあずにゃんを見たから。
出来る事なら、すぐに駆け寄って抱きしめたかった。
でも、それは出来なかった。
だって、あずにゃんは言おうとしていたから。
それが何かはわからない。
でも、それはきっと、私がずっと『伝える事が出来なかった言葉』だから。

「あの……ですね……えと……その……」
目の前に有るあずにゃんの顔色がどんどん悪くなっていく。体も小刻みに震えて、今にも倒れそうだ。
「唯先輩……あ、あの……えっ!?」
もうだめ、見ていられない。そう思ったら、自然とあずにゃんを抱きしめていた。
「……大丈夫だよ……落ち着いて……私は、ここにいるから……」
抱きしめたあずにゃんの体は、驚く程に冷たくて、震えていて……私は更に強く抱きしめた。
「……言いたい事は、落ち着いてから言えば良いから……ね」
「唯……先輩……」
私は、いつものように頭を撫でてあげた。腕の中で、あずにゃんの体が暖かさを取り戻し、震えも徐々に収まっていった。
「そろそろ、大丈夫かな?」
私が聞くと、あずにゃんは小さく頷いた。
「唯先輩……このまま聞いてもらえますか?」
私も小さく頷いた。
「私……唯先輩に伝えたい事が有るんです」
「うん……」
「私は、唯先輩が好きです!」
「ありがと~、私も大好きだよ~」

「ち、違います!私が言った好きは……」
「うん……わかっているよ……」
そう言って、私はあずにゃんを強く、深く抱きしめた。
「あずにゃんは強いね……私が言えなかった事を……ちゃんと……言えるんだもん……」
「せ……先輩……泣いて……いるん……ですか?」

あずにゃんの言う通り、私は泣いていた。
今まで自分から言う事の出来なかった、不甲斐無さ。
勇気を振り絞ってあずにゃんが言っってくれた、嬉しさ。
そんな感情が心の中で渦巻いていた。

「本当は……私から言わなきゃ……いけないのに……こんな……情けない……私で……本当に……良いの……」
そう言った私に、あずにゃんは泣きながら答えてくれた。
「……唯先輩じゃなきゃ……ダメです……他の人……なんて……有り得ま……せん……」
「うん……ありがとう……」

暫くの間抱き合っていたら、涙も段々と落ち着いてきた。「……あずにゃん」
「なん……ですか?」
「私もね、伝えたい事が有るんだ」
気持ちが落ち着いた今なら、きっと言える。今まで伝えられなかった言葉を。
「前にさ、あずにゃんが『私の目の届く所に居て下さい』って言ったよね、……今度は、私にそれを言わせて……」
私は少しだけ腕の力を緩めて、正面からあずにゃんの目を見つめた。
「あずにゃん、これから先もずっと、あなたの……中野梓さんの目の届く所に居させて下さい!」
「……はい」
あずにゃんは頬を紅く染めながら答えてくれた。
「でも……『この先ずっと』って、どれくらい先までなんですか?」
少し意地悪そうな顔をして、そんな事を聞いてきたあずにゃんに、私は最高の笑顔で答えてあげた。
「勿論、一生だよっ!!」


「……唯……ちょっと、唯ったら!」
「ほえっ?」
「『ほえっ?』じゃないでしょ……どうしたの?急に黙っちゃって……」
「あ、ゴメンゴメン、ちょっと考え事してた~」
目の前には、いつの間にか私の腕から離れた梓の顔があった。
「考え事……?」
「うん、思い出していたんだ……『あの日』の事を」
「ちょっ!だから、恥ずかしい事言わないでって……」
あらら、又真っ赤になっちゃった、そんなに恥ずかしい事なのかなぁ~。
「んもぉ……あ、そうそう、えーと……」
ん、ごまかそうとしてる?
「恥ずかしいと言えば……」
目が泳いでる、明らかにごまかそうとしてる。
「そう!そうよ!恥ずかしいと言えば、今度のツアータイトル!」
あ、ごまかしきったと思ってる。
「あれ何?なんであんなタイトルにしたの!?」
「なんでって……だって、ファンのみんなは梓が卒業するのを楽しみにしていたんだよ、そのお礼なんだから……」
来月から始まる、私達の初全国ツアー。その名も……
『あずにゃん卒業おめでとうツアー』
私とりっちゃんで考えて、澪ちゃんやムギちゃんも賛成してくれたそのタイトル、残念ながら梓には不満らしい。
……結構良いタイトルだと思うのになぁ~。
「お礼なのはわかるけど、やっぱりちょっと恥ずかしいよ……」
「まぁ良いじゃん、もう決まったんだし」
「んもぉ……今回だけの特別だよ」
梓はいつもそう言ってくれる、そんな日常が今はとても嬉しい。

「どうしたの?随分とにやけているけど……」
「んー、幸せだなぁって思って」
私がそう言うと、梓は一瞬驚いた顔をし、その後すぐに微笑んだ。

「私も……幸せだよ。だって、唯と一緒に居られるから。卒業するまでは、こんな幸せを味わうことが出来なかったから」
梓はそのまま話を続けた。
―大学を卒業するまでは、自宅を拠点に活動する事って親から言われたとき、私すっごく悲しかった
―だって、折角唯といっしょに居られる時間が増えたって思っていた矢先だったから
―でもね
―じゃぁ、卒業したら、一緒に暮らしても良いって事だよねって思ったら、気持ちが楽になったんだ
―だって、今我慢すれば、後でちゃんと幸せがやって来るって約束された訳でしょ
―そして、今、その通りになった
―だから、私、物凄く幸せだよ
梓は満面の笑顔でそう言ってくれた。

その笑顔は、とても優しくて……、愛しくて……、気が付いたら梓を抱きしめていた。
「……唯?」
「私もね、同じだったんだ……。梓が卒業したら、一緒に暮らせると思ったのに、反対されたでしょ。その時から……ずっと、寂しくて、悲しかった」
「そうだね……あの頃の唯、ちゃんと笑えて無かったよね」
「うん……でもね、そのあと、梓が『卒業したら、一緒に暮らせるから、頑張ろう』って言ってくれたでしょ、私、そのお陰で頑張れたんだよ」
「そうだったんだ……」
「……梓は強いよね。私はそこまで強くないから、もし私が梓だったら、多分そんなこと言えないもん」
「……そんなこと、無いよ。だって、私の親に私達の事を聞かれたとき、ちゃんと言ってくれたじゃない『恋人として、真剣にお付き合いさせていただいてます』って」
「それは……まぁ……そうだけど……」
「それに、あの時の唯は両手を膝に載せて言ったでしょ、私が唯の両親に言った時なんか、唯の手を握っていなかったら、ちゃんと言えなかったもん」
「そうだっけ?」
私がそう言うと、梓は少し緩んだ私の腕の中から抜け出し、私の両手を自分の両手で包み、私の目を見てこう言ってくれた。
「そうだよ。だから、唯は弱くなんか無いよ」

「そうかなぁ~?」「そうだよ」
自信なさ気に言う私。でも梓は、それを即座に肯定してくれた。
「そっか~」「そうだよ~」
微笑みながら言う私に、梓も微笑み返してくれた。
そしたら、なんだが可笑しくて、嬉しくて、思わず顔を見合わせて笑い出していた。
「……ふふっ」「あははっ」
こんな風に毎日が自然に、肩肘を張ることなく、気楽に過ごすことが出来る……うん、やっぱり私、幸せだ!
「えへへ……あーずさっ!」
そう思ったら、気持ちを抑える事が出来なかった。
「なーに?唯……ん……」
いつもより、ちょっとだけ強めのキス。梓はちょっと驚いたみたいだけど、すぐに落ち着いて、私の背中に腕を回してきた。
告白されて、付き合い始めて、何度も口づけを交わし、身体も幾度と無く重ねたけれど……やっぱり、キスをするのは、恥ずかしいなぁ~。

多分、私、今、顔真っ赤、だよ。そして、多分、梓も。

コツン………コツン……
唇を重ね合わせてからどのくらい経ったんだろう……、気がつくと部屋の隅から何かをぶつけている音が聞こえた。
それを合図に、私達はゆっくりと唇を離す。
「ほら……トンちゃん2号が言ってるよ『僕も仲間に入れて』って」
「あはは、ホントだねぇ~、ごめんね~トンちゃん2号~」
腕をゆっくりと解き、私達はトンちゃん2号の水槽に近づいた。
「『遊んで~』って言ってるねぇ~」
一人暮らしを始める時に、メンバーからのプレゼントで飼い始めてもう4年。ここ最近『何となく』だけどトンちゃん2号の言いたい事がわかるようになってきた。
今みたいに8の字を書くように泳ぐ時は『遊ぼう』の合図、前回りが『いってらっしゃい』後ろ回りが『おかえりなさい』。
今はまだこれだけなんだけど、そのうちもっといろんな事が出来るように教えてあげるんだ~。
「ごめんね~、今は遊べないんだよ~。だけど~、夜には遊べるから~、待っててね~」
子供に話しかける感じでトンちゃん2号にそう言って……ん?あれ??えーっと……なんか私、今、重大な事を言ったような……あ!あぁーーっっ!!
「あ、梓!時間!早くしないと!!」
やっばー、梓に「時間だよ」って言おうとしていたのに、そんなことすっかり忘れていたよ、ダメじゃん、私。
「えっ?……にゃっ!もうこんな時間!?」
どうやら、梓も忘れていたみたい。
「梓、準備出来てる?」
「うん!あとはグロスを塗り直すだけだよ!」
「へっ?メイクまだだったの?」
「あ、えっと、まだって言うか……、その……キス……したし……、唯も……塗り直す……でしょ?」

モジモジとしながら梓が答えた。うぅ~ん、やっぱり可愛いよぉ~。だけど、多分、私の答えでもっと恥ずかしがるんだろうな~。
「私?ううん、そんな事しないよ……だってさ……、梓と同じグロス、塗っているでしょ……」
ちょっと色気を出して言ってみたら、予想通りに梓は顔を真っ赤にしていた。
「も、もぉ……それは、そうなんだけどさ……」
「うふふっ。じゃぁ、トンちゃん2号、行ってくるね~。梓、戸締まり確認お願いねっ」
そう言い残して、私は玄関へと向かった。


「お待たせ~」「待たされてないよ~」
私が玄関で靴を選んでいる間に、戸締まり確認を終えた梓もやって来た。
「梓、今日はミュール?じゃぁ、先に履いてて良いよ~、私スニーカーだから」
「じゃ、お先に~。……唯ってさ、最近性格変わったよね」
私が「これだぁっ!」と靴を選んだところで、梓がそんな事を言ってきた。
「え~?そうかなぁ~」
「そうだよ……なんだか、前よりも恥ずかしい事いっぱい言うようになったし……。はい、靴べら」
「ありがと~。……うーん、そんな事無いと思うんだけどなぁ~。……んしょ、はい、靴べらありがと」
「どう致しまして。……この間『Listen!!』のPV撮影したでしょ、その頃からなんだけど」
「ん~、……あぁ、そっか。梓さぁ、あの時私を見て『カッコイイ……』って呟いて顔を真っ赤にしていたでしょ?その顔がまた見たいから、ついそうしちゃうんだよね~。……よいしょっと」
私は靴紐を結ぶために玄関にしゃがみ込んだ。
「もぉ……。でも、まぁ、しょうがないか……ふふっ」
ん?何で笑うの?
「私も……そうなんだよ」
はぇっ?何の事?
そう思って顔をあげると、唇に一瞬だけ暖かい何かが触れた。
目の前には、ちょっと顔を紅くして微笑んだ梓の顔。
えーっと……つまり……キス……された!?
それに気付いたら、一気に顔が熱くなってきた。
「私もあの時、私を見て照れながら『かわいい……』って呟いた唯の顔が忘れられないんだ~」
そう言うと、梓は「先に出てるね」と言い残して外に出て行った。
むぅ~、まさかここで一本取られるとは思わなかったなぁ~。

「もぉ~、梓の方が恥ずかしいじゃん」
外に出て、梓にそう言いながら、鍵を閉める。
「お互い様、でしょ」
「そうだけど……むぅ~」
「ほら、早くしないと電車に遅れちゃうよ」
「あ、待ってよぉ~」
エレベーターホールに向かう梓を、慌てて追い掛けた。
「ムギちゃんの家も久しぶりだね~」
「そうだね~、ランチパーティーも久しぶりだし」
『ツアー前に英気を養おう!』というりっちゃんの一言で決まったランチパーティー。
……でも、梓は知らない。実は私が考えたとんでもないサプライズイベントが仕組まれているって事に。
「どんなご飯があるのかなぁ~。あ、そういえば『美味しい鯛焼き買っておくわね』って言ってたよ~」
「ホントに!?あ、で、でも、鯛焼き以外も食べるからねっ!」
「ホントにぃ~?」
「当たり前じゃない……唯こそ、食べ過ぎで倒れないように気をつけてねっ」
「だ~いじょ~ぶ、その時はムギちゃんちに泊まるから~」
「ダメだよ、トンちゃん2号と約束したでしょ、夜遊ぶって」
「そ、そうだった。じゃぁ、気をつけて食べます……」

そんな事を話していると、いつの間にかエレベーターホールに着いていた。
ボタンを押し、エレベーターが上がって来るのを待つ。
「あ、そうだ、ムギちゃんに『出る時メールして』って言われてたんだっけ」
私は鞄を開け、携帯電話を探す。
「……あれ?」
「どうしたの?」
エレベーターが到着した。
「ケータイ忘れた!」
扉が開く。

「ゴメン、梓。先に降りてて!」
「えっ、……わかった、早く降りてきてね」
「急いで取ってくるから~!」
そう言いながら、自宅へと駆け足で戻る。

……実はこれが計画の始まり。
急いで扉を開け、居間の『私専用スペース』へと向かう。
トンちゃん2号が『おかえりなさい』をしてくれたけど……ごめんね、またすぐ出かけるんだよ。
机の引き出しを開け、奥にしまってあった小さな箱を取りだし、蓋を開けて中身を確認する。
……大丈夫、ちゃんとある。
そこには同じ形の指輪が二つちょこんと並んで立っていた。
緩やかなS字のデザイン、その中心には私達の誕生石である小さなトパーズが一つ置いてある。
今回のサプライズイベント、『唯のプロポーズ大作戦(りっちゃん命名)』での最重要アイテム、私達の『婚約指輪』……になる予定の指輪だ。
今まで何度も「ずっと一緒だよ」とは言ってきたけれど……やっぱり、ちゃんとした形で気持ちを伝えないとね……。

指輪を箱にしまい、鞄の底の方に入れた。おっと、ケータイも入れておかないと。
演技のつもりだったのにホントに入ってなかったなんて、やっぱ緊張してるのかなぁ~。
「トンちゃん2号~」
気付いたら、しきりに『遊んぼう』を繰り返すトンちゃん2号に話しかけていた。
「今日、前に言った事を実行するんだけど……ちょっと不安なんだよね……」
私のプロポーズを、梓はちゃんと受け入れてくれるって自信は有る。だけど……どうしても『もし』が頭をよぎってしまうんだ。
「大丈夫かなぁ……」
そんな言葉を口にしたら、トンちゃん2号が何度も頷いてくれた。
「トンちゃん2号……励ましてくれるんだね、ありがとう~。……あ、そうだ、もし上手くいったら、トンちゃん2号にもご馳走あげるからね」
トンちゃん2号も応援してくれてるんだ、絶対に大丈夫、上手くいく。
そんな自信を胸に、玄関を出て、一階で待っている梓の元へ向かった。
「よっしゃー!気合い入れていくぞー!!」

◆ ◆ ◆

ふぁ……、あれ~いつの間にか外が真っ暗だ~。まぁ、僕の部屋は明るいから、気にならないけどね~。
ママ達、いつ帰ってくるのかなぁ~、つまんないなぁ~。

カチャッ……
あ、帰ってきた~!
「ふぅ……トンちゃん2号、ただいま~!」
梓ママだ~!おかえりなさ~い!あれ?唯ママは~?
「ん?唯ママ探してるの?もう少ししたら帰ってくるよ……トンちゃん2号のご馳走を持って」
ご馳走?じゃぁ、唯ママが言ってたプロ……何とかが上手くいったんだ!良かった~!
「ふふっ、まるで自分の事みたいに嬉しそうだね~」
カチャッ……「ただいま~!」
あ、唯ママも帰ってきた~!
「おかえりなさーい!」
そう言って、梓ママは唯ママを迎えに行った。
「トンちゃん2号、ただいま~、ご馳走買ってきたよぉ~」
やった~!僕は喜んでいっぱい『おかえりなさい』をしてあげた。
「えへへ~、トンちゃん2号嬉しそうだね~。……あ、そうだ、梓」
「何?」
「トンちゃん2号にも見せてあげようよ!」
「そうだね、唯の悩みも聞いてくれたんだからね」
ん?何を見せてくれるの?
そう考えていた僕の目の前で、ママ達は左手で自分の片目を隠した。
その左手には……

おしまい♪

★ 次回予告 ★


「二人共……良かったな」

「唯ちゃん、梓ちゃん、凄く似合っているわ~」

「よっしゃー、演奏始めるぞー!」


「梓……これからも、よろしくお願いします」

「……はい」




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最終更新:2010年05月27日 13:28