「うひゃぁぁぁーーーー!!!!」
カメラのファインダー越しに見えるのは、一面の花畑。
「ぃやっほぉぉぉぉーーーー!!!!」
視点を少し上に持っていくと、大きな風車も見える。
「よぉーし、みんなの所まで競争だぁー!!!」
遥か遠くを見ると、花でできた地平線。
「おっけーだよ!りっちゃん!!」
ここはオランダ南東部にある『ゼイプ』と言う町。ムギ先輩が「ここが、PVのイメージにピッタリだった所なの~」と言ってたけど……。
「ふぉりゃぁぁぁーーー!!!」
「負けないよぉぉぉぉーーーーー!!!!!」
花畑から見え隠れするあの二人を見ていると……あながち間違ってはいないかな。
「ゆーいー!!がんばれぇー!!!」
私達を目指して一目散に走る唯に、思わず私は声援を送っていた。それを聞いた唯は、右手を高々と上げてスピードをあげる。
「全く……相変わらずだな、あの二人は」
不意に澪先輩が声をかけてきた。
「そうですね……。でも、唯が楽しそうで良かったです」
私は、ファインダーから目を離さずにそう答えた。
「楽しそう……か。そうだな、昨日の唯は疲れを隠している感じだったしな」
「……澪先輩も気づいていました?やっぱりここ数日の睡眠不足が祟ってたみたいで、昨日もシャワーを浴びたらすぐに寝ちゃったんですよ」
ファインダー越しに見る唯の表情は、昨日とは違いとてもイキイキとしたモノになっている。
「いくらしっかりと寝たとは言え、まだまだ本調子には遠い感じだから、あまり無理はしてもらいたく無いんですけどね……」
「まぁ、これくらいなら良いんじゃないか?二人共本気とは言え大した距離を走る訳でもないんだし」
「ええ……まぁ、そうですね……」
そんな事を話している間に、二人の勝負は決着していた。やはり疲れが残っている為か、圧倒的な差で律先輩が勝利を収めた。
「ハァ……ハァ……りっちゃん……本気……出し過ぎ……」
「ぬぁんだとぅ!?……戦士たるものいつでも全力を出さねばならぬのだ!覚えておけ!」
「は……はい!了解しました!りっちゃんたいちょぅ……ハァ……」
「おいおい……大丈夫かぁ?」
「ん……大丈夫……」
「『大丈夫』じゃないでしょ!全く……あんまり無茶しないでよね……。はい、これ飲んで」
「あ……ありがと」
唯のあまりのへばりっぷりに呆れた私は、車の中からミネラルウォーターを持ってきて唯に渡した。
「ング……ング……ング……プハァー……ふぅ、生き返ったぁ~……ハァ……」
「お前はオヤジか……。てゆーか、律!お前も無茶し過ぎだぞ!!」
「ゴメンゴメン……いや~、つい本気になっちゃってさぁ~」
「こんな事で本気を出すな!演奏で本気を出せ!」
「イテッ……うぅ~……なんでアタシだけ……」
大きなたんこぶもらった律先輩が涙目で抗議してるけど、澪先輩は取り合うつもりないみたい……ま、でも、自業自得だよね。
「唯もだよ。体調が完全に回復するまでは、さっきみたいな事は禁止だからね」
「は~い。……でも、梓だってさっき応援してたじゃん……」
「ま、まぁ、それは、そうなんだけど……ゴメン……」
はぁ……何でなんだろ?唯が頑張る姿を見てると、ついつい応援したくなっちゃうんだよね……、気をつけないといけないなぁ~。
「みんな~、機材の準備出来たわよ~」
そう言いながら、さわちゃん夫妻と一緒に機材のセッティングをしていたムギ先輩が、私達の元へやって来た。
「済まないな、ムギ」
「ムギちゃん……ありがとね……」
「あらあら、唯ちゃん大丈夫?ちょっと休んでからにする?」
「ん~ん、大丈夫だよぉ~」
……大丈夫じゃ無いじゃない……他のみんなは気付いていないかもしれないけど、私の目はごまかせないよ……。
みんなに心配かける訳にはいかないから、敢えて言わないでおくけどね……あんまり心配かけさせないでよ……。
「唯、大丈夫そうなら、行こうか?」
「うん!」
明らかに空元気だけど……唯も周りにあまり迷惑をかけたくないって思っているんだろうから、私も何時もと同じ様に振る舞うとしますか。
「お~い!速く来いよ~!」
「はーい!!澪先輩!今行きまーす!!じゃぁ唯、行くよっ」
「おー!!」
★
「みんな、準備出来たか?」
「うん!」「はい!」「ああ!」「ええ!」
律先輩の掛け声に、四者四様の答えを返す。
「よっしゃー、演奏始めるぞー!」
その声を聞き、私達はそれぞれの楽器をしっかりと構え直す。
「ワン、ツー、ワン、ツー、スリー」
♪
ねえ 三週間 ハネムーンのふりをして旅に出よう
もう 劣等感 ぶっとんじゃうぐらいに熱いくちづけ
君が大好きあの海辺よりも 大好き 甘いチョコよりも
こんなに大事なことはそうはないよ Oh
君が大好きあの星空より 大好き 赤いワインより
女の子のために今日は歌うよ
♪
演奏シーンの撮影が終わり、機材をあらかた片付けると、さわちゃん夫妻の撮影が始まった。
私はワゴンに背中を預け、撮影している唯とムギ先輩を何の気無しに眺めていた。
「ハネムーン……か……」
午後の穏やかな日差しが照らす花畑を、楽しそうにはしゃいでいる二人の姿。
それを見ていたら、知らず知らずの内にそんな言葉を呟いていた。
「ん?梓、どったの?」
細々とした物の片付けを終えた律先輩が、私に声をかけてきた。
「あ……律先輩……いえ、あの二人を見てると……何だか羨ましくなっちゃって」
「あー、うん、そうだよな~。なんか……こう……『幸せ』ってオーラが物凄く出ている感じ?」
「そうですそうです!『癒し』と言うか……なんかこう、見ていて幸せになれますよね」
「で、その『幸せ』のオーラとやらにあてられて、羨ましくなってたのか」
やはり片付けを終えたのか、律先輩とは逆の方から澪先輩もやってきた。
「あ、澪先輩……はい、そう……ですね。……なんていえば良いのか……歌詞に『ねえ三週間ハネムーンのふりをして旅に出よう』ってありますよね」
「あぁ、あるな」
「……ハネムーンって、結婚しないと出来ない事、ですよね……」
「まぁ、一般的には、そうなるかな~」
「それで、さっき、気付いたんです。……さわちゃん達は今『ハネムーン』を楽しんでいる。でも……私達だと……ハネムーンの『ふり』しか出来ない」
「あぁ……そうだな……」
「そう考えたら……何だか……切なくなっちゃって……」何でなんだろう……久しぶりに長く唯と居られるから……なのかなぁ。そんなこと……随分と前にわかっていた筈なのに。
「あぁ~あ……、なんで日本は『同性婚』を認めないんだろ……」
そんな言葉が思わず口から出てきた。海外では色々な国や州が『同性婚』を認めている。ここオランダもその一つだ。
実際、街中を歩いていると、まだ数組程度だけれど『同性』のカップルを見かけている。
……もしかしたら、とても幸せそうにしているその人達を見たから、さっきみたいな事を口にしちゃったのかなぁ……。
「あのさぁ梓……梓にとっての『結婚』って……何?」
不意に律先輩がそんな質問を投げかけてきた。
「え……『結婚』……ですか?……私は『愛する人と共に過ごす事』だと思っていますけど」
「フムフム……じゃぁさ、梓は唯と今一緒に住んでるよねぇ……それって、梓の考える『結婚』とは違うの?」
確かに、律先輩の言う通り、現在の私達は私が思い描いていた『結婚』に限りなく近い状態だけど……一つだけ足りない物がある。
「えぇ……一つだけ……。ちょっと、恥ずかしいんですけど……、私は……『平沢梓』になりたいんです」
私は撮影している唯を見つめながら、少し恥ずかしそうにそう言った。……多分、律先輩も澪先輩も面食らった顔をしているんだろうなぁ~。
「す、すみません、変な事言っちゃって……子供っぽいですよね……アハハ」
愛想笑いを口にしながら、二人の顔を見てみた。多分苦笑いを浮かべて……あれ?なんで二人ともそんな真剣な表情なんですか?そう聞こうと思ったら、律先輩が先に口をひらいた。
「変な事って……、当然じゃない?好きな人と一緒の名字になりたいって考えるのは」
「そうだよな。別に恥ずかしがる事じゃないぞ、素敵な事じゃないか」
その言葉に驚いた私は、それぞれに改めて確認してみた。
「そう……ですか?」
「うん」
「本当に?」
「ああ」
先輩方は共に頷いてくれた。……ホントに、そうなの……かな?
「まぁ、確かに今の法律では、入籍して『平沢梓』を名乗る事は難しいがな……だけど、それを『芸名』として名乗る事は出来るぞ」
「そうそう、本名を名乗る必要なんて無いんだし」
……あ、そうか……。私達は『芸能人』だから、『芸名』としてそれを名乗るのは自由なんだ……。
そう考えたら、とても気持ちが楽になってきた。
「そうでしたね……『芸名:平沢梓』は思い付きませんでした。澪先輩、律先輩、ありがとうございます」
「そんな、お礼なんかしなくてもいいって」
「いえ、律先輩、言わせて下さい。……私、一人で堂々巡りをしていました。以前、唯に『結婚できたら、梓は平沢姓になるんだよ』って言われた事があるんです」
「へぇ~」
「でも、その時は『結婚出来ないから無理なんだよね』って私が言って、その話は終わりになったんです」
「そんな事があったのか……」
「はい……でも、自分でそんな事を言っておきながら、全然諦めがついていなかったんですよね。……今までは『そんな事は無理だ』って自分自身に言い聞かせていたんですけど……」
「今回の旅行で、その蓋が外れてしまった」
「そうです……だから、ずっと、その事を考えて悶々としていたんです。……でも、先程の提案でそれも晴れました。だから……お礼を言いたいんです。改めて、律先輩、澪先輩、ありがとうございました!」
さっきまでの鬱々とした気持ちが嘘のように消えた私は、二人に深々と一礼をし、顔を上げて二人に微笑んだ。
二人の顔も微笑んで……いない。なんでだろ?心なしか怒っているようにも見える。
「あの……私、怒られる様なこと言いましたか?」
怖ず怖ずと二人に問い掛けると、少し怒った口調で澪先輩が話し出した。
「梓……、唯と二人暮らしを始める時、私達はなんて言った?」
二人暮らしを始める時……?えっと、部屋を探して、引っ越しをして、その後……あ!!
◆
「それでは、唯と梓の二人暮らしスタートを記念して……」
『かんぱーい!!!!』
二人暮らしをする部屋に引っ越しをしたその日の夜。
先輩方三人は、行きつけのバーでサプライズパーティーを開いてくれた。
出席者は私達五人と、その頃はまだ付き合い始めてもいないさわちゃんと太田さん、唯の両親と私の両親、勿論憂と純にも来てもらった。
みんな、私達を祝福してくれて……とても、幸せなひと時を過ごせた。
その最中、先輩方三人が私と唯の下へやって来て、こんな事を言ってくれた。
「唯、梓、おめでとう」
「二人共……良かったな」
「これで
ずっと一緒に居られるわね~」
「みんな……ありがと~」
「先輩方、ありがとうございます」
「ところで、こんな時に何なんだけど……、もし何か困った事があったら、いつでも私達に相談するんだぞ~」
「そうだぞ、『どんなに相思相愛だったとしても、相手に言えない事が必ず一つ二つ出てくる』って、私の両親も言っていたからな」
「だからね、どんな小さな事でも良いから、心に溜める前に私達に言ってね」
「うん」
「はい」
◆
「すみません……私、すっかり忘れていました。先輩方に『いつでも相談に乗る』って言われてましたね……」
二人はやっぱりなとでも言いたそうな表情で、顔を見合わせている。
「全く……そんな大事な事を忘れちゃ駄目だぞ」
「はい……すみません……」
「次からは、ちゃんと言うように!部長命令だからな!」
大事な事をすっかり忘れていて落ち込んでいる私に、律先輩は微笑みながら懐かしい口調でそんなことを言ってくれた。
「『部長命令』ですか、了解しました!」
私も笑いながら言葉を返す。
「全く……二人共何をやっているんだか……」
そう呟く澪先輩の口元も笑っていた。
「たまにはいーじゃん、なぁ、梓」
「そうですね、たまにはこんな感じも良いですよね」
「そうだな、『たまには』良いかもな。それじゃ、……よし、練習始めるぞ!」
「えぇ~!楽器片付けちゃったよぉ~」
『あははははは……』
先程の落ち込んだ気持ちも何のその、私達は久しぶりに大声で笑いあった。
「あーずーさぁー!!こっちきなよぉー!!むぎちゃんがー、私達の事も撮ってくれるってー!!!」
唯が大きく手を振りながら、私を呼んでいる。
「はーやーくぅー!!!」
もぉ……そんなに跳びはねなくてもちゃんと聞こえてるよ!
「お、そうだ!おーい!ゆーいー!カメラ貸してー!!私も二人の事撮ってあげるー!!!」
「本当にー!?ありがとー!りっちゃーん!!」
もぉ、唯も律先輩も勝手に決めちゃって……。
でも、唯が楽しそうだから……いいか。
「んじゃ、梓……唯の所まで競争だ!!」
「あ、律先輩ズルいです!待ってくださーい!!」
そう叫びながら、私は唯達の所へ駆け出していった。
♯
「んーっ、今日もいっぱい移動して、いっぱい食べて、いっぱい飲みましたよーっと」
そう言って、私はベッドに仰向けに倒れ込んだ。
「唯……いくらなんでも、連日それは無いんじゃない?」
ベッドサイドに腰掛けた梓が、そっぽを向いたまま少し怒った口調でそんな事を言ってきた。
……連日ねぇ……。あぁ、そういえばオランダに来てからもう五日経ったんだっけ。
「うーん……。でもさぁ~、ご飯もお酒もスッゴク美味しいんだもん、しょうがないよ~」
「……だからといって、毎日シャワーも浴びずに寝るのは、女子としてどうかと思うんだけど」
「むぅ……それは、その通りなんだけど……でも、朝にちゃんとシャワー浴びてるから、大丈夫だよ~」
それを聞いた梓は、少しだけ体を強張らせた。
ありゃ、私何かマズイ事言っちゃったかも……。
すると梓は静かな口調で話しかけてきた。
「……ねぇ唯?私、最初の日に言ったよね『体調を崩されたら困る』って」
あ……この感じ……結構怒ってる。ちゃんと謝らないと……。
「……うん」
「体調こそ崩していないものの、毎晩これじゃ……帰ってから疲れが……一気に出ちゃうよ」
「……はい……反省してます……」
「全く……折角の旅行なのに、こんなんじゃ……全然……楽しく……ないよ……」
あれ?梓……もしかして……。
不安になった私は体を起こし、梓の隣に腰掛けた。
「梓……泣いてる……の?」
顔を覗き込むと、その瞳が潤んでいて、今にも雫が落ちそうだった。
「ねぇ……梓……」
震える肩に触れようとしたその瞬間、梓の怒りが爆発した。
「なんで……なんで唯はいつもそうなの!私がいくら心配しても『大丈夫』の一言で片付けて!わ、私が一体どれだけ心配しているのか、わかっているの!?」
「ご……ごめんね……」
「……バカ……バカ!バカ!!バカァー!!!ウワァァァ……」
梓は泣きながら、私を罵り、抱き着いてきた。
「唯は気付いて無いと思うけど!毎日のようにうなされているんだよ!!私、その度に手を握っているんだよ!!そんな、そんな状態なのに!なんで、自分をもっと、大事にしないのよぉぉぉ……」
……私は馬鹿だ。
愛する人をここまで悲しませなければ、自分が今置かれている状況にすら気付かない。
救いようの無い大馬鹿者だ。
「ごめん……ごめんね、梓……本当にごめんね……」
私の胸で子供のように泣きじゃくる梓に、私は、そんな言葉を掛ける事しか出来なかった。
「やだよぉぉぉ……唯が居なくなるの……嫌だよぉぉぉ……ウウッ……」
「梓……」
そんなこと無い、そう言いかけて口をつぐんだ。今の梓にそんな言葉をかけたところで、不安な気持ちを取り去る事なんて出来ないだろう。
だから、私は梓を優しく抱きしめ、頭を撫で続けた。
★
「……落ち着いた?」
「……ちょっとだけ。……ごめんね、酷い事言っちゃって……」
「ううん、そんな事無いよ。……私こそ、ごめんね……梓にいっぱい心配かけちゃって……」
私がそう言うと、梓は先程より強く私に抱き着き胸に顔を埋めた。
「……ねぇ、一つ、聞いても良いかな?……なんで、私が居なくなるなんて思ったの?」
「……」
……話したくないのかな……?まぁ、いいか……。無理に聞く必要も無いし……。
そう考えながら頭を撫で続けていると、怖ず怖ずと梓が話し出した。
「……あ……あの……ね、……この間……唯が仕事で居なかった時……夢を……見たの」
「夢?」
「うん……唯が電話で呼び出されて……徹夜明けで疲れているのに……『すぐに帰るから、大丈夫だよ』って言って出掛けて……私が家でお留守番して……晩御飯のカレーを作ってて……」
「うん」
「カレーが出来て……後は唯の帰りを待つだけって思って……テレビをつけようとしたら……電話が鳴って……」
「電話?」
「そう……それでね……子機を取って……電話から声が聞こえて……知らない人の声で……唯が倒れたって……そしたら……テレビがついてて」
「テレビ?」
「アナウンサーが……唯が交通事故で……重傷だって言ってて……慌てて外に出ようとしたら……ドアの前に警察官が居て……」
「……」
「……唯が……刺されて……危篤状態だって……ウゥッ……」
そんな、悲しい夢を……。
涙混じりの声で、更に梓は話しつづけた。
「目が覚めた時……グズッ……唯が居ないって……気付いて……ヒック……でも……電話……グスッ……出来なかった……私……ヒック……怖かったの……エグッ……もし、唯が……ヒック……出なかったら……」
「梓……」
「嫌なの!……グスッ……唯が居なくなるのが!この世のどんな事よりも!……エグゥ……嫌なのぉ……そんなの……ヒック……嫌だよぉ……」
私は梓が落ち着くまで、黙って抱きしめ続けた。
夢とは言え、そんな事を目の当たりにして、悲しみの感情を募らせていた筈なのに、今まで私にそんなそぶりを全く見せないでいた。
私を心配させないために、心の奥底にずっと閉まっていたんだろうな……。なのに、私ときたら……。
澪ちゃんやりっちゃんが聞いたら、げんこつどころじゃ済まないかな……。
「唯……ありがと……もう、大丈夫だよ……」
先程まで、腕の中で小刻みに震えていた梓が、そう言って顔をあげた。
「本当に?」
「うん……いっぱい泣いて、言いたいこと言ったから」
「そっか……。ねぇ、梓。……なんで、今まで言わなかったの?」
私はあえてその理由を聞いてみた。気持ちが落ち着いた今なら、ちゃんと梓は答えてくれる筈だ。
「あのね……なんでかって言うとね、もし、これが本当の事だったら、嫌だな~って思って」
「本当の事?」
「うん……唯が目の前に居て、一緒に生活しているのが、実は全部夢で、本当の唯は……って思ったら……」
そこまで話すと、先程の感情が振り返したのか、涙目になって再び顔を埋めた。
「ねぇ……梓。……私は、ここに、居るよ。どんな事があっても、ずっと、ずっと、梓の側にいるよ……」
「唯……」
「まぁ、仕事で居ない日もあるけど……でも、どんな事があっても、私は、梓の側から離れないよ、……絶対に」
「絶対に、私の側から、勝手に居なくなったりしない?」
「うん!約束するよ!私は『絶対に』梓の側から居なくならない!!……もし梓が『嫌だ』って言ったら、そうするけど……」
「そんな事言わないよ!『嫌だ』なんて、絶対に言わないよ!!」
梓は顔をあげて大声でそう言ってくれた。
「……ありがとう、梓……」
梓の一言で胸が一杯になった私は、強く梓を抱きしめた。
「唯……?」
「ねぇ……私がここに居るって……ちゃんと感じられる?」
「うん……でも……もうちょっと……感じたいなぁ……」
私は少しだけ抱きしめる力を緩め、梓を見つめた。
「梓……私は……ちゃんと……ここに居るよ……」
「……うん……」
瞳を僅かに潤ませている梓の唇に、優しくて深いキスをした。
「……ん……ちゅ……んむ……ちゅぷ……んん……」
「……んちゅ……ん……ちゅ……ぷはぁ……」
ゆっくりと唇を離して目を開けると、頬をほんのりと赤く染めた梓の顔が見えた。
「唯……」
艶っぽい声で梓が話しかけてきた。だから私も同じような口調で聞き返した。
「なに……梓?」
えへへ……そういった事をするのも……久しぶりだなぁ……。
もう一度抱きしめようとしたら、梓の冷静な声が部屋の中に響いた。
「……お酒臭い」
「ぬぁっ!?」
な、なんと……意外な……お言葉を……。
「唯、飲み過ぎだよ」
「え、でも、梓だってかなり飲んでたじゃん」
「私は普通に食前酒も食後酒も軽めのカクテルにしたし、ワインもそんなに強くないのを飲んでたでしょ」
えっと、あぁ、そうだった気がする。
「それに引き換え唯は、食前酒はシェリーだし、食後酒はブランデーだし、ワインも度数が高いの飲んでたでしょ」
「えと、あう……、その通りでございます……」
私は梓から体を離し、深々と一礼をした。
「もぉ……。今日はきちんとシャワーを浴びて、早めに寝る事。わかった?」
「はぁ~い」
「……不満そうな口調で返事しないで下さい。……全くもぉ……」
あ、呆れてそっぽを向いちゃった……、でも……。
「梓は……さっきの続き……したくないの?」
私は静かに近付き、耳元でそんな言葉を囁いた。
ふふっ、梓ってば耳まで真っ赤になってる。
「そ、そりゃあ……続き……したいけど……さ」
「じゃぁ……」
「だけどね」
梓は素早く私から離れ、私の顔を見つめた。
「最初の日にも言ったでしょ『十分に休めていないからもっと疲れちゃうよ』『こんな所で体調を崩されたらこまる』って……だから、今日はダメ、だよ」
えぇ~、そんなぁ~。
「ほら、さっさとシャワー浴びてきなさい。出たらすぐに寝るのよ。ほらほら」
「あ、え、ちょっと……」
後ろに回った梓に、文字通り背中を押され、渋々ながらバスルームへと向かった。
……でも、仕方がないか……『体調を完璧にする』とか思っていながら、全然完璧じゃ無いもんね……。
「ふぅ~……」
服を脱ぎ、バスルームに入り、シャワーを浴びる。
……もう二度と、梓のあんな顔、見たくないな……。
でも、そのためには自分がしっかりとしなくちゃね。
「うん!梓を悲しませない為にも、無茶をしないように気をつける!」
シャワーを浴びながら気合いを一つ入れて、ボディーシャンプーを手に取り、鼻歌混じりに……おぉぉぉぉ!!!
「あ、梓ー!!レコーダー持ってきてー!!今すぐー!!!」
間もなく扉が開き、呆れ顔の梓がレコーダーを差し出した。
「あ!REC!録音して!」
「はい……いいよ」
「♪~♪~」
先程浮かんだメロディーを、間違えないように録音する。
「オッケー!ありがとね」
「どう致しまして……じゃぁ、これは机の上に置いておくからね」
「うん!」
うーん、今のは中々良い感じのメロディーだったなぁ~。……そろそろメモリいっぱいかな?寝る前にPCに移動させておくか……。
★
「じゃぁ私、シャワー浴びてくるけど、先に寝てて良いからね」
「うん、メモリの移動して、確認したら寝るよ~。いってらっしゃ~い」
バスルームへと向かう梓を見送りつつ、ノートPCの電源を入れる。
「レコーダーの残メモリは……うわっ!こんなに少ないの?私そんなに吹き込んだっけ……?お……起動完了っと……えーっとケーブルを挿してっと……移動開始!」
マウスのボタンをダブルクリックして、移動完了までしばし休憩……約三分か……髪の毛乾かしてこようっと。
「お、よしよし。ちゃんと終わってるね」
ドライヤーで乾かしている間に、移動は完了したみたい。では、確認確認っと。
★
「……私は一体何をしたかったのだろう……」
確認開始してから約五分、量が多いので内容を聞かずに波形データで確認していたんだけど……寝ている間に録音する事が多いから仕方が無いとは言え……。
「無音データ多過ぎ!!」
はぁ……でもなぁ、実際にはこのちっこーいギザギザに何か入ってたりするし……。
「まぁいいや。後でちゃーんと確認しーましょっと……あれ?なんだこれ?時間は……んと……飛行機の中……かな?」
はっきりとした波形の録音データ。
時間は十秒余り。
……取り敢えず、確認してみようかな。あーっと、ヘッドホン出して……。
「ジャックにイーン!では再生をポチっと……」
『あんまり無理しないでね……愛してるよ……唯』
……えっと……なんで梓の声が?
「……もう一回きいてみようかな」
『あんまり無理しないでね……愛してるよ……唯』
「……寝ている間に……かな……えへへ……」
梓からの秘密のメッセージ。
こんなにも愛してくれているんだ……嬉しいな……よしっ!!
私は意を決してバスルームへと向かった。
「梓~!先に寝てるね~!おやすみ~!!」
「わかった~!おやすみ~!」
梓の声を確認し、ベッドへ向かい、中に潜り込んだ。
……梓の為にもちゃんと休んで……体調を完璧にする……すぐには……無理かも……知れない……けれど……出来る……だけの……事は……しな……く……ちゃ……。
♯
「さてさて、PVの撮影も本日が最終日です。いやー、あっという間でしたねー、唯さん」
「そうですね~。楽しい事も、辛い事も色々ありましたね、澪さん」
「でも、そういった事も含めていい
思い出ですよね、紬さん」
「はい、本当に。そんな私達の思い出がギュッと詰まったPV撮影も、遂にクライマックスですね、梓さん」
「一体どのようなPVに仕上がったのか?あなたの目で確かめて下さい。それでは……」
『放課後ティータイムで……「だいすき」!!!』
「うん、結構良い感じじゃないかなぁ。澪はどう思う?」
「私も良いと思うぞ。テンポも良いし、PVのイントロにはピッタリだと思うな」
私達は今、オランダ南東部のリンブルフ州に居る。
「えぇ~、もうちょっと、なんかこう……面白いというか……そんな感じにしてみようよぉ~」
「唯……せめて頭の中で考えをまとめてからしゃべろうな……」
ムギ先輩に聞いたら、クライマックスにピッタリの場所がここに有るらしい。
「そんな!私をアホの子みたいに言わないでよ!りっちゃん!!」
ユトレヒトから州都マーストリヒトまで約2時間、そこから車に乗り換えて、現在ムギ先輩と運転手である執事の斉藤さんだけが知るその場所へと移動中だ。
「ねぇ!梓も思うよね!もっと面白い感じにしたほうが良いよね!」
その間に暇を持て余した私達は、唯の提案でPVのイントロ部分をさっきから何度も撮影しているんだけど……。
「……私は、今ので良いと思うけど。てゆーか、唯の言う『面白い感じ』って、どんな感じ?」
「へっ!?……あ、え、えと、その……あ!そうだ!着ぐるみ……とか……」
「思いっ切り今考えついたって感じだな……」
「み、澪ちゃんまで……ウゥッ……さめざめ……」
擬音着きで悲しみを表現されてもねぇ……まぁいいや、暫くほって置こーっと。
「ところでムギ先輩、あとどれくらいでその場所に着くんですか?」
「ん?あと少しよ……ほら、あそこ。あの教会」
窓の向こう、ムギ先輩の指差す先に、その目的地はあった。町の教会……って感じかな?なんだか、昔の映画に出て来そうな雰囲気だなぁ~。
★
「いっちば~ん!!」
「あぁ~!ずるいぞ、唯~!!」
教会へ到着するなり、唯は真っ先に車を降りて教会の入り口へと駆け出した。律先輩も慌てて追いかけていった……はぁ……。
「どうした?梓」
「あ、いえ……相変わらずだなぁ……って思って」
「そうだな~、あの二人はどこに行っても変わらないな~」
「あら?唯ちゃんとりっちゃんは?」
入り口ではしゃいでいる二人を眺めていると、斉藤さんを連れたムギ先輩が話し掛けてきた。
「あぁ、あの二人なら……ほら、入り口の所に居るぞ」
「あ、ホントだ~。ゆいちゃーん!!りっちゃーん!!入り口そっちじゃないのー!!」
「ぬぁ!」「なんですとぉー!?」
「案内するから、ついて来てー!」
全く……勝手に先走るからこうなるんだよ……。
「なーんだ、あっちじゃなかったのか~。澪~先に教えてくれよ~」
「勝手に先走るお前が悪い。てゆーか、私に聞いたところでどうにもならないだろ」
「たはは……そりゃ、ごもっともで……イテッ」
二人の掛け合いを聞き流しながら、さっきからずっと気になっている事をムギ先輩に聞いてみた。
「ムギ先輩……あの、ここで何を撮影するんですか?確か、コンテに書いてあるシーン全て、昨日で撮り終わっているはずだと思うんですが……」
「ええ、昨日で全部撮り終わっているわ。今日撮影するのはね、所謂『特典映像』と言われる物よ」
「特典映像ですか。……じゃぁ、その『特典映像』って、何を撮影するんですか?」
「結婚式よ」
……はぁ?結婚式?
「結婚式って……今日ここで町の誰かが結婚式をするんですか?」
「まさかぁ~、いくらなんでも、そんな事はしないわ~」
「えっと……あ!さわちゃんと太田さん!」
「ざーんねん、違いまーす」
……えぇ~?じゃぁ一体誰の……?
はっ!まさか!ムギ先輩、実は私達の知らない所で男性とお付き合いしていて……。そうか、そうだったんですね。もぉ……水臭いなぁ~。
「解らないかなぁ~正解はね……」
解ってますって、正解は……。
「ムギ先輩の……」
「唯ちゃんと梓ちゃんの結婚式でした~」
……はいぃっっ!?今、何と……?
「ム、ムギちゃん……今、何て言った、の?」
「えっ?『唯ちゃんと梓ちゃんの結婚式』って言ったんだけど……」
「ちょ、ちょ、ちょーっと待ってください。ムギ先輩、それって……マジですか?」
「ええ、そうだけど」
「な、なんで……?ムギちゃん……どういういみなの……?」
「だから~、『特典映像』に使う『結婚式』のシーンを撮影するんだってば。いくら唯でもわかるだろぉ~」
へっ?律先輩……知ってたんですか?
「りっちゃん……しってたの?」
「私も勿論知っていたぞ」
「澪ちゃんも……?」
じゃ、じゃぁ……。
「皆さん、ずっと秘密にしていたんですか……?」
「ええ」「ああ」「うん」
……全然気づかなかった……。
「まぁ、大まかな計画を聞かされていただけだがな」
「そ。詳しい事は私達も知らないんだ。知っているのはムギと斉藤さんとさわちゃん夫妻だけ。……んで?
これからどうすんの?」
「取り敢えず、中に入りましょう。続きはそれから話すわね」
結婚式って……結婚式……。
「おぉ~い、二人ともこっちだぞ~」
律先輩の呼び掛けで、私は未だ呆然としている唯の手を握り、みんなの後を追った。
……私と……唯の……結婚式……。
最終更新:2010年07月23日 22:06