「あ~ずにゃん!ぎゅっ」
「んにゃっ!…もう、びっくりするじゃないですか唯先輩」
「えへへ、
あずにゃんが可愛かったからつい」
「まったく、唯先輩は1年半前と何も変わっていませんね」
「ひどいあずにゃんっ! 私はあずにゃん分補給のチャンスを大切にしているというのにっ」
「はいはい。そんなことより、今は文化祭のライブに向けて練習ですよ」
「んもぅ、あずにゃんのいけずぅ」
何でもない日常。他愛もない会話。
今日も楽しい一日が過ぎていく。
「お~!今日のふわふわはばっちり決まったなあ!」
「ふふ、梓ちゃん最近すごく気合入ってるわね」
「本当だな。リズムキープもばっちりだったよ、梓」
「ありがとうございます澪先輩。今年の文化祭は何がなんでも成功させたいんです!」
「おおぅ……
あずにゃん先輩まぶしいっす!」
「何アホなこと言ってるんですか唯先輩。さあ、まだまだ練習ですよ」
「ええー、今日はもう5回も通したんだし終わりにしようよお」
「そうだな。外も暗くなってきたし、今日は終わりにしよう、梓」
「澪先輩が言うのなら仕方ないですね。わかりました」
「気持ち良く終わったほうが次につながるって言うしなっ!」
「うんうん。来週もこんな感じでスタートを切れるといいわね♪」
文化祭のライブを間近に控えた放課後ティータイム。
とりわけ私はいつもより熱心に練習に取り組んでいた。
その一方で唯先輩ときたら、あずにゃん分の補給と称して私に抱きつくばかりだ。
帰り道で二人になってからも、唯先輩は相変わらず抱きついてくる。
「あ~ずにゃんっ!」
「うわぁ!もう、いい加減にして下さい唯先輩!今日これで6回目ですよ?」
「だってえ、今週はもう会えないんだもん」
「3日後にまた会えるじゃないですか」
「3日後って72時間後だよあずにゃん!そんなに会えなかったら死んじゃうよー」
「そんなことで死ぬわけないですから。それよりも、週末練習サボっちゃ駄目ですよ?」
「ぶぅー。あずにゃん何だか気合入りまくってるよお」
「文化祭近いんだから当たり前です!それじゃあ、今日は失礼しますね」
「うん。また来週ぎゅうってしようね!」
「違いますから!」
唯先輩とも別れ、私は一人帰路についた。
今日は風が冷たかったので、少し小走りで帰った。
家に着くと、時刻は7時を過ぎていた。
「ただいまー。あ、今日はいないんだっけ」
両親は遠い地方のライブに参加するため、日曜日の夜まで帰って来ないことを思い出した。
私は早速ギターケースからむったんを取り出し、今日の練習のおさらいを始める。
「今日の練習は良かったなあ。でも、もう少し唯先輩とのギターの絡みは練習しておかなきゃダメかも」
私は夜ご飯を食べるのも忘れるほど、夢中になってギターの練習をした。
1時間、2時間……。どれほど練習に時間を費やしたか分からない。
でもこの時の私は、ギターの練習以外のことは全く考えていなかった───
『ピロンピロン、ピロンピロン♪』
「…はっ!」
気付くと携帯の着信音が鳴っていた。もしかしたら練習に夢中すぎて、何度か聞き逃していたのかも。
電話は唯先輩からだった。
『あ、出た出た。あずにゃん今電話大丈夫だった?』
「すみません、唯先輩。ギターの練習に夢中になってて…」
『何だそうだったのかあ。なかなか出ないから心配したんだよ~』
「ご心配かけてすみませんでした。それで、どうしたんですか?」
『あ、うん。今日はね、文化祭のライブ前に、先輩として最後のアドバイスをしようと思って』
「最後のアドバイス?何のことですか唯先輩?」
『だって、私たち3年生は文化祭が終わったら引退でしょ?受験があるんだもん』
「受験で忙しいのは分かりますけど、何も今そんな話をしなくても…」
『ううん、今話しておかなきゃいけないの。文化祭が終わったら、もう私たちは会えないかもしれないから…』
「やめて下さいそんな話!だいたい、卒業ライブがまだ残ってるじゃないですか」
『卒業ライブはできないんだよ。今までにそんな前例はなかったし』
「じゃあ外部で単独ライブを企画しましょうよ!」
『受験が終わったら、ムギちゃんは海外に短期留学するってあずにゃんも知ってるでしょ』
「それはそうですけど……じゃあムギ先輩が帰ってきてからまたやればいいじゃないですか!」
『あずにゃん。私たちは卒業したら、それぞれ別の道を行くことになるんだよ。
通う場所も違うし、時間もバラバラだし、勉強することだって違う。
だから、放課後ティータイムとして集まれるのは、この文化祭が最後になると思うの』
「うそだ……うそですよね唯先輩…………うそって言って下さい!」
『うそじゃないんだよ……あずにゃん。私も寂しいけど、仕方のないことなの。
だからね、先輩として最後のアドバイス……聞いてくれる?』
「そんなの……うぅっ、あんまりですよ……ひっく……」
このとき、私は初めて先輩たちとの別れを自覚した。
さっきまでの練習に打ち込む気持ちはどこかに行ってしまい、私はひたすら泣き続けた。
あんまりですよ……唯先輩。どうしていきなりもう会えないなんて言うんですか。
いつものように笑わせて下さいよ。あずにゃ~んって私のこと呼んで下さいよ。
いつもみたいにスキンシップして下さいよ。後ろから突然、私のこと抱きしめて下さいよ。
私がいないと何もできないくせに……どうしてこういう時だけ大人になるんですか。
もっと、私と一緒にいて下さいよ……
泣きながら別れを自覚するうち、私はもう一つのことに気が付いた。
私がこんなにも、唯先輩に依存していたということに。
思い返してみれば、私は幾度となくあの笑顔に支えられてきた。
普段は私が世話を焼いているから意識していなかったけど、
いざという時に私をひっぱり、リードしてくれたのはいつも唯先輩だった。
会うたびに私に抱きつく唯先輩。決して口には出さなかったけど……私はその温もりが大好きだった。
当たり前すぎて、到底こんなことには気付けなかったのだ。失ってみて初めて分かる大切さ……
ああ、そっか。
私、唯先輩のことが好きだったんだ。
『……それじゃあね、あずにゃん。』
待って……行かないで………私をおいて、行かないで…………唯先輩!!
―おお、愛しうる限り愛せ
その時は来る その時は来るのだ
汝が墓の前で嘆き悲しむその時が―
ふと、脳裏に聞き覚えのある詩が浮かぶ。
―心を尽くすのだ 汝の心が燃え上がり
愛を育み 愛を携えるように
愛によってもう一つの心が
温かい鼓動を続ける限り―
視界が一瞬ぼやけたかと思うと、天から降り注ぐような眩い光が私を照らす。
―汝に心開くあらば
愛のために尽くせ
どんな時も彼女の者を喜ばせよ
どんな時も悲しませてはならない―
思い出した。これ、リストの『愛の夢 第3番』に付けられた歌詞だ…
―言葉には気をつけよ
悪い言葉はすぐに口をすべる
「ああ神よ、誤解です!」と嘆いても
彼女の者は悲しみ立ち去りゆく――――
降り注ぐ光の中には、一人の女性が立っていた。
腕を後ろに組み、私を見つめながら微笑んでいる。
逆光ではっきり顔が分からなかったものの、それは紛れもなくあの人だった。
「唯先輩……!」
私は全力で唯先輩の元へ駆けていった。何も考える必要はなかった。
おいであずにゃんと言うかのように、腕を大きく広げる唯先輩。
私はその胸元に飛び込んだ。確かな温もりがそこにはあった。
「……先輩っ……唯先輩……!……私っ……!」
「いいんだよ……あずにゃん。それ以上、何も言わなくていいんだよ……」
「唯先輩……」
唯先輩の温もりに、私は全てを委ねた。
左手を腰に回し、右手で頭を優しくなでながら、全身で私を強く抱きしめる唯先輩。
やがて身を少し離し、肩に手をかけると、唯先輩は優しく私を見つめた。
威光の中に浮かぶその顔は、天使のように美しかった。ゆっくりとその顔が私に近づく。
私は目を閉じ、静かに唇を差し出した。柔らかい感触が伝わる―――
見るもの全てを包み込むような、優しい笑顔。
触れるもの全てを安堵させるような、温かいぬくもりと肌の感触。
聞くもの全ての悩みを忘れさせてしまうような、明るい声。
嗅ぐもの全てを惹きつけ惑わすような、甘い香り。
味わうもの全てを溶かしてしまうような、熱い接吻。
私には貴女の全てが愛おしいのです。唯先輩。
貴女のいる日常があまりにも当たり前になっていて、その気持ちに気付けなかったのです。
でも、今ならはっきりと確信して言えます。
私は唯先輩のことが好きです。大好きです。
だからもう、いなくなるなんて言わないで下さい。
貴女と一緒にいる時間、大切にしますから。
もっともっと貴女のことを想うようにしますから。
これからもずっと、貴女だけを好きでいますから……だから……
「ごめんね……あずにゃん。私そろそろ行かなくっちゃ」
え、どうして……?
私のために戻って来てくれたんですよね……?
なのに、どうして……
「今まで一緒に過ごしてきた時間、本当に楽しかったよ。ありがとうあずにゃん」
唯先輩の体が消えていく。光が失われ、辺りは闇に包まれていく。
触れようとしても、私の腕は先輩の体をすり抜けてしまう。
いやだ……こんな冗談やめて下さいよ唯先輩!
せっかく自分の気持ちに気付けたのに……貴女を愛していこうと決めたのに……
それなのにどうして……どうして貴女はまたいなくなってしまうの?
これからいくらでも、あずにゃん分補給させてあげますから……
いつだって貴女といる時間、大切に過ごしますから……
だから消えないで……死なないで下さいよ!……唯先輩…………唯先輩!!!
私の必死の叫びは、こだまとなって闇に消えた。
視界が再びぼやけ出し、次第に目の前が真っ暗になる。自然と意識が遠のいていく―――
重い瞼を開けると、私は広い空間に一人いた。
とめどなく溢れる大粒の涙が、勢いよく頬を伝わっている。
ふと下に目をやると、見慣れた赤色のギターが私の涙で濡れている。
そこが自分の部屋だと分かったとき、ようやく私は夢を見ていたことを理解した。
時計の針はすでに12時をさしていた。
「唯先輩……」
私がそう呟いた瞬間――
家のインターホンが鳴り響いた。こんな時間に誰だろう。
ギターを肩から外し、重い腰をあげてドアの方に出向く。ドアを開ける。
そこに立っていた姿が見えるやいなや、私は無言で抱きついていた。
「わっ!…あずにゃん…?良かったあ、無事だったんだね」
「……」
「何回か時間をおいて電話したんだけど、全然出なかったからすっごく心配したんだよ?」
「……うっ……唯先輩……うぅっ……ひくっ……」
「あずにゃん…」
夢ではなかった。それは本当の温もりだった───
あれから1時間ほどたった。
部屋に連れてきてもらった後も、私はひたすら唯先輩の胸の中で泣き続けた。
そのあいだ唯先輩は、何も言わずにずっと背中をさすってくれていた。
やがて私が泣き止むと、唯先輩が口を開いた。
「私はね、あずにゃん。いつだってあずにゃんのそばにいるよ。
頼りないところもあるかもしれないけど、どんな時だってあずにゃんの力になるから。
私にとってあずにゃんは、とってもとっても大切な人なんだよ?
ギターを一生懸命教えてくれるし、私のこと気にかけてくれるし、一緒にいてとても楽しいし。
だから、コール音が鳴っているのに電話に出ないあずにゃんのこと、すっごく心配したんだからね。
でも本当に無事で良かった…」
私はそれを黙って聞いていた。しばらくしてから、寝ていて電話に気付かなかったことを謝った。
そして、唯先輩と会えなくなる夢、唯先輩が消えてしまう夢を見たことも話した。
唯先輩はうんうんと頷いて話を聞いてくれた。私は最後にこう言った。
「私、夢の中で気付いたんです。今までずっと唯先輩に支えられてきたことに。
普段はつれない態度をとったり、抱きつかれてもやめて下さいなんて言ってますけど、
そうやって一緒に話したり触れ合ったりすることが、本当はすごく楽しかったんです。
でも、それがあまりにも日常的になりすぎていて、私はいつの間にかそれを当たり前の
こととして捉えるようになってしまっていました。でも、そうじゃないんですよね。
先輩たち、卒業してしまうんですよね……だから、これからの限りある時間を大切にして
いこうと思ったんです。軽音部での時間を、そして唯先輩と過ごす時間を……」
そこまで言ったとき、唯先輩がふいに私を抱きしめた。
「私は卒業しても、ずーっとあずにゃんのそばにいるよ?
放課後ティータイムだって、来年も再来年も続けていけばいいじゃない。
限りある時間だなんて言っちゃダメ。いつまでもいつまでも、私たちは一緒なんだよ?」
「唯先輩…」
やっぱり本物の唯先輩は違った。私の知っている唯先輩は、さよならなんて言うはずがなかった。
あの夢は、神様のいたずらだったに違いない。それでも、私は神様に感謝しなければならなかった。
だって、唯先輩への気持ちを気付かせてくれたから。あれは、紛れもなく愛の夢だった。
『おお、愛しうる限り愛せ』
「唯先輩。貴女のことが好きです。愛しています」
END
- そうだ!!放課後ティータイム、唯梓は永久に不滅だ! -- (あずにゃんラブ) 2013-01-17 17:15:11
最終更新:2010年08月08日 04:19