「あずにゃ~ん」
「もう、先輩、くっつきすぎですよ」
唯先輩は今日も相変わらずだ。ぎゅーっと後から私を抱きしめて、離そうとしない。
違うことと言えば、ここは音楽室ではなくて、唯先輩の部屋だということ。
お呼ばれして、遊びに来て、部屋に入った途端この調子。
舞台が変わっても、唯先輩は変わらないなあ…と思う。
「今日は一日中ぎゅーっとしちゃうんだ~」
「それはちょっと…さすがに駄目です」
一瞬それもいいかも、と思ってしまったけど、さすがにそれは色々と問題があると思う。
それにオッケーを出してしまえば、先輩は間違いなく私を抱え込んだままベッドに倒れこんでしまうだろう。
ゴロゴロ好きな先輩のことだから、間違いない。そうなるときっと先輩だけじゃなくて、私も寝入ってしまうだろうから。
―折角のお休み、それはもったいないじゃないですか。
「え~」
不満そうな先輩の声。おそらくはその声どおりの表情をしているのだろう。
「はあ、でも、もう少し位ならいいですよ」
「やったぁ♪」
少し譲歩してみせると、先輩の声は嬉しそうなものに変わる。
そしてきゅうっと私を抱きしめる腕に力を込めるものだから、その感触に一瞬だけくらりとしてしまう。
いけないいけない、あまり傾倒してしまうと―先輩に流されちゃう。
これはきっと先輩の策略。きゅうっとしてとろーんと私を無抵抗にさせて、なし崩し的にゴロゴロしようってことなんだ。
「はい、ここまでです」
「え~はやいよぅ…」
ピシッと区切ると、先輩は意外と素直に私を解放してくれた。声は残念そうだけど…でももう少し粘るかなって思っていた私は、少し寂しく感じてしまう。
―でも、折角先輩と二人きりのお休みなんだから、もっといろんなことしてみたいです。例えば、何処かにお出かけとか…
うーんと考えを巡らせる。水族館でも動物園でも、レジャーランドでも、もしくは公園とかでもいい。先輩と並んで―手を繋いだりして―二人で歩くの。
それはきっと楽しいに違いない。きっと楽しい
思い出になる。
―でも、それってつまり…先輩とデート…ってことですよね。
いやいや、ないない。部活の先輩と後輩が二人で遊びに行くだけなのに、なんでデートと言う言葉が出てくるのか。
それは、そんな関係になれたらいいな、って思わなくはないですけど―て何を言ってるのか、私は。
「うん、いいよ~デートしよっ」
「だからデートじゃ…って、あれ?」
不意に私の心の声に割り込んできた唯先輩の声に、私はきょとんとさせられる。
私の記憶の限り、先輩はテレパシスト的な能力は保有していない。というか、そうだったら困るし。
つまりは―
「私、口に出してました?」
「うん?一緒にお出かけしたいんだよね、
あずにゃん」
そういうこと。自分が思っているより、私はうかつなのかもしれない。
実際その通りだったから否定も出来ず、でも積極的に肯定に回るのも気恥ずかしくて、私はおそらくは赤くなってる頬を見つけられないように俯く。
「あれ?あずにゃん、顔が赤いよ?どうしたの?」
―ええ、無駄な努力だとはわかっていましたけど。
「なんでもありません…あれ?」
何とか話題をそらそうと、そんな材料はないかと辺りを見回して、ふと本棚の一角に目が留まる。
「『けいおん!』…?」
「あ、アルバムだよそれ~」
私の視線を目ざとく察した唯先輩は、ふいっと立ち上がると本棚に歩み寄り、その本―アルバムをすいっと抜き出した。
パタリと開くと、先輩の笑顔に懐かしむような色が混じる。
「うわあ、懐かしい…私が一年のころのだよ、これ」
「へぇ…私にも見せてもらっていいですか?」
「あ。うん、いいよ~」
おそらくはそのころの思い出に浸ってたのか、先輩は私の声に一瞬ピクっと体を震わせると、にこっと笑って私にアルバムを差し出してきた。
過去から現在へとシフトした、そんな笑顔。きっとそれは私の錯覚なんだろうけど。
それを先輩に読み取らせないように、ありがとうございますとお礼を言いつつ、私はアルバムを受け取った。
最初のページをぱらりと捲る。予想していたことだけど、そこには今より少しだけ幼さを帯びた先輩たちの姿が映っていた。
「唯先輩、なんか可愛いですね」
「む~そんなことないよ、かっこいいでしょ!」
「それはないですね」
くすくす笑いながら、ページをめくっていく。
「すごい!唯先輩100点取ったんですか!」
「うん、追試でね!」
「…なんで本番でその点数取らないんですか…」
ぱらりと捲る。
「これは合宿のときのだねぇ」
「あはは、これなんですか!先輩が地上絵になってます!」
「あーこれひどいんだよ、みんな何書いてるか教えてくれなかったの」
ぱらりと捲る。
「へえ…これが一年のときの…」
「うん、桜高祭のライブ…終わった後かな、これは」
「知ってました?私が軽音部に入ったの、このときのテープが
きっかけなんですよ」
「そうだったんだぁ…」
ぱらりと捲る。
「へえ、クリスマス会この年もやってたんですね」
「うん、皆で初詣も行ったんだよ」
「本当に仲良いですよね…」
ぱらりと捲る。
どのページを見ても先輩は楽しそうに笑っている。見てるこちらのほうが微笑んでしまいそうな、そんな笑顔。
先輩の笑顔を見れば、いつだって私の心はほわっと暖かくなってくれたはずなのに。
今の私は少しだけ、ほんの少しだけだけど寂しさを覚えてしまっていた。
最後まで捲ってしまったページをまた最初に戻してパラパラと捲る。何か見落としがないか、探すように。
そんなのあるはずがない、分かっているはずなのに。
だって、私が先輩に出会ったのは、私が高校に入学した後、先輩が高校二年になったあとなんだから。
―そこに私が映っているはずがない。
だけど、私がいなくても、先輩は変わらない笑顔を浮かべている。本当に楽しそうに、柔らかな笑顔を。
私はもう、先輩と一緒じゃなきゃ、そんな笑顔を浮かべることは出来ないのに―
どうして私はそこにいないんですか、なんて考えても仕方がないようなことを思い浮かべてしまっていた。
「あずにゃん」
気がつくと私はきゅっと先輩に抱きしめられていた。
いつものスキンシップとはちょっと違う、あのライブの日抱きしめられたときのような、慰めるような慈しむような、そんなハグ。
先輩は、こんなことをあっさりしてしまえるから、性質が悪いと思う。
「…ひょっとして、また口に出してました?」
「ううん。でも、わかるよ」
あっさりとそう言ってのける。それもいつものこと。そしてそれは、とても簡単に私の正解を引き当ててしまう。
「大丈夫だよ、あずにゃん。人間の一生は長いんだよ。
これからそんなの気にならないくらい、一緒にたくさんの思い出作っていこうね」
「…はい」
きゅうっと、より強く抱きしめられる。私を安心させようとする、先輩の仕草。
とても暖かくて、とても簡単に私を溶かしてしまおうとする。私の寂しさとか不安とか、そんなものをあっさりと溶かして消し去ってくれる。
だけど、溶かされっぱなしなのは、ちょっとだけ悔しいから。
「一生、一緒にいてくれるんですよね」
そう言い返してみる。ちょっとした悪戯心。一生なんて言葉、簡単に使ってくれる先輩への。
―プロポーズ的な何かと
勘違いしちゃうじゃないですか、もう。先輩も少し困るといいんです。
だけど、やはり先輩のほうが上手だった。ああ、そんなのわかっていたはずなのに。
「うん、ずっと、死ぬまで一緒だよ」
そんな台詞をあっさり口にしてくれて、頬に口付けなんてしてくれるものだから―私は本当にどうしようもなくとろとろに溶かされて、ふにゃりと先輩にもたれかかっていた。
―先輩は、やっぱりずるいです。
「ふふ、あずにゃん~」
先輩はふにゃっとなった私を抱えたまま、ごろりと横になる。このままじゃ先輩の思惑通り、ゴロゴロして過ごすことになっちゃう。
だけどもう限界だし―先輩の胸の中はやっぱり暖かくて柔らかくていい匂いだし―そしてきっとこの瞬間も私の大切な思い出の一つになるから。
「ちょっとだけですよ…」
なんて言い訳を小さく口にして、私を包み込む穏やかな睡魔へと身を委ねることにした。