唯「ふぃ~今日は沢山練習したね~」
梓「はい!皆さん気合いが入っていて凄く楽しかったです!」
梅雨を間近に控えた
いつもの部活の
帰り道。律、澪、ムギ先輩と別れて唯先輩との二人きりの帰り道。
私はいつになく上機嫌だった。理由は簡単。今日はほとんど練習漬けの一日だったから。
思い返してみれば、今や軽音部=ティータイムと思われて久しいけれど、今日は部室に
皆が揃ってからの30分だけだったんだよね。それに嬉しい事もあった。ムギ先輩が新曲を作って来てくれたんだ。
紬「今日は嬉しいお知らせがありまーす」
律「お?どうしたムギー?」
紬「ウフフ…実は新曲を作って来たの…それも2曲でーす!」
唯澪律梓「おぉーーー!」
律「おーし。じゃあ早速聴いてみようぜー!」
こういう所はやっぱり軽音部。早速皆でソファに座ってムギ先輩の弾き語りを鑑賞。
アップテンポな曲とバラード系の曲。どちらもメロディが親しみやすくて思わず口ずさみそうになっちゃう。
澪先輩は早速ノートと鉛筆を取り出していくつかメモ書きを走らせていた。インスピレーションをかなり
メロディに引き出されてるみたい。律先輩はドラムを叩きたくてウズウズしている様子。
そして。隣の唯先輩も目を輝かせて曲に聴き入っていた。
今回の曲はメロディが特に光っていた。ちょっと切なさが漂う部分もあるけれど、それが相俟って
優しい曲調に仕上がっていた。それは先ほどの反応からも明らかな通りだけど、他のメンバーも共通した見解だったようで
ムギ先輩の演奏が終わるや否や皆が一斉に惜しみない拍手を贈り続けた。ムギ先輩も満面の笑みだった。
その後は楽譜を見ながら各パート毎にしばらく練習。少しアレンジが固まった所で全体練習。
まだまださらっとではあるけれど、通しで演奏してみて皆で色んなアイデアを出し合った。
気付けば太陽はすでに沈みかけ、オレンジ色の光が窓に暖かく差し込んでいた。
唯「
あずにゃん、私のギターどうだったかな?」
梓「はい、今日はとっても良い音出してましたよ!」
唯「やった~!あずにゃんもカッコよくて可愛かったよ~」
梓「わっ!?も、もう~唯先輩ったら…ふふ」
何だろう。いつもは恥ずかしくてついつい憎まれ口を叩いてしまう唯先輩の抱き着きも
今日はちょっとだけ、素直に受け入れてしまえるみたい。真面目な唯先輩の
姿も沢山見れたしね。やっぱりギターを一生懸命弾いている唯先輩は…うん、魅力的だった。
何回見ても見飽きる事が無く、新たな発見があるその姿。そんな唯先輩に私が特別な感情を抱いてしまったのは、決して偶然では無かった。
と、唯先輩が何かを思い付いたのか、身体を翻した。…少し、残念。
唯「そうだ!あずにゃん、お腹空かない?」
梓「…そういえば。今日ずっと練習してましたもんね」
唯「やっぱり!うん、じゃあ今日は先輩がおごってあげよう!!」
梓「じゃあ、お言葉に甘えてもいいですか?」
唯「おっけー!可愛い子猫ちゃんのためならなんでもするよ!」
梓「そんな事言ったって何も出ないですよ~もう…」
むう…やっぱり今日の私は、素直になってるみたい。でも、気分は悪く無いかも。
隣を見ると満面の笑みを絶やさない唯先輩。この人の笑顔を見るだけで暖かな気分になれる。
再び他愛無い話に花を咲かせながらやって来たのは、帰り道にあるコンビニエンスストアだった。
最近この辺りに開店したらしい。駐車場も広く、入りやすい造りになっている。
夕暮れ時を控え、訪れる人影も徐々に増えて来ているようだった。
それは私達もそんな人達に紛れ、店内に入ろうとした時だった。
?「唯?唯じゃない」
え?今の声って。澪先輩?いや、違う。
唯「あ、姫ちゃーん」
唯先輩はその声の主を「姫ちゃん」と呼んだ。
その「姫ちゃん」に向かって一目散に走り出した。そして。
?「わっ、ちょっと唯、くっつかないでよ、もうー」
唯先輩は、「姫ちゃん」に抱き着いていた。
よく映画なんかで印象的なシーンに出て来るスローモーション。
確かにそういうのがあれば見た目は印象に残るけど、そんなのあくまでも単なる演出上の手法なんだって、
いつも軽く見てたけど、まさかこんなタイミングで自分が体験するなんて。
もし周りの人があの時の私を見てたら驚くだろうな。目を見開いて口を大きく開けた私の顔を見て。
…ずにゃん、あずにゃん?
どうやら意識も一瞬トリップしていたらしい。
梓「は、はい!!」
唯「どうしたの、あずにゃん?大丈夫?」
梓「え、あ、はい、も、問題無いです!」
問題大アリだ。だけど。無いって答えるしかないじゃない。
?「唯、この子は?」
唯「ああ、そうだ。姫ちゃん。あずにゃ…えっと、2年の中野梓ちゃんだよ。軽音部の後輩だよ!」
?「なるほど、あなたが中野さんね。ふうん、可愛い顔してるねえ」
唯「でしょーえへへ~」
どうしよう、声が、出ない。それに、視線も合わせられない。
?「私、唯と同じクラスの立花、あ、立花姫子って言うの。よろしくね」
同じクラス。唯先輩と。
唯「あずにゃん、どうしたの?あっ、もしかして人見知り?」
姫「恥ずかしがり屋さんか、ますます可愛いね」
唯「姫ちゃん分かってるね~そうなんだよ!あずにゃんは可愛いんだよ!」
姫「へえ…唯のお気に入り、なんだね、中野さんは」
この後の事は正直良く覚えていない。いや、思い出したくない、って言った方が正しいのかな。
だって、私ったら…。
梓「ん…」
どうやら私はあれからずっと寝ていたらしい。視界は真っ暗だった。
梓「今、何時だろ…」
時間を確かめようと手元に置いてあったはずの携帯に手を伸ばす。
と、同時に携帯がメロディを奏で始めた。これは…メール。差し出したのは…唯先輩だ。
溜め息が自然と漏れた。ああ、やっぱり来たか。そして、あれはやっぱり夢じゃなかった。
無意識に今日あった事が映像として浮かんで来る。
そう、唯先輩とコンビニで買い物をしようとした矢先の事だった。
そこで唯先輩は同じクラスメイトである、えと、立花先輩、に声を掛けられたんだ。
別に同じクラスメイトだし、何ら普通の事なんだけど、なんだけど。
唯先輩が立花先輩に、抱き着いたんだよね…。いつも私にしているみたいに。
頭の中では理解出来ていた。唯先輩は誰にでも公平に、平等に「好き」を表現するんだって。
だけど私は目の前の光景を受け入れられなかった。心の奥に言葉では形容しがたいモヤモヤが
生まれて来たのを感じたから。どうしてそう思ったのか分からないのだけど。でも、確かに感じたんだ。
唯先輩と立花先輩はその後も楽しそうに話を続けていた。
話の内容は全く覚えていない。何故って。心のモヤモヤがいつからか
イライラに変わっていったから。唯先輩が、立花先輩が、お互いに向けて
微笑みを返す度、それはどうしようもなく増幅して遂には胸の奥をキリキリと締め付けて来るまでになっていた。
会話が終わった後、唯先輩が私に声を掛けたんだっけ。
唯「じゃあ、あずにゃん、行こっ…」
梓「あの!私、今日はもう失礼します!ま、また明日!!」
だけど、私は唯先輩の言葉が最後まで終わるか終わらないかの所で
そんな感じの事をやけに早口で一方的に捲し立てて、場を駆け出したんだ。
家に帰った後は一目散にベッドに雪崩れ込み、ただただ全てを忘れようとして枕に顔を埋めて。
それから、寝てしまったんだっけ。
一眠りした後だからなのかは分からないが、一通り今日の整理が付いたみたい。
私はゆっくりと携帯に手を伸ばし、まずは時間を確認した。時刻は夜の11時30分を過ぎた所だった。
かなり寝てしまったみたい。はあ。宿題が出ていなかったのが幸いだった。
時刻を確認し、次はメールの確認だ。確かに着信アリ。一度深呼吸をして差出人を確認する。間違いない、唯先輩だ。
『あずにゃん、今日はどうしたの?具合悪かった?明日学校来れる?』
バカだな、私。唯先輩に心配を掛けさせてしまった。
『ご心配をお掛けしてすみません。急に用事が出来まして…。学校大丈夫です。おやすみなさい』
返信。2~3分して唯先輩からメール受信。
『良かった~安心したよ!!じゃあまた明日ね~おやすみ(ハート)』
…はあ、今日は私、どうしちゃったのかな。何であんなに変な気分になっちゃったんだろ?
ただ、唯先輩はクラスメイトとお喋りしてただけなのに。ただ、軽く抱き着いただけなのに。
どうしてこんなに胸の奥が苦しいのかな。ねえ、唯先輩。どうしてなのかな…。
翌日。結局私はあれからほとんど眠れなかった。その前に寝すぎた事もあるけれど、何よりも
胸の奥がモヤモヤして、気持ちが落ち着かなかった。昨日の映像が何度も頭の中で駆け巡った。
寝られるはずが、無かった。
気付けば周りを憂と純が取り囲んでいた。
純「あーずさ!」
憂「梓ちゃん、もう昼休みだよ?」
梓「え?あ?うん?そう…だね」
純「梓、今日の授業全然聞いてなかったでしょ?」
梓「…うん」
憂「ノート、後で写してあげるね」
梓「うん、憂、ありがとう」
流石に重症だと思った。午前中も昨日の事が堂々巡りしていたのだった。
だけど、それをいつまでも引っ張っていてもしょうがないよね。
お昼食べれば元気がでるはず。うん。
放課後。部活を直前に控えて、ようやく気分も上向きになって来たみたい。
すぐに部活に行きたい所だったけど、私は自分の席でシャーペンを絶え間無く動かしていた。
そんな私の前には憂がいて、懸命にノートを写す私に穏やかな微笑みを讃えている。
しかし、結構な分量だ。まあ…午前中の授業丸々寝て過ごした様なものだから仕方ないのだけど。
これだけの量であるので、部活にはまだまだ行けそうに無い。一応律先輩には遅れます、と
メールを送っておいた。時間は確保出来たけれど、早く終わらせないと。
梓「憂、ホントごめんね。
これから家の事で忙しくなるのに時間取っちゃって」
憂「ううん、大丈夫。それに、いつもちゃんとしてるけど、こんな梓ちゃんも見れるしね」
梓「…もう憂、趣味悪いよー」
憂「へへーごめんなさい」
それから少ししてようやく書写作業が終了。思わず伸びをしてしまう。
梓「ふぅ~終わったぁ」
憂「お疲れさま」
梓「憂、今日は本当にありがとう。今度何か奢るね?」
憂「ふふ、楽しみにしてるね」
梓「うん、良い店探しておくね」
憂に再度礼をして部室に行こうと席を立とうとした時、ふいに憂が声を掛けて来た。
憂「…梓ちゃん」
梓「ん、どうしたの」
憂「何か、困った事があったら一人で悩まないで相談してね?」
梓「…うん、ありがとう」
真剣な表情で語り掛けてくれた憂の優しさに心の中でも感謝し、私は部室へ向かった。
部室へ向かう途中、携帯に着信。律先輩からのメールだった。
『唯がまだ来ていないから、ついでに教室で拾って来てくれないか?あいつ今日ずっと寝てばっかりなんだよ』
思わず微笑みが漏れる。まあ、唯先輩らしいといえばらしいけど。
なるほど。メールから考えるに、唯先輩は放課後も教室で惰眠を貪っているようだ。
もう、しょうがないですね。今日の練習はちょっと、厳しくしますよ。
気付けば、あれだけ心を支配していたモヤモヤは消し飛んでいた。唯先輩に対しては昨日の事もあって幾分
合い難い思いはあったが、先ほどの律先輩からのメールでそれもどうやら大丈夫そうだ。うん。ある意味でいつもの唯先輩だ。
ついつい浮き足立つのを抑えながら唯先輩の教室に到着。教室の窓辺に差し込んだ夕陽の暖かなオレンジ色が廊下をも染めている。
さぞかしこの中で眠る唯先輩は幸せな顔をしている事だろう。
それは、どんな声を掛けてやろうかと思案しながら教室に入ろうとしたその時だった。
梓「ゆ…!」
そこには、机に顔を沈めた唯先輩と、先客がいた。立花先輩、だった。
立花先輩の存在に気付き、私は慌てて入り口から体を引っ込め、廊下に立ち尽くした。一瞬ではあったが、教室は静まり返っており
唯先輩と立花先輩以外には人影は見当たらなかった、と思う。つまり、今あの空間には二人しかいない。
心臓の鼓動が早まって止まらない。同時に、先ほど拭い捨てたと思っていた心の奥のモヤモヤがまた霧散し始めて私の視界を占拠し始めた。
何故、どうしてこのタイミングで。思考が出来ない。水をひたひたと注いだグラスに氷を無造作に投げつけられたようだ。
こういう時はどうすれば。まずは気分を一時的にでも落ち着けなければ。そうだ。深呼吸。
すぅっと空気を吸い込み、はぁっと吐き出す。二、三回繰り返すと、若干ではあるが視界がクリアになった気がする。
意を決し、そっと、中を見る。窓側の端の席で眠っている唯先輩。そちらに体を向けて手を頬に当てている立花先輩の後ろ姿を認めた。
昨日は気付かなかったけれど、組んだ足下には上履きとは不似合いとも言えるルーズソックス。ボタンを外したブレザー。
そしてボリュームあるセミロングの金髪。唯先輩と同学年であるはずなのに、より大人の女性の雰囲気を感じる。そして。
姫「ゆいーいつまで寝てるのさ。部活あるんだよね?そろそろ起きよう」
優しい語り口。こちらからは見えないけれど、唯先輩に向けた顔には微笑みが浮かんでいるであろう事が容易に想像出来た。
姫「…もう。ふふ。」
次の瞬間。立花先輩は、伸ばした手を唯先輩の栗色の髪に静かに置き、その髪をさらさらと梳き始めた。
私はそれを最後まで見る事は出来なかった。
気付けば、踏み出した足は軽音部へと向かっていた。ちょっと、律先輩からの頼みは引き受けられそうに無かった。
あの光景を見てしまっては。先ほどまで浮かれていた自分は何だったのだろうか。
部室の扉が目の前にあった。こんな重い足取りで部室の扉をくぐる事になるとは思わなかった。
部屋には、律先輩、澪先輩、ムギ先輩がいつもの指定席に座っていた。
律「おー梓ー来たか」
澪「用事終わったみたいだな」
紬「あら?唯ちゃんは?」
梓「あ!えと、その、何だか本格的に寝てしまってるみたいで…」
律「そっかー。ほんと今日の唯は朝からオネムなんだよー」
澪「ああ。結構あるんだけど、今日は一番眠そうだったよな」
紬「昨日練習し過ぎて疲れちゃったのかしら?」
律「ああー多分それだなあ」
私が席に着いた後も、しばらく唯先輩に関する話題が続いた。ほとんどは日常生活の
一コマについての話題であったが、一つ、気になる部分があった。
律「そういや、最近唯って帰りに良くコンビニ行ってるらしいな」
澪「この前出来た所だよな」
え?コンビニ?良く行ってるって。途端、昨日の記憶が蘇って来る。あ。もしかして…。
私がある事を思い至ったと同時に部室のドアが勢いよく開いた。
唯「ふぇぇ~遅れてごめーん!!」
律「おはようー唯ちゅわん」
澪「全く…」
紬「うふふ、おはよう、唯ちゃん」
唯「みんな、ほんとごめんね!」
律「今日は特別疲れたみたいだし、よし、今日は許す!!」
澪「…はあ。唯、寝た分はしっかり練習するからな」
唯「はぁい…」
紬「うふふ。じゃあ練習の前に一杯だけお茶しましょう?」
唯「うん!!」
先ほどの机を枕にしていた唯先輩とは打って変わり、いつもの唯先輩がそこに居た。
とことこと歩みを進め、いつも通りの席に着席。すると、視線をちらりとこちらに向けた。
唯「あずにゃんもごめんね?」
梓「あ、も、もう何やってるんですか…」
唯「申し訳ないです…」
良かった。何とか声を出せたみたい。まだ、あの光景が頭から離れない。
律「しかしまあ、良く起きれたな」
唯「えへへ。実はね、姫ちゃんが起こしてくれたんだぁ」
あ…。
律「姫子に?そりゃまたどうして?」
唯「教室に忘れ物取りに来たんだって。そしたら私が寝てたから起こしてくれたの」
澪「もう、何やってるんだか」
紬「姫ちゃんに起こしてもらったのね~」
律「もう、唯ちゃん、愛されてるわねー」
唯「いやあ、照れますなあ」
澪「全く、隣の席だからってあんまり迷惑かけちゃ駄目だぞ」
紬「唯ちゃんは姫ちゃんには甘えるのよね」
唯「えへへ…」
律「懐いてるよなあ」
紬「あら?そう言えば…」
律「どしたムギー?」
紬「ううん、何でも」
会話に付いて行けなかった。3年生の、しかも同じクラスメイトだからこそ分かり合える会話。
2年生の私には到底知り得ない事。そして、何度も出て来る立花先輩の事。唯先輩の隣の席で、
しかも唯先輩は、立花先輩に、懐いている…。
私はすっかり忘れていた。私達5人は軽音部を通して繋がっているけれども、先輩達には同じ
3年生達との繋がりがあった事を。私が知らない、他の誰かとの繋がりを。
部室に来る前の出来事、そして部室に来てからの出来事。それらは片方の出来事だけでも
今日の私を非日常の私に至らしめるのに十分だった。勿論、私は私でそれらを上手く整理出来る訳も無かった。
結果、今日の練習は散々だった。主に私のミスが際立った。
唯「あずにゃん、ギター元気無いよ?」
梓「はい…すみません」
律「珍しい事もあるんだな」
澪「昨日は順調だったのにな」
紬「…」
この後はパート練習になり、今日の部活は終了した。
再び帰り道。唯先輩と帰る事がこんなにも辛い事だなんて思わなかった。
ただただ、胸が苦しかった。
唯「あずにゃん、元気出しなよ!」
梓「はい…すみません」
唯「何だか、今日のあずにゃんはいつものあずにゃんじゃないよね」
梓「そ、そんな事ないです!」
唯「…もしかして昨日、やっぱり何かあったのかな?」
梓「あ、いえ、何もないですって!!」
唯「そっか。じゃあ、んー…」
梓「先輩?」
唯「あずにゃんに元気だしてもらおう!!うん!!」
梓「いや、だから…」
唯「昨日のコンビニに行こう!」
梓「…え?」
唯「きっとお腹が空いてるんだよ!何か食べれば元気になるよ!今日こそは奢って上げるよ!」
梓「…遠慮、しておきます」
だって、あのコンビニに行ったら、また声を掛けられるかも知れないじゃないですか。
唯「ううん。こういう時こそ先輩である私に任せなさい!」
梓「…結構です。…帰りましょうよ。」
そして、また、立花先輩と。
唯「んぅ~素直じゃないね。安心して!ちゃんと私が…」
梓「だからいいですって!!」
唯「っ!!」
一瞬、目の前が真っ白になった。だけど、それは唯先輩も同じだったのかも知れない。
私は唯先輩に握られた手を、自分が出したのかと信じられないくらいの大声と共にぱしん、と弾き返していたのだから。
梓「あ…」
唯「…」
梓「その…」
唯「あずにゃん、ごめんね」
どうして、あなたが。
唯「私、あずにゃんに、嫌な事、しちゃったね」
やめて。そんな顔しないで。
唯「ううん、今までずっと、我慢…してたのかな」
違う、そうじゃないんです。
唯「本当に、ごめんね。…もう、しないから」
お願い、頼むから。俯かないで。お願い。
私は走っていた。一刻も早く、この場から姿を消す為に。息が切れても走り続けた。
家の前。ドアを開け、一目散に自室へ向かった。荷物を投げ捨て、ベッドに飛び込んだ。
息が苦しい。胸が苦しい。何も考えられない。だけど思い浮かぶのは、唯先輩。あなたの事。
梓「うぅ…先輩、唯先輩…う…うわああぁ…」
一つだけ幸いだった事を挙げるとすれば、今日は両親が仕事で不在な事だけだった。
私は、ただただ泣き続けた。だけどこの苦しみが癒える事は無かった。
もがけばもがく程締まるロープの様に、私の胸を締め続けたのだった。
そろそろお姉ちゃんが帰ってくる頃かな。
今日の夕飯はカレー。付け合わせのサラダも準備完了。
お姉ちゃんの好きな料理で元気になってもらおう。
玄関の方でバタン、と音がした気がした。
憂「お姉ちゃん?」
返事は無かった。聞き間違い?でも、今のは。
鍋の火加減を確認してから玄関に向かう。鍵は閉まっている。
だけど、下にはお姉ちゃんのローファーが、乱雑に捨て置かれていた。
やっぱり帰って来ていたんだ。すると自分の部屋?
憂「お姉ちゃーん、いるの?」
返事は無かった。いつもなら元気よくただいま!とドアを開ける所なんだけどなあ。
どうしたんだろう。いずれにせよ、食事の用意も出来ている。一度部屋まで行く事にした。
憂「お姉ちゃん?帰って来てるんだよね?」
部屋をノックする。応答は無い。
憂「ごめん、開けるね?」
ドアを開け、ベッドの方を見る。お姉ちゃんがいた。
やっぱり帰って来てたんだ。
あれ、だけど。
憂「お姉ちゃん?」
お姉ちゃんはベッドに腰掛けたまま、俯いて何もしようとはしない。
何か、あった?すぐさま私はお姉ちゃんへと駆け寄った。
憂「あ…」
言葉が出なかった。近寄ってはっきり確認出来たお姉ちゃんの両眼は…赤く腫上がっていた。
憂「お姉ちゃん、目、どうしたの!?」
やっと、お姉ちゃんが口を開いてくれた。
唯「憂、私、うっ…嫌われちゃった。嫌われちゃったよう…」
憂「泣かないで、お姉ちゃん…」
その後に続くお姉ちゃんの言葉は、震えて良く聞き取れなかった。
何があったのかは分からないけど、今、私に出来る事は。お姉ちゃんをただ抱き締めるだけだ。
唯「…うい…」
憂「大丈夫だよ、お姉ちゃん」
唯「憂、ありがと。少し、落ち着いたよ」
憂「うん…」
言葉通り、お姉ちゃんは落ち着いたらしい。あんなに声を上げて泣いたお姉ちゃんを
見たのは初めてだった。願わくば、あの悲しそうな顔は二度と見たく無い。一度腕を離し、
泣き腫らした顔を奇麗にする。お姉ちゃんの為に何かしなければ。
憂「お姉ちゃん、私が何か、力になれる事はないかな?」
お姉ちゃんはしばらく黙り込んだ後、ゆっくりと口を開き始めた。
憂「そっか…梓ちゃんが…」
唯「うん…私、鈍いから全然気付かなかったんだね、きっと」
お姉ちゃんの話から、事情をまとめてみる。
今日の部室での練習中、梓ちゃんのミスが目立った事。
帰り道でも元気が無く、所在無さげにしていた事。
そして、握った手を撥ねられた事。
…正直、これだけでは事態を把握する事は難しかった。どうにも展開が唐突過ぎる。
だけど、梓ちゃんが元気が無かった事。それは私にも思い当たる。今日は朝から梓ちゃんの
様子が変だったからだ。朝の挨拶をしても目は上の空。授業中も空を見詰めていた。そして昼休み。放課後。
唯「あずにゃん、朝から元気無かったんだね…」
憂「うん、だから放課後は授業のノート、写させてあげたの」
そう、朝からそんな感じだった。…という事は、前日に何かあった、という事になるのかな?
憂「お姉ちゃん、ちょっと変な事、聞いて良いかな?」
唯「え?う、うん、いいけど…」
憂「昨日、梓ちゃんと何かあった?」
唯「昨日?ううん、そんな事ないよ!昨日は練習も上手くいったし、すっごく楽しかったよ」
憂「そうなんだ…」
唯「あ、だけど」
憂「だけど?」
唯「帰り道にコンビニに寄ったの。そこで何故かあずにゃん急に帰っちゃって…」
憂「え?それ本当?」
唯「うん…何だか急に用事があるって、帰っちゃったの」
憂「用事…」
用事の事も気になるにはなったけど、私はもっと別の所が気になった。
憂「ねえ、お姉ちゃん。昨日も帰りにコンビニに寄ったの?」
唯「え?うん。そうだけど」
憂「今日も同じ所に行ったんだよね?それは、何となく?」
唯「いや、えっとね、ちょっとしたお祝いで行こうかなって思ったの」
憂「え?お祝い?」
唯「うん。あ、私のクラスに姫ち…あ、立花姫子ちゃんっていう友達がいるの」
憂「立花さん?」
唯「そう。姫ちゃん。教室の席が隣なんだよね。それで色々話して仲良くなったの」
立花先輩…。軽音部ではない、お姉ちゃんのクラスメイト。
唯「で、姫ちゃんすっごい頑張り屋さんでね。ソフトボール部に入ってるんだ~」
憂「運動やってるんだ」
唯「そうなんだよ~。でもそれだけじゃないんだよ!」
憂「どういうこと?」
唯「姫ちゃんアルバイトもやってるんだよ!すごいよね~」
なるほど。つまり。
憂「すると…立花先輩ってそのコンビニでアルバイトしている…って事、かな?」
唯「うん。前のコンビニを辞めて、そこで働き始めたんだって」
憂「じゃあお祝いって…」
唯「え、と。就職祝い?ってやつかな?何かフェアみたいのをやってて、紅茶を買うと色々貰えるんだって」
憂「そっかあ。なんだかお姉ちゃんらしいね」
唯「他ならぬ姫ちゃんの為だからね~」
憂「えっと、じゃあ、昨日は立花先輩と?」
唯「んーとね。ちょうどお店に入る前に会ったよ。出勤して来る所だったの」
憂「そこには、梓ちゃんも…いたんだね?」
唯「えっと、うん、いたね」
憂「その後梓ちゃん、急に用事があるって帰っちゃったんだよね?」
唯「…うん」
憂「そして、今日もコンビニに行こうって言ったら、断られたんだよね?」
唯「…うん。やっぱり、嫌われちゃったのかな、私…うぅ」
憂「お姉ちゃんごめん。落ち着いて、ね?」
また涙腺が緩み出したお姉ちゃんを抱き寄せる。
いつしかお姉ちゃんは眠ってしまっていた。お姉ちゃんを静かにベッドに寝かし付け、部屋を後にした。
お姉ちゃんは本当に優しい人だ。誰にでも気持ちを正直に向ける。裏表の無い人だと思う。
だけど、それはある事に関しては時として制御しなければならない時もある。
きっとお姉ちゃんにとってそれは初めての事なんだと思う。
唯…先輩と梓ちゃん。私のお姉ちゃんと私の親友。私は二人をいつも一番近い距離で見て来た。
そうして、気付いてしまった事。もしかしたら、他の誰かも気付いているのかな。
…お互いがもう少し素直になれば、今日みたいな事は起こらなかったのかな。
私は今回の事情について、はっきりと理解をする事が出来た。
一言で言ってしまえば、それで済む話だ。だけど、お姉ちゃんも、梓ちゃんもその気持ちに
気付かなかったのだと思う。ならば、今私に出来る事は何だろうか。
時刻を確認する。午後8時前。梓ちゃんに連絡を取れる時間ではある。
だけど、お姉ちゃんの話を聞く限り、今コンタクトを取るのは難しいかも知れない。
一時でも噴出してしまった感情は、なかなか抑える事が出来ない。考えたく無いけれど、今頃は。
恐らく、明日は学校に来ないと思う。行動を起こすのならば、放課後がベストだろうか。そしてお姉ちゃんは…。
唯「ん…」
小鳥のさえずりが聞こえ、再び太陽が昇って来た事を自覚する。
時計を見ると、時刻は午前6時前。随分寝ていたらしい。
次第に昨日の事が浮かんで来る。
そうだ、私、家に帰ってからずっと泣いちゃって、
そうしたら憂がやって来て、話を聞いてもらって、それから寝ちゃったんだ。
唯「あずにゃん…」
私、あずにゃんに嫌われちゃったんだ。もう、抱き着く事は出来ないんだね。
あずにゃん、って呼ぶ事も、もう出来ないのかな。梓ちゃん、か。私にとっては少しだけ変な響きだな。
周りを見渡す。部屋は整然としていて、憂が片付けをしてくれた事を容易に想像させる。
だけど、自分は制服のまま。ああ、皺だらけだ…これは憂に怒られちゃうな。
唯「そうだ、学校」
いつもより少し早く起きれたのが幸いだった。憂に感謝をしつつ、制服を脱ぎ、シャワーを浴びた。
ようやく目が覚め、洗面所を出ると、ちょうど起きて来た憂に出会った。
唯「憂、おはよ」
憂「おはよう…お姉ちゃん、気分、どうかな?」
唯「うん。大分良くなった、かも」
憂「そっか…」
唯「憂、昨日は本当ありがとうね」
考えてみれば、身の回りの世話だけでなく、私の事まで憂に受け止めてもらって。
今はこれしか出来ないけれど。私は感謝の気持ちを憂に伝えた。
憂「お、お姉ちゃん、くるしいってば」
唯「ごめん、でも、もう少しだけ、ね?」
憂「…うん」
憂「お姉ちゃん、学校、行ける?」
唯「うん、大丈夫。行こう」
玄関の扉の鍵を締める。
憂「あれ?お姉ちゃん、ギターは?」
唯「うん、学校には行くけれど、今日はさすがに部活は、出辛いかな…」
憂「そっか。うん、分かった。今日は金曜日だし、また月曜日から頑張ろう」
唯「そうだね。頑張るよ」
空はとっても良い天気。雲は一つも無い。私の心もこれくらい晴れると良いなあ。
律「おっーす唯」
澪「おはよう唯」
紬「あらおはよう唯ちゃん」
教室に入ると、私の姿を認めた皆がやって来て挨拶を交わしてくれた。
それだけで、少し、心が満たされた気がした。
唯「おはよう~!」
いつもの席。隣には姫ちゃん、前には和ちゃんがいた。いつもの光景。
唯「姫ちゃん、和ちゃん、おはよう~」
姫「おはよ」
和「あら、今日は寝坊しなかったのね」
唯「えー和ちゃんそれはひどいよお」
気付けば席の周りには軽音部の皆な和ちゃん、そしてそんな私達を優しく見詰める姫ちゃんがいた。
また心が満たされた気がした。
律「あっ、そうだ唯」
唯「どしたのりっちゃん?」
律「えっと、今日の部活なんだけど、悪い、ナシ、でお願いしたいのだが」
唯「あっ…そうなの?」
紬「ごめんなさい。今日は私、どうしても行かないといけない所があって」
澪「新曲練習してるのに、ムギがいないと進まないからな」
唯「そっか…ううん、私の方こそごめん。今日、ギー太、持って来てないんだ」
律「え?何かあったのか?」
唯「ちょっと、用事があって」
律「ははーん、さては、アレだな、アレ。よーしじゃあ今日の放課後は唯の尾行を…」
澪「良い加減にしろ!」
律「う…ま、まあ、今日は金曜だし、月曜日からまた頑張ろうぜ…澪しゃん、ごめんなさい…」
澪「分かればよろしい」
紬「うふふ」
唯「うん、ごめんね。月曜まで一杯練習するね!」
澪「月曜の音合わせ、楽しみにしてるぞ。唯」
唯「まかせて!」
律「あーそうだ。梓にも連絡しとかないとなあ」
一瞬、背筋が硬直した。表向きは何事も無い様に装っていたけど、やっぱり、考えちゃうよね、どうしても。
律「唯?どうした?固まってるぞ?」
唯「え?ああ、うん!何でもないよ!持病の肩凝りだよ!うん」
澪「ああ、まあ唯のギターは特別重いからな」
唯「そうそうそうそうなんだよ、うん」
律「まああれだ、もう授業だから昼休みにでも連絡するか」
紬「…」
ちょうど、授業の開始を告げる鐘が鳴る。皆自分の席に戻って行くが
何故かムギちゃんは、私の所にすっとやって来て、紙切れを押し付ける様に
私の手に差し込んだ。
唯「ムギちゃん?」
紬「唯ちゃん、また後でね」
ムギちゃんはそう囁くと、自分の席に戻って行った。
授業中、先生の目を盗んで紙切れを開く。そこには
『今日の放課後、大事なお話があります。部室に来てね。りっちゃんや澪ちゃんには内緒ね』
と書かれていた。何だろう、大事なお話って。
昼休み。やっぱり、梓ちゃんは学校を休んでいた。
今日は純と二人で昼食。
純「梓、どうしたんだろうね」
憂「風邪らしいけど…」
純「でも、何か怪しく無い?」
憂「どういう事?」
純「憂だって分かってるでしょ?昨日の梓の様子」
憂「うん、確かにいつもと違ってたよね」
純「まあ、何となく予想は付くけど」
憂「え?」
純「梓ってああ見えてすっごく分かりやすいじゃん」
憂「それって…」
純「ねえ憂、憂も分かってるでしょ?梓の気持ち」
憂「…うん」
純「あの梓があんなになるんだもん。昨日そっちの方で何かあったんだって考えちゃうよやっぱり」
憂「…純ちゃん」
純「だから今日、お見舞いに行かない?梓の」
憂「うん。そうだね。だけど、純ちゃん、今日は私一人で行っても、いいかな?」
純「え?どうして?」
憂「多分、私が一番梓ちゃんの気持ち、分かると思うんだよね…」
純は私をじっと見詰めた後に眉間に皺を寄せて少し考える素振りを見せてからこう言った。
純「…分かった。じゃあ憂に任せる。でもね、憂、自分はそれで本当に良いのね?」
恐らく、純には全て見透かされていた。やっぱり、私も純から見れば凄く分かりやすかったのかも知れないね。
憂「うん、私も色々考えたから…」
純「優し過ぎるよ、憂は」
憂「ごめん…」
純「謝らないの!…大丈夫、ほら、その…わ、私がそばにいるからさ…」
憂「え、純ちゃん?」
純「はい!はい!はい!ほら、お弁当食べるよ!」
言い切るや否や、気持ち頬が赤くなった純ちゃんは私の弁当箱から卵焼きを抜き取り、自分の口に運んでいた。
くすっ。…純ちゃん、ありがとう。
お昼も食べ終わり、雑談に勤しんでいた頃。思わぬ訪問者がやって来た。
律「たーのもーーーーー!」
澪「ビックリさせるなよ!!」
紬「あらあら」
教室に律さんの大きな声と、鈍い音が響いた。律、澪、紬さん、どうして2年生の教室へ?
律「うぐぐ…お、憂ちゃん発…見」
憂「こ、こんにちは律さん、頭、大丈夫ですか?」
律「な、なんとかね…」
澪「気にしないでいいぞ憂ちゃん」
憂「はあ…」
律「ごめんなさい…えっと、憂ちゃん、梓はいるかい?パッと見、いないみたいだけど」
憂「あ、今日は梓ちゃん風邪でお休みだそうです」
澪「そうなのか…梓、調子悪かったのかな。昨日も元気無かったよな」
律「珍しいよなあ、練習であんなにミスするなんてさ」
憂「梓ちゃんがどうかしたんですか?」
律「いや、今日は部活休みにするって事を言いに来ただけなんだけど、梓が休みじゃあしょうがないな」
澪「仕方無いよ」
律「あい分かった!では憂ちゃん、さらばだ!」
澪「普通に帰れよ!!」
律「おぉぉ…で、では、憂ちゃん、また…」
澪「憂ちゃん、ごめん、邪魔したな」
憂「あ、いえ」
まあ、状況的にはありがたい展開だったのかな。
なんて事を思っていると紬さんがやけに真剣な表情をしてこちらを見詰めていた。
紬「りっちゃん、澪ちゃん、悪いけど先に帰っててもらっていいかしら?」
律「あ、ああ、分かった。どうしたムギ?」
紬「ちょっと憂ちゃんと話したい事があるの」
律「そっかー。分かった。じゃあ授業遅れるなよ」
澪「また後でな」
紬「うん、ありがとう。…じゃあ、憂ちゃん、ちょっと良いかしら?」
憂「あ、はい」
そう言われて紬さんとやって来たのは空いている実習室だった。
多分だけど、これから紬さんと話す内容は、もしかしたら。
紬「ごめんなさいね、憂ちゃん。連れ出したりして」
憂「いえ、お構いなく」
紬「ありがとう。じゃあ時間も無いし、率直にお話するわね?」
憂「…はい」
紬「今日梓ちゃんが学校休んだのって、もしかしたら昨日唯ちゃんと何かあったからじゃないかしら?」
憂「どうしてそれを…」
紬「別に確信があった訳じゃないんだけど、昨日の部室の様子を見てたら何となく、ね?」
それから私達は互いに情報を交換した。私からは昨日のお姉ちゃんとの会話の内容。
紬さんからは部室での梓ちゃんの様子。
そして新しい事が二つ分かった。
一つは、お姉ちゃんは昨日教室で寝てしまい、立花先輩に起こしてもらって部室に来た事。
そしてもう一つは…本当は梓ちゃんがお姉ちゃんを起こすはずだった事。
これらの事は、昨日私が思い至った結論を確信に変えた。それを紬さんに話すと、大きく頷いてくれた。
原因は、はっきりと分かった。
紬「昨日、梓ちゃんが一人で部室に来たから少し不思議に思っていたの」
憂「梓ちゃんなりの言い訳だったんですね」
紬「そうね…それから唯ちゃんが来て、姫ちゃんに起こしてもらったって言うんだもの」
憂「多分…」
紬「梓ちゃんは確かに唯ちゃんの事を起こしに行った。だけどそこには、姫ちゃんがいたのね」
紬さんから聞いた話だと、立花先輩は忘れ物を取りに教室に来たのだと言う。ただ、そのタイミングが悪かった。
しばらくの沈黙の後、紬さんが話を続ける。
紬「憂ちゃん、ここまで話しておいてあれなんだけど…」
憂「はい」
紬「憂ちゃんは、その、二人の事に気が付いているかしら?」
憂「…ええ。二人とも、分かりやすいですから」
紬「そう…。憂ちゃんは、どう思うかしら?あの二人の事」
憂「え…」
紬「ごめんなさい。嫌なら今のは聞かなかった事にしてくれても」
憂「いえ、あの、応援したいと思います。私は、お姉ちゃんと、梓ちゃんを応援したいと思います」
紬「そう…」
憂「はい…きっとあの二人なら、どんな事も乗り越えられるって、そう思うんです」
紬「良かった。私も同じ気持ちよ。だけど、今の二人はすれ違っちゃってる。だから私達がそれを直さないと、ね?」
憂「そうですね…あ、私、放課後に梓ちゃんの家に行くつもりです」
紬「それは良かったわ。じゃあ憂ちゃんは梓ちゃんをお願い。私は、唯ちゃんとお話をするわ」
憂「え…じゃあ、今日部活が無いのって、もしかして?」
紬「そう、唯ちゃんとお話しする時間を作りたかったの。昨日の梓ちゃん、痛々しくて見てられなかったもの…」
憂「紬さん…」
紬「やっぱり、ティータイムは楽しく無いとね?」
憂「…はい!」
紬「うふふ」
当初は真剣な表情だった紬さんもいつも通りの緩やかな笑顔になっていた。
ふと、時計を見る。そろそろ午後の授業が始まる。私達がすべき事は決まった。
紬「そろそろ時間ね。じゃあ憂ちゃん、放課後、頑張りましょう」
憂「はい、頑張ります」
そうして実習室を出る時だった。紬さんが立ち止まり、言葉を投げかける。
紬「もしかしたら」
憂「はい?」
紬「今日は憂ちゃんも辛い思いをするかも知れないわね…」
ああ。やっぱり紬さんも。一呼吸置いて答えた。
憂「大丈夫です」
紬「え?」
憂「私はずっとずっと、考えて来ましたから」
紬「そう、そうなのね…ごめんなさいね、憂ちゃん」
ふわっ、と金色の髪が目の前に広がった。ほのかに甘い香りも漂った。
憂「紬さん…」
紬「憂ちゃんの身近に…いつも見ている人がいる事、忘れないでね…」
憂「はい…ありがとうございます」
勝負は、放課後。
最終更新:2010年11月03日 21:09