放課後を告げる鐘が鳴った。昼休みにりっちゃん達から
あずにゃんが今日休んだ事を伝えられた。
風邪だって言ってたけど、本当かなあ。もしかしたら、私に会いたくないからなのかも知れないね。
私も、今日は早く帰りたかったけど、そういう訳には行かなくなった。ムギちゃんから呼び出しを受けていたから。
あれ?そういえば、ムギちゃんが見当たらない。もう部室にいるのかも知れない。だったら私も急がないと。
今日は特に掃除当番とかそういうのも無かったし、すぐに席を立ち、姫ちゃんやりっちゃん、澪ちゃんに挨拶をして教室を飛び出した。
部室前。結構な駆け足で来たので、ちょっとだけ息が切れてしまった。少し休んでから扉を開けると
いつもの席に座る金髪のロングヘアーの女の子が見えた。すぐに駆け寄り、私も席に着く。
唯「おまたせ、ムギちゃん」
紬「来てくれてありがとう、唯ちゃん。今お茶を入れて来るから待っててね」
ムギちゃんの様子に特別変わった所は見られなかった。毎日見るぽわぽわしたムギちゃんだ。
と、目の前に紅茶が置かれた。少しだけ、口を付けた。
唯「それで、ムギちゃん。大事なお話って?」
紬「うん、急な事でごめんね?」
ムギちゃんの表情が変わる。真剣な面持ち。
紬「…お話っていうのは梓ちゃんの事なの」
唯「え…」
思わず手を握りしめる。
紬「唯ちゃん、良く聞いて。梓ちゃんは唯ちゃんの事、嫌いになんかなっていないわ」
唯「え、え?ムギちゃん、どうしてそれを…」
紬「ごめんなさい、憂ちゃんから話を聞いたの」
唯「憂が…そっか…じゃあムギちゃん、昨日の事、知ってるんだね」
紬「…」
唯「ありがとムギちゃん。でもね、やっぱり私、あずにゃんに嫌われたんだよ」
紬「唯ちゃん…」
唯「あずにゃんは優しいから、私が抱き着いてもはっきり嫌だ、って言えなかったんだよね」
唯「ギターだっていっつも教えてもらってばかり。それなのに弾き方忘れちゃってまた同じ所教えてもらったり」
唯「…大切な後輩なのに、う、うぅ…わ、私、全然、先輩…ぐすっ、らしく、ないよね…ひっく」
駄目だ。考えれば考える程、胸が苦しくなる。
あずにゃんに嫌われるって考えただけで、どうしてこんなに切なくて苦しくなるんだろう。
紬「唯ちゃん」
こらえきれずに泣き出してしまった私の背中から暖かい両腕の感触が伝わる。
ふっと視界の端に映った金色の髪の束。優しい香りが広がった。
唯「…ムギちゃん?」
紬「聞いて、唯ちゃん」
紬「昨日ね、唯ちゃんは姫ちゃんに起こされて部室に来た、って言ってたでしょ?」
唯「うん…夜遅くまで新曲の練習してたの。それで凄く眠くって…」
紬「ふふ、唯ちゃんらしいわね。でもね、あの日、唯ちゃんは本当は梓ちゃんと一緒に部室に来るはずだったの」
唯「え?どういう事?」
紬「梓ちゃん、昨日は部室に来るのが遅かったの。それでりっちゃんが梓ちゃんに、唯ちゃんを起こして来てくれって連絡を入れたの」
唯「で、でも、私が起こされた時にはあずにゃん、いなかったよ?」
思わず後ろを振り返る。ムギちゃんは優しく私の顔を見詰めている。
だけど、すぐに悲しさを漂わせる表情になった。
紬「いえ、梓ちゃんは間違いなく唯ちゃんの所に行ったはず。だけど、そこにいる事が出来なかったのね」
唯「どうして?」
紬「唯ちゃんの隣に先客…姫ちゃんがいたからでしょうね」
唯「でも、でも、部活に行くんだから普通に声を掛けてくれても…」
紬「…そうね、でもね、梓ちゃんはそれが出来なかったの。どうしてだと思う?」
唯「え…ムギちゃん、言っている事が分からないよぉ…」
紬「じゃあ、こう考えてみるのはどう?」
私の席の左隣に移動し、視線を私と同じにしたムギちゃんが続けた。
紬「たとえば、唯ちゃんに好きな人が出来たとしましょう」
唯「好きな人?」
紬「そうね、学年は私達より一つ下って事にしましょう」
紬「唯ちゃんとその人は同じ部活に入ってて、そうね…同じポジションを担当しているの」
紬「唯ちゃんはその人がとっても可愛くて大好きなの」
紬「…ある日、部活が終わって一緒に帰ってる時に、その人に突然声が掛かるの」
紬「声を掛けたのはその人と同じ学年のお友達。勿論唯ちゃんは全然知らない人」
紬「その人とお友達は凄く楽しそうにお喋りしているの」
唯「…」
紬「そして、ようやくお喋りが終わったんだけど、皆でご飯食べに行こうってその人が言い出すの。唯ちゃんはどうするかしら?」
唯「…別に良いと思うよ。…けど、けど何か」
紬「何か?」
唯「その人は私が好きな人なんだよね?だったら、あの、少しだけ、あの、い、嫌な気持ち、かな…」
紬「…出来たら好きな人と、二人きりがいい?」
唯「…うん」
ムギちゃんはその優しい表情を崩さない。
紬「じゃあ次ね。ある日、その人がなかなか部活に来ないの。それで唯ちゃんが様子を見に行く事になった」
紬「その人の教室に行くと、その人はぐっすりと眠っていた。早速起こそうと教室に入ろうとするんだけど、そこには」
紬「前に
帰り道で会った、お友達がいた」
唯「あ…!」
紬「そのお友達は」
唯「…ムギちゃん」
紬「唯ちゃん?」
唯「そっか、分かったよ。ムギちゃんの言いたかった事」
紬「ちゃんと伝わったみたいね」
唯「うん!」
そっか、そういう事だったんだ。そうだよね。好きな人…あず…えっ!!
唯「ム、ムギちゃん!」
紬「どうしたの?」
唯「ええ、えっと、その、さっきの、そのす、好きな人…って」
紬「あらあら、いやねえ、あれはただの例え話よ」
唯「いや、でも…」
紬「うふふ」
少し戸惑いを見せる私の手をムギちゃんが強く握りしめて来た。
紬「唯ちゃん、梓ちゃんの所に行ってあげて」
唯「ムギちゃん…」
紬「今の唯ちゃんなら、梓ちゃんの気持ち、良く分かってるはずだから」
唯「うん…私、頑張るよ」
紬「きっと仲直り出来るわ。大丈夫」
唯「ムギちゃん、ありがとう」
紬「いいのよ。また皆で楽しくお茶を飲んだり練習しましょう?」
唯「うん!」
そっか。そういう事だったんだ!何だか今日一日モヤモヤしていた事が嘘みたい。
同時に後悔の念が沸き起こる。もう少し、あずにゃんの事を考えてあげる事が出来れば。
そして、私があずにゃんの事をどう思っているか、もっと自覚出来ていれば。
でも、過ぎてしまった事はしょうがない。今私に出来る事は、あずにゃんと会って話をする事。それだけだ。
急いで身支度を整える私にムギちゃんが一言を添える。
紬「唯ちゃん、急いじゃダメよ。一度自分の家に戻ってね」
唯「え、でも…」
紬「憂ちゃんが帰ってくるのを待ってあげて。憂ちゃんは梓ちゃんの家に行っているの」
唯「憂が?」
紬「唯ちゃん、皆唯ちゃんの事を応援しているから。頑張ってね」
唯「ムギちゃん…本当にありがとう!私、行って来るね!!」
鈍い振動音が私の意識を引き上げる。
梓「ん…」
薄らと開けた目には、あの日と変わらないオレンジ色の優しい光が差し込んで来た。
どうやら、夕方まで寝ていたらしい。
梓「そうだ、携帯」
振動音の発信元に気付き、慌てて携帯を取る。
憂からのメールだった。他に純からも。そして、軽音部のメンバーからも。…唯先輩をのぞいて。
そして、皆を代表して憂がお見舞いに来る、とあった。
お見舞いに来てくれるのは有り難いけど、さて、何と言ったら良いか。実は今日はズル休みだし…。
メールを受信してから30分経った頃。インターホンが鳴った。今日も両親は不在。私が出るしか無いか…。
梓「はーい」
玄関のドアを開く。ドアの向こうには、紙箱を抱えた制服姿の憂が立っていた。
憂「こんにちは梓ちゃん。お見舞いに来たよ」
梓「うん…いらっしゃい」
憂「梓ちゃん、これ、お土産。駅前のバナナチョコケーキ買って来たよ。後で食べよう」
梓「そ、そうだね。うん、えと、入って入って」
憂の気遣いが、少し痛い。
憂「今日はご両親…いないみたいだね」
梓「うん、週末まで仕事だって」
憂「そっか」
梓「あ、私飲み物取って来るね」
憂「ダメだよ梓ちゃん。ちゃんと寝てなきゃ。私取って来るよ」
梓「だ、大丈夫!…その、少し、良くなったから」
憂「いいからいいから」
結局、憂に押し切られる形になってしまった。
憂「はい、どうぞ」
梓「あ、ありがとう」
テーブルにお互い向かい合う様にして座る。
お見舞い、なんだろうけど、今日の憂は何だかそんな感じじゃない。
少し思い詰めた感じと言えばいいのか、いつもよりもかしこまった印象だ。
そうして少しの沈黙の後、憂が口を開き始めた。
憂「梓ちゃん、今日はね、お見舞いもそうなんだけど、お話をしに来たの」
梓「…うん」
何となく、感じていた。憂が来るなら多分そうだろうって。
憂「…お姉ちゃんの事なんだ」
梓「…うん」
憂「昨日ね、お姉ちゃん、何も言わないで帰って来たの」
憂「心配になって部屋に入ったら…お姉ちゃん、泣いてたよ」
梓「あ…」
憂「あんなに泣いたお姉ちゃん、私今まで見た事無かった…」
言葉が出なかった。私のあの行為が唯先輩をそこまで苦しめていたなんて。
憂「でも、お姉ちゃん、今日は少し元気になってくれたよ。学校も行ったし」
梓「…うん」
憂「…お姉ちゃんから色々話を聞いたの、昨日の事」
憂「お姉ちゃんだけじゃない、紬さんとも話したよ」
梓「え?ムギ先輩と?」
憂「うん…」
それから何かを言い掛けて、憂は黙ってしまった。再び沈黙。
憂は先ほどからの真面目な表情を崩さない。今はむしろ、それに悲しげな表情が加わっている様にも見えた。
私は思わず目の前の烏龍茶が入ったグラスを引き寄せて、口に流し込んだ。再び、憂が話始めた。
憂「梓ちゃん、私、梓ちゃんの気持ち、良く分かるよ」
梓「憂…」
憂「昨日、どうして梓ちゃんが元気無かったのか、今なら分かるよ」
憂「立花先輩、だよね?」
梓「…っ!」
憂からその人の名前が出るなんて。ただただ驚いた。
憂「お姉ちゃんから聞いたよ。一昨日はコンビニに寄り道したって」
憂「そうしたらそこで立花先輩と会ったって」
憂「その後急に梓ちゃん、帰っちゃったって」
梓「…全部、知ってるんだね」
憂「…ごめんね。でもまだ話さないといけないね」
梓「え…」
憂「昨日、梓ちゃん、寝てたお姉ちゃんを起こしに行ったんでしょ?」
梓「…ムギ先輩から聞いたんだね」
憂「うん。そしてそこにも、立花先輩、いたんだね?」
梓「…うん、いたよ」
憂「そっか。やっぱり、いたんだね。…ねえ、どうして梓ちゃんはその時、お姉ちゃんを起こさなかったのかな?」
梓「…」
正直、答えたくは無かった。けれど、憂の目は全てを知っているような目をしていた。…隠しても、ムダかも知れない。
梓「…起こせなかったの」
憂「起こせなかった…どうして?」
梓「そんな、雰囲気じゃなかったから…」
憂「…」
梓「…立花先輩、唯先輩の髪を撫でていたの…」
梓「それだけ、なんだけど、何だか私、それを見てられなくなったの」
憂「梓ちゃん…」
梓「その後の部活は、最低だった…ううん、その後も」
梓「私、唯先輩に…ひどい事、しちゃった…」
唯先輩…。どうして私、あんな事を。
憂「梓ちゃん。聞いて。お姉ちゃんは梓ちゃんの事、嫌いになんかなってないよ」
梓「憂…?」
憂「私、梓ちゃんの気持ち、良く分かるよ。どうして梓ちゃんがそんな事をしたのか」
答えは、簡単だった。
憂「きっと梓ちゃんは、立花先輩に焼き餅を焼いたんだと思うよ」
梓「…!」
まさか。そんな事って。無いよ。有り得ない。
梓「ま、まさかそんな、私が焼き餅だなんて!」
憂「間違いないよ」
梓「うぐっ…」
憂「そうとしか考えられないよ」
梓「で、でも!」
憂「梓ちゃん」
憂は必死に言い訳じみた事を言い出そうとする私を制して、真面目な表情を私に向けた。
憂「梓ちゃん、お姉ちゃんの事、好きなんだよね?」
梓「…なっ!!」
全く予想していない言葉だった。
梓「う、憂!いきなり何言うの!!そ、それは、た、確かに唯先輩の事、す、好きだけど、そ、そのそれは先輩として」
憂「ううん、違うよ」
憂の両眼は私を捉えて離さない。そして。
憂「一人の女性、として好きか?って事だよ」
梓「うっ…憂!何を言って…」
憂「私は真面目だよ」
梓「憂…」
今度は私が作る沈黙。
憂「梓ちゃん…正直に言って」
…私は覚悟を決めた。
梓「…うん。好き。大好き。ずっと、ずっと前から、大好きだった」
それを聞くと憂は一瞬体を震わせた様に見えた。
でも、次の瞬間にはすぐに笑顔を見せてくれた。
憂「梓ちゃん、ありがとう」
梓「憂…」
憂「でもこれで自分の気持ちに正直になれたはずだよ」
焼き餅…嫉妬。それはもしかしたら私自身、薄々感じ取っていた事だと思う。
ただ、それを私は幾重にも蓋をして心の奥底に仕舞い込んでいたのかも知れない。
…憂の言う通り、私は自分自身にもう少し、正直になれば良かったのかな。
梓「…うん」
憂「…梓ちゃん」
梓「…」
憂「今の梓ちゃんの気持ち、お姉ちゃんに会って直接伝えて欲しいな」
憂「きっと、お姉ちゃんと仲直り出来るはずだよ」
梓「で、でも、そんないきなり」
憂「大丈夫」
梓「憂…」
憂「絶対、上手くいくよ!だから、お願い。」
憂「もう、お姉ちゃんの悲しむ顔、見たく無いから…」
梓「あ…」
気付かなかった。憂の頬には一筋の光る道が出来ていた。
…これ以上、私のせいで涙は見たく無い。私は決心した。
憂の所に駆け寄り、顔を手で覆う憂を抱き締めた。
憂「梓ちゃん…」
梓「憂、本当にごめん。私、会いたい。唯先輩に会いたい」
憂「ぐすっ…うん…うん」
梓「私、もう逃げないよ。絶対に。約束するから」
憂「うん…梓ちゃん、ありがとう」
憂には笑顔が一番似合う。あの人にも、笑って欲しい。
ただいま、ギー太。ごめんね、ギー太。
今日一日、学校をお休みさせてしまったギー太に頭を下げる。
そのお返しにと、すぐにギー太を手に持ち、弦をかき鳴らした。
そうして夕陽が沈もうとする頃、ドアの開く音が聞こえた。
憂が帰って来たのかな。階段を降りるとやっぱり憂がいた。
唯「憂、おかえり」
憂「ただいま、お姉ちゃん」
唯「…憂、あずにゃんと会っていたの?ムギちゃんから聞いたよ」
憂「うん。会って来たよ」
ムギちゃんの言った通りだ。きっと憂はあずにゃんと私の事を話に行ってくれたんだよね。
憂「お姉ちゃん、梓ちゃんが会いたいって」
唯「憂…」
ごめん、いつも迷惑を掛けて。そして、もう一つ迷惑を掛けてしまう事を許してね。
唯「分かった…えっとね、憂。あの、今日の晩ご飯なんだけど、ごめん、今日は私、いらないから」
憂「うん、そう言うと思った」
唯「え?憂?」
憂「お姉ちゃん」
唯「…はい!」
憂「大丈夫。きっと梓ちゃんと仲直り出来るよ。頑張って!!」
いつもいつも、私なんかの為にありがとう、憂。
私、絶対にあずにゃんと仲直りするよ。そして…。
唯「憂、じゃあ行って来るね」
憂「頑張ってね!お姉ちゃん!」
唯「うん!ピース!!」
待ってて、あずにゃん。私の気持ちを全部、あずにゃんに伝えるよ。
手に取った携帯はあの人からのメール着信を伝えていた。
本当なら私が送るはずだったんだけど、わずかの差で唯先輩が早かったみたい。
…一日ぶりのメールかあ。何だか何日も何週間も連絡をとっていなかったみたい。
『あずにゃんへ。大切なお話があります。』
メールには待ち合わせ場所と、時間も書いてあった。ちょうど私と
唯先輩の家から同じくらいの距離にある公園だ。時間は、まだ余裕がありそう。
『私も大切なお話があります。』
唯先輩に返信し、早速出発の準備を始める。
大丈夫。きっと上手く行くはず。
道行く街灯がはっきりと明るくなって来た。辺りはすっかり夜になってしまった。
目的の公園に着き、携帯を開く。待ち合わせ時間まで、もうちょっと。
一足先に高台まで登る。ここの公園の高台からは、街の風景が一望出来る。
一度、唯先輩と学校帰りに来たんだっけ。夕陽がとても奇麗だったのを覚えてる。
今は…街の明かりが見える。…この景色も、悪く無いなあ。
ふと、後ろから声が掛かった。
唯「おーい!あずにゃーん!」
梓「…!」
唯先輩…。良かった。ちゃんと会いに来てくれた。
後ろを振り向く。街灯が淡く唯先輩を照らす。いた。階段を昇り終えた所だ。
唯先輩は私を改めて見直し、小走りで駆け寄って来た。
唯「ふぅ~何とか間に合ったあ」
梓「大丈夫です。時間ピッタリですよ」
唯「おお、私すごい!」
梓「いや、それが当たり前ですから…」
あれ?何か普通に会話出来てる…。本当は真っ先に言う事があるはずなのに。どうして…。
唯「えと、あずにゃん、来てくれてありがとう」
目の前までやって来て、はっきりと街灯に照らされた唯先輩が、笑みを零す。
思わず、俯いてしまう。
梓「い、いえ…そ、その…」
唯「うん?あずにゃん、まず座ろっか?」
梓「…あ、は、はい!」
言われるがままに側のベンチに腰を下ろした。私が座ったのを見届けて、唯先輩も隣に座る。
しばしの沈黙。言いたい事があるのに、なかなか口が動かない。それに気付いたのか、唯先輩が話し掛ける。
唯「あずにゃん、この公園、一度来た事あったよね。覚えてるかな?」
梓「…あ、はい。覚えてます。去年の冬、でしたよね」
唯「うん、あの時は寒かったよね~。だけど、すっごく夕陽が奇麗で、暖かかったよね」
梓「はい、本当に奇麗でした」
唯「あの後、
たい焼きを食べたんだよね。最後一個余っちゃってあずにゃんがどうしても食べたいなんて言ってさ~」
梓「なっ!ちょっと待ってくださいよ!私そんな事言ってないですよ!」
唯「本当あずにゃんはたい焼き好きだよねぇ~。ふふ」
梓「むっ…いや、まあ、そこは否定、しませんけど…」
唯「…プッ、プクク…」
梓「フッ…」
夜の公園に二人の笑い声が響く。少しだけ気持ちがほぐれた。…今なら、言える、と思う。
梓「…唯先輩」
唯「なあに?あずにゃん」
梓「…その、昨日はすいませんでした」
唯「…」
梓「私、本当に唯先輩にヒドい事、してしまいました」
唯「あずにゃん…」
梓「あんな事、するつもりなかったんです。でも、でも…」
唯「あずにゃん」
梓「…」
唯「私の方こそごめんね、あずにゃん」
梓「そんな!唯先輩は何も悪くないです!」
唯「ううん、私こそ、もっとあずにゃんの気持ちを考えなきゃいけなかったんだよ」
梓「唯先輩…」
唯「だから、今日は、ちゃんと伝えようと思って」
そう言うと、唯先輩は私の眼をしっかりと見詰め、静かに言葉を継ぎ始めた。
唯「私ね、昨日、ずっと考えてたの。あずにゃんに嫌われたんだって」
梓「あ…」
右手を自分の左胸に当てて、唯先輩は続ける。
唯「そう思ったら、何だかこの辺りがすっごく苦しかったの」
唯「…今日、放課後にムギちゃんとお話したの」
梓「ムギ先輩とですか?」
唯「そうだよ。ムギちゃん、私達の事、心配してくれてたんだよ」
梓「…」
唯「でも、ムギちゃんとお話して、やっと分かったんだ」
梓「先輩…」
唯先輩は再び視線を私に戻す。そして。
唯「あずにゃん、私、あずにゃんの事が好き。大好きだよ」
唯「初めて見た時から、可愛いと思ってた。それにすっごくギターも上手くて」
唯「何だか、あずにゃんが先輩みたいだよね。えへへ…でも、抱き着くと暖かくて。気付いたらいつも一緒にいて」
唯「…だから、だから、昨日あんな事があって、私、はっきりと分かったんだ」
唯「私、ずっと、あずにゃんと一緒にいたい」
夢みたいだった。自分の中で、何度と無く思い浮かべた情景が今まさに目の前で再現されたのだから。
まさか、こんな事って。唯先輩が私の事を…。夢じゃ、ないよね?
…嬉しい。
唯「わわっ、あ、あずにゃん!?」
何だか、身体が自然に動いていたみたい。私は唯先輩に飛び込んでいた。
梓「唯先輩…嬉しいです」
唯「あずにゃん…」
唯先輩も私の背中に腕をそっと回す。お互い無言のままで時が過ぎる。聞こえるのは二人の少し早い心音だけ。
ちょっと物惜しいけど、一度唯先輩に回した腕を解く。
梓「唯先輩。ありがとうございます。でも、私の返事がまだですよ?」
唯「もう、今ので分かったよ~」
梓「ダメです。ちゃんと、その、言わせてください…」
唯「あずにゃん…うん、いいよ」
一度深呼吸。まだドキドキは止まらないけれど。でも言わないと。
梓
「唯先輩」
唯「…はい」
梓「私も…私も唯先輩が好きです。大好きです」
梓「ギターを弾く唯先輩も、いつもの唯先輩も、全部、全部大好きです」
梓「私も唯先輩と、一緒にいたいです」
唯先輩は一瞬驚いたような表情をしたけれど、また、優しく私に微笑んでくれた。
唯「…ありがとう、あずにゃん。…ぎゅっ」
今度は唯先輩から。想いは、届いたみたい。
梓「唯先輩、私、先輩に焼き餅焼いてたんですね」
唯「うん、うん。あずにゃん、ごめんね」
梓「はい…唯先輩」
唯「うん?」
梓「今度は、ちゃんと私の目の届く範囲に居てくださいね」
唯「…うん。私もあずにゃんの事、絶対に離さないよ」
梓「はい、約束、ですよ?」
唯「うん。約束」
唯先輩の顔を見詰める。その真っ直ぐな瞳に心が高鳴る。
街灯に照らされた唯先輩は、とても奇麗だった。
唯「あずにゃん…目、瞑ってもらえるかな?」
梓「…唯先輩…はい…」
そっと目を閉じ、顔を上げる。
唯「大好きだよ、あずにゃん」
私達は、甘美な約束を交わした。
月日の経つのは早いもので、あれから一週間が経った。
梅雨時とは思えない青空が広がった土曜日。時刻は午前11時。
私は今、駅舎にいる。携帯のディスプレイにはあの人からの着信表示が映っている。
梓「もう、本当に何をやってるんですか!」
唯「ごめんよ~後5分で付くから!」
梓「早くしないと電車来ちゃいますよ!!」
唯「うわ~んごめんよあずにゃーん!!」
…はあ。よりによって初デートの日に。
待つ事5分。ようやく、唯先輩がやって来た。
唯「はあ、はあ、間に合った…」
梓「もう、ほら、さっさと切符買ってください!」
電車が来たのは、唯先輩が切符を買って改札を通過してすぐの事だった。
梓「もうちょっと早く寝れば良かったのに…」
唯「だって、あずにゃんとデートだよ?寝られる訳ないじゃん!」
…あの、電車の中なんですが。まあ…人が居なかったから、良いですけど。
梓「そんな事で寝坊したんですか」
唯「え~そんな事ってヒドイよお、あずにゃ…」
梓「私は頑張って寝ましたよ」
唯「え?」
梓「だから…今日、その、ほら、唯先輩とデ、デートだから!」
梓「途中で寝たら、し、失礼だなと思って、寝たんです…」
唯「うん…あずにゃん、ごめんね?」
梓「なっ…わ、分かってくれればいいんですよ、もう…」
…結構、似た者同士かも。私達。
唯「あずにゃん、あの店に行ったら憂とムギちゃんと皆にお土産買わないとね」
梓「勿論です。ちゃんと考えて来ましたよ」
唯「さすが!頼りにしてます」
梓「先輩も考えましょうよ…」
唯先輩の名誉の為に言っておくと、先に提案したのは唯先輩だけどね。
また、先を越されちゃった。
唯「その後はね、アクセサリー買おうよ!ね?」
梓「ああ、いいですね。どんなのです?」
唯「…ゆ、指輪、とか…?」
梓「え…」
唯「ペ、ペアリング…とか…」
梓「…は、はい…」
私達の関係は先輩と後輩から特別なものになった。
これから先、色んな事があるかも知れないけれど、唯先輩となら。
絶対に乗り越えて行ける。そう強く思ったあの日。
電車の窓に差し込む陽の光は変わらず、暖かかった。
- ブラボー! -- (名無しさん) 2010-11-05 03:07:00
- また一つ名作に出会えました… -- (通りすがりの百合スキー) 2010-12-08 00:48:56
最終更新:2010年11月04日 13:58