空前の
ゆっくりペットブームから一年。
みんななんかめっきり飽きて捨てゆっくりが町の中で増殖しまくっていた。
なんかもう、すごい増殖しまくった。
ゴミ捨て場に行って5分待っていれば必ず一匹二匹のゆっくりを見かけるくらい増殖していた。
割と普通に社会問題だった。
ゆっくり関連の条例の制定が急がれていた。
「おかーしゃん!おいちいね!」
まあ当のゆっくり達はというと社会問題など知ったことではない。
このゆっくりもそんな町に放たれ増殖したゆっくり達の内の一匹だった。
親子で仲良く路地裏のゴミ捨て場にゴミ漁りに来ていた。
「ゆう…まりさがむかしたべてたごはんはこんなもんじゃなかったよ…
こんなのぜんぜんおいしくなんてないよ…」
子どもと一緒に生ゴミをあさりながら死んだ魚のような瞳でまりさは呻いた。
こんな風に昔の栄華を懐かしむゆっくりは多い。
子まりさにとっては久々にありつけたご馳走だった生ゴミも
隣に居るお母さんがこんな様子ではすっかりおいしくなくなっていた。
「ゆぅ…」
子まりさは悲しそうに母の口元に咥えているにんじんの切れ端を見つめた。
「おかあさんがにんげんさんにごはんもらってたころわね
こんなゴミみたいなのじゃないとぉ〜ってもあまくたいたにんじんさんが…」
クドクドクドクドまりさは自分の子どもにおいしかったにんじんの料理について話を始めていた。
聞けば聞くほど子まりさはおなか一杯食べてるはずなのにおなかがすいていくような不思議な虚脱感を味わった。
「まりさのふぃあんせのれいむはとってもゆっくりしてて
ほっぺもぷにぷにですりすりするととってもきもちよかったんだよ…
まりさもれいむもとぉ〜ってもあいしあっててまりさがれいむのことはにーってよぶと
れいむはだーりんっておへんじしてくれてね…」
何の実りもないまりさの昔話の中で、このれいむの話だけは子まりさは大好きだった。
もし歯車が今と違ったかみ合い方をしていればきっとそのれいむが自分のお母さんになっていたに違いない。
「ほんとはれいむとのすっきりであかちゃんつくりたかったのにぃ…あんな…あんなすっきりでぇ…」
いつものようにまりさがさめざめと泣き始めてその話は終わった。
きっと世が世なら、そのれいむが子まりさのお母さんになったんだ。
噛み締めるように何度も子まりさは胸中で繰り返した。
「きょうこそいっぱいたべものをもらうよ!」
「がんばりょうねおかあしゃん!」
久々にやる気を見せたまりさを子まりさはうれしく思いながら一緒にえいえいゆー!と声をあげた。
「ゆぅ〜んゆぅ〜ん」
まりさは媚びた笑顔を浮かべながらごろりとその場に転がり足の裏や腹を見せながら
猫なで声を上げて上目遣いに八百屋を見つめた。
それを見た通りすがりの主婦達はソレから目を逸らしてそそくさと店の前を通り過ぎて行った。
八百屋の男は眉間に皴を寄せてまりさの前に立ち見下ろしながらたずねた。
「何してんだテメェ」
その声音には明らかに脅迫的な強い圧力が篭っていたがまりさは気にせずに言った。
「おにいさん!まりさおなかすいたよ!」
そういうとまた媚びるような甘ったるい声でゆぅ〜んゆぅ〜んと鳴きながら
かわいらしくおなかを見せつつその場を行ったり来たりして転がった。
「そうか」
八百屋の親父が観念したように力なく答えたのを聞いて、まりさは確かな手ごたえを感じて目を輝かせた。
しかしまりさは油断しなかった。
ここで畳み掛けるようにアピールすることが
人間に媚びる上で重要なポイントであることを知っていたからだ。
本当に喜んでいるのを示すために目は潤ませて淵に涙を溜めて声は喜びに震わせる。
「ゆ!たべものくれるの?ありがとうおにいさん!」
「客逃げただろうが二度と来るな糞饅頭!!」
八百屋の長靴の爪先が勢いよくまりさの顔面を捉えた。
「どぼぢべ!?」
何故こんな仕打ちを受けているのかまったく理解できずに
まりさは商店街をサッカーボールのようにゴロゴロと転がっていった。
餌を集めるときまりさは必ずのようにまずこの手法を試していたが
子まりさは成功しているところは一度か二度くらいしか見たことがなかった。
野良生活で表面だけでなく皮の奥まで汚れが染み付くほど薄汚れて悪臭を発するまりさに
食べ物を与えてやろうなどという物好きは中々いなかった。
「ごんなおがおじゃお゛ねだりでぎな゛いよおおおお……」
そしていつもこんな風に泣きながら怪我をしたところを自分の帽子にすりすりしながら痛みを紛らわすまりさと共にゴミ漁りに精を出すことが定番だった。
たまに怪我の程度が酷いので子まりさだけで探しに行くこともある。
子まりさは、最初からゴミ漁りをすれば痛い目にも合わないし
もっと食べ物を集められるのにと言っているのだが
まりさはゴミ漁りなんて最後の手段、恥を知れと言って聞き入れてもらえなかった。
「まりさはねぇ!ゆっくりこんてすとでゆうしょうしていっぱいおにいさんたちにごはんもらったことだってあるんだからね!」
そして以前町内のゆっくり限定ペット品評会で優勝したことの自慢話が始まるので
子まりさも最近ではあまり口答えしなくなり
ゴミ漁りの時に使う体力を温存するためにまりさが失敗するのを待つのが日課になっていた。
子まりさはそんなまりさのことを少しも悪くは思わなかった。
いや、多少手際が悪いくらいには思っていたが、それがあるからこそお母さんなんだと考えていた。
そして子まりさはお母さんが大好きだった。
このゴミ漁りで命を繋ぐ日々の中で代わりなど有りはし無いたった一匹の大切な大切な家族だ。
嫌いになれる訳が無かった。
そうして今日もまりさと子まりさの一日はゴミを漁って過ぎていく。
「ゅ?ゆっくちちていっちぇね!」
まりさが今日は一人でおねだりに行くから待っているようにといわれたので
子まりさは待ち合わせ場所の近くのゴミ捨て場で一人でゴミ漁りをしていた。
そんな子まりさは背後から一人の若い男がじっと見つめているのに気付いて元気に挨拶をした。
別に何か見返りを求めているわけでもないが、挨拶したほうが気分がいい。
「ん、ああ」
男はびっくりしたのかそれほど悪くは無い顔の造形をゆがめて気の無い返事をすると
何か思うところでもあったのかポケットを漁り始め中から出てきた飴玉を取り出した。
「食べるかい?」
覇気の無いどこか暗い影のあるような声音で男は子まりさにその飴玉を差し出した。
「ゅ…いりゃない」
子まりさは俯いて少しの間考えてから男の申し出を断った。
このゴミ捨て場には結構食べ物がありそうだったし、子まりさが毎日食料集めに精を出しているおかげで今食料には困っていなかった。
「おにいしゃんがじぶんであまあましてゆっくちちていっちぇね!」
笑顔でそう告げて子まりさはまたゴミ漁りに戻った。
「そ、そう」
男はそれだけ言うとバツが悪そうにポケットに飴玉を戻してコートの襟に顔が半分埋まるほど首をすぼめ俯いていそいそとその場を去っていった。
子まりさはうきうきしていた。
大好きなお母さんまりさにプレゼントを用意して、今日がそれを渡す日だったからだ。
何故今日なのかというと、まあ特にこれといった理由は無い。
ただ単にお母さんが好きだってことを形にして示してみたかったのと
後町が何故だか知らないが浮かれているというかやたらとキラキラと輝いていて
その上これも理由はさっぱり分からないがゴミ置き場にある生ゴミの量もたくさん増えていて余裕があった。
これから寒くなって大変なのにどうしてみんなこんなに浮かれてるのだろうかと子まりさは首を傾げた。
特に今日はすごかった。
「ゅぅ〜ん、あみゃあみゃでとっちぇもおいちぃよ!」
普段は見たことも無いような白くて綺麗なクリームと
甘い甘いパンを混ぜこめたようなお菓子がゴミ箱にぽんと置かれて居たりした。
「これにゃらおかあしゃんもとってもあみゃあみゃでおおよりょこびだょ!」
他にも香ばしく甘辛く焼いたひらべったい肉の周りについてる奴や
まだ僅かに桃色の射す程度に焼いた肉のこびり付いている骨。
子まりさは肉屋に吊るされている鶏は見ていてなんだか悲しくなるので大嫌いだったが、鶏肉自体は大好きだった。
皮が堅くて中はふわふわのパンが見つかった。
ほっぺについた白いクリームをぺろりと舐めて舌鼓を打ちながら
お母さんもこれならきっと喜んでくれると思って子まりさはにんまりと笑った。
たくさんのご馳走をゴミ箱の中に埋もれていた真っ白な箱に詰め込んで
喜ぶお母さんの顔を思い浮かべながら子まりさは歯を食いしばり箱の端を咥えながら
煌びやかな大通りとは打って変って薄暗い路地裏を額に汗を浮かべ
同時にそんな疲れを感じさせない明るい笑みを浮かべながら進んでいった。
まりさは暗い路地の向こうのゴミ箱の前で啜り泣きながらゴミを漁っていた。
「ゆぅ〜ん・・・ゆぅ〜ん・・・ゅぅぅうううう…!」
普段よりも長くか細い泣き声をあげながらまりさは折角のクリスマスに
こんな暗い路地裏で惨めにゴミ漁りをしている自分の身の不幸を呪った。
ちょっと前までは、まりさもあの柔らかく優しい明かりに包まれて
暖かな暖炉にあたりながら飼い主やフィアンセのれいむとおいしいケーキや
自分と同じくらいの大きさがある七面鳥の丸焼きを食べて笑いながら過ごしていたのだ。
なのに今は寒空の下でこんな汚らわしいことをしながらなんとか生きながらえている。
惨め以外の何者でもなかった。
まりさは舌を一生懸命動かしてゴミを漁りながら
その合間に何度も路地の向うの大通りの方をちらりと盗み見ては目をそらした。
自分を柔らかく包んでくれていたあの優しい明かりが、何故か今の自分には眩し過ぎて直視出来なかった。
そんな風にまたまりさは路地の向こうを盗み見て、子まりさの体より大きな箱を懸命に引き摺ってくるのに気付いた。
まりさが呆然とそれを見つめていると、子まりさはまりさの目の前にまでやっとのことでやってきて満面の笑みを浮かべていった。
「おかあしゃん!いっぱいおいちいごちそうもってきちゃよ!!ゆっくちちていっちぇね!」
まりさがその箱の中身を覗き込むと大粒の涙がその頬を伝っていった。
「ゆぅ〜ん…ゆゆゆぅ〜〜ん…!」
プレゼントを見て涙を浮かべるまりさを見て
子まりさは泣くほど喜んでくれたのだと思って跳ね上がるほど嬉しくなった。
「こんなので…こんなのでごちそうだなんてなんてかわいそうなあかちゃんなのおおおおお!!」
子まりさは飛び跳ねるのをぴたりとやめた。
まりさの言っている意味が分からなくて唖然としてくしゃくしゃになったその顔を見つめた。
「こんっ、こんなほねとかわとぐちゃぐちゃになったけーきみたいなごびどーぜんの…ゆぅぅううう…!
こんなのごちぞうなんがじゃないんだよおおおおおお!!
ごみどーぜんでさえないよぉ!ごみ!ごみなんだよおおおおお!?」
胸の中が乾いていくような良く分からない感覚が
子まりさの中にあったほくほくとした嬉しい気持ちを砂漠に垂らした水みたいに吸い取っていった。
まりさは子まりさを哀れみ尚も捲くし立てた。
「ごべんねえええええええ!!おがあざんじぇんじぇんおいぢいぼのだべざぜであげれなぐでごべんねえええええええ!!
ゆ゛う゛うううううう!!ごべんね゛えええええええええ!!!!」
そう言ってまりさは後はずっと謝りながら小さな子まりさの体に顔を埋め涙でべちょべちょになった肌を擦りつけた。
子まりさは、うん、悲しくなんて全然無かった。
お母さんが本当に子まりさのことを想っていてくれたのがわかって本当に嬉かった。
プレゼントを用意して本当によかった。
「ほんちょだ、じぇんじぇんおいちくなんかないね」
まだ口の端に残っていたクリームをペロリと舐めてみた子まりさが呟いた。
ソレはわんわん泣き喚くまりさと路地の向うから聞こえてくる雑踏の喧騒によってかき消された。
それからすぐに寒く辛い冬はやって来た。
いや、冬は既にやって来ていたと言った方がいいだろう。
ただそれまでは煌びやかな町の明かりがそれを忘れさせてくれていた。
それに食べ物もゴミ捨て場にたくさんあった。
だがあれから一週間もすると町の明かりはすっかり消えていつものように夜は人気も無く薄暗く
手に入る食べ物の量もめっきり減った。
ただ人間達が家に篭りがちになるので
まりさのおねだりで無駄な時間を費やすことが減ったのは子まりさにとってはやりやすかった。
「……」
それにまりさはあの日以来どうにも塞ぎ込みがちで、いつものような昔の自慢話を余りしなくなっていた。
これも、食べ物を集めることにおいては大分助けになった。
もっとも、子まりさの心情的には全く歓迎すべきことでは無かったが。
「おかあしゃん…」
「……」
子まりさが呼びかけても、まりさは虚ろな眼差しで一瞥するだけで
何も口から発さずにまた黙々とゴミ漁りをする作業に戻った。
まりさが何を求めているのか、何がまりさを苦しめているのやら。
子まりさにはどうしてもわからなかった。
ずっと一緒に過ごしてきて、その理由がはっきりとわかったのはそれからすぐ後のことだった。
「や、やあ」
以前ゴミ捨て場で飴玉を渡そうとしてきた男が、中々食べ物が見つからず町をうろついていた子まりさに声をかけた。
「ゅ?ゅっくちちちぇいっちぇね!」
ボロは着てても心は錦。
大きな声を出すと空きっ腹に響いたが、子まりさは元気に挨拶を返した。
冷たい風に当てられ続けて林檎のように真っ赤になった頬の力強さがその笑顔に映えた。
「なんかお腹空かしてるように見えるけど…大丈夫?」
「おなかすいてるけどだいじょーぶだょ!」
おずおずと尋ねる男に子まりさは一部肯定しつつも元気に返事した。
「なんか肉付き悪そうだけど」
「ふゆのあいだはみんにゃこんなかんじだけどだいじょーぶだょ!
はるさんきたらまたおなかいっぱいたべれりゅの!」
心配は要らない、と子まりさは男に向かって痩せて薄くなった胸を張って見せた。
「いや、その、良ければ食べ物とか…」
「おにいしゃんだってごはんみちゅけりゅのたいへんでちょ?
まりしゃはしんぱいいりゃないからゆっくちちちぇいっちぇね!」
「でも、一人ぼっちで大変じゃないかい?」
「まりしゃひとりぼっちじゃないょ!まりしゃおかあしゃんといっちょだょ!」
弱弱しくも食い下がる男に子まりさは本当に心の底から自慢げにそう言ってまた胸を張った。
「まりしゃのおかあしゃんはね」
子まりさは自分の母をこの男に自慢してあげようと思って、胸を張ったまま口を開いた。
「たすけてねええええええええええええええ!!!」
その時だった、路地の奥からまりさの悲鳴が轟いたのは。
「おかあしゃん!?」
子まりさは慌てて駆け出した。
男も呆然とした顔をしながら子まりさの後についていった、歩いて。
「おかあしゃん!?おかあしゃん!?」
子まりさは泣き喚きながら助けを求めるまりさを見るために背中が地面につくくらい思い切り見上げなければならなかった。
「でれないのおおおおおおおおおおお!!だぢでえええええ!だぢでええええええええ!!」
まりさは、丁度まりさの体の大きさと同じくらいの口の大きさのゴミ箱にすっぽりはまって真上を見ながら喘いでいた。
完全にぴっちりと体がはまってしまったらしく身動き一つとれず、ゴミ箱を僅かに揺らすのが精一杯のようだ。
それどころかもがけばもがくほどまりさの重みの分深く深くゴミ箱へとはまっていく。
「いやだあああああああああああ!!ごんな、ごんなごみだめのながでぢんぢゃうなんでいやあああああ!!
どぼぢでええええええ!!どぼぢでま゛り゛ざがごんなめにいいいいいい!!
どぼぢでごんなごどになっだのおおおおおおおおおおおおおおおおお!?
あ゛んなに、あんなにあだっががっだのにい!!あ゛んなにずでぎだっだどにい!!
あん゛な゛にだのぢばっだのにいいい!!あ゛んなに゛ぃ!あ゛んなにぃ!!
お゛いし゛いごはんがあっでえええ!!おうぢのながあっだがぐでえええ!!
ゆっぐぢぢだれ゛いむ゛がいっぢょでえええええええ!!おにいざんがいでええええええええ!!
あ゛んな゛にいいいい!!じあわ゛ぜだっだどにいいいいいいいい!!
れ゛いむ゛ううううう!!おにいざあああああああああん!!
ゆ゛ばあ゛ああ゛ああ゛ああ゛あああ!!」
こんな時でも、いやこんな時だからこそだろうか。
まりさはやはり昔のことを思い出して泣いていた。
「おかあしゃんがんばっちぇね!ゆーえしゅ!ゆーえしゅ!」
子まりさはまりさを助けようと、ゴミ箱を押してみたりまりさの舌を咥えて引っ張り出そうとしてみたりしたがびくともしなかった。
「だ、大丈夫か…あ…!」
「だぢっ…ゆ…!」
ついてきた男とまりさの目が合った。
まりさは男の顔を見てはっと息を呑み目を潤ませた。
「お、お、おにいざぁあああああああああああああん!!」
「まりさ…!」
二人が頭上で衝撃の再開を果たした中、子まりさは必死にゴミ箱を押していた。
「おにいざああああああんあいだがっだよおおおおおおおおおお!!」
まりさは以前まりさのことを飼っていた男の顔を見てボロボロと涙を零した。
あまりに涙を流すのでゴミ箱の中が涙で一杯になって溺死するのではないかと思われるほどだった。
「おかあしゃんいまだちてあげゅかりゃがんばっちぇねええええええ!!げほっ、げほっ」
子まりさは叫びすぎてむせた。
「ま、まさかまた会えるなんて…よかった!無事だったんだな!」
男もこの運命的な再会に胸を熱くしているようだった。
ぎゅっと拳を握り締めて口元に笑顔を浮かべている。
「おにいざああああああん!!どぼぢでま゛り゛ざのごどずでだのおおおお!?」
「ゅ!?しゅてたにょ!?おかあしゃんのことしゅてたにょ!?」
再開を果たした男に対してまりさは長年の疑問を大声でぶつけた。
その母の言葉を聞いて信じられないという表情を浮かべた子まりさは男をキッと睨みつけた。
まりさの昔話を聞くたびにまりさが恋しそうに、その素晴らしかった頃の思い出を語るので
子まりさはてっきり飼い主の男は素晴らしい人物で、しかしまりさとは死に別れでもしたのかと信じていた。
だからまりさの言った捨てた、という言葉が子まりさには信じられなかった。
「それは、ほら、引越し先がペット禁止だったし…その…」
「ぞうだっだんだねえええええええええ!!ま゛り゛ざのごどぎらいになっだんじゃないんだねえええええ!!」
男は後ろめたそうに答えたが、まりさはその答えに大いに満足したようで感激でさらに咽び泣いた。
「う、うん、まりさのこと嫌ったりしてないさ!今でも大好きだよ!」
男はほっとした様子でそのまま天まで昇っていきそうなほど舞い上がっているまりさに合わせて言った。
「じゃあまたいっじょにぐらぜるんだねえええええええ!?」
「いやそれは、その下宿で一人暮らしだしペットは無理だけど、あ、うん、一緒に遊んだりは出来るよ!」
男はまりさの問いに一瞬バツが悪そうに目をそむけたがすぐに調子よく頷いてそう返した。
「うれぢいよおおおお!!まだむがぢみだいにぐらぜるんだねえええええ!!
れ゛い゛む゛!れ゛い゛む゛どもまだあえ゛るのおおおおお!?」
「あ、そのう、れいむは…ああうん、またきっと別のいいれいむに会えるよ
今助けてやるからな!」
そう言って男は一歩踏み出して、ゴミ箱の汚れを見て嫌そうな顔をして一瞬立ち止まった。
子まりさには、男の発する言葉も、所作も、その何もかもが胡散臭く感じた。
「まっちぇねぇ!!!!」
ゴミ箱の横に居た子まりさは小さな体を命一杯強張らせて男に向かって鋭く叫んだ。
「え?」
「ゆ、ゆ?」
男は子まりさのその小さな体に似合わない気迫に気圧されて一歩退いた。
「ど、どうしたんだい?」
男は怪訝な表情を浮かべて子まりさに尋ねた。
「おにいしゃん、まりしゃたちはおにいしゃんにたすけりゃれにゃくてもだいじょーぶだよ」
子まりさは心を落ち着け、男に対して最も伝えたいことを言った。
「え、でも」
「ゆ?なにをいってるの?なんなの?ばかなの?」
そしてそのことを証明するために子まりさは動き始めた。
子まりさは男とまりさを無視して、ゴミ箱の淵にたっぷり中身の詰ったゴミ袋の先を引っ掛けた。
ゴミ袋の重さに引っ張られて僅かにゴミ箱が傾く。
下に下りた子まりさはそのスキマに小さな木の棒を差し込んだ。
ものによってはしゃぶると食べ物の味のする木の棒でゴミ捨て場でたまに見つけてはしゃぶったりしていた。
それを咥えて、子まりさは必死にゴミ箱を持ち上げようと踏ん張った。
そうして少しスキマが大きくなると、近くに寄せておいた小さなゴミをまたスキマに噛ませて
少しずつ少しずつスキマを大きくしていった。
やがて、傾きの限界に達したゴミ箱はドサリと音を立てて倒れて、その衝撃で中のゴミとまりさはゴミ箱から吐き出された。
脱出できたことを喜ぶ余裕さえなくまりさは呆然とした表情で子まりさを見つめていた。
子まりさははあはあと息を切らせながら目に涙を浮かべて、そして胸を張った。
「まりしゃたちはだいじょーぶだよ、まりしゃたちはおにいしゃんがいにゃくても、いきてけりゅよ
それじぇみょおかあしゃんがしゅきで、いっちょにいちゃいならなら、ずっとずっといっちょにいてあげちぇね
それかりゃ、もうおかあしゃんをきずちゅけりゅのはやめてね
もうぜっちゃいはなれちゃりしちゃだめだよ
おやくしょくちてね」
そう言うと後は黙り込んで子まりさは男の目をじっと見つめた。
「ぼ、僕が…僕は…」
男は震えながら後ずさった。
この男とまりさのやり取りを聞いて子まりさは気が付いたのだ。
母が何故ああも哀れに苦しんでいるのか。
そして母があれほど苦しんでいるのを何故子まりさにはわからなかったのかを。
子まりさはこのゴミ溜めのような場所で生まれてそしてこのゴミ溜めのような場所でずっと育ってきた。
だから地に足がついているから今の生活は大変だとは思うけど苦しいとか不幸だと思ったことはなかった。
だけれどまりさは違った。
まりさはペットとして、きっと子まりさが夢にも見ないような素敵な生活をしてきたのだ。
だから、今の生活になじめない、地面に足をつけることができない。
まりさのことが子まりさにはまるで肉屋の軒先に吊るされた鶏のように見えた。
ずっと前、まりさと子まりさが物乞いをしに肉屋の前に並んだとき子まりさはわあわあと泣いてしまったことがあった。
吊るされている鶏さんがかわいそうでかわいそうで涙がぽろぽろこぼれてきたのだ。
まりさはその鶏と同じだ。
地面に、今自分が住まう世界に足をつけることができれば楽になれるのに
昔の生活がまりさの体を縛り付けて天井から吊るされているみたいに宙ぶらりんになっているのだ。
もがけばもがくほど、その縄はまりさの体に食い込んでまりさのことを苦しめる。
もしかしたらその縄は断ち切ることができるかもしれない。
上から誰かが引き上げるか、それとも下から誰かが引っ張ってあげてその縄を断ち切るかすれば、あるいは。
断ち切るのは彼か、子まりさか。
子まりさはただただじっと男を見つめた。
子まりさは男が子まりさの視線を振り切ってまりさを連れて行くというならそれでもいいと思った。
自分達は自分達だけで生きていけることを示した。
それでも一緒に居たいのか、同情心で悪戯にまりさを期待させて、そしてまた捨てたりしないのか。
まりさのことを傷つけないと誓えるのか。
それが知りたかった。
男は何も言わずにきびすを返して走って立ち去った。
「まってねおにいさん!!おにいさああああああああああん!?」
まりさの呼び止める声も聞かずに男はすぐに雑踏にまぎれて消えていった。
結局男はまりさを絡め取る縄を断ち切ってはくれなかった。
なら自分が断ち切ろう、そう子まりさは強く心に誓った。
「おかあしゃん…」
もう昔のことなんて忘れて、ゆっくりしていいんだよ。
そう言おうとした子まりさは気が付くと宙を舞って暗闇の中に押し込まれた。
「どぼぢでおにいざんにあんなひどいごどいうのおおおおおおおおおおお!?」
子まりさの体はまりさによって倒れたゴミ箱の中に押し込まれていった。
中に入っていた尖ったゴミが子まりさの皮を引き裂く
暗いゴミ箱の奥から、目を剥き歯茎を見せて鬼のような形相を浮かべるまりさを見ながら
まりさを絡め取る縄を断ち切れるのは男でも、自分でもないということを子まりさは悟った。
まりさはその縄が切れてしまうことを何より恐れている。
だからどんなに手を貸そうとも下からではいくら引っ張っても歯を食いしばり必死に縄を護り逆に自分を傷つける。
護り抜いた縄をいつか誰かが引っ張り上げてくれることを信じている。
その縄が切れればもう上へといけないと知っている。
そしてそんな細い細い可能性いっそのこと断ち切ってしまった方が楽だということを認めない。
あんなに細い細い糸を断ち切るまいと必死に体に絡めている。
糸が細ければ細いほど鋭く、体に食い込み痛みは増すというのに。
なんて救いがないのだろうか。
子まりさは、自分ではもうどうにもならないということを知って嘆いた。
子まりさは薄れいく意識の中で、大通りに向かい痛ましいまでにお兄さんを呼び続けるまりさの声をを聞いてその行く末を案じて涙した。
涙は上に昇ることなく生ごみに紛れ染み込み臭いや汚れと混ざり合って汚液となってゴミ箱から流れ染み出していった。
この涙が報われることなど、ないんだろうな、きっと。
産まれて初めて達観というものを覚えて、子まりさの意識は途絶えた。
最終更新:2008年12月31日 18:31