「行ってくるんだどー」
「はい、気を付けて」
翌日、仇が住んでいるという森を前に、れみりゃは咲夜と美鈴に見送られていた。
「はい、これ」
咲夜からプレゼントを貰った。一振りのナイフと、円形の筒である。
「あなたなら大丈夫。あなたなら」
鬼より怖いと思っていた美鈴が、なぜか急に優しくなって、れみりゃの頭を撫でながら言った。
「うー、大丈夫だど」
それに、嬉しくなって、れみりゃは久しぶりに笑った。
しかし、すぐに顔を引き締める。
「御武運を」
奇しくも、二人の声が重なった。
れみりゃは警戒しつつ、森に入っていった。足運びは到底れみりゃ種とも思えぬ動きである。飛ぶと体力を消費してしまうために、まずは歩いて行く。飛ぶのは危ない時に緊急避難する場合などだ。
(あまあまの臭いがするどー)
特訓の中には、実戦形式ということで捕獲してきたれいむ種やまりさ種との戦闘もあった。五対一までは経験したが、勝負はどれも難なく勝った。そして、その時に臭いを覚えさせられたのだ。捕食種としての本能も手伝ってか、
ゆっくりたちの臭いはすぐに覚えることができた。
「ゆっきゅち、ゆっきゅち!」
小さな、ピンポン玉サイズの赤ちゃんまりさが飛び跳ねていた。
「ゆぅ、おねーしゃんどきょにいるにょ」
どうやら一緒に遊びに来た姉とはぐれてしまったらしい。普通ならば、このサイズの赤ちゃんがこうして孤立してしまえば恐怖で泣き叫んでもおかしくはないのだが、この赤まりさは、迷子になったのを困ってはいたが、それほどに切迫した様子ではなかった。
なにしろ、赤まりさの所属する群れでは、滅多に死ゆっくりなど出ないので、死というものが身近に感じられない。そして、外敵が現れてもすぐに強くてカッコいい、ちゃんぴおんの赤バッチをつけた長やその長女のまりさが助けてくれる。
「うー、まりさの赤んぼだどー」
不意に、れみりゃが現れた。
「ゆ゛う゛っ゛」
いかに長たちに全幅の信頼を置いているとはいえ、捕食種を見れば思わず悲鳴を上げてしまうのは、先祖から連綿と受け継ぐ本能だ。
だが、すぐに赤まりさは気を取り直した。大声を上げて助けを求めよう。れみりゃが一匹ぐらいなんてことはない。長とその軍団は、れみりゃとふらんの群れでさえ追い払ったことがあるのだ。
「ゆゆっ、れみりゃはゆっくちちぬんだよ!」
恐れる色も無く、勝ち誇った顔でれみりゃを見る。勝てるとわかっている戦いだ。恐れることはない、そうなると、憧れの長まりさたちの戦いぶりを間近で見れるということが楽しみにすらなってくる。
――れみりゃがきちゃよぉ! みんにゃきちぇ!
そう、みんなを呼ぼうとして果たせなかった。れみりゃが、凄い速さで突進してきて持っていた木の棒を突き出して、その先っちょを赤まりさの口に突き入れたからだ。
「ゆ゛ぎぃ」
まともな声が出ずに、割れた声が口から飛び出す。
口から、棒が抜かれた。激痛が口中に広がっている。叫ぼうとする。
――い゛だい゛い゛だい゛よ゛
だが、それは果たされず、赤まりさは振り下ろされた木剣によって叩き潰されて絶命した。
「うー、できるだけ騒がれたくないんだどぉ」
咲夜に言われた。出来るだけ気付かれないように数を減らしていくべきだと。
れみりゃの物腰には油断は無い。実際、少しでも油断していれば、赤まりさが助けを呼ぶのを許してしまっただろう。だが、れみりゃは既に死んでいた。今日、起きた時に一度頭の中で死んだし、先ほど赤まりさと相対した時にも死んだ。何をどう考えても負けるはずのない赤まりさにすら殺されることを想像し、れみりゃは死んでいたのだ。油断など、無い。
「おちびちゃーん、どこにいるのー!」
「ゆっくりへんじをしてね! ゆっくりむかえに行くよ!」
「どきょー、まりしゃー」
近付いてくる声に、れみりゃはすぐに身を隠した。あの赤まりさの姉妹たちが、迷子を探しにやってきたのだ。
テニスボールサイズの子れいむと子まりさが一匹ずつに、ピンポン玉サイズの赤まりさ一匹の三匹、バレーボールサイズの成体はいない。
(うー、こいつらもやれるどー)
れみりゃはその構成を見て、自信を持って心中に呟いた。
茂みに伏せて隠れていると、その茂みに三匹が無警戒に近付いてくる。なにしろ、ここは偉大なるちゃんぴおんの長まりさが治める群れの縄張りなのだ。どうしても警戒感が乏しくなってしまう。
二匹の姉をやり過ごした。狙いは一番後ろの赤まりさだ。姉妹を探そうと周囲を見回しているために、却って足元などはお留守もいいところだ。
「ゆっ」
その声は、すぐ前を跳ねている姉たちにも聞こえないぐらいの小さな声だった。
口を押さえるように右手で掴んだ赤まりさを素早く引き寄せて左手の指を赤まりさの頭に突き刺す。声も上げられぬまま、赤まりさは体内の餡子をかき混ぜられた。そこまでやれば、中枢の餡子が完全に機能を破壊されてしまい意識が無くなる。その後に、口を押さえていた右手を口の中に突っ込み、上顎を掴み、左手で下顎を掴んで、上下に引き裂く。これでもし万が一生きていたとしても、赤まりさは声を出すことなどできない。
この間、二秒。姉たちは気付かないでぽよんぽよんと跳ねて行く。
少しすると、さすがに後ろからの声が全く聞こえないのに気付いた。
「ゆゆっ、妹がまた迷子だよ!」
「まりさはこういうのしってるんだぜ、にじゅーそーなん、っていうんだぜ、すごくゆっくりできなんだぜ」
「ゆゆぅ、ゆっくりしないでおとなたちを呼んでくるんだよ」
「まりさもそう思うぜ」
二匹の迷子を二匹で探すのには無理があると判断した子ゆっくりたちは、群れの中心部に戻って大人たちに助けを求めることにした。
元来た道を引き返す二匹だが、その時、視界の端に黒い、よく見慣れたものを見つけた。
「ゆゆっ、あれはおちびのお帽子なんだぜ」
「ゆっ、ほんとうだ! お帽子無くして困ってるよ! 拾っておいてあげよう!」
まさか既に妹が死んでいるとは思わない姉たちは、お帽子を拾って上げようと、そちらへと駆け付けた。また、お帽子のある方に妹がいるのではないかとの期待もあった。
「もう、お帽子無くしちゃだめだよ、っておかーさんいつもいってるのにねえ」
苦笑しながら、れいむが小さな黒い帽子を口にくわえる。まりさの帽子に入れておいて貰おうと、横を向こうとした瞬間、ぱん、と音がして何かがれいむの顔に当たった。
餡子が飛んできたのだ。
そして、こんな森の中で餡子の出所など、一つしかない。
「ゆっ……」
ゆっくりは根本的に肉体的にも精神的にも衝撃には弱い。特に精神的衝撃は、受けると少しの間、完全に行動不能に陥ってしまうことが多い。
れみりゃはそれに付け込んだ。れいむが、まりさが叩き潰されて死んだのだと理解する前に姉妹の後を追わせてやった。
「うー、うー、うー」
手際よくゆっくりたちを始末できて、れみりゃはほくそ笑む。久しぶりの笑顔。だが、先ほど美鈴に見せた無垢なそれではなく、それは捕食種の笑みだった。