「消極的制裁行為」
ゆっくりたちが多く暮らしている、人里に隣接している草原。
ひらひらと宙を舞う蝶を追いかけて、ぴょんぴょん跳ねているのは一匹のゆっくりれいむだ。
れいむは綺麗なお花畑の花を踏み潰しながら、夢中で蝶を追いかけていく。
「ゆっゆっ!ちょうちょさんまってね!!」
ぴょんと大きくジャンプするれいむ。
口をあんぐりと開けて、蝶を飲み込もうとするが…紙一重のところで避けられてしまう。
「ゆぐぐぐぐ!!ひどいよちょうちょさん!!ゆっくりたべられてね!!!」
地団駄を踏むれいむ。しかし、蝶だってそう簡単に食べられてくれるわけがない。
れいむが追う蝶は、そのまま木の上のほうへ上っていった。
「ゆゆ!!まってねちょうちょさん!!」
枝の隙間をぬって飛んでいく蝶。
れいむはそれを目視すると、勢いをつけて大きくジャンプした…!
太い枝の上に飛び乗ったれいむ。その枝を伝って、蝶を追いかける…が。
一瞬の油断だった。焦ってしまったばかりに、れいむは足を踏み外してしまったのだ。
「ゆゆぅ!!おちちゃうよ!!」
このまま地面に激突すれば、無傷ではすまない。
直後襲うであろう激痛の恐怖に、れいむは強く目をつぶった。
がさがさ!!がささっ!!!
しかし、れいむは地面に落下することはなかった。
れいむはゆっくりと目を開く。何故か、目に映るもの全てが逆さまだった。
そして、宙に浮いているような不思議な感覚。
れいむ自身には、何が起こったのかわからないだろう。
実は枝から落ちたときに、れいむの髪飾りが細い枝に引っかかったのだ。
その細い枝はそのままれいむの体重を支え、結果としてれいむを地面への落下から守った。
ぐい~ん!
枝の弾力で上のほうへ引き戻されるれいむ。
地面への落下を免れたれいむは…上下逆さまの状態で宙吊りになっていた。
当のれいむも、だんだん状況を理解していく。
自分が助かったとわかると、安心して「ゆっくりぃ~♪」と微笑んだ。
だが、本当の悲劇はここからだった。
十分ゆっくりしたので家に帰ろうと、枝から降りようとする。
そこで、初めてれいむは自分が置かれた状況を、正確に理解したのだった。
「ゆっ!ゆっ!」
宙吊りのままのれいむは、ゆっさゆっさと体を揺さぶる。しかし、枝から自分の身体が外れる気配はない。
髪飾りは、周囲の細い枝としっかり絡まっている…四肢を持たないゆっくりには解くことは出来なかった。
「ゆー!だれかたすけて!!ここじゃゆっくりできないよ!!」
最初は浮遊感を楽しんでいたれいむだが、自力での脱出が無理だと分かった途端助けを求め始める。
しかし…周りには人間はおろか、ゆっくりや他の野生生物もいない。
仮に見つけてもらったとしても、助けてもらえる保障はどこにもないのだ。
「ゆっくりしたけっかがこれだよおおおおぉぉぉぉぉぉ!!!」
あれから3時間。
おでこに止まった蝶に「ゆっくりたべられてね!」と舌を伸ばすも届かず、あっさり逃げられた。
あるとき、人里のほうから子供たちがやってきた。誰も居ない寂しさから開放されて喜んだれいむ。
れいむはその喜びを表現しようと、歌を歌い始めた。
「ゆっゆっゆ~♪」
しかし、その歌を気持ち悪がられ「きもーい!」「しね!!」などと罵られる。
「ゆ!!れいむはきもちわるくないよ!!れいむはかわいいゆっくりだよ!!」
とれいむが口答えすると、子供たちは下から木の棒でつついたり、ぺちぺちと全身を叩いたりして
れいむの反応を楽しんだ。その間もれいむを罵倒し続ける子供たち。
とうとうれいむは泣き出してしまった。
「ゆっ…ゆゆっ、ゆ゛っぐり゛いいいぃぃぃ!!!」
「うわ!!こいつ泣いてるぞ!!気持ちわりぃ!」「もう飽きたな。早く帰ろう!」
「皆でおやつ食べようぜ!お母さんがクッキー焼いてくれるって!」
宙吊りのれいむを放置して、子供たちは走り去っていく。
そして、事態は一向に進展しないまま、今に至る。
「ゆっくりー!!」と叫んでみても、誰も来ない。
それに、だんだんお腹がすいてきた。
きっと、さっきの子供たちは今頃おいしいおやつを食べているだろう。
そう思うと、れいむの空腹はさらに強くなってくる。
「ゆっくりぃ…」
お腹に力が入らず、声が出ない。
たまに体を揺さぶってみるが、やはり無駄だった。細い枝に引っかかった髪飾りは、びくともしない。
諦めて、宙にぶら下がったままうとうとし始める…
そこへ、一人のお兄さんがやってきた。
「お、君はそこで何をやってるんだい?」
お兄さんは何かがいっぱい入った籠を背負っている。
話しかけられたれいむは、ゆっくりと質問に答えた。
「ゆ!ゆっくりひっかかっちゃったよ!!」
「そうか、だから逆さまにぶら下がってるんだね。…それ!」
ぴん!とれいむの体を指ではじくお兄さん。
ゆらゆらと振り子のように揺さぶられるれいむは、ぷんぷんと体を膨らませた。
「おにーさんひどいよ!!ゆっくりたすけてね!!」
「あはは、面白いなぁ♪…よし、今から下ろしてあげるから、ちょっと待っててね」
すると、お兄さんはれいむの髪飾りに絡まった細い枝を丁寧に解いて、れいむを地面に下ろしてくれた。
「ゆゆ!!ありがとう!!これでゆっくりできるよ!!」
「そうかい、じゃあ僕は帰るから、ゆっくりしていってね!」
れいむに背を向けて去っていくお兄さん。
彼が背負っている籠の中身がれいむの目に入ると、れいむは大声でお兄さんを呼び止めた。
「おにーさん!!それなあに!?」
「あ、これかい?これは“りんご”だよ。食べたことないの?」
「たべものなの!?れいむたべたいよ!!ゆっくりちょうだいね!!」
遠慮の欠片もないれいむ。お兄さんの目の前にやってきて、図々しく大きな口を開けた。
「うーん……それじゃあ、お兄さんの家に来てくれるかい?来てくれればりんごをあげるよ」
「ゆ!!いくよ!!おにーさんのおうちでゆっくりりんごをたべるよ!!」
「そうと決まったら早速出発だ!お兄さんの家はこっちだよ」
そうしてお兄さんとれいむは、人里離れたお兄さんの家へと向かった。
お兄さんが扉を開けると、れいむはすごい勢いでその中に飛び込んだ。
昼間から木の枝に宙吊りになっていたから、今まで何も食べてないのだ。
本能に忠実なため空腹には勝てない。部屋のど真ん中に鎮座したれいむは、大声で叫んだ。
「おなかすいたよ!!はやくりんごちょうだいね!!」
「はいはい、今出すからね」
お兄さんは籠の中からりんごを3つ取り出すと、れいむの目の前に置いた。
「むしゃむしゃ…しあわせ~♪」
お腹をすかせていたれいむは、あっという間に3つのりんごを食べつくしてしまった。
「りんごおいしいね!!でもこんなんじゃたりないよ!!もっとちょうだい!!」
「これ以上はダメだよ。残りは明日食べようね」
そう言って、りんごの入った籠を台所に持っていってしまうお兄さん。
れいむは不満そうな顔をしながらも、我慢することにした。
「さて、僕はちょっと用事があるから出かけるね。れいむはゆっくりお留守番しててね」
「ゆゆ!!わかったよ!!ゆっくりまってるね!!」
「じゃあ行ってきます…あ、そうそう、ひとつだけ約束して欲しいことがあるんだ」
お兄さんはれいむの目の前にしゃがみ込んで、神妙な声で語りかける。
ただならぬ雰囲気を感じたれいむは、「ゆ?」と首をかしげた。
「台所にはりんごが沢山あるんだけど…“ぜ っ た い に”食べたらダメだよ」
「ゆゆ!!」
「お兄さんとの約束、守れるかな?」
れいむはしばらく考え込んだあと…ぴょんと跳びはねながら満面の笑みで答えた。
「まもれるよ!!りんごはもうたべないよ!!あしたたべるんだもんね!!」
「そうそうよく分かったね、れいむは偉いね。じゃあ行ってきます。
お土産も買ってくるから楽しみにしててね!」
お兄さんはれいむに手を振りながら、笑顔で家から出て行った。
お兄さんが家から出て扉を閉じると…れいむは一目散に台所へ向かった。
もちろん先ほどの約束は覚えている。覚えているが、れいむはその約束を破るために台所に来たのだ。
台所に入ると、床の上にはりんごが沢山入った籠が置いてあった。
しかし、その籠はかなり大きいため、このままではりんごを食べることは出来ない。
そこでれいむは、ここから跳びはねて籠の中に入ればいい、と考えた。
「ゆゆ…ゆっくりとぶよ!……それっ!」
しかし、れいむが思い描いたとおりにはならなかった。れいむは自分の跳躍能力を過信していたのだ。
れいむの体は籠のふちに当たって、そのままぼよんと床落ちて2,3回弾んだ。
「ゆ!いたい!!いたいよ!!」
バウンドが止まると、れいむは体勢を整えて籠のほうに目をやる。
そこには…
「ゆゆ…やったね!!さくせんせいこうだよ!!」
先ほどの衝撃で倒れた籠が転がっていた。りんごは床の上に転がってしまっている。
予定とは違うが、結果オーライ。れいむは早速りんごを貪り始めた。
「むーしゃむーしゃ!!しあわせ~!!」
それは、れいむにとって最後の“しあわせ”だった。
時間も忘れて、りんごを食べ続けるれいむ。
ふと、遠くから扉を開く音が聞こえ、続けてお兄さんの声も聞こえてきた。
「ただいまー!」
「ゆ゛っ!?」
そこで、れいむは初めて我に返った。
周りには食いかけのりんごが撒き散らされている。
そして、倒れたまま転がっている籠。
れいむは今になって気づいたのだ…このままでは、約束を破ったことがバレてしまう、と。
「ゆっゆゆ!!」
慌ててその場を跳ね回るれいむだが、いまさらどうにかなるわけでもない。
台所にやってきたお兄さんに、決定的な犯行現場を目撃されてしまった。
目の前の惨状に、思わず声を上げてしまうお兄さん。
「これは…!」
「ゆゆっ……お、おにーさんのりんごおいしかったよ!!もっとたべさせてね!!」
こんなことを言いながら、精一杯媚びた笑顔を浮かべるれいむ。
一瞬お兄さんのこめかみに青筋が浮かんだが、れいむはそれを見ていなかった。
「…はぁ」
大きなため息をつくと、お兄さんはれいむの方へと歩み寄る。
何かされると思ったれいむは、強く目をつぶった。
「ゆゆ!!ゆっくりやめてね!!……ゆ?」
次にやってきたのは、痛みではなく浮遊感だった。
目を開けると、れいむはお兄さんに抱きかかえられており、そのまま最初の部屋に連れ戻された。
宙で手を放され、ぽよんと床に落ちるれいむ。
「ゆ?ゆるしてくれるの!?」
お兄さんを見上げて声をかけるが、お兄さんは無言で台所へ行ってしまった。
おそらくれいむが荒らした台所を片付けるためだろう。
とりあえず危機は去ったと思ったれいむは、その部屋でゆっくりし始める。
床の上をコロコロ転がったり、ベッドの上でぽんぽん弾んでみたり。
でも、お兄さんがいつまでたっても戻ってこないので、れいむは退屈になってきた。
ちょうどそのとき、れいむはあることを思い出して…お兄さんのいる台所へと向かった。
そこでは、れいむが食べ散らかしたりんごをお兄さんが片付けている最中だった。
「おにーさん!!おみやげはどこ!?れいむにゆっくりちょうだいね!!」
「……」
満面の笑みを浮かべるれいむに、沈黙するお兄さん。
お兄さんの顔はぴくりとも動かず、台所の片づけを続けている。
何か返答があるのだろうと待っていたれいむだが、いつまでたってもお兄さんは答えてくれない。
「おにーさん!!おみやげちょうだい!!れいむにちょうだい!!」
ぽんぽんお兄さんの目の前で跳ねて見せるが、お兄さんはまったく目もくれない。
邪魔そうにするそぶりすら見せない。
やがて台所を片付け終えると、お兄さんは先ほどの部屋に戻って本を読み始めた。
「れいむをむししないでね!!れいむにおみやげちょうだいね!!」
お兄さんの視界に入るように、喚き散らしながら上下に跳ねるれいむ。
それでもお兄さんはまったく反応しない。まるで、れいむが見えていないかのように…
さすがのれいむも、何かが違うと感じ取ったのだろう。
形容できない怖さに身を震わせながらも、れいむは必死にお兄さんの目の前でジャンプする。
「おにーさん!!れいむはここにいるよ!!むししないでね!!」
が、返されるのは沈黙だけ。
お兄さんは本を読み終えると、それを本棚に戻してベッドにもぐりこんでしまった。
歯を食いしばって「ゆぎぎぎ…」と唸るれいむ。
もう何がなんだか分からないが。とにかく怒りと不安だけが蓄積されていく。
「おきてよ!!ねないで!!れいむといっしょにゆっくりしていってね!!」
お兄さんはまったく反応せずすやすやと眠っている。
れいむはお兄さんの体の上に乗ってどんどん跳ねるが、それでも目を覚まさない。
一体どうしたら自分の相手をしてくれるのか、れいむには全然わからなかった。
「ゆ゛っくりしてい゛ってね゛!!!!ゆ゛っくり゛してい゛ってね!!!!」
れいむの貧弱な語彙力では、もうそれしか言うことはなくなってしまっていた。
結局、れいむは疲れ果てて眠りにつくまでの10時間、ずっとお兄さんを起こすべく跳ね続けたのだった…
「……ゆ!?ゆっくりしていってね!!」
差し込む朝日のまぶしさで目を覚まし、いつもどおりの言葉と共に起き上がるれいむ。
周りの状況がいつもと違うので最初は戸惑ったが…
ぐるぐる周囲を見回して、少しずつ自分が置かれた状況を理解する。
ここはお兄さんの部屋。そして自分はベッドの上にいる…という具合に。
目が覚めてくると、まず最初に視界に入ったのはお兄さんの姿だ。
お兄さんはテーブルに向かって何かをしている。
興味をそそられたれいむは、跳びはねてお兄さんの足元へと向かった。
「おにーさん!!なにしてるの!?れいむにゆっくりみせてね!!」
黙殺するお兄さん。
お兄さんは味噌汁を啜ったり、目玉焼きを口に運んだり…簡単に言えば、朝食をとっていた。
口に何か物を入れる動作を見て、すぐにそれが食べ物だと分かったれいむは…
「れいむもおなかすいたよ!!ゆっくりごはんをもってきてね!!」
…お兄さんは沈黙したまま食事を続ける。
れいむはお兄さんの脚に体当たりするが、お兄さんは何事もないように沈黙を守ったまま。
しばらくすると、食事を終えたお兄さんはお皿を抱えて台所に向かう。
「ゆ!!おなかすいたよ゛!!ごはんをもってきてね゛!!」
涙目になりながらお兄さんの前に立ちはだかるが、れいむに見向きもしないお兄さんはそのまま歩き続け…
ぽーん!!
「ゆぎゅ!?」
れいむは軽く蹴飛ばされてコロコロ転がり、ゴミ箱にぶつかって止まった。
倒れたゴミ箱からばらばらとゴミがあふれ出し、れいむはその下敷きになってしまう。
「ゆぐっ!!ぐるじいよ!!おにーざんだずげで!!」
ちょうど台所から出てきたお兄さんは、散らばっているゴミを見ると不思議そうな顔をしてれいむのほうへ
歩み寄ってきた。
やっと自分を見てくれた…そう思ったれいむは、心から安心しきっていた。
ところが…
「はぁ…何もしてないのに、どうしてゴミ箱が倒れてるんだろう?」
「ゆ!!れいむがぶつかってたおしたんだよ!!ゆっくりここにいるよ!!」
「うーん…ここら辺は後で掃除しないといけないな」
やはりお兄さんは、れいむなど存在しない、という風に振舞っている。
ゴミを粗方片付け終えると、お兄さんはそのまま本棚の前でこれから読む本を選び始めた。
「ゆぐぐぐぐ!!どうじでむじずるの゛!?れいぶはごごにいるのにぃぃぃぃぃ!!!」
涙声で訴えるれいむ。しかし、その訴えもお兄さんには届いていないようだ。
お兄さんの読書タイム。
れいむは、椅子に座りテーブルに向かって読書するお兄さんの足元で、ずっと喚き続けた。
「おにーざん!!おながずいだよ!!ごはんもっでぎでね゛!!!」
「だいぐづだよ!!いっじょにゆっぐりじようよ゛!!!」
「おねがいだがらごっじむいでよ゛!!れいぶをぶじじないでえ゛え゛え゛ぇぇぇ!!!」
とうとう泣き始めるれいむ。それでも、お兄さんはまったく反応を示さない。
もっともっとお兄さんに呼びかけたかったが、空腹のせいで体に力が入らない。
れいむはそれでも声を張り上げながら、お兄さんの脚に自分の体を擦り付けることで気を引こうとした。
そのままお兄さんは読書を続け…4時間が経った。
「ゆ゛っ…ゆ゛っぐり゛じようよぅ…!」
声を張り上げようとしても空腹は限界に達しており、また喉もかれていたのであまり声が出ない。
どうしてお兄さんは自分にまったく見向きもしないのか。
自分はここにいるのに、どうしてお兄さんは自分がいないように振舞うのか。
れいむは必死に考えたが、すぐに餡子脳の限界に達してしまって考えるのを止めた。
れいむには、お兄さんがとる行動の意味も、自分が昨日約束を破ってしまったことも、まったく頭の中に
なかったのだ。
そして12時。昼食の時間である。
お兄さんは電話の受話器を上げて、どこかに電話をかける。
「えーと、味噌ラーメンと…ギョウザ!…そうです、どっちも一人前で」
ラーメンの出前だった。しかし、れいむは昼食のメニューよりも『一人前』という言葉がショックだった。
「ふだりだよ゛!!れいむ゛もいるがら!!だべぼのはふだりぶんだよ゛!!!」
やはり、自分の存在を認識されていない。餡子脳でもそれがハッキリとわかった。
しばらくしてやってきた出前のおじさんから品を受け取り、代金を支払うお兄さん。
味噌ラーメンとギョウザ。確かに頼んだものが届いた、と確認する。
しかし、その目は…れいむの姿をまったく捉えていない。
「はふっ!…あーうまい!!」
ひとりで昼食をとり始めるお兄さん。
その間、れいむは足元でひたすら食べ物をねだり続けるが…答えは返ってこない。
「おながずいだよぅ…ゆっぐりでぎないよぅ…!」
朝昼と2食も食事を抜いているため、れいむは普段の元気を失っていた。
無理やり食べ物を横取りしようにも、テーブルはれいむが飛び移ることの出来ない高さだ。
そして、お兄さんに体当たりしても全然びくともしない。
万策尽きたれいむは…
「ゆ……おねがいだがらゆっぐりざぜでよぅ!!」
その言葉をお兄さんに無視されると、ずりずり這いずってベッドのほうへ向かった。
もうベッドの上に飛び移る体力もないれいむは、そのままうとうとし始めた…
それから一週間。
れいむはことあるごとにお兄さんの気を引こうとしたが、その全ては完全に黙殺された。
お兄さんは食事を全てテーブルについて取るので、れいむは横取りすることも出来ないし、
おこぼれにあずかることも出来ない。
まともな食事にありつけないれいむにとって、唯一の食べ物…
それは、時折どこからともなくやってくる蚊やハエ、そしてゴキブリだった。
「むーしゃ…むーしゃ…」
…全然“しあわせ”じゃない。
人間に例えれば雑草を茹でて食べるような行為を、れいむは続けるしかなかったのだ。
たまにお兄さんがしゃべる時といえば、それは電話の相手との会話だった。
最初は自分に話しかけてくれたと喜んで跳ねるのだが、すぐにそれがぬか喜びだと思い知らされた。
電話の相手と談笑するお兄さんに背を向けて、れいむはテーブルの下で「ゆっぐりぃ…」とため息をつく。
外に出たい、という願いも無視されるため、家の外に出ることもできない。
れいむの体の構造では、玄関の扉も窓も自力で開けることができないからだ。
「みんなでいっしょにゆっくりしようね!!」
「ゆゆー!!おかーさんおうたうたってー!!」
「ゆっゆっゆ~♪ゆゆっゆゆ~♪」
「ゆっぐ…いっじょにゆっぐりじだいよぉ……!!」
窓の外で仲良くゆっくりしているゆっくり一家を見て、れいむは悔し涙を流した。
どんなに大声を上げても、外のゆっくり一家は振り向いてはくれなかった…
当然、お風呂にも入れてもらえない。
「すっきりしたいよー!!」とお兄さんの目の前で跳ねてみたこともあった。
しかし、お兄さんはそれに気づかずにれいむを蹴飛ばして、風呂場へ去っていってしまう。
れいむは壁にぶつかって…「ゆっ、ゆっぐ…」と涙を滲ませた。
ただ蹴られただけなら、こうはならない。
「けらないでね!!ゆっくりあやまってね!!」と謝罪を求めるぐらいのことはするだろう。
だが…このれいむは、ただ蹴られたのではない。自分の存在が、お兄さんに認められていないのだ。
お兄さんには自分が見えていない。自分が聞こえていない。お兄さんの中には、自分が…いない。
「れいむ゛はごごにいるのに゛!!どぼじでむじずるの゛!?」
どんなに泣き喚いても、お兄さんはこっちを向いてくれない。慰めてもくれない。
自分はここにいるよ。ずっと前からここにいるよ。だからこっちを向いて!
そんな心からの叫びも、ことごとく受け流される。
「ゆっぐ……ゆっぐりぃ……ゆっぐりいいぃぃぃ…!!」
れいむを腐らせるのは、この上ない孤独。
腐っていくのは体ではない、心である。
自分と同じ姿をしたゆっくりの幻覚を見ては、それに話しかけようとするが…
「ゆっぐりじでいっで……あぁぁぁぁぁなんでいなぐなっぢゃうのおお゛お゛お゛!??」
何かの見間違いだったのだろう、それはすぐにかき消えてしまう。
かつてはただの食料でしかなかったハエやゴキブリに対しても…
「ゴキブリさん…いっしょにゆっくりしようね…!」
などと話しかけて、頬ずりまでしようとする始末。
ゴキブリがどこかに去っていくと、れいむは孤独によってさらに心をえぐられるのだった。
そしてさらに一週間がたって…
れいむに、転機が訪れた。
「ゆっ……ゆっ…」
意味もなく、意味のない声を出し続けるれいむ。
精神的なダメージは限界に来ていた。
目はすでに輝きを失い、満足な食料を得られないために体中が乾ききっていた。
唯一潤っていると言えば、だらしなく開いた口から漏れている涎ぐらいだろう…
お風呂に入れてもらっていないため、髪はボサボサで髪飾りも黄色く変色していた。
「ただいまー」
そこへ、仕事を終えて帰ってきたお兄さんが現れた。
いつもなら目の前のれいむの存在などまったく気にしないで、ベッドで休憩するのだが…
今日のお兄さんは、いつもとは様子が違った。
「…え、れいむ?」
「ゆっ!?」
テーブルの下に篭っていたれいむは、最初何が起こったのかわからなかった。
お兄さんが、二週間ぶりに自分の名前を口にした。
れいむは驚きと喜びのあまり、うまく声が出なかった。
でも…気のせいではない。お兄さんはじっとれいむの方を見ている。
お兄さんの目には、確かにれいむの姿が映っているのだ。
「れいむ…やっと帰ってきたのか!!今までどこに行ってたんだ!?」
そう言ってれいむを抱き上げ、強く強く抱きしめる。
れいむは苦しくてたまらなかったが、それよりもお兄さんが自分を見てくれたという喜びが勝った。
今なら…今だけなら、どんなに強く抱きしめられても、我慢できる。
とめどない涙で前が見えなくなっても、全然気にならなかった。
お兄さんがれいむを放すまで、れいむは抱きしめられたままゆっくりし続けた。
これでやっとゆっくりできる。もう一人ぼっちじゃない。
これからはお兄さんと思う存分ゆっくりできるんだ…!
そして、れいむをベッドに置くとお兄さんはれいむを見下ろして問い始める。
「今までどこに行ってたんだ!!勝手に出て行ったらダメじゃないか!!」
「ゆっ!!れいむずっどごごにいだよ゛!でもおにーざんがむじじだんだよ゛!!」
「はぁ?どうしてそんな嘘をつくんだ!ずっとれいむを心配してたお兄さんの身にもなってみろ!!」
バン!!とテーブルを強く叩く音に、れいむは身震いした。
「で、でも゛!!ほんどだよ゛!!れいむはずっどゆっぐでぃおうぢにいだよ゛!!!」
「まだ言うか…そんな嘘をつくれいむとはゆっくりできないな」
「ゆ゛!?」
“れいむとはゆっくりできない”
いやな予感がした。
よくわからないけど…よくわからないのに、れいむは震えていた。
何かが怖い。それが何なのか分からないけど、とにかく怖い。
「れいむがそういう嘘をつくのなら……お兄さんは『一人でゆっくりする』よ」
びくっ!!
何もされていないのに、れいむの体が痙攣した。
脳裏に思い浮かぶのは、お兄さんに無視され続けた二週間の出来事。
次の瞬間には、れいむは先ほどの態度と打って変わって、泣き叫びながら必死に謝罪し始めた。
「いやだあああああああおぁっぁぁぁ!!!ひどりでゆっぐりじないでええ゛え゛え゛え゛ぇぇぇぇ!!!
れいむもいっじょにゆっぐりざぜでよお゛お゛お゛お゛ぉぉぉぉぉ!!!」
「『一緒にゆっくりさせてください』…だろ?」
「いっじょにっ!!おねがいでずがら!!いっじょにゆっぐりざぜでぐだざい゛い゛い゛ぃぃぃ!!!」
「よし、そこまで言うならしょうがない。許してあげるよ!」
普段どおりの、優しいお兄さんだった。
それから。
お兄さんとれいむは、いつまでも一緒にゆっくりし続けた。
たまにれいむが何か文句を言うと、お兄さんは優しくこう問いかける。
『一人でゆっくりするかい?』
そう問いかけてやれば、れいむは必ず文句を言うのを止めた。
不味いご飯も我慢した。三日お風呂に入れてもらえなくても我慢した。
外に出してもらえなくても我慢した。遊んでもらえなくても我慢した。
砂を食べさせられても我慢した。熱湯を飲まされても我慢した。
目にわさびを塗られても我慢した。舌にからしを塗られても我慢した。
頭に穴を開けられて、餡子を少し吸われても我慢した。
かなづぢで体中を叩かれても我慢した。釘で貫かれても我慢した。
体の一部をちぎられても我慢した。自慢のリボンを取られても我慢した。
髪の毛を引きちぎられても我慢した。タバコの火を押し付けられても我慢した。
舌をちぎられても、目をえぐられても、とにかく我慢した。
ただただ、あの一言が怖かったから。
『一人でゆっくりするかい?』
その言葉が聞きたくないから、れいむは我慢し続けた。
お兄さんとれいむは、いつまでも一緒にゆっくりし続けた。
にっこり微笑むお兄さんに、原形をとどめない顔で微笑み返すれいむ。
お兄さんは…とてもとても、優しかった。
GOOD END
あとがき
いつもよりあっさり、それでいてマイルドに仕上がったと思います。
ごゆるりと…
作:避妊ありすの人
最終更新:2022年05月03日 16:06