休日の朝、卵がフライパンの上で焼かれて香ばしい香りが鼻をくすぐる。
「おなかすいたよ!ゆっくり焼いてね!」
「はいはい」
足元のゆっくりまりさがそわそわとしながら
急かしているのだかそうでないのかよくわからないことを言ってきたので僕は目玉焼きに集中しながら適当に相槌を打った。

僕が三歳の頃から、妹は生まれたときから生活を共にしてきた我が愛する忠犬ミケ
(毛が白黒茶色の三色なのでそう名づけた)が天寿を全うし
傷心の妹の手により先月その後釜に納まったのがこのゆっくりまりさである。

僕は本当は今度飼うペットも犬が良かったのだが妹が強く主張したため他の家族は折れた。
その時は別にゆっくりでも構わないだろうと思っていたが
はっきり言ってこのゆっくりという奴はミケとは比べ物にならないほど出来の悪いペットだった。
手間は犬の倍かかるし役に立たないし主人を敬う気持ちは無いし可愛さも僕は微塵も感じない。
妹がこいつを溺愛できるのも面倒な世話は殆ど僕に任せているからだろう。
今だってこうやって昨晩早起きすると宣言したにも関わらず部屋から出てこない妹の代りに朝食を作らされている。
ちなみに父は早くに休日出勤、母は昨日から調子が悪かったのでまだ眠っている。

「ほら、出来たぞ」
僕はいい感じに焼きあがった目玉焼きを皿に盛り付けて塩コショウを振りかけてまりさの前に置いた。
湯気が立ち上りここまでいい香りが漂ってくる。
まりさは目を瞑って鼻をくんくんとさせた。
「ゅぅ~んいいかおりだよおにいさん」
満足そうにまりさは頷いた。
「そうか、じゃあ散らかさないようにゆっくり食べろよ」
僕は返事もそこそこに冷蔵庫から卵を一つ取り出すと自分の目玉焼きをつくり始めた。
先に自分の物を作っても良かったが
このまりさがうるさいし腹はそれほどすいてるわけでもなかったので後回しにしたのだ。

「おにいさん!かってにじぶんのごはんつくりはじめないでね!まだおわってないよ!」
訝しげに僕はまりさを見下ろした。
「もう出来てるだろ?」
「ぷんぷん!これじゃあじがないからおいしくないよ!そんなこともわからないの?ばかなの?」
口でぷんぷんと言うなと思い苛立ちながら僕はふくれるまりさに言った。
「いや、塩コショウかかってるから味するし」
まりさはそれを聞いてポカン、と口を開けた。
何事かと思い僕はそれをじっと見ていると、突然まりさは顔を歪めながら目に涙をためつつ声を上げた。
「どお゛ぢでお゛し゛お゛かけちゃったのおおおおおおおおおおおお!?
め゛だま゛やきにはけちゃっぷにき゛ま゛ってるでしょおおおおお!!」
最初に言っておけと僕は心中毒づいた。
「今更そんなこと言われてもな」
僕は困ったように呻いた。
「お゛じお゛がげだらだべらでないよおおお!!お゛に゛い゛ざんのばがあああああ!!」
目玉焼き単体で食べるなら塩コショウが基本だろ
と考えつつこのまま泣き喚きながらゴロゴロされたら鬱陶しいので
まだまりさが口をつけていない目玉焼きを取り上げると
今焼いてる目玉焼きをケチャップ味にするから黙れといった旨の言葉をオブラートに包んで言い放つ。
「わかったよ!まっててあげるからゆっくり焼いてね!」
言葉の節々に心底苛立ちながらも僕は賞賛すべき理性でもって口を閉ざして目玉焼きを焼き上げた。

「ほら、今度こそケチャップ味」
「ゆ!ありがとうおにいさん!
ゆっくりいただきまーす!」
そう言ってまりさはベロで皿の脇に盛られたケチャップを少し舐めとると
それを白身の部分につけて齧った。
「ゆ~、やっぱりめだまやきはこうじゃなきゃ
おしおなんてだめだめだね」
大分冷めた塩コショウ味の目玉焼きを見つめつつ僕は舌打ちした。
「ゆゆ、おたのしみをわすれるところだったよ!
ぷ~に~ぷ~に~…?」
まりさが今度は黄身をベロで突付くと突然顔を青ざめて凍りついたように動きを止めた。
「どおぢでき゛み゛ざんががだいのおおおおおおおお!?」
そしてまた泣き出すと非難めいた目で僕のことを睨み付けた。
「いやだってお前ゆっくり焼いてねって言ってたし
それにケチャップかけるなら黄身は固めだろ
オムライスだってスクランブルエッグだってそれなりに固まってるし」
「ずぐら゛んぶるえっぐどめ゛だま゛や゛ぎはじぇんじぇんぢがうでじょおおおお!?
ぞんなごどぼわがらないがらがらおにいざんはめだま゛やぎを
ごはんのう゛え゛にのぜでお゛じょうゆ゛どばどばかけてだべぢゃうんだよおおおおおおお!!!」
「目玉焼き丼に醤油かけて何が悪いんだよ」
泣き喚くまりさをいい加減殴りたくてしょうがなく感じながらも僕は理性をフル稼働させて抑えようとし
そしてもうガマンしなくてもいいかなぁと拳を握り締めた。

「あーねむ…おはよ~…何やってんの?」
その時、やっと妹が眠たげに部屋から出てきて挨拶もそこそこに僕とまりさの様子を見て尋ねた。
「実はかくかくしかじかで」
僕は掻い摘んで事情を話した。
「じゃあ兄貴もう一枚作ってあげてよ」
すると妹はあっさりとそんなことを言ってのけた。
「せっかく焼いた目玉焼きを無駄に出来るか」
「まりさのはあたしが食べるし」
「ペットの食いさしなんぞ食べるなよ」
「兄貴もミケに顔べろべろ舐められても平気だったじゃない」
「それとこれとは話が別だろ」
「ゆっくり自体まるごと生で食べられるんだから大丈夫だって」
「そういう問題じゃなくて…もういいや」
嘆息しつつ、僕は諦めて台所に行った。
このまま押し問答していても埒があかない。
妹に作らせても良かったがこれ以上リテイクが出ると流石にキレそうだったので
安全策をとって僕が作ることにした。
さっさと適当に焼き上げて、皿に盛り付けぐるりと白身の上にケチャップをかける。
ついでに自分で飲む用のコーヒーも淹れて置いた。
そして右手に皿を、左手にコーヒーカップを持って食卓へと戻った。

「ぷんぷん!ゆっくりしすぎだよ!まりさおなかぺこぺこ!!」
頭からコーヒーをぶちまけてやろうかと思ったがなんとか踏みとどまって床に皿を置いた。
すると妹がまりさを持ち上げて机の上に乗せると皿を床から拾い上げてまりさの前に置いた。
「そいつを食卓の上にあげるなよ」
僕は見咎めて妹に言った。
「いいじゃん別に」
「おかずと間違えたらどうする」
「お菓子じゃなくて?」
面倒くさくなって僕はまた妹に折れた。
これ以上時間をかけると僕の目玉焼きが冷め切ってしまう。
僕はむすっとした表情で食卓につくと目玉焼きとコーヒーだけというシンプルで遅めの朝食をとり始めた。
目玉焼きのみの朝食は味気なくみえるかもしれないが僕も普段からそれほど料理するわけではないし
パンは切らしているからトーストも無理、ご飯は炊いてない、Sのご飯の買い置きも切らした。
コンビニもスーパーも朝から行くには少々面倒な距離にある。
まああまり料理をしたことの無い兄妹の母が居ない時の食事なんてこんなものだろう。
そう自分を納得させる。

「むーしゃ、むーしゃ、しあわせ~♪」
うまそうに目玉焼きを端から齧っていくまりさが視界の端に映って苛立つ。
やはりペットは犬に限ると僕は心の底から再確認した。
「ぷ~に~ぷ~に~まっきっき~のまっかっか~♪」
まりさがベロで目玉焼きを潰して中から出る黄身をケチャップと混ぜこぜにしながら白身に塗りたくる。
そんなことをしながら器用に歌まで歌うのだから驚きだ。
まあ僕からすると非常に音痴で聞くに堪えない歌だが。

そして口の周りがべちゃべちゃに汚れているが、多分最終的に汚れたテーブルクロスやその周りを拭くのは僕だろうと考えて憂鬱になる。
せめて被害を抑えようと目玉焼き相手にはしゃぐまりさに注意しようと口を開きかけた時それは起こった。
食卓の端に居たまりさがテーブルクロスごとずるりと落ちて机の下にぶよんと落ちた。
皿は幸い机の上に残ったが、まりさの目玉焼きは一緒に落ちる。
べちゃりと嫌な音がする。
机の下を覗くとそこにはパジャマをはいた妹の足と、まりさが居た。
目玉焼きを帽子の上に乗せたまりさが。

「あーあーこんなに汚しちゃって…!」
妹が慌てて目玉焼きを皿に戻し帽子を取った。
「ゆてて…ゆ!?」
痛そうに顔を歪めて目を瞑ったまりさが目を開き自分の帽子を見た。
「ま゛り゛ざのだいじなお゛ぼう゛じがああああああああああああああああああ!?」
今朝の内で一番大きな悲鳴をまりさが発した。
まりさの黒い帽子は目玉焼きの直撃からまりさ本体を守った結果ケチャップと黄身がべったりとくっついていた。
「あーあー、こんなに汚しちゃって
どう兄貴?」
「染み抜きしないと後残るだろうな」
「じゃあやってよ、あたし出来ないし」
「これ食い終わったらな」
「い゛や゛あ゛あ゛ああ゛あ゛ああ!!め゛だま゛や゛ぎざんどぼぢでま゛り゛ざのだいじなおぼうぢにごんなごどずるのおおおおおおお!?
ぜっかくれ゛いむ゛がすでぎっでほべでぐでだのにいいい!!み゛ん゛な゛にみぜら゛でないいいいいいいいいいいいいい!!!!」
体を悲しみで震わせボロボロ涙を流しながら泣き喚くまりさを見て、俺は心の中で大声で言った。

『ざまあみろ』と

冷めた目玉焼きとコーヒーが無性にうまくて仕方が無かった。

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最終更新:2022年04月16日 00:03