その日から、娘に新しい楽しみが増えた。毎朝寸胴鍋の蓋をあけて、中を確認する。既
に、鍋底のまりさは一匹残らずぴくりとも動かなくなっていた。恨みがましく見上げてく
る虚ろな目を見ないよう、水上の二匹は水の中を覗き込まずにゆっくりすることに努めて
いた。この二匹はいつまでゆっくりできるのだろう。はやくどちらかが沈まないだろうか。
そんな事を考えながら、娘は水面にゆっくりフードを落とした。
娘はスツールを引っ張ってきて腰掛け、洗った子ありすが蒸しあがるのを待っていた。
足は焼いていないため、蒸気と熱気で赤く茹だったありすは、ばんばんとウォーターオー
ブンの前面の耐熱ガラスに無力な体当たりを繰り返していた。熱いガラスに顔から突っ込
みながら、口をいっぱいにあけて何やら叫んでいるが、娘には届かない。届いたところで、
どうせ大したことは言っていないし、ましてやかの女にはゆっくりの命乞いなど、何の意
味ももたないのだから。
甲高い電子音に娘は振り返る。湯気の上がる庫内には、いつの間にか動かなくなった子
ありすが寒天の目玉を白く濁らせ、横向きに転がっていた。灼けたガラスとキスをしすぎ
たのか、口は赤く腫れ上がって開かなくなり、熱せられたカスタードを吐きだすこともで
きずに頬をいっぱいに膨らませ、コミカルな苦悶の表情が張り付いている。トングで取り
出して頭を水平に切り落とすと、中のカスタードは固まって見事なプリンの完成である。
娘はポットで蒸らしていた紅茶を注ぐと、出来たてを一匙。
「あ、結構いける……プリン用ぷちありすとか売ってないかしら」
ほんの三掬いで子ありすの中身は空になった。娘は紅茶のカップを傾けると、中身を失
い、ぺらぺらになった皮をゴミ箱に放り込んだ。リビングに戻った娘は透明な箱の防音蓋
を外し、子ゆっくりに微笑みかけた。
「おはよう。ゆっくりしていってね」
「ゆっくりしていってね!」
変わらない挨拶を返すものの、子ゆっくりの表情は少しずつ、だが確実に曇ってきてい
た。お歌でも、追いかけっこでも、すりすりでも、なぜかゆっくりできない。ゆっくりし
たらお仕置きされる。娘の言葉は箱の中の子ゆっくりたちを確かに内側から苛んでいた。
子ゆっくりの餌は今日も固形ゆっくりフードだけ。鬼意製薬のゆっくりフードは、ペッ
ト用子ゆっくりならば一日一粒与えておけば、大きく成長させることなく快適に飼うこと
ができる。現代人の住環境に配慮した適切なゆっくり分で、一粒の大きさが計算されてい
た。また、成長させたければ袋に記載された規定量に従って与える量を増やせば良いだけ。
ペレットを箱に流し込み、子ゆっくりが二粒目にありつこうと苦悶している間に、娘は
次々に子みょんを箱から取り出しはじめた。
「むーしゃ……みょん?」
「むぐ、むぐぐ……しあ……!」
つまみ上げられた事に気付くと、ぶるぶる震えて声をあげていないアピールをする物も
いれば、口をついて出そうな言葉を頬を膨らませて耐えている物。噛まずに飲み込もうと
して、目を白黒させて砂糖水を垂らしている物まで、子みょんは皆違う反応で、ゆっくり
できないご飯の時間を過ごしていた。娘は他の子ゆっくりが気付く前に、箱に残っている
みょんを全てエプロンに乗せてしまうと、静かにキッチンへと姿を消した。ボウルにいれ
てお皿で蓋をしてしまえば、子ゆっくりにはもう逃れる術はない。透明な箱に防音蓋をす
れば、食べ終えて疲れ果てたような顔をしてゆっくりしている子ゆっくりに、キッチンで
何が起ころうとも伝わることはない。
娘はみょんの入ったボウルをまな板の上に置き、蓋になっていたお皿を流しに入れると、
とりあえず一匹取り出して眺める。下膨れでふてぶてしい顔がなんとなく気に障ったの
で、娘はその無防備な眉間に竹串を深々と突き立てた。
「みょ゙ん゙?」
刺された子みょんは柔らかく弾力のある皮を貫く串を不思議そうに寄り目になって見つ
めていたが、痛みに気付くと火がついたように泣き叫び始めた。苦痛に転げ回ろうとする
も娘は軽く握ってそれさえ許さない。指の中でじたじた暴れる感触に頬を緩め、次に娘は
脳天にぶすりと刺す。さらに、両のこめかみに一本ずつ。痛みに痙攣している子みょんを
ボウルに戻し、紅茶のカップを取りに行っていた娘は小さく感心して片眉を上げた。なん
と、ゆんゆん泣きわめく子みょんに刺さっている竹串を、他の子みょんが咥えて引き抜こ
うとしていたのである。
「おねえさんひどいみょん!」
広いとは言えないボウルのなか、苦痛に暴れる子みょんから口だけで竹串を引き抜くの
は容易いことではない。逆に刺さりそうになって悪戦苦闘しているのを後ろにかばい、ぷ
くー、と膨れて威嚇している一匹を取り上げ、娘はまじまじと眺める。
「なんとかいうみょん!」
目をいっぱいに見開き、頬を膨らませて睨み付けるその目が、どれほど娘に魅力的に
映っているか、怒りに震える子みょんは知らなかった。にこやかに笑う娘は竹串をみょん
のぷりっとした寒天の目玉に突き立てる。
「み゙ょ゙お゙お゙お゙?!」
皮に比べれば僅かな、つぷり、とした抵抗の後は、するりと串が入り込んでいく。歯を
剥き出しにして絶叫をあげている間に、娘は笑顔でもう片方の目にも竹串を突き立てた。
「たいへんみ゙ょ゙ん! なんにもみえないみ゙ょ゙ん゙ん゙!」
悲鳴を上げる子みょんの半開きの口から覗く舌にもぶっすりと竹串を刺し、口から引き
ずり出すと、軽くこじっただけで竹串は小さな舌を貫通してしまう。これでもうこの子
みょんの舌は竹串が邪魔で口に戻らず、言葉をしゃべることもできない。もはや濁った雑
音を張り上げる事しかできなくなった、勇敢な子みょんをボウルの前のよく見える所に置
くと、娘は震える銀色の髪を軽く撫でて微笑んだ。
「や、や゙めるみょん! ゆっくりするみょん!」
「最初に言ったでしょう。お姉さんは絶対に助けません」
裏返された三匹目の、逃れようと暴れるあんよに竹串が突き立てられていく。一本、二
本、その度にみょんみょんと悲鳴があがる。∵か、四脚か、娘は串を片手に考える。そし
て、かの女の導き出した解答は、大変シンプルなものだった。
「両方やってみましょう」
三匹目の底の四隅に竹串を突き刺してまな板に立てると、胴が短すぎ、足の長すぎる不
細工な野菜の馬のような、アンバランスなオブジェができあがった。二匹目の両目を刺し
ている間に、三匹目に串を抜いて貰えたようで、穴だらけになって痙攣している最初の子
みょんを手に取り、娘は竹串を片手に微笑みかけた。
「ゆっくりやめるみょん! ゆっくりしてみょぎぃ゙ぃ゙!」
こちらの子みょんは前に二本、後ろに一本の三点支持。苦痛に身をよじり、涙を流す奇
怪なオブジェを向かい合わせにまな板に並べ、娘は満足そうにカップを口に運ぶ。
「い゙だい゙みょ゙ん゙!」
「あんよがいだいみょん゙!」
ある程度育ったゆっくりであれば、自重で貫通されるか、あるいは竹串が折れたかもし
れなかった。しかし、子ゆっくりではそれほどの重さはなく、ただ苦痛に泣き叫ぶばかり。
娘の予想では、苦しみもがき、のたうつ震動が竹串を伝ってトテトテと歩く、はずだった。
目玉と舌を貫かれ、砂糖水を垂れ流して痙攣しているみょんの竹串を指先で弾き、悲鳴
を絞りだしながら待っていたが、娘がどれほど待とうとも、その場で震えるばかりで動き
だしさえしなかった。
「後ろから押せば動くかしら」
「み゙ぎょ゙ん゙!」
苦痛が足りないのか、構造に欠陥があるのか。娘は一人ごちて、三本足のあんよにぶす
りと竹串を刺してみた。苦痛は足りないどころか小さな子ゆっくりには十二分のようで、
一際大きく震えると子みょんは口から練乳をどろりと吐き出すと、二度と動かなくなった。
「あらあら……」
「み゙ょ゙っ! み゙ょ゙お゙ん゙! せーばいぃ゙!」
それを目にした四本足の子みょんは怒りに目を剥いて、娘に跳びかかろうとするものの、
竹串で支えられた身体はままならない。逆に暴れたことで竹串が奥深くまで刺さり、脳天
まで貫いた串を練乳で白く汚し、まな板にずるりと滑り落ちた。激痛に震えながらも、串
が貫通したことで、あんよはまな板をしっかと踏みしめている。子みょんは身をたわませ、
ゆっくりできないお姉さんへ、せめてもの一撃を加えるべく、力を振り絞って跳ねた。
「みょぐっ!」
しかし、待ちかまえていたのは、娘の突き出す竹串の先端。だらりと垂れ下がって震え
るゆっくりの身をまな板に戻し、娘は片手に竹串の束を構えた。
「みょ゙ん゙……みょ゙お゙ん゙!」
「何本目に死ぬかしら」
悲鳴を上げるお口は、二度と閉じないようにつっかえ棒のように貫かれた。バカっぽい
から。そんな理由で頭頂部に竹串が深々と突き立てられた。柔らかな下膨れの頬を、横一
文字に竹串が貫いた。まるでフィクションのなかのステレオタイプな未開の部族の装身具
みたい。唐突な連想に、娘は小さく鼻を鳴らす。砂糖水の涙を流し、睨み付ける目だけは
傷つけないよう、娘は小さな子みょんに器用に竹串を貫通させていく。
九本目でゆ゙っゆ゙っと悲鳴をあげ、痙攣するだけになった練乳まんじゅうは、皮を貫く
竹串を捻って引き裂かれ、ゴミ箱に投げ捨てられた。もう一匹も串を貫通させて皮を引き
ちぎられ、ゴミ箱に放り込まれた。そして娘が処理を終える頃には、両目と舌を貫かれて
放置されていた子みょんも、苦痛の中で練乳を全て吐き出し、燃えるゴミに出しても構わ
ない残骸になっていた。
「おはよう。ゆっくりできたかしら?」
「ゆっくりしていってね! ゆっくりさせてね!」
反射的に挨拶を返してから、子ゆっくりたちは娘に悲しそうな顔を向けた。初日のゆっ
くりさせない宣告、毎日あまあまをくれるおねえさんは、実はゆっくりできないおねえさ
んなのだ。まりさが、みょんがいなくなってやっと、子ゆっくりたちは娘が本当に自分た
ちを一人残らず永遠にゆっくりさせようとしている事が理解できた。理解したところで箱
からは逃れられず、苦痛と、永遠のゆっくりから逃れることもできない事に変わりはない。
「ゆっくりしたいよ! おねえさん、ここはゆっくりできないよ!」
「そうよ。お姉さんがゆっくりさせません」
即答に固まる子ゆっくりのなかから、目なし以外の残り四匹のちぇんを全て取り出すと、
娘は跳ね回って逃げようとするちぇんのしっぽをつまんで束ねていった。二本ずつのしっ
ぽを四匹分まとめると、輪ゴムで縛って接着剤をたっぷり垂らす。すぐに箱に戻しては、
ただでさえゆっくりできない子ゆっくりが臭いで弱ってしまうかもしれない。娘は乾くま
では紙を敷いたバットに乗せて様子を見ることにした。
「わからないにおいだねー」
「ゆ゙ぎっ!」
「おしっぽがわがらないよ゙!」
落ち着きのないちぇんは、目を離せばすぐ跳ね回ろうとする性質がある。しっぽの違和
感を確かめようと跳ねた一匹は、半ばから固められた尻尾で飛びだすことができず、顔か
らバットと仲良くなってしまう。他の三匹も尻尾を引っ張られる痛みに身悶え、お互いに
跳ねて逃げようとしては尻尾を引っ張りあい、激痛の連鎖にのたうち回る。
ゆっくりは構造上、全身で振り向かない限り後方が見えない。苦痛の中ちぇんが理解し
たのは、尻尾が動かせないこと、動こうとすると尻尾がちぎれそうに痛むこと。そして、
近くにいる仲間が悲鳴をあげると、一緒に尻尾が痛くなること。つまり、二度と自由に跳
ね回ることはできないのだ。そしてそれは、活発なちぇん種にとって、とてもゆっくりで
きないことだった。
「わ゙がる゙よ゙ー……」
「うごいたらいたいんだねー……」
「ゆっくりできないねー……」
寸胴鍋のまりさのゆっくりできない水上生活を確かめ、娘が戻った時には四匹ともすっ
かりバットと親交を深めていたようで、平らになった顔を赤くしてすすり泣いていた。透
明な箱の中で心配そうな子ゆっくりににっこり微笑みかけると、娘は接着剤の臭いも薄れ
てきた一塊のちぇんを戻してゆっくりさせない餌の時間にすることにした。
外向きの円陣を組んでしっぽを束ねられた四匹のちぇんは、まず身動きがとれないと評
しても過言ではない。移動するには他の三匹が構造上見えない方向へと跳ばなければなら
ない。さらに四匹が同時でなければ、尻尾が引っ張られて激痛が走る。思うように動けず
ゆっくりできない上に、このままではゆっくりフードを取りに行くこともできない。
ゆっくりできずに衰弱して干からびるのか、他の子ゆっくりが餌を食べさせて少しは長
らえるのか、娘は満面の笑みを浮かべ、悶絶しながらむーしゃむーしゃしあわせー、を我
慢している子ゆっくりたちを眺めていた。
「ゆっくりたべさせてあげるね!」
「わかるよー、なかまはうれしいよー」
歓喜の声を堪えて二粒、あるいは一粒食べ終え、娘をゆっくりできない顔で見上げてい
る他の子ゆっくりをよそに、煙突まりさとオレンジレイムは、咥えてきたペレットを身動
きできない逆スクラム状態のちぇんの前に置く。涙を浮かべ、どのちぇんも口々に餌を頬
張る。嬉しそうな一団に、娘は唇の端を吊り上げた。
「ゆゆゆゆゆゆゆゆっくりやめてよね! とかいはじゃないわわわああああ!」
丁度目があったありすを箱から取りだし、手動コードレス逆バンジーで悲鳴をあげさせ
ながら、娘はぼんやり考えあぐねていた。透明な箱の中では、カラフルな下膨れの生首ま
んじゅうがちらちらと娘の様子を伺いながら、恐る恐る這いずったり、一塊りになって頬
ずりしたり、ゆっくりできなさそうにしていた。連日のお仕置きの成果で、既に娘が何を
しようと不満の声をあげるゆっくりはいない。できることはせいぜい、娘に目を付けられ
ないよう願いながら、不安を紛らわすために仲間とすりすりする程度だった。
ところで、賢明な読者諸氏には何かを手慰みにお手玉のように投げ上げていると、いつ
の間にか投げる高さが増していって、わかっているのに取り落とし、席を立って取りに行
かざるを得ず、余計にイライラした経験はないだろうか。胸、肩、顔、頭を越え、ありす
は頬を膨らませ、鈍い呻き声をあげて宙を舞う。その声に見上げた娘と、助けを乞うよう
なありすの視線が重なった。
「ゆぐぐぐぐぐ! ゆぶぅぅう!」
「あっ、あ……!」
このままでは吐かれてフローリングが汚れてしまう。慌てて差し出した娘の両手は、し
かし斜め上へとありすを弾く。夢中で伸ばした指先を擦って、ありすは勢いよく床に叩き
つけられた。バウンドするたびにカスタードを点々と残し、弾む子ありすは壁際まで転
がっていく。苦笑する娘が拾い上げると、ありすはカスタードを全て吐き出してほとんど
皮だけになってしまっていた。
「ぁー……」
「ぼっ……ど……ゆ゙……きゅぢ……」
壁際でしゃがみこんだ娘の指先、虚ろな目をした子ありすの頬はこけ、力無く開いたま
まの口からは、ありすの残滓がでろりと垂れ落ちる。娘は肩を落とし、キッチンペーパー
を取りに、とぼとぼとキッチンへ向かった。
掃除を終えた娘は、いそいそとオレンジレイム以外の、残る全てのれいむを取り出した。
キッチンでしか楽しめない遊びのために、エプロンに乗せて流しに運んでいく。れいむと
いえばおりぼん。今までかの女がれいむをほとんど減らしてこなかったのは、これをやる
ためと言ってもよかった。
「ゆーん! おそらをとんでるみたい!」
「ゆっくりはやいね!」
三角コーナーいらずの生ゴミ袋は外してゴミ箱へ。娘はキッチンペーパーで流しの水気
を拭きとっていく。前屈みで手を動かすたびに揺れるお胸を見上げることができたのは、
ボウルに放り込まれた四匹のれいむだけだった。
「あなたたち、お歌は好きよね」
「おうたはゆっくりできるよ!」
「れいむじょうずにうたえるよ!」
「ゆゆ~ん、ゆ~ん」
無邪気な子れいむたちをそっと撫でながら、娘は寸胴鍋の蓋を外す。姿は見えないが、
これで声は聞こえるようになった。
「れいむのこえがするよ! ゆっくりしてよー! ゆっくりしてよー!」
「まりさもれいむのおうたでゆっくりしてね!」
流しからは見えない寸胴鍋の中から、二匹のまりさは声を張りあげる。声はすれども姿は
見えず、水面でどれほどゆっくりできない思いをしているか想像すらできず、れいむたち
は暢気に歌いはじめた。
「ゆっくり~のひ~、すっきり~のひ~、まったり~のひ~」
「うたってないでゆっくりさせてね!」
「なにいってるの? おうたはゆっくりできるんだよ!」
悲痛な声をあげるまりさも、直接見えないれいむたちにはただのリスナーでしかなかっ
た。いよいよ調子があがってきて、ゆっくりした顔でお歌に夢中の一匹に、娘は手にした
チャカマンを静かに近づける。細い指がトリガを引き絞ると、炎がれいむのおりぼんをじ
りじり焦がしていく。飾りに火がついたことを確かめ、娘は筒先を離した。
「ゆゅ、へんなにおいがするよ?」
「たいへんだよ! れいむがかじだよ!」
「ゔわ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ?!」
燃え広がり、おりぼんが景気良く炎を上げ始めると、調子外れのお歌をがなりたててい
他の三匹が悲鳴をあげる。頭が火事になって大パニックのれいむの周りで跳ね回ることし
かできないれいむを一匹ずつ取り出し、娘は手早く着火していく。
「あたまがあついよ!」
「もえちゃうよ! ゆっくりたすけてね!」
娘が息を飲んで見つめる中、飾りから飴細工の髪に火が移り、四匹の頭は激しく燃えあ
がる。四匹は今や歌も忘れ、白目を剥いて逃げ場のない流しの中で跳ね回る。子ゆっくり
の跳躍では、流しの縁を越える事もできず、シンクの立ち上がりに拒まれて底に転がるば
かり。上も駄目なら下も駄目、排水口の目皿が邪魔をして下水に逃れることも許されない。
「あついよ! ゆっくりたすけてね!」
「でいぶ・おぶ・ふぁいやー?!」
「ゆっくりしてね! ゆっくりしてねー!」
「ゆぎゃああああ!」
文字通りの火だるまで、狂ったように跳ね回る物。もみあげまで燃え始め、炎に包まれ
て痙攣したまま、消し炭になるのを待つ物。炎も娘も聞き入れることはないのに、助けを
乞う物。それぞれに異なった死の舞踏を踊りきり、四匹は炭化したゴミになった。
大きすぎては跳ねた拍子に火のついたれいむがシンクから出て危険すぎる。かといって
小さすぎてはすぐに燃え尽きて面白くない。足下に持ってきておいた消火器を片づける娘
は、微かに恍惚の表情を浮かべていた。
断末魔の絶叫しか届かない鍋の中、水面で二匹のまりさは固まったまま、恐怖に痙攣し
ていた。そしてこの夜、二匹は一睡もゆっくりすることができなかった。目を閉じれば、
れいむたちの悲鳴が聞こえてきそうだったから。
一匹くらい沈んだかしら。期待に胸膨らませて蓋を取った娘を、水上のまりさたちは見
あげもしなかった。
「おはよう。今日もゆっくりしていってね」
「ゆっくりしていってね……」
れいむの命懸けのファイヤーダンスは娘の予想以上にこたえたらしく、二匹ともぼんや
りと水面を漂い、溜息を繰り返している。そのゆっくりできなさたるや、娘が餌を落とし
てもしばらくは動かず、動き始めてものろのろと蛇行しながら餌に向かう程。いつもの倍
の時間を掛けて辿り着くと、水面に浮かぶペレットを咥えようと帽子から身を乗り出した。
ゆっくりの不足してきたまりさは気付いていなかったが、ほんの少しだけ前に出すぎてい
た。そして何の前触れもなく、まっすぐに落ちた。水底に沈んでいくまりさの顔には、困
惑の表情が張り付いたままだった。
「むーしゃ、むーしゃ、しあ……わ゙あ゙あ゙あ゙?!」
とうとう一匹になってしまった子まりさは食べかけのペレットを落とし、帽子のうえで
硬直していた。白目を剥いて痙攣するまりさを乗せ、帽子は暢気に水面を漂うだけだった。
最期なんてあっけないもの。多少拍子抜けの感はあるものの、満足した娘は震えるまりさ
を残してリビングに向かった。
「むきゅー! おねえさんゆっくりしすぎよ! ちぇんがあばれはじめたの! ゆっくりた
すけてあげてね!」
防音蓋を開けるや否や、一匹の子ぱちゅりーが何度も跳ねては娘を呼ぶ。見れば、尻尾
を固められているちぇんの一匹が帽子を落としたようで、目の前の届かない帽子目がけて
半狂乱で跳躍を繰り返していた。その度に、残りの三匹もしっぽを引っ張られて悲鳴の不
協和音を奏でている。巻き込まれて潰されてはかなわないと、残り少なくなった子ゆっく
りは皆反対側の壁際に下がって、ゆっくりできない顔をして遠巻きに見守っていた。
「ちぇん! やめてね! あばれないでね!」
「わがらないよー! おしっぽがちぎれちゃうよー!」
背後で帽子を落としたことなどわからない三匹は、帽子を取り戻そうと暴れ回る一匹に
引っ張られる尻尾を、必死に踏ん張って堪えていた。たとえ一匹だけでどれほど跳ねよう
とも、しっぽを引きちぎられまいと歯を食いしばる三匹が相手では、固められたしっぽに
引き戻されて顔から床と仲良くなることしかできない。
「ぢぇ゙ん゙の゙おぼうじぃ゙ぃ゙!」
「おぼうし落としちゃったのね」
「まりさがかぶせてあげるよ! ゆんしょ!」
娘が何かすれば、必ず誰かが永遠にゆっくりさせられてしまう。煙突まりさが慌てて飛
び出し、ちぇんの帽子を咥えて持ち上げた。しかしそれは、目の前に落ちているのに一向
に届かない帽子と、自由に動けないストレスでおかしくなりかけていたちぇんには、泥棒
にしか見えなかった。
「お゙ぼうじぃ゙ぃ゙ぃ゙!」
「ゆ゙べし!?」
こそ泥まりさに帽子を奪われる。その一心で、ちぇんは限界を超えた。自らを縛り付け
る鎖を断ち切り、放たれた矢のように宙を駆ける。そして、待望の帽子への跳躍は、帽子
はおろか煙突まりさごと叩き潰した。
それは一瞬の出来事だった。全ての力を使い果たし、尻尾のちぎれた穴とお口から、中
身のチョコレートクリームを漏らしながら、ちぇんはずるりと崩れ落ちる。その表情は、
何かをやり遂げた、とてもゆっくりした顔をしていた。
「わ゙が……っだ……よ゙……」
「ど……ぼぢ……で……ばでぃ……ざ……が……」
煙突まりさは箱の底で平らになって、裂けた皮やいびつに開いた口、目玉の飛びだした
眼窩からつぶあんを溢れさせて断末魔の痙攣をみせていた。なぜ自分が潰されたのか、最
期まで理解できないまま、煙突まりさは動かなくなった。
「あらあら……」
自らしっぽを引きちぎり、帽子をかぶせようとしたまりさを押し潰すほどの跳躍など、
娘は想像すらしていなかった。頬に手を当て、ほぅ、と小さく溜息ひとつ。どの子ゆっ
くりもひどく動揺しているようで、落ち着きなく顔を見交わすばかりで頬ずりさえしよう
としていない。
「まりさー? まりさー? わからないよー?」
誰も動かない透明な箱の中、煙突まりさに避難させてもらっていた目なしのちぇんだけ
が、ずりずりと這いずっていた。しかし、それに応えるものはいない。
「まりさはえいえんにゆっくりしちゃったよ……」
「わ、わからないよー?!」
おそるおそる、オレンジレイムがちぇんに頬を押しつける。ぷるっとした感触でも、
ちぇんはちっともゆっくりできない。もしもおめめがみえたなら確かめられるのに。
何も見えないちぇんには何もわからなかった。
「ばりざー! ばりざー! わがらない゙よー!」
ぎゅってされたちぇんを助けてくれた。おめめの見えないちぇんに、いつもあまあまを
食べさせてくれた。まりさがわからない間に、永遠にゆっくりしてしまったなんて。ちぇ
んには泣くことしかできなかった。そして、砂糖水の涙のかわりに、空っぽの眼窩から中
身のチョコレートクリームを全て流しきった。
「いっじょに゙……ゆ゙っぐぢ……じだが……」
これはいい頃合いに違いない。ゆっくりフードを取り出しながら、娘は箱から見えない
ように含み笑いを漏らしていた。
「永遠にゆっくりしたまりさとちぇんの代わりに、今日はみんな好きなだけ食べてゆっく
りしてあげなさい。今日だけ特別。むーしゃむーしゃしあわせー、しても構わないわ」
「む、むきゅっ? ゆっくりおしおきしないのね?」
「ええ、大丈夫。ゆっくり食べていってね」
「「ゆーっ!」」
娘がレジ袋とウェットタオルを手に戻って来た時には、残り少ない子ゆっくりたちは、
久々に許されたゆっくりした食事を食べ散らかし、口々にしあわせー、の声を張り上げて
いた。逆スクラム状態で身動きのとれないちぇんの残りにも、気が付いた物が餌を運んで
いるようで、涙を流して貪るように食べていた。
「ねえ。」箱の縁に手を掛け、娘がひどく楽しそうな声を出した。「まりさがいなくなっ
て、みょんがいなくなって、れいむがいなくなって。ちぇんがまりさを潰して。あまあま
もゆっくり食べられなくて。あなたたちがこんなに苦しくて、悲しい思いをしているのに、
どうしてお母さんは助けてくれないのかしら?」
「ゆっ……?」
「わからないよー」
「むきゅ……おかあさんもこわいにんげんさんにつかまっちゃったのかしら」
「ままはとかいはよ! すぐにたすけにきてくれるわ!」
ゆっくりフードの甘さでしあわせー、になっていた子ゆっくりたちも、引き離されて以
来一度も見ていない親を思い浮かべ、表情を曇らせる。一匹一匹、沈んだ顔を見ながら娘
は静かに続けた。
「それはね。」娘はゆっくりフードの袋をガサガサ揺すってみせる。紙袋には下膨れでふ
てぶてしい表情の、クラシックゆっくりれいむの絵が活き活きと描かれている。「あなた
たちが食べてしまったから」
子ゆっくりは不思議そうな顔をする。そんなことないのにねー、と言わんばかりに、ペ
レットを頬張り続ける物もいる。
「おねえさんなにいっているの? ゆっくりはあまあまさんじゃないわ!」
「あなたたちの毎日食べているあまあまさんは、ゆっくりゴミに出されて潰された、あな
たちのお母さんでできているのよ。ウソだと思うなら、永遠にゆっくりしてしまったまり
さとちぇんを舐めてごらんなさい」
「そんなうそ、ありすのとかいはのしたでたしかめてあげるわ!」
自信たっぷりに一舐めしたありすは、カッと白目を剥いて硬直した。そして、叫んだ。
「うっめ! これめっちゃうめっ!」
「どう? 美味しいでしょう。あまあまとおなじくらい」
覚えのある味と娘の言葉に、ありすは勢いよく中身のカスタードを吐き出した。今まで
毎日ごはんの時間のたびに、むーしゃむーしゃしあわせー、を我慢してまで食べていたあ
まあまさん。永遠にゆっくりしたまりさとちぇんのかわりに、おなかいっぱいゆっくりし
たあまあまさん。それが全部他のゆっくりだったなんて。知らない内に繰り返してきた、
あまりにも美味しすぎた同族喰いに、カスタードが止まらない。
「ごぷっ! けぽっ! ゆ゙ぼっ!」
「どがいばっ!?」
「む゙ぎゅう゛う゛う゛!」
「わ゙がら゙な゙い゙よ゙お゙?!」
盛大に嘔吐を繰り返し、見る見る潰れていくありす。その様子にもらいエレエレをする
ぱちゅりー。逆円陣のまま、チョコレートを噴水のように吐いて動かなくなるちぇん。与
えられるままに、そのゆっくりした味に、自ら望んで同族を貪り喰らってまでゆっくりし
ようとしていたのだ。子ゆっくりは嫌悪感にとめどなく溢れる中身を止めることができな
かった。満面の笑みを浮かべて見守る娘の目の前で、子ゆっくりたちは断末魔の痙攣を見
せながら、中身を全て吐き出し、ぺしゃんこの皮になっていった。
微かにゆ゙っゆ゙っと呻き声を漏らす残骸も、すぐに静かになった。ぱちゅりーのブルー
ベリージャムを、ありすのカスタードを、ちぇんのチョコレートクリームを。数分前まで
は子ゆっくりだった残りカスを娘はウェットタオルで拭き去っていく。かつては透明な箱
の中にたっぷりいた子ゆっくりも、今やオレンジ色の涙とよだれを垂らして震えている、
オレンジレイム一匹を残すばかり。
「お、おでえ゙ざ……どぼじで、こん゙な゙ごど……」
「楽しいから」
虚ろな目をして中身を吐き出そうと痙攣を繰り返すオレンジレイムをまっすぐに見つめ、
娘は真剣な顔をして即座に答えた。
「楽しくなかったらこんなこと、真面目にやったりしないわ。忘れたかしら。世界中の人
がゆっくりを当たり前のように使い捨てても、私だけはゆっくりを生ゴミ扱いしないって」
「それでぼ……でいぶは……ゆっぐり、じだい゙……よ゙……」
「ええ。充分楽しんだから、あなたはゆっくりなさいな」
セーターの袖を捲ると、娘は捧げ持つようにオレンジレイムを取り出すと、両手に力を
込めた。ぐぢゃりと音を立て、もはや悲鳴もなく指の間からオレンジ色のゼリーがモロモ
ロとこぼれ落ちる。オレンジレイムが中身を吐けなかったのも道理である。冷蔵庫で漬け
込まれている間に、具と皮の区別なく、全てオレンジゼリーに変質していたのだから。
後には娘と、空になった防音「透明な箱-特大-」だけが残っていた。箱の中に、子ゆっ
くりはもういない。
「おねえさん……ゆっくりできないよ……」
後片付けを終えてゴミを捨てにきた娘を、鍋の中から水上まりさが出迎えた。水面のま
りさは、もう一匹しか残っていない。力無く娘を見上げる最後の一匹は、奇しくも水が不
得手で、他のまりさに教わってやっと餌まで辿り着けるようになったまりさだった。
「みんなしずんじゃったよ……ここはもういやだよ……」
「それなら新しいおうちがあるわ。私もお鍋洗いたいし、お引っ越ししましょう」
「ゆゆっ! まりさあたらしいゆっくりぷれいすでゆっくりするよ!」
その言葉に、絶望に沈む寸前のまりさの顔はスイッチを切り替えたように輝いた。これ
こそがかの女の好きなゆっくりだった。致命的に悪意に疎く、ゆっくりできない全てのこ
とも目先のゆっくりの前には霞んでしまう。娘はまりさをつまみあげ、小さな小さな水槽
に移した帽子に乗せた。子ゆっくり二匹分ほどの小さな直方体。防音「透明な箱-ミニ-」
そこがまりさの新しい世界だった。蓋はパッキンでぴっちり密閉、倒れても水はこぼれる
ことはない。まりさは浮かぶおぼうしの上できょろきょろ見わたす。お鍋から出てもお水
の上、しかもなんだかとっても狭い。娘は箱をリビングのテーブルに置くと、戻って寸胴
鍋を洗い始めた。まりさの悲鳴は、もう誰にも届くことはなかった。
「せまくてゆっくりできないよ! だしてね! もうおうちかえる!」
数日後、都内のカフェに娘の姿があった。差し向かいの女はテーブルのゆっくり羊羹に
フォークを刺したままで携帯をいじり、娘は注文のゆっくり汁粉が来ないので、文庫本に
ぼんやり視線を落としていた。テーブルの上で、緑茶が静かに湯気をあげている。誰も見
ていないテレビが、淡々とニュースを垂れ流す。
「次のニュースです。昨日未明、東京足立区の食品工場で大規模な爆発がありました。こ
れにより、ゆっくり製造施設、ゆっくり加工施設、倉庫あわせて四棟が全焼。この爆発で
死傷者はありませんでした。被害総額は今のところ不明。国際武装テロ組織『D.O.S.』は
インターネット上で犯行声明を出しており、工場を所有する鬼意製薬は……」
ゆっくりをゆっくりさせようとする異常者もいれば、そこにしかない利権もある。消費
されることなく爆殺された消耗品は、果たしてゆっくりできたのだろうか。娘はゆっくり
汁粉のれいむを箸で崩す。それでもおおむね、世界は平和だった。
最終更新:2022年05月03日 18:59