※この文章はフィクションであり、作者の創作を多分に含む物です。
 実在の人物・団体とは一切関係なく、またこれらを誹謗・中傷するものではありません。



 最初の記憶は、自分を心配そうに見つめる母親の顔だった。
 母親に関する最後の記憶は、ボウガンで射貫かれ絶命している顔だった。
 母親と――そして自分の姉妹を殺した人間は、自分だけ生かした。
 自分を連れて行った先には見たことがないゆっくり達が大勢いた。



『ゆっくり大サーカス』



 狭苦しいカゴから出された先は狭苦しくはないカゴで、正直そのゆっくりは自分の命について諦めていた。
 ああ、そのうち食べられるんだな、と。
 だから自分以外に生きているゆっくりが大勢、少なくとも自分では数え切れないくらいいるのには正直驚いた。
 そのゆっくり達は全員等しく薄汚れてはいたが、生命に支障をきたしている様子はない。

「ゆっくりしていってね!!!」
「よこそ」
「ゆっくりしてね」

 一見して元気そうだからこそ、ゆっくり達の淡泊な反応が気になった。
 きっとゆっくりできない酷いことをされたんだね、と涙するゆっくりだった。



 そのゆっくりは暗いカゴの中でしばし放置された。彼女の体内時計で朝、おそらく太陽がかなり高くなる時間帯までは。
 彼女は一晩中先客達に話しかけた。

「ここはゆっくりできるところ!?」
「……さあ」

「あなたたちはゆっくりできてる!?」
「……さあ」

「どうしてなんもはなしてくれないの!!」
「……さあ」

 終始こんな調子だったので、終いには彼女が腹を立てて黙り込んでしまった。

「もういいよ! ゆっくりできないひとたちだね!」
「……そう」

 これで色素の薄い美少女が包帯でも巻いていればまだ楽しめたのだが、周りにいるのはただの薄汚れたゆっくりだ。
 いい加減退屈が有頂天になる頃、ようやく光が差し込んできた。暗い部屋の扉が開かれ、人間が入ってきたのだ。
 入ってきたのは2人、片方がもう片方に何やら質問している。

「――、――?」
「――。――、――」
「ねえ! こそこそしゃべってないでおみずとごはんをとりにいかせてよ!!」

 おそらく自分の家族を殺した人間の仲間であろうことは彼女も理解できるので、せめてもの意思表示をしてみた。
 殺すならとっとと殺せ。その気がないなら解放しろ。
 人間達は彼女の言葉に気付かなかったかのように会話を続け、しばらくして主に質問をしていた方の人間が彼女がいるカゴの中に入ってきた。

「ゆ? なにすブルァァァァアア!!!」

 問答無用で殴り飛ばされた。
 堅い棒に柔らかい物を巻き付けた、そんな感触だったのを驚愕の中で彼女は気付いた。
 頭に棒を振り下ろされ、右頬を張り飛ばされ、部屋の中で響く殴打の音が止むことはなく。
 何で、と。理不尽としか思えない暴力の理由を問う間も与えられず、時間の感覚が無くなるくらいに痛めつけられた。
 そう、痛めつけられたのだ。人間に彼女を殺す意図はなく、ひたすら彼女に痛みを与えるだけのための殴打だ。

 体が3倍に腫れ上がり、呼吸の仕方が分らなくなったあたりで暴力が止んだ。
 何だか知らないが、気が済んだのだろうか。

 人間は次に、彼女を暗い袋の中に入れ、天井から吊るした。
 厚い布の中はただでさえ少なかった外界からの刺激をほぼゼロにする。

「う……。だじて……」

 かろうじて言い返せたが、当然反応はない。それどころか、先ほどまでとは違う激痛が彼女を襲った。
 体の中で痛覚が破裂するかのような激痛が。

「ぁ――――!!! っ――――!!!」

 彼女は知らなかったが、それは電気ショックによる痛みだった。
 全身が痙攣し、意識に反してメチャクチャに暴れる。息が出来ない
 その激痛が止んだ。

「う……? よかっ――!! ぁぁぁぁぁああ――――!!!」

 安息は数秒に満たなかった。激痛が止み、彼女が自身の生存を確認した瞬間に次の波が襲ってきた。
 永遠と勘違いする数秒の責め苦と、須臾にすら足りない数秒の安息が交互に繰り返される。
 拷問は日が暮れるまで続き、先客のゆっくり達はショックにより空中で跳ね回る黒い袋をじっと……否、ただ漫然と眺め続けた。
 それらの顔に一切の感情はない。

 彼女が袋から出されたとき、先客達には餌が与えられていた。
 彼女が今まで見たどんな食物にも似ていないその物体は酷くグロテスクに見える。
 それも当然である。その餌は必要最低限の栄養と満腹感だけをできる限り安く提供するよう作られた合成餌で、
抗生物質と精神安定剤がふんだんに混ぜられていた。
 脂汗にまみれた彼女の所にも1匹分の餌がもたらされる。本能が告げる、これを食ってはならない。

「ぃ……やだよ! そんなものたべないよ!」

 彼女にとっては決死の宣言だった。おそらくこの人間達は自分を殺すことを全く躊躇しないし、その意思に応える武器も持っている。
 だが、人間達にとっては想定内どころか慣れ親しんだ戯れ言に過ぎなかったようで。
 慌てるどころか二言三言交わしただけで、1人の人間が彼女に慣れた手つきで注射を施す。
 アンプルには『合成麻薬ゆっくり用』と書かれていた。

 ――世界が変わった。
 時間の流れは止まり、この世には光が満ちた。
 空間はねじ曲がり、極彩色の宝石が漂っている。
 絹の川の中に溺れ、あらゆる美味が口の中に溢れた。
 全能が彼女の中に存在し、全知が目の前に後光を持って屹立していた。
 あらゆる苦痛が消え、彼女が幸福の中眠りに墜ちようとしたところで目が醒めた。

 暗くて汚いカゴの中に逆戻りだ。
 身動ぎ1つ満足にできない狭いカゴの中で彼女は酩酊していた。
 冷たい雨が身を打ち、内臓が――内容物が反転しそうな吐き気と脳天に五寸釘を打ち込まれたような頭痛だけが現実だった。

「ゆ……」

 とりあえず喉の渇きは抑えられそうだと吐き気を抑えて雨水を飲む。
 だが、ひりつく乾きはいつまで経っても止まない。
 それどころか時間を追うごとに乾きは熱を以て彼女を苛む。
 五寸釘の本数は際限無く増え、シェイクされた内容物は嗚咽とともに今にも口から出てきそうだ。
 いっそ殺せ。痛みですり減った精神がそう思えるくらいにまでは回復してきた頃、彼女の意識は暗黒に飲み込まれた。



 誰かが自分を起きろとせっつく。
 鉛より重いまぶたをこじ開けると、人間が餌の皿を持って目の前にいた。
 頭痛も吐き気も相変わらず最悪だ。目の前に置かれた皿を拒絶するつもりで目をくれると、予想外の代物が鎮座していた。
 虫の塊である。
 彼女とて野生のゆっくりであったのだ。虫くらい幾らでも食べてきた。
 なのにその虫を直視することができなかった。
 彼女の持つ嫌悪感がそのまま具現化したような醜い虫が彼女に牙を剥いている。
 刹那理解した。この虫は自分に取って代わって『自分』に成り代わるつもりだと。

「こここ、このむしさん、どこかにやってよ!」
「――? ――?」
「なんでみえないの! おさらいっぱいにむしさんがいるじゃない!」

 どこを見ているんだ、と人間を睨み付けたところで文句が喉の奥に引っ込んだ。
 人間の体中に目玉が開いていた。
 ギョロギョロと充血した目玉は全て彼女の方を向き、等しく発情していた。
 1度見かけた発情期のありすでさえこれほどではなかったと言うほどの情欲が目玉から零れ、彼女を濡らしている。

「いやぁぁぁああ、こ゛わいよ゛ぉぉぉおお!! そのおめめ、やめて゛! なんでもずるがらぁ! た゛すけてぇぇええ!!!」
「――、――」
「ごはん? ごはんたべればおめめやめてくれるの? ごはんて……こ゛のむし゛さんぜんぶたべるのぉぉぉおお!?」
「――?」
「わか゛りました゛ぁぁあああ!! わがままいいませんからぁぁああ!!」

 口の中で暴れる感触に嘔吐を堪えつつ、餌をほぼ丸呑みする。咀嚼する勇気はなかった。
 餌を食べていると、いつの間にか虫も目玉も消えていた。
 さっきまで一体何を怖がっていたのかが分らなくなり、それを思い出すのが酷く億劫に感じる。

「――、――、――!」
「うん? おもったよりらくなやつだ? わたしはすなおでいいこだよ? ほめてくれるの?」

 彼女の反応が期待以上だったのだろうか、人間が嬉しそうな声を上げる。
 褒められたのだろうと好意的に解釈しておこう。

 その後、昨日の大きいカゴの中に戻された。先客達の体臭が少ししたが気にならない。
 そのまま暗くて静かなカゴの中で最高にゆっくりできた。
 しばらくすると、喉がすごく渇いてきたし、体の中で虫が暴れはじめたが慌てない。
 あのご飯を食べるときっと直るから。
 だが、ご飯はいつまで経っても与えられなかった。

 耳の中が虫の羽音で一杯になり、いい加減ウンザリし始めた頃、ようやくご飯がきた。
 だが、彼女にだけご飯が与えられない。
 途端に、崖から突き落とされたような我慢できない不安に襲われる。
 まさかこのまま? ごはんたべられないの?

 だが人間は優しかった。言うことを聞けばご飯をくれるという。
 どこかへ連れて行かれ、細めの橋の前――平均台の前に置かれる。
 どうやらこれを上手に渡れればご飯をくれるらしい。

「ゆ……。こんなのかんたんだよ」

 これより狭い橋、川に架かった頼りない棒きれなら何度も渡ってきた。なんてことはない。
 見事に渡りきった彼女にご飯が与えられる。
 安心してご飯を食べると、先客達がやってきた。

 皆、彼女に与えられた課題よりも遙かに難しい課題を次々に成功させている。
 燃え上がる輪をくぐったり。
 落ちたら大けがをしそうな高さで遊んでいたり――くうちゅうブランコというらしい。
 大砲の上に乗って、何かが爆発する轟音にもたじろがすダンスを踊っている子もいる。
 なるほど、皆あんな難しいことをしているから、ご褒美にご飯が貰えるんだね。
 ようやく理解したよ。

「――!!」
「ゆ。サーカスっていうんだ。ゆっくりおぼえた」



PN水半分





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最終更新:2022年05月03日 19:19