「では、術式を開始します」
 私の宣言に、周りにいるゆっくりたちが頷く。群れの中でも選りすぐりの手術チームだ。
 辺りは先ほどの喧噪が嘘のように静まりかえっている。離れた梢で鳴く小鳥の声までが耳に届く。
 用心のために着剣隊が他の隊員と共に周りにおり、上空にはレミレイ隊の影も見受けられるが、注視すべきドスたちは麻沸散により全身麻酔を受けているので、よほどのことが無い限りお互いに沈黙を保つだろう。
 軍のさらに遠巻きにして見物している野次馬たちも、その数を先よりも倍増していながら、やはり静かである。もっとも、この場の緊張感を打ち破ろうとする物好きな天の邪鬼もいないだろう。群れ全体から敢えて見学者を募った某黒いゆっくりは例外だが。
「名手術を期待するよ。俺はブラック・ジャックにはなれないからな」
 などとワケのわからないことを言う。
「白い巨塔を造らなければ構いません」
 と適当に返しておいて、私は横にいるヨウム種に切除部分を指定する。ドスの底部に近いところにある成体。
「埋められたゆっくりの形に添って、切り取って。ドスに関してはえぐれていて構わない」
 初めての手術に臆することなく、ヨウムは頷いた。彼女は執刀医としては一番場数を踏んでいる。特にくり抜く作業に関してはかなりの腕があった。
 元は農作業用の鎌を、研ぎに研いで薄氷の刃に仕立てたものを口にくわえ、ヨウムは最初のメスを入れようとする。が、刃がドスの体表に触れる直前、凍り付いたように動きが止まってしまった。
 慎重になるのは当然だ。どれだけ皮の厚さがあり、どれだけ餡の堅さがあるか、全くの未知数だ。刃を入れ切り進めて行く中で瞬時に判断し的確な処置を行う、そんな頭脳と精神力が必要になってくる。しかも、始めの第一刀に他の執刀医が続くのだ。その重さを理解すれば、易々と刃は入れられないだろう。
 しかし、私も精緻なメスさばきだけで彼女を切り込み隊長に選んだわけでない。できると評価しているからこその人選だ。
 ――だが、私は気づいてしまった。
 ほんのわずか。気づくか気づかないかのそれ。震え、だ。
 彼女の半身たる魂がその横で常に揺らめいているために、目に止まりにくいのであるが、確かに震えていた。
 無理もないかもしれない。眼球や底部でなく、ゆっくりそのものを切り出すのは群れの誰にとっても初めてのことだ。どれだけの緊張が彼女にのしかかっているだろう。
 しかし、彼女のまぶたが静かに閉じ、少しの間を置いて、ゆっくりと再び開いた時には、その瞳にはくわえる刃と同じ光が宿っていた。
 吸い込まれるように銀の先端がドスの身体に入る。無音で一瞬。だが多くの者の心にはさざ波以上の波紋が起こったに違いない。それは夜空を駆けて消える流星を思わせた。
 刃は、動き出す。埋め込まれたゆっくりのラインに沿って。緩慢に、だが、明瞭に。何の躊躇も感じさせることはなく、軌跡はついに円の形に元の場所へと戻った。
 ヨウムが離れる。入れ替わりに二匹のゆっくりが、切られた箇所を支える。ポロッと一体のゆっくりがドスからこぼれるように外れた。黒々とした餡が上向きに、曇り空の鈍光を跳ね返している。肝心の形状は、ゆっくりの下半身そのものだ。
 (お見事)と私は心の中で褒めつつ、視線は塗布班の動向へシフトする。
 指示しておいた通りに、塗布班は動いていた。彼女らにとっても初めての作業だ。けれど、先のヨウムに比べ、格段に気は楽だろう。献餡した餡を補う必要はなく、軽く形を整えた後にドングリ粉を塗るだけでいいのだから。
 餡の質が固く形状維持が楽であり、免疫力も含めた体力が残っているから他の処置をせずに済むこともあるが、無論ヨウムの腕がそれだけ素晴らしかったということだ。ドスにできた窪みについても処置は容易だろう。
 合図を送ると、他の執刀医たちがヨウムの後に続く。ヨウム種の他にも、アリス種、レミリア種、レイム種など、種は様々だ。皆一様に口に刃物をくわえている。空を飛びながら、あるいは補助班の支える台やハシゴに乗りながら、作業を開始する。
 彼女らに戦闘経験はない。初等教育を終えた後はずっと医療班として、刃物の使い方を覚えてきた。たとえば野犬に襲われれば、くわえた刃物は何の意味もなさず、無抵抗に殺されていくだろう。それだけ一つのことに専念させ、錬磨させてきた。
 だからこそ、普段は軽い怪我の治療程度しかしていないというのに、今はこうして問題なく執刀を行えている。若干動きがぎこちない者も見受けられるが……これは仕方ないだろう。一度でもメスを振るった経験のあるものをこの場に立たせているのだから。そうでなければ、総数四一匹のゆっくりを短時間でくり抜くことは不可能だ。
 いや、正確に言えば、エイリン種なら単独で執刀しきるかもしれない。噂ではユユコ種の全身の皮を一瞬で剥ぎ、他のゆっくりたちに移植したとか。別の噂では、発情したアリス種の中身を瞬く間に入れ替え、正常に戻したとか。ここまで来るともう神話の域だ。
 しかし、もしこれらが本当のことであったなら、エイリン種は今我々が大勢でしている手術を単独で行うことが可能になる。執刀医八、塗布班一二、その他三四、さらに全体を管理・統括する私を含めて合計五五匹のチーム――もはや一個小隊だが、エイリン種は一匹でそれと同等の力を有するわけだ。いや、このチームでもエイリン神話をなぞることはできない。医療技術の隔たりは千里以上に感じられる。
 こういった類の伝聞には誇張が入るので話半分で聞いておく必要があろうが、相応の腕がなければ英雄譚も作られない。だから、ゆっくりの可能性を追求する長が、彼女を群れに引き込むことに躍起になるのも頷けはする。千里の道を一歩ずつ進んでいくのも大事だが、「先達はあらまほしきことなり」だ。既に達している者の薬石の言があれば、秀吉のように一夜で築くのは無理にせよ、半世紀も掛けずにローマを成立させることができるかもしれない。
 「門前の小僧」の喩えもあるし、医療班だけでなく、群れ全体に良い影響を与えることも考えられる。長がたくさんの見物人にこうして手術を披露しているのも、見聞を広め、刺激をもたらすためだろう。
(エイリン種なら全ての術式を野外でできるかもしれないしね)などと考えていると、ふと横に長が来ているのに気づいた。
「順調に進行してるな」
「回復も早いでしょうね、患者の体力を考慮すると」
「あれだけ声を上げられるようなら、体力はあるだろうな。まあ、基本移動してきたのはドスであって、他はせいぜい喉と精神の疲弊のみだしな。実際、ドングリ粉の乗りもいい。ああ、もちろん手術の腕前あってこその成果だぞ」
「ありがとうございます」
「これだけの技術があれば、脂肪吸引手術も楽々できるんじゃないか? 良かったな」
「長は自分を知りたいとおっしゃってましたよね。中身を見るため切開してさしあげますよ、即刻」
「必要ないな。いつも接する時に腹を割ってるじゃないか」
「いいえ? その腹黒さしか認識できていませんが」
「おいおい、こんなに潔白な長を捕まえて、それはないだろう。今度から白ゆっくりと名乗ろうかと思っているくらいだ」
「白々しいだけです」
「白いついでに話すが、白い粉の量は足りたかな?」
 麻沸散のことを言っているのだ。実際は全く白くはないのだが、外の世界では麻薬と言えば白い粉らしい。
「兵器用として貯蔵しておいたものを流用しましたから」
 本来は絞り汁を加工したものを塗りつけて全身麻酔を行うのだが、暴れるドスに近づくのはとても危険だった。弾き飛ばされたり、踏みつぶされたり、ましてや麻沸散を自分で被るはめになったりしたら笑い話にもならない。
 なので、まずは乾燥大麻をドスの周りで燃やし、煙で包んで大人しくなってもらった。風が無いのでいろいろと大変だった。火とゆっくりを前にパタパタと四方八方から扇いでいる様子は、新製品の焼き饅頭を作っているかのような錯覚に陥った。無風であることで群れの居住域に影響が無かったのは良かったのだが、かなりの量の備蓄を費やしてしまった。
 その上でのドスに対する麻沸散であるから、今の群れに麻の葉はほとんど無い。麻沸散は非常に多くの麻を使うのだ。
「やっぱり多めに栽培しておいてよかったわけだな。増産するのも悪くないんじゃないか?」
「それは会議してから決めてください。ただ、いずれにせよ、もう私の前では吸わないでくださいね。あと言い忘れてましたが、ホームズが嗜んでいたのはコカインやモルヒネですよ。大麻じゃありません」
「おや。それではコカノキやケシの栽培にも着手してみるか。原初のコカ・コーラを愛飲するのも悪くないな」
「あのですね……」
 半ば呆れつつ、後の半分は諦めつつ、私は答える。この人はこういう人だ。
「絶対ダメとは言いませんけど……もう既に中毒なんじゃないですか」
「まさか。メイリン種じゃあるまいし」
「中国じゃないです」
 ため息をつく。
「それより長、そろそろ出番ですよ」
「ん、そのつもりだ」
 あらかじめ治療を施したゆっくりを五匹ずつにまとめて配置してある。始めのグループがいる場所を示すと、長はそちらへ向かおうとして、つとこちらを振り向いた。
「おだてて木に登らせるつもりはないんだが、医療班の手際が格段に良くなっているのは、やはりお前さんの功績だよ。本格的に医療担当になったらどうだ? 感謝されるぞ。麻沸散を開発した人間も『神医』として崇められているそうだ」
「そうですか。で、どんな最期を遂げたんですか」
 長は、ああ、うん、などと誤魔化してその場を離れたが、私はそれが『王に逆らって獄中死』だということを知っている。……まったく。リラックスさせるつもりなのか、精神状態を測っているのかわからないが、年中悪ふざけを画策しているような態度は改めてほしい。子ゆっくりへの感化について真剣に討議する時が来たのかもしれない。
(それとも身体だけでなく中身も子供レベルなのかしら)などと本気でなくとも、そう思いたくなる。
 そんな私の悩みなどつゆとも知らず、長は始めの五匹と向かい合い、言葉を掛けていた。
 暗示を施しているのだ。

 ゆっくりは足が傷つくと、たとえば火傷などを負うと、二度と移動することができないなどと一般には言われている。これは正しくもあるし、間違ってもいる。
 ゆっくりの性質を分析してみよう。
 なぜ、赤ゆっくりやちびゆっくりは強姦されると死んでしまうのだろうか。黒ずみ、朽ち果ててしまうのだろうか。
 妊娠するに耐えうる身体ではないからだ、というふうに言われている。しかし、それで説明になっているのだろうか。納得しうる答えだろうか。
 そもそも妊娠に耐えられないという前に、妊娠できないのが普通ではないだろうか。未成熟な身体で孕んで死ぬという生物は、この世に存在しない。たとえば人間の少女を、初潮が来る前に膣内射精で犯しても、妊娠はしないのだ。
 ゆっくりは生物ではない? たしかにお化けや妖怪の類だろう。しかし、それらの化生は人間の影であり、ゆっくりが生物の形を取っている以上、生物の特徴を持つのは必然だ。
 では、性的暴行を受けた子ゆっくりが、死に至る受精をするのはなぜか。
 ここに「想像妊娠」という仮説が立てられる。
 想像妊娠とは、妊娠したと心が認識することで肉体に影響が現れる症状だ。現実には妊娠していなくとも、腹部が膨れたり、母乳が出たり、生理が止まったりする。これは人間以外の哺乳類にも起こりえる。当然ゆっくりも例外でないわけだ。
 強姦された子ゆっくりは「仮の赤ん坊」に栄養を分配し、自己の生存に最低限必要なエネルギーまでも受け渡してしまう。つまり、想像妊娠により死亡する。
 前提として「性交したら受精する。子ゆっくりなら死ぬ」という知識が備わっている必要があるが、ゆっくりの知識は本能とは別に親から受け継がれるのが一般的だ。知識の受け継ぎには個体差があり、量と精度は姉妹間でも変化してくるが、「子供が犯されれば死ぬ」という事項についてはほとんど定説になっているから、どれだけ大勢の餡子脳に刻まれているかは想像に難くない。
 好奇心は猫を殺し、思い込みがゆっくりを殺す。そういうことだ。
 ここまでは実は長の仮説だ。仮説だった。遅ればせながら、冬の事件で実証されたのだ。思い込みが無くなれば、強姦されても子ゆっくりは死なない。
 そして、ここからが私の立てた仮説になる。
 ゆっくりにおいて、精神が肉体に対し死に至るほどの影響を与えるということは、その逆の影響を与えることも可能なのではないか。死ねるほどの影響力をプラスに転じたら、どれだけのことができるだろうか。そう考えたのだ。
 足が傷つき歩けないゆっくりがいる。しかし、それは本当に歩けない? 通常ならば歩けない。傷が癒えても痛みを感じなくなっても、歩くことはできない。一生歩けない。しかし、本当に?
 歩けないと思い込んでいるだけなのかもしれない。あるいは、歩けると思い込めば歩けるかもしれない。荒唐無稽に聞こえるかも知れないが、道理には適っている。死ぬことができるのだ、歩くことなど容易だろう。
 それ以上のことも期待できる。失明したゆっくりに「視力は回復する」と認識させれば、見えるようになるだろうし、眼球そのものを欠損してしまっても、「再生する」と認識させればその通りになるはずだ。
 そして、この仮説も長に先んじて実証されている。現に私の両目は健在だ。
 私が立てたこの仮説を、自らが被験者となって実証したことにより、群れの医療技術は飛躍的に発達した。無論それまでのと比較しての話であり、エイリン種が有する技術に比すれば児戯に等しいのかもしれないが。
 ともかく、その功績が認められて、私は医療部のトップの肩書きを持つことになったのだが、成果を上げて評価されたことはともかく、肩書きについてはあまり欲しくない褒章だった。既に行っている研究や群れの運営に、新たな項目が名前を付加されて負荷されただけなのだから。
 長にしてみれば、「早くシステムを確立して後進に譲れ」という意味で与えた肩書きなのだろうが、それがどれだけ大変かわかっているのだろうか。ただでさえ他のいくつもの部署でそれをやろうとしているのに。抱えきれない案件を、危なっかしいお手玉で何とかしのいでいるというのに。……まあ、できると思っているからこそ任せているのだろうが、時々自分が「ゆっくり」であることを忘れてしまいそうになる。

 辺りを一巡して、ほぼ手術は終わりになったのを確認し、ドスの正面にいる長の所へ行った。長も一段落ついたようだった。
「移植は成功しましたか」
「ああ、盲目を相手にするのは久しぶりだから不安だったがな」
 見ると、ドスの大きさには不釣り合いに小さな眼球が右目側に埋め込まれている。群れの成体ゆっくりから提供された眼球だ。補われた餡の上にドングリ粉を塗布された中央、そこにちょこんと載っているだけのようだが、虚ろに開かれた目が時々かすかに瞬きをしているのが注意するとわかる。
「機能しているようですね」
「そうだな。順調にいけば左目も再生するだろう。まあ案ずるより産むが易しだった」
「ドスの体力・精神力が強いんでしょうか」
 以前はもっと時間が掛かっていたはずだ。長の能力は視線を媒介とする。それを無しで行うのは、純粋に催眠療法士としての素養が問われる。実のところ、私はもっと多くの時間が掛かると思い、新たな麻酔の準備をさせてもいた。
「確かに移植無しで両目が再生できるだけの素質はあったな。だが、俺だって流石に何度もやっていればノウハウはつかめるさ。あとはやはり麻沸散の効果かな」
 長はそこまで言って、ふうとため息をついた。
 おや、と思った。ため息をつくのはいつも私の役なのに。
「麻酔の効果はあとどれくらい持つ?」
「このままならあと三十から五十分といったところですね。どうしました」
「ドスにもう一度掛けてやってくれ。軽くでいい」
 長はそうして、ドスから分離されたゆっくりの置かれた場所へ再び戻っていった。
(……あ)
 そう言えば、忘れていた。
 施術の終わったゆっくりがなぜか巣へ移動させなかったので、どうしたのかと看護班に聞いてみたら、長の指示だと答えが返ってきた。
 どういう意図があったのか、聞いておくべきだった。

 五日後。
 太陽が一番高いところに登り、春の陽気を思う存分地上に振りまいていた。あつかましいまでの陽光に気圧されたかのように、そよとも風は吹いていない。立ち上る緑の香気が流されることなく辺りに満ちている。
 長と私の後ろからは、大勢のゆっくりが大なり小なりの声を交わし合っている。梅雨時の蛙や、夏の蝉時雨に匹敵する騒がしさだ。通信班などの警護班を除いた、群れのゆっくりのほぼ全てが集まっているのだ。E‐5区はお祭り並の密集状態だった。
 私たちの前には、先日治療したドス他四一匹のゆっくりが相対している。巨木と巨岩を背景にしていた。
 巨岩にはしめ縄が張られている。アリス種がイネ科植物や麻を加工して作った縄を、群れの力自慢たちがより合わせたものだ。シデも無ければ、宗教的な意味合いも無い。しかし、群れの結束のシンボルとなっていた。「一本の茎は千切れやすいが、多くが合わされば決して千切れることはない」という、使い古されてはいるが、その分わかりやすい象徴だった。
 長が合図をすると、喧噪が嘘のように鳴りを潜めた。
「以前に我が群れに訪れた彼らが、是非伝えたいことがあるとのことで、こうして皆に集まってもらった。心して拝聴するように」
 長が向き直ると、ドスマリサが前に出る。皆の視線が上向いた。パニックになっていた時を感じさせないほどに堂々としているその姿は、大きさは変わらないのに一回り成長したような印象を与えた。種の上では普通のマリサ種と同種であるはずだが、なぜドスの呼称が冠されるのかわかる気がした。
 移植した右目は肥大化し本来のサイズに近づいていて、左目部分も萌芽のような小さな兆候が現れていた。頭部も金髪のショートカットが生えそろっている。
 他のゆっくりたちも全治とはいかないまでも復調していた。まだ以前のように動き回れはしないだろうが、少なくとも気持ちの上では全快しているだろう。
「ゆっ、今日はみんなにお礼を言いにきたんだぜ!」
 よく響く声だ。群れの一番後ろにまで問題なく届いているに違いない。
「まずマリサたちを治してくれてありがとうなんだぜ!」
 この言葉に医療班はどういう表情を浮かべているだろうか。今回の最大の功績者は彼女らだ。本当に、自分がドングリ粉になるかというくらい、身を粉にして働いてくれた。
「食べさせてもらった物もとてもうまかったんだぜ。かわいくてけんしんてきなゆっくりたちがたくさんいて、気分よく食っちゃ寝できたんだぜ」
 群れの一員ならそれぞれ割り当てられた役割を果たしてもらうが、彼らは客人として扱われている。ずっと専用の巣で安静にしてもらったのだ。看護班は何度かセクハラを受けたらしいが、本当によく耐え、頑張ってくれたものだ。
「この群れは本当にいい群れなんだぜ! だから……」
 ドスの片目が濁る。声までが瘴気を帯びて変色する。
「だからこの群れはみんなマリサたちがもらってやるんだぜ! こんないい群れをマリサたちの物にできるなんて本当にありがとうだぜ!!」
 そうして大口を開けて笑声を散らした。ドス側のゆっくりたちも一斉に笑い声を上げる。誰一人言葉を発することなく立ちつくす私たちの間に、それらは響き続けた。
「話の腰を折って悪いんだが」
「ゆ?」
 目の前の小さな黒いゆっくりの言葉に、ドスたちの笑いが止まる。
「理解が追いつかないので説明してもらいたい。どうやって群れをもらうつもりなのかな。長の座を譲るつもりは今のところないのでね」
「ゆふン、バカなおチビさんだね! そんなの力づくで乗っ取るに決まってるんだぜ!」
 胸を反らして、より一層上から見下ろして、見下して、強奪を宣言する巨大なゆっくり。
「そうだよ、ドスはつよいんだよ!」
「ゆっくりむれをちょうだいね!」
「よわいゆっくりはみんなわたしたちにかしずくのよ!」
 腰巾着たちがめいめい太鼓を持つ。またも音声が盛り上がろうとした時、
「しかし」
 長が水を注す。またも静かになる場。
「そうなると理屈に合わないな」
 考えを巡らす大仰なアクションを取りながら、黒い言葉が紡がれる。
「お前さんたちは人間に完膚無きまでに敗北したんだろう? だから、あんな醜悪な姿をさらしながらあちこち練り歩くはめになったんだ。本当はものすごく弱いのじゃないか? 弱虫に乗っ取りは無理なのじゃないか?」
「ゆぎッ」
 ドスが目を剥き、奥歯を食いしめる。長はお尻に触るようなセクハラはしないが、気に障るような嫌がらせは手慣れたものだ。見事に神経を逆撫でた。それとも触れたのは逆鱗か。
「ドス! こんなやつやっつけちゃえ!」
「ドススパークでいっぱつだよ!」
「ころしちゃえっ!」
 口々に煽るドスの一派。興奮して大岩の上やその周りに群がって飛び跳ねている者もいる。
 ドススパークというのはドスマリサの特殊能力の一つだ。高エネルギー波を口から放出し、攻撃する。
「ドススパーク? 珍妙な名前だな。何にせよ、人間に負ける程度の弱い技では話にならないね。それとも弱いのは、あぁ、頭かな?」
「ゆっぎぃいいいい!! ゆっくり死ねぇえええええッ!!」
 ドスの開かれた口腔に白光が生じる。そのまぶしさにまぶたが閉じかけたが、一瞬だった。
 ドスは長から顔を逸らすと、大岩に向けてドススパークを発射した。
 閃光は爆裂と化し、大岩を大音響と共に粉々に破砕した。しめ縄と多くのゆっくりたちを巻き込んで。
 呆気にとられたいくつもの顔が網膜に焼き付いている。なぜドスが自分たちを撃ったのかわからなければ、自分たちがなぜ大岩に群がっていたのかも理解できていなかったろう。
「なかなかの威力だ、だがその程度では倒れてやるわけにはいかんなあ、わはは」
 挑発が棒読みになる。しかし、ドスは激高した。長の方は全く見ずに。
 再び大きな口が開かれ、光が生じる。視線と口腔の先には残ったゆっくりたちがいる。彼らが律儀に列をなして、声援を送りながら死を迎え入れる様は、シュールな構図だった。
 そして、第二射。
 ドススパークは自分の仲間約三十を紙のように貫き、森の深くで轟音を立てた。向こうにはちょっとした崖が岩の壁面を作っている。どの程度えぐれたかで、威力を測ることができるだろう。
「同じ技が通用すると思ったかー、今なら土下座すれば許してやらんでもないぞぉ」
「ゆぎぃ! ドスは強いんだよ! うるさいだけのチビ黒さんはつぶれて死んでねッ!」
 もうたった一体しか残っていないドスマリサは、長の大根役者並の台詞に乗せられて、体当たりを仕掛けていった。今度は巨木が敵となっていた。ドスン、ドスンと全体重を乗せた攻撃を仕掛けるたび、巨岩以上の直径を持つ幹は揺れ、木の葉が驟雨と降り注ぐ。群れの皆は、黙ってその一人芝居を注視している。
「体力が完全でもやはり三度連続は無理か。しかし、聞いていた以上の威力だったな、眼福眼福」
 長もそちらを観劇しながら、話しかけてくる。
「なら、なおさら群れに取り込みたかったんじゃないですか?」
 無理とはわかりつつ、聞いてみる。あれだけ無知で傲岸なままで成長しきり、かつ集団をなしていたら、思想・性格をこちらの群れに合わせるのはまず不可能だ。これまで同様、無思慮にゆっくりの群れや人間の村に強奪を仕掛け続け、やがては災禍を招くだろう。しかしそれでも、教育や脅迫でなく、たとえば催眠を掛けることで性格を上書きするとか……
「俺の能力では無理だな」
 こちらの思考を読んだように、長が答える。
「相手のベクトルを少し逸らせてやる程度しかできない。直角を真っ直ぐにするなんて、とてもじゃないが」
 と、首を振る。真実か、謙遜か、脆弱の誇張かはわからなかった。
「四二体も暗示を掛けられるのにですか」
「それだって麻薬で酩酊してなければできない芸当さ。それに能力を酷使すると腰に来るんだ。今も腰痛が痛い」
「腰なんて無いでしょう。虚しい虚言ですね」
「しかし残念。至極無念。参謀の言う通りだよ。ドスが一体入れば、この群れは大きな可能性を手に入れられたはずだ」
 やれやれ、と軽く息を吐いた。
 ドスが群れに接触するのは二度目だが、いずれも群れには引き込めなかったわけだ。群れに害を為す存在である以上、厳格に対処せざるをえない。手心を加えることができるほど、私たちは愚鈍でも強靭でもないのだ。けれど、仕方のないこととはいえ、やはり落胆はするだろう。
 巨岩のあった辺りに目を遣ると、岩の破片の隙間に黄褐色の切れ端が覗いていた。
「しめ縄、切れちゃいましたね」
「また作ればいいさ。何度でも作ろう」
「そうですね、もっと大きなものを作りましょう」
 ゆげっ、という声に振り向くと、巨木の生々しく折れた太枝の先端に、ドスの巨体が貫かれていた。生命の残滓を漏らすように痙攣している。
 合図を送ると控えていた調理班が前に出てきた。絶命を確認後、すぐに解体作業に入るだろう。
「メスで切ったものを包丁でまた切るのは、何だか複雑ですね」
「まあ、手術の腕は上がったろう? ドススパークと同じく、いい経験になったのは確かさ。またあんな感じの改造ゆっくりが来てくれないかな。たくさん来てくれれば千客万来なんだが」
「私にとっては、もうたくさんですし、今後も万難を排したいです」
 今度こそ私はため息をついた。全く、不吉なことを言わないでもらいたいものだ。
 そんな私の思いが天に通じたかはともかく。
 私がドスを最初に目にしたその日が、私が大きな手術をした最後の日になった。


黒ゆっくり3


過去作
fuku2894.txt黒ゆっくり1
fuku3225.txt黒ゆっくり2

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2022年05月04日 22:50