数日後、優男と若い村人はあの『畑』のところに向かっていた。
成果の確認と次なる仕込みを施すためだ。若い村人はその為に使う材料を包んだ風呂敷を提げている。
二人は、ゆっくり達のテリトリー手前で立ち止まって周囲を確認した後、
これからの行動について確認した。
「さて、ここから別行動な訳ですが、やるべきことは分かっていますね?」
「勿論だ。ゆっくりには絶対に見つからないようにする」
「私の方でも、なるべくこちらに注意が集まるよう話を持って行きます。では、お願いします」
確認を済ませると、優男は堂々と山を進み、若い村人は隠れるようにして進んでいった。
優男が『畑』に到着した。
すると、まるで畑を見張るようにしていた長まりさと幹部達が優男に気付き、
ゆっくりらしからぬ素早さで駆け寄っていく。
「やあ、長。ゆっくりし――」
「ジジイ!どういうことなんだぜ!?」
優男の挨拶を遮るようにして長まりさが突っかかった。再びの喧嘩腰だ。
その一言で、作戦が上手く機能していることを見て取った優男が平然と続ける。
「そんなに興奮してどうしたんだい、長?」
「どうもこうもないのぜ!ジジイは嘘をついたのぜ!」
「むきゅう!あのはたけさんからは、おやさいさんがはえてこないのよ!」
「あのはたけはとんだいなかものだわ!」
興奮して優男をなじるばかりの長に代わって、ぱちゅりーとありすが説明する。
二匹の方も、長よりは冷静だが、それでも憤懣やるかたないといった空気を発している。
「つまり君たちは、あの『畑』から野菜を採れていないということかい?」
「さいしょからそういってるのぜ!!」
「ばかなじじいはれいむたちにあやまってね!」
頃合いだな、優男は内心で呟いた。
ゆっくり達は冷静さを失い、目先の野菜しか見えないようになっている。
作戦を次の段階に進める条件は揃っている。
「そうなのか……。でも、それはおかしいよ」
「ゆっ!?だからそういってるのぜ!はえてくるはずのやさいさんがはえてこないのぜ!」
「ああ、違う違う。そういう意味のおかしいじゃなくてね、
野菜が生えてこないはずがないっていうことだよ。だってそうじゃないか?
畑があるのに野菜が生えてこないなんてそんなゆっくりできないことはありえないだろう?」
その言葉に、ゆっくり達が一瞬返答に詰まったのを見逃さずに優男が畳み掛ける。
「ねえ、長。長だってあの『畑』をとってもゆっくりした畑だって認めてただろう?」
「ゆ。たしかにそういったのぜ」
「ぱちゅりーとありすも、人間の畑にそっくりだ、都会派だって喜んでたじゃないか」
「むきゅう」「とかいはなれでぃはうそはつかないわ」
「だったら、野菜が生えてこないはずがないだろう?
これまで色んな畑と野菜を見てきたみんながお墨付きを与えた『畑』なのに」
優男のその言葉に、それでも納得できないように長まりさが反論する。
「で、でも、じっさいはたけさんにはやさいさんがないのぜ?」
「うん。だからね、考え方を変えなきゃいけないんだ。
あの畑から野菜が生えてこないはずがない。でも実際畑には野菜がない。
じゃあ、野菜が生えてこなかったんじゃなくて、誰かが生えてきた野菜をこっそり持って行ってしまった。
その可能性の方が高いんじゃないかい?」
優男が言っているのは無茶苦茶な理屈だった。
特に、あの見せかけだけの『畑』から野菜が生えるはずがないと知っている者にとっては。
しかし、『やさいさんはかってにはえてくるもの』と信じ込んでいるゆっくり達には効果覿面だった。
みんなで確認したとってもゆっくりした『畑』。そこに野菜が生えてこない訳がない。
でも、今、現実に畑には野菜がない。ならば、生えてきたはずの野菜はどうなったのか。
優男の言葉、その意味するところがゆっくり達の餡子に染み渡っていく。
「ゆうぅ~!?たいへんなのぜ!やさいどろぼうがいるのぜ!」
「れいむたちのはたけさんからおやさいさんをぬすむなんてゆっくりできないよ!」
「はんにんは、きっととんでもないいなかものね!」
「むきゅう、でもだれがそんなことを……。はんにんをつきとめなきゃいけないわ」
ぱちゅりーの言葉を燃料にしてゆっくり達の怒りが燃え上がった。
そうだ、犯人を捜さなきゃいけない。そして制裁してやる。
群れの宝に手を出したことを後悔させながら永遠にゆっくりさせてやる。
優男はゆっくり達のそんな内心の動きを的確に把握していた。
そして、その感情の矛先を都合のいいように操るべくゆっくり達に声を掛ける。
「じゃあ、一つずつ整理してみようか。
まず数日前に、僕らがここに来て人間とゆっくりの仲直りの証に『畑』を作った」
「むきゅ、そのとおりね」
「そして、『畑』作りを終えた僕らは山を下りた」
「ええ、とかいはなおみおくりをしたわ」
「それ以来、仲直りしたこともあって村人はゆっくりの山に近づいていない」
「ゆっ!たしかににんげんさんをみたってほうこくはされてないのぜ!」
「それなら、ここ数日間で畑に近寄れたのはゆっくりか動物か虫かっていうことになるね」
「ゆっくりりかいしたよ!」
「ところで、この山で主に野菜を食べるのは一体誰だい?」
「むきゅ、もちろんぱちゅりーたちよ」
「とかいはなおやさいさんは、とかいはなありすたちにこそふさわしいたべものだわ」
「どうぶつさんたちはおやさいさんなんてたべないよ!」
「ゆっ!ゆっくりしたやさいさんは、ゆっくりしたゆっくりにたべられるのがしあわせ~なのぜ!」
張り切って答えるゆっくり達を見ながら、男は若い村人のことを考えていた。
さて、どうやらこちらは上手く行きそうだ。ならば作戦の成功は彼が上手くやるかどうかに掛かってくる。
どうか頑張ってください。
優男は、ゆっくり達に見つからないよう慎重に慎重を重ねて
山を進んでいるはずの若い村人に内心でエールを送った。
そして、気分を切り替えると、満を持してゆっくり達に破滅の言葉を投げかける。
「と言うことは、野菜を盗んだのはゆっくりの誰かである可能性が高いということだね。
だってこの山には野菜を食べたがるのはゆっくり達しか居ないんだから」
「ゆっ!?」「ゆぅ?」「むきゅ?」「ゆゆゆ?」
ゆっくり達は混乱しているようだ。
ただそれでも、必死で今の会話を反芻して何とか優男の言葉を理解しようと努めている。
普段は、ぱちゅりーを除けば頭を使いたがらない傾向が強いゆっくりにここまでさせるとは。
食い物の恨みは恐ろしい。
「ゆ、ゆっくり、りかいしたの……ぜ?」
「むきゅう、たしかにおにいさんのいううとおりだわ」
「むれにそんないなかものがいるなんてゆるせないわね」
「そんなことするゆっくりがいるなんて、れいむはゆっくりりかいできないよ……。」
ゆっくり達は優男の言葉をそのまま受け入れた。
これには優男自身も驚いている。
優男としては、さすがに身内に犯人が居ると言えば抵抗されるだろうと想定して
気持ちと反論の準備をしていたのだった。
しかし、現実はこの有様。
どうやら、村のどの畑よりも広い『畑』を作って野菜を提供したというのが、
予想以上にゆっくり達の心を掴んでいたらしい。
優男も下調べの段階で掴んでいた情報ではあったが、ここまで食い意地の張った群れはさすがに珍しかった。
「なら、ここに群れのゆっくりを集めてみればいいのでは?
もし集まることを嫌がる怪しいゆっくりが居ればそれが犯人かもしれないし、
みんな集まったら集まったで犯人捜しがやりやすくなるよ」
優男は気を取り直してゆっくり達を更に都合のいい方に誘導しようとする。
自分の方に注意を集めて若い村人を援護する為には、
群れのゆっくり全てに一カ所にまとまっていて貰った方がいい。
「ゆっ!?さすがはおにいさんなのぜ!そうするのぜ!れいむ、ありす、ぱちゅりー!
むれにひとりのこらずあつまるようつたえるのぜ!こなかったゆっくりははんにんだとみなすのぜ!」
「ゆっくりりかいしたよ!」「とかいはなさくせんね」「むきゅ、けんめいなはんだんだわ」
長ともあろう者が、『さすがはお兄さん』と来た。
このゆっくり達はいまや完全に優男の掌の上に乗っていた。
しかも、本人達はそれに気付かず、むしろ『畑』を用意し、山から人間を遠ざけ、
野菜泥棒を捕まえる手助けをしてくれていると判断して全幅の信頼を寄せている。
その全てがここのゆっくり達を群れごと陥れるための仕込みだというのに!
先日、若い村人に注意をした身ではあるが、優男も笑い出したい衝動が湧き上がってくるのを感じていた。
必死で堪えて何でもない風を装っているおかげで表情や態度には変化がないが、
内心は狂ったように笑い出したいという気持ちで一杯だった。
掌の上で踊るゆっくり達の姿は、それほど哀れで惨めだった。
それからしばらく時間が経ち、群れの集合が完了した。
一人残らず集まるようにと厳命され、来なければ犯人と見なすと説明されているため、
本来ならまだ巣から出るべきでない赤ん坊から妊娠した大人まで様々なゆっくりが一堂に会している。
広い『畑』を作ってもまだそれなりに余裕のあった広場が埋まる程の数だった。
長まりさが少し高くなった斜面上にある切り株に乗り、幹部がその周りを固めた。
群れの集合では、幸か不幸か全てのゆっくりが集まって誰が怪しいか分からなかった。
そこで、これから犯人捜しを行うつもりなのだ。
「ゆっ!!みんなきくのぜ!!!
まりさたちがてにいれたはたけさんに、やさいさんがないことにはみんなきづいてるとおもうのぜ!!!
まりさたちがちょうさしたけっか、そのやさいさんはむれのだれかにぬすまれた
かのうせいがたかいとはんめいしたんだぜ!!!」
集まったゆっくり達のあちこちから声が上がった。
自分は泥棒じゃないと主張する者、群れにそんなゆっくり出来ないゆっくりが居るなんてと怒る者、
野菜を楽しみにしていたのにと嘆く者。反応は様々だ。
幹部達が声を張り上げて、群れを宥める。
数分掛けてようやく静かになった。
長まりさが続ける。
「そこで、いまからはんにんさがしをおこなうのぜ!!!
やさいさんをぬすんだゆっくりは、なのりでるのぜ!!!
いまなら、ついほうだけでゆるしてあげるんだぜ!!!」
長まりさの言葉は勿論嘘だ。追放で許す気などあるはずがない。
野菜を盗んだゆっくりを永遠にゆっくりさせてやる気満々だった。
しかし、そう言ってしまえば名乗り出てこないだろうと考えて、
長まりさなりに知恵を働かせてああ言ったのだった。
しかし、当然誰も名乗りでない。
優男からすれば当たり前の結果だ。
そもそも、野菜泥棒どころか盗まれる野菜さえ存在しないのだから。
だが、長まりさは苛立った。
群れのゆっくり達が保身に走っていると考えた。
その感情の赴くままに更に続ける。
「あとになって、だまっていたことがばれたらひどいのぜ!!!
いまのうちなんだぜ!!!」
群れのゆっくりも幹部達も誰も何も言わない。
沈黙が場を支配した。そのまま数分が経過する。
このままでは埒があかないと考えたのか、ぱちゅりーが長まりさに声を掛けた。
「むきゅう、だれもなのりでないわ。どうするの?」
「ゆゆっ」
長まりさは返答に詰まった。
そもそも、長まりさは優男に煽られた勢いのまま突っ走っていただけなのだ。
群れを集めて、犯人捜しをして、見つからなかったらどうするかなど考えているはずがない。
長まりさが助けを求めるように優男を見る。
優男はその時、自分の方に群れの注意を集めてから過ぎた時間を計算していた。
群れを集めるための時間、宥めるための時間、沈黙の時間。
充分だ。
若い村人が仕込みを行い、テリトリーから抜け出すのに充分な時間だ。
そう判断すると、にっこりと笑顔を作って、長まりさに助け船を出してやる。
ただし、その助け船の行き先は地獄であった。
「名乗りでないのであれば仕方がないね。
手当たり次第に家を捜索してみるのがいいかな。
あの広い『畑』から盗んだ大量の野菜を数日で食べきることは出来ないはず。
犯人の家には痕跡が残っているに違いないよ」
なるほど、長まりさは感心した。やっぱりお兄さんは頼りになる。
群れの方に向き直って宣言する。
「だれもなのりでないから、いまからみんなのいえにやさいさんがないかかくにんするのぜ!!!
うらむならはんにんをうらむのぜ!!!
れいむ、ありす、ぱちゅりー。そうさたいをけっせいするのぜ!」
長まりさの言葉の後半部分、自分たちへの指示を受け取った幹部達が動き出す。
自分に近しいゆっくりに声を掛けて、捜査隊として巣を改めに出かけていった。
長まりさがイライラと動き回っている。
捜査隊の出発から既に二十分ほど経っていた。
いつの間にか長まりさの相談役的な立場に納まった優男はそんな長まりさを宥めながら悠然と待っている。
作戦の成功を既に半ばまで確信していた。
そこへ一匹のゆっくりが口に何かをくわえて駆け込んできた。
幹部れいむと共に捜査隊として出てかけて行ったれいむだ。
捜査隊れいむが口にしていた何かを長まりさの前に置き、叫ぶようにして告げる。
「おさ、おうちからやさいさんのかけらがみつかったよ!」
「ゆぅ~!やっとみつかったのぜ!!だれのいえなのぜ!?」
「おおきなきさんのねもとにある、ちぇんとれいむいっかのすだよ!」
その言葉が発せられた瞬間、群れのゆっくりの一部がズザッという音を立てて動いた。
群れの中にぽっかりと空白ができたような状態になる。
その真ん中では成体のちぇんとれいむ、子供のちぇんとれいむ数匹が呆然としていた。
彼らがちぇんとれいむ一家であることは明白だ。
長まりさが目の前に置かれた何かを確認して言う。
「たしかにやさいさんのかけらなんだぜ!
ちぇんとれいむいっか!!まえにでるのぜ!!」
長まりさが苛立ち混じりの声をぶつけるが、ちぇんとれいむ一家は動かない。いや、動けない。
嫌な空気に耐えながら早く犯人が見つかって欲しいと願っていたら、いきなり自分たちが犯人だと言われたのだ。
まともに物を考えられる状態ではとてもない。
しかし、そんな一家に周囲のゆっくり達は容赦しない。
最初はゆっくりと、徐々に激しく、罵声を浴びせる。
「どろぼういっかはゆっくりしないではやくまえにでてね!」
「このいなかものいっか!」
「みんなのおやさいをぬすむなんてわからないよー!」
そんな声に押し出されるようにして、ちぇんとれいむ一家はフラフラと長まりさの前に出た。
反論しようとしているのか、あり得ない状況に呼吸が乱れたのか、口をぱくぱくさせている。
そんな一家に長まりさは全く躊躇することなく告げた。
「おまえたちのいえからしょうこがでたのぜ!
しかも、まりささまがなさけをかけてやったときになのりでなかったのぜ!
ふたつのつみでおまえたちはしけいなんだぜ!ゆっくりしないでしぬんだぜ!」
そして、そのまま親ちぇんに飛び掛かる。
「わ、わからなべぇっ――」
無防備な状態で、通常の成体より二回り程大きな長まりさの体当たりを受けて、親ちぇんは吹っ飛んだ。
中身を盛大に漏らしながらピクピクと痙攣している。もう長くないだろう。
その光景にようやく我に返ったのか、親れいむが必死で弁解を始める。
「ま、まってね!れいむたちはおやさいさんをぬすんだりたべたりしていないよ!」
「じゃあどうして、いえからやさいさんのかけらがみつかったのぜ?」
「ゆ……。そ、それは……」
「それはなんなのぜ?」
「き、きっとちぇんがかってにやったんだよ!れいむとおちびちゃんたちはしらないよ!」
しかし、初めからこいつらが犯人だという結論ありきで裁いている長まりさは聞く耳を持たない。
「かたるにおちるとはこのことなんだぜ!
いえのなかにやさいさんがもちこまれてきづかないはずないのぜ!
どうせちぇんといっしょにたべたのぜ!」
親れいむの弁解を一蹴した長まりさが飛び掛かった。
そのまま何度も親れいむの上で跳ねて押しつぶす。
「しぬのぜ!しぬのぜ!」
「ゆげぇっ!やべでね゛!ゆ゛っぐり゛でぎな゛い゛よ゛」
「おまえはゆっくりしないでいいのぜ!ゆっくりしないではやくしぬんだぜ!」
「も゛、も゛っどゆ゛っぐり゛じだがっだよ゛……」
親れいむが死んだ事を確認すると、長まりさは震えている子供達にも容赦なく飛び掛かる。
「わかないよー」
「たすけておかあさんんん」
「れいむたちどろぼうさんじゃな――」
「……」
そして、助けを求める子も泥棒じゃないと主張する子も呆然としていた子もまとめて潰された。
「ゆっ!あくはほろびたのぜ!」
長まりさは満足げだ。
だが、群れの悪夢はまだ終わらない。
今度は、幹部ありすと共に出てかけて行ったまりさが駆け込んできた。
捜索隊まりさは駆け込んだ勢いそのままに叫ぶ。
「ゆっ!おさ!がけのしたのどくしんありすのいえでやさいさんをみつけたよ!」
「ま、またなのぜ!?」
野菜泥棒をやっつけたぞと一仕事終えた顔をしていた長まりさはその報告に仰天した。
その様子を敏感に察知した優男が長まりさに釘を刺す。
「長、あれだけ広い『畑』から採れる野菜は一家族で食べきれる量じゃないはず。
残念だけど泥棒はまだまだ居るはずだよ」
「ゆぅ~。たしかにそのとおりなんだぜ。こうなったらてっていてきにやってやるのぜ!
どくしんありす!!まえにでるのぜ!!」
今度は誰もその言葉に反応しない。
群の後ろの方で何かもめ事が起こっていて、そちらに注目が集まっている。
長まりさがヒートアップする。
「なにやってるのぜ!?しずかにするのぜ!
どくしんありすははやくまえにでるのぜ!!」
すると、もめ事が起こっていた辺りから一匹のボロ雑巾のような有様のありすが運ばれてきた。
どうやらこれが独身ありすらしい。
独身ありすを運んできたゆっくり達に長まりさが尋ねる。
「なにがあったのぜ?」
「ゆ!このどろぼうはにげようとしたんだよ!」
「だからみんなでつかまえたんだね、わかるよー」
「ぁでぃずはちがぅぅ」
どうやらこの賢明な独身ありすは、さっきの一家を見ただけで
身に覚えがあろうと無かろうと前に出た時点で殺されると判断して逃げだそうとしたらしい。
しかし、あっさり捕まって袋だたきというわけだ。
優男がまたも長まりさの思考を誘導する。
「長、逃げるというのはやましいことがある証拠だ」
「おにいさんのいうとおりなんだぜ!このありすはしけいなんだぜ!」
広場は魔女裁判の様相を呈している。
前に出ればすぐに長まりさに殺され、逃げようとすれば袋だたきにされてから殺される。
死刑はすぐに執行された。
「ゆっくりせずにしぬのぜ!」
「ゅぅぅ」
既に虫の息だった、本当は無罪の独身ありすは
碌に弁解も出来ないまま永遠にゆっくりした。
独身ありすの死刑が終わった。
群れのゆっくり達は、誰が泥棒で誰が違うのかまともに判断出来なくなり疑心暗鬼に陥っている。
そんな全くゆっくり出来なくなってしまった群れに、三つの捜索隊がまとまって帰ってきた。
捜索隊の帰還に群れ全体が緊張している。
長まりさが捜索隊にねぎらいの声を掛けようとして戸惑って止めた。
捜索隊が妙に暗い雰囲気なのだ。
「どうしたのぜ?なんだかゆっくりしてないのぜ?」
「ゆぅ……。おさ、とかいはらしくおちついてきいてね……」
「むきゅう、じつはれいむのおうちからおやさいさんがでてきたの……」
「やめてね!そんなこといわないでね!れいむはなにもしてないよ!」
長まりさに衝撃が走った。群れのゆっくり達もざわめく。
よく見ると、三つの捜索隊のメンバーは単にまとまっているのではなく
幹部れいむを取り囲むように動いていることが分かる。
逃げられないようにするための措置だろう。
長まりさが衝撃の抜けきっていない、いつも以上に回らない頭で尋ねる。
「ど、どういうことなんだぜ?」
「むきゅ。ぱちゅりーが、おさの『みんなのいえをしらべる』っていうしじにしたがって
ねんのためにれいむのおうちをしらべたら、かじりかけのおやさいさんがあったの」
「ゆぅ。そこにたまたまありすたちがとおりかかって、ぱちゅりーからそうだんされて、
とりあえずおさのところにれいむをつれてくることにしたの」
「れいぶなにもやっでな゛い゛い゛い゛!」
長まりさは困った。
野菜泥棒は許し難い。
でも、この群れの幹部はぱちゅりーもありすもれいむも
幼い頃から友達だった特別なゆっくり達だ。
殺したくはない。
許すべきか、許さざるべきか。
その時、群れのどこかから、やさいどろぼうはしけいだよ!と言う声が響いた。
それを皮切りに、これまで容赦なく犯人を死刑にしてきた長まりさが
幹部の時だけ躊躇っているのを見た群れのゆっくり達から死刑コールが起こった。
山中の広場にゆっくり達による死刑の大合唱が木霊する。
長まりさとぱちゅりー、ありすはもうどうすればいいのか分からないようだ。
先ほどからオロオロし続けている。
れいむは虚ろな目で、泣いているような、笑っているような不思議な顔になっている。
死刑コールを続ける群れの中程から数匹のゆっくりが押し出されてきた。
成体まりさ一匹と赤ちゃんれいむ、赤ちゃんまりさが数匹。
幹部れいむのつがいと子供たちだ。
まりさが母親役を務める珍しいタイプの夫婦らしい。
押し出された家族達の顔には深い絶望が刻まれている。
死刑コールは鳴り止まない。
その大音声の中で、自分が計算して作り上げたこの状況に
満足感を抱きながら優男が長に話しかけた。
「長、この状況でれいむ一家だけを許せば酷いことになる。決断を」
長まりさとぱちゅりー、ありすがびくりと震えた。
三匹揃って優男の顔を見る。三匹揃って惨めさを感じさせる表情になっている。
「ど、どうにか、どうにかならないのぜ?……」
「どうにもならないよ、長。」
頼りにしている優男に一蹴された長まりさの顔に深い苦悩の色が浮かぶ。
目は潤んでいて、今にも泣き出しそうだ。
ただ、それでも気力を振り絞って顔を上げると、震える声で言った。
「れ、れいむいっかはやさいどろぼうなんだぜ……。
やさいどろぼうは、し、しし、しけ、しけいなの、ぜ……」
長まりさは、群れの長として私情を封印した。
群れのために己を殺すその姿は、とかくの問題はあるにせよ
長まりさが指導者に相応しいゆっくりである証明だと言えるだろう。
その決断には人々に感動を与える可能性さえあった。
ただし、今のこの状況の全てが優男によって仕込まれた茶番にも等しい舞台だと言うことを除けばの話だが。
長まりさがれいむの方を向いて、下を向きながらぼそぼそと喋って告げた。
「……これかられいむいっかをしけいにするのぜ……」
群れのゆっくり達から歓声が上がった。
自分が死刑にしてやる、いいや自分がと執行役に名乗りを上げる声まで聞こえてくる。
ゆっくりには、他のゆっくりに対して平気で暴力を行使する一面が元々存在している。
それは、ゆっくりの群れによくある『他のゆっくりを殺した者には罰を与える』と言う規則からも窺い知れる。
この手の規則は、それがなければそういう行為に手を染める者が居るからこそ作られるのだ。
もしも、ゆっくりがそんなことなど考えもしない純粋無垢な存在であれば初めからそんな規則は存在しない。
そして、ゆっくりにとってのそんな規則は、欲望を煽り立て、恐怖におびえさせ、
そうしても良いんだという大義名分を与えてやればあっという間に有名無実化するのだった。
極度の緊張状態の中で野菜泥棒は死刑だという正義をすり込まれたゆっくり達は、
少しでも怪しい存在が居ればもはや平気でそれを殺すだろう。
幼い頃からの親友を目の前にして、ようやく目に光が戻った幹部れいむが絶叫した。
「どぼじでぞんなごどい゛う゛の゛お゛お゛!!」
それに釣られて、いつの間にか捜査隊にがっちり囲まれていた幹部れいむの家族達も叫び出す。
「まりさたちはやさいさんなんてしらないよ!わなだよ!いんぼうだよ!」
「たしゅけてみゃみゃぁぴゃぴゃぁ」「ゆっくちできにゃいよぉぉぉ」
「ゆあああああああああんん」「れいみゅたちをいじめにゃいでえぇ」
「まりしゃにゃんにもしてにゃいのにいいいい」
幹部れいむ達の叫びをかき消すように、再び群れから死刑コールが起こった。
そして、それに突き動かされるかのように長まりさが跳躍した。
渾身の体当たりが幹部れいむに突き刺さる。
「ゆあああああああああああ!!」
「ゆっべ!どうじでばりざぁ!?どうじでぇ!?」
「ゆああああああああああああああああああああああああ!!」
「ゆぶぅ!ゆごっ!やべでっ!ぼっ!びゅっう!」
れいむの声を振り払うかのように長まりさは絶叫しながら体当たりを続けた。
長まりさが冷静さを少し取り戻した時、もう幹部れいむはどこにも居なかった。
ただ、元はれいむと呼ばれていた汚い餡子袋が転がっているだけだった。
捜索隊の方では、捕らえられていた幹部れいむ一家が今まさに死のうとしているところだった。
どうやら、群れの狂気にあてられた捜索隊ゆっくり達が徹底的に暴行を加えたらしい。
「ゆっへ、ゆひ、ゆひひひひ」
親友一家を殺して、精神のタガが少し緩んでしまったらしい長まりさを見て、優男は潮時を悟った。
今日はこのくらいにしておかないと長まりさが完全に壊れてしまう。
今なら少し時間をおけば正気に戻るだろう。
それにこれ以上は自分が仕向けなくとも、ゆっくり達自身が勝手に暴走して
坂を転がり落ちるように破滅への道を突き進んでくれるはずだ。
「ぱちゅりー、ありす。」
「ゆ?」「むきゅう?」
優男に声を掛けられたぱちゅりーとありすが虚ろな目つきで反応する。
茫然自失状態の二匹に活を入れるように続ける。
「しっかりして下さい!
長も消耗しているようだし、群れがこの状態で犯人捜しを続けるのは危険です。
今日は解散しましょう」
「え、ええ、そうね。そうだわ。そうしましょう、ぱちゅりー」
「む、むきゅ……」
体の弱いぱちゅりーは、中身こそ吐いていないものの
まりさとれいむの有様を見るだけで相当酷い体調になっていた。
仕方なく、ありすと優男で群れを解散させる。
群れの興奮状態はなかなか治まらなかったが、日が暮れる頃になってようやく
広場からゆっくりが居なくなった。
「ありがとうお兄さん。ありすひとりじゃどうしようもなかったわ……」
「いえ、これくらい。」
「ねえ、これからどうしたらいいのかしら?」
「長とぱちゅりーは体調を崩しているし、れいむは、その、あれですし、
ありす一人ではどうしもうもないでしょうから、しばらく様子を見た方が良いのでは?」
嘘だ。あの狂気に感染した群れのゆっくり達をしばらく放っておくなんて自殺行為だ。
本当なら、今すぐ長まりさをひっぱたいてでも正気に戻らせて、
無理にでも対処しなければならない状態だった。
いや、今すぐ対処してももう手遅れかも知れない。
「そ、そうね。そうしましょう」
「ええ、僕も今日のところは帰りますが、また数日後に様子を見に来ますよ」
「おねがい、かならずきてね」
優男がありすと別れて山を下りていくと麓の辺りで若い村人が待っていた。
「どうなった?」
「ほぼ完璧です。あなたの野菜クズの仕込みも見事でしたよ」
「それは何よりだ」
存在しないはずの野菜を使って、存在しないはずの野菜泥棒を存在させたカラクリがこれだった。
優男がゆっくり達の注意を引きつける。
その隙に、優男が群れ見学の建前で調べ上げたゆっくり達の巣の配置図を若い村人が利用して、
村から持ってきた野菜クズを巣に仕込んでいく。
あとはそれをゆっくり達が発見するよう仕向ける。
別に難しいことをやったわけではない。
しかし、効果は絶大だった。
「今回生き残ったゆっくりどもはどうする?」
「僕らが直接手を下すまでもないですね。
疑心暗鬼と正義感と狂気とに炙られて、仲間同士で徹底的に殺し合うはずです。
まあ、一応数日後に確認に行きましょう」
そうなのだった。
今や群れのゆっくり達は、誰かは分からねど確実に群の中に野菜泥棒が存在し、
その野菜泥棒を殺すことこそが正義であり、殺すことで自分がゆっくり出来るという状態に置かれているのだった。
まず間違いなく近いうちに、ゆっくり達は、ほんの些細な行き違いや不安や疑いで憎しみ合い、
親兄弟や友人相手でも平気で殺し合い続けるようになるだろう。
身も心も傷ついた最後の一匹が勝者となり、
見せかけだけの『畑』と存在しない野菜を手に入れて、
誰も野菜泥棒ではなかったと気付くその時まで。
終
最終更新:2022年05月19日 14:46