世界の何処か片隅の山の中にそれはあった。
人間が何でか殆ど寄り付かない地域で、ゆっくりにはある種の聖域のようなところであった。
時々大きな音が聞こえ、そして、遠くで人間が何かに乗って動き回っているのが見えるだけ。
ゆっくりと言うのは人間が持っている"慣れる"と言うストレスに対する耐性を有しているので、大きな音が聞こえる程度は世代が3つも変われば群れで気にする奴は居なくなる。
不可思議な事に捕食種と呼ばれる類は、こう言う環境ストレス耐性が高くないので移ろいやすいらしく、その結果山の中にも関わらず彼らは外敵に怯えない生活を手に入れている。
つまり、彼らは足る事を知っていた。
最高にゆっくりしている、これ以上はないだろう、自然は豊かで花や虫も多く人間は来ない。
彼らは満足し、子を育て、冬を超え、死んでいった。
世界の中に残された楽園、そう信じている。
「たいっへん!なんだぜ!」
ある日の夕暮れ、1匹のまりさが泡を食って転がりながら群れの巣がある大穴にやってきた。
おおむね15mほどの半円形の穴で、各自がそこにトンネルを掘って家を形成し、転がってた板切れでその穴は蓋をされて屋根になっていた。
このエアロックのおかげで熱は逃げ辛く冬は快適、夏場はひんやりとして餌は長持ちと言う訳である。
それゆえ転がり落ちたのを気にせず慌てている奴がいると全員に聞こえる。
「いったいどうしたの」
「どうもこうもないんだぜ、やまがうごいてるんだぜ!」
長であるぱちぇには、変なキノコ食ったか?とまず考えた。
しかしそれはあり得ないだろう事は明々白々である、このまりさ、常に冷静で狩りや状況認識に関しては的確だった。
ゆっくりであるにも関わらず野犬狩りを成功し、群れ随一の益荒男と言っても過言ではない。
「おちついて。やまはうごかないわよ」
「そ、それはそうなんだけど、でもいっぱいうごいてたんだよ」
ふむ。
ぱちぇは辺りを見回した、群れの全員が不思議と若干の怯えを顔に出している。
足りているが故に失う恐怖心が彼らにはあった。
驚くべきことに、彼らは生態系の底と言う自覚があった。
「よし、みにいきましょう」
最悪ここを捨てることになるかもしれない、そう考えながら2匹が外に出た。
ー
まりさに言われる通り隠れ、辺りを見渡せる地点についた。
小山の様なサイズの草に覆われた怪物がそこにいた、まさしく山だった。
低い低い唸り声をあげて、それは周囲の土と草をぐちゃぐちゃに踏み潰して進んでいる。
「た、たしかに、やまね」
「だからそういったんだぜ・・・」
すると、その山は動くのをやめた。
やがてその草むらの中から蓋が開き、今まではっきりと見なかった存在がそこにいた。
人間だ。
あの怪物は・・・もしかして人間を食ったのか・・・?
いやまさか、そんなのが。
それは直後の出来事で確信に変わった。
《戦車全力後退!》
人間が何か早口で叫んだ。
続いて別の人間が草むらから現れて長い筒を構えようとしている。
それが多分武器だと言うことはなんとなくわかる。
戦ってる、人間が怪物と。
なぜ、何で、どうしてはこの際どうでもいい、アレは敵わない何かだ。
かくれよう。
長は出来うる限り正しい判断をした、恐らくこれより良い選択肢は無かった。
ー
会議室では煙草を吹かしながら、陸軍士官達が何となくの無駄話をしていた。
最近の若いのはダメだ、緊張感がない、やれ俺が見習い士官の頃は大陸で云々・・・。
そんな中でふと、悪ふざけに近い気分で誰かが言った。
人体訓練が非道だ何だと言うが、射撃の的を人型にしたら人間は撃つのを躊躇う確率が8割も減ったのだから、命乞いしてくる様な射撃標的も良いんじゃないかと。
そして、そんな手頃でコストの掛からない連中が山に居るじゃないか。
発言者は単なるジョークの一種だったが、聞いていた人間にはそれ相応に理屈に見合うと感じた。
何よりコストがかからない事が彼らには嬉しかった。
何処かで始まったそれは、数日ほどで列島の反対側にあるこの演習場にまで届いた。
「かしらァー!みぎィ!」
小隊長の号令と共に兵士たちが上級指揮官へ顔を向ける。
彼らの手には遊戯銃、つまりエアガンが握られていた。
「よぉーし、お前ら、今日のハンティングは敵の匪賊が隠れている部落を焼き討ちする事だ」
兵士たちは半分立ったまま上手く寝ている、聞くフリだけ丁寧だ。
「お前らにも嬉しい、新しい類の訓練だ、なーんと的は喋る!そして殺せる!最後は焼いて終わりだ、実戦形式だろう?」
流石にこれを聞くと兵士たちはキョトンとする。
指揮官たちはそんな兵士たちを見ながら、満足げに作戦行動開始を命じた。
ー
人間が怪物と戦ってるらしい、警戒のために見張りを増やす。
そう言われてはや数日、何処かで怪物と人間が戦ってるらしい音は聞こえるが、姿は見えず。
きょうの平原方面の見張りは4匹、その中のれいむはぼぉっと空を見上げる癖があった。
いつも空は青い、自分も青い空の中を雲の様に漂っていたいな。
驚くべきことに、生活に充足した結果ゆっくりが哲学的思考を始めていた。
「ゆ?」
何かが飛んでいった、あれは。
とり?
「かわったとりさん・・・」
身体が棒の様な変な鳥が辺りをくるくると飛んでいる。
とんぼ?いや違う、羽根はあんな止まっていない。
とり?いや違うな。
「れいむー、そらばかりみてないでしごとするんだよー」
「ゆ、ごめんごめん」
みょんの言葉にれいむはどうでも良いやと気にするのをやめた。
れいむはぽよんぽよん跳ねながら、切り株から飛び降りようとした。
「なにもいじょうはぶべらっ
そして、餡子を撒き散らしながら地面に突っ伏し、動かなくなった。
「え?」
「れ、れいむー?」
「お、どうしたんだ・・・ぜ・・・」
辺りにいた3匹は動かなくなったれいむに駆け寄り、困惑した。
突然死んだのだ、抉り取られて。
まさか、怪物。
ゆっくり達にはそう考えられた。
「で、でた!かいぶつさんだああああ!」
3匹は一斉に逃げ出した。
見張りとして実に正当な行為だった、報告されねば見張りの意味がない。
「匪賊3、逃亡」
「排除しろ」
小隊前衛の小銃班は、苦もなく排除して"敵"の警戒線を突破しようとする。
すると、小銃手の視界と耳にさっき撃ち殺した筈のみょんが動いて喋ってるのが分かった。
「な、なんで・・・なんでころすの・・・わからない・・・わからない・・・」
「凄え迷惑なんだよ」
早く終わらせてベッドで寝たい彼は、セレクターをバーストにして3発そいつに撃ち込んだ。
中身を飛び散らせたみょんは原型を残す事はなかった。
その光景を、上空を浮かぶ無人機経由から見ていた士官達はにこやかに感じていた。
人語を話す、巣を作る、命乞いもする。
実にリアルな演習を実現出来るなんて素晴らしい存在なんだ。
アレに引き金が引けるなら、いざ戦地で人道だの倫理だのを突然思い出して撃てなくなる事はないだろう。
あぁそうだ、今度、ゲスとか言うくずゆっくり達を狩るのも良いだろう。
ああ言う悪辣で性根が腐った奴らだし、姑息で人を騙すのを何とも思わない存在はゲリラと同じだ。
そんな次の予定を考える士官の耳に《初期配置完了》と連絡が入った。
「ん、総仕上げにかかれ」
ー
擲弾銃を構えた兵士3人が引き金を引き、目標の部落、203mm榴弾の穴蔵に潜むゆっくり達を炙り出しにかかる。
辺りを白い霧の様なものが包み始めた、CSガス、つまり催涙ガスだ。
外にいたゆっくり達が咽び苦しみ、何匹もエアロックを開けて家に逃げようとする。
「穴蔵の入り口特定だ」
ガス手榴弾が投げ込まれ、たちまちにガスが巣を蹂躙しにかかる。
「ゆびゃあああああ!!」
「"お"えっ"」
M50フード型ガスマスクをつけた兵士たちは思った以上に数がいることに困惑していたが、これはこれで面白いなと一部の兵士は考えていた。
総計して80匹以上、成体だけで48匹。
普通の山ならドスでもいないと実現不可能だろう。
「いったいこんなことなんで・・・」
ガスに苦しんで外に出たぱちぇの視界に、人間の様な何かが見えた。
ゆっくりの視界認識力はバカの一言である、おかざりつければ人間とゆっくりが見分けがつかない。
しかし実の所、ゆっくりは顔を認識できないとそれが何か分からない。
フード型ガスマスクはその構造上顔を認識できないので、ゆっくりには人間ではない何かがいるとしか思えない。
そして兵士たちは山間部訓練の都合上、擬装ネットをつけていた。
上半身と頭を覆う様な草むらのように・・・。
「か、かいぶつ・・・!」
「こわいいいい!」
「た、たちゅけてえええ!」
逃げようとしたゆっくり数匹がたちまちに銃撃され、1J規制が無いBB弾はその柔らかい饅頭ボディを細切れに変えていく。
中枢を破壊されなかったゆっくりが痛みとガスに悶え苦しみながらのたうち回り、ショック死したのを見て逃げ出す希望が絶たれた。
その間にも赤ゆと幼い子ゆはガスで苦しみ、これも死んだ。
「あがぢゃんがあああああ!!!」
「どぼじでごんなごどずるのおおお!」
「がえじでええええ!」
悲嘆、絶叫、阿鼻叫喚。
そして激昂。
ゆっくり達が飛び掛かろうとする。
《反抗分子は排除しろ》
彼らは果敢に飛びかかった。
そしてエアガンがそのモーターを唸らせる音を響かせるとたちまちに飛びかかったのとは逆方向へぼとぼと落ちていった。
流石に成体、即死したゆっくりは殆どいない。
そして屋外のガスが消え始めたことでトドメは刺されなかった事も大きかった。
呻き苦しむそれは、敵対感情を萎縮させ疲れさせる事に於いて最高の効果があった。
かつてフランス革命期の混乱で暴徒に釘を詰めた散弾を撃ち込み、死なない程度に苦しませて恐怖で暴徒を黙らせたナポレオンと変わらない効果がある。
《よし、移送を開始》
適当に袋へ放り込まれ、ぱちぇ達はこの先に待ち受ける数々の地獄に恐怖するしか無かった。
一方その頃、まりさは別の選択肢を選んでいた。
逃亡を図って即死したゆっくりの影に隠れ、死んだふりをしていたのだ。
これが加工所なら死体も回収されるので助からなかっただろうが、陸軍の内心面倒くさがってる兵隊は命令の範疇にない行動をする気がなかった。
死体は諸共巣の中にぶち込まれ、まりさはしめた!と掴んだ幸運に感謝していた。
このまりさ、狡猾さは伊達では無くガスが投げ込まれた時家族は厳重に入り口を蓋をして隠していた。
しばらく此処に隠れ住もう、まりさの思考は妥当であった。
備蓄食糧庫の中身は越冬前だけどそれ相応にある、生存者が自分達だけだからかなりはある筈だ。
家に戻ると震えているありすと赤ゆ達を抱きしめ、静かに隠れるようジェスチャーした。
《焼却だ、熱滅却処理するぞ》
巣の蓋が開き、怪物がキラキラ光る何かを巣にばら撒き、続けて黒い粉を振り撒く。
最後に何か、筒を投げ入れると同時に蓋を閉じた。
足音と、袋に詰められた仲間達の悲鳴が遠ざかっている。
そして、巣に投げ込まれたテルミット手榴弾は点火された。
テルミット効果、それは鉄粉とアルミと高温の炎で効率よく物を燃やす方法だ。
特にタチ悪いのがこれが簡単に消えたりしないと言う点。
さっき人間が撒いて行ったのはアルミホイルと鉄粉である。
数千度に余裕で達した炎は、振り撒かれた巣全体に燃え盛る。
「よお燃えるなあテルミットって」
「こえーよなー。」
後始末中の二人の兵士は、やっぱり隠れていた奴が居たらしい巣が炎に包まれ、蓋をしていた鉄板が溶けていくのを見ながら話し合っていた。
中から断末魔の絶叫が響き、だんだんそれが消えていく。
「そのご」
演習場備品としてのゆっくりは、その後やっぱり消えて行った。
理由は簡単だった、単純に煩いし、管理が面倒であると言う点。
それに、度々兵士が備品のゆっくりをつまみ食いしたり調理しておやつにしたり勝手に遊んだりしてたので、問題点として取り沙汰されて結局おじゃんというわけである。
「お前らクビ、帰って良いぞ」
ぱちぇは辛くも生き延びた、四週間程度の時間だったのにも関わらず仲間は10匹前後。
CQC訓練で的に貼り付けられて散弾銃を撃ち込まれ四散したゆっくりがいた。
屋外の野戦重砲の威力を新兵に理解させるため榴弾でぐちゃぐちゃにされたゆっくりがいた。
手榴弾を口に咥えさせられて屋内戦訓練で爆散したゆっくりがいた。
人質対応訓練で人質役と犯人役の的に括られ、新兵が突入訓練ミスで誤射られて死んだゆっくりもいた。
訓練教官に扱かれた新兵達が憂さ晴らしにやってきて蹴り殺されたゆっくり達も・・・。
餌といえば、撃たれて苦しみながら死んでいった同胞や蹴り殺された同胞だけ。
地獄だった、ただただ地獄だった、それ以外に言うこともない。
そして、何とか巣のあった場所に帰ったぱちぇ達は溶けて焼け落ち、黒ずんだかつての故郷を見つけた。
楽園など存在しないのだ。
最終更新:2023年04月16日 00:31