信じようと信じまいと――


20XX年、Y月Z日、日本の月探査衛星「蓬莱」は予定通り月の周回軌道に乗った。
月表面のより詳細な情報取得と資源探査、及び後発の着陸船の目標地点の調整のためである。
一般企業参加の元で開発された高解析度カメラを搭載した蓬莱は、高度調整の後にその任務に付いた。
月の表面上の直径10㎝の物体まで捉えることの出来るカメラ。
国際月資源開発基地の建設場所の決定を控える最終的な上空からの月査であった。
蓬莱が撮影した映像は航空宇宙開発局により一般に公開されていた。
月面から青い地球が昇る地球の出を捕らえた映像は他国のニュース番組を飾るほどの好評を博した。
だが、ある一部の映像はカメラの不調からの映像の乱れにより公開できなかったという。
誰も特に気にも留めない程度の欠落ではあったが、実は航空宇宙開発局により故意に隠された物であったと言う。
その映像はわずか5分程度の物である。そのカメラに写されていた物は―――


つきのいなば*



未だに有人飛行を実現できずにいた日本は焦っていた。
欧米や中国、ロシアがそれを成し遂げていながら技術大国を名乗る日本は大きく遅れをとっていた。
一応有人飛行船の開発目処は立ってはいる。
設計上は何も問題のないはずの有人宇宙船。
だが日本にはこれに関してのそれまでの経験や積み立てというものが全く無いのである。
実際に宇宙に人を飛ばしてみないと分からないことなど五万とあるに違いない。
仮にもし何かのミスがあった場合の対応、処置など課題も山と積んでいる。
何も分からぬ、他人から聞いたのみの情報で人を宇宙空間に送り込む事。
それは間違いなく人体実験となる。
成功すればいいが、失敗した場合、最悪宇宙開発の断念、少なくとも中断は避けられない。
動物実験をしようにも彼らには言葉が通じない。
実際に機材を使わせたり生活させたりすることは到底無理だ。
人以外で言葉を理解し、ある程度道具の使える生き物。
やがて彼らは気づいた。その願いをかなえる都合の良い生き物が身近に居ることに。


うどんげは狭い部屋に閉じ込められ、一人寂しそうにベッドの上で与えられた携帯ゲームをしていた。
もう一人きりにさせられて2週間は経っただろうか。
ここは航空宇宙開発局の実験棟。今狭い空間内における落ち着きをテストする実験が行われている。
通常人間で行われる実験だが、今回はその代わりにゆっくりが入れられていた。
息苦しい無機質空間。空調の音がその孤独を際立たせる。
電子音にはもう飽きてしまった。携帯ゲーム機の音量は0。
泣き出しそうになるのをうどんげは必死に我慢していた。
それをごまかすかのように無心に定期的にスピーカーから聞こえる指示に従うか、あるいはゲームをしていた。
不意に室内に警報音が鳴り響き、部屋の奥に設置された白いドアがいかにも重たそうな音を立てて開く。
うどんげはゲームを放り出すとその扉の向こう側からやってくる影を見つめた。
カツカツという音が次第に自分に近づいてくる。
そしてそれが誰かが分かるや否やうどんげはその人影に抱きついた。
「お疲れさま、よくがんばったわね。うどんげ」
抱きつかれた研究員はそういって彼女の頭をやさしく撫でた。
うどんげは嬉しそうににゲラゲラ笑うと研究員に抱かれてその部屋を出た。
しけんにごうかくすれば、おねえさんがほめてくれる。
がんばってなくのをがまんすれば、おねえさんがゆっくりさせてくれる。
うどんげはそのお姉さんの優しさだけを支えに、今までずっと厳しい実験に耐えてきたのだ。

うどんげは加工所で生まれた。
生まれてすぐに母親から引き離され、毎日寒くて汚いゲージの中で縮こまって泣いていた。
美味しくないご飯。憂さ晴らしに自分をいじめる年上のゆっくり達。
うどんげはゆっくりする事を知らなかった。
誰も助けてくれない、誰も守ってくれない加工所がうどんげは大嫌いだった。
だがそんな折、うどんげにある転機が訪れた。
宇宙船に乗せる実験体としてのゆっくりの選抜が行われたのである。
全てのテストに合格し、比較的おとなしかったうどんげは見事実験体に選ばれ、その住処を移した。
きれいな部屋に美味しいご飯。
うどんげは始めて自分のゆっくりプレイスを見つけた。
だがそれ1週間も続かず、すぐにうどんげは本格的な耐久実験に回されてしまう。
大きな機械に振り回され、ローラーの上を延々と走り続け、極度の温度差に身を晒された。
うどんげはさらに過酷になった自分の環境を、そして運命を呪った。
日に日に心身ともに文字通りぼろぼろになってゆくうどんげ。
願わくば、私を作った神に呪詛を、願わくば、私を虐げる人間に罰を。
だがある日、うどんげに手を差し伸べる人間が現れた。

いつも通り実験でぼろぼろになったうどんげは一人実験室に倒れていた。
近づいてくる足音。また同じようにストレッチャーに放り込まれ部屋に置き去りにされるのだろう。
うどんげは泣きもせずに不貞腐れたように体を丸めた。
背後で止まった足音。うどんげは痛みを覚悟して目を強く瞑った。
だが、彼女は不意に暖かく、心地の良い何かに包まれた。
「かわいそうに、こんなにボロボロになって……」
そういってギュッとうどんげを抱きしめたのは若い女性の研究員だった。
彼女はゆっくりと歩き出すと、うどんげの頭を優しく撫でた。
うどんげの飼育部屋に入ると彼女はうどんげに丁寧に治療を施す。
いつの間にかうどんげは泣いていた。どうして泣いているのか分からなかった。
別に悲しいわけではなかった。でも涙が止まらなかった。
「ぶえええぇぇぇぇ……」
うどんげの悲しげな泣き声を聞いて、彼女もまた目じりに涙を浮かべていた。
「ごめんね、辛いでしょう……」
うどんげはいつまでもな彼女の腕の中で泣いていた。

その後、彼女はうどんげの実験が終わると毎回やってきてはうどんげを介抱するようになった。
うどんげは日に日に元気になってゆき、実験結果もなかなかの物になっていた。
このじっけんがおわれば、おねえさんとゆっくりできる。
うどんげはお姉さんの介抱を糧に、日々の実験を乗り越えてゆく。

遂にうどんげはたのゆっくりを退け、宇宙船にのる実験体として選抜された。
うどんげを乗せる宇宙船の準備は着々と進み、とうとう打ち上げ予定1週間を切った。

いつもより物々しい雰囲気の実験棟。
うどんげは小さなブレザーにネクタイ、スカートという普段と変わらぬ格好でお姉さんと歩いていた。
「いい、うどんげ。あなたはこれから宇宙に行くのよ。それもゆっくり初なんだから!」
分かってか、ゲラゲラとさぞ楽しそうに笑ううどんげ。
大きな奇怪の前で歩みを止めると、お姉さんはうどんげに向き直り微笑んだ。
「うふふ、うどんげも嬉しい?私もとっても嬉しいわ」
そういうと、しゃがみこんでうどんげに首輪を取り付ける。
ゲラゲラとひときわ大きく笑ったうどんげの小脇を抱え、機械の中の小さな座席にうどんげを座らせた。
「さあうどんげ、頑張ってね。貴方は今歴史の1ページとなるのよ!」
そう言うと頭を撫で、機械から離れるお姉さん。
ゆっくりとシャッターがしまり、うどんげの視界から消えていくお姉さん。
最後に彼女の口元が何か言っている様に見えたが、うどんげがとうとうその言葉を知ることは無かった。
光が遮断されると同時に、うどんげは何か甘いにおいに包まれ、静かに眠りに落ちていった。



201X年X月X日、日本航空宇宙開発局は、新たな小型実験衛星の打ち上げを発表。
より高度な遠隔操作技術実験のため、月軌道上を2週間周回の後、事前に決められた落下地点に墜落する予定。
前回の月探査衛星でも動揺の実験を行ってはいるが、更なる精度での落下計測を行う為に再度行うとの事。
また、生命維持装置などの耐久実験も行うとされている。

201X年X月Y日、日本航空宇宙開発局は、衛星制御及び装置耐久実験が成功に終わったと発表した。
目標地点より誤差100m以内への落下が確認され、関係機関は大きな関心を寄せている。



―――蓬莱が撮影した問題の映像には、月面を動き回る何者かの影が映ってた。
その姿はウサギの耳をつけた幼い女の子の容貌であったという。
生命が存在するはずのない月面上に、それも人型の生き物がいるなどあってはならない事。
世界の混乱を恐れ、彼らはすぐさまその映像を隠蔽した。
だが本当に彼らの目的は、常識を守るためだけだったのだろうか……?


貴方が信じようと信じまいと―――


今も静かな海の何処かで、一匹のうどんげが寂しさに泣いているのである。



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書いた人:かりすま☆れみりゃ

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最終更新:2022年04月15日 23:05