僕は朝、色々合って目玉焼きを頭から被ってしまい盛大に汚れた黒い帽子を
まず回りにこびり付いているケチャップと黄身をふき取り
洗剤を使って染み抜きをすると最後の仕上げとして帽子との別れを前に泣き叫ぶまりさを無視して洗濯機に放り込んだ。
このゆっくりまりさは家で飼っている二代目ペットで初代の愛犬ミケ(毛が白黒茶色の三色なのでそう名づけた)
に比べてどうしようもなく至らないペットだったが妹は可愛がっていた。
洗い終わって乾かして、お天道様の機嫌次第だが明日の内には多分被れるようになるだろう。
「これでよし、と」
「サンキュー兄貴」
一仕事やり遂げた男の顔で僕は妹にそう言った。

「まりさのおぼうしが…まりさのだいじなおぼうしが…」
まりさは泣きつかれたのか、目を腫らして呆然としながら洗濯機を見つめていた。


それから僕は母から昼食代を貰って友達の所に遊びに行く妹を見送ってからは
のんびりとTVを見たり推理小説を読んだりしながら昼過ぎまで居間で過ごしていた。
まりさが茫然自失状態のままでぼーっとしているし母は昨晩から調子が悪くて寝ているしのでとても静かだ。

「おにいさん…まりさのおぼうし、まだかぶっちゃだめなの…?」
足元で僕を縋るようにみながら弱々しくそうつぶやいたまりさを見止めて僕は読んでいた
『名探偵田中梧郎』シリーズ最新刊を脇に置いて言った。
「早くて明日の夕方ごろってとこだな
まあ太陽がちゃんと出てればの話だけど」
そして僕は田中が犯人を言い当てるシーンの続きを読もうと思って小説を手に取ろうとして
まりさが驚愕の表情を浮かべていることに気が付いた。

「う、うそだよね…ほんとはもっとすぐにかぶれるんだよね?
ちゃんときれいにするのはあとでもいいからはやくまりさのおぼうしかえしてね!」
「いや、今洗濯機の中でぐるぐる回ってて洗剤まみれだと思うから無理だと思うぞ
びしょ濡れでもいいなら夕方ごろには…」

「ゆべえええええええ!?」
突然悲鳴をあげたまりさの様子に僕は首を傾げた。
「きょうはおねえさんのおともだちのところにいるれいむたちに
まりさのすてきなおぼうしみせるってやくそくしてたのにいいいいいいいいいいいい!!!」
慌てふためきながら僕の足元をぐるぐる回りだしたまりさを見てなるほどと頷く。
そういえば妹が今日は後で友達を家に連れてくる予定と言っていたのを僕は思い出した。

「まあ別に今度見せれば…」
「どおぢよおおおおおお!!ま゛り゛ざう゛ぞづぎになっぢゃううううううう!!
や゛だああああああああ!!う゛ぞづぎになっだられ゛い゛む゛にぎらわれぢゃうううう!!」
まりさはこの上なく狼狽しながら髪を振り乱し、机の周りをゴロゴロと転がり始めた。
どうでもよさそうに眺めていた僕だったが
お気に入りのカーペットがまりさの涙と鼻汁とよだれで汚されているのに気付いて慌てて止めに入る。
が、既にかなりの加速が付いて縦横無尽に家具と家具の間を転がりまわるまりさを止めるのは容易ではない。
このまま転がり続けて餡子でも吐かれると厄介なので仕方なく僕は説得を試み始めた。
「落ち着けよまりさ
事情を話せばそのゆっくりだってお前を責めたりは…」
「や゛だああああああああああああああああああああ!!!!!」
絶叫してまりさは開かれた扉の間に転がりこもうとした。
その扉の先、それは。
「ま、待て落ち着け話し合おう話せばわかるときわかれどもわかるりれー!!」
慌てふためいて手を伸ばした僕を無視してまりさは僕の部屋へと転がり込んでいった。
そして数秒後に何かの激突音と落下音を聞いてほぼ確信に近い嫌な予感を感じて僕は部屋に飛び込んだ。

そこには僕の部屋のCDラックに突っ込んでCDの中に埋もれたまりさが目を回して気絶していた。
「……」
気絶したまりさは部屋の外に放り出してCDの安否を確認する。
案の定、まりさの下にあったCDのケースが割れていた。
よりによって友達に借りていた奴だ。
無論弁償である。

「……よし殺そう」
僕は色々限界に達したのを感じてそう決意した。
普通に殺すと親が先生に相談とかしてしまいそうなので事故に見せかけて殺そうと思って
僕はまりさの脳天に落とすのに調度よさそうな重い物と事故に見える罠の仕掛け方を色々試し始めた。
とりあえず母が最近額づけ作りに懲りだした末に購入した漬物石に紐とかつけて色々とトラップを試していると
チャイムの音が軽やかに鳴った。
僕は慌てて殺まりさ計画の仕掛けを適当に仕舞ってインターフォンを取った。
「はい、どなたですか?」

『あ、お兄ちゃん?私私、早く開けてー』
「ああはいはい」
妹がドアの前に立って手を振っているのを確認すると僕は玄関の戸を開いてさっと脇に退いて
漬物壷を自分の後ろに隠した。
「ただいまー、みんなゆっくりしていってね!」
「お邪魔しまーっす!」
「あ、こんにちは
Kちゃんのお兄さんですか?
いつもKちゃんにはいつもお世話になっていま」
「そんなのいいから早くあがってあがって!」
案の定、友達二人の手を引いて妹は家の中にドタドタと入っていった。
妹が僕のことをお兄ちゃんと呼ぶときは家族以外の誰かが近くに居るときだけだ。
だが予想外なこともあった。
「おじゃまするよー」
「れいむもゆっくりしていくからおにいさんもゆっくりしていってね!」
妹の友達二人の後をついてゆっくりが二匹家に入ってきたことである。
元気でボーイッシュな方の妹の友達についてきたのが猫のような尻尾と耳の有るゆっくりちぇん
いきなり僕に挨拶してきた礼儀正しそうな子についてきたのがゆっくりれいむである。
適当に手をあげて挨拶をすると僕はとりあえずトラップをこっそり片付けてから
部屋に戻ってCDラックを片付けようと漬物石に手を触れた。

「あ、待ちなよお兄ちゃん!お兄ちゃんにも聞いといて欲しい話あるから」
呼び止められて僕は振り返る。
「早くってばぁ!」
トラップをどうしようかと困っていると妹が語気を荒めて言うので
時間が足りずにとりあえず隠せるだけ隠しておいて
はてさてと頭を掻きながら仕方無く、三人が早々に座っているテーブルに着いて尋ねた。
「えーと、なんで?」
妹は両側に座る女の子二人の肩を持って言った。
「二人にゆっくりの飼い方聞くんだからお兄ちゃんも聞いてくれなくちゃ」
それは君がちゃんと聞いて自分でまりさを育ててくれれば僕が聞かなくても問題ないのではないだろうか
という疑問が脳裏を過ぎったが、どうせ実際には自分で世話をしなくてはならないだろうからおとなしく聞いておくことにする。
ここできちんと躾方を学んでおけばまりさ殺害計画を遂行しなくて済むかもしれない。

「ほらお兄ちゃんも大先輩に挨拶挨拶」
「先輩だなんてそんな…」
「それほどでもあるけどねー」
妹の友人は一人は謙遜気味に背を丸めて顔を俯かせ
もう一人は尊大に椅子にもたれて仰け反った。

「はあ、まあとりあえず自己紹介から」


自己紹介を終えて話を聞くこと15分ほどか。
なるほど、確かに妹がわざわざ話を聞くように言っただけあって
非常にためになる話が聞けた。
二人のゆっくり観が割と正反対なのも面白い。

割と礼儀正しくておっとりした長髪の方の女の子はYちゃんと言って
その雰囲気と同じくゆっくり性善説とでも言うべき和やかな育成方針を持っていた。
基本はじっくり話し合ってゆっくりに人間の善悪を教えていくのが信条なようだ。

対して砕けた感じでショートカットでボーイッシュな服装の女の子はSちゃんと言って
なんというかヴァイオレンスはゆっくり観を持っている。
彼女の躾方針を端的に述べると「拳で分かり合え」である。
それは決してゆっくりが嫌いでやっているというわけではなく
あくまで躾の一貫としてやっているというのは彼女の弁だ。


「わかるよーれいむはうそつきだよー!」
「れ゛い゛む゛はう゛ぞづぎじゃないよおおおおおおおお!!」
二人の話を聞きながら色々と感心して僕が頷いていると、突然ゆっくり達の罵声が飛び交った。
見ると部屋の隅でゆっくりれいむとゆっくりちぇんが口論をし合っていた。

「だってれいむはすてきなぼうしのまりさをみせてくれるっていったよー
なのにどこにもすてきなぼうしのまりさなんていないよー
うそつきだよー」
「ほ゛んどに゛いだのおおおおおおおおお!!
どぼぢでれ゛い゛む゛がごんなによん゛でる゛のにま゛り゛ざででぎでぐでないのおおおおお!?
や゛ぐぞぐぢだのに゛いいいいい!ま゛り゛ざのばがああああああああ!!!」
大体口で言ってくれているがどうやら素敵な帽子のまりさとやらが居ないことで口論になっているらしい。
そういえば家のまりさが妹の友達のゆっくりに帽子を見せるとか言っていたがこのことだったかと僕は思い出した。
「ありゃりゃ、こじれてるねぇ」
「れ、れいむちゃん泣かないで、まりさちゃんにもきっと事情があるんだからそんなこといっちゃ駄目よ?」
頭の後ろで手を組んで、面白そうにニヤニヤとその様子を眺めるSと
オロオロしながら、まりさのことをなじるれいむを嗜めるYの対照的な対応が少し面白い。
「お兄ちゃん、そういえば家のまりさは?
この前この子達と公園で遊ばせたから
今家のまりさのこと言ってると思うんだけど」
「あーさっき帽子がどうのって転がって暴れまわった末気絶してそのまま放置してたけどどこ行ったかな?」
僕と妹は顔を見合わせると下を見ながらそそくさとまりさを探し始めた。

「あ、居た居た」
机の下とか覗いていた僕を尻目に妹は早々に部屋の隅でカーテンの後ろに隠れるまりさを見つけていた。
さっき転がりまわっていたせいか体は汚れだらけで髪も酷く絡まっている。

「ゅ…!しぃ~!しぃ~!」
「おしっこ?外でしてね」
ばらさないように口を尖らせて必死に妹にばらさないよう言うまりさに対して妹は無視して部屋の窓を開けた。
二匹のゆっくり達も口論を止めてガラガラと音を立てて開く窓の方を振り向いた。
「ゆゆ?」
「わかるよーなにかいるよー」

「ゆゆぅ~~~~みつかっちゃったよお~~~~!?」
まりさは汗を飛ばしながら慌てて妹の後ろに隠れた。
「…ああ」
妹ははっと気付いたかのように手を叩くとまりさを手で抱え持ち上げた。
「ゆぅぅう!?やめてね!おねえさんやめてね!」
まりさは涙目で身を捩り逃げ出そうと暴れるが妹は笑顔で言った。
「大丈夫大丈夫、ちゃんと謝れば許してもらえるって」
「ゆう…わかったよ、まりさちゃんとあやまってみるよ…!」
僕が説得しようとしたときはろくに取り合わなかった癖に
時間がたって頭が冷えたのか妹に抱きかかえられて何やら落ち着いたのか
あっさりと説得されてまりさは妹の手から下ろされると
れいむとちぇんの下に歩いていき、神妙な面持ちで深々と頭を下げた。
「まりさのおぼうしはおにいさんにとられていまみせられないんだよ…
せっかくれいむとおやくそくしたのにまもれなくてごめんね…」
謝罪しつつもさりげなく僕に責任転嫁しているがそれよりも
ゆっくりが頭を下げるとケツが浮くの、で僕はそれがみょんに気になった。
いくらかの時が過ぎ、れいむがぽん、とまりさの肩に当たる部分
人間で言うとこめかみの辺りを舌で叩いた。
まりさがその優しい触れ方に恐る恐る顔を上げてれいむに尋ねた。
「こんなまりさだけど…ゆるしてくれるのれいむ…?」
まりさの瞳は感動で潤んでいる。

「ごめんなさい、どなた?
あなたとはあったおぼえがないよ」


『ええー?』
じっと黙してその様子を見ていた僕と妹は同時に疑問符をあげた。
まりさは口をあんぐりと開けた表情のまま硬直した。

「ゆー、ごめんねちぇん
きょうはれいむのいってたまりさはいないみたいだよ」
「きにしなくていいよーちぇんこそひどいこといってごめんねだよーわるかったよー」
口をあんぐりと開けて呆然としているまりさを他所に
さっきまで口論してたというのにれいむとちぇんは何やら冷静になってお互い和解している。

「うわぁYちゃんのれいむちゃんと知らない人に尋ねられるんだ
躾が行き届いてるねぇ」
「ううん、ちゃんとお勉強しただけで躾っていうほどのことをしたわけじゃ…
それにちぇんちゃんだってれいむちゃんにちゃんと謝ってくれてとってもいい子だよ
私れいむちゃんもちぇんちゃんもちゃんと仲直りできて安心しちゃった」
予想外の展開に驚く僕らとは打って変わって妹の友達二人は当然の展開といった様子で
平然と会話を続けていた。

「え、これどういうこと?なんか感動のシーンみたいな展開じゃなかった今?」

妹が目を白黒させながらゆっくりの方を指差すのを見て
二人はまさに経験者が初心者を笑うようなあの呆れと懐かしさを混ぜこぜにしたような表情で言った。
「ゆっくりって帽子で個体識別してるからねー」
「何年も一緒に暮らしてるとたまに、ほんとにたまに帽子が変わってもあることもあるらしいんですけどね」
そして二人で顔を見合わせてくすくすと笑いあった。
「そーなのかー…」
妹は大分驚いた様子で目を丸くしてまりさの方を見た。

僕はというとなんとなくこれまでのことに納得が言ったといった気持ちだった。
そういうことならまりさが帽子が無くなった事でアレだけ狼狽したのもよくわかる。
このことがわかっていたからまりさもきっとあれだけれいむに遭うのを嫌がっていたのだろう。



「どどどどどぼぢでぞんなごどいうのれ゛い゛む゛のばがあああああああああああああああああ!!!」
大口を開け乱れた髪をさらに振り乱してまりさがれいむに向かって罵声を発した。
「…わかってなかったんかい…」

滝の様に涙を流しながら悲鳴を上げるまりさを見て僕は肩を落とした。
まあ冷静にさっきからのまりさのリアクションも考えればどう見てもわかってなかったようだ。

「どぼぢでぞんなごどいうのおおおお!?れ゛い゛む゛ばがじゃないのに゛いいいいい!!
ひ゛どいよおおおお!!」
負けじとれいむも泣き叫んだ。
「ひどいよーれいむのことひどくいうとちぇんおこるよー」
泣き喚くまりさの罵倒にゆっくり二匹もご立腹のようだった。
「う゛る゛ざいっ!お゛ばえ゛ら゛な゛んがだいっぎらいだ!ばーが!ばーが!!」
まりさの方はというと顔をグチャグチャになるほど泣き喚きながら暴言を繰り返している。
よほどれいむが自分のことをわからなかったことがショックだったらしい。
「ひ゛どい゛よ゛おおおおおおおお!!!」
「もうおこったよーゆるさないよー」
れいむは目から滝の様に涙を流しちぇんは頬を膨らませて尻尾の毛を逆立て威嚇している。
一触即発の気配を感じて、妹の目配せを受けると僕は立ち上がり間に入って止めようとした。
「あ、いいからいいから」
が、妹の友人のSの腕に阻まれてしまう。
「え、でも」
「そうだよ喧嘩はよくないよSちゃん」
何故止められたのかわからずに僕はSの方を見た。
SはYと僕の静止も軽く流してニヤニヤと笑いながら三匹の様子を眺めている。
「でもうちのまりさがSちゃん達のゆっくり怪我させちゃったりしたら…」
妹もSの横にパタパタと歩いていってSの顔を覗き込んでいった。
「大丈夫大丈夫」
だというのにSは安心しろというかのように歯を見せながら笑って僕と妹とYの顔を見ながら言った。
「私のちぇんは怪我するようなヘマも怪我させるようなヘマもさせないから」




「ゆ゛ぶべええええええええええええええ!!!」
「わひゃふよーよわひゅひふよー」
勝負は一瞬で決まった。
突進したまりさにちぇんが素早く尻尾を巻きつけて
尻尾の先を口で咥えるともはやまりさは何も出来ずに痛くて悲鳴を上げるだけだ。
ちぇんが尻尾をギリギリと締め上げるにつれて
まりさの目と口の間に出来たくびれが深くなっていきまるでひょうたんのような形になった。
まりさはくびれの部分は中の餡子の色を反映してか黒く変色し始めているし
餡子が送られて圧迫されてるのか充血した目がギョロリと飛び出しているは
舌もだらしなく口から出ているはでて非常に気持ち悪い。

「ゆ!さすがちぇん!とってもつよいよ!」
「ひょれほどへもなひひょー」
れいむが『突然れいむ達の悪口を言った知らない悪いゆっくり』をやっつけるちぇんを見て歓声を上げて飛び跳ねた。
「うわぁ…これ大丈夫なの?」
「ゆ゛ぐっ!?お゛ね゛っお゛ね゛え゛ざん゛や゛べっで!」
妹がしゃがみこんで興味深そうに尻尾で締め上げられて出来た段差の部分をつっつくと
まりさが痛みに体を捩ってさらに尻尾が深く食い込んだ。
「大丈夫だよこれくらい、形も一日寝かしとけばすぐに戻るから」
Sは後頭部に両手を当てながらケラケラと笑った。
「でもかわいそうだよ、そろそろやめてあげようよ」
YはそんなSをオロオロしながら嗜めようと頑張っている。
「いいのいいの飼い初めはガツンとやっといた方が後々ね」
しかしSは気軽そうに手を振ってちぇんを止めようとはしなかった。

「そーなのかー、すごいなゆっくり」
「ゆ゛ぶべぼぶばぁ!?」
妹は感心しながらまたまりさをつっついた。



僕はその様子を見て、表面上感心する振りをしながら
CDケースを割られた分の溜飲を下げて心中で言い放った。

『ざまあみろ』と





そんなこんなでまりさが泡立った餡子汁を吐きながら意識をなくした辺りでちぇんの締め上げ
S曰く『猫固め』が解かれて妹と友人達はもう一度外に出て遊ぼうかという話になった。














玄関から出て行く妹とYの姿を見送り、僕はコーヒーでも淹れようとして
ふと、漬物石に仕掛けたトラップもどきをそのままにしていたことを思い出した。
一応引っ込めてあるが引っかかるとも限らない。
僕は慌ててトラップを解除しておこうと思って玄関の方に歩いていく途中で
荷物を片付けるのが遅れてまだ家に残っていたSが今靴を履いて玄関から出ようとしているのを見て慌てた。
Sが歩いているコースはモロに僕の仕掛けたトラップへと一直線だった。
漬物石が足の上に落ちて怪我でもしたら大変である。
すぐに止めようとして手を伸ばしかけて僕は目を丸くした。
Sは少し屈んでトラップの紐を指で摘むとピンと引っ張って漬物石を落としたのだ。
アングリと口を開けて僕はしゃがみこんで漬物石を調べているSを見下ろした。
「お兄さん、これじゃゆっくりは死なないよ」
「な!?」
ただでさえ驚いている所だというのに僕はSにまるで自分の心を見透かされてるがごとく
自分の計画を言い当てられてたじろいだ。
「これじゃ形はつぶれるけど死にはしないよ
殺したいならもっと高いところから落とさなくちゃ
それかもっと尖った物を使うかだね
これはよっぽど酷い傷じゃないとすぐに治療されたら治っちゃうけど
逆にナイフ大の切り傷でも丸一日放置されたら死ぬよ」
すらすらと言ってのけるSに僕は息を呑みながら恐る恐る尋ねた。
「…なんでわかったんだい?」

Sはしゃがみ込んだまま僕の顔を覗き込んで
口許を吊り上げて眉を潜めた暗い微笑みを浮かべて言う。
「このかわいらしい罠に気付いたのは家に入ってすぐ
漬物の壷なんて低いとこから落としてつぶれるのは
人の足かはいはいしてる赤ん坊かゆっくりってとこだね
で、お兄さんがよく悪戯するようなお茶目な人とはKちゃんからは聞いたこと無いし
さっき話した感じだと悪戯して遊ぶほどあのまりさとお兄さんが仲が良いって感じはしなかったし
それにこの漬物石は悪戯にしてはちょっと重すぎるよ
ちなみにKちゃんかお兄さんかで考えあぐねてたんだけどさっき私に声かけようとしたので確定
あ、間違ってたら謝るねお兄さん」

一応最後にそう言ったが確信を持って言っていることは間違いない。
「お見事、言葉も無いよ」
「駄目だよお兄さんこんなのほっといてちゃ
私、二人が引っかからないようにこっそりと靴の位置とか動かしといたんだから」
口を尖らせて怒ったような表情を浮かべるSに対して僕はかぶりを振って謝罪した。
「面目ない、急に来たもんだからとりあえず隠してそのまんまにしてしまってたよ」
Sはうんうんと頷いた。
「まあその辺反省してるならいいけど、で」
そして立ち上がって胸辺りから僕の顔を覗き込んだ。

「私ならバレ無いように出来るけど、どう?」

瞳の奥の頭の中身まで見つめられるような感覚にゾクリとしながら僕は一歩仰け反った。
少しの間、凍りついたように動きを緩慢にした脳をフル回転させて答えを搾り出した。
「遠慮しとく、共犯は後に禍根を残すからね」
必死に搾り出した答えは、以前に読んだ推理小説のセリフの丸写しだった。

「賢明っ」
さっきまでの表情が嘘の様にSはバンバンと僕の背中を叩きながら明るくカラッとした笑みを浮かべた。
「じゃ、私も行くから」
ブンブンと手を振って玄関から出て行くSを見送ってから、僕はぺたんとその場に尻餅を付いた。
どっと来る疲れと共に、いい年して小学生相手に手玉に取られていたことを心中認める。

「侮れないな、最近の小学生」
まりさ殺害計画はあの子にばれないくらいにしっかり計画が練れるまで延期する必要があるようだった。



タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2022年04月15日 23:13