ゆっくりいじめ小ネタ389 ゆっくりを食べる話

『20年前の想い出』

小学生の頃、私は田舎暮らしに憧れのようなものを抱いていた。そこにこそ日本人の魂があるものだと思っていたのだ。幸い自然の豊かなところに育ったので、山菜を摘んでは子供なりに料理して食べていた。
母親が妊娠や子育てに忙しく、私が家事を行うことが多かったことも幸いした。
そんなある日、学校帰りにれみりゃを見つけた。小学四年の事だったと思う。
草むらの中からガサガサと音がするので見てみると、れみりゃがうー、うー、と鈍重そうに草にぶつかりながら飛んでいた。
ゆっくりという呼称通りののろまな飛行を見ていると、本で読みかじったれみりゃの食べ方を実践してみたくなった。
ウサギや蛇を捌くのは難しそうだったが、川エビやれみりゃなら当時の私にも出来そうな気がしたのだ。
ジャージの上を脱ぎ、れみりゃにかぶせて絞って家まで走った。
走ったのは急がなければジャージが破れてしまいそうだったからだ。
当時私は蕎麦に凝っていて、土曜日の昼は蕎麦の事が多かった。その頃は土曜日にも小学校が営業しており、大抵はクラス会になってしまう道徳と、図書室の本のほとんどを読み終えてしまった私には退屈なだけの読書の時間が組み込まれていたのだが、帰って蕎麦を食べる事が心の慰めになっていた。
そんなわけで我が家には蕎麦を茹でるための大鍋があったので、大鍋に給湯器で沸かした湯を入れてれみりゃを放り込み、蓋を手で押さえつけながら火にかけて生き茹でにした。
れみりゃはしばらくじたばたしていたがやがておとなしくなった。しかし死んだふりをして私を油断させ、鍋から逃げ出そうとしているかもしれないと思い抑える手はゆるめなかった。そうして20分ほど茹でたところでようやく蓋を開けると肉饅頭はすっかり茹で上がっていた。
包丁で外皮を切り裂き、中身の肉を取り出してわさび醤油で食べた。
前述のように蕎麦好きの私は鮫皮のわさびおろしを持っていた。今は見当たらないが台所のどこかにあるのだろうか。この時はまだわさびおろしが台所の私の手の届くところに存在していたのだが、肝心のわさびがなかったので粉わさびだった。それも、大根おろしで溶く事をせず水で溶いた粉わさびだった。しかし、このれみりゃは旨かった。
あまりに旨かったので妹にも食べさせてやろうかと思った。小学生のおやつにはいかにも量も多かったからだ。
しかしれみりゃを茹でたものだと言うと彼女は嫌がったので、結局私が晩飯のおかずにした。
飯にもなかなか合い、その日は二膳おかわりをした。
それに味をしめた私は、今度は油で揚げてみる事にした。
中途半端に田舎だったので、一日駆け回ったら子持ちれいむを捕まえる事ができた。
本当はれみりゃがよかったのだが、赤ゆっくりでなければ油鍋には入らないのでれいむで我慢した。
ビニール袋に入れて水を注ぎ窒息死させてから熱した油に入れた。茹でれみりゃと異なり、揚げる時は殺さないと暴れて危険なのでしっかり殺さなければならない。
だが水切りが不完全だったのだろう。油に入れてしばらくすると油がはねて私の顔に飛び散った。
臆面もなく悲鳴を上げて洗面所で着衣のまま冷水シャワーを浴びた。そんな中でもちゃんと火を消した事だけは自分をほめてやってもよかろう。
翌日医者に行ったおかげで今では火傷の痕は残っていない。
しかし私はこれで凝り、ゆっくりを食べるのはやめてすっかり忘れていた。

先日の事だ。中華料理屋に行って肉まんを食べていたら連れが皮から取り出した中身だけを酢醤油につけて食べていたのだ。
私も真似をしてそうしてみたら、懐かしい味にれみりゃを思い出した次第だ。

私がれみりゃを捕まえた草むらは、ガソリンスタンドができたがつぶれてしまい、今では駐車場になっている。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2022年01月31日 02:33
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。