よくきたな。おれは非蓋然性グランブルだ。おれは毎日ものすごい量のウェブ漫画を読み感想を書いているが、誰とも共有する気はない。しかし今回、「ザオ・サガ」という漫画について思い返したおれは、いてもたってもいられなくなったので、この記事を公開することにした。
すぐ読まないやつは腰抜け
ここに辿り着いたおまえは、既にWeb漫画をたくさん漁っており、「ザオ・サガ」という文字列を耳にねじこんだり、反対側の耳からだらしなく垂れ流したことがあるかもしれない。だが、ほとんどのやつらは軟弱で、漫画には無限の選択肢があるにもかかわらず、Kindle Unlimitedとか出版社の定期無料公開とかそうゆうので満足し、ときおり10年前とか20年前とかに連載していた名作を何度も見直して、自分だけの世界で満足していたことだろう。ことしは始まったばかりだが、気付けば数か月が終わっていた…それと同じで、このままいけばすぐ半年が過ぎ、一年が過ぎ・・・・そして、業者RTやインプレッション・ズンビーがあふれるSNSにすがりついたまま道を歩き、ストレスのあまり転び、サボテンの毒とかにやられて、縋りつく先もないまま死ぬだろう、まちがいなく・・・・
ここ最近、そうゆうことにとうとう黙っていられなくなったので、おれはこのテキストを書いている。そしておれは、たまたま出会うわずかな人々にテキストを読ませることが好きなので、とくべつに今回「ザオ・サガ」について語ろう。つまり、ここまで読んだやつらは今から「ザオ・サガ」を知り、ひとりメキシコの荒野を歩く真の男になれるとゆうことだ。今からでも遅くはない。バンデラスにさっくりと殺された、あほな酒場のマスターみたいにならずに済むとゆうことである。命拾いしたな。
「ザオ・サガ」とはWeb漫画である。それもあの集英社によるジャンプ+(ジャンプラ)に掲載されていた漫画だ。おまえもジャンプラくらいは知っているだろう。なんちゃらマンとかなんちゃらファミリーイーとかそうゆうのが掲載されている偉大なサイトだ。おまえがさほど漫画を漁らない、たまたまここに迷い込んできた旅人だとしても、その名前は日常の中でにごったおまえの瞳にさえしかと映っているはずだ・・・・否応なしに・・・・そして、ジャンプラで掲載されていたということは、なんと無料でよめるのだ。さみしい懐事情で、酒場のベイブと一晩を過ごすこともできず、1人さみしく無料コンテンツをあさっている・・・・そうゆうやつでも楽しめるということだ。
おれは夜さみしくなったときに、この漫画を読み、日常のありがたさをかみしめる。
神話を味わえ
ザオサガ、それは文字通りサーガであり、価値観だ。ある種の力の話だ。真の男への、未遂に潰えた忘れ難き道筋だ。
この漫画は、忌まれし少年・磯部太一郎(いそべたいちろう)の幼少期からはじまる。彼は森の中の屋敷に息をひそめて暮らすだけの毎日を余儀なくされ、うっくつした毎日を過ごした。だがほんのわずか狂った歯車により彼は鍛えられ、望むと望まざるとにかかわらず、戦士への道を進んでゆく。
太一郎にはさいのうがなかった。もしおまえが太一郎だったら、すぐインターネットとかSNSとかで「おれには才能がない、ガチャしっぱいだ」とかなんとかくだを巻きながら、適当に過ごして、ローンとかを組んでそれなりに暮らしていくかもしれない。だがやつには、邪悪なオーガが宿っていた・・・・。
そしてこのオーガを狙う、別の邪悪なオーガもいる。つまりバンデラスみたいなやつだ。はるか昔から歴史の影を閨とし、人心を惑わし、「我々こそが魔術のなんかで国々をあやつってきたのだ」とか「私はお前の実の親だ」「天才の頭のうを持つ私が何百年も考えてきた計画を成就するのだ」とか言って、一人で盛り上がってる男らしさと対極に位置するやつである。このあほが送り込んでくるブシェーミとかと戦い、うんめいに翻ろうされ、だが縛られまいと立ち上がり、邪悪なカルトなんかと絡みあってゆく太一郎の境遇と人生を見て、おまえは真の男とはなにかを理解するのだ。偉大な神話定型、すなわちサーガに残る強固な骨子めいたストーリーを先達として。またある意味では、反面教師として・・・・
腰抜けとはおさらば
おれはこの漫画を読みおわったとき、近年経験した覚えのない、パンチドランカーめいたインパクトを脳にうけた。ある意味ではまさに神話ひとつを脳にぶちこまれたともゆえる、エンターテインメントを超えたすさまじいインパクトだ。具体的にどうゆう内容だったかは、今から荒野に歩みだすおまえの楽しみと苦難を奪ってしまうから、いちいち教えてやったりはしない。
はっきりいうとおれは、けっこう漫画を読むほうだ。キンドルとかの電子書籍が便利なのもあって、気になったやつをいっぱい買っている。だがザオサガは一味違う。もっと昔、はじめて漫画を読んだときに突如もたらされたカオスめいた経験・・・・その再演だ。
おまえも、本気でザオサガに向き合い読み切ったとき、そいつはサガルマータとかを登ったあとに今まで歩んできた道を見たときのような、すごい境地にいることになる。文脈的な必然性?整合性?文学性?そういう近年よくいる混ぜっかえしのナード野郎をくそ喰らえだと一蹴し、ドリトスとコロナビールを手に取って、ゆうゆうと笑える英雄的な真の男になっていることだろう。
非蓋然性グランブル