- •古来、鏡を研磨するために使用されていたのは水銀。江戸時代、富山県の氷見に集まっていた鏡研ぎ職人たちを民俗学者が調べたところでは、
水銀60gにシャリキンと呼ばれる細かい砂を23gの割合で混合した「練り」とよばれるものを鏡面に塗り付け、
これを朴の葉でこすっていたという(『日本民俗文化大系14 技術と民俗 下』小学館)。
数量
- 一つの墳墓から出土した鏡の数で最多は、現在のところ、福岡県糸島市の平原遺跡1号墳から出土した39面。
また、その中の4面は、直径46.5cm、重さ約8kgという超大型の内行花文鏡だった。
- 大陸では、鏡は通常化粧道具と認識されているため、副葬品として埋納される鏡は一面、
もしくは大きさ違いを二面という場合が多い。多数の鏡が副葬されることは大変稀。
例外として多数の鏡が発掘された例としては、中国広州市の
西漢南越王墓(殉葬者のものと合わせて38面)、
朝鮮半島南端金海の
良洞里古墳群の162号墳(10面)などがある。
大きさ
- 「八咫鏡」の「八咫」の長さには諸説あるが、『釈日本紀』は八咫を六四寸(196cm)と推定、
そしてこれが鏡の円周の長さを表わすと解釈して、鏡の直径二尺一寸三分(約64cm)と推定した。
- 『皇太神宮儀式帳』や『延喜式』に、八咫鏡を納めている容器の直径を一尺六寸三分(約49cm)としている。
直径46.5cmの超大型内行花文鏡。
- 『三代実録』869年(貞観十一年)の条に、大和国十市郡椋橋山(現在の奈良県桜井市)の
川岸が崩壊し、見つかった穴に「広さ一尺七寸」の鏡があった、という記事が載る。
これは唐尺換算で約51cmの超大型鏡にあたるという。
参考文献
『日本神話の考古学』森浩一
最終更新:2013年09月03日 15:25