アイゲウスが神託を得て立ち寄った
ピッテウスが、その神託の意味を悟ってアイゲウスを酔わせ、
自身の娘アイトラと寝るように仕向けた際、同じ夜にポセイドンもこの娘に近づき、やがて生まれたのがテセウスであるとする。
従ってテセウスの父はアイゲウスとも、ポセイドンともされる。
アイゲウスはアイトラに、誰の子か言わずにこれを育て、また岩の下に刀とサンダルを残しておき、
子が成長してこの岩を除けられるようになったら、刀とサンダルを与えて送り出すように言いつけて行った。
後テセウスはこの岩を動かして刀とサンダルを得、悪人の出る街道を掃討していったとか。
- 後、アテネでアイゲウスと再会したが、アイゲウスはメデイアを妻としており、
メデイアはアイゲウスに毒薬を渡してテセウスを殺害せんとしたが、毒の入った盃を飲む直前に
刀を父親に贈り、これによって我が子と気づいたアイゲウスが盃を払落し、
事が発覚したためメデイアは追い出されたという。
アリアドネの協力でミノタウロスを拳で打って殺し、無事生還した。
が、生還した際には白い帆を広げて帰るという約束を忘れて黒い帆のままの船で帰ったため、
父のアイゲウスはテセウスが死んだと思って身を投げたという。
- 後、テセウスはアテネの王として統治権を継承したとする。
- また、ヘラクレスが十二功業の一つとしてアマゾンに遠征に行った際、
テセウスも同行して活躍しており、
アンティオペを奪ったという
(一説にはアンティオペではなく
メラニッペ、あるいは
ヒッポリュテを奪ったともされる)。
アマゾン側はこれに対して、アテネまで軍を進めてきたため、テセウスはこれをも破ったという。
このパイドラが、先妻にあたる
アマゾン族の女との間に生まれた子(パイドラにとっては継子にあたる)である
ヒッポリュトスに恋をし、拒絶された事からテセウスにヒッポリュトスを讒言、
テセウスがポセイドンに願ってヒッポリュトスを死なせるといった伝説があったらしく、
これはやがて
エウリピデス『ヒッポリュトス』として悲劇に仕立てられる。
- アテネの中央部にある広場(アゴラ)に面した、彩画館(ストア・ポイキレー)には、
マラトンの戦いなどの絵画に加えて、テセウスがアマゾン族と戦う場面を描いた戦争画も
飾られていたとか。
- パウサニアス『ギリシア案内記』第1巻に記されている伝承によると、まだテセウスが無名の頃、
建設中の
アポロン神殿前を通りかかったが、足首まで届く外衣を羽織り、まだ髪の毛が可愛らしく編んであったので
屋根工事の作業員たちがからかって「なんでまた娘っ子がひとりでこんなところに迷い出たのか」と尋ねたところ、
テセウスは近くにつないであった牛を解き放つや、建設中の神殿の屋根よりも高くその牛を放り投げて見せたという。
- また同じくパウサニアスによれば、レスリングの技を最初に生み出したのはテセウスであったという。
それまでは、ただ体格の大きさや体力にものを言わせていただけ、なのだとか。
- プリニウス『博物誌』第七巻によれば、戦争が休戦した後の「条約」はテセウスの発明であるという。
参考文献
『ギリシア神話』アポロドーロス
『ヒッポリュトス』エウリピデス
『図説ギリシア』周藤芳幸
『ギリシア案内記(上)』パウサニアス
『プリニウスの博物誌 Ⅱ』
最終更新:2016年03月25日 06:15