楯築弥生墳丘墓


  • 墳丘頂上の立石は、吉備津彦の使った楯として
   温羅伝説の舞台ともなっている。

  • 頂上の立石のほか、墳丘の斜面には二段にわたって列石が配されている。

  • 形は、北東と南西方向に突出部を持つ円墳と見られる。

  • 墓壙中央の棺を調べた結果、木棺の外側をさらに包み込むように
   木槨が覆う特殊な構造をしていたと見られる。 →石積槨木棺墓

  • 棺のの床面からは大量のが検出された。その総量は32Kg以上になると見られ、
   頭部周辺が最も厚く、足もとへいくほど薄くなったという。
   なお、この朱の産地については現在特定されていない。
   徳島県阿南市にある若杉山遺跡は弥生時代末期の辰砂生産遺跡として知られており、
   楯築遺跡の朱の出所かと注目されていたが、
   化学分析の結果、若杉山の朱は純度が劣っていたため否定されたとのこと

  • 副葬品は鉄剣一口と三連の玉類のみ。
   前方後円墳などで副葬品としてよく見られる鏡などは見つかっていない。

   ご神体よりも小ぶりで、最大長約61センチ、幅約30センチ、厚さ約16センチ、
   体積比で9:1ほど。
   また上面から側面にかけて淡く灰色に変色しており、
   おそらく火にかけられ細かい破片に砕かれたものと思われる。

(『シリーズ遺跡を学ぶ34 吉備の弥生大首長墓』福本明)

最終更新:2011年08月07日 10:40