アリアンロッド・トラスト第十四話「異世界との邂逅」

今回予告

 エーエルはアヴァロンにいる。しかし、彼女に会うのも一つの試練であり、その道には苦難が待ち受けるであろう。その試練に挑むべきかどうか。エルヴィラへの回答の時を待つシャルリシア寮生達であったが、その間に、特別教導実践部の4人が失踪してしまうという事件に直面することになる。
 一体いつ、どこへ消えたというのか。誰もそれを予測することすらできないほどに、彼らは忽然といなくなってしまった。……しかし、今シャルリシア寮生達の目の前には、かつてダバランの件で自分たちも通った「穴」が存在しているのだ。
 あの時、その穴の存在を知覚し、自らの意思で侵入することができたのはシャルリシア寮生とダバラン……そして、彼ら特別教導部の4人だけであった。もし彼らが今この中にいるとしたら。彼らがどこに行ったのか、誰も知れずにいるのも無理はない。
 その中に本当に彼らがいるかはわからない。しかし、かつて彼らは君たちが危機にあるのではないかと考えた時、その救援のため恐れずにその穴へと踏み込んでくれた。
 彼らには、そして君達には、常に仲間がいる。その強さと勇気を信じている。
アリアンロッド・トラスト第十四話「異世界との邂逅」
 共に歩むべき仲間が、君を待つ。

登場人物





セッション内容

 ……シャルリシア寮生達が謎の「穴」を発見したその時より、少しさかのぼり。
 クレハは早朝より、戦闘の訓練を行うかのような行動を屋内で行っていた。しかし、その動きにはいつもの彼の得意とする、舞うがごとき素早さとしなやかさ、そして鋭さが足りないように見受けられ、何よりもクレハ本人が、そのことを痛感していたようだった。
 その原因は、おそらくはクレハが今に手にする、敵の防護ごと切り裂けそうな鋭利な輝きを放つナイフにあると思われた。そのナイフは……かつて、エンザの力にシャルリシア寮生の仲間達と共に打ち勝った(第八話EX参照)時に、エンザからの祝いの一つとして渡されたものだ。
 確かに、そのナイフの扱いには高度な技術と経験を要求されるものであったため、当時のクレハには扱えず、しばらくは寮内に保管していたものだった。しかし、あれから更なる研鑽と経験を積んだ今のクレハなら、すでに技量的には扱えるレベルになっている……はずであった。
 しかし、実際にはこうして、クレハはそのナイフにまるで振り回されているかのように、動きを惑わされてしまっている。もう出会うこともできなくなってしまったかもしれない「師」の託してくれた武器を、未だ扱うことのできない自分にクレハは歯噛みせざるを得なかったが、そのように戸惑いを浮かべたままの心で繰り返す修練は、何の成果も生み出すことはなかった。
 だが、そんな中、突然クレハの肩にいたミニチュアの甲冑のようなファミリアが立ち上がり、後方を振り返った。その瞬間、クレハは「彼女」の襲来を悟り、思わず動きを止めて背筋を伸ばし、その場に立ち尽くす。……その直後には、陸上部にとっては恐怖のテーマに等しい重厚感のある歩行音が鳴り響き、部長がそこへとやってきたのだった。
 身を震わせんばかりにかしこまるクレハに対し、部長は先ほどまでのクレハの行動を見ていたことを伝え、そして、クレハが今手にしたナイフを扱えずにいることを、クレハ自身が感じているのと同じく指摘した。クレハはその指摘に頷かざるを得ず、一体どうすればいいのか、その答えの糸口もまだ見つかっていないことを感じさせていた。
 クレハがその折、そのナイフがエンザがかつて託してくれたものであることをこぼすと、部長もまた、未だ帰還していないエンザが、クレハ達に託した何らかの「思い」の重要性について思いをはせたようだったが、部長はあえてそのことを詳しく聞こうとはせず、その代わりに、今のクレハにある提案をしたのだった。
 ファランクスの使用する、防具に自身の力を通わせ、増幅するという技。それが、今のクレハの能力ならば身に付けられるかもしれない、と。そして、それを身に付けることで、今は振り回されるばかりのそのナイフも、制御できるようになるのではないか、と。
 そのための術を自分が教えるという部長の提案を呑み、クレハは早速、部長の指示のもと、意識を自らが纏う防具へと分配させ、そしてそこに自身の体を動かす力が存在するイメージを構築しながら武器をふるっていく。始め、クレハはまるで雲をつかむかのような手ごたえに翻弄されてこそいたが、幾ばくかの時間がたったころには、防具の中に自身の力が蓄積されて増幅し、それを体にフィードバックするという感覚がつかめるようになっていた。そしてその感覚が、さらに自身の体の力強さを高めていることを感じるようになったその時、部長は「今だ」と号令を下した。それが何を意味していたのかを、クレハ理解していたわけでも、ましてやあらかじめ話しあっていたわけでもないのだったが、その瞬間にクレハの振るった一閃は、まるでそれまでの戸惑いや鈍さを切り裂くかのごとき鋭い軌跡を描き出した。……もう、手に持ったナイフに、違和感は感じない。
 部長はそんなクレハを見て、クレハが自身の伝えようとしたことを会得したと感じたようだった。そして礼を言うクレハに対して、部長は、もう自分から教えられることなど多くはないのではないかと思っていたが、こうしてクレハの力を育てるための助けができてよかったと語る。
 そして、クレハに受け継がれたあらゆる力を持って、どのような困難にも打ち勝ち、生きて帰ってきてほしいという部長の願いに、クレハは頷いた。少なくとも、今は進んでいかねばいけない時なのだから。

 そのころ。レシィはある一冊の本を見つめていた。そこはアルゼオの部屋であり、主を久しく迎えていないこの部屋の中にレシィがいて、かつある本を手に取っているのには、理由があった。

 レシィ達がこの学園に入学し、ようやくシャルリシア寮生として生活にも慣れて来たといったある日の事。レシィはたまたま兵法書を読むアルゼオの前を通りがかり、ふと会話をしたことがあった。そこで、レシィはアルゼオの手にした兵法書には、フォーキャスターとしての技や術を学び、育てるための要素が書き込まれているということを知り、そんなレシィへ、アルゼオは興味があるなら教えてもいい、と持ち掛けてくれたのだった。
 だが、当時のレシィはまず仲間や自分を直接守護し、癒すための力を身に付けることに重きを置いていたこともあり、レシィはそんなアルゼオの提案に、自分にはあまり合わないと思うから、と辞退する。そしてアルゼオはそのレシィの返答に頷いたのだが、その一方で、誰しも、自分の適性に気付いていくのは時間をかけるものだと語りつつ、アルゼオ個人としては、レシィにはフォーキャスターの術を学ぶ素質はあると考えていると評価していたのだった。
 だから、いつかレシィに、フォーキャスターの術を教えてあげられる時が来たらいいと思っている。アルゼオはそういって笑っていた。

 ……エルクレスト・カレッジに帰還したレシィは、自分に何か、新しい力を備えさせる必要を感じ、その時のアルゼオとの会話を思い出したのだ。……だが、そのアルゼオは今は昏睡状態にある。とても教えを受けられる状態ではない。
 しかしそれでも、レシィはかつてアルゼオが、自分に教えたいといってくれたフォーキャスターの術を学ぶ方法の片鱗を求めて、こうしてアルゼオの部屋までやってきた。そして、役立ちそうな本でもあるのではないかと部屋の本棚を見ると、思い描いていた本はすぐ見つかることとなる。タイトルにも、戦術師としての術を学ぶためにふさわしいような言葉が書かれている。だから、レシィはその本を手に取ったのだ。
 しかし、それはただそこに置かれていただけの本ではないことを、レシィは手に取ってすぐ知ることとなる。……その本にはいくつかの付箋がページに張り付けられており、そしてそこを開くと、要点を理解しやすいようにいくつかの印がつけられているだけでなく、いくつかのメモも一緒に挟まれており、初めて読むものができるだけ理解しやすいよう配慮されていることが見て取れた。……もちろん、これらの細工を施したのは、アルゼオ本人なのだろう。
 アルゼオは、自分がレシィに教えを授ける必要が生まれる日が、いつか来るのではないかと予見し、そのための準備をしてくれていた。……こうして、アルゼオ自身がそれを果たせずとも、それを受け継げるほどに。
 アルゼオの行動に思いをはせつつも、本の中に挟まれていたメモを眺めていたレシィは、メモの最後の部分のみ、この本の内容に関することではなく、アルゼオがレシィに向けて宛てたメッセージであることに気づく。そこには、こう書かれていた。
「レシィが色々なことを覚えれば覚えるほど、より多く、より強く誰かを護ることができるようになることを、期待している」と。
 そのメッセージを読み終え、レシィはもう一度、アルゼオのことを考えただろう。
 あの時何が起きたのか、そのことを詳しく知っているわけではない。だが、少なくとも友のため、その身を犠牲にしたアルゼオという男は、やはりずっと、レシィ達のことも考えていてくれたのだ。
 レシィはその本を持ち帰り、ひたすら熱心に目を通した。今はそうすることが、彼の言葉に応えることでもあるのだろうから。

 ……他の二人が新たな力を得ようと、信頼する人の教えを受け継ごうとしていたその時。ラピスは、ある物を手にしていた。実家に連絡を取って取り寄せたというそれは、見た目は年季の入った指輪のようであり、今のラピスは新しいアクセサリーを鑑賞する一人の女の子のようにも見え、事実、たまたまそんなラピスのいるところにやってきたハナも、最初はそのように考えたのだ。
 だが、その指輪を眺めるラピスの笑顔にどこか違和感を感じたハナは、ラピスに声をかけ、指輪についての質問をする。するとラピスは、その指輪が自身の魔力の消費を大幅に抑えてくれる効力のあるものだと説明し、これでもうミトに迷惑をかけずに済む、というのであったが、そう答えるラピスの表情がやはりどこか空虚であったこと、そして近づくことによってはっきりとした指輪の秘められた禍々しさを感じ取ったことにより、ハナはその指輪が、装着者に大きな危険をもたらす物であることを悟ったのであった。
 そう指摘されたラピスは、ラピスの身を案じるハナの言葉に、でもそれでいいのだ、と暗に肯定を返し、ハナはそんなラピスへ、空虚さを残したままの表情でそう語られても納得できないと訴えかけた。
 しかし、それでもラピスは、自分が弱くては、役に立てなくては誰も守れないのだと答え、例え自分の身がさらに危険にさらされるとしても、その指輪を使用するという意思を曲げる気は無いようであった。そんなラピスを前に、ハナはそれ以上ラピスを押しとどめる言葉を発することはできないのであったが、なら、とあることをラピスに約束させようとする。
 それは、例えどのような力でも、その力は誰かを守り、そしてそれが最後には自分をも救う力にしていくという思いを、忘れないこと。
 そのことにラピスは答えず、やがてゆっくりとその場を去っていく。だが、ハナはその背に声を投げ続けた。
 例え今自分の声が、ラピスの心に届かないとしても。
 今ここで自分がラピスを心配して、ラピスもみんなと共に生きて行ってほしいと願って言葉を交わしたことを、忘れたりはしないでほしいと。
 例えラピスが自身をないがしろにするとしても。
 ラピスにそうしてもらったように、ラピスを救いたいと思っている人の願いは、無意味なものではないはずだから。

 ……それらの事よりさらに前。エルクレスト・カレッジの特別教導実践部部室では、自分達と共にダバランと戦ったあと、突然失踪してしまったというシャルリシア寮生の「探索」にと向かっていたイッシーが帰還したところであったが、その成果はなく、部員4名は苦い顔を並べていた。
 結局このまま、シャルリシア寮生が失踪して一晩が経過してしまいそうであるということに、フェイエンはシャルリシア寮生達を心配する声をあげる。それに、チーフはシャルリシア寮内の現場検証の結果、シャルリシア寮生達は何らかの方法で領内から対テレポート結界を突き破って強制的に転移させられた可能性が高いこと、そしてそれを今、おそらくエンザが追っていることなどを語るのであったが、エンザの名を聞いた時、エンジェは突然、シャルリシア寮生達の安否についてとはまた別の、何かに考えを巡らせたようであった。
 フェイエンらにその様子をとらえられ質問されたエンジェは、続けて、実は、最近になって少し気にかかっていることがあると発言し、その内容を語り始めた。
 元々自分達、種族も生まれもバラバラな現特別教導実践部の4人がこの学園に来たのは、かつてエンザがそれぞれに直接会いに来て、エルクレスト・カレッジへと導いたからであり、さらに言えば、こうして特別教導実践部という部活を結成して共にいることになったのも、そういった同じ境遇の者同士、といわれ、それぞれが引きあわされたことがきっかけになっていた。……そして、シャルリシア寮生達も、同じ境遇であったのだ。
 ミルカ、ミト、クレハ、レシィの4人は、まさに特別教導実践部の4人と同じようにエンザによってエルクレスト・カレッジにと導かれた者達であり、残るジャックとラピスは元々エルクレスト・カレッジに在籍してはいたが、ジャックは即座に、ラピスもまた留学から帰還し次第すぐにエンザのはたらきかけによってシャルリシア寮へ編入されており、さらに言えば、結局は現プリフェクトとしての責務や、アルゼオから受け継いだ立場の重さを本人が重んじたことによりかなわなかったとはいえ、ダバランもシャルリシア寮に移寮するという話まであったとされる。……つまり、自分達特別教導実践部も、シャルリシア寮生となった、あるいはなる予定のあった人間も、それぞれエンザの意思によって、意図的に集められた存在であるといえるのだ。
 そのことについての疑問は、かねてからのものではあった。しかし、エンザが何か悪い目的でそのような事をする人物ではないと信じること、そして実際、彼に導かれた人々はおおむねその環境に満足していることで、あえて気にしようとはしてこなかったのだ。
 だが、今はその疑問をそのままにしてはおけなくなった、とエンジェは言う。何故なら、自分達とシャルリシア寮生達の間に、新しい不可解な共通点が生まれてしまったからだ、と。
 そこまでエンジェが語ると、どうやら同じようなことを考えていたらしいチーフが「異世界の因子」という言葉を口にした。それは、あの謎の空間の中でシャルリシア寮生達と共にダバランに相対した時、ダバランが口にしていた言葉であり、ダバランは、「異世界の因子を持たない者が、ここに入ることはできないはず」と発言していたのだ。
 あの時は状況がひっ迫していたため、それについてを問いただすような時間はなかった。しかし、そのダバランの言葉が真実だとするならば、「異世界の因子」なるものの正体が何であったとしても、シャルリシア寮生達やダバランだけでなく、特別教導実践部の自分達4人もまた、その因子を持つ者であるということになる。……事実、あの空間につながる「穴」は、自分達とシャルリシア寮生達以外には認識できなかったのだから。
 そしてだとしたら……エンザがエルクレスト・カレッジに導き、それぞれを集団として集めた者達が全員「異世界の因子」を持つ存在であったということになる。
 そんなことが単なる偶然なのか?そう思えば、疑問は尽きない。なぜ、エンザはそのような人々を集めたのか?そもそも、「異世界の因子」とやらをどう判別したというのだ……
 しかし、そこでチーフとエンジェの疑念を聞いていたフェイエンが口を挟む。確かに、自分達はシャルリシア寮生達にしか認識できないと言われていた「穴」を発見し、入ることすらできた。だが、その一方であの時(第十二話冒頭参照)、結局シャルリシア寮生達が懸念していた「影」なるものは自分達に発見することはできなかった。……だとするなら、自分達とシャルリシア寮生達は、全く一緒な何かを持つというわけではないのではないか、と。
 いつもどおりの気楽な感じでのフェイエンの発言ではあったが、それは一つの核心をついてもいた。結局のところ、今ある材料だけで自分達とシャルリシア寮生達の関係。そして、エンザがそんな人間たちを集めた理由については計ることはできないということである。しかし、そう答えるチーフは、だが、と言葉をつづけた。
 シャルリシア寮生達の心の中には、「魔」なる存在が潜んでいるとダバランはあの時言っていた。そしてその会話からすれば恐らく、シャルリシア寮生達が持つという「異世界の因子」とやらは、その「魔」そのものである可能性は高い。そして、シャルリシア寮生達はおそらく、それと向き合い、おそらくは戦わなければいけない運命にあるという可能性も。
 フェイエンの言う通り、シャルリシア寮生達が気づけた異変すべてに気づけたわけではない自分達の持つ「異世界の因子」が、シャルリシア寮生達と同じものだとは限らない。しかし、それでも何か、シャルリシア寮生達の持ってしまった「魔」に近しい運命のようなものが、自分達の中にあるのだとしたら。
 あの時、けた外れの力を持つダバランに対し、力を合わせて戦わなければいけなかったシャルリシア寮生達のように、自分達特別教導実践部の4人にも、成し遂げなければいけないことが待っているのかもしれない。……そうチーフは語り、エンジェは頷き、イッシーはまだいまいち理解しきれていないようで困惑していた。
 そんなイッシーに、フェイエンは自分たちも何か、大変なことに巻き込まれるんじゃないかということだろう、と恐ろしく要約しつつ、でもその時は自分たちも、シャルリシア寮生達に助けてもらえるのではないか、というのであったが、なぜかその言葉には、チーフは何かを想いとどめるかのような様子で答えない。
 そんなチーフにイッシーが声をかけようとしたとき、彼の視線が一点で止まった。その直後、他の3人もその「異変」に気づき、イッシーと同じ方向に振り返る。
 ……そこで何が起きたのかを見た者はいない。ただ、次にこの場所をエルクレスト・カレッジの生徒が訪れた時には、特別教導実践部の4人は学内から姿を消していたのである。


 かくして姿を消した特別教導部の4人がどこに行ったのか、それを知るものはいない。
 だが、そんな状況の中、またもシャルリシア寮生達の前に、自分達と、あの4人にしか知覚できないと思われる謎の「穴」が現れた。結局穴についての正体がわかっているわけではないものの、その出現を偶然と思うよりも、そこが自分たちにしか踏み入ることができない場所であるというのなら、そこを探索するべきだとシャルリシア寮生達は考え、そして、意を決してその中へと入っていく。
 あの時と同じく、足を踏み入れるそのこと自体に大きな違和感は感じず、入り口が閉じるようなこともなかった。……しかし、その中に入った途端、一同の前に広がっていたのは壁も床も天井も、まるですべて精巧な機械で作られているかのような、謎の要塞とも呼べる場所である。
 以前の「穴」通過時に経験した闇と閃光をバックにした迷路とは似ても似つかない場所に、一同は思わず周囲を見渡し警戒するのであったが、そんな6人に対して優しい女性からのような声がかけられる。しかし、その主は視界のどこを探しても姿を表してはおらず、まるで、空間そのものが自分達に語りかけてくるかのような感覚すら覚えるものだ。
 その「声」は、シャルリシア寮生達6人に対し、この空間に入ることができたということは、あなたがたも、「かの次元」とは異なる因子を持つ存在であるという事を語った。しかし、「奴ら」が呼び寄せたのはあくまであの4人だけであり、6人の持つ因子は同じ他次元は他次元でも、この次元のものとは違うものであるはずと読んだ「声」は、なぜ、自らこの空間へと6人がやってきたのかを問いかける。
 謎の単語が飛び交う「声」からの言葉は、今そのすべてを理解するのは難しいことであったといえるだろう。しかし、シャルリシア寮生達6名がここへとやってきた目的は明確であり、その発言内容から、やはり特別教導実践部の4人は今、この空間の中にいるのだろうということも分かった。ゆえに、答えに迷いはない。
 「仲間を、今度は自分たちが助けるため」。それを真っ先に口にしたレシィをはじめ、彼らは仲間の危機かもしれない状況に立ち上がった。それは、かつてダバランの前で窮地に陥った時に救いに来てくれたことの恩返しでもあるのは間違いないが、それ以前に、共に同じ学園の仲間として過ごした人々の危機を、彼らが見逃せなかったからに違いないのだ。
 先の答えを聞き届けたらしい「声」は、仲間を救いに来たという6人の言葉が真実であるならば、自分からも、どうかあの4人を救ってほしいと頼ませてほしいということを答えた。自分には時間がないため、ミルカからの何故あの4人がここに集められたのか、などの質問には答えられないといいつつも、「声」は伝えるべきだということを述べていく。
 あの4人の存在は、今「声」にとっての「自分たちの次元」の平穏に関わる事象となっていること、この空間と、その中に存在する「敵」は「声」にとっての次元とは異なる次元の者には危険なものであるため、それに対抗するための「力」を用意するが、配布座標は妨害を受けるため、自身で探してもらうしかないということなどを「声」は語っていたが、その声は徐々に小さくなり、最後にはまるで悲鳴のような声がしたあと、今度は先ほどとはまるで違う様子の、やけに特徴的な男の声が響き渡り始める。
 男の声は、一同の存在を確認するも、ここにこうしてこの空間が顕現した以上、6人の存在ごときが成せることはない、と判断したようで、まるで嘲笑するかのような笑い声を残し、空間から「声」は再度消えることとなった。
 一体何がどうなっているのか。「敵」とは何者であるのか。疑問は尽きないが、今はとにかく、この空間にいるはずの特別教導実践部達を探すほかはない。
 そう判断し、一同は謎の要塞の奥へと、さらに歩みを進めるのだった。

 一体何が起こるのか。気を引き締めて進む一同ではあったが、ほどなくして近くで繰り広げられているらしい戦闘音を聞きつけ、確認に向かうと、そこには幸いにもチーフがいた。戦闘を行っていたのはチーフのようだったが、どうやら勝利したようであり、外傷も目立ったものはないようだ。
 自身を呼ぶシャルリシア寮生達の声を聞いて振り向いたチーフは、すでにシャルリシア寮生達が帰還していたことに驚いたうえで、なぜわざわざこの空間にやってきたのか、と聞く。それにシャルリシア寮生達は、特別教導実践部の4名を助けに来たのだと答えるのであったが、なぜか、チーフは感謝の言葉を口にしつつも、あまり喜んでいるような表情は見せなかった。
 そんなチーフは、まず自身が把握している状況を共有したいと説明を始めた。
 チーフ曰く、時間にして15時間前、チーフ達はかつてアルゼオ救出のために侵入したものと極めて近いと思われる『穴』を発見した直後、その中から出て来た謎の黒い機械の奇襲を受け、この空間に拉致されてしまった。
 その後、チーフの意識が回復したのが今から約5時間前のことだというが、つい先ほど、自身を捕まえていたその機械たちの注意がそれたかのような状況があり、その隙をついて脱出したのだという。……その原因は、もしかしたらシャルリシア寮生達がこの空間に入ってきたことに関係があるのかもしれないが、結局、まだ他の3人がどのような状況にあるのかは確認できていないらしい。
 また、チーフもまたその、他の3名と隔離された状態で、謎の女性の声が語りかけてくるのを聞いたという。その声は、チーフ達の存在が『「声」のいる世界』の危機にかかわるものだということを告げ、さらに、シャルリシア寮生達にしたのと同じようにその情報と、この事態に対抗するためのせめてもの力を送るということを語ってきたのだ。
 当然、チーフもその声について覚えはなかった。しかし、その言葉の直後から、チーフは何故か、どうしてもここへとやってこなければいけないような気がして、ついにたどり着いたところなのだ、という。そして、チーフの向ける視線の先には、まるで人が乗れるほど巨大な剣のようなものを携えた、青を基調とした人型ロボットのように見える物がある。
 それが何であるのか、チーフは知らないはずだ。しかし、そのはずでありながら、チーフはその機械を、自分は知っているように思える奇妙な感覚を感じている。
 その思いのまま、チーフがその機械に手を触れると、機械は謎の光に包まれた後、ディスクのようなものに突然変貌し、チーフの手のひらに収まっていた。そして、自身は……いや、自分達は一体何なのか、という戸惑いを口に出しつつ、今度はチーフは、そのディスクを自身の胸に当てた。
 すると、ディスクは今度は、まるでチーフの体の中へ消えていくかのようにすっとその形を失う。そして、それを受け入れたかのように見えたチーフの機械の眼孔が突如見開かれ、彼は言った。
「全てが、理解出来た」と。
 そしてチーフは、今、この体に取り込んだものは、別の世界に存在するチーフ自身……その存在の欠片とでもいうべきもであり、それを通じて、チーフは今何が起こっているのか、そしてなぜ特別教導実践部の4人が狙われたのかを知ったことを語り、今度はそのことについてをシャルリシア寮生達に伝えさせてほしいと願ってきた。そして、一同にそれを認められると、チーフは、まるで遠い世界に想いを馳せるかのように宙空を見上げつつ、この場にいる誰もが、見たことすらないはずの世界についてを語り始める。

 ……まず。チーフを含めた特別教導実践部の4人は、確かにシャルリシア寮生達やエルクレスト・カレッジの人々も存在する次元である、エリンという世界に生まれた存在であることに間違いはない。だが、チーフ達はその命、あるいは意識の中に、ある別世界から来た『存在』のかけらが埋め込まれてしまっている。
 その『存在』のいた世界は、常に平行世界や別の次元の存在を意識していた世界であり、その間を渡航する術すら開発されるほどであったが、そんなその世界にもやはり戦いがあった。そこで戦いの手段として選択されたのは、精神、物質、あらゆる事象を他の場所、あるいは他の次元へと「転送」することができる機能を持つ物質を利用した、有人巨大兵器。その物質は、その兵器を瞬時に構築、転送することと、操縦に際し操縦者の精神を拡散させて兵器へ行き渡らせることによって、人体に極めて近い操作性を有しつつ、大きな兵力を持たせることを可能にしたのである。
 しかし、戦いの、あるいはあらゆる技術や文化の貢献にその物質を利用しておきながら、その世界において、その制御では完全ではなかった。操縦者の精神の拡散は、適性の低い者……つまり、一度機体へと拡散させた精神を肉体に再構成できない者に対しては、自我を失い廃人となるリスクがあるほどのもので、故にその兵器のパイロットは、その現象に対し適性の高い者しか推奨されないという背景があった。
 しかし、今チーフの理解した結論から言えば、例えその適性の高い操縦者であっても、その精神に、あるいは存在そのものに干渉されている以上、不測の事態は起こり得るものだった。という。何を隠そう、その不測の事態のうちの1つが、チーフ達の存在である、と。
 「その世界」にいるある操縦者は、その兵器同士による多くの、そして苛烈な戦いを経験し続けていた。その操縦者は精神に異常をきたすことこそなかったものの、幾度もの精神干渉の結果、実はその精神や存在の一部が、拡散されたまま他次元へと渡ってしまった。そしてそれが最終的にこのエリンの世界へと渡ってしまい、それを受け取ってしまったのが、チーフなのだ。……そして、チーフによる推測ではあるがイッシー、フェイエン、エンジェ達も、おそらくは。
 では、なぜチーフ達が狙われるのか。それは、チーフ達の中にそのような「欠片」となって飛来した『存在』達が、「その世界」で大きな戦果をあげ、ある邪悪な思念を持つ存在に立ち向かい、今それを追い詰めようとしているからであるらしい。
 その思念は、あらゆる世界、事象全てを崩壊させようとすることを目論み、そのための兵器を完成させようとしているが、その阻止を狙う「存在」……もとい『彼ら』の抵抗に苛立ちつつある。そこで思念は『彼ら』を排除するための対抗策を講じ、その結果、別世界へと飛んだ『彼ら』の存在の一部を持つチーフ達に目を付けた。
 その思念の有する技術力ならば、チーフ達を捕えその存在の一部を抽出し、それを元に兵器を構築することができる。それは恐らく『彼ら』の戦力に匹敵するだけの力になるだけでなく、例えばその同種の存在だけを徹底的、かつ効率的に排除するものを生み出す可能性すらあるのだ。もし今、思念……もとい『奴ら』のその狙いが成功し、向こうの世界で『彼ら』が消滅するようなことがあれば、もはやその邪悪な企みを止める手段はなくなるかもしれない。
 チーフは言う。自分は、そしてイッシーとフェイエンとエンジェは、自身が受け継いだのは「かけら」だとはいえ、こうしてそれを理解した以上、はるか離れた世界に存在するもう一人の自分のためにも、そしてこのエリンで生まれた自分自身の存在を尊重するためにも、奴らにあらがわなくてはならないはずだ、と。また、仮に全員を救出してこの空間から脱出するとしても、今ここにつながったこの空間がある限り、『奴ら』はまたチーフ達をここへ引き込もうとするだろう。その時、今度は学園に、ひいてはエリンの世界に被害が出ないという保証も存在しないのだ。
 だから、チーフはここで戦うことを宣言した。しかし、そう口にする一方で、チーフはシャルリシア寮生達を見据え、貴殿らは、速やかにここを脱出してほしい、という希望を告げた。
 チーフ達は、何の因果かかの世界の因子を背負い、それによってこの戦いから逃げるわけにはいかなくなったことを理解している。しかし、それはシャルリシア寮生達が……いや、エリンの存在が負うべき事案ではないことをチーフは考えていた。『その世界』と、このエリンには本来何の関係もない。全ての事象を破壊するというその恐ろしき兵器すら、あくまでかの世界を滅ぼすためのものであるはずだから。
 ならば、例えチーフ達が行う抵抗が失敗したとしても、あくまでエリンにとっては、たった4人の学生が消える程度のことでしかないのだ。そのために、エリンの人間を……ましてや、もはやエルクレスト・カレッジの希望であるシャルリシア寮生達を、失う危険を冒すわけにはいかないと、チーフは断言する。
 つまり、この戦いは、チーフ達が勝てばこの空間を消滅させ、「その世界」との接点を失わせることができる。そしてチーフ達が負ければ、この空間ごとチーフ達を含む、そこにいる全ては「その世界」へと引き戻される。……そのどちらにせよ、エリンの者が、これ以上関わる必要はないのだ。
 だから、とチーフがさらに言葉をつづけようとした時、それに割って入る者がいた。レシィだ。
 レシィは、チーフ達だって、自分達の危険よりシャルリシア寮生のことを心配して、何が起こるかもわからない空間の中へ助けに来てくれたのではないか、と訴え、そして、ラピスもそんなレシィに続いてチーフの前に立ち、自分はもう、自分を助けてくれた人を守れないようなことは絶対に認めたくないということを宣言した。そしてミルカも、4人だけで絶対に勝てる根拠でもあるならまだともかく、このような状況で、自分達の助力が必要ないとは思えないという事を語る。そう。なら、ここで自分達が力を貸すのは当たり前のことだと。
 それぞれの言葉に一時無言となり、一同を見返すチーフであったが、その視線から目をそらす者はいない。全員が、ミルカ達のように、ここでチーフ達に手を貸すことを当たり前だと思っているに違いないのだ。
 ……やがてチーフは、6人に問いかけた。その言葉に、心に間違いはないか、と。
 それに従うことこそ、自分達が生きていく道だとすることに、虚偽は無いか、と。
 ない。6人の誰かがそう答えた。いや、ひょっとしたら全員が一度に答えていたのかもしれない。少なくとも、6人全員が、心の弱いものを膝から崩れさせるかのごとき、重く鋭いチーフの言葉と視線に、正面から頷けていた。
 また少しの沈黙の後、チーフは再度口を開き、この空間に存在する敵戦力は、エリンの世界と接続した際、大きな干渉を受けたようだ、と語り始めた。今の状態なら、自分達エリンの人間の力も通用するし、さらに、「声」がこの空間に残したという「その世界」の力も、ここでなら確かにシャルリシア寮生にも使用できるはずだ、と。それを語ったのは、チーフもまた、6人と共にこの戦いに勝利する決意を固めたからに他ならない。
 そしてチーフは言った。
「貴君らの気高い心と勇気に、感謝する。そして、またこうして共同戦線を行えることも」
 いつも通りの厳格な口調でありながら、なぜか、チーフが少し笑みを浮かべているような気もした。しかしそれもつかの間、チーフはすぐに今自分たちが行うべきことを説明し、そのための人数分けを一同と相談し始める。
 そして少しの時間の後、互いに力を預けるパーティーを選択した一同は、チーフの発する作戦開始の号令と共に、今度こそ機械の迷宮の中へと向かっていくのであった。

 今、一同が探すべき対象は、分類でいえば3種類であった。
 一つは当然、チーフを除く特別教導実践部の3名。
 一つは、あの「声」がこの空間の中に配置したという「力」。どうやら先ほどのチーフが触れた機械がそれであるらしく、「声」の言っていたことを考えれば、どうやらこの人数分は同じようなものがあるのだろう。そしてこれも「声」の言っていた通り、どうやらこの空間の中では、シャルリシア寮生達が自身に備えたスキルを使用しようとするたびに、全身にまとわりつくような負担を感じさせられるため、それを得ることで負担を大きく減らすことができるとするなら、大きな意味があるということになる。また、チーフからの情報により、その「力」となる物体のことは、以後「VR」と呼称されることとなった。
 そして一つは、これもチーフからの情報で明らかになった「フラグメント・キー」なる物。特別教導実践部を全員探し出すことだけでなく、この空間自体を撃滅しなければならないという決意をした一同は、そのためにこの空間の中枢へと踏み入り、そこにあるであろう中枢ユニットを破壊する必要がある、という。そのキーは、その道を開くために必要であり、全部で7つあるというのだ。
 優先順位で言えば、一刻も早く他の特別教導実践部員の無事を確認して合流することもあるが、不自由なく動きまわるためにはVRも早めに見つけていきたいところだ。それでいえばキーの探索優先度は下がることになるが、見つけなくていい、というわけでは当然ない。
 そしてその探索に置いて一番の障害となるのは、この空間の中の所々にうごめく「敵」の存在だ。しかし、その数は無数、というほどではなく、基本各エリアを数体で警護しているようであった。つまり、それを打ち破ればそのエリアの探索はかなり捗るであろうということであり、可能であれば各個撃破していくことが探索においても有効と考えられる。
 そこで、一同が選択したのは基本敵を倒すためのPTと、基本探索を主に行うためのPTに分けて動くことであった。具体的には、探索PTには比較的素早い身のこなしを得意とし、敵に発見されたとしても逃げやすいミト、クレハ、ラピスの3人を選び、残りのミルカ、レシィ、ジャック、チーフで戦闘を行っていく狙いである。
 そうして始まった一同の捜索は、シャルリシア寮生達に与えられる負荷のこともあって全てが順調、というわけではなかったものの、なんとか戦闘PT側がまず2エリア分の敵を掃討することに成功し、フェイエン、イッシーの2名や確かに空間内に転送されていたVRをそれぞれ発見し合流、あるいは入手していく。
 その後、現れた巨大砲台のような敵については、その砲撃をミルカ達が避けきれないため、急きょクレハ、レシィ、ラピス、チーフ、フェイエンの回避力を重視したPTが組み直されることになる展開などはあったものの、残りのミルカ、ミト、ジャック、イッシーの方に発見されたエンジェが合流したこともあって、ミルカ達のPTの総合戦闘力もかなり強化されることになり、結果としては、そこからは続々と得たVRの能力もあって、さしたる苦労はなく全ての探索対象を探し切ることができたのであった。
 一同が見つけ、シャルリシア寮生達が得たVR計6体は、足がなく手は分離するもの、道中でも戦った身軽な動きを得意とするもの、同じく道中でも戦った、巨大なレーザーを切り札に持つ重厚なもの、刀をもった武将のようなもの、無数の弾幕兵器を搭載したものなどが存在し、それぞれミルカ、クレハ、レシィ、ジャック、ラピスが自らの力とすることにより、空間からの負担を遮断するだけでなく、まるで機械に乗り込んだかのような重く厚い装甲を身に纏ったかのような力強さを得ることができ、さらにそれぞれのVR固有の能力も身に付けたのだった。……が、もう一つ、まるで悪魔のような風貌のVRは、ミトの手の中にこそあるものの、その力を得ると行動の度に体力をわずかながら消耗していくデメリットを持っていることを見抜いたこともあって、ミトはどうやらそれを使用する気は当面無いようであり、彼女はここで機械ひしめく異世界の中で生身で戦い抜くという異例(?)の決意を固めていたのであった。

 チーフの語った宣言通り、散り散りになった特別教導実践部の4名が揃っても、彼らはこの空間から逃げ出そうとはしていなかった。中枢に踏み込むためのキーもすべて集めた一同は、その扉の前で、最終作戦の確認をする。
 いよいよシャルリシア寮生と共に、この空間を打ち壊す時が来たのだと息巻くイッシーをチーフは肯定する。しかし、これから壊すべきターゲット、この空間を構成しているという中枢ユニットには、強固なシールドが設置されており、今のまま壊すことは困難であるらしい。
 そのために必要なのは、その警護を行う周囲の敵を相当することだと、フェイエンが明るく軽く言ってのけ、チーフはそれを肯定する。そもそも警護の敵等もまた、中枢ユニットの作り出している存在であり、失ったそれを補填する時、バリアを構築しているエネルギーが薄まるはずだという。
 ならば、そのタイミングこそが、破壊のチャンス。静かに、しかし厳粛にそういうエンジェを、チーフは肯定する。中枢ユニットの破壊に成功すれば、この空間は消滅せざるを得ないはず。ほぼ無尽蔵に作り出される敵をずっと相手にしていれば、いずれ力尽きるのはこちらである以上、作戦の狙いは、あくまで迅速に中枢ユニットを破壊することにある。
 仲間たちの言葉を認めつつ、チーフは最後に、とその場にいる全員へ向けて、語る。
 今自分達が戦う理由として、ここにいる全員に共通すること。
 それは、ひとりひとりそれぞれが、今ここにいる全員を、無事に自分達の生まれた世界、エリンへと帰還させるために戦っている、ということ。
 つまり、今から行われる作戦の真の成功とは、中枢ユニットを破壊することで完遂される、というものではない。
 その上で、全員が無事であってこそ、全員の目的が達成されるという事になるのだ。
 チーフのその宣言と同時に、一同の前の扉が開く。その中には、今までにすでに交戦したもの、してないもの様々な、多々なる機械群。そして、その最も奥には、まさに今この瞬間もこの空間自体を創造しているかのごとく、雑多な閃光と音を奏でるひときわ巨大な機械。
 そして、一同に再度「声」が響く。しかしそれは、最初の優しい女性のようなものではなく、その声が悲鳴とともに掻き消えた際に現れた、邪悪さを感じさせる男の声だ。
 その声はいう。こちらに直接向かってくるとは、手間が省けた、と。ここで創造される戦力は、今の特別教導実践部とシャルリシア寮生全員の力を合わせたものよりはるかに上回る。そう確信しているらしい声であった。
 ここであらゆる希望を失うだろう。声はそう一同に告げたが、それに怖気づくような者はただの一人もいない。
 彼ら10人はここへ、逃げることや戸惑うことではなく、立ち向かうこと、仲間と立ち上がることを選択して、やってきたのだから。
 自身のため、仲間のため、最終作戦を開始する。
 チーフのその号令と共に、全員がそれぞれの信頼する戦闘スタイルを取り、また、敵もいよいよ一同へ襲い掛かろうと動き始める。
 Get Ready!
 何故か、そんな言葉が脳裏によぎる。
 異世界の存在との最後の戦いが、始まったのだ。

 邪悪な声の言う通り、敵の兵力は膨大であった。
 今まではせいぜい3体程度しか一度に相手してこなかった相手が、今は一度に集まり群れを成している。それに加え、未知の相手の内、巨大な体躯を誇る機動兵器の砲撃は、以前の砲台の撃つそれよりいくらか威力は低いとはいえ、それとは比べ物にならないほどの精密な狙い、そしてこれまで鉄壁を誇ったと言っても過言ではないチーフの銃撃による応戦やラピスの魔術による相殺すら貫く性質があっただけでなく、更に回避を難しくする軌道のモードと、防御を貫くほどの威力をもつモードを使い分けることができ、これまで敵の攻撃をかなり軽傷で乗り切ってこれた一同とはいえ、この攻撃には覚悟をもって挑まねばならないところであった。
 ……だが。「声」によって託された異世界の力、VRを身に纏い(一名を除く)、全員が集結し、最後の戦いに際して、持てるもののすべてを出し切る覚悟を決めたシャルリシア寮生達と特別教導実践部の力は、もはや鬼気迫るほどのものであったのだ。
 VRを得たこともあり、もはや人間離れしつつある速度で飛び出したクレハが、敵のうち誰が動き出すよりも早く敵陣中央へと飛び込み、新たな技を身に付けるまでは振り回されていたはずのエンザからのナイフの威力を存分に発揮して、敵のあらゆる防護手段を貫いて、まるで辻風のごとく戦場を切り刻んだ事から始まった戦いの勢いは、途中敵の砲撃によって数名が傷つく展開こそあったものの、ラピスが敵の能力を見切ることに成功し、レシィとエンジェがミルカ、ジャック、イッシーといった主砲達の行動速度を速めてからはさらに文字通り加速し、今度は得たVRの力で、もはや制御不能なレベルの速度、そしてそれに比例した威力を得たクレハの斬撃が、今度は中枢ユニットごと更なる威力で敵軍を切り刻み、そしてそれにミルカの強大な魔術が追い打ちとして撃ちこまれたことによって、もはや動く敵は、その巨大な機動兵器以外は、かつてその絶対的な防護力で一同を悩ませたあの巨大砲台ですらも含め、全滅する形となったのだ。……そして、その残った機動兵器も、フェイエン、ミト、クレハらの軽快な技術に導かれるかのようなジャックの怒涛の連続攻撃によって、もう一度の砲撃は許されぬまま沈み、あとには中枢ユニットだけが残される。
 中枢ユニットがいかに強大な防御力を持つとはいえ、それを貫き幾分でもダメージを与える手段を有するクレハやチーフがいることもあり相手には、何も抵抗しないというわけにはいかない。中枢ユニットはすぐにその倒された巨大機動兵器をもう一度再構築し敵対させるも、そのエネルギーを消耗したことにより、全体を覆っていたバリアがかなり薄くなってしまう。戦闘前にチーフ達が言っていた通り、この瞬間こそが、一同にとって逃すわけにはいかない時であった。
 復活した機動兵器が脅威でない、というわけではないが、倒しても倒してもまた再構築される敵を相手にし続けても得は無い。ならば、その脅威はそれぞれに残された力を結集して全力で乗り切り、火力は全て隙をさらした中枢ユニットに集中する、という戦法を一同は選択する。そして、一同はかくしてまた飛んできた強力な砲撃を、クレハやチーフの期先を制する行動と、ミトの卓越したカバー技術によってしのぎきったのだ。
 先ほどの大多数を狙った戦術とはかわり、ただ一つの存在を狙って放たれる全員の総攻撃は、苛烈という言葉では不足を感じるほどの勢いである。ミルカのあらゆるものを震え上がらせる魔術が、レシィがVRの力によって得た巨大なレーザーの砲撃が、もはや黄金パターンとなったと言えるラピスとクレハの連携による連続攻撃が、チーフの固い中枢ユニットの防壁すら削り取るかのごとき精巧過ぎる銃撃が、フェイエンの光あふれる不可思議な効力を持つ魔術が、エンジェの放つ巨大な光の竜をかたどった魔術が、全くの容赦なく中枢ユニットに叩き込まれていく。……中でも、もはや拳速が目でとらえられぬほどになった気迫全開のイッシーの連撃、そして、先ほどの攻撃をミトの負担を軽くするためもあって、あえてさらにカバーに入り、そしてその傷の痛みを燃え盛らんばかりの闘志と変えたジャックの連撃はもはや直視をためらいそうになるほどの威力があり、そしてそれらに全て、ラピスがVRの力による弾幕援護を含めた補助魔術で威力を増加させているのだ。
 一撃一撃でも並大抵の存在ならば消し飛びかねないほどの攻撃を、まさに雨嵐の如く浴びた中枢ユニットは、いかに堅牢な構造をしているとはいえとても無事ではいられない。機動兵器も一同へ攻撃は加えるものの再度決死の力でいなされ、その攻撃の終了を最後の攻勢機会とみた一同による怒涛の再行動が入ったその直後、勝負は決し、中枢ユニットはえぐれて露出した内部機械部分からスパークを噴出させ、そして機動兵器も崩れるかのように動かなくなったのだった。

 もう護衛のエネミーも出てくることはなく、中枢ユニットは徐々にその光を失いつつある。彼ら10人は、戦いに勝利した。
 後は脱出するだけ、そのように思えたのだが、そこでまた再度、あの邪悪な「声」が語りかけてくる。
 そううまくいくと思ったのか。そのように「声」が告げた直後終息しつつあったはずの中枢ユニットの機動音が突如激しさを増し、まるで暴走を始めるかのようにでたらめな光をまき散らし始めている。機能停止に陥りかけた中枢ユニットを、もはや制御不能な状態で無理やり起動させている、そう思わせる光景だ。
 そして邪悪な声は続ける。確かに、今の一同の抵抗によりこの空間は消滅する。だが、そこから無事に帰らせるようなことはしないと。
 中枢ユニットを暴走させるほどの過剰エネルギーを用い、空間を瞬時に崩壊させることで、次元の隙間に一同を放り出す。その宣言の中、一同は必死に退路へと駆けていくが、もはやその崩壊速度からは逃れられそうにない。
 そしてついに一同の周囲の物全てが消え失せたと思ったその瞬間、再度、「声」は鳴り響いた。
 あの、この空間にやってきた時に聞いた、慈愛持つ女性のような、「声」が。

 一同が再び意識を取り戻したとき、その10人全員が、ほぼすべてが黒に染まった謎の空間の中にいた。しかし、その一面の黒の中に、まるであの「穴」と同じような裂け目が2つ空いており、さらにその先には、それぞれ何やら別のものが見える。
 そんな上も下もないような空間の中に何故か立たされていた一同は、突如ありがとうございます。という声を聴いた。
 それはやはりあの女性の「声」であり、声は、自身にとっては異界である場所の勇敢なる者達を讃える言葉を送っているのだった。
 そして続いて声が、一同の活躍により、自身もあの邪悪なる思念を持つ者からの支配を逃れることができ、こうして空間の崩壊から一同を救う事ができたのだと説明すると、フェイエンやイッシーはじめ一同は安堵し、どうやら無事で終われそうだと胸をなでおろすのであった。
 だが、そんな中、チーフは空間に開いた2つの「穴」のうち、片方に目を向けていた。その先に移るのは、あまりにも広大な星空であり、夜空に向けて、地面が見えなくなるほどの宙空へと自身を浮かべればこのようになるのではないか、というほどのものだ。
 チーフは……そして、正確にはイッシーもフェイエンもエンジェも、感じていた。その裂け目の先は、先ほどの創造された空間とも、エリンとも違う世界。すなわち、自分達の中にその一部があるという、「存在」が今この瞬間もその命を輝かせている世界なのだろう、と。
 その空間がなぜ今、目前に現れているのか。それは、特別教導実践部4人の中にある異世界の因子の性質を、あの邪悪な「奴ら」が利用しようとしたからであると「声」は説明する。どの次元でも空間でもない、このいわば次元のはざまへと放り出された者は、その者の持つ世界の因子によって自動的に各世界への扉を開く傾向がある。故に、「奴ら」は最終手段として、空間を自ら崩壊させたのだ、と。
 その際「奴ら」は一同がエリンへ戻ることのないよう、最後の力で一時的ながらもその帰り道を封鎖していたようであるため、この場にまだエリンへの「穴」は存在せず、一同が持つエリンのもの以外の世界への因子によって穴が開かれているということなのだが、今は「声」がこうしてこのはざまの中で一同が他の世界へ流れていくことがないように保持しているため、今見えている世界に吸い込まれるようなことはなく、エリンへの穴が再度開くのを待つことができる。つまり、その言葉を信用するのであれば、先の安堵を裏切ることなく、一同はやがて無事に帰還できる、ということであるらしい。
 今が緊迫した状況というわけではない、ということを理解してか、エリンへの帰り道を待つ間、一同はそれぞれ思い思いのことを語らいあい、特別教導実践部の4名も、先の空間で異世界の自身となる「存在」の知識を得たことにより、今裂け目の向こうに移るもの、「宇宙」というものを知ってはいるものの、あくまで根は4人ともその概念のないエリンの出身であることもあって、宇宙という場所の不可解さ、星の大気を抜けた向こうの世界、ということであるなら、月や太陽や星が確かに存在するこのエリンにも、空の上には神の世界だけではなく、実は宇宙も存在するのではないか、という推論、そして、例えもし本当にそうであったとしても、エリンではそんなはるかに広大な場所の中でも戦いを続けていくようなことはなければいいところだ、などと会話を続けていた。……しかし、そう語るのもやはり、彼ら4人全員が、あくまで自身の帰るべき場所はエリン、自分という存在が確かに生まれた場所であることを確信していたからなのは間違いない。
 そう。確かに、この戦いは喜ばしい形で終わったのである。……しかし、実はこの場には、一つの懸念があった。
 この場に開いている「穴」は2つある。一つは特別教導実践部の者が持つ異世界の因子によって開かれた、その先に宇宙の見えるものであり、今存在する「声」やあの邪悪な思念体もここからやってきたのだから、その入り口が今現れてしまったことは説明できる。……しかし、未だエリンへの帰り道となる「穴」は開かれていない。では、今開いているもう一つの「穴」は、一体なんだというのか?
 その先には、もう片方のような宇宙空間などではなく、れっきとした街……だったと思われる場所が見えている。だったというのは、おそらくはすでに滅んでしまってるからだ。人の姿をしたものは皆死体であり、この世界では見たことの無いような材質や方式によって作られている家らしき建物もいくつか見えるが、ほぼすべてが無残に壊れ焼け落ちてしまっている。そして、まるで大きな戦争でもあったかのようなその様相からだけではなく、まるで世界そのものに、命の息吹がないかのような虚無すらを感じさせるその世界については、「声」すらも何も知らないようであり、その正体は不明だった。
 あまりに殺伐とした世界の入り口がこの場にあることを、イッシーはやはりあの邪悪なる思念の仕組んだ罠の一つなのではないかと勘繰る。だが「声」は、その邪悪なる思念達が狙ったのは、あくまで正常な次元転移が一同の抵抗によりかなわなくなったため、特別教導実践部の4人を「こちらの世界」に引き込んで確保するという目的を強引に達成するためにやったはずのことであり、そもそも、今この先にある世界ののような全く関わりのない世界の入り口をすぐに開くようなことは、まずできないはずだと語った。
 そう、その先にある世界は、誰かそこに関わりのある者がいなければ、ここに現れるはずはない。
 ……その時、シャルリシア寮生達はあることを思い出す。
 あの時のダバランが自分たちの中には「異世界の因子」が潜んでいると示し、そしてその因子……「心の魔」は、異世界から来た魔族であるとエルヴィラが言っていたことを。そして、ある仮説に行きつく。
 チーフ達が先ほど見ていた、宇宙の広がる世界が彼ら4人の中にある「異世界の因子」によって開かれた場所だとするのなら。
 今一同の見ている、この生命の失われた世界は、シャルリシア寮生達の中にある「異世界の因子」によって開かれた場所……すなわち、「心の魔」がかつて存在していた世界なのではないか、と。
 その考えに至った時、一同には多かれ少なかれ動揺があったようだった。その「心の魔」とやらが、いずれ取りついている人間を乗っ取り人の世をかき乱す存在となるであろうという程度のことは聞いていたが、それ以外の詳細については現時点では何も知らないと言っていいのだ。そんな中、思わぬところで、「心の魔」のかつて存在した世界のことを知ることとなり、そしてしかも、それはかくのごとく、凄惨な状態であることを目の当たりにした。
 この光景が「心の魔」によって引き起こされたことなのか、あるいはこの世界が他の事情でこうなってしまったから「心の魔」はこの世界へやってきたのか。それを確かめる術は今ここにはない。しかし、こんな世界から次元を超えてやってくるような存在は、一体何者であり、どれほどのものなのか。それを想像した時、今の一同は押し黙るほかなかったようだった。
 だがその静寂が訪れた時、一同の背後に新たな「穴」が現れた。その先に映っているのは、一同にとっても慣れ親しんだエルクレスト・カレッジの構内であり、どうやらエリンへの帰り道がようやく開いたようだった。
 その直前での重い疑問は残されたままにはなったものの、今はとにかく帰るほかない。エリンへと向けて振り向こうとする一同へ、「声」は最後に語りかける。
 一同の働きにより、邪悪なる意志はその尖兵を失い、この世界とのつながりを再度失う形となった。そんな「奴ら」が再度この次元にやってくるためには相応の時間が必要なはずであり、そして、「声」の存在する世界ではすでに、チーフ達に図らずも世界を越えてその因子を与えることになってしまった存在達が、「奴ら」への最終進行作戦を開始しようとしている。……それが成功し、「声」が真に邪悪なる意志から解放されれば、邪悪なる意志はその力を失うだろうと。
 そう語る「声」へ、特別教導実践部の4人は、他の世界に存在する自身ともいうべき存在の勝利を信じ、エールを送る。そして、それを願うのは、もちろんシャルリシア寮生達も同じだ。
 声は、素晴らしい勇気と力を示し、自分達の世界の危機すらも退けて見せた一同をもう一度賛美し、そして、こんどはシャルリシア寮生達だけにと言葉を贈る。
 おそらく、シャルリシア寮生達6名には、その身にうえつけられたのであろう異世界からの因縁が、未だ残り続けている。そして、それはおそらくそれは、残念ながらシャルリシア寮生達に苦しみや悲しみをしいるものである可能性は高いだろう。
 だが、そんな中でも、自分達の生きるべき道を、誤らずに選んでいける強さが6人にはあるはず、そして、そうした道の中でこれから見つける、あるいはすでに見つけた輝けるもの。Someting Wondfullを得ることで、因子によって与えられる苦難に勝る、立ち上がり、進み続ける意味が見つかるはずだと、声は語った。
 その言葉を聞きつつ、一同は帰っていく。
 自分達の生きる世界……そして、未だ終わらぬ、自分達の戦いの場。エリンへと。

 全員が戻ってくると、さっきまで開いていた「穴」は忽然と消え、周囲はもう全く変哲のない、いつものエルクレスト・カレッジ構内へと移り変わっていた。
 ついさっきまで他の世界がどうのという事情に振り回され続けた一同は、そこから突然に戻ってきた日常風景に戸惑いを多少感じ、ここは本当に自分達のいたエリンで間違いないのか、といった根本的な疑問から噴出しそうになるのであったが、その時、一同の……特別教導実践部の4人を見て叫ぶ者がいた。マナシエである。
 マナシエによる特別教導実戦部発見報告がなされたその後、どうやら今まで特別教導実践部を探していたらしい生徒達がわらわらと現れ、口々にどこにいたのだ、ひょっとしてシャルリシア寮生がみつけたのか、などといったことを語り、集まってくる。そんな生徒達の騒がしくも安堵や喜びにあふれた光景を見て、一同はやはり、ちゃんと元の世界、自分達がいるべき場所へ帰ってくることができたのだという事を実感するのだった。
 温かい学友たちの思いに答えつつも、チーフはそこでひとまず、事態の収束のためにエルヴィラのところに4人で向かい、何があったのかを報告することにする、とシャルリシア寮生達に告げた。今回あったことについてまでエルヴィラが何かを知っているという可能性は低いが、それでもどのように話の落としどころを作るべきか、相談し、意図を合わせられるできる相手ではあるだろうからと。
 それにエンジェも頷き、それで今回の、自分達の問題は解決するだろう、というのであったが、その発言はつまり、シャルリシア寮生達6人は、より重大な解決するべき問題が残っていることを示すものでもあった。
 だからチーフは、あとで合流した時に、自分達4人にもシャルリシア寮生失踪の間に何があったのかを教えてほしいと言って、一度その場を去った。
 それは、例え自身の身を賭したとしても護りたいと思える相手、シャルリシア寮生達に対し、自分にまた、何ができるかを考えたいと、4人全員が間違いなく思っていたからだ。

 ……特別教導実践部が訪れてくるまで多少の時間がある。そのためシャルリシア寮生達はしばらくの間それぞれの自由時間を取ることとなり、レシィは休息のため寮内の自室へと戻ることを選択していた。
 しかし、そうやってようやく疲れが癒えてきたころ、突然窓の外から誰かが叩くような音が聞こえ、レシィは振り向いた。すると、レシィの視界に映ったのは、いつもどおりの学園の庭の風景の中にちょこんと混ざった、特徴的な狼の耳であり、それをレシィに限って見逃すはずもなかった。
 その耳の主が手を出して手招きをするよりも早く、レシィは(なんとなく恥ずかしい思いがあるためかこっそりとだが)寮の外へと飛び出し、そして「彼女」を追って走っていく。そうしているうちに、レシィがやがて人目につかない木陰までやってきたところで、突然レシィは何者かに抱きすくめられたのだが、レシィは驚くことはなく、少し困ったようにして、その行動をした自身の幼馴染、ユエルを見つめたのだった。
 喜びを全面に押し出し、その身を抱きしめながらレシィの名前を呼んだユエルは、レシィが失踪したと聞いていたが、無事に帰ってきてくれたとレイスから聞いて会いに来たのだということや、他のシャルリシア寮生の無事も確認できたことに快哉を上げるのだったが、力の強い彼女に全力で抱き付かれたことで身体に負担を感じるだけでなく、一応生徒以外は入ってはいけないことになっている学園内にいるというのに、周りに聞こえかねないほどの大きな動きと声をユエルが出していることで冷や汗をにじませざるを得なくなっており、まずは落ち着こう、となんとか離れてもらうのであった。
 少しのやり取りのあと、ユエルは離れてはくれたのだが、その眼はどこかレシィを心配しているかのようであり、実際、ユエルは次には、またレシィが旅に出るのだろうということ、そして、その理由が、レシィ達シャルリシア寮生の中に魔となるものが潜んでいるからであるということもレイスから聞いたのだと言い、そして、その「魔」がかつてレシィを苦しめた、邪神の祝福と同じものでないのなら、それはなんなのか、ということを知りたがる。
 それについてレシィは、自分にもまだ詳しくは分かってはいないのだが、といいつつ答えようとしたのだが、話の中で、不意にエンザのことを思い起こした瞬間、思わず言葉につまり、目を伏せてしまったのをユエルに見とがめられてしまう。そして、ユエルがもう一度、「本当に無事だったのか」ということを聞いたとき、レシィはその体を、一度だけ大きくふるわせてしまった。
 この時、ユエルはレシィが、話しづらい、あるいは話したくないほどの何かを抱えていることを察した。だが、ユエルはそれに気づきつつも、あえて「聞かせて」、とその足を踏み込ませる。何故なら、そのようなことこそ、レシィ一人ではなく、自分達で支え合うべき問題であるはずと感じたからだ。……そう、例えそれで、ユエル自身も大きな傷を負うのだとしても。
 ユエルのその凛とした態度に、レシィはついに、可能な限り口にしたくなかったであろうあの瞬間についてを語る決意をする。そしてレシィは、ユエルに何を聞いても取り乱さないようお願いをかけてから、あの瞬間……鬼神の如き存在、バウラスを前に、エンザが残った時のことについてを語るのだった。

 全てを聞き終え、ユエルは愕然としていた。
 エンザはユエルにとっても、自身の大切な人、レシィを邪神の祝福から救ってくれた恩人だ。そのエンザが、もう一度レシィ達を救うためにその身を捧げ……おそらくはもう、この世にいない。
 取り乱さないでほしい、といわれていたユエルではあるが、それでも、信じたくない、という言葉が口をついて出てしまう。
 だが、その時先に感情が決壊したのは、それを語った当のレシィ本人であった。
 レシィは涙をにじませ、声をかすれさせて言う。自分にもっと力があったら。自分にもっとできることがあったら、命をささげるなどという言葉を、エンザに言わせることはなかったはずなのにと。
 しかし、レシィだけでなく、あのシャルリシア寮生全員に、エンザまでそろっていながら、全く勝ち目が存在しなかったというそのバウラスという男が、どれだけ規格外なのかは話を聞いただけのユエルにも理解できることであり、もはやそこにいたるまでの努力の問題ではないのは明白であった。そして、レシィもそのことは、本当は理解しているに違いない。
 だがそれでも、レシィは叫び続けた。自分をずっと見守ってくれると信じていた人が、自分のためにその命を犠牲にした悲しさを、辛さを、苦しさを言葉の奥にひめ、自身を罵倒し続けた。……進まなければならないのだと、決意はした。それでも今、自身の愛する人の前で、自身の大切な人を失ったことを思い返したこの瞬間、レシィは己を悔やみ蔑むことでしか、全身を駆け巡る悲痛の波に耐える手段を思いつかなかった。
 だがその時、ユエルがもう一度、レシィを抱きしめた。
 ……先ほどのような力任せのものではない、まるで、その人のすべてを受け止めるかのような優しい抱擁で。
 腕の中、すぐ近くにいるレシィに、ユエルは一言、辛いね、と語る。
 ユエルは冒険者だ。冒険者と危険は切っては切れない関係にある。……ユエルもまた、心を通わせた相手がこの世からいなくなる経験を、したことがないわけではなかったのだ。
 そしてユエルはその度に、今この時も含め、考えてしまうことがあるという。それは、このようなあまりにも辛い思いをするくらいなら、いっそ何もせず、誰かと関わったりしない方がいいのではないかということだ。
 だがそれは、少なくともユエルにとっては、自分の人生をあきらめることである。ユエルは常に、傍にいる人々とは互いを思いやりあうような仲になりたいと思っているし、レシィや、自分以外の誰かがいるから、自分の人生はあると信じている。
 そう考えた時、ユエルは思う。はたして、この世からいなくなってしまった、自身にとって大切なその「誰か」が、そのことで自分の人生をねじまげてしまうようなことを望むだろうか、と。
 例えばもし、ユエルが命を落としてしまったとしたら。ユエルは、そのせいで誰かが生きるべき道を見失ったり、ねじまがってしまったりするようなことは決して望まない。そのことを、ユエルは自身で確信している。
 そして、ユエルはレシィに聞く。もし、レシィが命を落としたら。
 ユエルはきっと、もはや生きていることすら嫌になるほど悲しんでしまうだろう。だけど、それで一生立ち直れず、本当に生きることを駄目にしてしまうようなことを、レシィは望むのだろうか、と。……それに、レシィは即答した。そんなことがあれば、あの世からユエルのことを叱ってでも矯正するだろう、と。
 そのユエルの問いかけを経て、レシィは頷く。まだその眼尻には涙がたまってはいるが、もう、先ほどのような、辛さに押しつぶされている声ではない。
 そうだ。だから、自分は絶対に、自分の人生を生きることを決めたのだ、と。
 自分には自分の人生が。ユエルと、シャルリシア寮生達と、皆と、生きていく人生がある。それを歩んでいくことは自身の望みであり、そしてそれはエンザの望みでもあるのは、間違いないことのはずだ。
 心の魔だろうがなんだろうが、そんな理不尽なものに屈したりはしない。今のように悲しみが全身を押し潰そうとしたとしても、心の底にある未来という希望をなくしてしまうことは、決してない。
 そう強く誓い、自分達を見守っていてくれた人の一人である人物から残された兵法書を思わず握りしめつつ言い切ったレシィの姿に、ユエルは一瞬言葉をなくしていたが、すぐに、今度は先ほどよりも深く顔をレシィの肩に預け、彼女もまた頷いた。
 なら、大丈夫なんだよね、と。
 悲しくて、悲しくてしかたなくても。
 やがてもう一度立ち上がり、進むべき道を迷わずに選んでいけることを、信じられるはず。
 そうなんだよね。
 悲しくて、悲しくて。
 しかた、なくても……
 そこでユエルの声が震えたのを、レシィは聞き逃さなかった。
 顔は自身の肩にあるため確認はしていない。だが、ユエルは泣いているのだと、レシィは気づいている。……彼女もまた、決壊しそうな感情を押しとどめていたのだ。二人ともがそれを氾濫させてしまえば、何も語り合えず、何も分かち合えないから。
 ごめんね、というユエルの謝罪をレシィは受け止める。レシィを励まさなければいけないはずの自分が、自分よりも、もっと長い期間エンザと関わり合ってきた分、辛いはずのレシィの前で、泣いてしまっている。そのことについて。
 レシィはそんなユエルが泣き止むまで、何も語らないことにした。
 ユエルの体を抱きしめ返す自分の腕が、言葉に乗せて伝える以上の気持ちを表してくれることを信じて。

 ユエルの声が小さくなって、体の震えも止まると、やがてユエルは体を離し、真剣な表情でレシィを見つめた。
 この後、皆で生きるために、アヴァロンに向かうのだろう。そう聞くユエルに、レシィは肯定で返す。
 その濁りのない声と瞳に、ユエルは一言、大丈夫、と再度言った。
 レシィはもう、他人どころか、自分のことをまず信じられていなかったころのレシィではない。そのことはあの(第七話参照)レシィがユエルを救ってくれた時のことでわかっているし、今日の語らいは、その時からレシィがさらに成長したことを実感させてくれるものだった。
 今のレシィは、例えどのような相手が立ちふさがるとしても、それが必要なら。レシィ自身が間違いなくそうしたいと思えるようなことなら、しっかりと立ち上がり、進んでいくことができる。だから、レシィはユエルだけでなく、様々な人を救うことができた。それに。
 みんな、いるから。そうユエルは言う。
 ユエルも、レイスも、他のシャルリシア寮生も、この学園の人々も。きっと、レシィが進んでいくための力になりたいと思っているはず。
 邪心の祝福だろうと、魔族の陰謀だろうと。何がレシィを脅かすとしても、レシィが望めば会えるところに、ユエル達はいる。
 だから、待ってる。そのユエルの言葉にレシィは頷き、そして再度宣言する。
 運命だろうとなんだろうと、自分の信じた生きる道を、投げ捨てるようなことはしない、と。

 ……そこで二人の邂逅は終わる……はずだったのだが、最後の別れの瞬間、シャルリシア寮生の他の人々にも一言挨拶をさせてほしいとユエルに頼まれたレシィは、それを無碍にするわけにもいかず、ひとまずユエルをシャルリシア寮へと案内した。
 だが、ユエルのした「挨拶」とは、挨拶だけではなく、あらん限りの大声で、レシィがをシャルリシア寮生のみんなを守るように、みんなもレシィを守ってほしいと頼むと言ったものであり、その前口上がやたらとレシィの自尊心を直撃する暴言を吐いた後、ユエルがそれでもレシィを信頼しているということを全面に押し出したものとなっていたこともあって、レシィは顔が引きつるやら恥ずかしいやらで複雑な感情を持て余していたのだが、ミルカに「この寮の中で、レシィは一番成長を遂げている」と認められ、クレハに(レシィを守ったらかわいい女の子を紹介してくれという冗談があったことはともかく)「頼まれなくても、必ず守ると決めている」といわれたことは、レシィの感情を晴れやかなものにさせ、ユエルの笑みをさらに快活なものにさせることであっただろう。

 ユエルが帰還してしばらく後、ようやく、エルヴィラへ状態を報告し、学内の混乱も解くことに成功したらしい特別教導実践部の4人がシャルリシア寮の談話室へとやってきた。4人はまず改めて、先ほどの戦いでの救援への感謝を述べつつ、本来ここで聞こうと予定していた、シャルリシア寮生達にあれから何があったのか、ということについてはエルヴィラ等からすでに話を聞くことができたらしく、あえてもう一度聞く必要はなくなったという。
 だが、これからシャルリシア寮生達がどこに行き、誰に会う必要があるのか。どうやら、エルヴィラ達はその部分についての説明はあえてはぐらかしていたらしい。しかし、この4人はすでにダバランとの戦い以降、シャルリシア寮生達の中に潜む「心の魔」という存在を知ってしまった者達であるため、あえて隠し立てをすることはないだろうと判断したらしいジャックは、自分達の目的地がアヴァロンで、そこにいるエーエルという魔女から「心の魔」の情報を得ることが目的となることを語った。
 地上の者とは一線を画す力を持つ者達が住むと言われる場所、アヴァロンが目的地と聞けば、そのエーエルも只者ではないことは容易に想像できる。……だが、いずれにせよ、なんとしてでもシャルリシア寮生の中に潜むという「心の魔」については、解明しないわけにはいかないのだ。
 ……あの命失われた世界の中で、「心の魔」とはどういう存在であったのか、そのことも。
 しかし、そこでエンジェが辛そうな表情を浮かべる。……彼女の予知の力は、これからシャルリシア寮生達が知るべき「真実」が、ともすればシャルリシア寮生に対して最大の苦難になってしまう可能性を感じ取っているようであり、その不安を完全に払しょくすることができない様子であった。しかし、そんな暗くなりかけたムードの中でイッシーは声を張り上げ、たとえどんな時でも、世の中とは進んでいかなければ何も始まらないのであり、例えその道の先に恐怖に値する存在が待ち構えているかもしれないとしても、立ち止まるわけにはいかないと主張した。そして、そんなイッシーの言葉を一番に肯定したのはジャックであったが、ジャックは、「それに、自分達シャルリシア寮生がそうしていくことも、あの世にいるエンザの望みであったはずだ」と付け加える。特別教導実践部の4名はエンザの命が絶望的であるということまでは聞かされていなかったため、その言葉には大きな衝撃を受けたようであったが、ジャックは、最悪その覚悟でいるまで、という言葉でそれ以上の追及をかわすのであった。
 ……とにもかくにも、やはり、今はシャルリシア寮生達は進むしかない。エンザが残した、希望という存在を信じて。
 そしてそうした試練の道を歩むこととなったシャルリシア寮生達に対して、チーフは、イッシーは、フェイエンは、エンジェは、シャルリシア寮生の無事を願う思いと、他の生徒たち同様、自分達にも成せることがある時には、必ず力となるという誓いをかけた言葉を贈っていく。自分たちは常に、互いを助け合う存在なのだからと。

 ……エルヴィラと、アルフレッドのいる学長室に、シャルリシア寮生達は再度やってきた。
 一同を前に、エルヴィラはまず、特別教導実践部の失踪の際、そこでもまた、シャルリシア寮生達が彼らを助けに向かってくれたという事に感謝し、シャルリシア寮生のような学生がいてくれることを、学長として誇りに思う、という事を語った。
 だが、そこでアルフレッドが口を開く。しかし、そのことと、これからシャルリシア寮生達が選択すべきこととはまた別の話だ、と。
 アルフレッドは続けて言う。今、様々な人々が、シャルリシア寮生達が恐れず進んでいくことを期待している。だが、ひょっとしたらその進むべき道とは、進めば進むほど、後悔をしたくなるような道であるかもしれない。だから、進むか、留まるか。それを決める最終的な決定権は、あくまで誰かからの願いや期待というよりも、シャルリシア寮生達自身の意思でしかないのだ、と。

 そう聞いたアルフレッドの、そしてエルヴィラの思いは、こうであった。
 結局のところ、客観的に眺めるなら。絶対に、間違いなくそうするべきだ、という根拠があるわけではないのだ。何故なら、「心の魔」は確かに存在するとし、それは倒さなければならない存在なのだとしても、それを成すことがシャルリシア寮生にできることであるとされたのは、あくまでエンザが最初に、それを信じたから始まったことであり、そもそもその正体もほぼ不明のままであるような「心の魔」への対策として、そこに絶対の根拠はない。
 そして、エルヴィラもアルフレッドも。シャルリシア寮の創設にかかわった人びとは、そんなエンザの言葉や行動をさらに信じ、そのための協力をしてきた。その決断を彼らは間違ったものであると考えたことはない。……だが、それに導かれて、実際に今、うら若き学生の身で試練の道を歩んでいこうとしているのはシャルリシア寮生達であり、つまり、エンザから伝えられてきた「信じる」ことが、エルヴィラやアルフレッドを伝わって、そして今、その当事者であるシャルリシア寮生の手に渡ろうとしているのだ。
 これが本当にシャルリシア寮生達が選ぶべき道なのか?他に何か、彼らが苦しむ可能性がもっと少ない方法はないのか?その是非について語ってくれたであろう存在、エンザはもうここに帰ってくることはない。エルヴィラもアルフレッドもそれを信じたとはいえ、その立場はあくまで「受け継いだ者」であり、エンザがシャルリシア寮生達にかけていた希望に対する情熱の熱さをしってはいても、それを根拠にシャルリシア寮生達の道を自分達二人で決定する権利など、あるはずはないと二人は考えていた。何故なら。
 ……エンザが「信じた」ことから始まったこの道は、それを受け継いだものがそうしたように、それを進む当人たちもまた、エンザを信じる気持ちを持ち合わせていなければ、成立しないはずだからだ。
 考え方によれば、エンザとはシャルリシア寮生達にとって、何も説明されぬまま集められ、勝手に「心の魔」に抗することができるという願いをかけられ、そして、勝手に、その命をシャルリシア寮生のために捧げ、去って行った男だ。
 その男の残した道が、今自分達の選ぶべき最善の道だと、確かに信じることができるのか。もしかしたら、ひょっとしたらそれは、何もしないことよりも傷を広げるかもしれないことだとしても。
 アルフレッドは、エルヴィラは、それを危惧していた。だから、もし本当はエンザのことを信じられていないのなら、それはもはや、その道を行くべきではないのではないかと思った。その思いを、先ほどの言葉に込めたのだ。
 ……だが。

 ……それを聞いたシャルリシア寮生一同は、悩みを浮かべてはいない。……いやむしろ、なぜそんなことを聞くのか、といったふうですらある。
 そしてレシィは答える。このまま立ち止まることはしない。そう望んでくれたエンザやみんなのためにも。それを自身で選択できる、と。ジャックも、自分が何もしないで、世界が混乱にまみれるようなことがありでもしたら寝覚めが悪い。それに、自分の力はこういうの時のために鍛えたものだと、今では思うのだと語る。……他の4人もその言葉に異論はなかった。それに、シャルリシア寮生達は昨晩、自身を信頼してくれている生徒たちの前で、進んでいくことを確かに自分の意思で宣言したのだから。
 だからもう、二人もそれ以上、シャルリシア寮生の出発をとどめる言葉などあるわけはない。そもそも、そう選択してくれるシャルリシア寮生の姿こそ、エンザを含めた、自分達の理想であったのだから。
 だから二人は感謝した。シャルリシア寮生がエンザの……いや、未来を案じた大人の言葉を、しっかりと受け止め、進んでいく人間でいてくれたことに。そして、そのことを表情で声で表しつつ、エルヴィラは転送石を一同へ与えた。それで、アヴァロンの入り口……おそらくは、エーエルが「試練」を設けているであろうその入り口までは、いけるはずだと。
 そして、また再度願う。シャルリシア寮生達が、その「試練」にも。……その先に待ち受ける「真実」が何であったとしても、負けないでいてほしいということを。
 アルフレッドは言う。若者は、未来を選択する生き物である、と。そして、結局自分たち大人達は、最後にはその選択を見守ることしかできない存在なのだと。
 ……だから今、自分たち大人にできるのは、シャルリシア寮生という若者たちが、今まで培ってきた自分自身という精神で、確かに選んだ道を尊重すること。そして、その道が安寧につながっていることを願うことだ。
 シャルリシア寮生達は、間違いなくその道を選択した。それが、エンザの願いを叶えるものであり……そして、例え先行きの暗い道であっても、人は未来へ進んで行ける事の証明ともなってくれるよう、二人は願うのだった。

 学長室を出て、まずは屋外まで移動しようとした時、シャルリシア寮生達に声をかける者がいた。ハナである。
 待って、と一同を呼び止めたハナの表情は、なぜかすでに泣き出しそうなほどのものとなっていた。何かに怯えているような、恐れているような。そんなように見える。
 もう行くのか、というハナの質問に、クレハが重く、確かにうなずく。だが、わずかな沈黙の後、ハナは言った。
 やめよう、と。
 彼女はシャルリシア寮生達がこれから絶望に挑む旅に出ることを知っている。そして、それをそのまま見送ることができなかった。
 エンザは死んでしまった。ハナはもう、そのことを理解してしまっている。エンザはバウラスに立ち向かったため……シャルリシア寮生の身に潜む「心の魔」の解決を貫くために、死んでしまった。
 そのような問題に対して、たかが学生6人で何をするというのだろう。それがエンザの残した言葉だとはいえ、挑めばもっと悲惨な……少なくとも、6人の人生にとってより悲惨な終わりが待つのかもしれない。ハナにはそう思えてならず……なにより、この上シャルリシア寮生達までそのような事になってしまったら、自分の心をどのようにすればいいかもはやわからないという、ハナ自身が抱える途方もない恐怖が、彼女をこの場で叫ばせていた。
 だから、行かないで。
 この学園の中で恐らく一人だけ、彼女はシャルリシア寮生へそう願った。しかし、彼女のその言葉を遮って、ラピスは答える。
 行くよ。と。そうしなければ、エンザの死は無駄になってしまうから。
 エンザの死の意味、その言葉は、ハナを一瞬はっとさせたようではあった。だが、まるでその言葉を認めそうになった自分を振り払うかのように、やめて、と叫んだ。もう、自分を怯えさせないでくれ、と。
 だがそれでもラピスの、シャルリシア寮生達の意思は、選択した道は変わらない。ハナは一同の……いや、ラピスのその様子に、どうしてそんなに強くなれるのかを問いかけた。自分は、自分でない、シャルリシア寮生達がそのようなものに挑んでいかなければならないと思っただけで、こんなにも未来が恐ろしいのに。
 だがラピスは答える。怖いよ。と。だが、だからこそ、進まなければいけないのだと。
 あの時(第十三話参照)、ラピスがハナを抱き留めた時と同じように、もう一度ハナを抱きしめながら、ラピスは己の中の弱さや怖さを肯定した。そんな感情がないから、先に進んでいく意思が湧き上がってくるなどと言うわけではない。ただ、自分のするべきことを、今は見失っていないから、進める。そのことを、あの時とは違い、もう一度帰った時、また話しあおうと、ラピスは落ち着いて諭す。
 しかし、ラピスの腕の中で、ハナが溜めていた涙を徐々ににじませ始めた時、彼女の心は少し穏やかになっていた。そして、ハナはその時ようやく、本当は気づいていた、あることを認める。
 そう、誰だって恐れや悲しみを抱いて生きている。それは、今自分がそうであるように、親しい人を、自分達を救ってくれた大切な人を送り出さなければならない、他の生徒達もそうであるはずなのだ。
 だが、ハナを含め、彼らはみんなあることを知っている。それは、例え大きな不安が待ち構える道であるとしても、何も知らず、何もできずその場にうずくまる位なら、シャルリシア寮生達はその道を進むことを選ぶはずだということ。……なぜなら、彼らは皆、シャルリシア寮生達そのような人々によって構成された者達であったからこそ、シャルリシア寮生に救われてきたのであり、そしていつも、そんなシャルリシア寮生達が、予想もしていなかったような大きなことをやり遂げてくれるのを見ていたからだ。
 だから彼らは、自分の中の怖さを。自分が応援することで、シャルリシア寮生達を取り返しのつかない暗黒へ追いやってしまうかもしれないという恐れを振り切った。シャルリシア寮生達の心が未来への希望をそれでも失わないことを信じ、そしてその意思が何かを成すはずだと信じて。そのために自分のするべきこと、快く、シャルリシア寮生達を送り出すことを、恐れを乗り越えて、迷わずに選択できた。
 しかし、ハナにはそれができなかった。エンザに本当の自分を伝えられないまま、永久にわかれてしまった彼女にとって、これ以上そのような相手が増えてしまうかもしれないことはとても耐えられなかった。だから、シャルリシア寮生達が挑んでいくその道を、他の人々のように見送ることができず、今このようなことをしているのだ。
 自分は弱いから、とハナは言う。こうして、一度引きとめて。自分の中の悲しみや怖さをすべてさらけ出しでもしなければ、見送ることすらできはしなかった。
 しかし、ラピスはそんなハナを強い、と称した。そうして、弱さをさらけ出すことができない自分に比べたら、ハナはずっと、心が強いと、ラピスは考えたのだろう。ハナはそれを聞いて、ラピスからの「許し」ととらえた。今自分のしたこと。自分の心の問題のために、シャルリシア寮生達をこうして足止めし、戸惑わせてしまっている。そのことを、ハナのためになら、なんでもないことだと許したのだと。
 そう考えた時、ハナは、もう一つのことを確信した。

 やはりそうだった。心の中にあるものを、ちゃんと言葉にすれば。 
 本当に伝えたいことをしまい込まず、ちゃんと伝えれば。
 おそらく、人はそれを受け入れてくれるのだ。
 誰だって、弱さを持つ生き物なのだから、きっとそれを許すのだ。
 きっと、エンザに対してもそうすればよかった。しかしそれができなかったことが。できなかったことにより、かつて出口を探そうともせず、進むことを恐れてとどまった自分の愚かさが、今の彼女の心を苛んでいた。
 でも今は、もはや確信として伝わる。やはり、エンザはハナを許しただろう。
 自分がエンザに抱くかすかな憎悪を、未だに失えずにいることをさらけ出せば、エンザはきっとそれを認め、ハナを導いてくれただろう。あの時だけではない。今も、こうしてそれを伝えられなかった自分のことを、ようやくそれを口に出せた自分のことを、エンザは許しているはずだ。
 エンザは、それでも自分が好きになった人であり、それに、ここにいる素晴らしき人々を導いたのは、彼なのだから。
 だからもう、ハナの心は出口を失った迷宮ではない。これからの答えを、彼女は実感したから。
 もう、怯えてとどまっているだけでいることはない。その決意を、ハナはやっと、取り戻したのだ。

 そしてハナは涙を流す。ただし、泣き叫ぶのではない、一筋だけ、その雫が頬を伝う。
 その直後、ラピスの体から離れたハナの顔は、笑顔だった。まだどこか無理のある。しかし、悲しさや怖さに、今はもう、耐えられることを表すかのような笑みだ。
 そしてハナは言うのだ。行ってらっしゃい。と。
 これが最後の別れになってしまうのではないか。そんな怖さはまだ残っている。だが、その怖さを認め、自他と共に許しを得るに至った今、シャルリシア寮生自身が、何をするべきことだと思っているのか。それを惑わず、信じることができる。
 ……起こってしまったことは消えない。その悲しみも残るものだ。だけど、そんな時、その重さが耐えきれなくなった時、それをちゃんと支えれば、応えてくれる人々にハナは恵まれた。
 だから、悲しみを越えていくことができる。悲しみの上に立って、今こうして支えていこうと思うことができる。それは、強くなるという事だと思いたいとハナは言い、ラピスもそれに同意し、そして、今度は感謝すらした。今回は、ちゃんとハナにとって打ち明けるべきものを、明かしてくれたことにだ。
 もう、自分の中に隠している感情はない。そんな自分を取り返したハナは、その気持ちでシャルリシア寮生達を送り出す。
 そして最後に、ハナはラピスに、今度、次に話せる時は、ラピスについてもっと多くのことを語りたいと願った。彼女は、自分を取り戻すきかっけとなってくれたラピスのために何かをしたいと思い、それと同時に、ラピスにも自分と同じく、気づくべきこと、さらけ出すべきことがあるはずだと思ったのだ……そもそも、ラピスは先の会話の中で、自らそれを暴露してもいた。
 ……だが、ラピスはあくまでそれには、空の笑顔を返すだけであった。

 シャルリシア寮生の旅立ちの前、そこにやってくる者がまだいるようだ。
 一同に向けて一直線にやってきたのは、風紀委員会の委員長、マルティンであり、彼は息を切らせながら、出発前に、渡しておきたいものがあるのだと言った。それは、一つの便せんであり、どうやらアルゼオの書いたものであるらしい。
 マルティンが自分がいまするべきことが何か、そして、今眠るアルゼオやダバランのために何かできることはないのかを探ろうとし、何か情報が残っていないかとアルゼオの部屋を探索した際に見つけたものであるらしいそれは、封がされているわけでもなく、今マルティンが慌てて持ってきたことからもわかるように、誰かがシャルリシア寮生に渡すようあらかじめ言付けされているものでもない。すなわち正式にシャルリシア寮生へ贈るつもりでとアルゼオが残した文章であるかどうかは定かではないのだったが、それでもその内容、シャルリシア寮生達には必ず生きる権利があり、そしてそれを成し遂げる……即ち希望を得るためには、多くの信頼を得て、また信頼をする存在である必要があり、そのためにアルゼオ達は……もといエンザはシャルリシア寮生を導いたのだという事を、必ず信じ続けて欲しいというアルゼオの手紙は、やはり、今のシャルリシア寮生を想定して宛てたものであり……さらに言えば、アルゼオが自身の身に何かあった時のために備えようとしていたものだという可能性は高いように思えた。そして、そうだとするなら、やはりアルゼオも、エンザと同じ願いを、シャルリシア寮生へと間違いなく託していた。
 そのことを語った後、マルティンはジャックやレシィ、ミルカに頭を下げた。昨日(第十三話参照)シャルリシア寮にやってきて、あまりの不安から取り乱したことを改めて謝罪したのである。今そう語るマルティンの様子は落ち着いており、彼もまた、今はシャルリシア寮生を希望と信じ、未来の不安に抵抗することができていることをうかがわせる。
 そしてマルティンは、シャルリシア寮生が全てをあきらめたりしない限りは、きっと希望はあり、その鍵が、アルゼオのこの手紙にも書かれているように「信頼を集める」ことだとするなら。今まで以上に自分は、いや自分たちは、シャルリシア寮生を「信じる」だろうと言った。
 これを書いたアルゼオの心にも、絶望ではない、希望を「信じる」確かな意思があり、それは願いとなった。そのことに思いをはせながら……


 またも4名の危機を救い、ついに君達は、アヴァロンへの道に至ろうとしている。それは、全てを知るために。
 しかし、その身に宿った謎は濁りを増すばかり。それが本当に知るべきことなのか。知らない方が、まだ幸せといえるのではないか。そのような懸念の渦巻きが、延々と流れ続けている。
 しかし、そのような時、人にできることとは、ただ信じることだけなのかもしれない。
 自分自身を、そして自分を支えてくれる人々を信じ、その上に成り立った自分自身という存在が、苦難や困難に、打ち勝って行けるだけの存在であることを信じ、その一歩を踏み出していく。
 君達はその一歩のための信頼を、強さを。確かにその身に持っていた。だからこれからも信じていくだろう。
 全てが破滅などではない。希望があるからこそ、歩む意味があるのだという事を……


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最終更新:2016年01月12日 04:08