概要
元々この地には、
ゴゥド族の南方進出のための兵站基地が築かれており、付随する形で若干の集落が形成されていた。
1580年代後半にキルプゥト・ハンが、中原の文化を取り入れた宮殿と城壁を築き、1593年に首都に定めた。
その後メウチゥト・ハンの代に交易路が整備されゴゥド・ハン国各地との結びつきが強められた結果、大陸有数の都市として繁栄を極めた。
しかし1651年の
アザルによる第一次親征により陥落、同国の北方経営の拠点にされ、1657年にゴゥド・ハン国が滅亡すると、北方遊牧民族の象徴になることを恐れた
アザル政府により、徹底的に破壊された。
現在では大草原に当時の瓦や城壁の残骸が無造作に転がるばかりとなっている。
歴史
- 1450年頃 ゴゥド族の兵站基地が建設される。
- 1587年 城壁及び宮殿の造営が始まる。
- 1593年 ゴゥド・ハン国の首都となる。
- 1651年 アザルの第一次親征により陥落する。
- 1660年 アザルにより破壊され、廃墟となる。
関連項目
最終更新:2024年08月18日 14:13