愛について



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愛(あい)とは、崇高なものから、恋愛、そして欲望に至るまで様々な意味で用いられる概念である。

広辞苑では、次のような用法をあげている。
   * 親兄弟のいつくしみあう心。ひろく、人間や生物への思いやり
   * 男女間の愛情。恋愛
   * 大切にすること。かわいがること。めでること
   * (キリスト教)神が、自らを犠牲にして、全ての人間をあまねく限りなく いつくしんでいること。アガペー。
   * (仏教)渇愛、愛着(あいじゃく)、愛欲。「十二因縁」の説明では第八支に位置づけられ、迷いの根源として否定的に見られる
日本の古語においては、「かなし」という音に「愛」の文字を当て、「愛(かな)し」とも書き、相手をいとおしい、かわいい、と思う気持ち、守りたい思いを抱くさま、を意味した

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人間の最も根源的な欲望であり、原義は「渇き」であり、人が喉が渇いている時に、水を飲まないではいられないというような衝動をいう。
それに例えられる根源的な衝動が人間存在の奥底に潜在しており、そこでこれを「愛」とか「渇愛」と訳し、時には「恩愛」とも訳す。
広義には煩悩を意味し、狭義には貪欲と同じ意味である。
また、この「愛」は十二因縁に組み入れられ、第八支となる。前の受(感受)により、苦痛を受けるものに対しては憎しみ避けようという強い欲求を生じ、楽を与えるものに対してはこれを求めようと熱望する。苦楽の受に対して愛憎の念を生ずる段階である。


愛は恋や好意に比べ、深く、強く、崇高であると考えるものが多い

愛は創作活動の源にもなる。大好きなもののためになら大きな力を発揮できたりする。それに加えて今までの歴史の中で数え切れないほどの愛を題材にした作品が生まれている。
愛は必ずしもすべて相手にとって好ましい感情とは限らない。それが元で嫉妬など、負の感情が起きることがある。母性愛は往々にして子供をがんじがらめに縛り付けるように働く

自己愛

社会的な人間にとって根源的な愛の形態の一つ。自分自身を支える基本的な力となる。 
心理学者らからは、自己愛が育って初めて他人を本当に愛することができるようになる、としばしば指摘されている。自分を愛するように、人を愛することができるという訳である。自分を愛せない間は、人を愛するのは難しいと言われる。
最終更新:2009年12月31日 12:43
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