《《ルナ・ハロウズ》 VS ハルネルラ》
「ああ、つまんない。」
月光すら拒まれた夜の淵。瓦礫に埋もれた廃墟の中、ルナ・ハロウズは崩れかけた石壁の上に脚を組み、無精な手付きで頬杖をついていた。
わずかな風が髪を揺らし、その目は完全な無関心を宿していた。
銀と黒に鈍く輝く双剣――アーリマツインは、まるで心臓を持つかのように脈動している。
低く鈍い鼓動が、沈黙の空間に不気味なリズムを刻み始めていた。
ズ……ッ、ズズ……ッ。
空気が歪む。目に見えぬはずのものが、じわじわと形を持ちはじめる。
息を吸うたび、胸にまとわりつくような重たい感覚。まるで胎児を包む羊水の中に押し戻されたかのように、全身が異質な圧力に包まれていく。
カラカラカラ……。
それは、乾いた何かが擦れる音。だが、それだけでは終わらない。
音の方向を見やれば、廃れた畳の隙間から、墨を垂らしたような黒い影がぬるりと這い出てくる。
影は液体のように広がりながら、やがて輪郭を持ち始める。
現れたのは異形。
長く垂れ下がる髪は水草のように揺れ、手足は不自然にねじれたまま床を這う。
肌は蝋細工のように無機質で、その顔――裂けたような口元に貼りついた笑顔だけが、月のない夜にもかかわらず、異様にくっきりと浮かび上がっていた。
「ケタケタケタケタケタケタケタ……。」
ハルネルラ。呪われた廃旅館の主。縦に240cm、横幅90cmの巨大な顔面を持ち、不気味な笑みを張り付けたまま獲物を狩る存在。
「ふーん。あんたが今日のオモチャ?」
少女は立ち上がる。その動きは軽やかで、どこか踊るようですらあった。アーリマツインが共鳴し、小さく金属の音を立てる。
「始めてあげる。」
ズシャァンッ!!
双剣の一閃が大地を滑り、空間を切り裂く。直接の命中はせずとも、その効果は発動した。
バシィィィン!!
床板が跳ね上がり、柱が咆哮を上げ、旅館そのものがハルネルラへ襲いかかる。
畳が牙を剥き、障子が凶刃と化して顔を裂こうと飛ぶ。
畳が牙を剥き、障子が凶刃と化して顔を裂こうと飛ぶ。
「ケタケタケタケタケタ!!」
ガゴォォンッ!!
廊下が歪み、ルナの足元が崩れる。視界が回転し、落下する。固有空間への転送。
「初めての空間転移だー!たーのしー!」
転移先は、長い長い廊下だった。左右に並ぶ無数の部屋、赤黒い染みが点在し、無意味な札が壁一面に貼られている。
「ここは……私の中。」
ハルネルラの囁きが響いた瞬間、空気が肌にまとわりつくほど重たく湿り、視界が歪む。
廊下はただの空間ではなかった。歩くたび、足元から脈動が伝わり、まるで巨大な生き物の体内を踏みしめているかのようだった。
廊下はただの空間ではなかった。歩くたび、足元から脈動が伝わり、まるで巨大な生き物の体内を踏みしめているかのようだった。
天井の木材は脈打つ血管のように脈動し、壁の木目は何かの眼球のように動いている錯覚すら覚える。何かが見ている。確かにそこにいるのに、どこにもいない。
心臓の鼓動が伝染しそうな密室感の中、廊下の奥から、ふたたびケタケタと笑い声が湧き上がる。
「じゃあ、私で汚しちゃおっか。」
ドゥン!!
ルナが床を蹴る。その動きは弾丸のようで、跳ねるように進む。剣を振るえば、廊下の天井が裏返り、床が口を開けて呻き、壁が業火に包まれる。
ハルネルラが突進する。巨大な顔を前へ突き出し、なおも笑いながら距離を詰めてくる。
ハルネルラが突進する。巨大な顔を前へ突き出し、なおも笑いながら距離を詰めてくる。
「ケタ……ケ……ケ……。」
その笑いに、濁りが混じる。
ズバァッ!!
畳がその脚を斬り裂いた。だが、それはただの物理的損傷に留まらない。
斬られた箇所からは黒く濁った液体が溢れ、床に染み入り、まるで呪いの蔦のように広がっていく。
斬られた箇所からは黒く濁った液体が溢れ、床に染み入り、まるで呪いの蔦のように広がっていく。
シュパァッ!!
空気が喉元を裂いた。だが切り裂かれたのは肉体ではなく、息そのものだった。呼吸が途切れ、空気は刃となって風の音もなく侵入してくる。
気配すら敵意を持ち、皮膚の裏からじりじりと焼かれるような痛みをもたらす。
パシュウゥ!!
障子が貫き、顔に突き刺さる。乾いた木材の破片が皮膚にめり込み、紙片が眼球の隙間へと滑り込む。視界は白く濁り、空間そのものが異様な歪みを持って蠢いていた。
「これが……アーリマツイン。」
ルナが踊るように剣を振る。その動きはもはや舞踏だった。だがその一振りごとに、世界の摂理は乱される。触れたものが全て、ハルネルラに敵対する。それは空気であり、時間であり、光であり、果ては彼女自身であった。
空気が反発し、光が閃光となって焼き付く。重力がねじれ、彼女の足元を引き裂くように軋む。時間が一瞬止まり、次に加速する。
空気が反発し、光が閃光となって焼き付く。重力がねじれ、彼女の足元を引き裂くように軋む。時間が一瞬止まり、次に加速する。
「グワアアアッ!!」
ハルネルラの咆哮が廊下を揺らす。だがその声も、空間によって裂け、断絶し、複数の方向から響く異音となって返ってくる。
「逃がさな……い……!!」
それでも、ハルネルラの反撃が開始された。
ズズ……ズズズ……。
床の隙間から這い上がるように、黒い液体が滲み出す。それは血ではない。怨念と呪詛の凝縮体、腐りきった感情が液状となって廊下全体を覆い始める。
「ギィ……シシ……。」
巨大な顔面がぐにゃりと歪む。その笑顔は崩れ、代わりに苦悶と怒りの色が混じる。
だが、口元だけはなおも笑っていた。嘲るように、諦めたように、そして壊れきった狂気そのもので。
だが、口元だけはなおも笑っていた。嘲るように、諦めたように、そして壊れきった狂気そのもので。
ズシャアアアアッ!!
ハルネルラの腕――いや、それはもう腕とは呼べない。異形の塊が粘着質な音を立てて伸び、廊下の木目を引き裂きながらルナに襲いかかる。
バシュッ!
「いった~い!!」
ほんの微細な接触、それだけで繊細な肉が裂け、朱の糸が空間に舞った。
その瞬間、ルナの中に異様な震えが走る。ハルネルラの肉体に触れたことで、自らの能力が流出し、跳ね返るようにして自身へと牙を剥いた。
「うっそ……え、なにこれ……」
アーリマツインの力が彼女自身を対象に定めた瞬間、空間が牙を剥いた。
空気が灼熱の刃となり、皮膚を何層にも切り裂く。
風の粒子がナイフのように回転し、彼女の骨の隙間を通って、内臓を揺らした。
光が一条の矢となって降り注ぎ、網膜を焼き、視神経を通して脳に痛覚を叩き込む。
重力は獰猛な獣のように肩を押さえつけ、骨を圧迫し、背筋を音を立てて軋ませる。
逃げるという発想すら拒絶された。
「く……っ、動けない……っ」
その刹那、ハルネルラの腕が異様に伸びた。粘膜のような肉塊が蠢きながら空間を滑り、ルナの腹部を正確に突き刺す。
バシュン
鈍く湿った破裂音。肉が避け、内臓が潰れ、骨が軋みながら折れる音。
「ギッ……ギシ……アアアアアアアアアアアアッ!!」
悲鳴は人間のものではなかった。旅館が、それに呼応するように喚き散らす。
天井が内部から異様に膨れ上がり、まるで肺が空気を吸い込むように波打つ。
柱は軋みを超えて、悲鳴をあげ、床が濡れた布のように波打ち、嗚咽する。
黒煙が巨大な獣のように渦巻き、壁の札が焼け焦げる赤い舌となって宙を舞った。
この崩壊は、ただの破壊ではない。
怒り、苦痛、狂気、あらゆる感情が臨界に達したときにのみ訪れる、絶叫のような爆発だった。
「勝者――ハルネルラ」