#blognavi
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眠いので簡単に。
久々にカラオケ。結構歌った。
たまにはいいな、たまには。
たまにはいいな、たまには。
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精神
一昨日、月曜日の夜、正確には火曜日の深夜2-3時頃、
自分の心のかなり奥を見た。
その内容は、時間の関係と、既にそれがただの記憶になってしまっていることから、
ここで詳細に述べることは出来ない。
後日機会があれば述べたい。
精神
一昨日、月曜日の夜、正確には火曜日の深夜2-3時頃、
自分の心のかなり奥を見た。
その内容は、時間の関係と、既にそれがただの記憶になってしまっていることから、
ここで詳細に述べることは出来ない。
後日機会があれば述べたい。
ここでは内容を簡単に書く。
まず結論。
”自分”は怯えている。”自分”にとって”全て”は敵である。自分さえも。
そのため、常に心安らかでない。”自分”を守らなければならない。
”仮面”をつけていなければならない。
まず結論。
”自分”は怯えている。”自分”にとって”全て”は敵である。自分さえも。
そのため、常に心安らかでない。”自分”を守らなければならない。
”仮面”をつけていなければならない。
だが、”自分”は許されたがっている。
もう嫌だ。常に怯えて、戦って、そうやって生きていくのは。
もう嫌だ。
許して欲しい。誰かに”自分”を受け入れて欲しい。
誰かに言って欲しい。「もう戦わなくてもいい」と。
もう嫌だ。常に怯えて、戦って、そうやって生きていくのは。
もう嫌だ。
許して欲しい。誰かに”自分”を受け入れて欲しい。
誰かに言って欲しい。「もう戦わなくてもいい」と。
だが”自分”はそれさえ恐れる。
その言葉を言われたら、”自分”は”自分”ではいられなくなる。
その言葉を言われたら、”自分”は”自分”ではいられなくなる。
物心ついてから、必死に作り続けている仮面。
貧相だった仮面は、最近なかなか豪華になって、ある程度は人に認められるほどだ。
その仮面を大事に抱えて、部屋の隅で震えている自分が見える。
自分、今こうして書いている自分は、それにはさほど執着はない。いや、その豪華さには、か。
だが、”自分”にとって仮面自体は必要だ。自分がさらけ出されないように。
貧相だった仮面は、最近なかなか豪華になって、ある程度は人に認められるほどだ。
その仮面を大事に抱えて、部屋の隅で震えている自分が見える。
自分、今こうして書いている自分は、それにはさほど執着はない。いや、その豪華さには、か。
だが、”自分”にとって仮面自体は必要だ。自分がさらけ出されないように。
そして、自分は仮面を付け馴れ過ぎて、自分で”自分の素顔”さえ分からなくなっている。
時折、分かった気付いた、なんて言ってみたところで、
それは仮面の模様を格好良い様に書き換え、また仮面を付け替えているだけ。
”自分”の言葉ではない。
時折、分かった気付いた、なんて言ってみたところで、
それは仮面の模様を格好良い様に書き換え、また仮面を付け替えているだけ。
”自分”の言葉ではない。
今のこの言葉も。
ただの記憶に過ぎない。
自分、いや”自分”にとって意味を持たない。
ただの記憶に過ぎない。
自分、いや”自分”にとって意味を持たない。
”自分”をどうにかしたいなら、
すべきなのは、こんな過去のことをいちいち思い出して書くことではなく、
今この時の”自分”を見つめることである。
先ずはそこから。
すべきなのは、こんな過去のことをいちいち思い出して書くことではなく、
今この時の”自分”を見つめることである。
先ずはそこから。
そしてその上で”あれ”を、か?
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「俺は決して間違っていないか」
「俺は真実へと歩いてるかい」
「俺は決して間違っていないか」
「俺は真実へと歩いてるかい」
「ああ、聞こえない、何も分からない、届かない」
「悲しくても、涙しか出ない」
「それでいい、それだけでいいよ」
「悲しくても、涙しか出ない」
「それでいい、それだけでいいよ」
”それでいい”、なんて言えない。言える筈がない。許せる筈が。
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ぜんぜん簡単に書いてない。
ぜんぜん簡単に書いてない。
カテゴリ: [日記] - &trackback() - 2006年03月16日 04:22:53
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