#blognavi
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ふと感じたこと
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私は人生において役を演じている。
善人の役、悪人の役、
幸福な人の役、不幸な人の役、
生まれてから、さまざまな経験をし、
小・中・高と過ごし、今は大学にいて、
進路に就職に悩み、研究をどうしようかと考え、
ゲームに没頭し、読書をし、etc...
その役。
そして、その役を演じている本人は、部屋の隅で怯えている自分。
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私は人生において役を演じている。
善人の役、悪人の役、
幸福な人の役、不幸な人の役、
生まれてから、さまざまな経験をし、
小・中・高と過ごし、今は大学にいて、
進路に就職に悩み、研究をどうしようかと考え、
ゲームに没頭し、読書をし、etc...
その役。
そして、その役を演じている本人は、部屋の隅で怯えている自分。
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それを感じたのは昨日で、今は感じられないけれど。
自分が何かを変える、ということは、
つまり演じる役を代えることで、演じている本人が何か変わることではない。
故に、その演じてる本人は何も変わらない。
相変わらず怯え続けることになる。
つまり演じる役を代えることで、演じている本人が何か変わることではない。
故に、その演じてる本人は何も変わらない。
相変わらず怯え続けることになる。
「怯えたくない」
それを解決するということは、その演じている本人を変えることなのだろうか。
それを解決するということは、その演じている本人を変えることなのだろうか。
ただ、この「演じている自分」という認識はふと感じたことに過ぎず、
「自己の真相」ではない可能性があることに注意しなければならない。
「自己の真相」ではない可能性があることに注意しなければならない。
それともう一つ。
「役ならばどうでもいい」と思ってしまうかも知れない、
が、それは間違い。
自分は役を演じること以外は出来ず、それが自分の全てである以上、
安易にそれを疎かにする事は、自分を否定する以外の何物でもない。
またそれをしても、「役を否定する役」を演じることになるに過ぎず、
形を代えるだけで、本質は何も変わる所がない。
「役ならばどうでもいい」と思ってしまうかも知れない、
が、それは間違い。
自分は役を演じること以外は出来ず、それが自分の全てである以上、
安易にそれを疎かにする事は、自分を否定する以外の何物でもない。
またそれをしても、「役を否定する役」を演じることになるに過ぎず、
形を代えるだけで、本質は何も変わる所がない。
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怯えている自分はいいとして、ふとこれを書いている自分は何なのかと考える。
怯えている自分を「あいつ」と呼ぶこの自分。
この自分を「あいつ」と呼ぶことは出来ない。
なぜならそう呼ぶ者がいないから。
怯えている自分はいいとして、ふとこれを書いている自分は何なのかと考える。
怯えている自分を「あいつ」と呼ぶこの自分。
この自分を「あいつ」と呼ぶことは出来ない。
なぜならそう呼ぶ者がいないから。
これは誰だ?
カテゴリ: [精神] - &trackback() - 2006年06月29日 21:49:16
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