#blognavi
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以前ふとしたきっかけで「ハルヒ」のエンディングだったかを見てしまい、
それからしばらくの間は脳内強制自動再生状態が続いた。
正直なところ、自分は「あちら側」への適正が高いから極力避けていたのだが。
しばらくは囚われつつも、それ以上近付かないように避けてきた。
対象への囚われ、絶対化。あれは畏怖に近い感情だったのか。
それからしばらくの間は脳内強制自動再生状態が続いた。
正直なところ、自分は「あちら側」への適正が高いから極力避けていたのだが。
しばらくは囚われつつも、それ以上近付かないように避けてきた。
対象への囚われ、絶対化。あれは畏怖に近い感情だったのか。
最近ネットを見ていたら「ようつべ」で見れることを発見。
(「ようつべ」とは何か、何が見れるのかは興味がおありなら各自調べられたし)
今日一日見ていた。
そしたら、まあ何だ、「醒めた」。
少なくとも以前ほどそれに対する囚われ、恐怖はない。
(「ようつべ」とは何か、何が見れるのかは興味がおありなら各自調べられたし)
今日一日見ていた。
そしたら、まあ何だ、「醒めた」。
少なくとも以前ほどそれに対する囚われ、恐怖はない。
畏怖、恐怖を感じるものへの囚われを醒ますには、
それから無理に逃げるより素直に触れてみるのがいいのかも知れない。
それから無理に逃げるより素直に触れてみるのがいいのかも知れない。
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で、あれは世間的には「萌」と呼ばれる感情なのだろう。
これは自分が感じた限りでは、「恋愛」もしくは「英雄願望(また物語に入り込むこと)」とさして違いはない。
基本的に同じものだ。
で、あれは世間的には「萌」と呼ばれる感情なのだろう。
これは自分が感じた限りでは、「恋愛」もしくは「英雄願望(また物語に入り込むこと)」とさして違いはない。
基本的に同じものだ。
ただ、違いもある。
「萌」と「恋愛」を比較するなら、
「仮想現実」と「現実」の違いのようなものだろうか。
「理想」と「現実」と言い換えてもいい。
「萌」と「恋愛」を比較するなら、
「仮想現実」と「現実」の違いのようなものだろうか。
「理想」と「現実」と言い換えてもいい。
「萌」。その萌える対象は「アニマ」なのだと思う。
「アニマ」。簡単に言うと「自身の中にある理想の女性像」。
(と言うか、アニマに対して自分もそれ以上の理解はない)
理想であるが故に、人は例外なくそれに囚われる。
それが”魅了される”と言う形をとるか、”反発する”という形をとるかは人それぞれだろうが。
(その萌える対象が自身の「アニマ」と重なるか、またその人が「理想」に対しどのような態度をとるか)
「アニマ」。簡単に言うと「自身の中にある理想の女性像」。
(と言うか、アニマに対して自分もそれ以上の理解はない)
理想であるが故に、人は例外なくそれに囚われる。
それが”魅了される”と言う形をとるか、”反発する”という形をとるかは人それぞれだろうが。
(その萌える対象が自身の「アニマ」と重なるか、またその人が「理想」に対しどのような態度をとるか)
「恋愛」も、その「理想像」という意味では、大抵同じである。
人は意識・無意識に関わらず「理想像」を求める。
自分の理想、望むもの、欠けたもの。それを満たしてくれるもの。
「恋愛」ってのはそういうものじゃないのかと思う。
(って、ろくに恋愛経験もないので分からんが)
人は意識・無意識に関わらず「理想像」を求める。
自分の理想、望むもの、欠けたもの。それを満たしてくれるもの。
「恋愛」ってのはそういうものじゃないのかと思う。
(って、ろくに恋愛経験もないので分からんが)
「恋愛」の場合、初めは自分の理想だけを求めて入ることもあっても、
やがて現実を、その相手自身を見て受け入れることが必要になる。
それは多くの場合、苦痛もしくは努力を必要とする。
だが、「萌」にはそれはない。自分の理想だけを、見たいものだけを見ていればいい。
逆に理想を深められる、とも言えるのか。
それが違い、現実の有無。
やがて現実を、その相手自身を見て受け入れることが必要になる。
それは多くの場合、苦痛もしくは努力を必要とする。
だが、「萌」にはそれはない。自分の理想だけを、見たいものだけを見ていればいい。
逆に理想を深められる、とも言えるのか。
それが違い、現実の有無。
「現実」と言うよりは「理想と違うもの」と言ったほうが正しいか。
「理想と違うもの」、「自分の中にないもの」「見たくないもの」「受け入れがたいもの」「現実」。
「理想と違うもの」、「自分の中にないもの」「見たくないもの」「受け入れがたいもの」「現実」。
これは「萌」と「恋愛」だけでなく「仮想現実」と「現実」等の関係にも同じことが言えるだろう。
「仮想現実」、ネットやゲームやらだ。
全体の傾向としてある、というだけで絶対に成り立つ訳ではなかろうが。
場合によっては「現実」の方が「あれ」な状態のことも多いし。
「仮想現実」、ネットやゲームやらだ。
全体の傾向としてある、というだけで絶対に成り立つ訳ではなかろうが。
場合によっては「現実」の方が「あれ」な状態のことも多いし。
まとめるとこうなるか。
「萌・仮想現実」と「恋愛・現実」の
同意点は、「理想」の存在
相違点は、「現実」の有無
「萌・仮想現実」と「恋愛・現実」の
同意点は、「理想」の存在
相違点は、「現実」の有無
ちなみに、自分は「萌」やら「仮想現実」を否定するつもりはない。
と言うより、出来ないだろう。人はすべからくそういうもので生きているからだ。
人は理想のない”現実”だけで生きているわけではないから。(それは機械の生だ)
否定するならば、同時に「恋愛」「現実」も否定することになるのではなかろうか。
と言うより、出来ないだろう。人はすべからくそういうもので生きているからだ。
人は理想のない”現実”だけで生きているわけではないから。(それは機械の生だ)
否定するならば、同時に「恋愛」「現実」も否定することになるのではなかろうか。
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自分にとってはどちらでもいいのだが。
ただ、「囚われる」ことだけは御勘弁願いたい。
自分にとってはどちらでもいいのだが。
ただ、「囚われる」ことだけは御勘弁願いたい。
カテゴリ: [駄文] - &trackback() - 2006年07月29日 02:29:16
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