言葉は要らない、誓いを胸に刻めばいい ◆PAWA58Ribc



「それで……田井中さんはお友達とお会いしたいのですね?」

メガネをかけ短かく髪を切った(本当にそれぐらいしか特徴がない)男の人は、玄霧皐月、と名乗った。
職業は教師、それも高校の教師だと本人は言っている。
なので、あたしは玄霧さんのことを、先生、と呼ぶことにした。
たぶんだけど、玄霧さんを先生って呼べば気分だけでもいつもの日常に戻れるかと思ったんだ。
それが成功したのか、それとも先生が上手く宥めてくれたのか、どっちなのかは分からないが、あたしの気持ちも少しは落ち着いてきていた。

今も涙で腫れた目をしたあたしの言葉を聞きながら、先生は優しい笑顔を向けてくれる。
落ち着いてくる、ひょっとすると学校でカウンセラーか何かもやってるいのだろうか?

「う、うん……澪も唯もムギも憂ちゃんも心配だしな……! それに、あたしも……こわ、いし……」
「無理に言葉にしなくてもいいですよ。このような状況で怖い、寂しいと思うことは当然ですから」

強がりにあたしの似た言葉に、先生は相変わらず穏やかな言葉を返してくれる。
先生は不思議な人だ。
あたしがそう答えてほしいと思った言葉を、あたしがそうしてほしいと思った表情と一緒に返してくれる。

平沢唯さん、秋山澪さん、琴吹紬さん、平沢憂さん……この四人が田井中さんのお友達ですね?」
「ああ。澪はすっごい臆病で、唯とムギは抜けてるところがあるから、その、心配なんだよ……」

そうだ、澪のことだ。
唯やムギ、憂ちゃんも確かに心配だが、一番心配なのは澪だ。
あの臆病なんて言葉じゃ表せないぐらい臆病な澪がこんな状況で動けるわけがない。
たぶん、泣いて蹲っているはずだ。
だから部長で幼馴染のあたしが助けに行ってやらなくてはいけない。
そう考えると、ちょっとした勇気が湧いてくる。

「田井中さんがお友達とお会いしたいと言うのなら、やはり動くべきなんでしょうね」

だけど、そんなちっぽけな勇気を取り戻したあたしと違って、先生は比べ物にならないほど勇気のある人だった。
いや、ひょっとするとただ単純に緊張感のない人なのかもしれないが。

まるで、コンビニに行けば何でもあるから行こう、とでも言うような気軽さだ。

歩きまわる、つまりそれはここから動くってことで。
ここから動く、つまりそれは誰かと会うってことで。
誰かと会う、つまりそれは唯や澪、ムギたちじゃなくて別の人と会ってしまうかもしれないってことで。
別の人、つまりそれは殺し合いに乗った人間かもしれないってことで。

そこまで考えた瞬間、ものすごく背筋が寒くなった。
先生はまだ良く分からないけど、とりあえず人を殺す気は全くないようだ。
それどころか、今みたいにあたしを落ち着かせてくれている。
だから、先生は信用する……って言ったら安っぽいかもしれないけど、一緒に居ようと言う気にはなった。
でも、他の人はそうじゃない。
最初のあたしみたいにビビりまくっている人も居ると思うと……怖くないって言ったら嘘になる。
怯えて、こっちに攻撃してくるのかもしれないのだ。

「大丈夫です、私も一緒に行きますよ」

先生はやはりにっこりと笑って、徐々に勇気を取り戻し始めたあたしの背中を押すように言葉を続ける。
その先生の顔を見て、笑顔は伝染る、と言う言葉を思い出した。
確かにいつも唯やムギが笑っているからか、軽音部の雰囲気は穏やかそのものだ。
後輩の梓――――あずにゃんもだんだんとその雰囲気に溶け込むと言うか取り込まれきたみたいだし。
……こんな時こそ、笑ってみるべきなのかも。
女の武器は涙じゃなくて笑顔だって誰かが言ってた気がするし。

ということで、試しに軽く笑ってみる。
少しぎこちないかもしれないが、笑いを消せないように、ニコニコとしてみる。

……うん、怖くてたまならかった心もだんだんと落ち着いてきた。
凄いな、笑顔。これは唯のことを中々馬鹿に出来ないかもしれない。
よし! まだ怖いことは怖いけど、動こう!
いやぁ、しかし、最初に会ったのが先生みたいな殺し合いをするつもりがない大人と会えて良かった。

「そうだよな、あたしは部長だから……皆とは友達だから……」
「……では、行きますか?」
「………ああ、行くよ。そうするよ、先生!」

なるべく元気よく、大きな声で返事をする。
よぉーし! なんだかやる気出てきたぞー!

って、よく考えると大声を出すのは不用心だった。反省だ、反省。

それでも先生は相変わらず、大声を出したあたしを責めるでもなく優しく微笑んでいる。
それが妙に決まりが悪くて、あははー、と照れ笑いを浮かべながら歩を進める。
優しいのは良いが、場合によっては照れ臭い。
で、月が出ているとはいえまだ深夜も深夜のうちに、頭をかきながら歩いていれば。
当然、地面に躓く。

「ぉおっと……あ、あははー……い、いやぁ! 足元が見づらいなぁ!」

嘘です、どう考えてもあたしの不注意です。
だけどそう簡単に認めるのは、その、恥ずかしいじゃないか。
あたしは照れ隠しをするように小声で叫びを入れる。
でも、実際に危ないよなぁ。真っ暗だし、木とか草とかいっぱい生えてるし。
あ、確かこの袋の中に懐中電灯が……あったあった!
ポチッとなー。

「ほれほれー♪」

あたしはまるで友達とじゃれつく様に、先生へと
先生は顔に手を当てて、少し困ったような、けれど笑顔のまま、あたしの手元へと手を伸ばしてくる。

「田井中さん、懐中電灯は危ないから――――」

っと、確かにそうだ、いけないいけない。
こけるよりも危ない結果になってしまうかもしれない。
あははー、とまた笑ってごまかそうとした瞬間。

パンッ!っていう、自転車のタイヤがパンクした時みたいな乾いた音が響いた。

――――パンッ! こんな風に口で簡単に再現できるぐらい単純な音がして。

――――その音と一緒に、先生の優しい顔に三つ目の目が出来て。

――――だのに、先生は相変わらず笑ってたんだ。

   ◆   ◆   ◆


身長は高くもなく低くもなく高校生平均ほど、やせ過ぎではないが太り過ぎではない。
動作から利き腕は日本人では一般的な右利きと思われる、髪留めで長い前髪を止めたショートカット。
髪留めを着けているため、おでこがはっきりと出ていて目を隠すことがないので明るい性格だと思われる。
目を合わせたがらない人は前髪で目を隠すというから。

そんな容姿をした少女を『田井中 律』だと私は記録した。

未来の記憶を持った田井中さんはは泣き疲れた様子で地面に座り込んでいる。
とは言え、最初に会った時と比べると大分落ち着いてきたようだ。
まあ、田井中さんが私にして欲しいと望むことを私はしたつもりだから当然とも言えるだろうが。
つまり、私はいつものようにするしかないということだ。
彼女が望んでいることを彼女がするように、彼女を誘導する。
結局、それが一番私のやり方に合っている。
誘導は慣れている、言葉を学ぶということは人よりも優位に立つ方法を学ぶと言うのに等しい。
言葉とは交渉においてもっとも多く使われる物なのだから。

「それで……田井中さんはお友達とお会いしたいのですね?」

ゆっくりと、聞き取りやすいリズムで尋ねる。
相手に触れるような真似はせずに、けれど落ち着いた様子で話しかける。
田井中さんは私の言葉を、詰まりながらもしっかりと返してくる。
最初に会った情緒不安定な時とは大違いだ。

「う、うん……澪も唯もムギも憂ちゃんも心配だしな……! それに、あたしも……こわ、いし……」
「無理に言葉にしなくてもいいですよ。このような状況で怖い、寂しいと思うことは当然ですから」

田井中さんの忘却された記憶。
近い未来の少女の記憶とは言え、私が今まで採集した同じ年頃の少女の記憶と変わりはない。
綺麗な記憶だ、元気のいい女の子そのものの記憶。
この少女は良くも悪くも普通の少女だ。
大きな事件に遭遇したわけでもなく、特別恵まれているわけでもなく、小さな幸せと小さな不幸を味わってきた。
忘却した記憶の中にも特別トラウマになりそうなものはない。

だからこそ、こんな状況を恐怖し、人に優しくされれば立ち直れるのだろう。

「平沢唯さん、秋山澪さん、琴吹紬さん、平沢憂さん。この四人が田井中さんのお友達ですね?」
「うん。特に澪はすっごい臆病で、唯とムギは抜けてるところがあるから、その、心配なんだ……」

バツの悪そうに、目をそらしながら喋る。
心配、つまり探したいと言うことで、だけど一人で出歩くのは怖い。
だから、私について来てほしい、手伝って欲しい。
言外にそう言っているのだろう。
本当に田井中さんは素直な女の子だ、安っぽく聞こえるが普通の女の子と言ってもいいかもしれない。

……田井中さんのお友達と言うのにも少し興味がある。
十年ほど先に生きる少女たちの記憶……そこには私が採集したことがない類の記憶があるかもしれない。
知らないことというのは、エイエンにつながる可能性がある。
未来では田井中さんが特別だ、という可能性もあるのだから。

「田井中さんがお友達とお会いしたいと言うのなら、やはり動くべきなんでしょうね」

だから、私は気軽に田井中さんの希望にこたえた。
死ぬかもしれないが、別に構わない。



――――死は、どうという事はない。
いつだって、私はその結果を受け入れている。



だから、この場で歩きまわることも怖くはない。
強いて言うなら、エイエンを知るまでは死ぬのは遠慮しておきたい、と言ったところか。
だが、田井中さんはそうではない。
あれほど怯えていたのだから、今も死ぬことは怖いだろう。
殺し合いに乗った人物に会ったら――――その恐怖を捨てることはできない。
だけど、彼女は私の言葉に乗るだろう。
記憶から察するに、彼女はそういう人間だ。

私はここでは言葉を続けない。
ここからは、あくまで彼女の意志で決めてもらわなければない。
まずは、彼女を完全に信頼させることが重要。
その後に、時間に暇があり彼女に素質があれば魔術を教えればいい。

「そうだよな、あたしは部長だから……皆とは友達だから……」
「……では、行きますか?」
「………ああ、行くよ。先生!」

想像の通り、彼女はやる気になった。
動く気になれば、後は少しずつ少しずつ操りやすいように誘導していけばいい。
今はその時のために種をまく段階。

そう思いながら、田井中さんを観察していると。
唐突に彼女がこけた。

「っと……あ、あははー……! い、いやぁ! 足元が見づらいなぁ!」

田井中さんはそう恥ずかしそうにつぶやきながら、デイパックに手を伸ばす。
何をするのだろう、と思いながらそれを見ているとそこから懐中電灯を取り出してきた。
しかも、それをこちらに向けてくるではないか。

「ほれほれー♪」

じゃれ合うように、人懐っこい笑顔を向けながら私の顔の周辺をライトアップしてくる田井中さん。
落ち着いたのは言いが、落ち着きすぎだ。
いや、心に残った恐怖を払拭するためわざと強がっているのか。
どっちにしろ、さすがにこれは危険だ。
窘める様に、でも優しく私は田井中さんの手をゆっくりと払いにいった。

「田井中さん、懐中電灯は危ないから―――――」

この状況で光をつけるのは危ない、月の明かりで我慢するしかない。
そう言おうとした瞬間、私は頭に衝撃を受けた。
身体のどの部分にも力が入らず、ゆっくりと地面に倒れこんでしまう。
狙撃されてしまった。
いや、私が反応できない手段の一つを取られるとはこれは辛い。
しかも不意打ちと来たものだ、いや、狙撃とはそういうものだが。


魔術師は兵士と言うよりも学者に近い(中には戦闘に優れた者も居ないわけではないが)。
基本的にデスクワークで、『 』を目指して何か調べ物をしている人間の方がずっと多いのだ。
ましてや、私は【言葉】が突出してるが、それだけの男。
魔術の才を持たないが故の天才が作りだし、別の天才たちが改良し続けた現代兵器にはなんの抵抗も出来なかった。
向かい合ったこちらの言葉が届く状態ならば死にはしなかっただろう。
されど今は視界の届かない、相手に言葉を投げかけることすら叶わぬ敵。
つまり、私はこれか死ぬと言うことだ。
この限られた空間に放り込まれたことが、私にとって一番の災いだった。
私の能力は追手から逃げることに秀でているのではなく、追手に追わせないことに秀でているのだから。

しかし、意外だ。まだ私は考えることができるとは。
頭を撃たれれば多少の誤差はあれど、もっと一瞬で死んでしまうと思っていた。
ふむ、死んだことはないから知らなかったが、どうやら死ぬ間際とは思っているよりも余裕があるものらしい。
激しい痛みと身体が千切れていくような感覚が煩わしいが、ほっとする奇妙な心地よさがある。
しかし、まだ考えれるかも知れない……かな?
ふむ……どうせだし死の間際とやらに何か考えてみよう。


――――――あ、だが、駄目だ。どうやら、ここまでのようだ。


何か考えるか、と思った矢先にお終いが近づくことを理解できた。
悠長に死因を考えてしまったのが失敗だったなのかもしれない。
長くなると痛みに耐えるのが辛いだろうから構わないが、短いと余韻に浸ることすらできない。

ふむ、じゃあ、最後の一瞬だけで済む思考は何だろうか、っとそこで考える。

それで結局最後に思ったことは、ついに一度も私が笑うことはなかったな、なんて呑気な物だった。

エイエンについてでもなく、帰れなくなった家でもなく、ましてやエイエンを手に入れたかもしれない荒耶宗蓮のことでもなく。
ただ、自分があの日以来なくしてしまった心からの笑みが頭に浮かんでいた。
多分、それは私にとって笑顔が重要だったというわけではなく。

―――――きっと、田井中さんの笑顔が急速に冷えていったことを見て連想してしまったからだろう。


【玄霧皐月@空の境界 死亡】
【残り60人】


   ◆   ◆   ◆

支給されたドラグノフを一度使っておきたい。

俺が考えたのはそれだけだった。
目の前の男と女の二人組は普通の人間、見逃しても別に構わない。
だが、カギ爪と遭遇する前、殺し合いに積極的なものと戦闘になる前に『試し撃ち』をしておきかった。
ただ銃弾が30発、銃声によってこちらの居場所が知られ逆に狙撃されてしまう危険性を考えると、無駄は避けたい。

そこで、芽すら見せていないとは言え、僅かにでもある危険因子の除去を相手に試すことにした。

のほほんとしているが、その実どう考えているかは分からない。
それこそ強力な重火器を手に入れていて、この先に遭遇した恐怖のあまりにカギ爪を殺す、なんて可能性も十分にあり得る。
その可能性だけで、引き金を絞るには十分な理由だ。

決めれば行動は早い、スコープ越しに二人組を覗き見る。
……スコープの出来は並、この暗闇故に仕方ないとも言えるが。
これでは一撃で仕留めるのは難しいかもしれない、二弾も使うのはさすがにメリットの方が少ない。
仕方がない、ここでの試し撃ちは諦めるべきだろう。
気付かれないように通りすぎて日が昇るのを待つか、灯りのついた街に行く。
そこで軽く試し撃ちをして、即刻、カギ爪を探す。
大事なのはスピーディな行動と確実な殺害手段だ。

そんなとき、スコープの先に唐突に光が現れた。
懐中電灯だ、と瞬時に分かる。
その大胆さに度肝を抜かれるが、せっかく与えてくれたチャンスは有効に活用させてもらおう。


だから、躊躇いなくトリガーを絞った。


男の額に銃弾が命中したことをスコープ越しに確認し、次は女へと照準を合わせる。
だが、女は懐中電灯を落としたのかその姿は既に暗闇の中へと紛れ込んでいた。
まだ日も昇っていなく草が茂っているこの場所では、たとえ月明かりがあろうとはっきりとした狙いが定まらない。

「チッ……」

自分にしか聞こえない程度の舌打ちを漏らす。
この暗闇の中で撃っても弾の無駄使いになるだけだ。
狙撃銃と言う強力な武器はあるものの、それを利用するために必要な弾丸は30発こっきりだけ。
カギ爪の男を確実に仕留めるためにもここで弾を無駄に消費するわけにはいかない。

ならばと、もう一つの武器である90cmほどの平バールを手に取る。
スコープ越しで身体の輪郭を見る限り、女は武器を持っているようには見えない。
逃げる様子はない、突然の出来事に腰が抜けていると見るのが妥当。
ならば、この距離なら直ぐに詰めれる。

そこで、ふと思いつく。

あの女は腰が抜ける程に怯えている。
ならば、上手く脅せば他の参加者の間引きに使えるのではないか?
ここは広さの割には人が多すぎる。
その多すぎる人の内の誰かがカギ爪を殺す、などと言う展開は避けておきたい。
ならば、銃と平バールと共に支給された最後の一つを使って脅して、間引きに利用するのも、また手段の一つ。
……悪くない、俺が殺すためにカギ爪には生きていてもらわなければいけない。
何処の馬の骨とも知れぬ人間に殺させるわけにはいかないし、その馬の骨を始末する手駒のようなものを持つのも悪くない


そこまで決まれば、後は行動だけだ。
最後の支給品、【ブラッドチップ】なる麻薬を取り出す。
依存性も高く、耐性も付きやすい良薬とも毒とも言える覚醒剤だ。
ペーパーで口に入れてしまえばすぐに溶ける。
純度の高いオリジナルではなく、より多くの人間へと出回すために薄めた初級用と言うのも好ましい。

距離は既に詰め、尻もちを着いた女の前へと立塞がる。
尻もちを着いたまま震えている女が動かないだろうことを確認した後に押し倒し、腕を押さえ身動きを取れなくする。
キョトンとした呆けと深い恐怖を織り交ぜた奇妙な表情を無視し、僅かに開いた口へとペーパーを放り込む。

「っぅぁなぁ!?」

突然の出来事に、女は口を閉じてしまう。
バカなことだ、異物を口にした時は吐き出すのが一番だと言うのに。
もちろん、ご丁寧に「吐き出せ」などと忠告するつもりはない。
口を手で塞いで、放り込んだペーパーを吐き出せないようにしておく。

「……! っぅ!!」

……これぐらい口内に溶かせば十分か。
口に馴染ませて、体内へと飲み込んで、ペーパーが効用を果たす条件は満たされた。
手を口から遠ざけ、驚きに満ちているその顔に向けて一言で飲み込んだものの正体を教えてやる。

「聞け、今のは覚醒剤だ」
「はぁはぁ、はぁ……っあなぁ!?」

その言葉だけで何を飲まされたのかが分かった、と言うことは知識はあると言う事か。
だが、驚きからして正しい知識を持っているわけではないようだ。
どんな優れた麻薬だろうと、一つや二つで元に戻れなくなるわけではない。
たった一つなら、意識を強く持てば、まあ壊れはしない。
大抵の人間が戻れないのは、得てして覚醒剤を飲もうと思う時というのは意識が弱っている時だからだ。
なので少なくとも、この怯えきった女は戻れないだろう。
ちっぽけな知識による偏見とあどけない妄想を募らせて、全ての不快感を薬の所為にする可能性が高い。
そして、「もう一度飲めばこの不快感が消えるのではないか」、そんなバカなことを考えるはずだ。
耐性と依存性の着いていない今ではあまり効果は発揮しないと言うのに。

「……もう、惚けてきたか?」
「っんぁ! ち、違う! そんなこと……ない……ぃっ!」

気分が良くなっているわけではないだろうが、言葉で責めることは十分に効果的だ。
実際にどう感じているのか、なんてことは問題ではない。
さすがに二、三日で人の性格が薬で変えることは難しい。長期服用すると完璧に変わるだろうが。
だが、追い込むことはできる。
大事なのは、この女が情緒不安定に陥り、二つ目三つ目と続けて覚醒剤を適用すること。
ポケットからビニールに包んだ二つのペーパーをちょうど胸に当たる箇所に落す。

「……な、なんだよ、これ?」
「二つだ、二つだけ渡す」
「ふた……つ……?」
「足りなくなれば、日が沈むころに円形闘技場に来い。もちろん、タダでは渡さん」

そこまで、言葉を区切る。
女は自然とこちらに集中してきている、話の内容が掴めていないのだろう。
だから、それが残酷な言葉だとは分かっていても聞かなければいけない。


ちなみに、何度も言うが覚醒剤と言うのは一日や二日でどうこうなるものではない。
【薬の呪縛から抜け出せる、抜け出せない】と言う意味ではなく、その被害の規模の意。
最初はただ辛いだけだ、完全に廃人になるわけではない。
ただ、女は不安定にさせるには十分すぎるギミックだろうが。

そして数秒、いや、もっと短かったのかもしれないが、溜めていた言葉を遠慮なく発した。

「殺せ」

端的に分かりやすく、脅しに重要なのはそれだ。
さらに追い込むために地面に落ちていた懐中電灯をずらし、先ほど狙撃した男に光を当てる。
逆らえばこうなる、という脅し。
殺し合いに乗れば、一先ずは生かしておいてやると言っているのだ。

「カギ爪をつけた年配の男、そう、カギ爪の男以外の全員を殺せ、見つけたならばすぐに殺せ。
 いいか、俺から逃げられると思うな。薬を我慢できると思うな」

カギ爪の男を殺せるとは思えないが、万が一にでも殺されたら困る。
念押しのために指でも折ってやろうかと思ったが、五体満足の方が戦果は期待できる。
この女にどんな方法ででも人減らしをさせて、カギ爪の生存率を上げねばならない。

「もしお前が俺の納得できる結果を出したなら、魔法とやらで生き返らせた後に薬抜きもしてやる」

それがどうなるかはまだ分からない。
こんな貧弱な女が役に立つかは分からないが、口約束ならば幾らでもしてやる。
カギ爪と会うまであの男の生存率を上げるための手は打てるだけ打っておきたい所だ。

駄目押しとして、痛みではなく一言だけ与えてやる。
折れかかっている女のその心を再起可能な程度に、けれど確かに折るために、言葉を口にする。

「忘れるな、お前が俺の言葉を反故にするようなら、お前が何処に居ても俺は殺す」

その言葉を最後に、殺した男のデイパックを手に取ってその場を去った。
背中を見せず、闇に紛れる様に。


   ◆   ◆   ◆


「なんなんだよぉ……! なんなんだよぉ!!」

銃と工具みたいな物騒な道具を持った男が立ち去るのを見届けて、あたしはようやく声が出せた。
だけど出てくれたのは声だけじゃない、目から涙まで出てくる。
あたしはあの恐ろしい雰囲気に完全に呑まれていた。
……呑まれる? 呑まれる……のまれる……飲まれる?

「うぅ……ぁかあ! ぉおえぇ!!!」

そこまで考えて、指をのどに突っ込んでかき回す。
覚醒剤、つまり……麻薬、ってことだ。
それを、無理やり飲まされた。
口の中に入れられた紙みたいだったけど、錠剤や注射でなく紙に馴染ませる形の麻薬があるって
飲まされた、飲まされた、飲まされた、飲まされた、飲まされ飲まさ飲まされた……!

吐き出さなきゃ、でもあれって口に溶けるオブラートみたいなのだったから意味がないの?
ああ、でも、でも吐き出さなきゃ!


「ぁあはゃっ! ……ひぐぅっ!」

指を突っ込んで喘いでいるところで、地面に横たわった先生の顔を見てしまった。
先生のどこも見ていないような眼と全く笑ってない顔が怖くて、あたしは懐中電灯を蹴り飛ばした。
月の明かりでまだ先生が見えるけど、あからさまにライトアップされていたさっきよりは全然マシだ。
それでも、どんなにマシになっても、恐怖は全然薄れてくれない。
あの男の所為だ、そうに決まってる……!

だけどあたし、死ぬ、のか?
いや、それに先生が死んじゃったのってあたしが騒いだから? あたしが懐中電灯をつけたから?
このまま、先生みたいにあの男に殺されちゃうのか……?
でも、そっちの方がいいのかな……他の人を殺すぐらいなら……?

……もう、なんだか気分が悪い。
吐き気がして、頭がぐらぐらして、身体中が熱くて、血を見るだけで鉄の味が口に広がってくる。

もうこんな所はもう嫌だ……居たくない……こんな所になんか、居たくない!

「澪ぉ……!」

あたしはいつものテスト前に縋りつくのと込めた真剣さが全然違う調子で、親友の名前を呼んでいた。

【D-4/森/一日目/深夜】
田井中律@けいおん!】
[状態]:情緒不安定、風邪に似た症状(?)
[服装]:下着とシャツが濡れた制服(汗で)
[装備]:なし
[道具]:基本支給品一式(懐中電灯以外)、九字兼定@空の境界、ブラッドチップ・2ヶ@空の境界、その他不明0~2個
[思考]
基本:死にたくない。皆と会いたい。特に澪と会いたい。
1:とにかくここから離れる。
2:人を殺す……?
※二年生の文化祭演奏・アンコール途中から参戦。
※レイの名前は知りません。
※ブラッドチップ服用中。

レイ・ラングレン@ガン×ソード】
[状態]:健康
[服装]:武士のような民族衣装
[装備]:ドラグノフ@現実(9/10)、平バール@現実
[道具]:基本支給品一式×2、デイパック、ドラグノフの弾丸(20発)、ブラッドチップ・3ヶ@空の境界
    その他不明1~3個(玄霧皐月に支給されたもの)。
[思考]
基本:カギ爪の男を八つ裂きにする。
1:基本は動くもの全て排除。
2:だが、利用できるものは利用する。
3:ヴァンは出会えば殺す。だが利用できるなら利用も……。
4:時間があれば日が沈む前に円形闘技場に寄る。
[備考]
※参戦時期は第8話~第12話のどこかです。

【平バール@現実】
900mmほどの大きさのバール。
細長く、先端が二つに分かれているため鈍器としては優れている。

【ブラッドチップ(低スペック)@空の境界】
起源覚醒を促すオリジナルのブラッドチップではなく、白純里緒が調整した覚醒剤の中でも比較的容易に手に入る類の物。
実際に使用してみた黒桐曰く、「効き始めは服用から十分前後の速効性、持続時間は四時間前後、幻覚性よりも共感覚の方が強い」とのこと。
形は唇に軽く乗るぐらいのペーパー、染み込ませてある。



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008:未来憶ネクロシス 田井中律 085:Murder Speculation Part1
008:未来憶ネクロシス 玄霧皐月 GAME OVER
012:復讐するは我にあり レイ・ラングレン 080:戦争と平和



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最終更新:2010年01月23日 10:41