トッティの川流れ◆QkyDCV.pEw





 虹村億泰の顔つきは、確かに女性向けであるとは言い難い。だが、初対面の少女にこうまであからさまな敵視を向けられる程か、と内心不満に思いながら、屈み込むようにして言葉を続ける。
「あー、俺は虹村億泰ってんだ。その、なんだ、別に何かしようって訳じゃあねえんだ。ただ、困ってるようだったんで声かけたんだが、迷惑だってんならさっさと消えるさ」
 少女の警戒が解かれないようなので、億泰は肩をすくめて身を起こす。身長差があるので、こうすると更に威圧するような形になる。
「じゃあな、手助けが居るんなら呼べや」
 後ろ手に手をひらひらさせながらその場を去る億泰。
 困ってる人間をほおっておく程人情の無い人間ではないが、あからさまに拒否されるというのなら何時までも固執する気もない。
「おっと、そうだ。そういやいいもんあったわ」
 そう言って足を止める億泰は、手にしたバッグをがさごそやって中からタオルのようなものを取り出す。
「痛むんならよぉ、コイツ水で濡らして当てとけや。少しは腫れも引きやすくなんだろ」
 ずっかずっかと偉そうに歩きながらネコネの元に戻り、タオルを乱暴に投げ渡すと再び背を向け歩き去る。
 億泰にネコネを懐柔しようだのなんだのといった発想は無い。全ては言葉通りだ。立ち去るつもりで背を向けた後、偶々タオルの事を思い出してそれを渡し、終わったらからさっさと立ち去る。
 殺し合いの場に招かれた、そう認識しているはずであるのに、そこで出会った人間に対し、億泰の態度には常のそれといささかの変化も見られなかった。
 ネコネは手元のタオルを見下ろした後、もうそれなりに距離が開いてしまっている億泰に向け、大きな声をだす。
「あ、あの!」
 ん? といった様子で振り向く億泰。
「あ、ありがとう、なのです」
 少し驚いた顔を見せた後、億泰は口の端を大きく上げて笑った。
「おう」

 すぐ側に川が流れているので、ネコネはそこで言われた通りタオルを水で濡らそうと川岸に腰を下ろす。
「ん~、ふわふわなのです」
 手にしたタオルは現代のもので、ネコネが何時も使う布と比べてアホみたいに手の込んだ造りになっており、ふわっふわの手触りはネコネにも珍しいものであった。
 ちょっと惜しい、と思いつつもタオルを水に漬し、引き上げる。するとふわふわの分かなりの水をタオルは含んでくれた。
 ぎゅっとしぼって水を落とすと、ネコネはしげしげとタオルを見つめる。
「これは良いものなのです。……もしかして、悪い事をしてしまったでしょうか」
 こんな良いものを惜しげもなくくれる気前の良い人という事は、顔付きはアレだったが裕福な余裕のある育ちの人で、さっきのも本当に親切でそうしてくれたのかも、と思うようになっていた。
 靴を脱ぎ、言われた通り爪先をぐるっと覆うように巻いてみると、ひんやりとした心地良さがある。
 嫌な人も良い人も居る。それは、ここでも一緒なのかもしれない。そんな事を考えてると、川の彼方から苦しそうな声が聞こえてきた。
 声というか、喘ぎというか、呻きというか。要約すると、さっき蹴飛ばした男が泳いでこちらの川岸を目指していた。
 心底から軽蔑した視線をソレへと向け、ネコネは立ち上がり、片足をぴょこぴょこしながら歩き出す。
 ネコネには探さなければならない人が居るのだ。

 水をしこたま飲んだ後で、必死に腕を伸ばすと掴まれるものがあった。
 何とか掴んだ。引っ張る。また水が顔に盛大にかかった。沈む。慌てて伸び上がると息を吸えた。心の底からほっとした。が、二呼吸目は勢い良く水を飲み込んでしまった。
 顔は水の外だ。なのに息を吸う事が出来ない。真っ暗なせいで上と下すらわからず、手に触れている板のみを頼りにもう一度板を引っ張り寄せる。吸えた。どうにか、水上で安定してくれた。
 何度も荒い息を漏らし、助かった、助かった、助かった、と三度神さまだかなんだかに感謝を捧げる。
 松野トド松は、真っ暗な川の上に居た。
 殺されそうになり必死に抵抗して、そして気がついたら勢い良く投げ飛ばされていた。あんな小さいのにとんでもないバケモノだ。
 そのメンタルも恐ろしかった。平然と人を脅し追い詰め殺しにかかる。思い出すだけで震えが来る。
 だが、今はソイツも居ない。ほっと一息、つきたいのだが喉がひどく渇いている。口の中が辛くて仕方が無い。辛い? 何故? 水ではないのか?

 トド松は、そこで初めてこの川を流れる水が海水であると知る。
 背筋が凍った。ここは、川と思っていたここは海であったのだ。
 対岸がある、そう勝手に思い込んでいた逆側の川岸は、一切の明かりが無く何も見えない。でも水に流されて元居た岸からはどんどんと離れていく。
 このまま流されたらとんでもない事になる。トド松は板を掴んだまま必死に泳ぎだした。がむしゃらに水をかき、光の、街灯の輝きが見える岸辺へと。
 しばらくそうしていると、さっきより街灯の光が近づいている。
 それがわかった時のトド松の歓喜たるや。
 その灯りのおかげで、こちらの岸辺は夜目に慣れたトド松の肉眼でも見る事が出来る。
 板を投げ捨て、勢い良く泳ぎ続けると、どうにかこうにか、トド松は岸へと辿り着き、もう水が一切届かぬ場所で仰向けに寝転がり、空気のおいしさを満喫する。
 もう少しトド松に注意力があったなら、水の上で一段落つけた時、逆側の岸がすぐ側であった事に気付けたかもしれない。
 そちらは山側であり、街灯が一切無かった事がトド松に災いしたのだ。そしてトド松は、多大な労力を払い再びこちらの岸へと辿りついた。ついて、しまったのだ。
 身を起こしたトド松は、土手になっている場所を上ってその先の光景を目にする。咄嗟に、木立の影に隠れた。
 その視線の先遠くにはさっきの人殺し少女と、もう一人、見るからに恐ろしげな筋骨隆々とした大男が居たのだ。

 ネコネが遭遇を心待ちにしていたのはオシュトルだ。兄だ。優しく凛々しい美男子だ。
 間違っても、いかつい顔で筋肉ムキムキマッチョマンの変態などではない。いや、コレを変態呼ばわりする度胸はネコネにはないし、彼の服装も辛うじて一般人センスで許容出来る範疇であろうが。
 名簿で見た。もしかしたら生きているかもしれない人間の一人。ヤマト八柱将の一人、豪腕のヴライ。
 生唾を飲み込むネコネ。
「……やっぱり……生きて、いたのですね」
 ヴライは無言のまま。しかしネコネはその生存をこうして目の当たりにしても、信じる事が出来ない。いや、信じたくないといった方が良いか。
「何故ですか!? 何故! 貴方がまだ生きているのです! 兄さまが! 全てを賭けて貴方を倒したはずなのです!」
 ネコネの発言に、ヴライはほんの少しだけ表情を動かす。それが、どんな意味があるのかまるでわからない程かすかな変化であったが。
「オシュトルには……会ったのか?」
 強くヴライをにらみつけたままのネコネ。
「兄さまは、兄さまも、居るのですか? 貴方が生きていたように、兄さまも生きて、この地にいらっしゃるのですか?」
 ヴライは腰に指した剣を抜く。
「それをお前が知る必要は無い」
 ヴライの目には僅かな苛立たしさがあったのだが、ネコネにそれを見抜く事は出来なかった。
 そしてここで、いきなりヴライが抜くのもネコネの予想外の事。
「な、何を……」
 ヴライはそれ以上言葉は不要とネコネに向かって歩を進める。ネコネは怒りの表情を隠そうともせず怒鳴る。
「ま、まさか! ヤマト八柱将ともあろう者が! このような胡乱な企みに手を貸そうとでも言うのですか!? 何たる……何たる慮外者ですか! 貴方は、粗暴に見えて、暴虐に見えて、それでいて武に関しては誰にも負けぬ誇りを持つ勇者であると! 兄さまが讃えていた程の方が外道に墜ちると!?」
 ヤマトの為、そう言ってオシュトルを追って来たのならばまだわかる。自らが帝位につきヤマトを支えんとするというのも、傲慢で不遜だとも思うが、それもまた手段であると納得は出来ないが理解する事は出来る。
 だがここで、何処の馬の骨とも知らぬ外道の手先に成り下がり、ヤマト武人の誇りをすら穢すというのであれば、それは最早畜生以下だ。
 これに勝てないのはネコネにもわかっている。何をどうした所で逆らえる道理はネコネには無い。それでも、憤怒を支えにネコネはヴライを睨み付ける。
 多分、最後の瞬間まで、ネコネはヴライより目を逸らさないだろう。ヴライは、その覇気だけを記憶に留めておいてやろう、と必殺の間合いに一歩を踏み出す。

「おい、そこまでだぜ筋肉野朗」

 離れた場所から、そんな声がかけられた事がネコネには信じられなかった。
 この地でネコネの味方は三人のみ。オシュトル、ハク、クオンだけのはず。なのに、味方でもない、それも、ネコネは親切にしてくれた彼に、冷たい対応をしてしまっていたのだ。
「ど、どうして……」

 ネコネが声のした方を向くと、道路のど真ん中に、先ほどの顔つきの怖い青年、虹村億泰が立っていた。
「いやぁよう、後で気がついたんだがよ。こんな夜中にアンタみたいな子供一人じゃやっぱり危ねえんじゃねえかなってな。ま、俺が怖いってんならそれはそれで仕方ねえとして、ここは一つ我慢してもらってだな。せめて夜が明けるまでは一緒に居てやろうかと思ったわけよ。まさか……」
 億泰はぎろりとヴライを睨む。
「速攻で筋肉野朗に絡まれてるたぁ思わなかったけどよぉ。あぁ!?」
 そんな脅し文句にも、ヴライは当然動じず。チンピラが何を言おうと知った事かとさっさとネコネを殺しにかかる。抜いた剣を、振り上げる。
 距離がありすぎ、億泰が何をしようと絶対に間に合わないであろうと、ヴライもネコネも思っていた。だが億泰は、耳の穴に指をつっこみゴミを掻き出しながら言ってやる。
「なあ、あったりまえの事なんだけな。声をかけたって事ぁよぉ、俺はてめぇが何をしようと絶対にその子を守ってやれる自信があったって事だ。なあ、そうでもなきゃ暢気に声かけるとかありえねえよな? なのにてめぇは殺せると思ってやがる。そいつはつまり俺をなめてるって事だよなぁ!!」
 やはりヴライは無視。剣は、振り下ろされた。
「だからっ! やらせねえって言ってんだよダボがああああああああああ!!」
 億泰の体から、そのスタンド『ザ・ハンド』が姿を現す。ヴライもネコネも突然の奇術に驚きを見せるが、驚くべきはそこではなかった。
 ザ・ハンドが腕を何も無い空間で振り下ろすと、ネコネの体が勢い良く億泰の方へと向かいすっ飛んで行ったのだ。ヴライの剣は空を切り、一直線に空中を飛ぶネコネは綺麗に億泰の腕の中へと収まった。
「よしっと、怪我は無ぇか?」
「え? え? ええ!? い、今のは何なのです!? それにそこの人形みたいなものは……」
 よっこいしょ、とネコネを地面に下ろした億泰は驚きネコネの顔を覗きこむ。
「あん? 俺のザ・ハンドが見えるってのか? もしかして嬢ちゃんもスタンド使いか?」
「すたんど? どうでしょう……その術は見た事はありませんが、呪法の類でしたら扱えるのです」
 ああ、なるほど。じゅほーのたぐいってスタンドね。とか変な形で納得した億泰は、こちらを完全にロックオンしたらしい筋肉男を指差す。
「どうやら知り合いみてぇだが、アイツもスタンド使いか?」
「いえ、ヴライは術は使いません。仮面も無いようですし……ですが、近接攻撃がデタラメに強いのです。まともに打ち合ったら戦いにすらなりません」
「へぇ、だけどスタンド使いじゃないってんならスタンドは見えねえだろうし……」
「ん? その呪法の人形は透明化の能力でもあるのですか?」
「いやだから、スタンドは普通の奴には見えねえだろ」
「えっと、でも……ほら」
 指差す先で、ヴライは億泰ではなくザ・ハンドに目をむけこれと対峙するように立っている。ヴライの視線は、間違いなくザ・ハンドを捉えている。
「げっ、やっぱスタンド使いなんじゃねえか……まあいいや。近接型だってんなら話は早ぇ。ようは殴り合いで、俺が奴をぶっちめちまえばいいって話だろう」
 ぎょっとした顔のネコネ。
「そ、それは危険すぎるのです! 私も援護しますので、とにかく逃げ……」
 ヴライの剣撃がザ・ハンドに襲い掛かる。それはまさに剛撃と呼ぶに相応しい一撃で、最早斬るといったものではなく、剣で叩き潰すといった方が適切であろう。
 だが、そんな剣豪の一撃でも、億泰のザ・ハンドの手にかかれば。
「!?」
 さしものヴライも驚愕を隠しえず。振り下ろした剣に対し、億泰のザ・ハンドは手の平を向け押し付けた。それだけなのに、その剣が半ばより消失してしまったのだ。
 武器をあっさりと奪った億泰は隣のネコネに向かって得意気に言った。
「ま、ざっとこんなもんよ」
 んじゃあ、とこきりこきりと首を鳴らす億泰。
「お仕置きタイムと行くかぁ!?」
 左腕で拳を握り、ザ・ハンドがヴライの頭部を真横から殴り飛ばす。
「まだまだよぉ! こんなもんじゃ済まさねえぞ! ガキ殺そうなんざてめぇそいつが人間のやる事かああああああ!?」
 二発目の拳を、ヴライはその手首を掴む事で防ぐ。ぎちりと捕まれたザ・ハンドの腕が悲鳴を上げる。億泰もまた苦痛の表情を見せるも根性で耐える。
 ザ・ハンドは億泰の気合いに応えるかのように奮起し、左の足でヴライを蹴り上げにかかるも、これを読んでいたかの如くヴライの膝がザ・ハンドの膝を撃つ事で蹴り自体を出させない。
「~~~~っ!? こんの野朗! 俺に右手を使わせやがって! どうなっても知らねえぞコラァ!!」

 億泰は、根は心優しい、そして結構な小市民だ。当たり前の顔をして、人を殺すような行為を行う事なんて出来ない。
 だから近接しての戦闘になっても、確実に人を死に至らしめる右手は、簡単に用いようとしなかったのだ。
 四肢を奪う、そのぐらいはしないとコイツは止まらないと考えた億泰は、仕方なくザ・ハンドの右手を使う。
 真横からの一閃。空間が、見た目にも歪むのが見て取れる程。
 ヴライはこの戦いで初めて後退した。左拳は食らい、足は受けるも、ヴライは、右手の薙ぎだけは避けたのである。その意味を、億泰は即座に理解する。知能が低いと言われる億泰だがこれで戦闘勘は悪く無いのだ。
「てめぇ……ザ・ハンドの右手に、気付いてやがったか」
 ネコネも遅ればせながらザ・ハンドの右手の不可思議さに気付けた。恐らくはあれこそがヴライより武器を奪ったタネであろうとも。
「す、凄いのです。兄さま以外でヴライを下がらせられる人、見た事がないのです」
 驚き感心するネコネであったが、戦況はこの時を境に一変する。
 ザ・ハンドに襲い掛からせる億泰だったが、ヴライはその右手の一撃だけは全てかわし、それ以外は避ける事すらせず殴らせる蹴らせるがままにする。避けられないのではない、避けるのすら面倒なのだ。
 そして、その握り込んだ拳を、ザ・ハンドへと叩き込む。
「ぐほぉあぁ!?」
 生身でスタンドと殴り合って来る。堪らず受けに回したザ・ハンドの腕ごとヴライが殴り飛ばすと、億泰の腕がドス紫に変色する。
 受けも構わず、ヴライは殴り続ける。腹部を何度も剛打され、更に頭部を殴り飛ばされる。その全てのダメージを、億泰自身も受ける事となる。
 八柱将ヴライの豪腕だ。例えヤマトの戦士だろうと耐えうるものではなかろう。だが、億泰もまた幾度も死線を乗り越えてきた戦士であり、その度胸も根性もそして機転も、並の戦士を凌駕する。
「なめんじゃねえぞコラァ!」
 億泰の雄叫びに応え、ザ・ハンドが右腕を振るう。これだけは、ヴライは後退して避ける。だが、その後退を億泰は許さない。
 空振った一撃はヴライではなく、彼の立つ地面を抉りにかかっていたのだ。
 足元を奪われれば如何な戦士とて体勢を崩さずにはおれまい。斜めに袈裟に振り下ろした右腕を、今度は逆袈裟に振り上げると、姿勢の崩れたヴライの胸を抉り上げる。
 繰り返しになるが、億泰は戦士である。敵の充分な殺意が認められた時、自らの対処能力を超えた時、そう自分で判断した時、億泰は最悪の場合に起き得るだろう殺人をも許容する。その判断に時間はかかるが、確かにそう出来る男なのである。
 殺った、そう確信した億泰であったが、それはヴライの動きが速すぎたせいで。それでも胸に斜めに走る傷を負わせたのは、大殊勲と言っていいだろう。
 ザ・ハンドの右手を除けば、彼のスタンドの能力全ては、ヴライ自身の能力に大きく劣っていたのだから。



 ヴライは首元にはめられた首輪に触れてみる。金属の感触、容易く外せそうにない硬質な手触りがあった。
 我が身の至らなさに歯噛みする思いだ。八柱将なぞと呼ばれ、また国家の大事に際し我こそ国を支えるに足る勇者であるとの自負を持っていたのだが、このザマでは亡き主君にもオシュトルにも合わせる顔がない。
 すぐに、名簿を見てヴライは、お前もかオシュトル、と、この男には珍しく苦笑を見せる。
 だが、実際は笑い話ではない。ヴライがヤマトより失われたのであれば、せめてオシュトルが残っていなければ国は立ち行かぬ。
 八柱将は他にもいるが、皆ヤマトという偉大な国を単身で支える柱となるには器が足りぬ、とヴライは考えていた。
 ヴライにとっての器とは、武の器に他ならぬ。
 彼がその武を認めているのは、自身を除けばオシュトルを置いて他に居なかった。そのオシュトルとヴライが揃って敵にさらわれたのだ。
 不甲斐なさと敵にしてやられた憤怒が、抑えきれずに腕より噴き出す。
 すぐ近くの民家の壁に、一撃で拳大の穴があき、更に衝撃に耐えかねたのか壁全体が勢い良く崩れ落ちる。
 重苦しい瓦礫の落下音と、木材がへし折れる音を聞きながら、ヴライは静かに、冷静であらんとする。
 主亡き今、ヤマトの為に己が為しうる事は一体何か。
 一瞬、これはオシュトルと決着を付ける好機なのではないか、といった誘惑にかられそうになるも、首を振って否定する。

 オシュトルでは、この企みに乗って最後の生き残りとなり何としてでも生存する、といった道は選べまい。ましてや名簿には、オシュトルの妹の名も記されているのだから。
 オシュトルは妹の存在を隠そうとしているようだが、その事実自体がヴライを刺激する。隠そうとするという事はつまり、それこそが自らの弱点であると言っているようなものだ。
 ああいった足手まといが居るからこそ、オシュトルは情に流され選択を誤るのだ。情さえ絡まなければオシュトルの判断は、ヴライの目から見ても妥当なものであると思えるのだ。
 ヴライは、オシュトルがヤマトの武人として恥じぬ生き方をまっとうしたいと、そう思っている事を知っている。そしてそれが、足手まといが居ては極めて困難である事も。
 ヴライは名簿と同時にルールにも目を通してある。殺された人間は、一定の時間毎に公表されるらしい。
「ならば、我がやるしかあるまい」
 そう呟く。あの娘、ネコネをヴライが殺してやれば、オシュトルを縛る情の鎖は断ち切れよう。
 その後、オシュトルは恨みの刃をヴライへと向けるだろうか? 否だ。甚だ残念ではあるが、オシュトルは絶対にそのような愚かな真似はしない。
 あの男は何処何処までも、ヤマトの為になるにはどうすればいいかを考え続けるだろう。或いは、情に流され易いところがなければ、或いは……ヴライがあれに敗れていなければ、共にあるべきヤマトの姿を語り合う事も、あったかもしれない。そんな、男だ。
 そしてもし、最後に二人が生き残ったとしたら。
 その時でもオシュトルは、ヴライに道を譲るだろう。アンジュ暗殺容疑を受けている事を考えれば、自分こそが死ぬに相応しいと考える男だ。
 そこでヴライはあるかもしれぬ未来を想像する。
 ヴライは、ネコネを殺しオシュトルが覚悟を決める手助けをしてやった礼として、俺との一騎打ちを受けろと言い放つのだ。
 その時オシュトルがどんな顔をするか、さしものあの男でも妹を殺された怒りは隠せまい。だが、その後で、ああ、何度も見て来たあの顔、勘弁してくれと心底から思っているだろう困り顔を見せてくるのだろうなと。
 もし、オシュトルが、情ではなくヤマトを取り、ヴライがネコネを殺すまでもなく自らの意思で、皆殺しの道を行っていたのなら。
 ヴライはその生涯で初めての、友を持てるかもしれぬ、と思った。
 例えすぐに殺さなければならない相手だとしても、同じ道を共に進んで来たと信じられる者を持てるのは、武のみに生きる男ヴライにとっても心が高揚するような事であった。

 億泰のザ・ハンドは、完全にヴライに見切られた。
 それでも尚戦いを続けられているのは、途中から参戦したネコネの働きによるものだ。
 ザ・ハンドが傷つくと億泰も傷を負う。これを見たネコネは治癒の術をザ・ハンドではなく億泰の方にかけ、同時にヴライへの攻撃をも行う。
 幼き才媛の名が示す有り余るネコネの才能が、治療術と攻撃術の同時行使を可能とする。
 ヴライにより刻まれた億泰への痛打は即座にネコネに治療され、億泰のザ・ハンドの恐るべき能力はこれを無視して後衛を狙う事をヴライに許してはくれなかった。
 最初の一撃で億泰がヴライの剣を奪ったのが、この上無く効果的であったのだろう。ヴライの徒手空拳では、億泰を一撃で行動不能にする事が出来ず、ヴライは徐々に徐々に削り取られていく。
 戦いながら、感心した声を出す億泰。
「いやすっげぇな嬢ちゃんのスタンド、仗助の奴にも見せてやりてえや。嬢ちゃんが仗助と組めば天下無敵になっちまうぜ」
 ネコネはというと、雑談どころではないのだが。
「よ、余裕見せている場合ですか!? 気を抜いたらあっという間にもっていかれるのですよ!」
「わーかってるって。だがよぉ、そろそろ、これも通じなくなりそうだな」
「え?」
 戦いながら移動し、ヴライは持ってきていたらしいバッグの側に立っていた。この中から、ヴライは明らかに質量保存の法則を無視した武具を取り出す。
 この威容を見た億泰は、色々なそれは違うだろう要素を無視して叫ぶ。
「ちぃ! そいつがてめぇのスタンドか!」
 長い棒の先に赤黒い円柱がついている。両手持ちの槍のようでありながら、刃はなく棍棒のような鈍器になっている。見るからに膂力を必要とする武器。

 喰種捜査官の用いる、グールの細胞から作り上げた武器クインケ。その内の一つ、ドウジマ1/2である。
 ヴライの豪腕で振るうアレをもらったら、間違いなく一撃でザ・ハンドは叩き潰される。
 億泰の頬に冷や汗が流れる。スピードが違いすぎて、億泰ではヴライの攻撃は防げない。それはきっと、あの重そうな武器を使ってもそうであろうと億泰は直感する。
 そして、一撃で億泰は戦闘不能に陥る。ザ・ハンドの右手を盾にした所で、アレはその盾を容易くすり抜ける一撃を見舞って来よう。アレは、ただの力自慢などでは断じて無いのだから。
「嬢ちゃん、いいか。今から言う事をよく聞け。文句は聞かねえ、絶対に言う通りにしろ」
「え? 何か手でも……」
「俺が合図したら、後ろも振り返らず走れ。何があっても足を止めんじゃねえ。いいか、もう、無理だ。アレは絶対に防げねえから俺は攻めに出る。攻めてる間はアイツをこっちに振るえないから、その間に出来る限り距離を作れ。それでも、間に合わねえかもしれねえが……諦めなきゃ何かがあるかもしれねえんだ」
 言い返そうとするネコネを、強く怒鳴りつける億泰。
「いいから! さっさと言う通りにしやがれ! 逃げる時間は何が何でも俺が作ってやるからよぉ!」
 そう叫んで突っ込んで行く億泰。その背中が、ネコネがかつて取りこぼした、命の輝きに見えた。

 松野トド松は、木立の影で、これ以上はないって勢いで震えていた。
 じょばー、なんて音と共に下半身を濡らしながらも、そんな自分にすら気付けずに。
『ないないないないないよ! あれは無いって! 何あれ!? 怪獣大決戦!? 殺し合いして欲しいんだよね!? だったらせめて殺し合いになるように平均化図ってしかるべきでしょ!? あんなの相手じゃボクコンマ一秒だって立ってられ無いよ! 例えボクが千人並んでても全員まとめて一方的に殺されるだけじゃん!』
 無理も無い。いや、無理も無い話だ。
 強力無比にして不気味な力を持つスタンド、全身を覆う筋肉の鎧とそんな筋肉を持ってすら説明出来ぬ慮外の豪腕、見ているだけで痛そうな怪我を一瞬で治癒する奇跡、腕がひしゃげるような一撃にも治るから構わぬと苦痛を堪え戦う闘志、その全てがトド松には理解出来ない。
 出来ない事が当たり前なのだ。スタンドを持つからとトド松と似たような時代に生きていながら死をすら恐れず前へと進める億泰が、激動の時代に生きるとはいえまだ年端も行かぬ少女の身でありながら戦えるネコネが、おかしいのだ。
 この地に呼ばれてからのトド松の行動に、例え問題があったとしてもそれはトド松に出来る限りの事でもあり、トド松を責めるのは酷というものだろう。
 それでも一つ、せめても一つだけ、選ぶべき選択肢がトド松にはあった。
 命の危機を感じたのならば、わき目もふらずその場から離れるべきであったのだ、トド松は。
 この程度の事ならば、野の獣にすら出来るのだから。

 ザ・ハンドは右手のみを大きく振り回す。左手は受けにすら回さず、振るう腕とは逆側に回す事で右手の回転速度を少しでも上げる。
 この筋肉男に対して有効な攻撃手段は右手のみだ。億泰も敵もそれは良くわかっている。わかっていながら、右手に頼る以外に術が無い。
『仗助やアニキなら、何か良い手を思いつけたかも……な』
 縦横に振り回す右手。これを、ヴライは長大な武器に意識を向けさせる事で空いた足で、真下から蹴り上げる。
 角度もタイミングもぴたりで肘を下より蹴飛ばした。ザ・ハンドの腕が曲がってはならない方に捻り曲がる。
 苦痛に億泰の動きが止まる。そこに、真横からドウジマ1/2が叩き込まれた。
 ザ・ハンドは紙きれのように吹き飛ばされ、大地を滑り転がっていく。一定の距離でそれが止まったのは何も勢いが弱いせいではなく、スタンドの射程距離の問題だ。
 億泰は、呼吸も出来ぬようで、口をぱくぱくと動かしながら、その場に両膝をついた。
『……ヤ、ベェ。マジで、死ぬ……クソッタレがぁ……』
 あまりに痛すぎて苦痛が感じられなくなってきた。
 しかしすぐに、何故そうなったのかまるでわからないが苦痛がぶりかえしてくる。
 その場で勢い良く伸び上がってしまう程の激痛だ。それも、一瞬の事で徐々に痛みは晴れていく。
「あん?」
「……やっぱり、無茶だったのですよ」
 身動きも取れなくなっていた億泰は、首だけを必死に回して声の方を見ると、困ったような顔で少女がこちらを覗きこんでいた。
「おめぇ……何で……」
「それはこっちの台詞なのです。どうして貴方は見も知らぬ私の為に、こんなに必死になれるのですか?」
 勢い良く血を吐き出した後、億泰はこの少女の言葉に答えようと頭をめぐらすが、どうにも答えは見つかってくれない。

 言う事を聞かなかった事に対しても、死を対価に求められていながらも、傷ついた人を見捨てられないという純粋で美しい想いを見れた事が嬉しくて、さして腹も立たなかった。
「うーん、俺ぁ頭悪いからよ。どうして、とか何でとか聞かれてもわかんねえや。何が正しいとか、どうすべきとか、そーいうのわかんねえからよ、俺は俺のやりたい事をやるしか出来ねえんだよ」
 少女は優しく言って聞かせる。
「最も優れた賢者は、己の欲するがままに行動し、それがそのまま、正しい行いとなるのです。貴方は、きっとそんな賢者の境地に至ったに違いないのです」
「は、ははっ。頭悪ぃ俺が賢者か、そいつは良いや…………なあ、名前、まだ聞いて無かったよな」
「ネコネ、なのです」
「……そうかい。ネコネ、俺は、さっきも言ったが、億泰ってんだ。にじむら……」
 そこで響いた轟音は、ヴライが再び、壁にするべく億泰が作り出したスタンド、ザ・ハンドをドウジマ1/2にて叩き潰した音。そして、虹村億泰が絶命した音であった。
 一度激しく跳ねた後、億泰の目から光が失われる。そんな億泰の胸元にすがりながら、ネコネは怒りを堪える。いや、こちらへと歩いて来るヴライに対し、視線で射殺さんとその巨体を睨み付ける。
「どうして……何時も貴方なのですか……」
 ヴライは歩みを止めない。
「どうしてっ! 何時も貴方は奪う側なのですか! 貴方は何時だって自分が奪われる事はないのです! 勇気と剛勇を讃えられながらその実いざ命を賭ける段になると皆貴方ではなく兄さまを頼るのです! 自分は強いと胸をそびやかしておきながら! 真の強さを試されるとなれば卑怯にも逃げ回って兄さまを頼るのです! 何時だって! ヤマトの為に血を流し涙を堪えるのは兄さまだったのです! 貴方なんかじゃないっ!」
 ネコネの言葉は届かない。ヴライにとって弱者の戯言は、聞くに足るものではないのだから。
「何が弱肉強食ですか! ならば何故! 生き残るのは兄さまではないのですか! ヤマトの未来を思うなら! 兄さまに負けた貴方こそが兄さまの為に滅びるべきでしょう! 貴方が残ったとて貴方が作れる未来なんて! 兄さまが作る未来と比べてどれほどのものだと言うのですか!」
 ネコネの頭上に巨大な棍を振り上げる。それを止め得る者は、もう、居ない。
「貴方なんて! もう一度兄さまにやられちゃえーなのです!」



 ヴライはドウジマ1/2をバッグへと納める。このバッグのデザインは少し色合いが目立つのであまり好みではないが、不思議とどんな大きなものでも入ってしまうので重宝する。
 ふと、視界の片隅に、根元まで消失した剣が。これを拾いしげしげと見つめてみるが、その切断面は綺麗なものだ。
 先ほどの戦士は、ヴライですら一目置かざるを得ない見事な技を持っていた。未だにどうやってあんな威力を出しえたのかヴライにもわからない程だ。
 それ以外が拙かったのでこうして無傷で倒す事が出来たが、どうやらこの地にも優れた戦士は居るようだ。
 望む所だ。と戦士らしい意気込みでヴライは次なる戦へと向かう。
 そしてこの地を去り際に、手にした欠けた剣を、ゴミでも投げ捨てるかのように放る。
「へ?」
 離れた土手からそんな間の抜けた声が聞こえた。
 戦いの余韻を失わないよう、そんなどうでもいい声の事は即座に忘れるヴライであった。

 木立から顔を覗かせていたトド松は、その最後の瞬間まで、自分の死が何であったのか理解する事は無かった。
 額に根元まで突き刺さった折れた剣。
 脱力するままに背後に倒れ込み、川へと落下する。
 仰向けに、力が入っていないせいかぷかぷかと浮かんだまま、トド松の体は川を下っていく。
 きょとんとした顔のままで、トド松は川を流れていった。




【虹村億泰@ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない】死亡
【ネコネ@うたわれるもの 偽りの仮面】死亡
【松野トド松@おそ松さん】死亡
残り64名


※三人の支給品はそれぞれ全てバッグの中で、バッグは、億泰のものとネコネのものは殺された場所に放置、トド松のものは蹴飛ばされた時その場に落としたままだと判断しました。



【D-7 黎明】
【ヴライ@うたわれるもの 偽りの仮面】
[状態]:健康
[装備]:クインケ『ドウジマ1/2』
[道具]:支給品一式、不明支給品0~1
[思考・行動]
基本方針:
1:全てを殺して優勝し、帰還する。


時系列順で読む


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016:末弟と妹と弟 虹村億奏 GAME OVER
016:末弟と妹と弟 ネコネ GAME OVER
016:末弟と妹と弟 松野トド松 GAME OVER
GAMESTART ヴライ 043:蟷螂の斧

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最終更新:2016年09月09日 23:09