快楽殺人者との付き合い方あれこれ  ◆QkyDCV.pEw




 三日月・オーガスは月明かりのみを頼りに山中を走る。
「しつこいなあ」
 その背後に人の気配は無い。しかし、見えぬ程の後方に追う狩人の姿を感じていた。
 追って来ている方は、あまり友好的に接しようという人間にも見えなかった。ふと、走りながら気付く。
 殺し合いをしろ、と言って来た奴はオルガではない。鉄華団でも、知り合いですらない。そんな奴の言う事を聞く謂れは無い。
 だが、三日月は銃を取り、当てはしなかったものの発砲した。その後も、中途半端に仕掛け、オルガの指示ではないし不利だから、と殺さず後退する。
 走りながら首を傾げる。
「意味がわからないな」
 あまり得意ではないがもう少し考える。もしオルガがあいつ等と交渉しようと思ったら、多分面倒な事になるだろう。
 もちろん鉄華団にとって必要な事ならばオルガはその交渉を絶対にまとめあげるだろうが、三日月のやった事はオルガの邪魔であったという事になる。
「…………そっか」
 反撃が無ければ脅してオルガの居場所やここがどういった場所なのかを聞こうと思っていたのだが、反撃された挙句、逃げ回るハメになってしまった。
 鉄面皮で通っている三日月であるが、これで案外表情はあるもので。
 今は、本当に珍しい、落ち込んだ顔になる。
 とはいえ、それで今やるべき事を放棄するような男ではない。
 ひたひたと寄って来る気配から逃れるように、三日月は森の中を走る。森が切れる。その先には川が流れていた。
 ロクに灯りも無い場所を走って来たせいか、水面を見てそこにある異物を見つけるぐらいには夜目が効いている。
「人? 死体か?」

 安室透は少年の姿を完全に見失った事で、幾ばくかの冷静さを取り戻した。
 そうなると、闇夜の中であろうと視界が一気に開けていくのが、かの世界における天才探偵の一人、安室透であろう。
 逃げてきた地形を考え、少年が走り行く地形を考え、彼が何を考えこのルートを選んだのかを推理する。
 鍵になるのは、追走中に見つけた大きな転倒跡。
「彼は、この山に慣れていない。また、山歩きのイロハが全くといっていいほどない。ただ、あの体躯にはまるで似合わない溢れんばかりの体力で、強引に地形を突破しているだけだ」
 この山を知っている者なら、急な崖になっている箇所へ恐れる気もなく飛び込んだりしないし、飛び込んだとしても、飛んだ後で体勢を大きく崩して転がったりしない。とんでもない運動神経で立て直したようだが。
 またこの山を知らずとも山歩きを知っているのなら、この場所に崖がありうるという予想はつく。
 山とは自然に出来た地形の最たるもので、そこには純然たる自然の掟が介在し、その全ては自然という必然により作り上げられたものなのだ。これに逆らって山道を進む事が如何に困難であるか。
 そんながむしゃらなだけの少年に、あっさりと引き離された我が身の訓練不足に苦笑する安室。同時に、少年の鍛え方がとんでもないものなのだろうとも思う。
「だけどね、大人はガッツが無い分頭を使うんだよ」
 山に慣れておらず、道もわからない。そんな彼が逃走ルートを如何に決める? 簡単だ。彼は絶対に山を昇らない。下って下って下って、より楽な道程を探す。
 彼を見失った場所に立つ安室。走りながら、一瞬の判断で彼はここからどちらに走る。
 少年をトレースするように安室は走り出す。ルートだけでなく思考も、彼との身長差、体力差も考慮に入れて、安室の視界は闇の中を見つめその先を走る少年の姿を捉える。
 その走る速度は流石に少年程のものではないにしても安室は、正確に、確実に、少年を追い詰めていく。
 安室の視界が、今度は物理的な意味で開ける。
 森が切れ川が見えてくると、安室は真っ先に川辺を調べる。
 闇夜の中を調べるなど途方も無い作業に思えるが、これを行っているのは誰だろう安室透だ。詳細に確認すべき場所を特定し、そこのみを見るだけで少年がどう動いたかを察する事が出来る。
「川には飛び込んでない?」

 川に飛び込む時、どうしても常より強く大地を蹴り出す事になる。川辺に残るだろうそんな微かな痕跡を、彼なら何処から飛び込むかを推測しながら探し得るのだが、見つける事が出来ない。
 お互い衣服を着ている同士とはいえ、体力差が歴然である事を考えれば、水泳で差を大きくする事は考えうるし、何より水の中に入れば様々な痕跡を消す事が可能だ。
 そこまで思い至らなかったか、そもそも泳げないという可能性もある。
 安室は近くにある大きな岩の上に飛び乗り、遠くまでを見渡してみる。
「!?」
 川の流れる先に、ぷかぷかと浮かぶ青年の体。仰向けである事で、彼がどのような状態か安室にはすぐにわかった。
「死体……か。上流で、この殺し合いに乗った者が居るという事か」
「多分ね」
 その声に振り向く安室。完全に、不覚を取った。
 声のした位置から安室は彼我の状況を悟る。少年は、安室が川を流れる死体に気を取られるだろうと待ち構えて居たのだ。
「筋を通したいと思う」
「何?」
 少年は、ぺこりと頭を下げた。
「ごめん、銃を向けた事、撃った事、謝る。悪かった」
 闇夜でも、彼の表情は見えた。見えたのだが、安室にはその表情から真意を読み取る事は出来ない。
「……あ、ああ、君の意思はわかった。理由を聞いてもいいかい?」
 頭を上げた少年は、やはり全く表情が読めない。
「自分でも、良くわからない。聞きたい事があって、殺されるかもしれないなら脅して聞けばいいやって、それしか考えてなかった」
 安室のような探偵は、当然発言の裏を読む。読むのだが、裏などない場合も想定はしている。
 背後を取ったのは、少年側に殺害の意思はないと、殺害の機会を見送る事でこちらに提示する為。
 背筋は寒くなったが理には適っている。そして、さっきまでの動揺していた自分と同じだったと言っているのだ、この少年は。そう言われては安室も苦笑する他無い。
「なるほど、わかったよ。全てを信じるには時間も情報もお互いに足りていないが、それでもまず、歩み寄ってみようと私も思う」
「そっか……じゃ」
 じゃ、の後に言葉が続く、そんな流れであったはずなのだが、少年は身を翻してしまう。言葉のイントネーションは、じゃあ何何しよう、ではなく、じゃあねバイバイ、の方だった。
「え? ちょ、ちょっと待って。えっと、一緒に行こうとかそういう話じゃないのかな?」
 足を止め振り向く少年。
「ん? でも信用、出来ないでしょお互い」
「情報を交換する事で、その不足した信用を埋めていこうって話だよ」
「あー、そういうの俺出来ないから」
「出来ない? 何故?」
「上手く無いんだ、交渉。得意な奴を探してくるから、見つけたらまたその時に」
 これもこれで理には適った話だ。今のお互いの状況に相応しい判断であるかはまた別として。とはいえ、安室はこの短い間のやりとりと、言葉によらぬ交渉を重ねた追跡戦により、少年の性質をある程度は掴んでいた。
 つまり彼は、思い切りが凄まじく良い。ちょっとありえないレベルで。その上定めた事に対し忠実で迷いがまるで見えない。
 動揺していた、とそう主張しているようだが、先の襲撃も正直な所、彼の行動自体には迷いのようなものは無かったように安室は感じられた。
 安室透をして、彼を足止める言葉は咄嗟に思い浮かばない。このような人物に対して口先だけの誠意に欠く対応をしてしまえば、後々重大な禍根を残すことになろう。
「せめて名前だけでも聞いていいかな? 僕は安室透だ」

 少年は一瞬だけ考え、それぐらいならいいか、と口を開く。
「三日月・オーガス」



 ヤモリ、松野カラ松、広瀬康一の三人は、地図には無い橋があるかもしれないと、山を下って川沿いに北上する事にした。地図の橋を使うのは少し遠回りであるから。
 ヤモリは同行者達を見下ろす。
 カラ松というガキは見るからに怯えている。それを隠そうとしている所がもう見てて痛々しい程。
 ただ、グール云々抜きで、単純にヤモリの体躯に怯えていると思われる。グールだと疑っているのなら、怯えはこの程度じゃ絶対に済まない。
 一方もう一人の康一とかいうガキだ。
 こちらは全く動じていない。殺し合い云々という話にすらも。見た目の小柄さから見くびりがちだが、相当に肝が据わっているのだろう。
『しぶといのはこっちの方か』
 とはいえ、時間の問題である。結果は一緒であり、晒すだろう醜態も、そう変わらないだろう。
 ヤモリは自身の演技が破綻する事なく、出来ればこの二人の信頼を得られればとも思う。何処かで腕力を誇示出来る場所があれば良い、力強さは男にとって憧れるに足る要素である事をヤモリは良く知っていた。
 川岸まで辿り着くと、目を凝らして川の先を眺めてみるが、どうやら橋は見える所には無いようだ。
 だが、そこで見つけたモノに、危うくヤモリは自制を忘れそうになった。
 一目でわかる。あれがカラ松の兄弟だ。もうびっくりするぐらい似ている。あの仰向けに川を流れる、額に剣の突き刺さった死体こそ、ヤモリが探していたカラ松の兄弟であろうと。
『だっ! 誰がやりやがったああああああああああ!?』
 せっかくの素晴らしい思いつきが、まだ殺し合いが始まってさほども経たぬ内に早々に破綻してしまったのだ。
 ヤモリの表情が怒りに歪むのも無理は無い。
 程なく死体に気付いたらしいカラ松が、絶叫を上げながら川へと走って行く。そのままブチ切れそうになったヤモリを留めたのは、何時の間にか隣に居た康一であった。
「ヤモリさん、気持ちわかります。僕も同じ気持ちです……だけど、今は松野さんを」
 彼もまた怒っていた。それはもちろんヤモリとは全く別の理由だが、彼は死体を見ても怯えるでもなく恐れるでもなく、そんな非道な行いに怒りを見せたのだ。
 それだけを言うと康一もカラ松を追って川に入る。ヤモリはおかげで暴発を堪える事が出来た。
『やるじゃねえか、あのガキ。……いいだろう、我慢してやるよ。六つ子だろう? まだまだ数は居るじゃねえか。そうさ、お楽しみは何一つ、無くしちゃいねえのさ』
 ヤモリも二人を追って川に入り、その人並外れた腕力で遺体を引っ張り上げる手伝いをしてやった。
 カラ松はそれどころではないが、康一が驚きと感謝を目で述べている。ヤモリは、自らの演技がかなりできの良いものであるようだと自信を深める。
 遺体にすがっていたカラ松が、不意にこちらを振り向き叫んだ。
「な、なあ! これはもしかしたらまだ助かるかもしれないんじゃないのか!? ほ、ほら、剣が頭に刺さってるはずなのに、後ろから抜けてないだろ! よ、良くある手品とかで、さ! そういうの、ありえないかな!?」
 馬鹿か、と一笑に付してやるところだが、ここは康一に任せる。
「バ~~ッカじゃないの」
 そう、それだ。っておいっ!
 驚き発言者の方を向く。本当に驚いた。ヤモリのグール的な感覚をもってすら、この女の接近に気付けなかったのだ。
 油断しすぎた、そう歯噛みするが、動揺を表に出して見くびられるのも気分が悪いので、平然とした口調であるよう気をつけながら口を開く。
「言い方ってもんがあるだろ。後、お前誰だ?」
 女は蛇か蛙みたいに、耳の側まで口の端を広げて言った。
「私? クレマンティーヌよっ♪」
 康一がカラ松を守るようにその前に立つ。位置的には、クレマンティーヌはヤモリのすぐ側で、少し離れた所に康一とカラ松が並ぶ。

「そうかい。俺ぁヤモリだ。で、クレなんちゃらは、一体俺らに何の用だ?」
 目的なんてわかりきっていながらヤモリが問いかけると、クレマンティーヌはからからと笑い言った。
「そりゃぁ、ねぇ、殺し合えって言われたじゃなぁい。だから、さ、人探してたんだけど……先越されちゃったわねぇ。もう、せっかちなんだからっ。私来るまで待っててよぉ」
 更にクレマンティーヌはカラ松を見てより深く笑う。
「そこの、兄弟なんでしょ。そっくりよねぇ、もったいない。せっかく兄弟揃ってるなら、もっとゆ~~っくり遊べたのにっ、それじゃあ即死じゃない。ほんともったいないわぁ。まっ、死体だけでも色々と遊べるけど、さっ」
 ヤモリの、大して要領の大きくない我慢リミッターが、あっという間にはちキレた。
「それは俺のアイディアだあああああああああああああああああ!!」
 目をぱちくりとクレマンティーヌ。
「てめぇの言うそれはな! 俺が我慢しながら準備してた事なんだよ! それを! てめぇが横から出て来てかっさらうだあ!? ぶっ殺すぞてめぇえええええええええ!! そこのガキは! 六つ子はその皮膚も四肢も指の一欠けらまでぜえええええええんぶ俺のモンなんだよおおおおおおお!!」
 ははっ、と鼻で笑うクレマンティーヌ。
「へえ、アンタが? 私を? ぶっ殺す? いいじゃん、やってみればぁ? まあアンタが何言おうと、どんな変態趣味持っていようとそこの二人をたのしーく殺すのは私だ・け・ど」
「てめえが言うなサイコ野朗がああああああああああ!!」 
 完全にキレたヤモリはクレマンティーヌへと襲い掛かる。
 その巨体からは想像もつかぬ速度で接近し、豪腕を振り下ろす。<超回避>一瞬で、クレマンティーヌはヤモリの背後へと回り込む。
 ヤモリは腕を振り下ろした姿勢のまま、そちらを見もせず丸太のような足を後ろ回し蹴りに振り回す。<流水加速>並大抵のキレではないはずの後ろ回し蹴りを、蹴り足をなめるように上体を捻りかわす。
 クレマンティーヌは手にした短刀を振り上げる。<能力向上>ヤモリの表皮をなめるに終わったその一撃に、クレマンティーヌは不満げな顔を見せる。
「かった~~い。まっ、でも? 硬いってわかってるなら切れるしぃ」
 次なるヤモリの右フックを<疾風走破>くぐりながら後方へと駆け抜けるクレマンティーヌ。今度は、確実に斬った。
 ヤモリの両膝の上から間欠泉のように血が吹き上がる。二筋の血の噴水の音は、しかしクレマンティーヌの予想よりずっと早く収まってしまう。
「へ?」
 振り向き確認すると、ヤモリの両膝上の白ズボンからは、もう出血の跡はあれど出血自体は止まっているようであった。
「再生能力? 面倒ねぇ」
 治るのならたくさん楽しめる、そんな発想も無いではないが、これまでのヤモリの動きは遊ぶ余裕をクレマンティーヌに与えてくれない。
 或いは、ブレイン・アングラウス、武王等の名のある戦士か、と戦いに集中する。もちろん、だからと負ける気は無いのだが。
 何処を切ったらイケるのか、面倒だが一通り試してみるかと突っ込むクレマンティーヌ。ヤモリの顔が、にやりと笑うと背筋に悪寒が走る。
 ヤモリの腰後ろから、何か得体の知れない三本目の腕のようなものが伸びて来る。速度が付き過ぎて突進は止められない。<不落要塞>身をよじってかわすも、胴の端を引っ掛けられて大きく跳ね飛ばされる。
 幸い切れはしなかったが、脇腹に鈍痛が響く。これで、クレマンティーヌもまたヤモリのように、完全にキレた。
「……そんなに死にたいんなら、望み通り殺してやるよ……」
 狂人同士のガチ戦闘になる。これまでだって充分恐ろしい戦いであるのに、これ以上怖くなるなどと見せられては、一般人以下のクソニートカラ松に耐える事など出来はすまい。
「うわあああああああああああ!!」
 兄弟の死体をすらほおっておいて、カラ松は悲鳴と共に走り出す。今のカラ松にあるのはただただ、この場に居たくない、それだけだ。
 そんなカラ松の走り逃げる先に、短刀が一本とそこらの石が突き刺さる。
「「誰が逃げていいって言ったああああああああ!!」」
 戦闘の最中で、お互いから一切目を離さないまま、二人は同時にカラ松の前に投擲を仕掛けて来たのだ。どうやら両者共通の認識として、生かしたまま、というものがあるらしい。
 その場にへたり込むカラ松。完全に、逃走の意思を失ったカラ松の耳に、信じられない声が響いた。

「逃げていいよ」

 その声はクレマンティーヌにもヤモリにも届いているようで、ヤモリは凄んだ声で一言のみ発する。

「あ!?」
 声の主、広瀬康一はヤモリ、クレマンティーヌとカラ松の間に入る位置に、ポケットに両腕を突っ込んだ姿勢でゆっくりと移動する。
「ん? 聞こえなかった? 別に君達に言ったわけじゃないけど、聞きたいんならもう一回言ってあげるよ。『松野さん、逃げていいですよ』」
 両者から投擲が放たれたとしても、康一がその中間地点になる、そんな場所に立つと康一は再び言った。
「ここはボクが抑えます。だからその間に出来る限り遠くへ逃げて下さい」
 何その死亡フラグ、なんてつっこむ余裕もカラ松にはない。
 ヤモリとクレマンティーヌが同時に、康一へと突っ込もうとした時、康一は吼えた。
「エコーズact3!」
「FREEZE!!」
 康一の声と同時にヤモリの巨体がクレマンティーヌへと倒れ込む。
「へ?」
 そのまま、ヤモリの体がクレマンティーヌの上に覆いかぶさり、地面に倒れ込む。
「ちょ、ちょっとぉ! 何してんのよアンタァ!」
「俺が聞きてぇよ! なんだよこりゃ!」
 その場に、二人は地面にめり込むようにして止まった。あの、人外の速度で暴れまわっていた二人が、重なって蹲っているのだ。その光景が、カラ松には信じられなかった。
 康一はカラ松の方に振り向く。
「って言っても抑える事しか出来ないから、早く逃げてくれると嬉しいかな。松野さん居なければ、ボク一人ならどうとでも逃げる手はあるしね」
 さあ、動き出す前に急いで、と急かすと、カラ松はこちらを睨むヤモリとクレマンティーヌの目に押されるように、立ち上がり走って逃げ出した。



 カラ松は走る。
 目から零れる涙は、最初は兄弟の死を悲しんでの事であった。
 それが今はもうどんな理由で流れているのかカラ松にもわからない。他人の為のものではなく、自分の為の涙であるのだけは確かだが。
 様々な感情が混線して言葉が出てこない。今の自分を言い表わす言葉が思いつかない。
 表現するのが目的ではない。自分が今どうなっているのかがわからなければ、どうしたらいいのかなんて思いつくはずもないではないか。
 言われるがままで、本当に良いのかどうか、誰かそれを教えて欲しいとカラ松は声にならぬ声で叫ぶ。
 そんなカラ松の視線の先に、人影が見えた。背の低い少年だ。目が合った。彼は、手にしたサンドイッチを口の中に放り込もうと、大きく口を開いた所だ。
 カラ松が声をあげようとする。声が出ない。彼はカラ松の方を見ながらサンドイッチを口の中に入れる。一口で全てを食べてしまう。
 彼の側まで駆けていったカラ松に、口の中のサンドイッチを噛み終えた彼は言った。
「らんか用?」
 サンドイッチを全部、噛み終えてはいなかったようで。
 カラ松は、その場に呆然とした顔でつっ立ったまま。少年、三日月・オーガスの言葉にも返事はしないまま三日月を見つめ続ける。
「?」
 三日月にはカラ松の意図が全くわからない。言いたい事があるのではないのなら、三日月の風体に何かがあるのか? と自分の格好を見下ろすも、特に不審な様子は見られない。
 再度声をかけようとした所で、カラ松が大声で怒鳴った。
「頼む!」
「何を?」
「俺に武器をくれ! 何か、どんなんでもいい! 敵をやっつける武器をアンタは持ってないか!」
 三日月の持ってる武器は拳銃だが、いきなりくれと言われても困る。
「嫌だよ。自分の分がバッグにあるんじゃないのか?」
 そう言われてカラ松は初めて、自分がバッグを持っている事に気付いたようで。大急ぎでバッグの中を漁りだす。
 三日月が自分の分を確認した時にあった、地図、ルールブック、コンパス、時計、ライト、それに食料品と飲料。更に大斧。
「うおっ!?」
 そう驚きカラ松が投げ捨てたのは、巨大な戦斧である。それも、どう考えても人間が持てるようなサイズではないものが。それはカラ松の求める武器像からはかけ離れたものだったらしく、カラ松はバッグ漁りを継続する。
 三日月は、さっきカラ松がバッグから取り出したのだから持てないという事は無いだろうと、この大斧を拾ってみる。赤水晶の斧部が、綺麗な紫に光る。
 軽い。一メートル以上の長さの柄の先に、巨大な赤水晶の斧部がついている。もうこれだけで持てる気がしないのだが、三日月でも片手で取りまわせるぐらいに軽い。
 だが、さっきカラ松が投げ落とした時は、地面に重く沈みこみ、大きな音を立てていた。それは、見た目の重量に相応しいものであった。

 三日月は試すように、軽く大斧の先端を大地につけてみる。突如、三日月の視界が失われた。
「なっ!? 何だぁ!?」
 隣から間抜けな声が聞こえた。
 三日月は、少し驚きながらだが何が起こったかを把握している。振り下ろした大斧が、大地を叩き割り土砂を巻き上げたのだ。
「何だこれ?」
 声の調子に機嫌の良さが混じる。どうやら、これはそういった武器であるようだ。
 物理とか色んなものを無視した超威力の武器。どうしてそんな威力になるのかもわからぬ道具を使うのは恐ろしい事であろう。
 ただ、ここで三日月の学の無さがプラスの方向に生きる。三日月にとって、世界には自分が知らない物があるのが普通なのだ。だからこれも、そういうものだとあっさりと受け入れる。
 阿頼耶識を繋げばガンダムが思い通り動く、この大斧は当ると重量以上の物凄い威力が出る、の二つは三日月にとっては大して差のある事ではないのだ。
 土砂が収まると三日月はカラ松に、機嫌の良さが全く伝わらない平坦な声で言った。
「なあ、これ、アンタいらないっぽいし、俺の拳銃と交換しないか?」
 カラ松は勢い良く振り返る。
「拳銃!? あんのか!」
「ああ、これ」
 持っている拳銃を手渡してやると、カラ松は何度も何度も頷く。
「ああ、ああ、これなら、いい。イケる。イケるはずだっ。これなら、俺だって、やれるはずだ」
 お互い満足いく話だったようで何より、と三日月は大斧を肩に担ぐ。
 カラ松は銃を両手で握り締めている。
「よし、よっし、行くぞ。俺は行くんだ。行くぞ行けるぞ行くしかない……」
 銃を握ったまま、カラ松の全身ががくがくと震えだす。
「行くって言ってんだろ! 俺は! 行かなきゃいけないんだよ! 俺が行かなきゃダメなんじゃないか!」
 三日月にはカラ松が何をしているのか全くわからない。三日月に向かって言っているのだろうか、と不思議に思って言葉を良く聞いてみるが、別に問いかけられてるようにも思えず。それでいてカラ松は大声を張り上げ続ける。
「頼むよ! 行くんだろ俺! 俺は行けるんじゃないのかよ! だって、アイツ居るんだぜ! 本当にあそこで殺されそうなんだぜ! 俺、行くんじゃないのかよ! 行ける男なんじゃないのかよ!」
 迷ってるのか、と三日月は彼に訊ねる事にした。
「誰が殺されそうなんだ?」
「広瀬だ! アイツすげぇ良い奴なんだよ! お、俺を! 見ず知らずの俺を助けるって殺し屋達の前に立って俺を逃がしてくれたんだ! アイツすげぇ奴なんだよ!」
「そいつはお前の家族や仲間じゃないのか?」
「ちっ、違う! 俺の、俺の家族は殺されちまった!」
 三日月の表情が硬くなる。ほんの少しだけ。
「……そっか。で、お前はどうするんだ?」
「行くんだよ! 俺が! アイツを助けに!」
 ここまで話してようやく三日月にもわかった。彼は、怯えているのだと。なので三日月は彼の背中を勢い良く、平手でばちーんとひっ叩いてやった。
 よろよろと前に進むカラ松。そのまま、カラ松は足を動かし、そして叫んだ。
「ちくしょおおおおおおおおおおおおお!! やってやるよおおおおおおおおおお!!」
 勢い良く走り出したカラ松を見送ると、三日月は担いだ大斧を見上げる。
 これは良いものだ、と頷く。ふと見ると、カラ松は自分のバッグの中身を放り出したまま、バッグも置いて走って行ってしまっていた。
 何してんだ、と呆れ顔の三日月であったが、ふと、自分も一つ忘れていた事に気がついた。
「あ、予備弾薬……」
 そこまで渡すと言ったわけでもないが、これを三日月が持っていても仕方が無いし何より、騙したみたいで少し気持ちが悪い。
 ついでだ、と三日月はカラ松がそこらにちらかした道具やらを全部バッグに納めてやり、これも一緒に持っていってやる事にした。

 その場に蹲ったままのヤモリとクレマンティーヌを康一は問いただす。
「どうしてそのままなんですか?」

 おいおい、とヤモリは不満げに言い返す。
「そうしてるのはてめぇだろうが。さっさとコイツを解きやがれ、そうすりゃきっちり時間をかけて殺してやるよ」
「二人共、もっと抗えるでしょう。それでも動かないのは、多分、僕の他の手を警戒してる。もっと別の仕掛けがあるんじゃないか、とかね。だったとしても、その状態の二人がそれをどうやって知ろうっていうんだ?」
 それに、と康一は右に、左に、視線を動かす。
「ねえ、ヤモリさん。貴方がさっき腰から伸ばしてた長い腕みたいなものって、何処まで伸ばせるんでしょうね?」
 ヤモリの笑みが深くなる。
 康一の足元が大きく崩れる。そちらに、重力の圧力がかかり飛び出そうとした触手は地面に押し付けられる。それ即ち。
「いやぁ、やっと動けるわぁ」
 肩をぐるぐる回してクレマンティーヌ。
「まったく、一張羅を土まみれにしてくれやがってよぉ」
 首を鳴らしながらヤモリ。
 この二人にかけていた重力の力が失われたという事である。
 ここからが勝負だ、と康一が気合いを入れなおしたところで、その叫び声が聞こえた。
「き、来たぞ! 俺が来たぞ! 広瀬! ままままむまっ、待たせたぬあっ!」
 少し離れた小高い丘の上に、がくがく震えたまま両手で拳銃を握る、松野カラ松が居た。
 その姿勢も、半身になるといった事もなく、真正面から構えた素人丸出しの構え。それでも、表情から必死である事はわかるし、多分あの切羽詰った調子なら引き金も引けるだろう。
 何て事を、と思うのと、必死になって自分の身を案じてくれた優しさが嬉しいのとが、七三である。康一は概ね根が正直なので、三が嬉しい方だ。
 康一はヤモリとクレマンティーヌを見くびってはいない。きっと二人は二手に分かれて康一とカラ松を狙うだろう。そうなれば、康一がカラ松を守るのは難しくなる。
 追い詰められた康一に、すぐ近くから声をかけるは救いの主。
「お前がヒロセか?」
「うわっ。き、君は?」
「三日月・オーガス。少しあいつ等殺すの待ってくれないか」
 アイツ等とは、多分ヤモリとクレマンティーヌであろう。待って欲しいのはこっちだ、といった言葉を飲み込み康一が頷くと、三日月はにやにやとこちらを見ているヤモリとクレマンティーヌに訊ねる。
「お前等は、何でこいつ等狙うんだ?」
 ヤモリとクレマンティーヌはお互い顔を見合わせる。身長差から、クレマンティーヌは上を見上げ、ヤモリが見下ろす形になる。
 ヤモリはけらけらと笑いながら、クレマンティーヌを指差して言った。
「コイツに殺しの理由なんて聞いてんじゃねえよ。この女、人殺してないと落ち着かないんだとさ、とんだ人格破綻者だわ」
 何言ってんのあっはっは、とクレマンティーヌもヤモリを指差す。
「このデカイのは気狂いそのものだからぁ、アンタみたいな子供いたぶって楽しみたいんだってぇ、怖いねぇ」
 そうか、と三日月。
「ヒロセ、アイツ等殺すなら手を貸す」
 康一は三日月の即断に驚きながらも首を横に振る。
「ダメだ、今やるのは危険すぎる。一度引いて、手数を増やさないと」
 毅然とした康一の物言いに、三日月は、うん、と素直に頷く。
「わかった」
「三日月君、君その大斧振り回せるの?」
「出来るよ」
「なら、申し訳無いんだけど少しの間どちらか抑えててもらえる?」
「わかった、やってみる」
「無理そうだったら大声で言って。対応するから」
「ああ」
 言うが早いか自分から二人に向かって突っ込んで行く三日月。三日月は二人の動きなんてまるで見ていないはずで、その戦闘力は未知のままであるはずなのに、突っ込む事に躊躇だのなんだのといったものはまるで無い。
 にやにや笑いながら迎え撃つは、前に出たヤモリ。突っ込み振り下ろしてくる大斧を、ヤモリは余裕の表情でかわしてその背後へと一瞬で回り込む。
 しかし、ヤモリの視界から三日月の姿がかき消える。

「何っ!?」
 衝撃音がその理由を教えてくれた。先ほど三日月が地面を叩いた時の比ではない、全力で斧を地面に叩き込んだせいで頭上遥か高くにまで土砂が巻き上がり、ヤモリは三日月を見失ってしまったのだ。
 二度目の衝撃音は舞い上がる土砂の中から。上へと吹き上がる土砂を真横に向かって突き破り、大地を勢い良く転がっていくのは何と、ヤモリの巨体ではないか。
 転がる勢い収まらぬ内に体勢を整え、両足ついて滑る事で勢いを殺すヤモリ。
「な、何だあの力ぁ!?」
 何体ものグールを捕食し、直接戦闘を行って来たヤモリだが、こうまで一発の威力が高い相手を見た事が無い。或いは、斧閃の鋭さこそ雲泥の差であるが威力だけならば喰種対策局の切り札に匹敵するかもしれない。
 一方クレマンティーヌは魔法の武器がある世界で生きてきたこともあり、あの大斧が優れた魔法武器であると見抜いた。
 だが、三日月が手にするは『血ヲ啜リ肉ヲ喰ウ』という名の魔斧。ユグドラシル基準でものを考えるナザリックメンバーに極端に威力が高いと言われるような、彼等にとってすら超火力武器なのである。
 それを圧倒的に比較基準の低いクレマンティーヌが正確に判別するのは難しかろう。そしてその認識の差分が、三日月の力であるとクレマンティーヌは考えるのだ。
「アイツは、やっばいわねぇ……動きが荒いから武器は奪えるかも、だけどぉ。例え武器奪っても素手の一発もらったら、それこそかすってでも終わるかもしんないわぁ……分が、悪いかしら」
 また直接戦闘はそれほど経験の無い三日月であっても、阿頼耶識システムにより自身の体であるかのようにモビルスーツを操り戦い続けてきた。
 戦士の立ち回りは自然と身に付いている部分もあろう。恐れず全力で前に出る事が、結果的に生存に繋がると知っている所なぞは、まさに戦士の戦いを知る者であろう。
 ヤモリといいコイツといい、とんでもないのがゾロゾロ出て来る、思わずぼやくクレマンティーヌ。とはいえ、彼女もまた我こそ最強戦士との自負と誇りを胸に秘めし武士だ。
 ここで引くはありえない。
 ヤモリはヤモリで、敵が強いからと手を引くような真似はせず、付け入る隙もあると逆に闘志を燃やす。実際、戦闘の立ち回りは間違いなくヤモリ、クレマンティーヌの方が上であろう。
 そしてもう一人、三日月の剛勇を見て驚きつつも方針を即座に変更したのは広瀬康一だ。この思考の柔軟さは彼の大切な武器であろう。
 エコーズをact1に切り替え、丘の上でがくがく震えっぱなしのカラ松に指示を出した後、同じようにエコーズで三日月のみに聞こえる声を飛ばす。
 三日月は一切の抗議をせずこれを受け入れ、言われるがままに大斧を大地へと叩き込む。
 だが、今度はそう、その炸裂の規模が圧倒的であった。
 耳をつんざくとはまさにこの事。
 吹き上がる土砂以外にも、襲い来る衝撃にクレマンティーヌもヤモリもその動きが止まる。
 二人の優れた知覚能力を持ってしても、この巻き上がる土砂嵐の中ではどうにもしようがない。しかも轟音は収まる気配すらないのだ。
 両足を踏ん張らねば衝撃には耐えられない。必死にこれを堪える二人であったが、衝撃は無限に続くかのように二人を襲い続ける。
 何かがおかしい、そう感じたのはどちらが先だったか。
 吹き上がった土砂が晴れてきているのに、轟音だけが続いている。我が身を見下ろしてみれば、衝撃なぞはとうに無くなっているではないか。
 まさか、と幻術に思い至ったクレマンティーヌが走るが、彼女の不安は的中し、三人はもう影も形も見えなくなっていた。
 完全に逃げられたとわかったクレマンティーヌが、にっこりと微笑みヤモリの元へと歩み寄る。
 ああ、そうだよな、と納得顔でヤモリは、微笑みながら彼女を迎え入れる。
「「てめえのせいで逃げられただろうがあああああああああ!!」」
 二人は同時に、お互いへと襲い掛かった。



 逃げ切った先で、地べたにうつ伏せにぶっ倒れているのはカラ松である。文字通り必死の覚悟で逃げ走ったせいで、精も根も尽き果てたのだろう。
 そんなカラ松の顔の横に、三日月は予備弾薬の箱とカラ松のバッグを置く。
「これ、渡し忘れてた分と、お前のバッグ」
 カラ松は首を回して三日月と渡されたものを見るが、声に出して何かを答える元気は無い。
 康一も走ってきたせいで荒い息を漏らしているが、三日月のみ大して息を乱していない。鍛え方の差が如実に表れている。
 三日月は康一に訊ねる。
「火星ヤシ、持ってない?」

 今この場で聞くような事かどうかは定かではないが、少なくとも三日月にとっては真っ先に聞くような事であるようだ。
 康一が首を横に振ると、三日月は、そっか、と残して背を向ける。
 三日月が一緒に居るつもりは無いと知って慌てる康一。
「ね、ねえ。もし良かったらしばらく一緒に居ない? 僕も今何をどうしていいのかわからなくって……」
 用事は終わってるのに、良く話しかけられる日だな、と三日月は振り返る。
「俺もどうしていいのかわからない。だからわかる奴を探しに行く。そいつ次第じゃお前を殺す事になるかもしれないから……」
 ぞっとするような事を平然と口にする三日月。しかし、でも、と続く言葉は康一にはそれが彼の好意であるように感じられた。
「あいつ等殺す時は、俺が近くに居たら声かけてくれれば手伝う」
 三日月・オーガスは感情があまり顔に出ない。だから誤解を受け易くもあるのだが、彼にもれっきとした感情はあり、感情に従って動く事もある。
 謝ったらすぐに許してくれた相手だからと素直に問いに答えてみたり、必死にすぎる形相と態度に心動かされてみたり、他者の命を粗雑に扱い笑って踏みにじる者に怒りを覚えたり、勇気ある選択と迷い無い決断を下せる相手に敬意を表したり。
 特に最後のは、殺す事になるかもしれないなどと口にするべきではなかった。それでも三日月がそうしたいと感じたから口にしたのだろう。
 そしてこうして幾人かと邂逅し、動き回る事で三日月の思考もまとまってきた。
 まずは、この辺りに居るかどうかもわからないけど、オルガと鉄華団のメンバーを探そう。全てはそれからだと。
 立ち去る三日月を見送り、溜息一つと共に康一は、隣でぶっ倒れたままのカラ松に問う。
「そろそろ動けそう?」
「無理っ」
 康一は再び嘆息。
 何時もなら何をするにも仗助なり億泰なりが先を歩くし、康一は任せているだけで良かったのだが、今は康一がそうしなければならないようだ。
「駄目だよ、ほーら、動く動くっ」
 カラ松の腕を引っ張り上げながら、ともかくより安全な場所まで、そして名簿にあった仗助や億泰と急ぎ合流して敵に備えようと考える康一であった。

 クレマンティーヌとヤモリのお互い八つ当たり気味に発生した戦いを、山中に隠れ潜み観察している者が居た。
「……何だ、あれは」
 三日月と別れた後、山中を移動していて戦闘音を聞きつけた安室透である。友の仇と目している赤井秀一の元へ戻るといった行為に、抵抗があったせいかもしれない。
 遠く離れているからこそわかる。両者の人間離れした能力が。
 まず速い。あんな速さで動ける人間なんて見た事が無い。実際の所クレマンティーヌは人間であるのだが、人類の限界値付近の能力を持った上で武技を用いるのだからやはり人間には見えないのだろう。
 ヤモリより動きの速いクレマンティーヌはその全攻撃を避けており、手にした刃でヤモリを何度も何度も何度も何度も切り裂くのだが、その都度怪我が再生しあっと言う間に傷口は塞がってしまう。これもまた安室の驚愕を誘う。
 そんな非現実的な光景が、安室透の優れた推理力を僅かながらも削り取っていたのかもしれない。
 人外の身体能力に、人外の知覚能力が備わっている可能性を失念したのは、彼らしくもない、失策であった。
 遂にヤモリの拳がクレマンティーヌを捉え、彼女の体は大きく宙へと舞い上がる。
 くるくるくると三回転。着地。の後、ゆっくりと後ろを、正確に安室透の居る場所を見て、彼女は笑った。
 全身に走る怖気と同時に身を翻す。視界の隅に、こちらに向け一直線に走る女の姿と、同じく気付いていたらしく走り出す大男の姿が見えた。
 安室透が自らの失策を悟ったのはこの時点でだ。二人の身体能力からは逃れられない。
 咄嗟に足跡を隠しつつ、身を潜ませる場所を見つけ滑り込む安室。
 この判断の早さと行動力は並の人間に出来る事ではない。だが、それでも。
「ばぁ。見つけたあぁ~~」
 ヤモリの嗅覚から逃れる事は出来なかった。

 ヤモリとクレマンティーヌは山裾にある平屋の一軒家から二人並んで出てくる。
「あー、面倒よねぇ。買い物なら貴方一人でいいじゃな~い」
「馬鹿言え。お前一人残したら、アイツ一人で全部食っちまうじゃねえか」

「あらぁ……バレてた?」
「当たり前だ。……いやまあ俺も一人で残ったら同じ事するがな」
 先ほどまで殺し合いしていたとはとても思えない、妙に打ち解けてしまっている二人だ。二人は歩きながら会話を続ける。
 そうそう、とヤモリはクレマンティーヌを見下ろす。
「お前のアレ、ナイフの先でこう横にすーっと神経裂いてくあれ。すげぇな。あんな悲鳴は俺も聞いた事がねえぞ」
 満面の笑みでヤモリを見上げるクレマンティーヌ。
「でしょ~~? あれ私の得意技っ♪ 他にも他にもねっ、裂いた神経を右と左で交互に引っ張るとかぁ、そうそう、すっごい面白いんだけどぉ、足先とかの神経をいじると、肩とか腕とか全然関係ない所が反応する時あるのよっ」
「へぇ、そいつも見てみたい……って待て。それやっちまったら指先とか砕けなくなんだろうが」
「あー、アンタのあれねぇ。やり方雑じゃない?」
「ばっか、アレが良いんだよ。アイツが最初に泣き入れてきたのは俺が指先砕いた時じゃねえか」
「そうなのよねぇ。どぉしてかしら? あーんなにしぶとかった男がねぇ」
 得意気なヤモリ。
「ああいうのはな、イメージの問題なんだよ、イメージの。二度と壊れた場所が元に戻らないような強烈な破壊のイメージってなよぉ、相手の心を砕くにゃ一番……」
 聞くに耐えないような話を二人は飽きもせず繰り返しながら、川岸に辿り着く。川の側には一軒のボロ屋があった。
「おし、ちょうどいいなこれ」
 このボロ屋を、ヤモリは両腕で掴むとふんぬとばかりに力を込める。
 めきめきと、板が音を立て崩れ千切れる。それでもヤモリが上手くコントロールしているおかげか家の形は残ったままで、ヤモリの頭上に家は抱え上げられる。
「すぉらあああああああ!!」
 大声と共に川へと放り投げる。ボロ屋は水面を跳ね、バラバラに砕けながらも何と対岸にまで飛んでいった。
 これを見たクレマンティーヌは、特に驚いた顔も見せずさっさと動く。
「んじゃおっ先~~~♪」
 言うが早いか川へと飛び込んだ。いや、それでも水中には没しない。
 川の上を漂うヤモリがぶん投げたボロ屋の破片を足場に、ぴょんぴょんと軽快に川を渡っていくではないか。
 これを見たヤモリは。
「てっめ! 誰のおかげだと思ってやがる!」
 ヤモリもまた彼の巨体で川へと飛び込み、クレマンティーヌがそうしたように板切れやらを足場に川を渡っていく。二人を比較して、靴がそれなりに沈む程度には体重差が影響している模様。
 そんな超人芸当を披露しておきながら、対岸についた二人はそんな事なぞ無かったかのようにそれまでと同じ拷問トークに花を咲かせる。
 そして街中で照明が煌々と輝くコンビニを見つけると、ヤモリを先頭に店へと入っていく。
 ヤモリは迷う事なく飲料売り場に向かうが、クレマンティーヌは物珍しそうにきょろきょろと周囲を見渡す。
「なに、ここ?」
「コンビニだろコンビニ」
「こんびに? お店なのぉ? なのに人も居ないし、これじゃ盗み放題じゃなぁい」
「さてな。街一つ使ってまで何考えてんだか。そういやお前、日本人じゃねえよな」
「日本? 何それ?」
「この国の名前だろ、ボケてんのか? 大体お前も日本語しゃべってるじゃねえか」
「そりゃ人間同士だもの、違う言葉な訳ないでしょ。ってここ、エ・ランテルじゃないの?」
 色々と話が通じない。まあ、狂人なんてこんなものか、とヤモリは自分を棚に上げてスルーする。
 ヤモリは大量にコーヒーの缶を引っ張り出し鞄の中に放り込む。クレマンティーヌはその様を興味深げに見守る。
「それ、なに?」
「缶コーヒーだよ……知らねえのか?」
 こくんと頷くクレマンティーヌに、ヤモリは内の一本を放り投げる。渡されたは良いが開け方がわからないらしいクレマンティーヌの為に、ヤモリは自分もまた缶コーヒーを開けて手本を見せてやる。
「わ、便利ねぇこれ」

 ヤモリが飲むと、クレマンティーヌもまた続く。
「甘っ! すっごい甘っ! なにこれなにこれ!」
 クレマンティーヌは一度自分の手の平の中に雫を落とし、色を見てからぺろりとなめるもその正体は全くわからない。
 女だし甘い方が好みかと思ってブラックでないものを投げたのだが、どうやら正解だったらしいとヤモリは自分の分の補給を終わらせる。このバッグ、意味不明なぐらいものが入ってくれる。
 あっという間に全部飲み干したクレマンティーヌが、眉根を寄せてヤモリを睨む。
「ちょっと~~~、こんなおいしいもの独り占めは無くない?」
 ヤモリは、コイツは日本語を覚えているけど日本の事を全く知らない外人である、と認識した。
「面倒くせぇ女だな。ほら、てめぇは人間なんだからコイツでも飲んどけ」
 また別の缶を放り投げると、クレマンティーヌは期待に満ちた顔でこれを受け取る。
「なになにぃ~? これも甘いのぉ?」
「飲みゃわかる。後、食い物も適当に選んどけ。その程度で美味いってんなら、そこらのパンでも菓子でも満足出来るだろうよ」
 グール歴イコール年齢であるヤモリは、羨ましいとは言わなかった。
 体をくねくねさせながらおいしいおいしいと連呼するクレマンティーヌに、何故か、やたら頭の悪い弟分を思い出した。手間がかかる事ぐらいしか共通点は無さそうなのに。
 どれが菓子でどれがパンかすらわかっていないクレマンティーヌに、仕方ねえなあ、とカゴを取って中に菓子やらパンやらを放り込んで渡してやる。
 クレマンティーヌは、無邪気に笑ってパンの一つを口にし、またおいしいを連呼し始めた。
 欲しいものも手に入ったので、ヤモリは名残惜しそうなクレマンティーヌを引っ張って帰路に着く。
 帰り道では拷問トークは無し。クレマンティーヌが歩きながら菓子やらパンやらを次々食べているせいだ。
 呆れ顔でヤモリはクレマンティーヌに言った。
「お前さぁ、そいつで満足したんならあの男は俺に寄越せよ」
 クレマンティーヌは満面の笑みで答えた。
「ダ~~~メッ♪ ゴーモンはべ・つ・ば・ら・よぉ~~~」
 ひっでぇ女、と肩をすくめるヤモリであった。

 赤井秀一は大男と女が家を出た事で、ようやく、そうようやくあの監視していた一軒家に侵入する事が出来た。
 中がどうなっているか。想像は出来た。悲鳴も怒声も哄笑も何もかも、この静謐な山裾では丸聞こえであったのだし、そもそも赤井がここに気付いたのもその叫び声のおかげだ。
 それでも、と縋るように屋内を走り、そして、椅子に縛り付けられ座らされている、安室透を発見した。
「っ!?」
 敵組織に潜入捜査を行うような胆力を備えた赤井秀一程の男をして、衝撃を隠しきれぬ光景であった。
 赤井の知識が言う。これは隠している事を吐かせる為の拷問ではない。ただただ、苦悶の表情を楽しむ為のソレであると。
 震える手を伸ばし、つけられていた猿轡を外して声をかける赤井。
「おいっ……おい。声は、聞こえるか」
 安室は首を上げる事も出来ず、心持ち俯いた姿勢のままでぼそぼそと呟く。
 聞こえない。痛めつけられ過ぎてまともに言葉を発する事も出来なくなっているのだ。赤井は慌ててその口元に耳を寄せる。
「……床、を、踏む音が違う……貴方は、二人とは別人……二人が出て行ってからここに来るまでの時間を……考える、に……僕の悲鳴を聞いて近くまで来て、隙を見て助けに来て……くれた、って所、かな……」
 涙腺が激しく刺激されるのがわかる。この男は、これほどの損傷を負っていながら、そして恐らくは心をすら何度も何度も叩き折られるような目に遭いながらも、その聡明な頭脳が失われる事は無かったのだ。
「…………つまる所、良い、人だろう。だから君に、頼みがあるんだ……聞いて、くれる、かい?」
「ああ、ああ! 何だ言ってみろ!」

 思わず声が上ずってしまう。
「えど、がわ……コナン君だ。彼は、優れた……知能と勇気を持つ……見た目は子供だが、彼を、頼り、守って……後、はい、ばら、あい君、もうり、らんく、んを……どうか、守ってやって……くれないか、皆、良い子達、なんだ……」
 この男は、こんな事になっていても、真っ先に考えたのは事件に巻き込まれた子供達の心配であった。
 赤井は安室を安心させるように強く答える。
「任せろ。江戸川コナン、灰原哀、毛利蘭の三人は俺が責任を持って保護する」
 安室の肩が落ちる。よほど安心したのだろう。そして、安室は最後の頼みを口にする。
「もし……君にそれが可能なら、でいい。もし良ければ、なんだが……」
 念を押した後、きっと心から望んでいるだろうはずなのに、申し訳無さそうにコレを口にする。
「僕を、殺しては、くれないか?」
 二人が何時戻るかわからない。しかも二人共が人間離れした能力の持ち主だ。その人間離れの部分を赤井が知らないとしても、今の状況で赤井が安室を連れて逃げられる可能性は低いと考えられるだろう。
 赤井の知識は言う。まだ、安室には生かす余地がある。生命活動を維持出来るだけ、といった意味であるがまだ今から医師にかかれば命は助かるのだ。
 だが赤井の知識は更に言う。それは偶然ではなくあの二人が意図的に、より長く楽しむ為にそうしていると。
 この後、二人が安室が死ぬ前に拷問に飽きる僅かな可能性に賭けるのは、彼が背負うだろう苦痛を考えれば、とてもではないが許容出来ない。出来ないと、理性は判断出来ても感情がついてきてくれない。
 赤井は安室の友の自殺を、止める事が出来なかった負い目を持つ。
 そんな赤井に、今度はこの安室自身の命を奪えというのかと。こんなにも優れた、尊敬できる素晴らしい精神と能力を備えた、高潔な男の命を。
 腕が動かぬ赤井に、安室が初めて、ほんの一言のみだが本音を漏らした。
「……頼むよっ……」
 絞り出すようなその声に、赤井の手は動いてくれた。
 安室の喉をナイフで切り裂く、安室の口が動いた。
 感謝の言葉は声にはならず、しかし赤井には正確に届いた。
 赤井には、その場で震え悲しみにくれる時間も与えられていない。急ぎ安室を殺したのは、赤井が生きる可能性を上げる事にも繋がる。
 早々に赤井はこの家を立ち去り、二人から少しでも遠くへと走り逃げる。
 赤井は、これまでに磨きぬいてきた自分の感覚を恨む。その感覚が、あの二人が決して近寄ってはならぬ化物であると言っていたからこそ、こうして逃げの一手であるのだ。
 許されるのならとっくに、二人を攻撃し安室を取り返していた。そうやって挑む事すら、赤井には許されなかった。
 いっそ、自分が鈍ければ。一か八か、いや、万に一つで安室を救い出す可能性に賭ける事が出来たかもしれなかったのに。
 赤井の心中深くに、安室との最後の会話が刻み込まれる。恨み重なる赤井に、それと知らずに安室は、頼む、と懇願したのだ。そんなめぐり合わせの無情さに、赤井は自らの心が軋む音を聞いた。



 ヤモリとクレマンティーヌが家に戻ったのはそれからしばらく経ってからの事。
 喉から血を垂らして死んでいる安室を見て、ヤモリの眉はひりあがり、激怒がまず顔に、そして声へと伝わっていく。
「てめえが余計な事してやがるからっ!!」
 と怒鳴ってクレマンティーヌのせいにしようとした所で、彼女が妙に静かにしながら首をかしげているのに気付き、声を止める。
「あんだよ、何かあんのか?」
「ん~~っとね。ちょっと考えてたんだけどぉ。ねえ、アンタさ、これからしばらく私と一緒に人殺して回らな~い? アンタと一緒って、結構面白そうかもしんない」
 ヤモリは小さい目を見開いて、アホか、と鼻で笑う。クレマンティーヌは、何よぉと口を尖らせるが、ヤモリは今度は呆れたように笑い言った。
「俺はおめぇと一緒にこの男いびってる時から、ずっとそのつもりだったよ」



【安室透@名探偵コナン】死亡
残り63名



【D-6/黎明】
【赤井秀一@名探偵コナン】
[状態]:健康
[装備]:
[道具]:アーミーナイフ、支給品一式、不明支給品(1)
[思考・行動]
基本方針:主催者の調査を行いつつ一般人を守り殺し合いからの脱出。
1:大男と女に見つからないよう逃げる。
2:江戸川コナン、灰原哀、毛利蘭の保護。
3:首輪の解除のために解析を行う。
4:ダーハラを知っている人間がいるならば接触を行う。
5:ジンへ警戒。
[その他]
※参戦時期は緋色シリーズ(原作84及び85巻、アニメ779~783話)終了以降。
※名簿の記載に疑問を抱いております。
 ・ジンのみがコードネーム記載→組織の犯行と推測。
  →しかしバーボンが安室透と記載されているため、組織の犯行とは断定できず、むしろおかしい。
 ・赤井秀一は赤井秀一として記載されている→組織時代のコードネームであるライではない。
 ・江戸川コナンは工藤新一として記載されていない→正体を把握していない。
 これらのことから主催者は「彼らの正体を把握していない」と推測→しかし、それならば何故この面子が集められたかは現段階では不明である。
※瞬間的にしか名簿を見ていないため、名簿では【江戸川コナン、安室透、ジン】の参加者しか把握をしておりません。
※首輪には盗聴器能があると睨んでいます。
※安室透の死に様が、心にこびりついています。


【C-6/黎明】
【三日月・オーガス@機動戦士ガンダム鉄血のオルフェンズ】
[状態]:健康
[装備]:血ヲ啜リ肉ヲ喰ウ@オーバーロード(赤水晶の刀身を持つ巨大な斧。紫色の微光を放つ。極めて高い攻撃力を持つが命中値は低い)
[道具]:支給品一式
[思考・行動]
基本方針:オルガと鉄華団を探す
1:居るかどうかもわからないけど、オルガと鉄華団を探す。

[その他]
※煙は支給された煙玉@現実です。
※参戦時期はビスケット死亡後~カルタ死亡前。
※名簿を見ていません。


【C-6/黎明】
【広瀬康一@ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない】
[状態]:健康
[装備]:なし
[道具]:支給品一式、ランダム支給品1~3
[思考・行動]
基本方針:殺し合いに反対。
1:ここに居るらしい仗助と億泰を探す。
2:ヤモリ、クレマンティーヌから逃げる。
3:カラ松を守る。
4:吉良吉影の危険性を伝え、捕まえる。
※本編終了後より参戦
※スタンドのことは「どうせ見えないだろう」と隠しています。

【松野カラ松@おそ松さん】
[状態]:健康
[装備]:H&K USP(13/15)
[道具]:予備弾薬30、支給品一式、ランダム支給品0~2
[思考・行動]
基本方針:帰る。
1:康一に引っ張られて移動する
※トド松の死体を見ました。
※康一のスタンドも見ましたが、その事を康一に確認する時間的余裕はありませんでした。


【C-7 川沿い/黎明】
【ヤモリ@東京喰種】
[状態]:健康
[装備]:なし
[道具]:支給品一式×2、ワルサーP99(残り19発)、ランダム支給品1~3
[思考・行動]
基本方針:カネキで遊ぶため探す。主催は殺す。
1:あんていくに向かい、カネキを探す。
2:クレマンティーヌと同行し一緒に人を殺して回る。
※喰種だということを周りに話していません。

【クレマンティーヌ@オーバーロード】
[状態]:健康
[装備]:サソリ1/56@東京喰種×56
[道具]:支給品一式、ランダム支給品0~2
[思考・行動]
基本方針:
1:ヤモリと同行して一緒に人を殺して回る。
※彼女が現状をどう捉えているかの描写はまだありません。


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011:重力の井戸の底 三日月・オーガス 046:めぐねえ頑張る
011:重力の井戸の底 安室透 GAME OVER
011:重力の井戸の底 赤井秀一 048:納鳴村へ
026:玩具の軍靴の音がする 広瀬康一 048:納鳴村へ
026:玩具の軍靴の音がする 松野カラ松 048:納鳴村へ
026:玩具の軍靴の音がする ヤモリ 039:The end of ソロモン・グランディ
GAMESTART クレマンティーヌ 039:The end of ソロモン・グランディ

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最終更新:2016年10月08日 00:39