人と喰種と◆QkyDCV.pEw





 千早は春香と並んで町を歩く。目的地はある。だが大まかな方角しかわかっていないので、途中の道選びは千早と春香がしなければならない。
 二人は自然と人気の多そうな道を選んで進む。それは無意識の内に同じ立場の仲間を求めての事であろうか。とはいえ人気がありそうなだけであって、人っ子一人見つける事は出来ない。
 住居は窓も扉も締め切ってあり、途中見かけた様々な雑貨食料品が並んでいそうな大きなドラッグストアも、シャッターを閉め駐車場入り口にはチェーンが張られている。
 そんな中にあって街灯の光は頼りなくも、唯一残された道しるべのようにも見えて、二人は誘われるようにより多くの街灯へと向かっていく。
 徐々に住宅は減り、代わりに商店や事務所といった建物が増えていく。繁華街に入ってきたのだろう。
 もしかしたら近くに駅でもあるのでは、と思えるような建物の並びが見えて来る中、ずっと押し黙ったままだった春香が口を開いた。
「ねえ、千早ちゃん」
「……なあに、春香」
 春香は少し考えた後で、言葉を選びながらゆっくりと話し始める。
「えっとね、私、ずっと考えてたんだ」
「うん」
「今、何が起こってるのか。私達は一体どうすればいいのか、どう、しなきゃいけないのか」
「……うん」
「でもね、ずっと考えたんだけど、全然どうしていいのかわからないの」
 小さく肩を落とす千早。
「貴女だけじゃないわ春香、私もよ。私も、上手く考えられない。どうしても考えがまとまらないのよ」
 春香は大きく頷く。
「だよね。だからさ、多分私達今、冷静になれてないんじゃないかなって。ステージ前の緊張とは全然違う感じだけど、そういう、物が考えられない状態なんじゃないかなって」
 千早は驚きに目を見開く。春香がこんなにも自分を客観視できているなんて、という若干失礼な感想を持ったせいだ。
「そうね、きっとそうよ。春香の言う通りだわ。すごいわ春香、私なんかよりずっとしっかりしてる」
 えへへ、と照れくさそうに笑う春香。
「でね、私考えたんだ。千早ちゃん聞いてくれる?」

 部屋は広めの場所を使う。三十人は入れる大部屋で、簡素だがステージもありマイクスタンドも据え付けられている。
 部屋に入ってすぐ電気を付けると、まず赤青黄の三色が部屋中を照らし回す。春香が、慌てて隣のスイッチに触れるとようやく部屋が白色の光に照らされる。
 千早は、しみじみと言った。
「……もしかして、春香って物凄い大物なんじゃないかしら」
 準備が整ったらしく、春香は嬉しそうな顔で千早を招く。
 ここ、カラオケに入ろうと言い出したのは春香である。曰く、一度冷静になって何時も通りを取り戻す為に思いっきり歌を歌ってみよう、だそうである。
 話を聞いた当初は、歌が好きな千早もそれは良いアイディアだと思えたのだが、それこそ冷静になって我が身を振り返って見ると、これは何か違うんじゃないだろうかという気になってくる。
 こうして電気が来ているらしいカラオケ店に入って、店内の照明を付けて部屋を探して勝手に使おうとしだした所で千早の思考にじわじわと迫ってくる不安感の正体は、やはり他人様の敷地内に勝手に入り込んで好き放題するなんて行為に抵抗があるせいだろう。
 何度か春香に思い直すよう言おうとしたのだが、妙に一生懸命になって電源探したり通信云々を確認したりしている春香を見て、つい言いそびれてしまったのだ。
 春香に手渡されたマイクをおずおずと握った千早は、とりあえず、Aの音を出してみた。
 音程良し、スピーカーは後ろと前に二つ、部屋が狭すぎて音が変に響く、この部屋で練習するならマイクはいらない。
 次に、音階を順に。繋ぎが良く無い、もう一度。やっぱり緊張していたようだったが、もう大丈夫。そこまでした所で、ぽかんとした顔の春香に気付いた。
「どうしたの? 春香は声出さないの?」
 見るからに不安げだった千早は歌を始めた途端、表情から弱気が抜け凛とした顔つきになっていた。春香は少し呆気に取られた顔で言った。
「……千早ちゃんて、もしかしたら凄い歌手になるんじゃないかな」
「?」
 怪訝そうな顔の千早に、春香は誤魔化すように笑った後、自分も声出しを始めた。
 不思議なもので、歌の練習を始めるとここがどんな場所で自分がどんな状況に居るのかも忘れてしまって、今の自分の声がどうなのかしか考えられなくなる。
 後、隣の春香がどんな声なのかも。
「春香、また、そこ」
「うわっ、失敗しちゃった」
「意識しないで歌ったら絶対抜けるから、慣れるまでは絶対に忘れちゃダメよ」
「うん……その意識しなきゃいけない所がいっぱいありすぎる気がするけど、多分気のせいだよねっ」
 千早はきょとんとした顔になる。
「ええ、いっぱいあるわね。気のせいって何?」
「……うぅ、頑張ります」
 レッスンは続く。
「春香、高音」
 千早はもう簡潔に単語しか口にしない。その真剣な表情から怒っているようにも見えるが、当人はただ一生懸命なだけである。
「ご、ごめんっ」
「大丈夫、何度でも付き合うから頑張ろう」
 次の声はうまく言った、そう確信した春香であったが、不意に千早が歌を止める。すわ、何か失敗したかと身構える春香であったが、千早は眉根を寄せて言った。
「ごめん春香、今の私良くなかった。もう一度お願い」
 一瞬だが、千早は自分の世界に入りすぎたかな、と春香も感じた所である。相変わらず、音楽への嗅覚といい妥協を拒む姿勢といい、頼もしい事この上無いなー、と遥かに及ばぬ我が身を振り返りつつ苦笑する春香。
 その後二人は一曲全ての確認が終わるまでずっとレッスンを続けていた。以前に二人で仕上げた曲でもあったが、しばらくぶりにやってみると色々と直したくなる所も出てくるものなのだ。
 カラオケの部屋を出て、通路に置いてある椅子に二人は並んで腰掛ける。
 精算カウンターの内より取って来た飲料を、二人は同時に喉へと流し込む。アイドルらしからぬ豪快な飲み方で一息にこれを飲み干すと、大きく息を吐く。体中から余計な力が抜けていくのが自分でもわかる。
 春香は壁によりかかりながら横目に千早を見る。
「ちょっと、やりすぎだったかな」
 両手に空き缶を握りながら千早。
「かもね。でも、充分気は晴れたわ。我ながら単純だなぁとも思うけど」
「それはきっと、悪い事じゃ無いよ」
「……そうね」
 じゃあ行こうか、と二人は並んで立ち上がり、カラオケを出ようと歩き出した所で、春香が何も無い所で盛大にすっ転んだ。
 千早はうんうん、と二度頷いて言った。
「春香も完全に何時ものペース取り戻したみたいね」
「もー! 千早ちゃってばもー!」



 誰しもがそうであろうが、彼もまた不本意な形でこの場に連れてこられた月山習は、少々深刻な表情で手にした資料に目を落とす。
 彼はその生い立ちが特殊であり、人目をはばかるような生まれにありながらも、裕福で幸福な境遇を享受出来る立場にあった。
 同じ種の者達が自らの立ち居地や厳しい食糧事情に悩んでいる中、彼が美食という贅沢の極みのような行為にふける事が出来たのも、こういった立場あっての事かもしれない。
 もちろん、月山習という存在自体が持つ、絶大な武力もその助けとなってはいるのだろうが。
 月山習がルールや名簿やらで理解したのは、これを企画した者達が現在、この地での無法暴虐を保障しているという事だ。
 強者による弱者の一方的な蹂躙行為を、こうして場所を限定する事で社会的な圧力から保護し、参加者に対し後は楽しめ、とこういう訳だ。
 ただ習にはそこで一つの事柄が引っかかってくる。
 こんな事をして、誰が得をするものかと。
 この手の暴虐を観戦するのは至極楽しい事だ。それは認めるし、その為に手間をかけるのも理解は出来る。だが、ここまで大規模にやらかして、採算を取るというのは難しいように思える。
 何より、見るよりも参加する方が百倍楽しいのだから、この規模の催しを出資出来る程の観戦者達は、見てるだけで満足するのだろうか、と。
 名簿にあったヤモリという名前。彼ほどの実力者ならば、或いは月山習をすらエサ場のエサと見なす事もわからないでもない。エサ扱いを甘受するつもりもないし、かの十三区のジェイソンだとて自身には決して滅ぼせぬとは考えぬ習ではあるが。
 とはいえヤモリにこの規模の催しを起こす程の経済力があるかと言えば甚だ疑問である。
 習の頭に幾つかの有力喰種グループが浮かぶも、その全てがコレの主催者には相応しくない。
 残念そうに嘆息する習。楽しそうな催しではあるが、裏も読めぬまま遊興にふける程習も間抜けではない。
 基本的には、コレを東京周辺外のグループによる娯楽行為と考え、彼等が狩りを楽しむ為に習やヤモリをすら集められた。
 なのでこの名簿にある、もしくは名前すら無い強力無比な喰種、ないし喰種の集団がこちらを狩りに来る、と習は予測する。
 となればこの事を説明し、ヤモリや霧島に協力を求めるのが最善手であろう。
 その為にも、非常に残念ではあるが、金木の捕食は今は諦める他無い。彼の保護者たる霧島董香は、補給さえ万全ならば習をすら倒す程の喰種であるのだから。あの時は本気で死ぬかと思った。
 ヤモリもその同族をすら手にかける凶暴さが噂になっているが、彼もまた一個の集団の頭でもある。収支の計算が出来るぐらいは期待してもいいだろう。
 概ね習の方針は整った。
 最後の懸念はこの首輪だが、こんな小さな首輪に仕込める程度の爆薬で、どうやって喰種を確実に殺すのか習には全くわからない。ただ用心はすべきだろうとも思う。
 とりあえずはこんな所か、と習はぶらぶらと人を探して歩く。
 特に周囲に注意を払っているようにも見えないが、習はその優れた知覚能力に意識を集中し、自らの索敵範囲内への何者かの侵入を警戒する。
 程なく二人見つけた。臭いは人間。周囲に人影無し。見るだけ見てみるのもアリだろうと、月山習はその二人組の元へ足を向けた。

 芸能人を見慣れた千早の目から見ても、彼の容貌は整った美しいものであると思えた。
 背も高く、そのすらっとしたスタイルといい、本当に芸能人なのでは、と思える程だったが、彼からは芸能人らしい何処かわざとらしさが漂う美しさは感じられなかった。
 彼は驚いた顔で言った。
「凄いな、こんな美人を揃えて来るとは。やはりショービジネスであるのなら容貌は外せない大きなファクターだろう。人間だって食べ物を美しく整える事で食欲を促したりするものだしね」
 ふふっ、と小さく笑う彼。千早は何と声をかけたものか迷ったのだが、彼は何か言いたい事があるようなのでまずはそれを聞いてからにしよう、と思った。
「美食家、グルメだそうだね、僕は。そんな僕に一体ここで何を期待されているのかはわからないが、こうしてすぐ近くに食材を用意されたというのなら、流石に試さずにはいられないかな」
 何を言っているのか全くわからない。というか彼の視線はこちらを捉えてはいるが、見ているという訳ではないようだ。
 千早にとって、あまり好ましい雰囲気ではない、と思えた。
「ただ、そのままむさぼるのみ、というのでは芸が無い。全くもって、美しくも楽しくもない。ではどうするか、工夫が必要なのさ。わかるかい?」
 千早はこちらを無視し続けた男に対し、無視をし返し一方的に言葉を述べる。
「貴方は誰ですか? 話をしようというのなら、せめて名前ぐらい名乗ってはもらえないでしょうか」
 彼は千早の反論に驚いたようだ。だが、千早は次の瞬間、一体何が起こったのか全くわからなかった。
「むごぉっ!?」
 そんな篭った悲鳴が何故自分の口から漏れ出したのか。
 わかっているのは、上を向いた形で頭部が完全に固定されてしまっている事と、口の中に鉄の棒が突きこまれ、大きく口を開かされてしまっている事。
 無我夢中で手足をばたつかせる。両足は、完全に地面から離れてしまっている。顎がとても痛い。喉が苦しい。手も足も、前にある硬い壁にぶつかってしまって何も出来ない。
 頭上の街灯の光が目に痛い。
 不意に光が消える。真っ暗になったそこに、ぼんやりと人の顔らしきものが見えた。
「肉だけが人間じゃないんだな、これが。人間っていうのはね、素晴らしいんだ。たった一人だけでも、多彩な食感を味わえるよう、僕達喰種がより楽しめるよう作られているのさ」
 更に大きく開かされる口。中に更に別の鉄の棒が。これはペンチのようなものらしく、千早の奥歯をがちりと掴んで左右に揺らす。
「ん~、良い反応だ。この堅さなら味も期待出来る。虫歯持ちや弱りかけの歯はどうにもねぇ。適度な歯ごたえが欲しいからこその奥歯なんだから、あまりに柔らかすぎるのはね」
 遠くから春香の悲鳴が聞こえる。声量は春香の方が上なのに、この男の声の方が良く聞こえるのはどうしてなのか。
 現実逃避はここまでだった。
「んぐぅあはぁ!!!!」
 信じられない程の激痛。間違いなく生まれてこの方味わった事の無い程の痛さだ。
 口を閉じて手で抑えたい。腕を顔付近に上げてもがくが、顎と口を固定している金具らしいものはビクともしない。
 視界が滲んでいる。息の苦しさも限界に近い。それでも、あがいてももがいても、何をしても顔を固定する金具は外れてくれない。
 そんな絶望の固定具が、いきなり外れた。頭上から聞こえる声にも千早は、ただ傷みよ収まれとばかりにうずくまって口を手で覆う事しか出来ない。
「うん、ブォーノ。これはいいね、匂いも悪くないし、味も、少し軽いか? ああ、いや、ううん、癖になる系だねコレ」
 今の千早に出来るのは、ただただ口を抑えて痛みが過ぎるのを待つ事のみ。
 小刻みに両足が動くのは、痛みを堪えるために必要な動作なのだ。それもまた、考えての行動ではなく無意識にそうなっているだけの話だが。
 再び、男が言った。
「うーん、うん。やっぱり我慢は良くない。まいったね、さあどうぞと出された食材にまんまと食いついておかわりまでしようっていうんだから、グルメの名が泣くよ。ね、でもさ、もう一個ぐらいは、いいだろう?」
 不意に千早の上から圧迫感が失われる。気付かなかったが、千早の上には春香が覆いかぶさっていたのだ。
「やめてよっ! もうやめてっ!」
 春香の悲鳴が聞こえる。千早が思ったのは、そんな怒鳴るような声を出したら喉に悪いわよ、であった。
 顎の下にさっき味わった拘束具の感触が。ここでようやく、千早はもう一度アレをやられるかもしれないと思い至った。
 もう声を出すも何もない。手足を無茶苦茶に振り回し、全身をくねらせ跳ねらせありったけで拘束に抗う。
 それでも無理矢理に開かれた口は閉じてくれなくて、体が宙に引っ張り上げられるのも止まらなかった。
「ひや……ひやら……」
 言葉にならない。もしかしたら言葉にならないから、相手に聞こえないせいで止めてくれないのかも、と考え必死に声を出そうと繰り返すが、やはり言葉は意味を持つ音の羅列になってくれなかった。
 そして再びその時が。
「いひやぁらわっ!!!!」
 今度はすぐに開放してもらえたので、千早は急いで口を手で抑える。まるでそうすればこの激痛が治まってくれるとでも言わんばかりに。
 地面に額をこすりつけ、押し付けるようにする。力を込めて何かをしていると微かにだが痛さが落ち着くような気がして、体の動く箇所全てでそうしようとうごめきもがく。
 とにかくどういった形でもいいから動いていないと痛みに耐えられないので、結果として寝転がったまま右に左に転がり回る事になる。
 意識は痛みを堪える事だけの集中しているせいで、上から聞こえて来た声の意味はわからなかった。
「僕はもういいや、残りは次の人に譲るよ。そうそう、間違ってもヤモリになんて捕まらないといいね。彼、ただでは食べてくれないらしいから、さ」
 最後の最後で初めて、彼は千早に対して言葉をかけてくれた。それも、親切に近い内容だったのだが、いまだ地面をのたうち回る千早にも、その彼女を守るように前に立つ春香にも、全くもってその親切は伝わらないのであった。

 春香は千早を抱えるようにしながら、先ほど見つけた、閉まっている薬局へと向かう。
 シャッターは下りているが、何処かに入り口は無いかと春香は建物の周囲を走って回る。従業員用通用口を見つけ、祈るようにドアノブに手をかける。開いた。
 神様にありったけの感謝を述べながら、シャッター前に待たせてある千早を呼びに行く。
 両頬を手で抑えたまま、千早は壁にもたれかかっていた。最初の頃の痛さの余りうごめき回るような事は無くなったので、少しは楽になったのか、と春香は楽観的に思いたくもあったが、千早の表情があまりに険しく、それを口にして訊ねる事は出来なかった。
 店内の電気を探すのに手間取ったが、これをつけると後は案外簡単に薬売り場は見つかった。歯、痛み止め。そんなキーワードを探す。千早は痛みのせいで春香に手を引かれるままにしか動けないので、春香が探すしかない。
 歯のコーナーを順に探してそれっぽいのを三つ程掴み、探してる途中で見つけたミネラルウォーターを一緒に持っていく。焦りはあるが、今は自分がしっかりしなくては、と頭を駆使する春香は何時もの春香からは想像もつかぬ程的確に行動していく。
 どれが一番良いのかわからなかったので、千早には春香でも知っているメーカーの薬を渡して飲ませた。千早はその場で床の上に寝転がってしまう。
 ただ、少なくとも安定しているようにも見えたので、春香はこの機会にと店内を物色し何か必要なものは無いかとカゴを持って歩き回る事にした。
 配られた鞄の中には食料品もあったが、ドラッグストア内に置いてあるものの方がおいしそうであったので、春香は幾つかをバッグの中に納めておく。お気に入りの飲料も。
 しばらく店内を回って色々なものをバッグに詰めた後、千早の所に戻ると千早は自分のバッグを開いて中を色々といじっている所だった。
「春香っ」
 もう頬を手で抑えてはいない。心なしか嬉しそうに千早は声をかけてきた。
「千早ちゃん、もう大丈夫なの?」
「ええ、ええ、聞いてよ。この薬凄いわ、本当にびっくりするぐらい痛みが引いてくれたの。春香これ知ってたの?」
「本当に!? 良かった~、CMでメーカーの名前に聞き覚えがあったから、有名なのかなってそれにしたんだ」
「そっか、ありがとう春香。もう、あんまりに痛すぎて私凄い不機嫌になってなかった?」
「そ、そんな事無い……ああ、うん、無かった、かな?」
 少しおどけてそう言うと、千早は口元を手で抑えてころころと笑う。
「うふふ、春香って正直よね。ごめんね春香、色々と迷惑かけちゃって」
 ぶんぶんと勢い良く首を横に振る春香は、そんな事無い、と言おうとして言葉が出てこなくなった。
 目尻に涙が溢れて来て止まらなくなる。押さえ込んで来たものが、まとめて一気に飛び出して来た。
 何度も何度も止めてと叫び止めようとした、力づくでと動く彼にしがみついて防ごうとした、せめて自分が壁にと前にも飛び出した。それら全てで、春香はありったけの勇気を振り絞る必要があったのだ。
 怖い、恐ろしい、逃げたい、泣き喚いてしゃがみこみたい。それらを振り切って、春香が前へと踏み出すには並々ならぬ勇気と覚悟が必要であった。
 あれらは全てヤケになったり、無我夢中で動いた訳ではない。春香は考えて、焦り怯えながらも必死になって考えた結果の行動であったのだ。バッグの中の刀に気付けない程動揺してもいたが。
 その全ては全くの無意味であった。男が千早にあれ以上の危害を加えなかったのは彼の気まぐれによるものであろうし、春香が何もしなくてもきっと、結果は何一つ変わらなかっただろう。
 春香は千早の友達なのに、その危機に際し何一つしてやる事が出来なかった。それが、悲しくて、悔しくて、申し訳なくて。そしてもう一つ。これを考えるとまた自分の心が軋む音が聞こえてくる。
 千早の事以上に、自分がありったけで抵抗した行為全てが無駄であった事に、春香は絶望していたのだ。もう、何をやっても無意味なんじゃないかと、崩れ落ちそうになるのを千早を支える事で耐え忍んできたのだ。
 そして、今こうして、千早は自らを取り戻した。
 元の優しくて強い、如月千早が春香の目の前に居てくれるのだ。
 たった今危地を乗り越えたばかりの千早に頼るような人でなしな真似は絶対にしたくない、したくないのだが、もう、春香には我慢出来なかった。
「ひ、ひっぐ、う、うぐぅ……」
 小さく嗚咽を漏らす。これは千早へのサインだ。私を助けてと、甘えさせて欲しい、との。
 千早はそこまで察したわけでもないだろうが、春香の甘えを快く受け入れる。千早には春香に対し感謝の心しか無いのだから、そうしてすぐに何かを春香に返せるのは嬉しい事ですらあった。
 ゆっくりと、子供をあやすように春香の頭を抱いてやると、春香はその胸にもたれかかって泣き出した。

 ほんのりと良い香りが漂う。
 人に触れるという事は、こんなにも安心出来る事なのか、と千早もまた春香を抱く事で心の平穏を得る。
 一瞬、ノイズのように走る硬質な感触。
 薬も想像以上に効果的であり、千早の口の中には最早微かな鈍痛しかない。
 何度か舌で触れたぬるりとした感触が思い出される。
 ドラッグストアがあった事や中に薬が置いてあった幸運を千早は天上の何者かに感謝したいと思えた。
 無理だ。忘れる事なんて出来はしない。
 鉄の道具で押さえつけられてる、そう思っていたものは彼の体であり手であり指であった。それは千早が全身で力を込めたとしても彼の指先一本すら動かしえぬ程、力の差がある故そう感じられたのだ。
 文字通り話にならない。アレに触れられたら最早絶対に逃れる事は出来ない。春香と二人がかりでも問題にすらならない。いや、多分それ以上だろう。
 彼は千早を、春香を、全く対等の相手とみなしていなかった。それは傲慢故ではなくそういう存在であるからで、充分な理由あっての行動だったのだ。
 千早は拳銃を持っていたが、これを手に取る事すら出来なかった。目の前に居た、じっと彼を見つめていたというのに、彼がどうやって千早を掴んだのか全くわからなかったのだ。
 そんなザマでは拳銃だろうとマシンガンだろうと、持っていた所で無意味だろう。正直な所、拳銃を当てたとしてもアレをどうこう出来る気がまるでしない。
 千早もまた、春香が襲われた無力感に苛まれる。
 これは錯覚ではない。過剰な自意識が反転したのでもなく、安楽を求める逃避でもない。それは純然たる事実で、千早も春香も圧倒的なまでに無力であるのだ。
 後はただ、蹂躙されるのみ。さっきそうされたように。
 思い出すだけで、悔しくて、情けなくて、惨めで惨めで仕方が無くて。
 何時しか千早も春香を抱いたまま、泣き出していた。
「春香、春香ぁ……」
 二人は店内の照明に照らされながら、お互いに抱き合ったまま、ただただ泣き続けるのだった。



 月山習は、バッグから取り出した地図を見ながら片眉をひねらせる。
「ん~。支給品云々の事考えたら、あの二人殺してもらっておいた方が有利だった、かな?」
 口ではそんな事を言いながらも、習はそうするつもりは全く無い。
 馬鹿真面目にこのルールとやらを踏襲する気も、殺し合いをして彼等を楽しませる気もない。
 だからこそ、食事とみなしておきながらあの二人を二人共生かしておいてやったのだ。それも、生命活動に全く影響が無いような形でだ。
 喰種としてはありえない程の厚遇だ。事情を他の喰種が聞いたなら、習はよほど人間が好きなのかと驚いたであろう。
 もちろん習は人間が好きな訳でも善意でそうした訳でもない。そも、善意を見せるなら保護してやるべきだろう。あの二人を放っておいたらほぼ間違いなく食われて死ぬであろうし。
 習はただただ単純に、今自分が食べたい部位以外を食べたくなかっただけだ。それが偶々、死なない場所だった。それだけの事。その上でわざわざ殺すのも面倒であるし、誰か他の喰種が見つけたのならソイツが残りを食べればお互いハッピーだろうとも思う。
 先に自分が推理したように、月山習はここを喰種の為の狩場であると考えている。
 であるのなら、無法を咎める者もおるまい。更に喰種同士の争いになるのなら、喰種対策局の事はそれほど考えなくてもいいだろうから、習は自分がかなり自由に動けるだろうとも考える。逆に、変に喰種対策局に気を遣ってはこれを仕掛けた奴等に遅れをとりかねない。
 おかげで習は、少し上機嫌でもあった。
 この首輪には心底から腹が立つが、それを抜きにすれば、こうして好き放題に人を食べて回ってもいい、というなかなかに無い環境は、少しわくわくしてくる所がある。
 まだずっと子供だった頃、世界は未知の美味に溢れていると、自分はそれをどう手にしようと誰にも止める事は出来ないと、無邪気に信じられた頃を思い出す。
 極自然な形で人間社会に溶け込んでいた月山習であったが、やはり彼もまた、人間社会に居る事でストレスを受ける部分があり、こうして開放される事を喜びと感じる、何処にでも居る普通の喰種な感性を持ち合わせてもいたのだった。




【D-8南部/黎明】
【如月千早@THE IDOLM@STER】
[状態]:奥歯を左右一本づつ抜かれた(痛みは薬でかなり緩和されている)
[装備]:グロック35(17+1/17、予備34発)@現実
[道具]:支給品一式、あんこう@現実、ガンプラ@現実 歯の痛み止めの薬(かなり効きます、凄いね現代薬学)
[思考・行動]
基本方針:絶対に三人揃って元の世界に帰る。
1:美希を探すため、人の集まりそうな場所(トロピカルランド)を目指す

【天海春香@THE IDOLM@STER】
[状態]:健康
[装備]:村正@現実
[道具]:支給品一式、ランダム支給品1~2(武器ではない)
[思考・行動]
基本方針:絶対に三人揃って元の世界に帰る。
1:美希を探すため、人の集まりそうな場所(トロピカルランド)を目指す


【D-8南部/黎明】
【月山習@東京喰種トーキョーグール】
[状態]:健康
[装備]:
[道具]:支給品一式、ランダム支給品1~3
[思考・行動]
基本方針:喰種同士で力を合わせて脱出する。
1:ヤモリと霧島董香に協力を持ちかける。
2:甚だ不本意ではあるがカネキ君には手を出さない。
※この殺し合いは他所の喰種達が娯楽の為仕掛けたものだと考えており、無理矢理さらわれた者の他に狩人が居てこちらを殺しにくると予想しています。


時系列順で読む


投下順で読む


002:真夜中の太陽 如月千早 043:蟷螂の斧
002:真夜中の太陽 天海春香 043:蟷螂の斧
GAMESTART 月山習 050:Darkninja Look before he leap

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2016年10月29日 23:29