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虚無界行-9 - (2007/12/09 (日) 22:04:09) のソース
ルイズは走っていた。ヴェストリの広場へと向かって。 一秒でも、早く・・・決闘を、南雲を止めるために。 ルイズに僅かに遅れて硬直から回復したキュルケが、追走しながら何か言ってくるが、今のルイズには届いていなかった。 (お前に何かができるのか?) (あの男に対して、お前一人で一体何が・・・?) 誰かの声が聞こえる。誰の?―――――ああ、それは明白だ。 『自分』の中から響いてくる声だ。 行くんじゃない、という心の叫び。 それは紛れもない本当の気持ちだと、ルイズ自身が一番良く分かっている。 それでも走ることを止めはしない。己の心を押さえつけ『恐怖』への反応を全て後回しにして。 (だって・・・・) (だって、あの男は私の―――――!) なぜなら、今自分の体を突き動かす感情・・・それもまた、紛れもない本当の気持ちであるのだから。 だから、ルイズは走る―――――たとえその願いが、不可能な事だとしても。 広場に到着。人ごみを掻き分け、前へ、前へ―――――! 最前列に出た。南雲とギーシュの姿が視界に入る。 ―――――地獄が始まる所だった。 地面に盛大に叩きつけられたギーシュは、かつて経験したことの無い苦痛に顔を歪め、それでも必死に耐えていた。 「・・・・!!」 何とか声を出そうとするも、ヒューヒューと壊れた笛のような音を出すのが精一杯であった。 だが、相手も・・・・南雲も気は済んだのではないか?骨を折られ、杖を失い、自分はもう戦えない。 完全に圧倒し、打ち倒した相手をこれ以上は・・・、そんな考えはすぐに吹き飛ぶこととなる。 ドスッ。 自分の右足に打ち込まれた再度の衝撃と、続く激痛によって―――――。 「っっっ!!!」 パクパクと、酸欠のように口を動かす。まだ声は出ない。 足を見る。右足・・・・それが、あらぬ方向へと曲がっていた。 ―――――痛い。 次にギーシュは、またも宙を舞った。 脇腹に叩き込まれた蹴りは、肋骨を何本か綺麗に折った。狂ったように咳き込むも相変わらず声は出ない。 ―――――痛い。痛すぎる。 次は顔面に靴裏が来た。絶妙な力加減を加えられたそれは、ギーシュの鼻骨をへし折り、続いて歯を折り、そして脳を揺さぶった。 小さな噴水のように、血反吐が吐き出された。 ―――――あ、あぁ・・・。 次の腹への蹴り下ろしは、骨の破壊よりも内臓への衝撃に重点が置かれていた。 それは、的確に全ての臓器をシェイクし、先ほどよりも大きな噴水をギーシュの口から吐き出させた。 構成物質は、食べたばかりの昼食と、僅かな血であった。 その後。膝・・・脛・・・掌・・・肩甲骨・・・肋骨をもう一本。 ―――――もう・・・。 ―――――もう嫌だ、止めてくれ・・・。 ズガッ。 またしても、宙を舞うギーシュ―――――人の肋骨は二十四本だが、今はもう無事なものの方が、少ない・・・。 ―――――殺して、くれ・・・。 嗚呼、ギーシュ・ド・グラモンよ。 まさか・・・・まさか、己の使役するゴーレムを羨む瞬間が来ようとは。 一瞬の内に首を断たれ、人間だったなら苦痛も無きまま死んでいったであろう、ワルキューレ達を。 普通、体にこれほどのダメージを与えられれば「もう精神が耐えられない」と脳が判断し、自己防衛のため体の電源を落とす・・・すなわち気絶するであろう。 それでなくば発狂するか・・・・死ぬか、だ。 ギーシュはそのいずれでもない。 いや、意識はすでに何度も飛びそうになっているが、その都度絶妙なタイミングで衝撃と激痛が襲ってくるのである。 それは、己の意識を、精神を無理やりに覚醒させるのだ。 ―――――そして現実へと留まり、苦しみぬかなければならぬ。 南雲よ。お前がギーシュへと抱いた憎悪は、そんなにも深かったのか。 人体を知り尽くした知識に、超人の技を駆使してまで、痛めつけ続けねばならぬほどに。 南雲を指して『人でなし』と糾弾するのは簡単だ。では、人で無いなら彼は『何』だ? 『鬼』か?いや『人』が『鬼』を内包しているのならば、それも少し違う。 ―――――南雲の全身より立ち上ったモノを感じたならば、一つの解が思い浮かぶ。 純粋なる憎悪が超人の鬼気と混じりあい、更にルーンによる奇妙な出来事によって止め処も無く広がり、いまや広場中を満たしているそれを。 見物の生徒たち殆ど全ての肉体と精神を、凍りつかせて指一本動かせぬようにした、それを。 痛めつける中に、歓喜や愉悦を挟むことも無く・・・ただ純粋に『破壊』という行為のみに己の力を注ぎ込むのならば。 人を超えた力でもって、その行為をひたすら繰り返すのならば。 称する言葉は多くは無い。 『破壊神』もしくは・・・『鬼神』。そうとでも表現するほか、無いだろう。 ならば凄惨なこの状況を、生徒の誰も止めぬのも納得できる。 鬼気に飲み込まれているというだけでは、ない。 ―――――『人間』が、『神』を前にして何ができる? 倒れ付すギーシュは、服のあちこちが汚れ、破れ、手足があらぬ方向を向いている。 壊れたマリオネットを思わせる五体はしかし、人間の証拠としてピクピクと痙攣していた。 だが今は『まだ』人間であったとしても、人間特有の事象が、『死』が、すぐ傍まで近づいているのは明らかである。 このまま放置すれば、遠からず『ヒト』から『モノ』への変化が完了する事だろう。 ―――――南雲が再度ギーシュへ歩み寄り、あと数歩の位置まで迫った瞬間であった。 「やめてっ!もうやめてっ!」 南雲とギーシュの間とに、割って入った者がいた。 この鬼神を呼び出した少女―――――ルイズであった。 「もう、いいじゃない!あなたの勝ちよ!これ以上やったら本当に死んじゃうわっ!」 叫んだつもりであるが、どれほど期待通りの声量が出たかは疑わしい。 だがその姿を、場の全ての人間が見つめていた。 南雲は珍しいものを見るような顔で、生徒たちは驚愕の表情で。 時と、空間とが、一瞬停滞したようになる。 南雲は幾分の思考の後、口を開く。停滞を動かす、その言葉は・・・ 「貴族は平民を殺しても咎められはしないが、平民が貴族を殺したなら例外無く死刑、という所か? そうなればお前にも少なからず火の粉が降りかかる・・・それが嫌なのだろう。 殺しはしない。そのつもりならもうやっている。 最も、五体満足のままとはいかんかもしれんが・・・・例えそうなっても、ベッドの上で何不自由なく余生を過ごせるだろう。 『貴族』ならば、な」 無慈悲を通り越し、無惨とも言うべき内容であった。 殺さなければ良いという問題ではない、などと当たり前の反論もなぜか飛んでこない。 放たれたその言葉の一言一句には、自分達の拠り所である『貴族』の何をもってしても、変える事は出来ぬと思わせる何かが含まれていた。 この男は一体何だ―――――それはすでに明らかだ。 『人間ごとき』の威光が、命令が、力が・・・何ほどのものか? 『神』に対して―――――少なくとも、そのように思わせるだけの存在に対して。 道を譲るしかない存在・・・だが、この時は例外が存在した。 ルイズは・・・引かなかったのだ。 南雲は幾分煩わしそうに、再度口を開く。 「―――――どけ。正直な話、誰でもいい気分だ。お前が代わりになるか?」 憎悪の向きが変化し、ルイズへと向かう。 逃げることなど出来ない。たちまち囚われ、体が揺らぎ・・・・それでも退かない。 全身を震わせ、目には大粒の涙を浮かべながらも・・・まだ引かない。 貴族に生まれ育ったとはいえ、ごく普通の十代の少女であるルイズ。 驚嘆すべき神経であった。何が彼女を駆り立てる? 「なぜ庇う。お前はほかの生徒たちに蔑まれていた。 そこのギーシュとやらも、『[[ゼロのルイズ]]』と言っていたぞ。 自分を蔑む連中のために命を張ってもいいなどという、殊勝な考えの持ち主だったのか?」 弄うような調子・・・常の南雲らしからぬ事である。 だが少なくとも、まだ会話を続けるつもりではあるらしい。 だから、ルイズは・・・己の心の中をそのままに答えた。 「―――――分からないわ。たぶん私、自分で自分の気持ちが完全には理解しきれてない。 けど、私はギーシュに死んでほしくない・・・。 それに、あなたにも殺してほしくなんか無い・・・・。 『命令』なんかじゃあ、あなたに聞いてもらえる訳が無いわよね・・・。 でも、それでも―――――」 自分で自分の気持ちが分からない―――――真実であったろう。 だが、ルイズの体と口を突き動かすそれの本質は―――――、 「それでもこうやって、私の言葉に耳を傾けてくれるのなら―――――」 自身の命をかけてでも成そうとする、その貴き意志の源は―――――、 「『お願い』します・・・・殺さないで。もう、止めて・・・秋人」 それはきっと人間なら誰でも持つことの出来るもの・・・『愛』という心に、違いなかった。 傷つき倒れた者に対する、無限とも言うべき深い慈しみ。 誰かの手が血に染まることを悲しみ、それを止めようとする強き心。 それは、相手が命令も懐柔も効かぬ絶対者であるからこそ見出せた唯一の道であったのか。 ―――――いや、それは些細な事だ。 手を組み、膝をつき、南雲に向かって一心に言葉を紡ぐルイズのその姿は・・・、 まるで―――――『聖人』のようであった。 過ぎた時間は、永遠のようでいて実際にはごくわずかな間であった。 『鬼神』は・・・南雲秋人は『背を向けた』。 ギャラリーがどよめき、ルイズは瞑っていた瞳を開ける。 何時の間にか、広場を覆いつくしていた鬼気が、消滅していた。 「ゆ、許してくれる、の・・・?」 ルイズが掠れ声で問う。 南雲は振り向きもせずに答える。 「―――――手当てしてやれ。処置がよければ元に戻るかもしれん。 それから目を覚ましたら言っておけ。お前の二股で迷惑をかけた人間全てに謝っておけとな。 貴族の生徒のほうは別にどうでもいいが、シエスタが許すかどうかだ。 俺がどうするかはその後で決める」 ギーシュは既に意識を失っていた。 南雲が一度言った以上、これの続きが行われるかどうかはギーシュ次第という事だが・・・。 だが、とにもかくにも―――――この場での惨劇は回避されたと言っていい。 (ああ―――――良かった) ルイズは心の底からそう思った。 そうだ、お礼を言ったほうが良いわよね? 「あ、あり・・・が・・・」 言いかけて、ルイズは全身の力が抜けるのを感じた。 いまさらながら、全身を濡らす冷や汗を感じ取った。意識が遠のく。 後回しにしてきた『恐怖』への正常な反応が、纏めてやってきたのである。 「ちょっと!?ヴァリエール!?」 倒れる体を支えるため走り寄ってきたキュルケの事が、今だけはとても有り難かった。 シナイ山で啓示を受けたという賢人のごとく、南雲が行くのに先んじて2つに割れた 生徒達の間を通り抜け、南雲は最後に一度後ろを振り返った。 ルイズの傍にはキュルケが、倒れているギーシュの傍らには派手な金髪ロールの女性が駆け寄っていた。 ギーシュも、死にはしまい。まぁ―――――死んだなら死んだでその時の話だ。 また歩き始め、広場を後にする。当然ながらついて来るような物好きはいない。 南雲は歩きながら、自分の精神の動きを思い起こし、確認していた。 『誰でもいい』・・・それもまた、南雲の率直な気持ちであった。 異世界への召喚・・・仇との勝負に水を指されたということは、やはり彼の心中へ相当な負荷として残ったのか。 それが、シエスタとギーシュの一件を契機として解き放たれたのだろう。 あの時の激情は、我慢できなかった・・・・。 つまるところ、南雲のそれもまた八つ当たりに過ぎないと言っていい。ただし、常人とは桁が違っていたが。 冗談抜きで死人が出たとしてもおかしくなかった。 だが、ルイズのあの姿と声が、一時彼の全身を埋め尽くしていた、極めて禍々しい何かを奪い取っていったのである。 その働きがルイズと同じくはっきりとは理解できないまでも、不思議と不快ではなかった。 (そういえば、名を呼ばれたのはさっきのが初めてだったか・・・) ふと、禍々しさの消えた南雲の心に思い浮かんだのは、そんな些細な事であった。 場所は変わって、ここは学院長室。 壁の鏡を使い、一部始終を見ていたオスマンとコルベールは、しばし言葉を発することも無く沈黙していた。 「オールド・オスマン・・・あの平民、勝ってしまいましたが・・・・」 ようやくコルベールが口を開く。 その顔面に、涼しげな頭頂部に、透明な虫のように汗の粒がこびりついている。 自分の教える生徒達がまさに命の危機に瀕しているのを見ていたのである。当然であろう。 精々が5分と経たずに終わった決闘であったが、体感時間は軽く数倍あった。 「圧倒的じゃったな・・・というか勝負にもなっとらんかったぞ。何なんじゃあの男は」 答えるオスマンも、汗こそ浮かんではいないが、内心は焦りまくっていた。 ボロ雑巾のようにされたギーシュを庇いルイズが飛び出したのを見たときは、オスマンは自分が一蹴した秘宝の使用をも考えたのであった。 「『ガンダールヴ』・・・千人もの軍隊を一人で壊滅させるほどの力を持ち、あまつさえ並みのメイジでは全く歯が立たなかった、と・・・。 ゴーレムを倒した、あのような動き・・・見たこともありません! ギーシュ・ド・グラモンは一番レベルの低い『ドット』メイジではありますが、それでも―――――」 「メイジのレベルはともかく、金属をただのナイフで断ったのじゃ。 あの男の方が次元が違ったと考えるべきじゃろう」 「では、やはり彼は―――――『ガンダールヴ』・・・!?」 脅威よりも、学術的興味のほうが僅かに勝ったのか、少しずつ熱の入った調子で語るコルベール。 「オールド・オスマン。早急に王室に報告して、指示を―――――」 「いや、この件はしばらく他言無用じゃ。君もそのつもりでおってくれ」 「な、なぜです!?これは世紀の大発見ですよ!?」 落ち着き払っているオスマンへ、コルベールが問いかける。 「大発見だからこそじゃよ。暇を持て余している王室のボンクラどもに、『ガンダールヴ』とその主などというオモチャを与えてどうする。 まず間違いなく、戦争でもおっぱじめるじゃろうて」 「それは、確かに・・・」 「そしてまあ、間違いの可能性もまだ無いとは言えんし、謎も残る。 あの男の主は、ミス・ヴァリエールじゃったな?彼女は優秀なのかね?」 「はあ、正直あまり優秀とは・・・・しかし、相当な努力家であるというのは間違いありません」 「そうか・・・まぁそのあたりも含めて、今表沙汰にするのは拙速にすぎるというわけじゃ。違うかの?」 「確かに・・分かりました。当面は学院長の指示通りに他言無用とします」 「うむ、頼むぞ」 一通り話を終えると、コルベールはギーシュの容態確認と、そして騒ぎの収拾のために急ぎ学院長室を後にした。 それを見送ると、オスマン氏は杖を握って窓際へと向かった。遥かなる歴史の彼方へと、思いを馳せるために。 「伝説の使い魔『ガンダールヴ』。一体、どんな姿をしておったのかのう・・・」 第6章―――――了