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角のある使い魔 2 - (2008/02/05 (火) 16:41:48) のソース
さて、現在の刻限は朝である。 つまり、朝食の後には、授業を受けなければならないのだ。 気分を持ち直せたのはいいものの、この使い魔を伴ってそうすることを考えると、また気が滅入ってくる。 「着替え」 ルイズは気だるげに命じた。 だが、角女はルイズを見つめたまま――いや、 ルイズの手前の何もない中空をぼんやりと眺めやっていて、ぴくりとも動かない。 「はああぁ」 特大の溜息が漏れる……角女への怒りよりも、自身への呆れが勝ったのだ。 自分はまだ寝ぼけているのだろうか。 角女が小間使いの真似などできるはずもないことなど、ちょっと考えればわかるだろうに。 「『馬鹿なことを言ったわ』『こいつが言いつけに従ってテキパキ働けるわけないのよ』 『昨日は、椅子に座るだけでもあんなにとろとろしていたんだから』」 「いちいちうるさいわね」 軽い自己嫌悪の最中に、角女がわざわざ声に出してそれを伝えてくれたので、ルイズはムッと口を尖らした。 仕方なく――と言ってもこれまで毎日やってきたことなのだが、自分で着替えることにする。 制服は皺くちゃになってしまったので、クローゼットから予備のものを取り出した。 「ほら、あんたも一緒に来るのよ」 身繕いを終えたルイズは、角女をせっついて部屋を出る。 と、間の悪いことに、それとほぼタイミングを同じくして隣の部屋のドアが開いた。 中から、燃えるような赤毛の、背の高い女生徒が姿を現す。 ルイズの宿敵、犬猿の仲であるキュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーだった。 「あら。おはよう、ルイズ」 キュルケはこちらを見て、唇の端を吊り上げた。 それからルイズの背後に幽鬼のように佇んでいる角女を指差して、言う。 「あなたの使い魔って、それ?」 まったく馬鹿にしきった口調である。 第一、あの儀式の場でルイズを遠巻きに見ていた同級生たちの中にはキュルケもいたはずなのなのだから、 皮肉もいいところだ。 「……そのとおりよ」 仏頂面で応じて、ルイズはさっさと食堂に向かうことに決めた。 何か言い返してやってもいいのだが、 角女がいつルイズの心を読み上げ始めるかわからないのだ、気が気でない。 「あはははっ、すごいじゃない、[[ルイズ!]] ゼロの汚名返上ってところかしら?」 キュルケはそんなルイズの心のうちも知らず、弾けるような笑い声を上げる。 ルイズはますます眉間に皺を寄せた。 嫌味たっぷりに言われても、少しも褒められた気がしない。話を切り上げるべく、口を開く。 「あんたの話には付き合ってられないわ、ツェルプストー」 「そう言わないでよ。ねえ、フレイム」 キュルケがちらりと後ろを振り向くと、 その背後、ドアが開け放たれたままのキュルケの部屋から、のそりと火トカゲが這い出てきた。 「これって、サラマンダー……?」 「そうよー。あたしも昨日、使い魔を召喚したの。見て? この尻尾、素敵でしょう」 ルイズの呟きに、誇らしげに微笑むキュルケ。 ルイズは苦い顔になった。要するに、己の使い魔を見せびらかしたかったわけか。 ここまで大きな炎の尾を持つものはそうそういまい、おそらく火竜山脈のサラマンダーだろう。 メイジの実力をはかるには、まず使い魔を見ろ、という。 キュルケのサラマンダーは、その点、メイジにとって申し分ないと言えるだろう。 それどころか昨日召喚された使い魔たちをランク付けしたなら、五本の指のうちに入るに違いなかった。 昨晩、ルイズが絶望に暮れていた間、キュルケはルイズへの優越感にでも浸っていたのだろうか? そう考えると、胃の腑からむかむかとしたものが込み上げてくる。 「角女!」 ルイズは角女の腕を引っ掴んだ。 背丈はルイズよりも高いものの、その動作に抗いもしない角女は簡単に引きずられ、 よろめきながら大人しくルイズの前に出る。 「……? 何?」 突然のルイズの行動に、キュルケは目を瞬かせた。 「そそそ、それじゃあ、キュルケ」 笑おうとしたら、頬が引きつった。 「わ、私の、使い魔も、紹介してあげるわ。つっ、角女っていうのよ」 努めて穏やかな声を出しているつもりなのだが、どうしてもつっかえてしまう。 角女の痩せた背中を押して、キュルケの前に突き出す。 深い考えがあるのではなかった。 気まぐれに人の心を読むだけの角女が、己の思惑に沿ってくれるかもわからない。 ただ、無性に腹立たしかっただけだ。 キュルケも、自身の醜い心を暴かれたらいい。 そして少しはルイズが感じた苛立たしさや惨めさを思い知ればいいのだ―― そんな八つ当たりめいた、単純な思いからの行動だった。 「ふうん、角女ねえ」 困惑してはいるようだが、キュルケはきちんと目の前の角女と目を合わせた。 「……『少し変わってるけど、ちゃんと召喚できたんじゃない』」 「えっ?」 「『よかったわね、ルイズ』」 てっきり自分へのひどいけなし文句が飛び出してくるとばかり思っていたルイズは、 ぽかんとして、角女の後ろからキュルケを窺い見た。 キュルケは何が起こったのかわからないようで、目を丸くしている。 次いで、角女を見上げる。角女はじっとキュルケを見つめていた。 「『でも、落ち込んでるみたいね』『心配だわ』『いつもみたいに、発破をかけてあげなくちゃあ』」 「…………」 「…………」 ルイズとキュルケは、揃って黙り込んだ。 「キュ、キュルケ、あんた……」 沈黙を破ったのはルイズの方からであった。 角女が口にするのは、真実他人の心のみである。 そのことを昨日散々思い知らされたルイズにも、今の角女の言葉が意味するところをすぐには理解できなかった。 「……まさか、私を、励ましに来たの?」 普段の自分たちの関係からは、とても信じられない。 だが次の瞬間、ルイズはもっと信じられないものを目にした。 ――あのキュルケが、耳まで真っ赤になったのだ。 「なっ、ばっ、ちっ、ちちちち違うわよっ! わ、私が、ヴァリエールの女を? そんなわけないじゃない!」 勢い込んでまくし立てる。まるでルイズとキャラが入れ替わったようである。 キュルケも、言ってからそれを自覚したのだろう、ハッとなった後にわざとらしい咳払いをした。 「コホン! ……と、とにかく、変な勘違いしないでちょうだい」 「そ、そう。勘違い。そうよね、おかしいと思ったわ」 無理矢理感はあるが、いつものように澄ましてみせるキュルケに、ルイズも調子を合わせて頷く。 「『誤魔化さないと』『落ち着くのよ、キュルケ』 『今日だって本当は、昨日ルイズの様子がおかしかったから部屋から出てくるのを待ってたなんて』 『そんなことまでバレたら恥ずかしくて生きていけないわ』」 「…………」 「…………」 お互いの間に、再び幾秒かの沈黙が横たわった。 ややあって、キュルケは無言のまま踵を返す。 「いやあーっ!」 そして頭を抱えるように叫んで、廊下を駆け出して行った。 遅れて、その後をフレイムがちょこちょことした足取りで追いかけていく。 その尻尾が完全に廊下の角に消えてしまっても、ルイズはしばらく呆然としていた。 「ね、ねえ……」 やがて、ルイズが角女の服の裾を引っ張ると、角女はゆっくりとルイズに顔を向ける。 「角女。今の、本当なの?」 「『まさかね』『キュルケに限って』」 「わっ、私はね、あんたに聞いてるのよ! 答えられないの?」 無駄だとわかってはいても、つい語気を荒げてしまう。 「『でも、角女は心を読むだけしかしないわ』『こんなふうに』『嘘はつかない』」 「そう、だけど。でもキュルケが私を……し、し、しんぱいだなんて、そんなことあるかしら」 ルイズはさらに言葉を重ねようとして、しかしかぶりを振った。 角女相手だと、会話ではなく単なる自問自答になってしまう。 ルイズは腕組をして、一人考えた。 言われてみたら、キュルケの態度は他の皆とは少し違っている……ような、そうでないような。 少なくとも、魔法の失敗に対して罵倒に近いような野次を飛ばすことはしないわね。 でも、この前は、爆発に巻き込まれてキーキー怒ってたし、これだから[[ゼロのルイズ]]はって言われたし。 でもでも、どこかのかぜっぴきがする侮辱に比べたら、かわいいもの、とも言えなくはない、わよね? ルイズの思考はぐるぐるしだした。 しかも角女がそれを読み上げるものだから、さらに混乱に拍車がかかった。 「でもでもでも、キュルケの言葉に傷ついたことだって、一度や二度じゃないのよね」 知らず、ルイズは考えたことをそのまま声に出して言い始めていた。 「『まったく、紛らわしいんだから』『どうせなら、もっとわかりやすく励ましなさいよ』」 「そうよ! ほんと、そのとおりよね! そしたら、私だって、私だって――」 「……ミス・ヴァリエール?」 「きゃああああっ!?」 声をかけられて、ルイズは大げさな悲鳴を上げた。 振り返ると、学院のメイドが立っている。 「あっ、も、申し訳ございません! 驚かせてしまいましたでしょうか……」 メイドはルイズの悲鳴に一瞬固まったが、すぐに慌てふためいて頭を下げた。 「お、驚いてないわよ。ええ、全っ然驚いてないし、ツェルプストーのことなんか考えてないわ」 ルイズは平静を装ったが、 「『聞かれた?』『聞かれたかしら、今の?』『いやー!』『と言うか、私だってって何よ私!?』」 角女に台無しにされた。 「ううう、うるさいわよっ、角女!」 顔を赤くして使い魔を叱り付けるルイズ。 「あ、あの……ミス・ヴァリエール」 おずおずと口を挟んでくるメイドは、よく見れば、見覚えのある顔をしている。 ああ、いつも洗濯を頼んでいるメイドだ。名前は何といったか。 そして、ルイズはここが女子寮の廊下で、自室の真ん前であることを思い出した。 「洗濯物ね?」 横によけて、道をあける。 勝手に持って行っていいと言ってあるのだが、 今はルイズがドアを塞いでしまっているから、立ち往生してしまったのだろう。 「いえ、それもあるのですが……」 「何?」 「お食事はもうお済みになったのですか?」 「!!」 忘れていた。 一体どのくらいの時間、ここで呆けていたのだろうか。 今から走っていけば、まだ間に合うかもしれない。それと、鈍くさい角女を置いていけば。 少し考えて、ルイズはそうすることに決めた。どのみち、食堂には角女の分の食事はないのだ。 「あなた、角女――私の使い魔の食事を頼める? 多分、人間と同じものを食べると思うけど」 ルイズが言うと、メイドは珍しそうに角女をチラとだけ見て、それからルイズに向き直った。 「はい。賄い食でよければ、お出しできますわ」 「それでいいわ。私、急ぐから、代わりに厨房まで連れて行って」 「かしこまりました」 メイドの返事に満足して走り出そうとしたルイズは、ふと、その寸前で足を止めた。 「あなた……名前は何だったかしら?」 それは、貴族の例に漏れず平民を見下している常のルイズならば、決して口にすることのない質問だった。 一介のメイドの名など気にしたこともないし、現にこれまで尋ねたこともない。 「えっ、私ですか?」 案の定、シエスタもびっくりした顔をして、聞き返した。 「他に誰がいるのよ」 「は、はい、申し訳ございません――私は、シエスタと申します」 「シエスタね。そいつ、むちゃくちゃ扱いにくいから、よろしくね。先住魔法を使うけど、無害よ。たぶん」 「たぶん、ですか……」 やや青ざめた顔で、角女を見上げるシエスタ。 ルイズは今度こそ駆け出した。 その際に、角女がシエスタに何か告げているのがちらりと視界に映ったが、 気立てはよさそうだし、まあ、読まれても大丈夫だろう。 ギリギリで朝食にありつけたルイズが、無事食事を済ませ、アルヴィーズの食堂を後にしようとすると、 入り口のところでキュルケが待ち構えていた。 「ルイズ」 「……ど、どうしたのよ、キュルケ」 どことなく気まずい。視線が合わせられずに、ルイズは目を泳がせる。 一方で、キュルケはまるでけろりとしている。 あれの後で、よく何事もなかったかのように声をかけられるものだ。ルイズは妙なところで感心した。 「さっきは、ちょっとだけ、取り乱しちゃったわね」 「ふーん。ゲルマニアでは、悲鳴を上げて遁走することをちょっとだけって表現するのね」 「…………」 キュルケは無言で眉を吊り上げた。 ルイズは何だか、面白くなる。あのキュルケを、自分が翻弄しているのだ。 キュルケがいつも突っかかってくるのは、もしかしたらこういう動機があるのかもしれない。 「やっぱり、私の口からちゃんと言っておこうと思ったのよ」 キュルケはルイズの茶々を無視して話を推し進めることにしたらしい。 「言っておくって、何をよ?」 「つまり、……さっきの、アレよ」 「アレじゃわからないでしょ。はっきり言いなさいよ」 ついいつもの癖で、口調が喧嘩腰になってしまう。 ふう、とキュルケは溜息をついた。 「じゃあはっきり言うわ。――召喚おめでとう、ルイズ。よかったわね」 「え」 平然としているように見せて、相当に恥ずかしかったのだろう、 「それだけよ。じゃあお先に失礼」 瞠目しているルイズを置いて、キュルケはさっさと食堂を出て行こうとする。 昨日までのルイズだったら、キュルケの言葉は「ゼロのルイズ」への侮辱に等しい同情なのだと、 そういうふうに受け取っていたかもしれない。 ルイズの心を読み上げる角女が口にした言葉は、刺々しい、ひどい文句ばかりだった。 己の心があんな醜いものに満ち満ちていることに、ショックを受けた。 それと比べて、どうだろう。 先ほど角女が告げたキュルケの心のうちは。 羨ましい。そして悔しい。自分が持っていないものを、すでに得ているキュルケが。 でも、だったら、正せばいいのではないか? 鏡を見て、身だしなみを整えるのと一緒だ。 決意する。 ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは、今日から変わろう。 きっと、己に恥じない生き方ができる者こそを、真に貴族と呼ぶのだろうから。 「あ、ありがとう……」 その背中に投げかけられたルイズの声は、そう大きいものではなかったのだが、 キュルケの耳にはしっかり届いたらしく、キュルケは心底意外そうに振り返った。 「いやに素直じゃない。嵐でも来るんじゃないかしら」 「ふ、ふん。嵐が来るんだとしたら、あんたのせいでしょう、ツェルプストー」 ルイズはむきになって言い返した。 「あんたのうろたえようったら、なかったわ。あの姿、末代まで語りついであげる」 「何ですって」 「何よ」 二人はもう、いつもどおりだった。 ただ違うのは、ルイズは必要以上につんけんしておらず、 キュルケはどことなく楽しそうにしているのを隠しもしていないというところだ。