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IDOLA have the immortal servant-09 - (2008/10/05 (日) 14:40:46) のソース
#navi(IDOLA have the immortal servant) ギーシュはモンモランシーの部屋で、必死に彼女を口説いていた。 モンモランシーの容姿を薔薇に例え、水の精霊と並べ立て、およそ思いつく限りの美の表現で誉めちぎった。 トリステインの女貴族は外国人にしばしば高慢と自尊心の塊だと言われる。 モンモランシーもその多分に漏れず、おぺんちゃらは嫌いではないのだが、思わず逃げ出してきた図書館の顛末が引っかかっていて、折角のギーシュの口説き文句も右から左へ抜けていく状態であった。 そのモンモランシーの物憂げな表情を、誉め言葉が足りないのだと判断したのか、ギーシュは更に頭をひねる。 ギーシュが言葉を続けようとしたその時、勢い良く扉が開け放たれ、室内に桃色の旋風が飛び込んできた。 部屋の中を行ったり来たりしながら今まさに改心の口説き文句を述べようとしていたギーシュがそれに巻き込まれ、跳ね飛ばされて床に転がった。 「な、なんだ! きみはぁ!」 それは薄笑いを浮かべるルイズだった。表情は笑っていても目は据わっている。何故だか分厚い本を手にしていた。異様な迫力を感じたのか、ギーシュは二の句が継げなくなる。 モンモランシーは心当たりがありすぎて、引きつったような表情を浮かべていた。 「ルイズ。少し冷静になってここは穏便にだな」 フロウウェンが遅れて入ってくる。 決闘の時以来だったギーシュの顔は、いきなりの遭遇に少し青褪めた。 「モンモランシィィ?」 「なななな何かしら?」 ルイズに詰め寄られて必死に平静を装おうとするが、モンモランシーの声は上ずっていて、目は宙を泳いでいる。 「あなた、何かわたしとヒースに言うことがあるんじゃないの?」 そういって、ルイズは香水壜を突きつける。動かぬ証拠であった。 「やめたまえ[[ルイズ!]] 僕のモンモランシーが君に何をしたというんだ!」 「ギーシュは黙っていて」 「そうはいかな――」 と、そこまで言ってギーシュはモンモランシーの様子がおかしい事に気がついた。 唇を噛み締め、渋面を浮かべている。 「モンモランシー? なにかあったのかい?」 「あ、あれは事故よ! 不可抗力だわ! まさか丁度人が……ミス・ロングビルが下にいて、あんなことになるなんて、思わなかったの!」 耐え切れずにモンモランシーは叫んだ。そして、ギーシュに指を突きつけて言う。 「だいたいねえ! あんたが悪いのよ!」 「ぼ、僕がかい!?」 さっぱり訳の分からない内に矛先が向いてきてギーシュは狼狽した。 「あんたがいっつも浮気するから……!」 馬鹿をやったものだ、とモンモランシーは苦々しく思った。 元々、陳列棚に入れてコレクションとして眺めて楽しむだけの代物だったはずなのだ。 完成に浮かれて、持ち歩いたまま出歩いたこと。 自分でも大概馬鹿をやったとは思うが、元はといえば、ギーシュが浮気などしない誠実な男なら起こりえなかった事故だ。 「モンモランシー。これは惚れ薬ね?」 「ほれぐすりぃ!?」 ルイズの言葉にギーシュが頓狂な声を上げる。慌ててモンモランシーがその口を手で塞いだ。 「大きな声出さないで! ……禁制の品なんだから」 「ギーシュに使うつもりだったのね……」 厭きれたとばかりに、ルイズは溜息をついた。 「モンモランシー……そんなに僕のことを」 ギーシュはやや感動した面持ちで頬を染め、モンモランシーの手を取る。 「ち、違うわよ! 最初はただのコレクションのつもりで……! ああ、もう! ともかく浮気されるのがイヤなだけなの!」 「僕が浮気なんかするはずないじゃないか! 永久の奉仕者なんだから!」 などと、自分の先日の行動も忘れて口走るギーシュ。 「あとにしなさいっ!」 いちゃつく二人にルイズが割って入る。 「君も無粋だな、ルイズ」 「ともかく! すぐにでも解除薬を作ってもらうわ。出来るんでしょう?」 ギーシュを無視してルイズが詰問する。 「そ、それが、その……水の秘薬が必要なんだけど、ほ、ほら。わたしが買ったので、最後だったみたい」 しどろもどろに答えるモンモランシーに、ルイズの表情が曇る。 「水の秘薬? よりにもよって!?」 ルイズは頭を抱えた。自分も今朝方、最後の秘薬をマグに食べさせたばかりであった。 「何だ? それほど貴重なものなのか?」 「そう。ないのよ。水の秘薬。お金があっても無理」 「何故だ? この間まで買っていただろう」 事情を知らないフロウウェンが尋ねると、ルイズは言った。 「水の秘薬っていうのは、ラグドリアン湖の水の精霊からもらってるって話なの。けれど最近、その水の精霊と最近連絡が取れなくなっちゃったらしいの。つまり秘薬を手に入れることはできないわ」 「薬の効果が自然に切れるのは?」 フロウウェンが聞くと、モンモランシーは視線をあらぬ方向へ泳がせる。 「い、一ヶ月から一年ぐらいかしら」 フロウウェンは眩暈を覚えた。時間による解決は望むべくもない。あの状態のフーケを放置しておくのは色々な意味で致命的だ。 惚れ薬と聞いて、毒や体内の異常を中和するテクニックであるアンティを後で試して見ようと思ったが、多分効果が出ないだろうとも考えていた。 一ヶ月から一年という効果の長さを聞く限り、つまりそれだけ強力な薬だということだ。 応急治療としての意味合いが強いアンティでは、治せない公算が強い。事実、モンモランシーの作った惚れ薬は、科学的薬物というよりは精霊の力の宿る魔法薬の類であった。 「いいじゃないか。ミス・ロングビルのような美人に惚れられて困るようなことは……ああ、いや、うん。本人の意思を無視するのは良くないな。うん、良くない」 言いかけてルイズとフロウウェンに睨まれ、ギーシュはくるりと転身した。 「要するに……そのラグドリアン湖とやらにこちらから赴き、水の精霊と直接交渉すればいいのだろう」 「ええ!? 水の精霊は滅多に人前に姿を現さないし、とっても強いのよ! 怒らせたら大変よ!」 「ただ待っているわけにもいかないのでな」 「モンモランシー? 他人事だと思ってるようだけど、どう考えてもあなたの責任だし、あれは禁制の品なのよ? ミス・ロングビルがあのままでいて、もしバレたりしたら……」 ルイズの言葉にモンモランシーは顔を青くした。 「わかったわよ! わたしも行けばいいんでしょ! もう!」 「安心してくれモンモランシー。僕も行くよ。例え何があっても僕は君を守る!」 危険だと聞いて、ギーシュもモンモランシーに着いていくことにしたらしい。 「気休めにもならないわ。あなたよわっちいし」 それから四人は打ち合わせをした。 出発は早い方がいい。明日の早朝ということになった。フーケも放置すると何をするかわからないので一緒に連れて行くことにした。 「やれやれ……」 フロウウェンは大きく溜息をついた。ハルケギニアに来てからというもの、やけに女難……というか、そういう気苦労が絶えない気がする。 ルイズ一行は馬を使ってラグドリアン湖へと向かった。 先頭を行くのはギーシュとモンモランシー。それぞれ葦毛の立派な馬に跨っている。少し後ろをフロウウェンとフーケが横並びに。最後にルイズ、という形だ。 どうも先日の焼き直しのような形だ。キュルケの役回りがフーケと入れ替わった格好だが、フーケがフロウウェンに何事か楽しそうに話しかけるたびに、ルイズは顔色と表情がくるくると面白いほどに変化していた。 と言って、二人の間に割って入ろうとするとフーケは巨大ゴーレムでも作り出すような勢いで暴れそうになるのである。ギーシュとモンモランシーの目もあるので迂闊な事は出来ないというジレンマに陥っていた。 一方のフロウウェンはというと、適当に受け答えしながらフーケをあしらっていた。 と、その内に悲しそうな顔を浮かべたフーケが言う。 「ヒースは私の事を血も涙もない悪党だと思っていらっしゃるのね。だから私に冷たいんだわ」 「そういうわけではないが」 フーケ、というよりミス・ロングビルの口調で彼女は続ける。 所謂「営業用」なのだろうか、とフロウウェンは思いあぐねた。 オスマンもこれで口が軽くなったのかもしれない。なるほど、淑女のように振舞う彼女は盗賊とは思えない高貴さを漂わせていた。 フーケの捜索に出た時、馬車の上でキュルケと交わした会話では「貴族の名はなくした」と言っていた。 メイジである以上、元貴族という部分に偽りはないだろう。素の彼女の一部でもあるのかもしれない。寧ろ、盗賊の彼女こそが、後から身につけた仮面なのだろう。 それを裏付けるかのように、彼女は貴族への恨み言を口にした。 「私は貴族が嫌いなだけなの。アルビオンの王家が私達に何をしたか」 フロウウェンは話題の雲行きが怪しくなってきたので彼女の手首をそっと取って、それを制した。 「……もう止めておけ。オレに心の内を吐露したいと思うのは本心ではないだろう」 「でも」 「すまなかった。決して嫌っているわけではない」 なおも言い差そうとするフーケを引き寄せる。彼女はされるがままで上体をフロウウェンに預けた。 フーケの場合は恐らくだが、こうして身体を一時預けるよりも、己の心情を晒す方が辛いに違いあるまい。そして、自分はフーケに内心を明かしてもらえるような間柄ではないはずだ。 だから彼女と距離を取ることで、フーケが自分の事を理解してもらおうとして自分について踏み込んだ話をしてしまうより、こうすることで「今の彼女」が満足するなら、そちらの方がいい。 「あなたは……お父様に似ているわ……」 目を閉じてフーケは呟いた。 やがて一行は小高い丘陵に差し掛かる。それを越えると、ラグドリアン湖の青く輝く湖水が眼前に広がった。 「これが音に聞こえたラグドリアン湖か! いやあ! 噂以上の奇麗な湖だな! ここに水の精霊がいるのか! 感激だ! イヤッホォォォゥ!」 一人だけ旅行気分のギーシュが嬉しそうに馬の腹を蹴って丘を駆け下りていく。馬が水を嫌がって急に足を止め、ギーシュは馬上から投げ出されて湖に落ちる。派手な水しぶきが上がった。 「背が立たない! 背が! 溺れるうぅぅぅぅうう!」 必死の形相で助けを求めるギーシュに、思わずフロウウェンは小さく笑った。 そしてそれから、馬から降りてロープを投げてやる。 「やっぱりつきあいを考えた方がいいかしら」 「バカだしね」 「ええ。バカね」 ルイズとモンモランシーが頷きあう。 「ハァ、ハァ。た、助かったよミスタ・フロウウェン」 モンモランシーは濡れ鼠になったギーシュを無視して湖面を見やって言った。 「本当。確かに水位が上がってるわね。ラグドリアン湖の岸辺はずっと向こうだったのに」 モンモランシーが「ほら」と指を指した先には、波打ち際のすぐそば藁葺きの屋根の屋敷があった。湖底に沈んだ家屋も見て取れる。 それから馬を下りて波打ち際に手をかざす。 「水の精霊は怒ってるみたいね」 「ほう。それだけで解るのか」 「わたしは『水』の使い手。香水のモンモランシーよ。ラグドリアン湖の水の精霊と、トリステイン王家は旧い盟約で結ばれているの。その際の交渉役を、『水』のモンモランシ家は何代も務めてきたわ。 今は……色々あって他の貴族がその役なんだけれど……」 そこまで言った所で老いた農夫らしき男が木陰から姿を現した。 「もし、旦那さま。貴族の旦那さま」 農夫は話しかける事も恐れ多い、と言った様子だったが、それでもおずおずと前に出てくる。 「どうしたの?」 「旦那さま方は水の精霊と交渉に来られた方々で? いえね、早いところ、この水を何とかして欲しいもんで」 モンモランシーはルイズと顔を見合わせる。 「わたしたちは……その、湖を見に来ただけなの」 モンモランシーが当たり障りのない言葉で茶を濁した。 「さようですか……領主さまも女王さまも、こんな辺境の村など目に入らんのですかのう……」 農夫は深い溜息をついた。 「ラグドリアン湖に何があったの?」 ルイズが尋ねると、 「増水が始まったのは二年程前からでさ。ゆっくりと水は増え、船着場が沈み、寺院が沈み、畑が沈み……ごらんなせえ。次にはわしの家まで今にも水没しそうになっているという有様です。 領主さまはご領地の経営より宮廷でのお付き合いの方に夢中なようで、わしらの嘆願もなしのつぶてでして……」 と、農夫は泣き崩れた。 それからしばらくの間、愚痴をこぼし続ける。言いたいことを好きなだけ言うと満足したのか、農夫は自分の家へと戻っていった。 モンモランシーは農夫の後ろ姿を見送って小さく溜息をつくと、腰につるした袋から黄色い物体を取り出した。艶やかな黄色に、黒い斑点を散らした、それはカエルであった。 「えうあ」 カエルが苦手なのか、ルイズは奇妙な声を上げて後じさった。 「な、何よその毒々しい色のカエルは!」 「毒々しいなんて言わないで! わたしの大事な使い魔なんだから!」 モンモランシーは指を立てて、使い魔に命令をする。 「いいこと? ロビン。あなたたちの古いおともだちと、連絡が取りたいの」 ポケットから取り出した針で自分の指先を突く。その血を一滴カエルに垂らす。傷を魔法で塞ぐと、カエルに言った。 「これで相手はわたしのことがわかるわ。覚えていればの話だけど。じゃあ、ロビンお願いね。偉い精霊。旧き水の精霊を見つけて、盟約の持ち主の一人が話をしたいと告げてちょうだい」 カエルは頷くと、モンモランシーの手から跳ねて、湖面へ飛び込んだ。とぷん、と水面を叩く小気味のいい音だけ残して、ロビンは群青を湛える湖底へと消えた。 「モンモランシーは水の精霊と会ったことがあるのかい?」 シャツを脱いで、扇いで乾かしていたギーシュが尋ねる。 「小さい頃に一度だけね。領地の干拓を行う時に水の精霊の協力を仰いだのよ。父上が機嫌を損ねて、干拓事業は失敗しちゃったけど……」 モンモランシーの水の精霊の話に一同が耳を傾けていると、水面が輝き始めた。 「来たわ」 岸辺から三十メイルほど離れた位置の水面が、生物的に蠢いた。それから、見えない力で上に引かれるように水面が盛り上がり、粘土でも捏ねるように様々に形を変える。陽光を反射して七色に輝いた。 ルイズも実際に見るのは初めてだったが、どうもあの悪夢を思い出してしまう。フロウウェンも微妙な表情を浮かべてそれを眺めていた。 湖からロビンが戻ってくる。モンモランシーはしゃがんで使い魔を迎えた。頭を撫でて手に乗せた使い魔の仕事を誉めると、 それから立ち上がって水の精霊へと向き直る。 「わたしはモンモランシー・マルガリタ・ラ・フェール・ド・モンモランシ。水の使い手で、旧き盟約の一員の家系よ。カエルにつけた血に覚えがおありかしら。覚えていたらわたしたちにわかるやりかたと言葉で返事をしてちょうだい」 その言葉に水の精霊が更に形を変える。不規則に蠢いていたそれは段々と形を整えて、やがてモンモランシーそっくりの姿となって微笑みを浮かべ、また表情を変える。 人間の喜怒哀楽の表情を確かめているのだ。モンモランシーの言うところの「わかるやりかた」というのは自分の感情を人間の表情で伝える、ということなのだろう。 やがて一通りの“おさらい”が終わったのか、水の精霊の相貌は無表情で固定された。 人の姿をして、人と同じような表情を造っても、まるで異質だとフロウウェンは感じた。 異なる尺度。異なる時間。異なる価値観で生きる存在。目の前にいるのはそれだ。そういうモノに一度は取り込まれたフロウウェンだからこそその異質さが解った。 「覚えている。単なる者よ。貴様の身体を流れる液体を、我は覚えている。貴様に最後に会ってから、月が五十二回交差した」 「よかった。水の精霊よ。お願いがあるの。厚かましいとは思うけど、あなたの一部を分けて欲しいの」 水の精霊はにこっと笑うが口にした言葉は拒絶だった。 「断る。単なる者よ」 どうやらその笑みは、盟約を交わしたものへの社交辞令や礼儀の類だったらしい。 「そりゃそうよね。残念でした。さ、帰りましょう」 モンモランシーはあっさりと引き下がろうとするが、フロウウェンとしてはそうもいかない事情がある。 フロウウェンが一歩前に出て、恭しく跪いた。その一歩後ろにフーケが付き従う。 「お呼び立てした無礼をまずは謝りたい。水の精霊よ。我が名はヒースクリフ・フロウウェン」 水の精霊はフロウウェンの姿を認めると、ふるふると姿を変える。 「どうか我が願いを聞き届けていただきたい。『水の精霊の涙』を分けてはいただけないだろうか。その見返りとして、貴方が臨む願いを叶えることを誓おう」 水の精霊が再び人間の姿に戻った時、その貌に張り付いていた表情は“困惑”であった。 「連なる者よ。我は貴様に命じることなど叶わぬ。また、貴様がそう望むならば阻むこともできまい」 そうしてまた、水の精霊はぐるぐると形を変える。 「連なる者……?」 ルイズとモンモランシーが怪訝そうに眉を顰めた。 「……命令でなくば、今の貴方の悩みや願いを聞かせてもらうだけでもいい。オレはその解決をもって、その身を分けてもらうことへの見返りとしよう」 フロウウェンは一瞬表情を曇らせたが、その言葉への追究ではなく、精霊に話を合わせることを選んだ。それは、より対等な立場に立った言い回しだった。 「よかろう」 暫く不定形の姿で蠢いていたが、やがてモンモランシーの姿を取る。今度は、無表情だった。 「我は今、単なる者どもの同胞に襲撃を受けている。我は水位を増やすことに手一杯で、襲撃者への手が回らぬ」 「襲撃者? 彼らは何時、どこに現れる?」 「単なる者どもがガリアと呼ぶ土地より、夜更けに現れる。毎夜我が領分へと踏み込んで、我が体を削っていく」 「水の精霊の領分って?」 ギーシュの小声の問いに、モンモランシーが答えた。 「湖底の奥深くよ」 一行は水の精霊に教えられたガリア側の岸辺で襲撃者を待ち伏せることにした。 フロウウェンは折角なのでギーシュに体術や陣形の重要性を説いていた。ルイズやモンモランシーと話をしようとするとフーケの機嫌が悪くなるのだ。とりあえずギーシュと話をしている分には、寄り添っていられれば満足するらしい。 トレードオフでルイズの機嫌が悪くなるのだが、これは今しばらく我慢してもらう外にない。 「では、ミスタ・フロウウェン。貴方は僕に平民の武術や戦術を学べというのかい?」 「平民と侮ったものでもあるまい。ゴーレムにできることは白兵戦だ。ならば技術的にも応用が利くことは多い」 「なるほど……」 「操る者が体術に習熟すれば、相対した者が何をしたいのか、どう動きたいかという事にも察しがつく。 そうすれば読みも早くなる。恐れも疲れも痛みも知らず体術と陣形に明るい。しかも一つの統率された意思の下に動く一団。これはかなりの脅威だぞ」 「そ、そうか。僕って実はすごいのか! そうなんだな!」 景気付けなのか、ギーシュは持ってきたワインをがぼがぼと音を立てて呷った。かなりメートルが上がっているようだ。 フロウウェンにしてみると、これから戦地に赴く新兵を見ている気分だ。こうやって気を大きくしないと居ても立ってもいられないのだろう。 「でも、どうやって湖の底までいくのかしら。確か……水の精霊は、相手が水に触っただけで心を奪えるのよね?」 ルイズがモンモランシーに尋ねる。 「よく知ってるわねルイズ。ええ。その通りよ。……多分、風の使い手じゃないかしら。空気の球を作って、それで湖底まで行くのね」 「危ないわね。それで水の精霊と戦うなんて。少しでも集中が乱れたらお仕舞いじゃないの」 ルイズは眉根を寄せた。 「他に攻撃に回る者がいるのかもしれんな」 独りごちるように言うフロウウェン。 「水の精霊は体を削るって言ってたし……だとしたら炎の使い手が一緒にいるんじゃないかしら」 「相当な命知らずか、或いは腕に自信があるか。いずれにせよ油断できない相手だろう」 「わ、わたしやーよ。戦いなんて野蛮なこと」 「まだ戦いになると決まったわけではない」 「た、戦うんじゃないのかい?」 「理由があるだろう。考えられる所では水害に困った近隣の村の者がメイジの傭兵を雇った、とか」 「交渉次第では色々解決できそうね」 とルイズ。 「最初はオレ一人で前に出よう。皆は物陰に隠れていてくれ。交渉が決裂した時には、オレがこう、左手を上げる。合図をしたら『錬金』で動きを封じ、オレとワルキューレで突撃……と、こんなところか」 それから一時間も経った頃だろうか。岸辺に人影が現れた。 人数は二人。漆黒のローブを纏い、目深にフードを被っているので男か女かも分からないが、片方の背丈はかなり小さいことが遠目にも伺える。 そのまま物陰から出方を見ていると、岸辺に立って、呪文の詠唱を始めた。どうやら間違いないらしい。 フロウウェンは姿を隠しもせず、剣も抜かずに正面から歩いて近付いていった。 「すまないが、そこの二人」 まるで世間話でもするかような気軽さで二人に話しかける。 「っ!」 二人は一瞬身構えるもフロウウェンの姿を確認すると 「え!? どうしてここに!?」 と、片方が頓狂な声を上げた。その声は皆がよく知る声であった。 二人組がフードを取り払う。そこには見知った顔があった。 「キュルケ! タバサ!」 相手が顔見知りと知って戦う必要が無くなったので、一行は焚き火を囲んでお互いの事情を伺うこととなった。 キュルケとタバサが肉を焼き、ギーシュが楽しそうにワインをかっ食らっている。 フロウウェンはフーケにしな垂れかかられて動けないので、事情の説明をルイズとモンモランシーに任せて、木立に寄りかかっていた。 キュルケはその光景を見て目を丸くする。 「どうしちゃったの? ミス・ロングビルは」 「それなのよ」 ルイズが渋面で答える。地の底から響いてくるような、不機嫌そうな声だった。 「モンモランシーが作った惚れ薬を、誤って飲んじゃったの。それでフロウウェンを最初に視界に入れて……」 「なんで惚れ薬なんか」 キュルケがモンモランシーに視線を送ると、ばつが悪そうにそっぽを向いた。 「つ、作って見たくなっただけよ」 「全く、自分に自信のない女って最悪ね」 「うっさいわね! ギーシュはこうでもしないと病気が治らないのよ!」 「うーむ。元はといえば僕のせいなのか」 腕組みをするギーシュ。 「で、水の秘薬が惚れ薬の解除に必要ってわけ。でもブルドンネでは品切れで、ラグドリアン湖まで来たの。 秘薬を貰う為に水の精霊を襲っている相手を撃退するって約束しちゃったんだけど……二人はどうして水の精霊を襲っていたの?」 「それは……その、タバサの実家に頼まれたのよ。水の精霊のせいで水かさが上がっているから退治してほしいって」 正確には依頼元はガリアの王宮だった。 タバサは本名をシャルロット・エレーヌ・オルレアンという。現ガリア王、ジョゼフ一世の弟、シャルルの娘。 つまりジョゼフの姪に当たり、本来なら王族だがその権利は剥奪されている。 ジョゼフが即位と共にタバサの父、シャルルを暗殺したからだ。 シャルロットの母もまた、娘の命を庇う為に自らジョゼフ王と娘の眼前で毒を呷り、心を病んだ状態で床に伏せた。 タバサと名付けられた人形をシャルロットと信じ込みながら、今でも夢と現の狭間でシャルロットを守ろうとしているのだ。 それ以降、シャルロットは己をタバサと名乗っている。 ジョゼフ派は後顧の憂いを無くしたいと思っていたが、シャルル派の反発もあってタバサを表立って処刑するわけにもいかない。 だが、暗殺の危険は付きまとう。タバサは己を守る為に『任務』に志願した。例えば、単身で吸血鬼を相手にするような、命を落とす危険度の高い仕事だ。 王宮はこれを喜んだ。死ねばそれでよし。死ななくとも雑事は解決する、というわけだ。 タバサはこれを見事こなし、王家への忠誠の証を立てた。王宮はそれを受けてタバサにシュヴァリエの称号を与え、トリステインへ留学させることで厄介払いをしながらも、 事あるごとに王宮からの汚れ仕事を与えてこき使っている、という状況である。 今回もタバサには、水の精霊を討伐し、ラグドリアン湖の水かさを元に戻す為の任務に就くよう命が下った。 タバサはラグドリアン湖の水かさが増していることを聞いて母のことが心配になり帰郷しただけなのだが、王宮はタバサの動向を知ると、ついでとばかりに命を下してきたというわけだ。 それらのことを、キュルケはタバサと共に赴いたオレルアンの屋敷で、使用人から聞かされて知ったのである。 そんな親友の境遇をぺらぺらと話すわけにもいかず、キュルケはできるだけ簡素に事情を説明したのだった。 「それは困ったわね。退治しなければタバサの立つ瀬は無いし」 「水の精霊ともう一度交渉するしかあるまいな。土地が元に戻れば良いのだろう」 タバサは頷いた。 朝靄煙るラグドリアン湖。 モンモランシーは昨日と同じようにロビンを使いに立てて水の精霊を呼び出した。 「水の精霊よ。もうあなたを襲う者はいなくなったわ。彼との約束通り、あなたの体の一部をちょうだい」 モンモランシーが言うと、不定形の水の精霊は細かく震えた。体の一部が弾け、水滴のような何かがこちらに飛んでくる。 「うわっととと!」 ギーシュが叫んで、それを壜に受けた。それを見届けると、水の精霊は湖底へ帰ろうとする。 「待って! 聞きたいことがあるの!」 キュルケがそれを呼び止めた。 水の精霊はぴくり、と動きを止め、再び盛り上がってモンモランシーの形を取る。 「なんだ、単なる者よ」 「あなたはどうして水かさを増やすの? できれば事情を説明して欲しいのだけれど。あたし達にできることなら、解決に当たるわ」 キュルケの言葉を受けて、水の精霊は様々に形を変えた。恐らくは、それが感情の表れなのだろう。迷っている、と一行には見えた。 「お前たちに任せてよいものか、我は悩む。しかし、お前たちは我の願いをかなえた。信用して話してもよいことと思う」 一行は黙って水の精霊の次の言葉を待つ。また幾度か形を変えた後、モンモランシーの姿に戻り、語り始めた。 「数えるのもおろかしいほど月が交差する時の間、我が守りし秘宝を、お前達の同胞が盗んだのだ」 「秘宝?」 「そうだ。我が暮らすもっとも濃き水の底から。その秘宝が盗まれたのは月が二十五ほど交差する前の晩のこと」 おおよそ二年前だ。水かさが増し始めた時期と一致する。 「じゃあ、人間に復讐する為に水かさを増やしてるってわけ?」 「復讐? 我はそのような目的はもたない。ただ、秘宝を取り返したいと願うだけだ。ゆっくりと水が浸食すれば、いずれ秘宝に届く。水が全てを覆う暁には、我が体がその在り処を知ろう」 一同はその言葉に呆気に取られた。気の長い話だ。 「我とお前たちでは、時に対する概念が違う」 「じゃあ、私達がその秘宝を取り返してくればいいのね? なんていう秘宝なの?」 「『アンドバリ』の指輪。我が共に、時を過ごした指輪」 「聞いたことがあるわね」 モンモランシーが考え込む。 「確か……『水』系統のマジックアイテムね。偽りの命を死者に与えるとか……」 「そのとおりだ。単なる者よ。死は我にない概念ゆえ理解できぬが、死を宿命とするお前たちには魅力と思えるのかもしれぬ。しかしながら、其は偽りの命。 旧き水の力に過ぎぬ。『アンドバリ』の指輪はお前たちの益にはならぬだろう」 「誰がそんなもの取っていったのかしら。名前とか分からないの?」 「個体の一人がこう呼ばれていた。『クロムウェル』と」 「……クロムウェル……って。確かアルビオンの……貴族派の首魁じゃなかったっけ」 キュルケが呟いた。 「あの、恥知らずの貴族派?」 ルイズが顔をしかめて敵意を露にした。 フロウウェンの腕に縋りついたフーケの手に込められた力が、少し強くなる。アルビオンの事情は、世間一般に流布している程度の話なら、シエスタとの世間話からフロウウェンも承知していた。 王党派に反旗を翻した貴族派が、打倒王家を掲げて内戦の只中なのだとか。 王党派は相次ぐ重鎮達の翻意で地盤を崩され、威厳は地に落ち、押されに押されて明日をも知れぬという状況だ。どうも……話がきな臭くなって来た。 「偽りの命を与えられると、その者はどうなる?」 「生前と同じ姿、同じ声、同じ記憶で指輪を使った者に従うようになる。個々に意思があるというのは不便なものだな」 「死者を動かすなんて趣味が悪いわね」 眉を顰めるキュルケ。 「……約束する。その指輪を取り返してくるから、水かさを増やすのをやめて」 言ったのはタバサだった。 「わかった。お前たちを信用しよう。指輪が戻るのなら水を増やす必要もない」 「いつまでに取り返してくればいいの?」 「お前たちの寿命が尽きるまでで構わぬ」 また気長なことだ、と顔を見合わせる一同。 「我にとっては明日も未来もあまり変わらぬ」 「待って」 言い残して去ろうとする水の精霊を呼び止めたのはタバサだった。 「水の精霊。あなたに一つ聞きたい」 「なんだ?」 「あなたはわたしたちの間で『誓約』の精霊と呼ばれている。その理由を聞きたい」 「単なる者よ。我とお前たちでは存在の根底が違う。我はお前たちが深く理解はできぬ。しかし我がお前たちの身から見て不変であるが故に、変わらぬ何かを祈りたくなるのであろう」 タバサは頷くと、跪いて目をつむり、水の精霊に祈りを捧げた。その祈りの意味を知るキュルケが、タバサを優しく見詰める。 「ねえギーシュ」 「なんだいモンモランシー」 「誓って?」 「何を?」 ギーシュは途方もなく鈍感だった。モンモランシーがその頭を思いきり殴りつけた。 「わたしへの愛に決まってるじゃないの!」 「あ、ああ。えーと。ギーシュ・ド・グラモンは誓います。これから先、モンモランシーを一番に愛す……」 そこまで言ってまたギーシュは殴られた。一番に、というのが気に入らなかったらしい。 「ヒースは私に愛を誓ってくださらないの?」 「なっ!」 そんな二人のやり取りを見ていたフーケが言う。フーケの言葉に、ルイズが目を白黒させた。 フロウウェンとルイズは親子より年齢が離れている。異性として意識しているわけではないが、自分の使い魔なのだ。 それが、フーケと仲良くするというのは精神衛生上よろしくない。 「お前はオレの為などではなく、他の大事な者の為に祈ると良い」 フロウウェンは目を細めて答える。 「うー」 「ルイズもな」 唸っているとフロウウェンに視線を向けられて、気恥ずかしそうにルイズは顔を背けた。それから、見上げるようにフロウウェンの顔を横目で伺う。 「じゃあ……ヒースは?」 「オレ? オレは……そうだな。望みはあるが、永遠に変わらず誓う、とは言えないな」 と、苦笑した。 「祈りが済んだら、先に行ってくれないか。オレは一人で水の精霊に聞きたいことがある」 「私も?」 フーケが悲しそうな顔で聞いてくる。 「すまないな。用が済めば、すぐに馬で追いかけよう」 「そう……」 渋々といった様子でフーケはルイズ達の後を追った。後に残されたのは水の精霊とフロウウェンだけだ。 「何だ、連なる者よ」 「それが聞きたい。オレは何故、連なる者なんだ?」 ぐるぐると形を変えて、また人間の形になると水の精霊は言った。 「わからぬ。貴様の体は単なる者の血と肉を持ちながらも、我らに近しい力を感じる。だが同じではなく、違うものだ。つまり、我らではなく、我らに連なる者。 しかし、それとはまた別の力を更に感じる。それらを形容する言葉を、我は持ち合わせぬ」 「それらとは?」 「貴様に感じる力は四つ。我が形容しえぬは二つ」 「……そうか。礼を言う」 水の精霊はとぷんと、小さく沈む音だけを残して湖面へと消えた。後にはただ、静かな湖が広がっているばかりだ。 フロウウェンは暫し無言で湖底を見詰めていたが、やがて踵を返すと、ルイズ達の後を追ったのだった。 #navi(IDOLA have the immortal servant)