この勝負、どうなるんだろう?
演習場の見学席から様子を窺いつつ、ミケルには正直なところ解からなかった。
何しろ、ミケルたちの依頼を受けた者のひとりとして学院を訪れた、最近友達になったばかりの『特区』の少年──
フィロスタインが戦っている所を、ミケルはまだ見たことがない。
以前にミケルが『特区』に忍び込んだ際は、会話で説得されて帰ってきたから、実力の片鱗といえば竜のような左眼で睨みつけられて慄いたくらいだ。殆ど参考にならない。
腰に見るからにアーティファクトと思しき剣を複数提げていたことからそれを使って戦うだろうことは想像に難くなかったが。
四メートルという巨大な石人形に対峙するフィロは、対比も相俟って細く頼りなく、小さな身体は容易く潰されてしまいそうに見える。
「……アレと戦えば良いのだな。先に聞いておくが、ミケル。コアの位置は?」
当の本人はまったく動じる様子も無くしげしげとゴーレムを見遣り、振り返らぬままミケルに尋ねた。
「えっと胸。あ、コア狙いは辞めてね? 経験をつんでもらうのが重要だから」
「解かっておる。つまり胸部が残れば良いな」
一応とミケルが刺した釘にフィロは小さく頷く。そして、呟いた言葉は──胸部以外の保障はしないという宣言に等しかった。
軽く目をむいたミケルと彼の後ろに隠れて見守る──知人の前では幾らでも不遜な口を利くが一度知らない人の前に出ると途端に口数が減る──リーファンの前で、ゴーレムが動き出した。
地を揺らしながら駆けてくるゴーレムはけして素早いとはいえないが、歩幅がある分其処まで遅いというわけでもない。
それに巨体が駆けてくるというのは動作自体迫力があり、少なくともミケルの目には一気に迫ってくるように見えた。
近づいてきたゴーレムは大きな風切り音を伴って豪腕を振り下ろす。
激突の直前、フィロは地の頚城など存在しないかのような軽やかさで地面を蹴り、大きく横に跳躍していた。
先程までフィロの居た場所に石人形の拳がぶち当たり、派手な衝突音が轟き渡る。
逃れた獲物を追いかけて、ゴーレムはぐるんとフィロの着地した方にすぐさま向き直った。
再度、大きく振るわれる腕。当たれば良くても重傷を免れえぬ重量の乗った一撃だが、足が地面に着いたと見えた次の瞬間にはもう駆け出し始めていたフィロを捕らえ切れない。
動きに合わせてひらめくマントは黒い翼のよう。その残影にすら、ゴーレムは触れられずに居た。
断続的に繰り返される攻撃を、疾駆と跳躍、静止と移動を織り交ぜてフィロはすべて完璧に回避し続ける。
魔術を用いている訳ではない。足運び、立ち居地、彼我の距離──そういった様々な物に神経を尖らせて見切る、純粋な体術の技のようだ。
己からは攻め入らず、暫し石巨人を翻弄するように動いていたフィロだったが、やがて攻撃パターンをある程度見定めた様子で、後ろに飛び退き、一気に距離を開けにかかる。
「避けるだけならば難しくない。しかし、正直──力自慢のゴーレムと真っ向から殴りあうのは良策とはいえぬ」
ぽつりと小さく呟くと共に フィロスタインは顔の左側に懸かっている長い前髪を持ち上げてその下の──生きた虹珠の瞳で、変わらず追いかけてくるゴーレムを一瞥した。
視線は石巨人を解析するように上から下に移動し、ふむ、と得心のいった様子で顎を引き、
「抗魔術式も反射結界も無い。矢返しの類も施術されておらぬか。素材に頼った物理防御のみ──ならば、敵の足を止めて遠距離からの狙撃で仕留める」
黒塗りの重厚な鞘からフィロが静かに引き抜いた剣は──刀身もまた闇より暗い射干玉のいろ。重厚な切っ先を、片手だけでまるで指揮棒のように差し向ける。
「鎖せ、"黒帳(ドゥンケルハイト)"」
《御意の侭に、我が主(イエス・ユアハイネス)》
フィロの静かな呟きの後、ミケルが何処からか響いた聞き慣れぬバリトンに目を瞬いた刹那、異変は起こった。フィロは剣を構えただけで指一本触れていない。
にも関わらず、突進途中でゴーレムが急停止。"まるで己の重みに耐えかねたかのように"唐突に膝を突く。
急な出来事に驚き目を見開いたミケルたちだったが、ゴーレムの周囲の空間が微妙に歪んで見えることに気づく。其処には何か見えない巨きな力場が発生しているようだった。
「このまま"檻"の中にて砕いても良いが、万一コアに支障があっても困る。──穿て」
詠唱、というには余りに短い命令の声。応えて奔るは六条の黒い光芒。
首、両肘、腰、両脚。駆動部を合せて六箇所、その中心を過たず光条が走り抜けると同時、貫かれた穴を基点として皹が広がり──瞬きの内に胸部のみを残してゴーレムは圧壊、粉々に崩れ落ちた。
揺らぎが消え去った後に残るのは、バラバラに砕かれた石塊の残骸と、奇跡のように其処だけが無傷の胴体上部のみ。四肢と頭を喪った岩の塊は、重い音と土煙を上げて演習場の地面に転がった。
「周りを壊さぬように、というのは何時も気を遣うものだな、"黒帳"?」
《ほんに難儀なことに御座います、皇子。我らが全力、お見せする機会は早々ありませぬ》
「こういった試しの場か何かでもなければ、それは無いほうが良いのだよ。お前たちには退屈であろうがな」
《いいえ、其れが主の望まれることなれば。剣に唱える異がありましょうか》
まだ余力を残した主従の会話に空恐ろしいものを感じつつ、審判であるところのミケルは、最早告げるまでも無い勝敗を、それでも義務として口にする。
「勝者、フィロスタイン……! どうなるんだろうもなにもない試合だった……! フィロ、すごかったね!」
「まあ、凄いのは私ではなくて"黒帳"なのだが。……ありがとう」
ミケルの言葉に少し弱ったようにフィロは軽く肩を竦め、それから、健闘をした騎士を称えるように黒い刀身に軽く口づけて、愛剣を鞘に収める。
「……そうそう。愚見ながら言わせて貰えば、術式耐性をある程度考慮した装甲への換装を推奨するぞ。素地は悪くない。経験を積み戦術を解すればあのゴーレムはきっと化ける」
ミケルの後ろからそっと顔を覗かせているリーファンを見、フィロは二人に向けて小さく目礼を向けた後、演習場を後にしていった。
【報酬? ミケルには普段から世話になっておる故、手間賃は取らぬよ】
最終更新:2011年06月28日 17:17