アルコ・イリスの休日1

 「ほら、殿下。アレがアルマゲストですよ!夜になれば日替わりで七色の光が夜空を射抜いてなかなか見応えがある。ま、すぐに見飽きるでしょうけど。いやあ街の雰囲気はいくらか変わったけど、塔だけは不変にして不朽――」
 自分の騎士が能天気に騒いでいるのがことのほか癇に障る。耳をふさぎたい思いで顔をそむける。水の匂いが王女のつんとした鼻をいじめる。
 船上で風を浴びる男と少女。嫌に長い灰色の髪を風に任せている帯剣した男。三十代も半ばを過ぎた年格好だが、軽薄とも取れる表情をこけた頬に浮かべて笑っている。紋章学を修めた人間が見れば、襟に光る飾り章から男が領地を持つ騎士だと知れる。一方の寒そうに自らの肩を抱いた栗色の髪の少女。全体に小柄ながらよく動きそうな少女は、故国では「栗鼠姫様」などと不敬なあだ名を国民に贈られそこそこ敬愛されてないでもなかった。
 一応これでも主従なのだ。
 「ぅしゅん」
 主が風の寒さにくしゃみをするが、騎士は聞いてもいない。
 「気持ちいい風ですね!やっぱり船はいい!」
 王女と騎士を乗せた船は運河を遡り、今アルコイリスの外壁を望んでいる。朗らかに興奮する騎士を冷ややかに見つめる王女。
 何がいい物か。生臭い風に陰気な船員。王女は船酔いで苦しんでいた。騎士は気遣いの言葉の一つもかけなかった、何がやっと着くから甲板に出ましょう、だ。
 着かなくていいのだ、アルコ・イリスになど行きたくない。船酔いをこじらせて船上で死んだ方がマシだ。
 王女の思いも知らず、貧乏国の船は船足ばかりは順調に市街に進んでいく。
 「我が騎士よ」
 「何でしょう、我が君」
 「風が寒い。毛布を借りてきてくれ」
 「断固としてお断りします。私は懐かしのアルコ・イリスに入港するところが見たい」
 「……あ……その……勅命、だが」
 「我が家名において拒否します、親愛なる我が君」
 「………………我が騎士よ、そなた忠誠と言う言葉を聞いたことはあるか」
 「権威主義の王に膝を屈し官僚と堕した他国騎士どもの言い訳と存じます。領地に帰れば騎士は領主、その点では王家と同格。ご不満なら討伐の軍を起こされよ」
 「ぐぬぬ」
 以上全て騎士は肩越しに君主に話している。王女は騎士に自在に無礼を叩かせる我が身の転落ぶりを嘆くほかない。これを零落というなら、それは血の味がする。王女は血がにじむほどに奥歯を噛む。
 「ぉう」
 割と本気で気分が悪い王女など振り向きもせずに、王女の騎士は船員と馬鹿話をして笑っている。王女がまだよく理解できないアルコ・イリスの共通語だが、雰囲気から卑猥な話をしているのだけはわかった。腰を振るジェスチャー付きだから馬鹿でもわかる。最悪だ。
 ゆっくりと王女は魚の匂いのする甲板に横たわった。空を見上げると見事な青空で、こればかりは少しばかり美しい。
 雲を見上げながら王女は船酔いの死神が来るのを待った。


 二月ほど前、小さな国で政変があった。まだ王の権威が騎士を圧せず、むしろ地方豪族である諸侯たちが独立不羈の気概のままに王を振り回すような国。大陸中央部では王の権威に団結した国が覇を競う昨今では田舎としか言いようがない国だ。そんな国でも人が生きている以上権力はあり、権力がある以上人は血を流す。
王の叔父が王と王妃と第一王女と娘婿、二十歳を超えた王女二人を幽閉して自ら摂政を号し実権を奪った。荒っぽくありきたりな顛末の末、浮いた立場の王の末娘が一人。
 幽閉しようか殺そうか、とは叔父も思った。だが暴君初段である叔父は最後に甘さが出た。成人もしていない姫を牢にぶち込んだり殺すと民の心がいっそう離れる、と妥協し出した結論が海外への留学。実質追放である。そしてこう言う時にことのほか使い勝手がいい街が大陸にはある。
 ちなみにさすがに一人で出すわけにはいかないと、不運な、中央とコネを持たない騎士が一人供に付けられた。たまたまアルコ・イリスに詳しかったからと王女付きを命じられた騎士は妻子家臣から引き放されて、とばっちりもいいところである。ある意味一番の被害者かもしれない。
 まあありふれた話だった。寛容なるかなアルコ・イリス。国を追われた数百人の王族貴族が暮らすというこの街にとって、なんら珍しい話ではない。人口が二人増えるだけ。
 結局船酔いの死神というのは居ないようで、二人はテンションに大きな差を抱えつつ入港した船から降りる。
 入国を受け付けた官吏は荷物のように二人を受け取り、汚い字で帳面に新たな市民の名を書きつける。王女アンヌマリ・ソンム・パッシェンデールと騎士マクミラン・フォン=トマーシュ。どちらもこの街では同じ一市民である。


 騎士が借りた家は狭く、どことなく物置を思わせた。目に見えて汚くないのだけはいくらか救いがあったが、アンヌマリの知る小国なりの奢侈を尽くした居館とは比ぶべくもない。備え付けの家具が粗大ゴミにしか見えない時点で王女はくらくら来る。中庭の離宮の方がまだいくらか済みやすそうだ。
 トマーシュはまったく頓着せずに新居に入り込み部屋をチェックしていく。窓を開けて埃を払うとともに眺望を試す。台所の使い勝手を確かめ、家具に足をかけて具合を見る。
 「ここに……住むのだな」
 「そうですね。蜜月通りではまだまともな方ですよ。祖国からの送金ではこの辺が限度でしょう。幸い安くてそこそこ旨い屋台がこの辺多かったはずですから、まあ死にはしない。掃除を適当に気を付けておけば快適ですよ。使用人は雇えませんから、自分らでやるしかないですけどね」
 「落ちぶれた外国暮らしに付き合わせて申し訳ないが我が騎士、そなたが供を連れてくればよかったではないか」
 「我が家も政情不安な昨今はなにかと物入りでしてね。それでなくともアルコ・イリスは物価が高い。入り婿の身では贅沢は言えません。ま、一人の方が気楽ですから」
 あくまで飄々とこのボロ家を住める状態にしようとする騎士。
 「使用人のいる生活がしたいだけなら、すぐにできますよ。今日明日あたりそんな話を持って客が来るんじゃないですかね」
 「うん、それは、まあな」
 姫は曖昧な表情で頷いて、諦めて少ない荷物を自分に割り当てられた部屋に運び込んだ。


 その日の暮れ、立てつけの悪い薄い戸が叩かれる。
 客人は食事中にやって来た。全く癪に障ることに厭味ったらしく振舞われた騎士の手料理は不味くなく、王女としてはそれについて触れたくなかった。だから来客はありがたい。
 「我が親愛なるパッシェンデールの姫君、歓迎が遅れて申し訳ない。私はシュガーマン。この辺りの市民の信託により議会の末席をいただいております。無能な係官が通常の入国簿と合わせて報告したもので、どうか遅参の無礼の段お許しを頂きたい」
 仰々しくも大げさに、供をぞろぞろ連れてご機嫌伺いに来たアルコ・イリス人が外国人の二人に言う。小国の追放者とはいえ、一応王族の入国はアルコ・イリス行政府にとっても捨て置けぬ。
鶏か、というくらいに羽根飾りで飾り立てた服を着た男。肥えた頬に立派なひげが濃い顔をさらにくどくしている。これで議員だ選良だ外交だというのだから王国出身のアンヌマリにはよくわからない。が、議員が話した言葉は訛りが強いながらもアンヌマリの母国の言葉だ。無能ではない男なのだろう。
アンヌマリは礼儀として食事の手を止め立ち上がる。
 「我らを快く受け入れていただき感謝の言葉もありません」
 決まり文句的な礼を述べ、お前も何か言えと騎士に目で促す。
 「我ら主従、貴国の博愛の理念にすがるしかない身、なにとぞ姫君の御ために閣下の御厚情を賜りたく思います」
 こんな時だけぬけぬけと忠臣じみたことをいうトマーシュに、内心キレかかるアンヌマリ。外面だけ取り繕って、内弁慶の騎士とはこれ以上悪い生き物が地上にいるだろうか?
 「おお、我らの国にも貴君のような騎士が居ればいいのだが!共和国の議員が言う言葉ではないが、まったく惜しいことですな!」
 大げさな身振りで感激して見せる鳥議員。芝居とはわかっていてもイラつく。議員はひとくさり昨今の市民の退廃と愛国心の無さを嘆いて見せてから、ようやく本題を切りだす。
 「さて、本日はおふた方にお願いの段がありまして。我が国としても本来国賓としてもてなすべきおふた方を、失礼ながらこのような家に住まわせておくのは何ともやるせない。瑠璃通りに宅を用意しましたゆえ、なにとぞそちらに御移りいただけないかと思いまして。何、貴国の文化水準からみればあばら家同然なれど、我が国なりに心ばかりの用意をしましたので」
 ふん。音に出さずともアンヌマリは嘲笑う。ちらりと横を見ると、不忠なるトマーシュも薄く笑っていた。笑いのままに、いかがしますか我が君、と無言で問いかけているようにアンヌマリは見る。
 「せっかくのお申し出ですが」王女の口調に迷いはなかった。峻拒というのにふさわしい口調で「我らは留学に来ている身。いずれ祖国の発展に微力を尽くすため、勉学に専念するにはむしろこの家が向いているかと思います」

 「いやしかし」
 鳥議員もお前ら国に帰れるのかよ、とは言わない。言わなくてもわかる。
「身に余るご配慮に感謝いたします。が、先進的な市民国家では市井の暮らしを学ぶのも良い機会ですし。故国と同じような生活をしては留学の意味がありません」
 「…………」
 鶏というよりは梟に似た大きな目で、鳥議員はしばらくかわるがわるに亡命の姫と騎士を眺めやり、それから深く腰をかがめた。
 「お志のほど感服いたしました。また、気が変わられましたらいつでも」
それほどこだわる様子もなく、さも感じ入ったように幾度も頷く。今度は鳩に似ていた。断るならそれでもいい、という投げやりな寛大さがうかがえた。
 「暮らし向きや何か困りごとでもありましたら、私の屋敷を尋ねて下さい。何なりとご相談に乗りますよ」
 「ありがとう。その節はお願いします」
 実務者である議員秘書と王女付き騎士が挨拶を交わす。その儀礼を最後に辞儀を繰り返して議員は去った。しばらくして、音も立てずにアンヌマリは食卓に戻る。
 「よろしかったのですか?先方の用意した家ならきっと使用人もいますよ。おそらく複数ね」
 議員がいた時の恭しい態度と打って変わって、若干揶揄するような口調。トマーシュの問いに「任務が早く終わらなくて残念ですか?」と返してやるアンヌマリ。無言で肩をすくめる騎士。
 他国で排斥されて来た王族、などアルコ・イリス政府にとっては厄介者以外の何物でもない。だが一面、紐付きでかこっておけば本国で事態が変わった折に何かのカードに使えなくもない。だからアルコ・イリスは特別安全なエリアで亡命者を飼おうとする。そういった諸々を含んだ上で追いだした政府は危険人物の管理をアルコ・イリスに委託する。
瑠璃通りの奥まった一画には、観葉植物の鉢が並ぶように、アルコ・イリスの持ち札になる代わりに生活を保証された小さな屋敷が並んでいる。生物として以外のあらゆる意味で死んだ亡命者たちの生き墓場。
 今回の議員があっさり帰ったのは、パッシェンデールが小国で重要度が低かったからだろう。大国の王族なら何としても豪奢な牢獄に押し込めようとしたはずだ。
 「私は自由です。かつてないほどに」
 「そうですね。はい」
 王女の宣言に、それがどうしたと騎士が応じる。自由は選択の余地があって初めて意味がある。
 それでも。パッシェンデールの姫は唯一持っている物を安売りする気はさらさらなかった。


 若干の月日が流れた。
 自由。何でもできる。だが、何が出来るわけでもない。
 そういう状態を、人は暇という。これはこれで厳しいものだ。田舎小国の王都とは比べ物にならない大都会も始めは面白かった。見たこともない異国の物産が惜しげもなく並ぶ市場、浅黒い肌の南方商人が商うスパイスの香り。妖精たちのつぐむ透明な布。夜には華やかな虹が夜空を照らし、寝ていても雑踏のざわめきがかすかに聞こえ途切れることがない。道を行けば黒金の怪物が通りを闊歩しそれに市民が挨拶をしたり、塔から様々な生徒たちが飛び立ったり。
 田舎にいたのだ、とアンヌマリは痛感する。
特に目を引いたのは、街中でも武装して颯爽と歩く冒険者たち。地下遺跡に潜る彼等は皆パーティーを組んで行動していた。親しげに冗談を言いながら歩くパーティーもあれば、むっつりと押しだまりながらうつむいていくパーティーもある。だが、いずれにしろ彼等は仲間を許容し、許容されている。
 それを見ながらほんのしばらく前の生活を思い返したりして。
が、アンヌマリは数日で飽きた。所詮自分の参加しているわけでもない街は、風景に過ぎない。
 一方トマーシュは毎日生き生きとどこかに出かけ、紙包みを持って帰ったり酔っぱらって帰ったり帰ってこなかったり。それで護衛の騎士か。
 「私は元々この街の出身ですから。図らずも戻って来た以上は温めたい旧交もあるというもの」
というのが主の叱責に対する臣下の言い分である。
 「卿は君主の身を何と考えるのか」
 「いや、納得づくで追いだしたんだから刺客とか送らんでしょ普通。こんなめんどくさい国で。個人的に恨みとか買ってないですよね」
 「当たり前です四女など人畜無害な王族です」そもそも政治に関わってない。暗殺されるはずないというのもごもっともではある。が、騎士はさらに嘲笑う。
 「何を言ってるんですか。三年前くらいの誕生日に『我と共にあるものに栄光の道を、我が敵に死の道を行かせたまえ』とか祝賀会でぶち上げてたのに、人畜無害とは」
 「ぎあああああああ言うな言うな」
 ゴッバーン大王東征記にハマっていた若気の至り。思い出すたび暴れたくなる。当時は小国の分際や継承権四位の立場のしょぼさなど、いろいろ知らなかったのだ。しっかり歴史書に記されてしまっている。死にたい。
 「そういう問題ではない。ことさら用事がなければ主の近くに控えるのが騎士の勤めではないか?はあはあ」
 アンヌマリは涙目で強引に話題を変える。
 「用事があるのですよ。それと外では我が騎士とか言うのは控えていただきたい。近所のおばさんにかわいそうな人扱いされてますよ、私ら」
 何と言う言い草か。話題が変わったことにほっとしながらもアンヌマリは憤る。
 「我が君、生活も多少落ち着きましたし、名目上とはいえ留学のために来られたのですから何か学ばれてはいかがか。無為徒食は貴族の特権と言えど、この街では何もせずにいるのはそれだけで悪徳ですぞ」
 大きなお世話だ。が実際に老人たちと共に日々散歩をしたり日向ぼっこをしたりするだけで一月を過ごしたのであまり言えない。
 「姫らしく、悪い魔術士に塔に監禁されたり悪い竜に地下にさらわれたりすればいいのか」
 「もう少し建設的にですね。小人閑居して不善をなす、とは蓬莱のことわざですし」
 「小人とは何の言いか、我が騎士」
 「ええと、東方では遊民の君子に対して労働者のことを指すはずです」
 「労働者が暇になるとは失業のことか。失業率が上がると犯罪が増える、ということなら以前習ったが」
 何をいまさら。そういう意味では、と珍しくトマーシュが戸惑うが、すぐにまた不敬なことを言い始める。
 「とにかく、就学もせず就職もせず職業訓練も受けていない若年層はここでは社会問題ですから。まあいきなり仕事をするのも無理でしょうし、何か、学校にでも通われては。裁縫とかフラワーアレンジメントとか。切り詰めれば何かしらの教育費くらいは出ますから。あ、でも塔の魔術学院だけは止めた方がいいですね。昔しばらく居たんですがろくなもんじゃない、同期に一人やたら偉そうなやつがいて――」
 いい加減に腹が立った。今までも腹が立っていたが、今回はことさらに怒りがこみあげて来る。
 だいたい何なのだ、この男は。祖国では死んだも同然、身分も権威もないこの街では全くの部外者。言うに事欠いて小人とは。
 何たる不忠者か。いくらなんでもそれでも騎士か。討伐してやる。王の意に沿わぬ騎士は、討伐するしかない。
 「決めた」
 騎士の思い出話を遮ってやる。
 「はあ。やはり、お花の」
 「よし」
 かっかっ、とアンヌマリは足音も高く家をでる。
 「……殿下?どこにいかれます?」
 「私は、冒険者になる」
 腰に手を当てて振り返り、アンヌマリは怒りに瞳をきらめかせて宣言する。
 「……何ですと?」
 「魔物を狩って宝を探す。仲間を見つけて地下に潜る」
 「…………はあ?あのね、姫様。この街の地下遺跡は何のスキルもなしに遊びに行く所じゃないんですよ。私も一回だけ行ったことがありますけどそりゃあアレは独特で、何と言うか地上とは全てが違うんですよ。魔術士だったり戦士だったり、それぞれ地上で名を上げた手練が挑んでそれでも」
 「黙れ」
 騎士に命じる。主が怒っているのをさすがに悟ったかこの程度の命令なら聞く。一応一瞬口をつぐむ。またすぐ何か言おうとする騎士を制して「武器を買って来る」

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最終更新:2011年07月05日 10:50
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