※キャラの描写が耽美だったりするのは通常運転なのでご容赦ください。
※なんかミケルくんのがPCみたいですけど、彼は
NPCです。
──その時、ここで死ぬんだと冗談でなく思った。
ゴブリン、オーク、ハーピィ、ジャイアントワーム、リザードマン、ウェアウルフ、ラミア、グリフォン、エトセトラエトセトラ──
挙げるのも限がない。周囲を取り囲んでいるのは、おおよそ図鑑でも見られるような、よく知られた魔物のオンパレード。
ああ、やっぱりこんなところに来るんじゃなかった! 後悔してももう遅い。
七虹都市の地下迷宮は誰もまだ果てを知らない広大な遺跡であり、調査の為にほぼすべての区域が開放されている。
既に探索・討伐が済んでいる踏破地域に至っては、遺跡の出入りを管理する"虹星の叡知(アルマゲスト)"──
アルコ・イリス中央塔そのものとそこに存在する研究機関にして教育機関の名前だ──に申請する必要もない。
だが、中には例外も存在する。踏破地域内にありながら、様々な原因から議会が立ち入り禁止と定めた『特別危険区域』、通称『特区』。
危険な魔物が闊歩してるとか、毒が沸いてるとか。入ったら帰ってこれない、気が狂(ふ)れる、記憶が飛ぶ、等々物騒な噂には事欠かない。
僕がいるのはその『特区』の入り口近辺。少し進んだだけでこの有様。気づけばすっかり魔物たちに包囲されていた。
田舎のじいちゃんばあちゃんごめんなさい!
ふたりが大切な老後の為の貯金を切り崩して、大陸最高学府に送り出してくれたのは、将来の為であって魔物の食餌にする為じゃあなかったのに。
そりゃ魔物は嫌いじゃないし、襲われないなら幾らだって眺めていたいけど、幾ら好きでも敵意むき出しで囲まれるのは勘弁願いたい!
……ミケルの命は風前の灯火です。
同じ"虹星の叡知"に通う学生でも、将来の就職先はほぼ軍事関係、普段から討伐学務が課せられる攻撃的な"実践派"の人たちならば兎も角。
純然たる学術の徒、研究学務や室内学習がメインの"修学派"の生徒である僕には、現状を打破する手段なんてなかった。
"修学派"の生徒は術式を扱えぬものも少なくない。その為、『力こそ正義』みたいな性質の悪い一部の"実践派"からは侮られる傾向にある。
ご多分に漏れず、僕も魔術を使えない学者志望の"修学派"だ。そんな僕がどうしてこんな所にいるのかというと──
思い出しても情けなくて涙が出る話だが、性質の悪い"実践派"に絡まれた所為だ。
"実践派"が課題で使おうとしていた図鑑を偶々僕が先に予約していて、借りようとした所で丁度居合わせてひと悶着あった。
あまりに居丈高な態度で先に貸せと言ってくるものだから、頭に来て意固地になったのがいけなかった。
まさか塔内で魔術使ってくるとか思わなかったし! そこまで常識知らず恥知らずだとも思わなかった。
図書館内の人目につかない奥での言い争いだったのが悪かったんだ。
相手が何か詠唱始めた、やばい、逃げようと思った次の瞬間にはもう意識がなくなった。
……眠りの呪文って禁術指定でいいんじゃないかな? 割と初めに教えて貰えるみたいだけど、使いようによっては犯罪やりたい放題だよ!
そんなこんなで寝てる間に僕は図鑑を取り上げられてしまい、それだけならまだしも勝手に迷惑料だと財布をせしめられてしまった。……どうみてもカツアゲです!
仕送りを貰ったばかりの財布の中には今月の生活費の殆どが入っていて、返して貰わない事には明日からの昼飯代にも事欠くという有様。
僕は苦渋の思いで、その"実践派"の生徒を探し頭を下げに行った。被害者はどう考えたって僕の方だったんだけど。
お金だけならまだ諦めもついた。けど、財布の中にはじいちゃんたちが田舎からアルコ・イリスに来るときに持たせてくれたお守りも入っていて。
祖父母の心が篭った護符だけは、どうしたって失くしたくないものだったから、何をしても返して欲しかった。
下げたくもない頭を下げて、お守りだけでも!と必死に粘ったところ。
魔物マニア──その認識は間違ってないんだけど嘲るように言われると腹が立つ──にぴったりの条件で返してやるよ、と言われた。
『特区』では踏破地域の他の場所では採取できない──高値で取引される物が採れる、らしい。
「らしい」、というのは、表立って封鎖されているだけあって公然とした取引ではなく、"虹星の叡知"直下の細い流通でのみ売買が行われていて詳細がよく解からないからだ。
口さがない噂話の中には、『特区』の立ち入り禁止は、議会が金の成る木を街人や冒険者に渡さないためではないか、なんて話もあるくらい。
そんな『特区』に行って何かしら持ち帰って来い。そうしたら交換してやる。
僕が"実践派"の生徒からふっかけられたのは、そんな無茶苦茶な交換条件だった。
誰かに言いつけたり泣きついたらお守りを捨てると言われてしまえば逆らえない。
僕は仕方なく昔屋外実習の為に買った護身用の探検を握り締めて地下迷宮へと向かった。
踏破地域内は冒険者の出入りが激しいこともあって、特に何かに遭遇することもなく進むことが出来、直に『特区』の近くまでたどり着いた。
『危険!』『命をだいじに』『帰りなさい』『お父さんとお母さんは泣いている!』
──まるで自殺多発地域のように注意看板が乱立する中を更に進み、壁が崩落して土がむき出しの横穴を越えると、地下にも関わらず鬱蒼たる樹海が広がっていた。
天井にはヒカリゴケか何かが自生しているのか、仄青白く所々光って、まるで星空の下のよう。
ここが危険な場所であるというのも一瞬忘れて、僕は幻想的な光景に魅入られた。
そんな余裕があったのも束の間のこと。数歩進んだ所で、かけられていた鳴子の罠に引っかかった。
しまったと思った時には既に遅い。何処から沸いたのかという位に大勢の魔物が姿を見せ、僕を包囲した。
ここまでか、と覚悟を決めかけた。せめて死体の残る死に方だといいなあと後ろ向きに考えるくらいには絶望してた。
けれど──不思議なことに、僕を取り囲んだ魔物たちはすぐには襲い掛かってこず、何かしきりに訴えてくる。
何か言われているというのはわかるのだけれど、魔物の言葉は難しい上に四方八方から言われるものだから、途切れ途切れにしか理解できない。
「人間」「危険」「帰れ」……かな? もしかして僕、警告されてる?
まだ帰れるの目があるんだろうかと、きょろきょろ包囲の隙を探そうとしたところで──少し離れた所から別の声が聞こえた。
唸り声とか吼え声とか異音が混じらない、普通の人間みたいな声だった。
話しているのは魔物の言葉なのは確かなんだけど、これ古語だ! 文法と単語が普通より更に難しくてわかんないよ!
でも、魔物たちには確り通じたらしい。ざわ、と魔物たちがさざめいた。
そのまま左右に少し退いて、細く道が出来る。それは僕を通してくれる、という訳では勿論なく。
遅れて現れた、何がしかの為のスペースだ。魔物たちが多少畏まっているような雰囲気を感じる。
誰からともなく、魔物語で「若様」と呼びかけるのが聞こえた。
「…………え?」
「若様」と周囲の魔物に呼ばれ、彼らに軽く挨拶めいて目線を向けながら姿を現した小柄な姿に、僕は驚かされた。
瞬きしてから見直して確かめる。やってきたのは──異種族ですらない。
腰に大小二本の、傍目にも業物だろうと解かる物々しい刀剣を佩いてはいたが、一見すると、ただの人間であるように見えたからだ。
少女──いや、少年? どちらにしろ歳若い姿をしている。僕より年下、十三、四歳程度──どう見ても成人前にしか見えない。
項にかかる長さをした濡れ羽の黒髪。よく出来たお人形みたいな冷たそうな白い顔。
黒い手袋、黒の長靴。細身に纏うのは翼みたいな長い立て襟マントに古風な仕立ての礼服。
緋のリボンタイと白のドレスシャツの他は宵闇をそのまま織り上げたような漆黒に沈んでいる。
かつて神話と伝承の時代、人類を恐怖のどん底に陥れたという古の吸血貴族を思わせるクラシカルな格好だ。
だが、特別牙や耳が尖っているということはないし、目も赤くはなかった──けれど。
瞳を目にした瞬間、ただの人間だという感想はすぐに引っ込んでしまった。
顔の右半分は長い前髪に隠れて見えないが、顕わになっている左目は異様だった。
蜥蜴のように細長い瞳孔。虹彩は──文字通りの虹色。オパールのように多彩が交じり合い遊色を示す、異形の瞳。
こちらを射竦める生きた宝石のような隻眼と目があってしまい、それだけで腰が抜けてしまいそうになったのは僕がヘタレだからという訳じゃない。
授業で習った。魔物の中には視線そのものに魔力を持っているような連中もいると。
この子の目もそれに近いんじゃないだろうか。言葉もなく動けなくなった僕を、(おそらく)彼は暫くじっと見ていたが、やがて口を開いた。
「鳴子に引っ掛かる賊など高が知れていると思っていたが、なんだ、まだ子供ではないか」
魔物語でも古語でもなく、発音の綺麗な大陸共通語で、面白くもなさそうにそう言われて、
──君には言われたくないな! と思ったけど黙っておいた。だって命は惜しいもの!
「迷い込みでもしたか? 字が読めぬほど稚いとは思えぬが」
ワザとなんだろうか。品定めでもするみたいにじろじろ見られると、背筋に冷や汗が伝ってくる。プレッシャーって奴?
蛇に睨まれた蛙ってこんな気持ちになるんだろか? そんな気持ちは出来ればわかりたくなかったな!
もつれそうになる舌を必死に動かして、僕は言葉を紡ぎだした。
「看板は読めた、けど、用事があったん、です……!」
「用事? ここは見ての通りの魔物の巣。人の子が来る場所ではない。そも、此処は議会の名の下に立ち入りを禁じられた地区の筈。何の用事があるというのだ?」
彼の目がすうっと鋭く眇められる。僕より背はちっちゃいのに妙に凄みがあった。柄に触れてもいないのにカタリ、と唾鳴りが聞こえる。
はっきり言ってものすごく怖い。これ以上喋ったら普通に抜刀、即座に首飛ばすくらいされそうなんだけど!
でも、黙っていても結果はたぶん同じところに着地する気がしたので、僕は破れかぶれになって事情を洗いざらいぶちまけた。
うっかり熱が入ってしまって、田舎のじいちゃんばあちゃんがどんなに大事で、どんなに苦労して僕を送り出してくれたとか、そんな話までしてしまって。
勢いに任せて、余計なことまで喋りすぎちゃっただろうかと軽く後悔もしかけたんだけど。
──そうしたら、何だか周囲の空気が……。
それまで割とトゲトゲした空気だったのが、魔物たちの僕を見る目が何か同情的になっている、ような。
ちょ、一部の魔物さんにいたっては、ぐすんぐすんしてませんか?
「……っ、お前たち、泣くな! 真実かどうかなど知れん……では、ないか! 貴様、『特区』の民が案外人情話に弱いと知っての策略か!?」
「いえいえそんなこと知りません! 初めて聞いたよ! というか、ここって危険だから封鎖されているん、ですよね?」
「若様」の目もすこしうるっと来てて、こうなると迫力も半減だ。身体に感じていた圧迫感も弱くなってる。
なんか、問答無用で襲い掛かられたりもしないし、むしろ警告とかしてくれてたみたいだし。
僕の話をちゃんと聞いて、あまつさえ同情したり泣きそうになっちゃったり。
彼らの見た目は確かに異形で、魔物なのは疑いようもないけれど……『危険』なんだろうか? 甚だ疑問に思ったんだ。
「そうだ。……魔物が一定区域に大量に定住し、それが黙認されているなど、『危険』以外の何者でもない。封鎖し、余人を近づけぬ他なかろう?」
僕の問いかけに顔半分を掌で覆い、「若様」は溜め息と共に答えた。
──そこで理解する。何より『危険』なのは彼らそのものではなくて、街の外から来る脅威の方だ。
ただでさえこのアルコ・イリスはタブーの少ないリベラルな気風と、一定の審査を潜り抜け、街の中でトラブルを起こさなければどんな者でも受け入れるという都市性から、一部の頭の硬い方々から目の敵にされている。
背徳の都、七罪都市だなんて不名誉な仇名で呼ばれることもあるらしい。そりゃ多少騒動の種には事欠かない街で、良い所ばかりじゃないけれど、それでもとても魅力的な街なのに。
この街が大嫌いな連中からすると僧侶憎けりゃ法衣まで憎い、と、不条理なテロが起きたり、隙有らば街を縛る新しい法律(ルール)を押し付けようとか攻め落そうとか。
有形無形の侵略・政争・暗闘の種はそこかしこにあるとも聞く。"虹星の叡知"の議会が有能でなければ、アルコ・イリスはとうに自治権を喪っていた筈だ。
そんな中で、この『特区』の存在が広まれば、アルコ・イリスを蛇蝎の如く嫌うお歴々に、格好の口実を与えてしまう。──最悪『聖戦』勃発、戦火がこの街を焼き尽くしかねない。
勿論、七虹都市の有する戦力はひとかたならぬものがある。戦争になっても一方的な蹂躙を受けはしないだろう。
けど、街にいるのは戦闘員ばかりじゃない。被害を全く出さずに戦えるか、といえば答えはノーだ。
「若様」の案じる最大の『危険』とはこの事なのだろう。僕は暗い気持ちになった。
「その顔なら、何が『危ない』のか、理解したようだな。……ここは、議会が特別に許した魔物の居住区。保護区、と言っても良い」
宛がっていた手を下ろし、僕の表情から気持ちを察したらしい「若様」は更に説明を足してくれた。
曰く、元々アルコ・イリスができるよりも前から彼らはこの遺跡の一角を住処としていた穏健な魔物たちであるという。
後々人間たちが訪れ、接触することとなり、争いを嫌った彼らの長と──後の議会の原型となる当時の首脳との間で話し合いの場が持たれた。
結果、その場で交わされた契約の元、『特区』は存在を許され、長きに渡り様々な義務と引き換えに権利を得ている、と。
「それにしても、話し合いがうまくいってよかったですね。こう言ったらなんですけど、身内に火種を抱えこむようなものなのに。交渉の場に着くのも大変だったでしょ」
僕が感心したように言うと、「若様」はなんだか酷く誇らしげに胸を張った。
「当時の議会が英明であったということだ。星をも墜とし、神さえ殺すと伝説に歌われる──"古竜族(エンシェントドラゴン)"と戦う愚は避けたのであろう」
一瞬、意識が吹き飛びそうになった。
今、この子は何て言った? エンシェントドラゴン、とかいいませんでしたか?
多種多様の魔物がいるな、とは思っていたけど──そんな神話の生き物までいるというのか。
僕の勘違いじゃなければ前後の文脈的に彼らの長がそうなのか。
「もしかして、君たちの長、って……?」
恐る恐る聞いてみると、「若様」ははっきり頷いて見せた。虹色の目をきらきらさせて、子供が憧れのヒーローのことを語るみたいな嬉しそうな声で言う。
「──然様。我らが長は、数千年を閲せし偉大なる古竜エラバガルス。今尚深奥に座し、我らと『特区』を守護なされている」
やっぱり聞き間違いや、読み取り違いじゃなくエンシェントドラゴンで、しかもめっちゃ存命だー!
そりゃ、交渉の場が設けられるはずだよ。そんなものと戦おうだなんて正気を疑う。存在そのものを避けるのが賢明だ。
竜殺しの伝説は数多かれど、そんなことが可能なのは一部の規格外の存在だけだし、有史以来古竜の討伐に人類が成功したという話を、僕は聞いたことはない。
呆然としている僕の前で、楽しそうな「若様」に、魔物の一匹、銀毛の狼のような生き物が近寄って軽く何事かささやいた。
多分、何かしらの忠言の類だったのだろう。「若様」は、はっとした様子で、わざとらしい咳払いをした。なんか、人間くさい。
「さて、些か喋りすぎたが、我らの状況は理解頂けたろう。その上で問う。お前はどうする? これ以上進むというならば、交戦も辞さぬが」
再度、「若様」の目が鋭い輝きを帯び、僕に向けられた。さっきまでとのギャップが凄い。
僕としても命は惜しいし、何よりこうやって普通に話してしまうと、彼らの生活を不用意に侵した自分の方が悪いと思う。
ここで彼ら相手に、命懸け過ぎる無謀な無作法を働くよりは、"実践派"の生徒に徹底抗戦する方がまだ勝ち目はあるし、気分も悪くない。
そう考えて口を開こうとしたら、「若様」はもう少し言葉を続けた。
「できれば、大人しく立ち去って貰いたい。──お前の境遇には同情を禁じえん。要求を呑むならば、此方にも相応の返礼をする余地がある」
ふ、と圧迫感が遠のいていった。殺気混じりの視線とは違う。伏せられた目には僕を案ずるような色があった。
周囲の魔物たちも、「若様」の提案に反対する様子は無い。『特区』の魔物って、お人よしが多いのかな。
事情はあれど、僕が侵入者であるのには代わり無いのに。ここまで言われて、進むなんて答えるひとは相当少数派かへそ曲がりだと思う。
「……帰ります。聞いたことも誰にも言いません。えっと、僕──ミケル・レノーの名前に賭けて」
真剣な約束事をする時、魔術師は己の名を出して誓うと言う。
僕は魔法を扱うものじゃないけれど、同じ位真剣なんだと伝わるように、それに倣った。
すると、「若様」はひとつ瞬きをしてから、満足そうに頷いた。
「感謝するぞ、人間──否、ミケル。この場所の内情は、知られてはならぬ。我らの為にも、お前達の為にも。誰だって、住処が魔女狩りの業火に曝される所など見たくなかろう?」
頷いて返すと、楽しそうに古竜の話をしていた時に近い、少し柔らかい表情が「若様」の白い顔に浮かぶ。
次いで「若様」は傍らに控えていた魔物に目配せをして、何かを持ってこさせた。
少しの間を置き、銀狼が咥えて持ってきたのは、宝石で形作ったような、見る角度によって色も輝きも変わる、不思議で綺麗な花だった。
図鑑でも見たことが無い。六枚の花弁が揺れるたび、星屑のような細やかな光の粒が零れるのも、息を呑むくらいに美しい。
狼に似た魔物は、僕に近づくと足元にその花をぽとりと落とし、また「若様」の元に戻っていった。
「これは?」
「返礼すると言ったろう。この辺りでは『特区』にしか咲かぬ花だ。あまり、こういったものを持ち出させるのも良くないのだが──恩には礼を、仇には剣を。私は約束を守る」
「あ、ありがとう。上手い言い訳は、僕のほうで考えておきます。あと、お邪魔して本当にごめんなさい!」
精一杯の謝罪の気持ちで深く頭を下げた。本当に悪いと思ったからだ。
「顔を上げよ」
頭を上げる前に肩に手を置かれた。言葉に従って頭を上げると、何時の間にか「若様」が目の前に居た。
「お前は礼儀知らずではないようだし、下手に"制約(ギアス)"などをかけるより、こうして恩を売っておく方が良さそうだと思っただけだ。第一我らとしても、叶うならお前と事を荒立てるようなことは避けたかった。胸の"七芒星(ヘプタグラム)"──お前は"虹星の叡知"の学徒であろう。おかしな真似をすればどうしても角が立つ」
僕の胸ポケットに花を拾い上げて挿しながら、「若様」はつらつらと言葉を紡ぐ。少し言い訳めいた言い方に聞こえる。
ちらりと顔色を伺ったらなんだか恥ずかしそうだった。照れ隠し、なんだろうか。
しかし、"制約"とかさらっと怖いこと持ち出す辺りやっぱり魔物なんだな、という感じ。
和んだり慄いたりと忙しかった僕だったけど、凄く大事なことに気づいて、申し訳なくなった。
「この花、持って帰ったら僕はお守り返して貰えるけど……"実践派"のひとが、ここに来ちゃう、かも」
"実践派"の高慢ちきな態度を思い出すと、今みたいにまともにやり取りするとは思えない。
「若様」たちが殲滅される、とは思わないけど怪我人(怪我魔物?)くらいはでそうだ。
やっぱり、花を返した方がいいんじゃないかと、ポケットから抜き出しかけたが、「若様」はそれを固辞した。
「──なに、その者が調子に乗って入ってくるようならば、正しく『歓迎』してやるまでのこと」
そう言って、「若様」はうっそりと笑った。鮫のような悪い笑みだった。
この分だと、痛い目を見るのは確実に"実践派"の方だろう。寧ろきつくお灸を据えられる方が良いかも知れない。
でも、一応「気をつけて」と口にしたら何だか驚かれた。
「お前は順応力の高い人間だな、ミケル。……我らが怖くないのか?」
「怖いけど、なんか、こうやって話せちゃうと……あんまり怖くないですよ、「若様」」
ぽかんとした顔が見た目相応の子供みたいで。かるく片目を瞑って悪戯っぽく言葉を返したら、「若様」はくしゃりと自分の頭をかき回すようにして息を吐いた。
「そういうもの、か? おかしな奴だな、お前は。……それと「若様」、は、私の名前ではない。名乗っていなかったな──フィロと呼べ」
「何か可愛い名前ですね」
何かうっかり思ったまま言ってしまって、しまったと思ったけれど、返ってきた反応は予想外に子供っぽかった。
顔を真っ赤にして叫ぶ「若様」──フィロさんの様子に、周りの魔物さんたちもすっかり微笑ましげに見てる。
何だかもう少しおしゃべりしていたくなってしまったけれど、長居するのも悪い。
「はい、フルネームだと確かに可愛いというよりかっこいい感じかも。……それじゃあ、フィロさん、皆さん、お邪魔しました」
僕はぺこりとお辞儀してから、『特区』から去ることにした。
折角名前、教えて貰ったけど……きっともう会うことも無いんだろうな。
『特区』を完全に出て行く前に、一度だけ振り返ったら、フィロさんの唇が「さらばだ」と紡いだのが見えた気がした。
──こうして僕の小さな冒険は終わり、フィロさんに貰った花と交換にお守りは僕の手に戻ってきた。
"実践派"の人には、入り口付近で花を摘んだ所で大きな魔物にあって慌てて逃げてきたと言っておいた。
危ないから行かないほうが良い、きつく言い含めたけど──それから、その人に会うことはなかった。
風の噂に、地下遺跡の入り口で呆けている所を保護されたと聞いた。
多分フィロさんたちに手厚く『歓迎』されたんだろうと知っているのは僕だけ。真実は闇の中。
今日も彼は魔物たちとあの場所を守っているんだろうか。
また会いに行ったら、迷惑がられるんだろうか。
魔物たちを引き連れた、虹色の目をした少年の姿は、今も僕の記憶の中に焼きついて消えてくれない。
最終更新:2011年07月06日 22:47