※ バトルとか混ざるとちゅうにが加速するのは仕様です。
再度、飛行のアーティファクトと風霊の力を借りて、私は現地を目指し空を疾駆していた。
その最中、私は深めの呼吸を繰り返して、己の中にふつりと湧き上がりそうになる激情を殺していた。
仲間を傷つけられた、という事実は──どうしても抑えようの無い赫怒を招く。自省せねば腸が煮えくり返りそうだ。
このような事態を引き起こした犯人も憎いし、民の危機に惰眠を貪っていた己に対しても腹が立つ。
しかし、皆の前では取り乱した所など見せられぬし、慢心と激情はどちらも足元を掬うゆえ、私は出来る限りの理性を動員して、冷静さを保つよう勤めた。
──思考している間に、問題の居る場所の直ぐ傍まで来ていた。
エクレシア刀自の眩術は方向感覚を狂わせ、道無き場所に道を作り、あるべき道を隠してしまう。
侵入者どもは見事に術中に嵌り、森の中にある少し開けた所で延々と足踏みを繰り返しているようだった。
「止まれ」
大陸共通語で呼びかけ、冒険者らの視界内に降り立つ。
外見でひとの善し悪しは判じ難いが、荒んだ生活をしている事が想像に難くない雰囲気の者たちだった。
男が五人。体躯も得物もそれぞれに異なるが、人相の悪さだけは共通していた。
冒険者というよりは場末の酒場に屯する荒くれ。冒険者くずれだろうというミステルの評価はそう間違いでは無い気がする。
僅かなどよめきの後、奴らは私の姿を遠目に確かめ──次の瞬間には安堵と嘲るような気配を感じた。
冒険者たちの反応は予想の範囲内だ。正直、己の姿には他の皆のような勇ましさも強さもないことは理解している。
不本意ではあるが、逞しい肉体、あるいは鱗、あるいは獣毛、角爪牙。どれも私には存在しないものだ。
冒険者の目に映るのは、黒い礼装を纏った人間の子供の姿だろう。そして、その評価は概ね間違いではない。
私は、
フィロスタインは、混血や魔女の一族ですらない。『特区』においては珍しい、混じり気の無い人間だ。
赤子のみぎり、この土地に捨てられていた私を父上が拾い上げ、名を与え、皆と共にここまで慈しみ育んで下さった。
私は人だが、その前に『特区』の住民であり、長の意思の代行者だ。
そして、全くの無力な子供という訳でも──そも人の基準に照らし合わせれば私は一応成人しているのだが──ない。
父上や皆への返そうにも返しきれぬ多大な恩に少しでも報いる為にも、『特区』を、其処に暮らす者たちの安寧を守ることは、私の義務であり自身に課した誓約である。
この身は只人とそう変わらず、私が帯びる力の殆どは借り物に過ぎぬ。
なればこそ、私は己に許された力を、出来る限り守るべき者の為に振るうと決めた。
──例えば、今目の前にいるような無法者共を退ける為に。
「こりゃまた随分可愛らしいお嬢ちゃんが迎えに来てくれたこって。さっきから俺ら迷っちまって困ってンのよ。道案内を頼めるかねェ?」
先頭に立つ──集団のリーダーと思しき斧を担いだ大男が、下卑た笑い混じりに言った。後ろでも同じような笑い声が巻き起こる。
彼らの歩みは止まらない。私の方にそのまま近づいてきた。
どうやら言葉を理解できても、聞く気が無いようだ。私は首を横に振ってみせる。
「案内をするつもりは無い。ここは、『特区』。
アルコ・イリス議会の定めた禁足の地である。故なく外部より立ち入ることは許されぬ。早々に帰られよ」
「なーら、お嬢ちゃんはどうしてこんな所にいるンだい? ここはぁ、立ち入り禁止なンだろぉ?」
斯様な侵入者であっても彼らなりの道理が有るのやも知れぬ。
引き比べるのも申し訳ない気がするが、先日のミケルやかつて訪れた勇気ある街妖精のように。
しかし、礼儀として私が向けた警告に、が返した言葉は無礼としか言いようがなかった。
先程から繰り返される『お嬢ちゃん』とは私の事だろうか? ──安い挑発だ。だが、此方を不快にする程度の効果はあるのが余計に腹立たしい。
「私は『特区』に住まうもの。禁足は外と内とを隔てるルールだ。立ち入りに相応の理由があるならば、こちらも話を聞く余地はある」
それでも声音の上では平静を保ち、私は言葉を続ける。
「理由……理由ねぇ。一攫千金、楽してがっぽり儲けるためよ。この『特区』にゃあ、他じゃ取れねェ貴重なものがどっさりこ。まさに金の成る畑って話だ。実際、ここに来るまでも変わったモンは沢山みたしよ。奥にいきゃ、もっとすげぇモンがあンだろァ? ここの住人なら、色々詳しいンだろ。なぁ、大人しく案内してくれりゃ、なんもしねぇ。従う方が身のためだぜ、お嬢ちゃんよぉ」
水面に石を投げ込んで流れを変えようとしているような気持ちになってきた。やはり無理か──という気持ちが強い。
『特区』に入ってくるものは概ねいくつかの種類に分類されるが、迷い込んだ者は最も数が少なく、そして一番ましだ。素直に送り返してやれば良い。
好奇心で入ってくるような者は未だ良いと言える。そういう手合いは少し脅してやれば大人しく帰るからだ。
仕方なしに『特区』に入り込んできたような奴らは少し……いや、かなり遣り難いが、話が通じる輩ならばひとまず問題はない。
鬱陶しいのはある程度の実力を備え──明確な意思を持って、この地を荒らしに来る賊だ。概ねそういった連中はこちらの話も聞かぬと来ている。
「嘆かわしい。そのような理由では、益々持って此処より先に進めるわけには行かぬ。第一、既に貴様らは退去勧告を、他の民から受けている筈だが……」
「民ィ? ああ、もしかしてそりゃあ、やたらと小奇麗なゴブリンとコボルトの集団のこと言ってンのかァ? 人間様を真似てるつもりか、わけわかんねえことピイピイ言ってたが、あー、ありゃ警告だったのか。そいつぁ、わるかったなあ!」
無遠慮に近づいてくる大男たちからは、先程からずっと、隠し切れぬ血の匂いがする。同胞を傷つけた罪の証。
チリリと私の胸の中に火が点る。点った火は忽ち勢いを増し、胸中に燃え盛る業火となる。──愚か、愚か、救いようの無い。
彼らがどうして身奇麗にしているか、貴様らは知らぬだろう。どういう思いで共通語を必死に学んでいたかも、何も、何も、何ひとつ。
脳裏に甦るのは、過ぎ去った日の木霊。
『ねえ、若様。俺たちから、もう変なにおいしませんか? 汚れてないですか? 自分らじゃ、よくわからなくって』
不潔だから醜いからと、嫌われたくないと、本来の習性からすると必要の無い入浴と洗濯に、せっせと励んでいたゴブリンたち。
『もしかしたら『特区』を訪れる中にも、いいひとがいて僕らと友達になれるかもしれませんね。その時にはちゃあんと、ご挨拶できるようにならなくっちゃ!』
瞳をキラキラさせて共通語の読解を学びたがり、その咽喉は人の言葉の発音には向かぬのに、それでも何時か、何時かと夢を見ていたコボルドたち。
私は知っている。彼らと此処で暮らす、私は知っている。目の前の痴れ者どもが傷つけた存在にも、尊く豊かな心があることを。
傷つけられた身体以上に、踏み躙られ、もっと痛む部分があるだろうことを、知っている。
『特区』の民のことを知らず、知ろうともせぬ癖に──それ以上、彼らのことを口にするな!
「──黙れ、下種」
唇から零れた声は低く凍りつく。今、私の左目は臨界を越えた憤激を映して爛々と輝いていることだろう。
賊どもの内、前の三人は私の物言いに顔を歪め、後ろを行くローブを纏った二名は僅かに息を呑むのが見えた。
嗚呼、流石に魔術の心得を持つ手合いには、この眼の意味が理解できるか。
只の飾り、単なる異色異形の瞳であるばかりでなく──人ならぬ力持つ眼であると。
この眼こそが義父エラバガルスが私に託した長の代行者たる証、人の器には本来荷が勝ち過ぎる古竜の力の結晶。
目の前の子供が無力な存在ではないと気づいてももう遅い。交渉の時間は終わりを告げた。
「もう良い。これ以上は時間の無駄と理解した。警告は無意味。然らば、その身に刻め──『特区』は貴様らが思う程甘い土地では無い事を」
只ならぬ雰囲気を察してか、痴れ者どもが身構えるのが見える。今更だ。
「なるほどなァ、見た目どおり可愛いお嬢ちゃんじゃないって訳かい。だが、俺たち"漆黒の牙"相手にひとりってのは無謀だぜっと!」
リーダー格が宣言と共に踏み込み、上段に構えた大斧を振るった。横合いからは槍と剣も、ほぼ同時に迫る。後ろでは術士どもが詠唱を開始していた。
多対一。だが、それが何だというのだ? 不利など元より承知の上。ここで竦み、逃げ帰る理由は無い。
後退は許されぬ。──私の後ろには見えずとも数多の民が居るのだから。
自己の怯儒は唾棄すべき罪悪である。──少なくとも、私にとっては。
恩には礼を、仇には剣を。──父より教えられた私の信条だ。
踏み躙られた者らの痛みの何分の一かでも、こやつらに知らしめてやらねば我慢がならぬ。
成る程、2番隊では叶わぬのも道理か。中々の速さと連携。だが──『判り易過ぎる』。
斬撃と刺突の合間を掻い潜り、前方に体重など無いかのように軽く、だが大きく跳躍。大男の肩を踏み台に、更にその向こうへ。
空中で向きを調整し、詠唱中の魔術師らの背を視界に捕らえながら、背後に着地する。
振るわれる刃の只中に踏み込んでくるとは予想していなかったようで、驚愕の声が上がった。
賊どもは何に驚いているのだろうか?
武器、魔法。何れも人が使う以上、振るうものの意図が介在する。
それを物事の原因とするならば、外界に何らかの変化を全く現さずして、結果が齎されることは有り得ない。
例えば視線。例えば魔力の流れ。例えば殺気。例えば筋肉の微細な動き。
他にも枚挙に暇が無いが、様々な過程から軌道を予測し、最適の動作、立ち居地を取れれば、避けられない攻撃は無いのだ。
無作法者どもはまるで、己の意図を、変化を隠そうとしない。そんな読みやすい攻撃は、視覚を封じられようとも対応可能だ。
──例えばそれが本来生物の死角たる視界の外から迫るものであっても、同じこと。
肉を貫く重い音。苦痛に満ちた声を上げたのは、木々の陰に隠れて後方から矢を放った賊の方。
何が起こったのか判らない、という顔をしていた。彼奴からすれば、撃ったと思った次の瞬間には跳ね返ってきたように思えただろう。
その左肩口には己の射た筈の矢が貫通し、背にしていた樹木に深々と縫いとめられる形となっている。
抜こうにも出血への恐れと苦痛から叶わぬらしい。──故に暫し捨て置く。
ミステルの伝えた状況を私は忘れては居ない。確認できただけで六人。そう言っていた。
おそらく何らかの理由で離れていたメンバーだろう。
着地の瞬間を狙っての狙撃。実に頭の回ることだったが、運動と運動の間に存在する一瞬の静止は、必ずしも私にとっての窮地とは限らない。
種明かしは後に譲る。
「兄ィ、アロウの旦那が!!」
「くそ!? なんだ、このガキ! 呪文も無しに矢を弾きやがった、だと!?」
「猿みたいにすばしっこく跳ね回りやがって! バケモンが!」
振り返った所で仲間の姿が見えたか、慌てふためく大男らとは異なり、動揺しながらも詠唱を破棄しなかった魔術師ふたりは評価しても良い。
だからといって、逃しはせぬが。素早く私が抜き放ったのは、腰に下げた二本の剣。
一本は、お世辞にも実戦に向いているとは言えぬ儀礼小剣。
翼を思わせる鍔と美姫の頭部を模した柄頭は黄金。惜しげもなく色石が象嵌され、繊細な装飾を彩っている。
すらりとした華奢な剣身は水晶細工のように透き通り、艶やかに光を弾く。
もう一本は、その真逆を行く、艶の無い漆黒の両刃長剣。
黒銀の鍔の中心に、眼を思わせるアイスブルーの石が煌く他は、何処までも無駄が無く実用的な造りをしていた。
片手で扱うには聊か重厚な外見であるが、私にとっては羽のように軽い。
どちらも私が有する大業物の魔剣である。繊弱なこの身を、よく補ってくれる頼りになる手足だ。
二刀を音無く構えた瞬間──
《皇子(みこ)さま、良いかしら? 良いのかしら? キラキラと キラキラと お星様みたいに飾り付けても?》
先ず響いたのは、歌うよな蠱惑のソプラノ。
周りには私たちのほかに新手の姿は無い。痴れ者どもにも聞こえたようで、ぎょっとした表情を浮かべるのが見えた。
私が手にする剣はすべて特有の意思を持ち、殆どが口を利く。私がひとりではないとミステルに答えた理由が彼らの存在だ。
あまやかな声の主は、きらびやかな結晶剣の方。少々お喋りだが、『彼女』の能力はこのような多人数相手の狩りには都合よい。
「──許す。存分に振舞え、"宝石姫(スフェル・ファム)"」
《まあ うれしいわ うれしいわ! お花を咲かせようかしら? それともベッドを用意してあげようかしら? うふふ フフ どちらも素敵ね 素敵ね》
水晶めいた剣身──"宝石姫"の刃が明滅したかと思うと、次の瞬間、宙空に生み出されるのは無数の飛礫。
そのひとつひとつが、紅玉に青鋼玉、金剛石──何れも希少で硬い貴石で形作られている。
魔術師度もが詠唱を急ぎ、大男どもが間に割って入ろうと動くが、遅い。その暇は与えぬ。
《決めたわ 決めたわ 手足にお花を咲かせましょ 綺麗な花を咲かせましょう?》
刹那、数多の宝弾が空を切り裂いて飛んだ。
「ギャアアアアッ!!」
「ヒィイイイ!!」
無邪気な魔剣の笑声と裏腹に、吹き荒れるのは美しくも残酷な結晶の雨霰。
手足を撃ち穿たれ、魔術師どもは悲鳴を上げてのた打ち回る。構築途中だった術式も霧散していった。
先ずは後方支援から潰す。援護を担う者を先に落とすのは戦場の定石のひとつだ。
どうやら思ったよりもその戦術は有効に働いた様子で、倒れた魔術師たちに現れた変化に、残る賊は顔色を失っていく。
魔術師たちの怪我した四肢からは、奇妙にも──出血がなかった。
代わりに弾が埋まったままの傷口から、血が結晶したかのような透き通る赤花が芽生え、それは次から次へと手足を埋め尽くすように狂い咲いていく。
最早魔術師どもは悲鳴も無く、己の手足が紅玉の花の苗床になるのを見ている他無い。こうなってしまえば痛みと重みでまともに動けぬだろう。
如何に憎い痴れ者相手とはいえ、嬲るような真似は趣味ではない。一撃必殺こそ望むところ。
何より無用の流血は同胞(はらから)の神経を刺激してしまう。好ましくない。
"宝石姫"の特性は、世界に存在する様々な"要素"から数多の鉱物を練成し、操ること。人の肉体とて、彼女の魔力にかかれば冷たい石の材料になりうる。
血を流さずに場を制するには向いた魔剣だ。──却って悪趣味、という評価を受ける可能性も否定はしない。
《やれやれ、ファム嬢はお遊びが過ぎる》
溜め息を吐いたのは重厚なバリトーン。
やはり、もう一本の魔剣──私に最も忠実な剣の片割れ、"黒帳(ドゥンケルハイト)"にはお気に召さぬ光景であったようだ。
《ドゥンケル殿は遊び心が足りないわ? 足りないわ? 人生の最後だもの 終幕だもの 綺麗に送ってあげま ショウ?》
《斯様な無礼者ども、飾る価値もない。一撃で首を落とす方が美しいのでは?》
魔剣たちの会話は、凄惨な場にあって場違いなほどに──内容を捨て置けばの話だが──優雅な響き。それが却って空恐ろしく思えたのだろうか。
「おい、お前ら撤退だ! ずらかるぞ! 畜生、ここにいるのは腰抜けの弱い魔物ばかりってのは、ガセネタかよ!」
「へ、へい! こんな所はもう懲り懲りでさぁ」
「兄ィ、待ってくださいよ!」
私に背を向け、斧の大男を初めとする残りの賊どもは逃げ出そうと全速力で駆け出した。
周囲には、ミステルに頼んだ援護の者らの気配を感じる。包囲は済んでいるようだ。どの道逃げられはすまい。
──だが、まがりになりにも仲間だろう者たちを、動けなくなった者たちを見捨てて自己保身に走る姿勢は、全く持って気に食わぬ。
「まこと呆れ果てた痴れ者よ。一人も逃がすな──"黒帳"」
《御意の侭に、我が主(イエス・ユアハイネス)》
恭しく応える愛剣。次の瞬間──下種三人の身体は走る姿勢も、前方を向いた顔もそのままに、真っ直ぐ私の元に戻ってくる。
まるで目に見えぬ腕によって引き寄せられているかのような現象は、"黒帳"が引き起こしたもの。
事態についていけず目を白黒させる賊を目標に、私は地を蹴り、此方からも距離を詰めた。
ひとつ──先ず剣を得物とする小男の項に"宝石姫"の柄頭を叩きつけ、昏倒させる。
ふたつ──次いで"黒帳"で直ぐ傍にいた槍使いの足元を薙ぎ払い、体勢を崩した所で回し蹴り。手近な木に叩きつけた。
みっつ──蹴り足を戻し、即座に跳躍。最後に残るリーダー格の胸甲に守られた胴へと、"黒帳"の剣身を振り下ろす。
骨が数本纏めて砕ける鈍い音と絶叫が、森の中に響き渡った。
最終更新:2011年07月06日 22:49