03「制服と招待状と私 中編1」

※ また微妙に設定クロスオーバーだったり。


 『特区』は地下に存在する異種の郷。元より昼も夜もない場所ではあるが、それでも地上のサイクルにあわせて天井に宿るヒカリゴケたちは明暗を造る為に一応昼夜の別はある。
 その中にあって尚、明けない闇の帳の結界のなかにその館は存在していた。直に赴いたことはないが、黄昏向こうの眷属たちが住まう『夜の国』というのは恐らく国土全てが斯様な永の宵闇に守られているのだろう。屋敷の水晶窓から見える常に変わらぬ黒い景色は、私──フィロスタインにそんな印象を抱かせる。
 入り口で"自動人形(オートマタ)"の使用人が申し出た付き添いを、『これより先は私事に付き無用』と断り、家主の趣味を映した品格を損なわぬ程度に美しく飾り付けられた邸内、長い廊下を単身抜けて辿り着いた先、黒樫にオールドローズの紋様が刻まれた扉を叩く。

「フィロスタインです。……招聘に応じ、参上致しました。リリアローゼ」

「──入りたまえ」

 私の声に答えたのは、典雅にして甘露、清澄でありながら淫蕩。鶯が蜂蜜を嘗めたかのような美声であった。短い応答であってもひどく存在感がある。
 扉越しであることの無粋に耐えられず、声の主を一目見んと我を忘れて扉を蹴破りたがるそんな輩も出るかもしれぬ。──赤子の頃より聞き慣れていれば、そんな風に客観的に判断する余裕もあろうというものだが。
 私は無言で扉を開けた。中で待つ相手は、己が待たされるのを好まない。

「やあ、フィー。すまないね、多忙なお前を呼び立てたりして」

 一品で下手をすれば家ひとつ購えてしまう程の高価なソファに優雅に腰掛けたその吸血鬼は、言葉とは裏腹に悪びれしない声音で入室した私を迎えた。
 超一流の職人が技巧の限りを作り生み出した美麗な家具も、彼女を前にすれば色褪せる引き立て役でしかない。

 声の印象を裏切らぬ絶世の美貌。使い古された陳腐な言葉ではあるが──国を幾つも傾け滅ぼしたこともあるという彼女の、その美しさを伝えるには私には語彙が足りぬ。身内の贔屓目などではない。そんな発想すら、実物を目にすれば吹き飛ぶだろう。
 腰まで伸びた仄かに黄緑みを帯びたプラチナブロンドはそれ自体がひとつの生きた細工物であるかのように艶やかに彼女の顔を、肌を自然に縁取り流れる。
 至極の宝石を填め込んだ、という表現が最も近い形の良い双眸は、蜂蜜か貴腐ワインを思わせる、透き通りながら深みのある黄金をしていた。
 肌は最高級のシルクでさえ比すればごわついて見えるだろう、滑らかで柔らかな印象の乳酪色。桜貝の爪の先まで全てが丁寧に、バランスよく存在する──薄すぎず厚すぎない、完璧な肉付きとラインで構成された肢体。
 古風な仕立ての豪奢な白いロングドレスも、"綺銀(ミスリル)"と"虹色金剛石(レインボーダイア)"を惜しげもなく使った髪飾りも、腰掛たるソファと同様の役割しか果たさない。この部屋において彼女こそが女王。全てをその美しさだけで従える絶対の主人だった。それは、外においてすらも余り代わらぬかも知れぬ。

 リリアローゼ・ヴェト・エッチェンベック・フォン・シュヴァイツァーというのは"そう言う"存在だ。"高貴なる腐敗"の銘を持つ紛う事無き"不死者たちの王(ノーライフキング)"、心ある者から時に事象まで堕落させ、支配し、下僕とする──吸血鬼の備える異能の中でも特に"魅了"という一点に特化した"旧き世代(アルハイク)"の真祖。
 何故彼女が産土の地である『夜の国』を出、父上と共に果てない放浪の果て──この地を永の楽土としたのか知る者は、本人と我が義父を置いて他に居ない。リリアローゼは最も古くから父上の気の置けぬ親友であり、助言者であり、片腕でであった。かつて『夜の国』の宮廷で他の力ある真祖らと見えない戦いを繰り返し、権謀術数に精通した彼女は、アルコ・イリスの黎明期、『特区』成立の際にも影に日向にと暗躍したらしい。私にとっては赤子のみぎりその乳で直に育まれ──その後も礼節や勉学の類を叩き込まれた、愛すべき、そして最も恐ろしい母代わりである。
 今は多くの役割と責務を『特区』内の夜の子らに譲ったが、邸宅のある"黒の谷"に於いて悠々自適の楽隠居、というには『地上(うえ)』にも『特区(した)』にも影響力と人脈を持ちすぎている。未だ魔術医師としては完全に現役であり、『特区』において彼女を超える医者は居ない。その腕を頼って議会が訳有りの──だがどうしても救いたい患者を、秘密裏に運び込むこともある。

 そんな彼女が私を呼んだとあれば──応ぜざるをえない。それがどんなに忙しい時であっても。
 大凡彼女はくだらない事やちょっとした事で──何しろ古の吸血鬼というのは倦怠を恐れ退屈を嫌う──私を呼び出すので、今日も七割五分程度の確立で『そう』なのだろうが。残りの二割五分の可能性を否定できなかったし、何より彼女の機嫌を損ねると後が怖い。正直な話、他の住民の命が賭かるような火急の事態ならば兎も角、そうでなければ後々有形無形の嫌がらせを受けることは私としても避けたかった。下手をすれば此処に来ることよりも余程多くの時間を払わされることになる。
 先程の言葉に、『少しでもすまないと思うのなら、くだらない用事でいちいち呼ばないで貰えませんか』などと馬鹿正直に告げることは勿論できない。私とて多少の処世術は心得ている。

「構いません。一先ず都合をつけて参りました。……しかし、ロゼ。いい加減その呼び方は辞めて頂けませんか」

 とはいえ、我慢できないこと、というのもある。何度も口を酸っぱくして言っているのに、一向に改善されぬ私への呼びかけには流石に文句のひとつも言わずにはいられなかった。
 別段、只の愛称であれば呼ばれて不快になることはない。ただ、ロゼの私に対する呼称には含みがあるのだ。『フィー』というのは、私がまだ幼く分別のつかなかった頃、己を指して使っていた語である。
 そう言った事情をよく解かっているロゼに『フィー』と呼ばれる度、お前はまだまだ子供なのだよと──実際200歳で漸く成人と認められる吸血種からすれば私など胎児以下なのだろうけれど──言葉にせずとも言われているようで居心地が悪い。

「おや、つれない。お前が一番可愛らしかった頃を偲んでの事だというのに。お返しに、昔のように可愛らしく『かあさま』、と呼んでくれても良いのだよ?」

 さも残念そうに言う、飄々とした口ぶりは彼女の常態だ。この真祖には幾つか困った悪癖があるが、気に入った相手はとことん構ったり、からかったり──彼女に言わせると可愛がっているつもりらしいが──せずには居れぬと言うのはそのひとつ。何かと煙に巻き、混ぜっ返すような物言いもその一環だ。

「……っ! 年齢一桁代半ばまでの話でしょうが! それより、用件を早くお教え頂けませぬか? ──こちらも"多忙の身"ですゆえ?」

 嫌味のつもりで返したが、完全に偽りというわけでもない。外部からの侵入者に対する警戒・対応だけでなく私には多くの仕事があった。──警邏よりも尚、深刻な人手不足が我々の頭を悩ませる問題がある。

 外交とそれに関わる内政だ。

 別段統治においては然程問題も難しいこともない。住民の殆どは長たる父上やロゼを初めとする各種の代表者の寄り合いたる"長老会(ウィタン)"の意向に背くことはない──そもそも魔物の多くは己の力量を良く弁えているものだ──、あるいは不干渉の姿勢を貫いている。そもそも『特区』内においては税もなければ義務もない。ただ、区内では争わず、外のものにも迷惑をかけず。その不文律を遵守するだけでよい。あとは相互扶助の精神と強い同胞意識による結束で『特区』内は成り立っている。
 ただし、『特区』そのものの維持の為には、アルコ・イリス議会との協調が不可欠である。納税の義務、協力の義務、その他様々な義務を果たす必要があり──外部と関わる全ての出来事には同じだけの文書類の交換がついて回った。これから先も誰も侵さず、侵されず、静かにこの地で生き続けていく為には、ひとの遣り方に従う必要がある。一歩外に出れば我々とて、アルコ・イリス大法典の束縛からは逃れられぬのだ。

 しかし、残念なことに『特区』においては上の議会に通す書類仕事のできる人材・魔材というのはそれだけで重宝される位に希少な存在である。文字を苦手とする魔物、そもそも人型をしていない魔物、長期間変身に耐えられぬ魔物は『特区』に置いて圧倒的多数派を占めていた。必然的にそれらに当て嵌まらぬ少数派の魔物や、ミステルのような魔女族、異能者、混血などが内務の多くを引き受けることになるのだが、魔女や異能者、混血は純粋な『特区』出身者より外から流れ着いた者が殆どであり、中には精神に傷を負い、外と関わることそのものを拒否している者が少なくなかった。須らく政務の類は『特区』もまたアルコ・イリスの一部である以上は、外部との連携と対話──必然的に彼らが苦手とする人間との接触を含む──なくしては立ち行かぬ仕事である。心的外傷を押してまで筆を取ってくれ、手を貸してくれと強要することが出来よう筈もない。また個人の向き不向きという、どうしようもない資質の問題もある。
 そうして諸々の理由から選り分けて行くと結果として、書類作成と提出に携わることができる者はほんの一握り。現在、『特区』内では魔物の教育浸透が進み、識字率も上がりつつあるが、それでも物理的に書けないという問題は解決できない。昔は父上も非常に苦労したらしい。そして、今現在は父上の代理人を勤める私が苦労している。何しろ重要書類の多くは一度は私か父上の認可を必要とするのだから。
 今日も、地上からの新しい入植者であるゴブリンたちの引き受けと身柄の引渡しなどと言ったまた込み入りそうな案件を、どうにか目処をつけた後の休憩時間を利用して此処にきている。本当なら仮眠にでも当てる時間だが、他の執務時間を削ることは出来ない以上、仕方ない。
 父上の傍で長く政務に励み、今現在内政と外交に使える人材の多くを治める種から輩出しているリリアローゼが政治周りの大変さを理解していない筈がないのだが。それでも、何かあれば真っ先に彼女に呼び出されるのは私だった。

「解かっているからそう怖い顔で睨まないでおくれ。折角の可愛い顔が勿体無い。……なに、少々頼みがあってお前を呼んだのだよ。『地上(うえ)』に歳若い真祖の娘が越してきた、という話は知っているかね?」

「誰が可愛いですか! ──話自体は耳に入っております。外から街への移住者の中でも、『特区』預かりになる可能性の少しでもある者については可能な限り、資料を回してもらっていますから」

 ようやっと始まった本題、ロゼの問いかけに私は頷きで返した。尤も、資料を閲覧しても大概は実際に会うことはなく、取り越し苦労に終わることが多いのだが。アルコ・イリスは懐の広い街だ。きちんと審査を通るような異種は概ね受け入れられ、己の居場所を『地上』に見出していく。
 真祖の移住者は珍しいが、昨今の吸血種は魔法医療技術の目覚しい進歩もあり、以前程人族との断絶の溝は深く無くなりつつある──種としての問題も山済みであるらしい吸血鬼としては複雑な所なのかもしれなかったが、目の前の"旧き世代(アルハイク)"は涼しい顔で、「試練無くして栄華の続く種など存在しえぬよ。寧ろ斜陽の時にこそ種の真価や進化が現れる」等と言っていたものだ──。件の真祖の娘は様々な弱点を克服した"混沌の寵児(デイライトウォーカー)"でもあるという。此方預かりになる可能性は限りなく低いと、そう踏んでいたのだが。

「なら、話が早い。私も夜会で耳にしたのだが、その娘は銀髪紫眼の真祖であると──こんな目立つ特徴を持つ血統を、私はひとつしか知らない。私の旧い友人ユスティーツァの血縁だ。調べさせた所どうやらこの"お嬢さん(レディ)"、年端もいかぬ身で意に沿わぬ結婚をさせられそうになり──それを嫌って家を飛び出したらしい。しかも置き土産に婚約者殿の半身を塵芥に変えてきたという。"新しい世代(ニオファイト)"にして置くのが惜しい、実に気骨のある子じゃあないか。吸血種というのはそうでなくては。己の矜持に沿わぬ者には従わず、自立心を持ち、己の道は己で切り開く──"新しい世代"の多くはその在り様を忘れているものが多いようだが、"夜闇の貴族(ノーブル・ブラッド)"というのはね、元来そういう存在だった筈なのだよ。我らは意に沿わぬ"摂理(かみ)"に背を向けた種なのだから」

 上機嫌に話すリリアローゼはいたく饒舌であった。興が乗った彼女の特徴。
 ……どうやら私の知らぬ所で、その令嬢はロゼの琴線をいたく刺激してしまったらしい。顔と名前と簡単なプロフィールしか知らぬ相手だが、内心で同情を禁じえぬ。"高貴なる腐敗"は一度気に入った相手は飽きるまで──そして彼女は残念なことに熱しやすく冷めにくい──手を伸ばし続ける。下手に抗うと抵抗する方が燃えるという性質であるからして、尚更に度し難い。

「ようするに、その少女が気に入ったので、ちょっかいをかけたくて仕方がないのですね」

「うん。あとはまあ、実に個人的なおせっかいだよ。……何しろ女の子の一人暮らしだ。何かと物が入り用だったり、助けが必要になることもあるだろう?」

 私の発言に全くブレも照れもなく頷いた後、少しだけロゼは真面目な目をして言った。

「しかし、貴方が気に入るほど確りした貴種の娘ならば、下手な施しなど受けぬのでは」

「その可能性は否定できないがね。地上と地下と言う違いはあれ、同じ街に住む同属と伝手を作っておく、というのは彼女にとってもそう悪い話ではないと思うよ」

 吸血鬼というのはそう数が多い存在ではない。それ故、同属の嫌った相手に対する拒絶の凄まじさは言語に尽くしがたいが、逆に眼鏡に叶う愛すべき相手に対する仲間意識と親愛は強いものだと聞く。「我々はエゴイストだからね、気に入った相手がどうにかなって苦しむ己の不快を見過ごせないのさ」──そうロゼはのたまうが、私は、それはとてもやさしいと言うのだと思っている。どうせ言いくるめられてしまうから、口にしたことはなかったが。

「本当なら私本人が行くのが一番礼儀に叶うのだが、一応、急患のあるかも知れぬことを考えるとそうそう『特区』を離れられない。意思のない自動人形たちでは礼を欠くし、私の"眷属(こどもたち)"の多くは君に貸してしまっている。ならば個人的な友人か『家族』に頼む他ないだろう? とはいえ、ある意味一番暇なエラバガルスを外に出すわけにはいかないね。あれが下手に塔に近づくと、それだけで議会に境界侵犯だの何だのと言われてしまう。ミステルはひとりでは『地上(うえ)』には上がれない。──他の友人もまあ、それぞれの事情で動かせない。それで、だ」

「ようするに、私に貴方の個人的な御使いをして来いと。……事情は解かりましたが、生憎そこまで自由に動かせる時間が私には暫くありません」

 滑らかな語り口で続けたリリアローゼの言葉を、私は途中で遮った。余りひとの話を止めるのは行儀良いと言えないが、無理なものは無理なのだから仕方ない。
 戻ったら片付けなければ成らない書類が、私の部屋の机の上には山と積まれている。見ないで済む物ならば目を逸らしたくなる時もあるが、書類という奴は見ようとしなくても消えてくれない。寧ろ目を逸らす分だけ案件が増えるのだ。
 ここの所、『地上』は何やら騒がしく、『特区』に外から来るものの数も例年より増えてきている。その影響を受けて、私の仕事も増加傾向にある。正直、多少寝なくても問題ない、真祖の身体が羨ましくなる位だ。ないものねだりをしても仕方ないことではあるが。──それに、先日の『特区』への来襲を唆した闇色フードの人物の件もある。議会からの要請や月修めの交易に出るならば兎も角、余り『特区』を留守にしたくはなかった。

「察しが早くて助かるよ、フィー。しかし、取り付く島もないね。そんなことを言っていいのかい? これが、君の父上の認可を取っていることであっても?」

 私の反応にもロゼは肩を竦める程度だ。そう返されるのは予想していた、と言わんばかりに。父上のことを口に出され、私が眉を跳ね上げた──その時にはもうロゼは懐から二通の書状を取り出していた。
 一通は黒薔薇の封蝋で閉じられた物で──シュヴァイツァーの紋章が入ったそれはおそらくロゼが私に届けさせたい手紙。
 そして、もう一通は封も何もない四つ折の羊皮紙で、私へと直ぐに手渡された。

「心優しい我が友は、いじわるフィーと違って私の頼みを直ぐに引き受けてくれたよ」

 揶揄るような声を隠そうともせず、ロゼは口の端を持ち上げて言った。つまりこの手紙は父上の直筆だということだ。私は即座に手紙に目を通した。
 その内容は──


『親愛なる吾子フィロスタインヘ

 この手紙を読んでいるということは、残念ながらロゼの頼みをお断りしたということですね。
 父さまは悲しいです。『特区』の中の事も勿論大切ですが、若い身空で苦労しているだろうお嬢さんと、その手助けをしてあげたくとも中々ここから出られないリリアローゼの仲の、最初の橋渡し位しておあげなさい。
 それにお前は近頃余り休んでいない様子。身体を壊してからでは大変です。折角ですから御遣い帰りに暫く羽根を伸ばしてくると良いでしょう。一ヶ月くらい遊んできたっていいんですよ?
 留守の間のお仕事はすべて父さまとみんなでやっておきます。安心していってらっしゃい。

 追伸:お小遣いもロゼに渡してありますから貰って行きなさい。お土産は"踊る荒獅子亭"の甘味で良いですよ。 エラバガルス』


 ご丁寧に、父様以外では俺にしか使えない、古竜牙の判子による押印までされていた。それはつまり、これは『特区』の長が認めた正式な書状と同じだけの拘束力があるということだ。
 内容が、威厳とか諸々損なわれるものがあるゆえ『特区』外のものにはとてもとても見せられぬ、"おとうさん"全開の内容だったとしてもだ。
 最近、俺が余り休めていないのは確かで、父様や皆がそれを気にかけていたのも知っていたが、敢えて知らぬ存ぜずを貫いていた。ロゼはその辺りの事情をうまいこと汲み取って、父様と話し、この手紙を書かせたに違いない。

「エラバガルスのお手紙は呼んでくれたかい? 改めて聞こう。……お返事は?」

 書面を読むに従って顔色を変えた私を見て、ロゼはゆっくりと細い首を傾け、答えの解かり切っている問いかけをしてくる。嗚呼、本当に性質が悪い!

「かあさまは卑怯だ! おれがとうさまの名と手紙を出されてそれを断れる筈のないことを判っていて言うのだから!」

 玉璽を出されてしまえば、逆らえない。
 俺にとって父上の存在は絶対だ。他の何よりも優先される。その上気遣うようなことまで書かれてしまっては、益々無碍に出来なかった。
 飴と鞭。ほんの子供の頃からロゼに繰り返されてきた手管だ。

 ──一流の策士というのは、ひとつの行動で二つも三つも利潤を得るという。
 己の興味と心配とを一時に何とかしてしまおうというロゼもまた、それに近いものだといえるだろう。
 そうして、何時だって俺は彼女の掌の上では転がされてしまうのだ。しかも、……悪意ばかりでないから逆らい辛い。 

「勿論、判っていてのことだよ。"私の一番可愛い子(マイスイート・リトルフィー)"」

 嫣然と笑った乳母の顔は、この世のものとは思えぬほどに美しく──それ以上に悪辣だった。

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最終更新:2011年07月06日 22:51
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