04「ハニームーン/クレイジーエンカウンター 中編」

※お酒に関しては雰囲気で書いてるのでツッコミどころ満載かもしれません…。


 壮麗なホテルや小奇麗な商店が立ち並ぶ"蜜月通り"のメインストリートから一本抜けて、裏道へ。多少薄暗くなるが、それでも此処はまだ鮮やかな黄色に輝く"虹蛇の導き"の恩恵が届く範囲だ。更に奥に行けば、表には軒を連ねられぬ店が居並ぶ如何わしい区域となる。
 私は其処まで行くつもりは無い。今日の目的地はこの近辺──表通りに程近い場所にある店のひとつ。
 金色の長い髪をした乙女の横顔があしらわれた看板が特徴の酒場。「Bar"髪長姫(ラプンツェル)"」。
 "蜜月通り"では余り数のない、どちらかといえば街の住人向けに居を構えるこの店は、リリアローゼが整えた、情報提供をしてくれるという知人との会談の席として指定された場だ。
 店の前に辿り着く頃には夜の帳が完全に降りていた。大通りを照らす"虹蛇の輝き"は、よりくっきりと輝く尾を空に伸ばしている。時間的には問題ないはずだ。かなりの余裕を持って宿を出てきていた。

 ドアベルを鳴らしながら店内へと足を踏み入れる。耳に入ってくる心地よい旋律は、雇われの歌姫が紡ぎ上げる甘やかでしっとりとした恋歌。バーカウンター内では、深緑色をしたベルベットのチョッキを着込んだ白い"猫妖精(ケット・シー)"──妖精の名がついてはいるが物質化の進んだ種族であり二足歩行の大きな猫の姿をしている──が、グラスを磨いていた手を止めて愛想よくニンマリと笑い私を迎えた。

「いらっしゃいませですにゃあ」

 特有の猫訛も猫の鳴き声に似た柔和な声音も愛嬌があってついつい和んでしまいそうになるが、ただでさえ私は──不本意ながら歳より二つ、三つ。下手をすると四つくらい若く見られることもあるので、表情を緩めず、口を引き結んだまま小さく頷くに留める。

「にゃあ、今夜も佳い月ですにゃ。お酒もおつまみもおいしい晩にゃのですにゃ? 今日は"翡翠(ネフライト)通り"の市から良い虹鱒を仕入れてますのにゃ。おすすめですにゃ」

 にゃあにゃあとセールストークを続けるバーテンダーには申し訳なかったが、人待ちである旨を伝えると雰囲気が僅かに変わった。透き通るブルーの目をスウッと細め、改まった声を出す。

「──ご注文はなんですにゃ?」

これが符丁だ。Bar"髪長姫(ラプンツェル)"は、誰でも入れるオープン席とは別に、予約した客しか通さない密談用の個室を奥に持っている。其方に行くには予め教えられたメニュー名を伝え、既に相手が来ていれば先方が待つ席に案内し、そうでなければオープン席内で待ち合わせ相手を待つ形となる。奥を使う客が全員揃って初めて奥に通される仕組みだ。符丁に使われるメニュー名は、日付と使用する個室にあわせて変わる形になっている。その為か"髪長姫"のメニュー数はこの辺りでも随一だった。

「ARCO-IRISを」

「それでは一番奥の席へどうぞ、ですにゃ」

 七虹都市名物のひとつである、プースカフェスタイルのカクテル名を告げると、頷いた猫妖精はカウンター隅の席を示す。そこにはまだ誰も居ない。どうやら私のほうが先に来たようだ。
 促されるままにカウンターの一番奥に当たる場所まで行き、木製の椅子に腰を下ろす。白いケット・シーが、獣の前足に似た手とは思えぬ器用さで慎重に虹色のカクテルを作る間、何の気なしに私は店内へと視線を遣った。

 自由なアルコ・イリスらしい心地よい混沌と喧騒が其処には在った。店内の客は半ばが人間だが、残り半分は様々な異種族で構成されている。楽しげに人間の若者と酒を酌み交わすエルフの婦人。職人とおぼしきドワーフたちが麦酒の肴に虹鱒のムニエルをつつき、うっとりと歌姫の歌声に聞き入っているのは軽装のハーフリング。バーの中心に設えられた小さな舞台で玲瓏たる歌声を響かせている歌い手は、耳の上の鰭のような飾りも美しい、翡翠の長い髪をした人魚の娘だ。少し疲れた様子の"翼人(フェザーフォルク)"の男は仕事帰りだろうか。葡萄酒のグラスは半ば手をつけた当たりで放置され、物憂げな瞳を窓の向こうへと投げている。狼や獅子といった勇猛な獣の相を持つ獣人たちが肉料理に舌鼓を打つテーブルの隅で、蝶の羽を持つ華奢な小人が幸せそうに蜂蜜を嘗めていた。珍しいところでは竜人の姿もある。大柄な身体、優美な尾と翼、鋭い角も牙も猛々しい──何だか羨ましくなったのでその辺りで目線を外した。

 アルコ・イリスは本当に不思議な街だ。聞くところによれば、外ではこんな光景は珍しいものだという。中には大手を振って外を歩くことができない種も少なくない。迫害、搾取の憂き目にあうことなく、大法典を遵守し、税金を納める限りは平等に庇護を受けることができる──どこの勢力、思想、国家にも格別肩入れしない、七虹都市だからこそ許されると。
 背徳の都、七罪都市と蛇蝎の如く忌み嫌うものが居る一方で──自由の都、虹の街と楽土のように夢見、この地を目指してよそから流れてくる者は圧倒的に多い。そのすべてが幸せになれる訳ではないことは、外縁の"虹の影(ラソンブラ)"の存在が証明してしまっているけれど、それでも、多くの可能性を持つ街であることは否定できないだろう。

 だからこそ、偶に──奇妙な感覚にとらわれることがある。この街に置いては限りなくすべての種が平等にちかい──ならば『特区』の民と『地上』の民を隔てるものはなんなのだろうか? 
 我らもまた、法典の庇護と束縛を受け、時に市民以上の義務を果たし、税を収めている。言葉を解し、心を、知性を持つ。あたら誰かを傷つけたり、害したりなどしない。
 勿論、人に傷つけられ逃げ込んできたものや干渉を望まぬ者らの揺籃としての『特区』の必要性や、外部の者らに干渉、侵略の可能性を与えることを避けてのことだと理解している。

 だが、偶に解からなくなる。何を持って魔物という? 姿が異形であれば魔物なのか? 平気で他者の尊厳を踏み躙れる者も「ひと」なのか?

 ──魔物と「ひと」との境界は、何処だ。

「にゃあ。にゃんだか難しい顔をしてますにゃあ?」

 すっかり思考に耽溺していたらしい。バーテンの声が思ったより近く、唐突に聞こえてぎょっとした。

「……あ、すまない。少し、考え事を」

 魔剣二本が私を気遣う気配も感じたので、それぞれの柄に優しく指で触れて平気だと伝える。
 白猫バーテンは私の答えを聞くと、鼻をひくひくさせながら近づけていたふわふわの頭を引っ込めた。

「お顔がバツににゃってましたのにゃ。それではしあわせが逃げてしまいますにゃ! シロップ多めにしときましたにょで、これにょんでニッコニコはにゃまるですにゃ?」

 そうして私の前に置かれたのは、予め注文していたカクテル──ARCO-IRIS。
 この街と同じ名前を持つこのカクテルは、七虹都市以外では殆ど見られないものだ。アルコ・イリス内では比重が常に一定に保たれた酒が都市の酒蔵で取り扱われている為、一定以上の技量を持つバーテンならば少し時間をかければ作ることができるが、それ以外の街では使用酒の比重の誤差から中々再現が難しいらしい。赤から徐々に美しい紫に染まり行く七色のカクテル。そこにもう一色加えることができるのはそれだけ腕の良いバーテンであることの証左になる。私の前に置かれたカクテルは紫の上に更に透明な層が形作られ、真ん中には桜桃が艶やかに鎮座している。白い猫妖精は、中々の芸達者であるらしい。

「──ありがとう」

 先程かけられた言葉は客商売としてのリップサービスなのだろうが、此処は素直に礼を述べておくことにする。
 軽く一礼した白猫がまたグラス磨きに戻るのを見送ってから、早速グラスを口に運んだ。
 甘いリキュールをメインに構成されたARCO-IRISは、甘党の私には飲み易かった。成る程、これは確かにニコニコできそうだ。
 折角の八層の彩りを崩してしまうのが勿体無くて、上から順に少しずつ呑む。そういえば酒を飲みにくるなど久しぶりだ。ひとりで、となると数える程しかなかったことを思い出し、此方にいる間はもう少しこういった社交場にも足を運ぶべきか──等と思案していたところで、ドアベルが鳴った。

 反射的にカクテルを飲む手を止めて入り口側に目を向けると、一瞬ゾクリと首の産毛が逆立つような心地がする。
 どうして店内の他の客は誰も警戒しないのか不思議でならなかったが──それだけ巧妙に気配を偽造しているということなのだろう。それでも、半ば竜の知覚を借りている私に誤魔化しは利かない。

 年の頃は十代後半から、どう多く見積もっても二十代前半──とはいえ、この街に置いては外見年齢ほど当てにならないものもなかったが──、それ位のまだ若い男に見えた。
 艶やかな薄紅がかった複雑な色味のブロンド、やわらかく跳ねがちの髪が項を隠す位に伸びている。長めの髪に隠れて耳の形が解からないのも相俟って種族は判然としない。少なくとも特に異相を持たない人の姿をしているから、ぱっと見てそれと解かる異種族ではないようだ。だが、気配は純血の人間と言い切るには独特だ。華がある、人を惹きつける力のようなものがある──それは何処か魔を帯びているように思えた。
 形の良い眉の下、少しツリ気味の双眸は透明と深みが同居する金色──蜜酒の色。その色彩に似た色を何処かで見たことがある気がした私は──全体の造作に目を通して、息を呑んだ。
 リリアローゼ。あの貴腐の"旧き世代(アルハイク)"、魅了という概念の具象めいた吸血鬼の性別を変え、もう少し毒気を抜いて親しみやすくしたらこうなるのではないか。そんな印象を抱く位に彼女に似ている。ただし、浮かべている人を食ったような笑みは、ロゼの悪辣で老獪な毒花の美しさではなく、若さと人懐こさがありしなやかな獣を思わせた。
 別段女性的、という訳ではなくきちんと男性らしい所作であるのに妙に艶めかしい。指には呪紋がさりげなく刻まれた輪が幾つか嵌っている。隠蔽術式でコモンのように見せかけているが、実際にはもっと強い魔力を感じた。
 中背より少し高い位の、ほっそりとしたバランスの良い身体を、白いシャツと緩く結んだ檸檬黄のタイの他は、まるで厚みのある影を織り上げたかのような、異質な黒い三つ揃えが包み込んでいた。
 私の抱く違和感というか危惧は──男性そのものより彼の身につけている衣服の方から感じる気がする。布ではない、もっと別の凶悪な何かを纏っているような──

「にゃ! ヴェイの旦那、おひさしぶりですにゃあ。最近来てくれにゃいからマスターもさびしがってましたのにゃ」

 私の警戒とは裏腹に、バーテンは嬉しそうな様子で尻尾を揺らし、黒服の男──ヴェイという名前らしい──を出迎えていた。親しげな様子からして此処の常連であるらしい。

「ははっ、ソイツは悪ィな。本業のほうが忙しくってよ。……ま、また近い内に顔見せに来るから、シェスにゃお前からよろしくいっといてくれ、な。それより今日は、デートなんだけど──オレのお相手さん来てる?」

 少し気だるげだが軽妙な声で、ヴェイと呼ばれた男は気さくに返す。この声──も、何処かで聞いたことがあるような。ロゼに似ている、というばかりでなくて、私は彼と会ったことがある気がする。

「ヴェイの旦那、あんまり若い子を引っ掛けると犯罪じゃにゃいんですかにゃ? ウチから自警団に引っ立てられるのはよしてほしいのですがにゃ。……ご注文はなんですかにゃあ?」

「未成年は趣味じゃねーっての。可愛いとは思うケド。──ARCO-IRISを一杯頼むぜ」

「にゃあ。でしたら……」

 男が頼んだカクテルの名前に私は目を丸くした。この男が、そうなのか。リリアローゼの知人と聞いていたが……もしかして血縁なのだろうか? だとしたら何処か似た顔立ちにも得心がいく。
 此処で私は頭の中でピースが組みあがっていくような心地がした。リリアローゼの血縁、ストロベリーブロンドに金瞳、ヴェイという名前、蜜月通り──組みあがりそうで、組みあがらない。
 咽喉に小骨が引っ掛かったようなもどかしさに私が頭を悩ませていると、男──ヴェイは、バーテンの促しを受け猫のように音無く私の近くまで歩み寄ってきた。

「よぉ。……ロゼバアからは可愛い格好で送り出したって聞いてたんだが、なーんだ、着てねえの?」

 片手を挙げての挨拶もそこそこに、特に許可を取るでもなく自然に隣に座った男は、からかうように尋ねてくる。
 冗談ではない。あれを好き好んで着てくるとしたら、とんだ女装趣味ではないか。

「っ! あんなはしたない格好で何時までも居られる訳がないだろう!」

「デスヨネー。ま、用立ててといてなんだけど、女子制服は無いわな」

「……。……あのおぞましい衣装は貴様が用意したのか……」

 ヴェイが悪びれず肩を竦めてこぼした言葉に、私の唇からは、地を這うような低い声が漏れた。半ば呪詛めいた響きだったかも知れぬ。左の瞳が知らず熱を帯びかけ──それに気づいたらしいヴェイは、片手は無防備に挙げて、もう片方の手はまるで衣服を抑えるようなポーズをとる──些か奇妙だが降参のつもりなのだろうか。

「きゃー、ココ平和で楽しい酒場ですよー。暴力はんたーい! しっかたねーじゃん。リリアローゼが機嫌損ねると長いし怖いの、アンタも知ってんだろ?」

 要求されたら答えるしかねーのよ、とヴェイが軽く目頭を押さえる真似をしたあたりで、確かにそれもそうだと少しばかり彼に同情心が沸いた。

「……確かに。考えてみれば悪いのは用意した貴方ではなく、頼んだロゼの方だな。……失礼した」

 冷静になってみれば言葉の通りだ。子供じみた沸騰振りを恥じて謝罪すると、ヴェイは余り気にした様子もなく軽く頭を振った。

「解かってくれればオッケーだぜ。しっかし、他人行儀よなあ、俺たち初対面じゃねーのに。お兄さん、ちょっとさびしいわあ」

「……どこかで会った気がする、とは思っていたのだが、この感覚はやはり勘違いではない、のか?」

 先刻までのもやもやした感覚を思い出し、ヴェイを間近に見ながらもう一度考えてみるが、やはり明確な答えは出ず──結局、本人に答えを求める形になる。
 短いやり取りの中でも人を弄るのがすきそうな様子からして、返答を焦らされるかとも思ったが、ヴェイはあっさりと頷いて見せた。

「ウン。ま、そう焦らすことでもねえし、さっさと答えあわせといきますかね……耳かしてみ?」

 ちょい、と手招かれて素直に耳を貸す。耳朶にかかる吐息は妙に甘く、くすぐったい。こんな所までリリアローゼと似なくとも──などと考えていたのも束の間、吹き込まれた「正解」に私は目を剥く破目になった。

「何時も議会じゃお世話になってまーす。──俺は、ヴェイバロート・ベイル。現役バリバリ"蜜月通り"の顔役だぜ?」

 驚いて顔を向けた私に、思い出してくれた?と間近で笑った顔役の表情は、リリアローゼそっくりの悪戯が成功した子供の顔だった。

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最終更新:2011年07月06日 22:55
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