04「ハニームーン/クレイジーエンカウンター 後編2」

 蜂蜜酒を一杯ずつ干した後、お互い食前の祈りという習慣がなかったので、軽く食事前の感謝の言葉だけ口にして料理に手をつけ始めた。
 「形式ばった店でもコース料理でもねえし、見苦しくない位に気を楽にしてまったり食べようぜ」などと言ってはいたが、お互い食べ始めると夢中になってしまったので、品こそ欠かなかったが、あまり「まったり」とはいかなかった気もする。料理が美味しすぎるというのも考え物かもしれない。
 それでも料理の消費も終盤に差し掛かってくると落ち着いてくるもので、"肉叉(フォーク)"や"匙(スプーン)"の動きもゆっくりになり、お互い口の中に食べ物のない合間を選んで話をする余裕も出てくる。

「美味かったかー? 前からさ、細っこいしちっこいしちゃんと喰ってんのかなって気になってたんだよな」

「この上なく幸いなことに、今まで極端な飢えを経験したことはない」

 言葉を返しつつ、胸中で父上や『特区』の皆に感謝の念を抱く。餓えず飢えずすごせること、すごせたこと。それがどれだけ幸福で贅沢なことか。衣食住が満たされた暮らしを送っていられるのは『特区』の皆のおかげだ。どんなに感謝してもしきれない。
 勿論、今現在口にしている食材や料理を用意してくれたひとたちにも。

「そいつは良かった。子供がさ、腹すかしてたり泣いてんのって、好きじゃねえんだよ。まあ、リリアローゼや虹竜の旦那が居て、めったなこともねえか」

「こども……いや、私は16なのだが、ヴェイ。アルコ・イリス大法典の基準に照らし合わせるならば、とうに成人しておる」

 僅かに半眼になりつつ答えた。だというのに未だ成長期が来ないというのは不思議で仕方のないことなのだが。……顔も知らぬ肉親が、揃って小柄すぎぬことを願うばかりである。

「マジで? 悪ィ……12、3くらいかと思ってたわ」

「今12、3だとするならば、貴方と始めて会った時の私は年齢一桁ということになるだろうが!」

 本気で驚いた、という顔をされると、年齢云々で腹を立てるのは大人気ないとわかっていても、少し語調強く言葉を切り返せざるを得ない。

「いや、あん時もさ、こんなちっこい子供が大丈夫か? っておにーさん密かに心配してたワケよ」

 取り越し苦労だったけどなーと語りながら、蜂蜜酒の入ったグラスを傾けたヴェイの目は、懐かしそうだ。

「議会が『特区』の住人と遣り取りしたり力を借りたりしてるのは先代の親父にくっついて仕事してたし前から知ってたけどさ。いざ自分が顔役になって、古竜の代行人に会ってみたらちびっこで。なのに議会の要求バンバン受けて頑張ってるとか目にすると衝撃だったわ。……んでさ、一回仕事の外で会ってみたいと思ってたのよねー。なかなか機会がなくって、こうしてもう結構大きくなってからのご対面になっちまったけどよ」

 そういう、親戚の子供の成長を喜ぶ年上のような目をするはの止めてほしい。悪意がないのはわかるが、なんとも気恥ずかしい。 第一、そう言われると怒るに怒れんではないか。
 私は、気持ちを誤魔化すように黙って胡桃パンを頬張った。
 もぐもぐとパンを咀嚼していたら、不意にヴェイが少し身を乗り出してきて、私の目を覗き込んできた。人の心の奥底を見透かすような金色の視線は──貴腐の"旧き世代(アルハイク)"をどこか連想させる、静かで透徹としたものだ。思わず息を呑んで食事の手が止まる。ロゼの目には慣れているが、少し雰囲気が違うとまた別の衝撃がある。どうかしたのかと視線をどうにか合わせて返せば、真っ直ぐ見据える位置を維持したまま、ヴェイは口を開いた。

「……食事も終わりそうだし、もうちっとしたら本題に入る。そうしたら聞けんくなるから今のうちに個人的な質問しとくわ。まあ、こりゃ俺の個人的な好奇心だから、別に答えてくれなくていーんだけど。……大変じゃねえの? 人間が、『特区』の長代行ってのは。別に、フィロがそこまでする必要ねえだろ? 六年前まではずっと、虹竜の旦那が仕事をこなしてたんだし。……ああ、別にケチつけるワケじゃねえよ? 仕事ぶりは大したもんだって思うし、どんなに強力でもそうそう動かすワケにゃ行かない"鬼札(ジョーカー)"のエンシェントドラゴンより、小回りと言い訳が利く分──言い方は悪ィけど使い勝手が良くなったって評判だし。そういうの抜きにしても俺も認めてるよ、おまえのこと。……だからその分割と無茶振りされてんのも知ってる。それでも、頑張ってられんのは、頑張るのはなんで? いっぺん聞いてみたかった」

 一瞬、息が止まるかと思った。ヴェイの問いかけは、私の──俺の真ん中を貫くような問い掛けだった。
 全てを見透かすような目から視線をはずすことも、このまま口を噤むことも、禁じられたわけではなかった。
 多分、そうしたらヴェイは変なことを聞いて悪かったなどといって、何事もなかったようにするのだろう。そんな気がした。

 なのに気がつけば話し始めていた。俺は、もしかしたら誰かに聞いてほしいと思っていたのかもしれない。懺悔のようなものだ。

「……はじまりは、父上が少しでも休めるように。そして、歯痒い思いをしないで済むように。古竜の力は、強すぎて容易に振るうことを許されぬから。私が、あの方の手足になって動ければ、とそう思った。みんなの役に立ちたいと思った。血のつながりも何もない俺を、人間のこどもを、『特区』の皆は、たくさん、愛してくれたから。その分、返したい、と」

 一番最初はそうだった。それだけだった。皆の為になるんだ、と、そんな幼い決意。成長するにしたがって、世界を知るにしたがって。何時の間にか、それだけではいられなくなってしまったけれど。懐かしくて、苦しい。

「そいつは義務感? 恩返しの為ってことか?」

 疑問というよりは、俺の言葉の続きを促すような響きだった。問いを受けて言葉を返す。気づけば瞳を伏せていた。ヴェイの瞳の色はどうしたって、リリアローゼを思い出させる。

「そんな大層なものや、きれいな気持ちだけじゃない。結局は……俺が、そうしたいからだ。何かせずにはいられなくって。そうすることで許してほしいんだ。あの場所に俺が居て良いと。……少なくとも、役に立てば、すてられない、だろう? 俺が頑張るのは、頑張れるのは、そういう打算からだ」

 あのやさしい人たちがそんなことをするとは思わない。けれど、沢山、保険をかけないと安心できない。
 殆ど初対面にも等しい相手に何を言っているのだろうか。否、寧ろ──縁や所縁の薄い相手だからこそ答えられたのかもしれなかった。
 魔剣たちも聞いているのは解かっていたが、賢い彼らは無闇矢鱈と聞いたことを吹聴する真似はするまい。

「……こりゃ、……」

 俺の告解にも等しい言葉を聞いた後、ヴェイはポツリと何事か呟いたが、殆ど唇の動きだけの声にならない独白で、俺には聞き取ることができなかった。

「だが、ま、納得は出来たぜ。居たい場所に居る為にがんばるっていうのはそうおかしいことでもねーわな。……ただ、若い内からあんまり気張りすぎんなよ? ハゲちまうぜ」

 そう言って、ヴェイは私の長い前髪を摘み上げた。声音は、重くなりかけた空気を攪拌しようとするように冗談めかされ、軽い。
 両目が人によって曝されるという状態は余り慣れなくて、反射的に身を引きかけたら、あっさりとヴェイの手は離れていった。乗り出していた身も下がって、元通り対面の椅子に適切な距離を保って座る。

「余計なお世話だ。……そもそもどうして、あんなことを聞いた。別に……私がどう考えて、動いていても、議会の意に背いたり、邪魔をしなければ関係ない、だろう?」

「まあな。けど、俺は最初に言ったろ? 個人的な好奇心だって。議会の一員、蜜月通りの顔役としてじゃなくて、一個人として聞いたんだよ。親戚のばあさんが大事にしてる子は、背負い込みすぎて、無茶してねえかなって」

 今度は俺が疑問に思ったことを口にすると、引っ込めた手を頭の後ろで組んだ状態でヴェイは苦笑を浮かべた。そして、彼が誰のことを言っているのか理解した俺は眉を下げた。

「……リリアローゼが、何か言ったのか?」

「情報交換のついでにな、色々雑談すんだよ。街のこととか互いの近況とか。そんで、お互いの家族の話とかもするわけ。……そん時にさ、ロゼバアが一番楽しそうに誰の話するかっていったら、おまえのことだよ。今回も、お休み遣っても持て余すだろうから、話がてら気紛らわしの手伝いもして遣ってくれ、って。ま、プライベートで楽しくもないオシャベリするほど暇な身でもないわけで……前々から気になってたから引き受けたんだけどさ」

 だから別に嫌々こういう風に話してるわけじゃねえよ? と、ヴェイは念押ししてきた。それを疑うつもりはなかったので頷くとともに、離れていてもロゼに心配されているのが良くわかって──申し訳なくなる。どうして、俺は信じきれないのだろう。

「っ、すまないが、先程言ったことは、ロゼには内密で……」

「……そりゃ、聞かれたくねえよな。……ああいう風に思ってる、ってのは。……でも、どうしようもねえんだろ?」

 解かっているのに、整理がつかない。消し去れない。その通りだったから、こくりと素直に頷いたら、またヴェイの手が伸びてきて、今度は頭を撫でられた。手馴れた──優しい手つきだ。なんだか目の奥が熱くなりそうで、困る。

「内緒にしといてやるよ。俺が聞き出しちまったことだし。情報屋のヴェイは口が堅いのさ。……あと、子供が泣きそうな顔すんのはすきじゃねえんだよ」

 俺は、余程心許ない、情けない顔をしていたに違いなかった。ヴェイの声は軽口めかしながらも、気遣うように柔らかかった。

「泣か、ない。……恩に着る」

 慰めるような手への感謝も込めて小さく頭を下げると、笑ったヴェイの顔が見えた。安堵と、人好きのする笑顔につられてしまって、少しだけ表情が緩んだら、またわしわしと髪をかき回された。

「あー、未成年は色々と対象外なんだけど、そういう弱ったり笑ったりした顔見るとおにーさん、なんか本題に入る前に道を踏み外しそうになるわぁ」

 ちょっとだけロゼバアさんの気持ちがわかるかも、等と何処までが本気か読ませぬヴェイの声のなかに含まれた「本題」という単語に俺は、思考を切り替えた。
 そうだ。俺はただ、ヴェイと進行を深めに来たり、俺の愚痴と弱音を聞いて貰う為に此処に来たのではなかった。──私は、本来すべきことを果たさなければ。

「それは、困る。……『特区』の侵入者を唆したものについて貴方は掴んでいるんだろう?」

「勿論。……それじゃ、遅くなったが、大事なお話の方をしようかね」

 私の変化に応えたように──細められたヴェイの双眸からは、先程まであった見た目相応の軽さや甘さが抜けていった。

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最終更新:2011年07月06日 22:57
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