番外「月虹ナイトロンド 壱」

※ 絶対に前中後編構成ではおわらないだろうと見越して、初めから数字をふりました。


 年修めの迫る、12の月、第三週の終わり。『特区』の最奥、父上と私──フィロスタインが暮らす、古竜の巣こと虹竜館にて。
 執務室の机上に、所狭し、山と積みあがった年末年始に関わる決済、報告、申請その他諸々の書類と格闘する日々が続くこと一ヶ月近く。私はこの何より手強い怪物どもとの長きに渡る激闘に勝利し、止めの一撃をくれてやった。ようは最後の一枚に署名を済ませた。

「終わった! 終わらせてやったぞ!! 俺はもう当分書類は見たくない!!」

「──若様。浸っている所申し訳ありませんが、完成なさったなら早々にその書類をこちらにお渡し下さい」

 腱鞘炎一歩手前までいきかけた手で、書き上がったばかりの書状を持ち上げ達成感を噛み締めていると、部屋の入り口から聞こえたこの上なく冷静な声が私を現実へと引き戻した。

 氷河の声の主はセピアの髪を綺麗に後ろに撫で付けた、壮年の男ダークエルフだった。地上の文官を思わせる落ち着いた色合いの装束を着込み、ピンと背筋の伸びた歪みの欠片もない立ち姿で、入り口から私の向かう執務机の方へと歩み寄ってくる。

 ヴィンツェンツ・クリューガー。
 『特区』では希少な、内務に携わることのできる者のひとり。計算能力と記憶力に秀でた知恵者で、『特区』内の精霊種の束ねの所から、人材不足を補う為に出向してきて貰っている。私にとっては、内政における頼りになる補佐官のひとりだ。
 決して冷徹という訳ではないのだが、感情の振れが現れ難い声と鉄面皮──そして実直すぎる物言いで随分損をしていると思う。

「すまぬ、ヴィンツ。……全部持っていってくれ。終わっている」

「かしこまりました。後はこちらで然るべき場所にお届けします」

 琥珀の隻眼をほんの微かに細めて頷き、ヴィンツェンツがひとつ指を鳴らすと彼に傅く闇の下位精霊らが何処からともなく姿を見せた。
 闇で形作られた黒い獣人といった様相の闇霊たちは、山と積みあがった書類を手分けして回収、部屋の外へと運び出していく。礼をひとつ残して、ヴィンツ本人も部屋を出て行く。

「若様」

 椅子に腰掛けたまま見送りの姿勢で居た私の方を、ダークエルフはドアを潜る前に一度だけ振り返り、動かぬ静かな表情のまま。

「明日より休暇と聞き及んでおりますが。仕事も終わっているからと、くれぐれも破目を外し過ぎませぬように」

 僅かばかり私を見据えるような視線を向けて、諌言を口にした。

「わかっている」

 色々と見透かされている気がして内心息を呑みつつも、そしらぬ顔で私は頷いて見せた。
 注意を受けるほどに楽しみにしているものがあることを、ヴィンツには多分気づかれてしまっている。明日からの休暇を勝ち取る為に、私は幾つかの予定を前倒しにしていたからだ。
 スケジュールを詰めることで己の首が絞まっても、私はどうしても明日から二日間、自由になる時間が欲しかった。正直、迫り来る仕事との戦いであったが、どうにかこうしてするべき事は片付けた。だから、文句を言われるようなことはない筈──なのだけれど、はしゃぎすぎて後日に障らせぬように、とのことなのだろう。
 ヴィンツの懸念を払拭するように、大丈夫だともう一度口にして、補佐官が漸く顎を引いて納得の意を見せてくれた所で室外へと送り出す。


 ヴィンツらが出て行き、黒檀のドアが閉じられ、執務室の中には私だけが残る形となる。

「……ふふ」

 ひとりになると、自然と唇から笑いが零れた。肘掛椅子に腰掛けたまま、背を少し丸めて足をばたばたさせる。うずうず、そわそわ。そんな擬音が身の内から膨れ上がってきそうだ。嬉しくて、楽しみで、じっとしていられない。 
 自分でもおかしいくらいに、浮ついている事はわかっていた。でも止められない。補佐官に案じられてしまうのも無理のないことかもしれなかった。
 俺がこんなにも、年甲斐無く期待している、明日、12の月四の巡り赤の日に何があるか? 答えは一つだ。

 月虹祭。

 アルコ・イリスの起源、流星と月虹を讃える祭礼。他の国家などに照らし合わせるなら建国祭とでも呼ぶべき、七虹都市でいちばん大きな祭りが、明日から地上で開催されるのだ。
 今までもずっと月虹祭は、この時期になると催されてきたのだが、ここ数年、俺は足を運ぶことはできずにいた。
 歳末になると政務の量は毎年殺人的に増えるからだ。年の終わり、始まりは何時だって凄まじく慌しく忙しい。幼い頃なら兎も角、ある程度物心ついて父様の手伝いをするようになってからは、月虹祭の時期は忙殺されるものだという認識になっていた。

 それが、今年は違った。無理でもなんでも仕事に目処をつけ、休みをとった。
 大体一月ほど前、月虹祭の告知が地上を賑わせる頃──父さまが、「今年は一緒に月虹祭に行きましょう」と俺を誘ってくれたからだ。

 父さまと、お祭り。
 心の中で呟くだけでもしあわせな気持ちになる。どうしたって表情が脂下がってしまう。
 父さまと一緒に出かけるなんて、物凄く久しぶりだ。大体十年ぶりくらいだろうか。お祭りとなると初めてのことだ。

 下手に地上に上がると、方々を刺激してしまうとか色々面倒くさいことになるので、父さまは気軽にアルコ・イリス市街に出ることはできない。
 勿論、きちんと申請を出して許しを得れば出歩くことに問題はないのだが、書状が降りるまでにはそれなりに時間がかかるし、良い顔をしないものがいるのも確かで。
 それでも今年は念入りに根回しをして許可をもぎ取ったらしい。ルーファス殿やヴェイが口添えに動いてくれもしたようだ。

「早く明日にならない、かな」

 零れた声は子供のように落ち着き無くふわふわしていた。しかし、まだまだ窓の外は明るい。
 明日、何処を回るか、回りたいか、確認しなおそうと、俺は執務机の引き出しにこっそり仕舞って置いたチラシを取り出して眺める。
 何度も何度も、暇を見つけては手にとって考え事をするのに使っていたので、『月虹祭のお知らせ』の紙は少しよれてきていた。

 屋台を見て回るのも、フリーマーケットも楽しそう。今年になって新しく出来た地上の友人たちも、思い思いに祭りに参加するようだから、顔を見に行きたい。
 ミケルは学校の仲間と展示をすると教えてくれたし、ヴェイはダンスホールの方に良かったら顔出ししろよなんて言っていた。
 クラウド卿と虹剣兵団による出し物も忘れてはいけない。噂によると外部との交流試合を行い、各国から様々な猛者が集まるという。これは見逃せない。
 仲の良い方々と祭りを楽しまれるだろうソルト嬢や、祭りの時期でも取材に走り回っているだろうティム殿。
 祭りの間町中が賑やかにさざめくのを空から眺めたり、色々な所に遊びにいったりしているんだろうアルゥ
 他にも特定の場所に居ると聞いているのでないひとたちに関しては、会うのは難しいかもしれないが、どこかで会えるなら会いたいものだ。
 父さまの希望も聞かなくては。久しぶりの地上だ。きっと行きたいところもあることだろう。

「あ、そういえば……仮装が必要だったな。何を着よう」

 仮装の夕べと書かれた文字を指でなぞりながら、私は少し考え込む。極端に突飛な格好をする必要はないが、まるきり何時もどおりというのも味気ない。
 裁縫の得意なミステルあたりにもっと早く話すべきだったなと少し後悔するが、相談に行くような時間は今日まで取れなかった。
 地上に行ったら先ず貸衣装屋を当たるべきか、などと思考を巡らせていると、ふわりと微かに蜜のような甘い匂いが鼻先に届いた。
 嗅ぎなれた香りに、はっとして紙から視線を動かす。

 すると、

「……やあ、フィー。仕事が終わったようだからね。遊びに来たよ」

 何時の間にか私の眼前には、傾城の美貌を持つ女吸血鬼──リリアローゼが、相変わらずの美しくも人を食った微笑を浮かべて立っていた。
 地上の昼日向を出歩くことは難しいが、『特区』はヒカリゴケによる一応の昼夜の別があるとはいえ、陽光からは完全に遮断された地下である。リリアローゼは、『特区』内ではまだ明るい時間でも屋敷を抜け出して活動することが可能であった。
 そういう理屈は理解していたし、この"古き世代(アルハイク)"が神出鬼没なのは今に始まったことではないが、唐突な登場には流石に驚く。

「ロゼ!? い、何時から、そこに……?」

 先程からのはしゃいだ独り言を全部聞かれていたのだとしたら相当恥ずかしい。

「今来たばかりだよ。何だい、私に見られたら困るような一人遊びでもしていたのかい?」

「執務室でそんな不届きなことをしでかす訳ないでしょう! 官能小説の読みすぎです」

 一瞬、"黒帳(ドゥンケルハイト)"を喚んで思い切りツッコミを入れるべきかと真剣に悩んだ。相変わらずロゼは頭の中身が少し残念だ。

「おや、私としてはお前がそういう遊びに耽ってくれても一向にかまわ……冗談だよ、冗談。そう睨まないでおくれ。それより、なんだかお悩みのようじゃないか。私には解かっているよ。明日着ていくものが無いんだろう?」

「やっぱりさっきから聞いてたんじゃないですか?」

 今この場に表れたにしては余りにも正鵠を得ている言葉に私は首を捻った。しかし、ロゼはゆっくりと首を横に振ってみせる。

「違うよ。この頃お前が見回り以外ではロクに外にも出ないくらい、館に詰めてあくせく働いていたのは知っていたからね。祭りに行けるようになるのに一生懸命で、きっと仮装のことなんて頭が回らなくて前日になって慌てるだろうと踏んでいたんだよ」

 俺のことをよく理解しているというのもあるのだろうが、ロゼの少ない情報からでも状況を読み取る能力は本当に的確だ。これでもう少し自重を覚えてくれたらもっと素直に尊敬も出来るのだけど。

「確かに明日着るものについては準備していません。貸衣装屋を当たろうかと思っていました」

「それはやめておいたほうが無難だね。みんな考えることは一緒だろうから、ロクな衣装が残っていないと思うよ?」

「しかし、普段どおりの服で、というのも少々味気ないでしょう。折角の祭りですし」

「フィー、安心していいよ。私がお前とエラバガルスのために素晴らしい衣装を用意し「──女装なら全力でお断りです」」

 にっこりとこの上なく美しく楽しそうに笑ってロゼが言う台詞に対して、被せ気味になるほど間髪要れず俺は断りを入れた。
 リリアローゼが用意する衣装などロクなことにならない予感がする。見た目は綺麗でも、男が着るには屈辱的なものではないか? ドレスとか出してくるのではないか?
 普段が普段であるだけに疑心暗鬼が俺を支配していた。半眼で睨めつけていると、柳眉を僅かに寄せてロゼはいかにも心外だという顔をする。

「失敬な。私の用意した衣装=女装だというのは少しばかり早計で、決め付けが過ぎるというものではないかね? フィー」

「胸に手を当ててよく思い出して頂きたい。己の趣味で今年の晩春頃、俺に凄まじく恥知らずな格好をさせたのは何処の誰でしたか?」

「ふむ、それは確かに私だったね。だが、今回はあの時とは違うよ。拒否するなら現物を見てからにして欲しいな」

 そう言ってロゼが、何処からとも無く取り出して俺に見せた衣装は、本当にまっとうな代物だった。

 衣装全体のディテールは男が着るとも女が着るともつかない、中性的な雰囲気。
 一番上に羽織るべきは、東方は倭の陣羽織に似た、袖の無い純白の長外套。上衣は詰襟。胴部はタイトに、腰の部分は絞られて、逆にそこから下は膝の辺りにかかる裾先までゆったりと長く広がる。その下は細身のズボン。編み上げのハイブーツに、長手袋。
 何れも、一見すると艶やかな光沢のある黒色──光の加減では夜藍が透けて見える、不思議な蒼闇の布地で形作られていた。銀と虹色の糸が、随所に焔を思わせる精緻な刺繍を描いて踊る。襟ぐりや袖口には繊細なレースが覗き、青みを帯びた月長石をあしらった飾り釦が美しい。
 先端が脹脛まで長く垂れ下がる腰帯も外套に合わせたように白いが、貝細工のような柔らかい煌らかさを帯びていた。帯の端には涙嫡型の水晶が幾つも連なり揺れている。
 型も縫製も現在主流の物とは違う。絵物語に見られるような古い装束だ。不思議とどこか懐かしいデザインであるような気もする。
 昔に読み聞かせてくれた、本にあった衣装でも再現したのだろうか。

「昔の友人の持ち物を仕立て直したのだが。悪くないだろう?」

 まじまじと衣装を眺める俺に対して、ロゼは少し得意げな声色で尋ねてきた。

「ああ。素敵だと、思う。……折角準備してくれたのに疑ってすまなかった。それに昔の友人の、というと大事なものなのだろうに。──ありがとう」

 予想に反して綺麗で少し日常離れした衣装をちゃんと用立ててくれたリリアローゼに対して、何時もが何時もであるから決め付けるような態度を取ってしまったことを反省した。
 俺は素直に謝罪を口にして、小さく頭を下げる。

「構わないよ。服だって着るべきものが着たほうが良いだろうし、お前とエラバガルスが祭りを楽しめるならそれで良い。ああ、後はお土産は忘れないでおくれよ」

 俺の頭を撫でるロゼの手は暖かくてやさしかった。相変わらずの子供扱いだがここは素直に甘えておくことにする。
 勿論だと俺は頷いた。願いに関してはいわれるまでもない。

 昨今の事情を省みるに、さすがに父さまとロゼとが、用も無いのに同時に『特区』を空けることは出来ない。
 本当なら一緒に行きたいと率先して主張しそうなリリアローゼは、だから、今回は留守番なのだ。
 申し訳ないと思うが、恩を着せるようなことを何も言わないところからして、納得してくれているのだろうと思う。
 土産くらい、幾らだって購ってやりたい。

「土産も土産話も楽しみにしていてくれ。それと……今度はロゼとも一緒に出かけたいな」

「それは願っても無いことだよ、フィー。ああ、あともうひとつお願いがあるのだけれど」

 俺の言葉にロゼは優しい顔をして頷いてくれて、それが嬉しかったから、未だ何かあるならそれもかなえてやりたいと思った。

「なんだ?」

 小さく首を傾げて言葉の続きを促す。ロゼは今度は──にんまりと、笑った。

「……この場で、この服に着替えなさい、フィー。サイズに問題はないと思うが、地上でだけ着られてしまうと私は堪能できないだろう? 今日のうちにたっぷりと、可愛がらせておくれ」

 前言撤回。
 リリアローゼはやっぱり何時もどおりのリリアローゼだった。


 逆らっても無駄だとよく理解していたし、下手に恥らうとロゼに燃え上がられてしまうので、俺は大人しく言葉に従い──出来るだけ平静を装って渡された衣装に着替えた。
 衣装に一つも二つもこだわりを持つロゼの用意したものだけあって、着心地は良くぴったりだった。
 採寸をしていないにも関わらず、誂えたように体型に沿っているという事実には少し慄いたが、リリアローゼだし、ということで諦めた。

 着替えたら着替えたで、どうやらロゼのツボにはまってしまったらしく、執務室の椅子を奪われ、膝に乗せられて。
 結局、ロゼが満足して館に帰るまで、俺はまだ祭りが来ていないにも関わらず仮装姿でたっぷりと弄られる(リリアローゼにしてみれば恐らく可愛っているつもり)破目に陥ったのだった。

 ──すごく疲れた。


 だが、帰りしなに父さまの分も衣装も預かって、これがまた物凄く格好良かったので、俺の気持ちは現金にも直ぐ上向きになった。
 年に一度の月虹祭の開催は、すぐそこまで迫っていた。

 一体、どんな素敵な祭りになるだろう? 
 楽しみで、楽しみで──寝坊したらまずいのに、今夜は中々寝付けそうに無かった。

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最終更新:2011年07月06日 22:58
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