番外「月虹ナイトロンド 弐」

 柔らかに整えられた絹の海。自室の寝台の上、俺は──フィロスタインは、何度も寝返りを繰り返していた。

 ──眠れない。眠くない。目蓋を落としているのに、意識はどこまでも鮮明。睡魔は訪れる気配を見せず、すっかり目が冴えてしまっている。

 これは良くない。とても良くない。明日(恐らく直に今日)は、早くから父さまと『地上(うえ)』の街に出ることになっているのに。
 1日目は挨拶回りをしながらざっと市内を回る予定で、眠たい顔をしている訳にはいかない。
 羊を数えたりと古典的睡眠導入法を試しているものの、意識は直ぐ明日の楽しみに向いてしまって、夢の世界に旅立てない。楽しみを前にした子供か、俺は。
 ここ数日書類の追い込みで、身体も意識も疲労が溜まり、眠くて仕方なかった筈なのに。人間の肉体というのはまこと現金にできているようだ。

「今夜は、このままでは眠れそうにないな……」

 溜め息と共に俺はベッドから起き上がった。ほのかに光沢のある灰色をしたフランネルの寝巻きの上に黒いナイトガウンを羽織る。
 枕と毛布を抱えると、廊下には出ず、私室から扉一枚で繋がっている隣室に向かった。


 そこは、さながら武器庫。あるいは武具の博覧会か。部屋の奥行きは此処から窺えぬほどに広い。本来なら館の構造上この部屋の存在はおかしいのだが、固定された空間歪曲術の賜物だ。
 入って直ぐの所に小さなチェストが設えられている以外は、この部屋はすべて武器たちの為にあるといってもいい。左右の壁一面に、大小長短、拵えも形状も材料も多種多様、どれひとつとして同じ物の無い、無二の《剣》たちが納められている。剣に比べれば数が少ないが、それ以外の武器もある。
 白金黄金、赤銅、青銅。黒鉄、白銀、鋼に綺銀。樹木に宝石。武具を象る素材は様々だ。中には『地上』では余り知られぬ材質を持て、飾られた一振りも散見する。暗い部屋の中に数多の刃、そのとりどりの輝きは、さながら闇夜の天鵞絨を敷いた宝石箱に綺羅星を鏤めたかの如く。

 此処は俺に力を貸してくれる数多の剣たちが休む場所。
 同時に『特区』の武器庫としても数えられる。有事には開放して、住民には此処から武器を持っていくように、部屋の剣たちには住民の力になるようにとそれぞれに伝えてある。
 また、俺が、心から安心できる場所のひとつでもあった。幼い頃から、暇なときはこの部屋でよく遊んだものだ。はじめは忠実な黒い剣のほかは、貰い物の武器たちが居る位で此処まで広くはなかったのだが、色々あって数が増えるに従い、増改築を繰り返して現在に至る。 

 一歩足を踏み入れると、皇子(みこ)、と、部屋のそこかしこから幾つものさざめくような声がする。すべて剣たちの声だ。
 此処一月ばかりは何かと忙しく過ごしていたから、此処でゆっくりする時間もなかった。

「皆、起こしてしまって申し訳ないが、妙に目が冴えてしまってな。今夜は此処で寝ても構わないか?」

 後ろ手にドアを閉めながら進めば、迎えるよう姿を現す幾つかの人影が、虚空から夢幻のような唐突さで姿を現す。
 だが、俺にとっては驚きに値わぬこと。彼らの正体を俺は良く心得ている。

《御意のままに。我ら武具には昼も夜もありはしませぬ。主の求めに応じるは剣の喜び》

 重厚なバリトンで最初に応えたのは、やや長い黒髪に碧眼、鋭い面貌をした黒衣の騎士。頭を垂れ、恭しい礼をとる。

《戦でないのは残念だわ。残念だわ? でも、皇子様が来てくれるのはそれだけで嬉しいの》

《坊、毛布一枚で大丈夫ですかい? 風邪を引いちまっちゃいけやせん》

 黒騎士の後方に控えて会釈するのは、綾なす宝石髪と瞳に、極光を花びらの如く重ねた衣を纏う可憐な少女。
 その傍らには、透明感のある不可思議な泥髪に爬虫類の虹彩を持つ壮年の武人。白い倭装束の裾が、動きに合わせて微かに揺れる。

《みこさま ボクが おへや あたたかく いたしましょう おばあさま かまわない ?》

《殿下が明朝出掛けられなくなったらことだからねぇ。温度を上げすぎなけりゃかまやせんよ》

 並び立つ矍鑠たる老巫女の、湖沼の双眸を見上げてから、焔色の髪と翼を持つ少年──少女のようにも見える──は、その持てる炎霊操りの力で、室内の温度を快適なものへと変えた。

《……──……》《お久しゅう、若君。妻もわたくしも貴方の訪いを心待ちにしておりました。どうぞごゆるりとお寛ぎ下さいませ》

 音ならぬ声で話す黄金の巻き毛を長く伸ばした乙女と、真っ直ぐな白金の垂れ髪をした男は、双子のようによく似て寄り添い、寸分違わぬ仕草で礼して見せる。

《フィロさま! じゃあ、今夜はずっとこの部屋にいてくれるんだね? 俺、嬉しい。ここ半月、本当にご無沙汰だったもの》

「っ、と。すまぬな、"虚無の空"。皆も。何しろ仕事が立て込んでいたのだ。私室にも戻れず執務室横の仮眠室に詰めていた位だしな」

 眼前に具現した姿にいきなり抱きすくめられて、流石に少し驚いたが、枕と毛布を床に落として片腕を相手の背に回し、残る手でぽんぽんと、真雪の頭髪を撫で、梳ってやる。
 紅い瞳を細めて青年がうっとりと、機嫌の良い猫のように笑った。多少過剰なスキンシップも致し方ない。この通り寂しがりで心根だって悪くないのだが、彼は少しばかり"剣として強すぎる"。それゆえ、あまりこの部屋の外への伴としては選べぬので。
 白い頭を撫でてやりながらしたいように暫くさせていると、多少落ち着いてきた様子で、アルビノの青年は俺から離れて一礼した。

《いらっしゃいませ。本当に、来てくれて嬉しいな》

 武具たちの代表のように、俺の声に答えて姿を現した者たちは、つるぎ部屋において特別な住人──俺にとっては最も親しんだ《剣》たちでもある。
 そう。彼らは全員ひとではない。強力無比な力を秘めた魔剣が、仮初めの写し身としてひとの姿を取っているのだ。

 黒騎士は、"黒帳(ドゥンケルハイト)"。
 綺羅髪の少女は、"宝石姫(スフェル・ファム)"。
 泥髪の武人は、"六道薙(フラートゥス)"。 
 焔羽根の少年は、"咎討ち(ブラム・ノッカー)"。
 老巫女は"因果鏡(リターナー)"。
 鏡写しの夫婦は"罪喰い(シン・イーター)"。
 白子の青年は、"虚無の空(ヴァニタス・ヴァニタートゥム)"。

 "知恵ある武具(インテリジェンス・アームズ)"はこの部屋にもそれなりの数が居れど、波長の合うものにだけ視認できる姿──剣の意思の具現たる精霊体を有するものは少なく、更に"霊素物質変換(エーテライズ)"によって実体ある姿を取ることのできる魔剣となると、この武器庫に置いては彼ら七振りだけだ。
 何れも早々並ぶもののない業物である。俺は、日頃、よほどの緊急事態でもない限りは、彼らのうちから一振りないし二振りを選び、佩剣として連れ歩くことにしている。俺の大切な宝物たち。戦の場に置いてもそれ以外でも忠実にして有能な、臣下であり友である。

 11の月の終わりあたりから今日に至るまで、外回りの仕事も控えがちであったので、《剣》としての彼らの手を借りることは余りなかった。こうして共に過ごせるのは久しぶりだ。だからか、魔剣たちの声は心なしか何時もより機嫌よく、弾んでいるようにも聞こえた。他の剣たちは"黒帳"たちのように自由に動き回ることはできないが、それでも歓迎の気配で此方を伺っているのは解かる。

 寂しがらせてしまったかもしれない。次の休みには、一日此処で彼らと過ごすのも良いかもしれない。日がな一日、のんびりと剣たちの声にだけ耳を傾ける時間などというのはついぞ取れていなかったから、きっとそれも楽しいだろう。
 ただ、一先ず今は今宵をどう過ごすか、というのがさしあたっての問題であったので、今は少し先のことは胸のうちに仕舞っておくことにしたが。


《シャトラングルでも致しますか?》

 "黒帳"が青い目を微かに細め、名を口にした遊び──シャトラングルとは、世界に古くから存在する盤上遊戯の一種であり、老若男女、身分を問わず嗜む者の多い抽象戦略ゲームである。
 この遊びを開始する際は先ず一番最初に、お互いの使用する駒、数、その動き方、ルール、勝利条件などを擦り合わせる所から始めるのが習いだ。
 基本は8×8に区切られた盤面を戦場に、互いの駒を兵に見立て、順番に動かして取り合うというごく単純なものだが、国、地方、都市、果ては種族や民族ごとに、星の数ほどのハウスルールが存在しており、また使用される駒の種類は多種多様、色や素材も千差万別。それ故、自分の使用するルールや戦術、対戦相手の傾向に合わせて手駒を集め、己だけの軍団を構築するという副次的な楽しみ方もある。
 シャトラングルの駒をコレクションしたり、交換したりというのは大陸中で良く見られる光景で、そう珍しい趣味ではなかった。旅先にてシャトラングルの駒を買って帰れば、無難な土産としてそれなりに喜ばれるものだ。

 この部屋の隅にあるチェストには、俺が彼らと遊ぶ為の玩具の類や気に入りの本などが納められている。中にはシャトラングルの遊戯盤と駒たちも含まれていた。
 魔剣たちは様々な主と共にいくさ場を渡り歩いてきており、そうして身につけた戦術戦略数多におよび、それはゲームに置いてもそれは遺憾なく発揮される。
 気風もそれぞれにまるで異なるから、実に歯応えのある対局相手なのだった。魔剣たちのお気に入りの遊びでもある。長閑持て余した時などは彼らだけでシャトラングルに興じることも少なくないようだ。

《あら、ドゥンケル殿。折角こうして全員揃っているのだもの。みんなでできる遊びがいいわ。そちらの方がいいと思うわ》

《札遊びと行きましょうや。トランプ、骨牌、タロット、どれにしやす? そういや、この間姫王に倭の花札も頂きやした。それもお奨めでさあ。どうです? 一勝負》

《"六道薙"、骰子(ダイス)も忘れちゃあいけないよ。賽遊びも面白かろ?》

《ボク すごろく も いい と おもうの》

《──……?》《妻の好きな、蓬莱の牌遊びも面白うございますが、あれは四人用ですからね。皆でとは行きませんな》

《役割演技──物語紡ぎはどう? オレ、いっぱい話の種が溜まってるんだけど。"黒帳"も確かいいネタがあるって言ってたよね?》

 思い思いに遊びの名前を挙げて相談する魔剣たちは微笑ましい。剣たちは皆、多少の差異とや好み違いはあれど、人と差し向かってする遊戯を好んでいる。どこかしら、戦いに通じるものがあるからかもしれない。

「どれも実に魅力的な提案だが、夜っぴいて熱中してしまいかねんのが難点だな」

 このまま、流れのままに過ごすと朝まで彼らと様々なゲームをするのに耽ってしまいそうだったので、申し訳なかったが制止をかける。
 表情や言葉にはならなくとも、心なしか残念そうな気配を感じたので、俺は代案として、遊びと同じくらいに彼らが好きなことを口にすることにした。

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最終更新:2011年07月06日 22:58
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