昔々──ある所に、世界中の武器という武器を統べ、彼らに愛されるひとりの姫神がおりました。
剣姫(つるぎひめ)。
そう呼ばれる、美しくも凛々しい少女の姿をした若い神です。
戦の神の末姫だけあってたいそうお転婆で、少年のような格好を好み、父神が授けた星の力を操る黒い剣をお供に、困っているひとたちを助けて回る日々を送っていました。
多くの神々が地上を去るときも、剣姫はひとを愛していたから世界に残ることを選びました。
まっすぐで優しい気性の姫神は、それゆえある日、ずるがしこい悪い竜に囚われてしまいました。
人質をとられ、守り剣である黒い剣と引き剥がされては、さしもの勇敢な姫神も、悪い竜の力には叶いません。
この世にあまねくすべての武器は剣姫の味方でした。剣姫もまた、武器たちにとって優秀な使い手であり、同時にこの上ない癒し手でもありました。
それに加えて剣姫は、父神の力を引き継いで様々なつよい剣を生み出すことができました。
悪い竜は、世界を自分だけのものにしたかったから、彼女の力がどうしても欲しかったのです。
悪い竜は自分と同じ竜よりも、ひとを恐れていました。
人の中からいつか現れる、英雄と呼ばれる存在を。
悪者はいつだって勇者に倒されると、神代の昔から決まっていましたからね。
けれど、武器がなければひとなど恐るるにたらぬと、そう悪い竜はかんがえていました。
悪い竜は剣姫を食べて、その力を奪い取り、すべての武器を己の味方にしてしまおうとしました。
あたまからぱくりとひと呑みされそうになった時、剣姫は助けに来た黒い剣の力でからくも竜の元から逃げ出しました。
けれど、無事ではすまず、悪い竜は流された剣姫の血を飲んで、あらゆる武器から傷つけられることのない身体を手に入れてしまいました。
竜の山から必死で逃げる剣姫。悪い竜はたくさんの手下を放ち姫神を追いかけさせます。
七日七晩逃げ続け、剣姫とずっと彼女を助けてきた黒い剣にもさすがに疲れの色が見え始めたころ。
追いつかれそうになった姫神と黒い剣は、そこでひとりの騎士に助けられました。
彼は妖精の王様と約束をとり交わして、不思議な力を使うことができる妖精騎士のひとりでした。
心根の正しい若者で、彼には、竜に追われる姫神を放っておくことはできませんでした。
悪い竜の魔の手から逃すため。
妖精騎士は剣姫を、良き竜、賢き竜の王が治める街へと連れて行くことにしました。
かの竜の元に行けば、おいそれとは悪い竜も手を出すことはできないだろうと。
長い長い旅でした。
幾つもの山を河を谷を越えて、海を渡り、多くの街を通り過ぎました。
長く一緒に旅をする内、剣姫は、いつしかやさしくて強い妖精騎士に恋をしてしまいました。
騎士もまた、憎からず剣姫を思い、彼女をずっと守りたいと思うようになっていました。
日に日に思う心は募り、ある夜、空にうつくしい月虹がかかる晩、ふたりは思いを交わし、結ばれました。
そうしてふたりは一層互いを慈しみ、助け合いながら、追っ手を退け、賢き竜の王が治める街まで辿り着きます。
けれど賢き竜の王は、二人の力にはなれないと、申し訳なく頭を横に振りました。
なぜなら、賢き竜の王も悪い竜も、どちらもこの世界において欠けてはならぬ、七体の古き竜のうちであったからです。
七竜の力はほぼ等しく、その争いは世を引き裂き、バランスを崩し、なおかつ決着がつくことはないでしょう。
それゆえに、竜王は剣姫を守ることはできぬと答えたのです。
せめてと賢き竜の王はふたりに知恵を与えました。
あらゆる武器によって傷つくことのなくなった、悪い竜を倒す方法を。
それは──剣ならぬ剣を、世界を支える七竜すら殺す、最強の武器を、根源より生み出すすべでした。
ですが、その材料となりえるのは、あらゆる武器をすべる神──つまりは剣姫だけだったのです。
それでは意味がないと騎士は嘆きました。
確かに剣姫のことがなくとも、世界にあだなすあの悪い竜を放っておくことはできません。
だからといって、恋しいとそう思う少女を生贄同然に、根源の渦の中にやることなどできるはずがありませんでした。
そして、騎士は一つの決意を──
※ ※ ※
『剣姫と妖精騎士』──そう表題がつけられた、古びてこそいるけれど未だ壮麗な装丁の本を、僕、ミケル・レノーは途中で閉じた。
下宿の大家さんが、バザーに出す為に準備していた中から気になるものがあれば持っていっていいと言ってくれたから、好意に甘えて引き取った古書だ。
随分と年代を感じさせるものなのに、挿画の顔料は全く色褪せておらず、繊細で丁寧な筆遣いが描き出す、獰猛で凶悪な悪竜の絵も、追われる剣姫と騎士の姿もため息が出るくらい見事なものだ。
絵に惹かれて手に取ったら、あまり見かけない古代語で書かれた知らない物語で、ちまちま翻訳しながら読み進めていたのだけれど、段々雲行きが怪しくなってきた。
どう転んでも悲劇の臭いがする。僕は本を読むと登場人物に感情移入してしまうことが多いので、バッドエンドはあんまり好きじゃない。
僕が読んでも読まなくても、お話の結末はもう定められて、変わることはないんだけど。それでも、わざわざお祭りの最中に悲しい、気が滅入る話を読むことはないと思った。
そう、今日は祭日の1日目だ。七色の街
アルコ・イリスでは、毎年、虹陰暦における12の月、第四週の頭に"月虹祭"と呼ばれる盛大な祝祭が催される。
去年は七虹都市に来たてだった僕はその賑やかさと華やかさに感動した。流石は大陸の中心、人も物も各地から集う都。
祭りともなればその規模や内容の充実、人の多さは推して知るべし、だ。この時期は普段以上に外からやってくる人が増える。月虹祭飲む開催に合わせてアルコ・イリスに帰ってくる人間も少なくない。
次に参加する時は出展側に回るのもおもしろそう。そんな風に考えていた僕は、今年は新聞サークルの仲間たちと一緒に、祭りに参加していた。
"柘榴石(ガーネット)通り"の公民館、開放されているその一室を借り受けて、毎年、僕の属する新聞サークルは展示とちょっとした模擬店を行っているのだ。
え? なら本なんか読んでないで仕事しろって? 今は休憩時間なんです。
休憩時間に本を読んでるさびしい奴だって言うツッコミも結構です。偶々他の友達と時間が合わなかっただけで、昼には待ち合わせと出かける予定がちゃんと入ってるんだからね!
コホン。そんな細かい僕の事情はさておき。
『アルコ・イリス、その歴史』というテーマで様々な資料やレポートを展示しているスペースの、片隅でやっている喫茶模擬店。その端っこの席に座って、僕は本を片手に休んでいるところだった。
"
柘榴石通り"にすんでいるサークル員が多いことから、何かと新聞サークルと縁の深いアチェッロで仕込を学んだ、紅茶類、ケーキ類がメニューには並んでいる。
普通にサークルのメンバーが配膳役や調理役を勤めるのに混じって、リーファン作の小型ゴーレムが何体か、手伝いに走り回っていたりする
蓬莱の血混じりの錬金術師で、ゴーレム作成を得意とする友達のリーファンも僕と一緒のサークルに入ってるんだよね。
もっとも今日は本人は不在で、街で警備手伝いをしているゴーレムの整備なんかに走り回ってるんだけども。
千年の節目が近いからか、歴史を題材とした展示スペースは、朝方から中々に人を集めることに成功しているようだった。『アルコ・イリス クロニクル』の広告欄で宣伝させてもらったのも功を奏したのかもしれない。
喫茶スペースもいい感じに盛り上がっている。展示スペース帰りに立ち寄るひとがそれなりにいるのに加えて、メニューの味の良さもあると思う。祭りの二週間前から、忙しい合間を縫って僕たち新聞サークルの人間にみっちり喫茶の心得を指南してくれたジェラルドさんとカエデさんには足を向けれて寝られない。
そんなふたりは祭りの間は昼だけお店を開いて夜はお休みするそうだ。折角だからこっちも見に来て欲しかったけれど、営業時間が普段より短い分、昼の稼ぎ時は店を離れられないだろう。
少しばかり残念に思いながら、此方からも少し様子を窺うことのできる展示場の方に目を遣る。
サークルの同輩、絵画魔術を専門とするイーライが下絵を描き、色彩魔術の使い手であるミリスが彩色した、アルコ・イリスの歴史における大きな事件幾つかをピックアップして図画化したパネルが見えた。色鮮やかな絵画たちは遠目にも目立ったし、文章よりも解かりやすいことからお客さんが集まっている。
僕はその、見物に来ているお客さんたちの中に、さっきまで読んでいた本の挿絵と、良く似た格好をした二人連れが展示を見に来ているのに気づいた。
アルコ・イリス全域で催されている"仮装の夕べ"に乗っかって、普段とは違った格好をしている人たちは数多い。僕も、今日は何時もの"虹星の叡知(アルマゲスト)"の制服ではなく、地元の民族衣装──じいちゃんとばあちゃんに送って貰った──、白いシャツに、色とりどりの刺繍が入った黒ベストと焦茶の長ズボン、木靴、キャラメル色に染めた羊毛織りのフード付マントを身につけている。
僕の仮装はまあ多少この辺りじゃ見かけない服だけど、そう印象にも残らない、悪目立ちしないのだけが取り柄だ。けど、僕が見つけた二人組は違ってた。様になってる。ちらちら、絵を見てるお客さんが横目にそのひとたちを見てた。
剣姫と妖精騎士。まるで絵本から抜け出してきたように、似合いの蒼闇と月白──古風な装束が美しい、二人連れ。
でも、片方、剣姫の挿絵に似た蒼闇の服を着ている方は、別に姫じゃなかった。確かに男も女ともつかない見目ではあるけれど、男性だ。僕の友人。よく知っているひとだった。
そこにいたのは、地下遺跡の『特区』に住んでる(最近は割と地上にも『お泊り』に来てるみたいなんだけど)フィロだ──けれど、隣にいるのは誰だろう? 始めて見る顔だ。
ほっそりとした身体を、袖の無し羽織と蒼い闇を誂えたような装束に包んだフィロは、何時も以上に男とも女ともつかない。
いや──こんなことを言ったら怒られてしまうから口にできないが、今日は厳しい魔剣の類を帯びていないことや薄化粧もあって、どちらかというと少女寄りの印象だった。
機嫌がよいのか、展示を見て、傍らのひとと何事か話しては楽しそうにくすくす笑っている。
そんな彼を添って見守っているのは、慈しみ深いやさしい碧い目をした男性だった。
フィロの右眼と同じ、澄んだ南の海の色。顔つきの印象は全然違うけれど。フィロの容姿が中性的でどこか儚いものであるならば、目の前のひとは硬質で男性的な印象が強い。
整いすぎて少し怖いくらいの、際立った白皙の秀貌は、けれど左半分しか窺えない。金糸が渦巻いて華のように模様を描く、鮮やかな緋色の染布を巻きつけ、面立ちの半ばを覆っているからだった。
隣のフィロが小柄なのを差し引いても随分と背が高く、均整の取れた彫像のような身体を、夜空に青ざめく月に似た清浄な白色の鳶外套に包んでいた。
身の丈や身体つきにあった下の衣服も月白で、袖口や襟元を飾る釦は針水晶と黄金。帯と長いブーツは顔に巻いているのと同じ焔の色をしていた。
装束の華やかさも目に付くけれど、一番視線を奪うのは、その髪だと思う。燦爛とした虹色の髪を背の辺りで緩く三つ編みにして長く垂らしている。
周囲から視線が向いているのに気づいていないのか、それとも慣れているのか。
特に周りを気にかけた様子も無く、フィロと見知らぬ男性は展示を堪能している様子だったが、僕が向けていた視線にだけは反応があった。
フィロが立ち止まってきょろきょろして、喫茶スペースで座っている僕を見つけた様子で視線を向けてきた。
ひらひらと片手を振ってみると、フィロは隣の男性の袖を引いてから、こちらへとやってくる。
「ミケル! 遊びに来たぞ。良い展示だな。実に興味深い」
手を振って駆けて来るフィロは見るからに上機嫌そうだった。こんなにうきうきしている彼を見るのはそうない気がする。
見ているこっちとしても嬉しい気持ちになった。折角準備したのだから、展示は楽しんでもらいたいもの。褒められると悪い気はしない。
「そう言って貰えると、みんなで頑張った甲斐があるよ。よかったらお茶もしてってね。フィロが好きな、ケーキとか甘いものも色々あるよ?」
「ほほう、それは実に有益な情報だな」
フィロってば目がキラキラしてる。やっぱり甘いの好きなんだなあ。初めて塔であった時も、喫茶室のケーキで喜んでたもんね。
そうこうしている内に、優雅な足取りでフィロの連れが追いついてきた。僕の方に優しい微笑を向けて会釈をくれる。
「御機嫌よう。お初にお目にかかります。何時も
フィロスタインがお世話になっているそうで」
耳に心地よい柔らかな低音。顔の造作だけ取り上げると冷たくも見えるのだけれど、表情や声色が重なると穏やかで温かみのあるひとのようだ。
「えっと、はじめまして。おはようございます。……あなたは、フィロの?」
挨拶を受けて慌てて椅子から立ち、頭を下げてから──この虹色髪のひとをフィロの何と呼んだら良いのか、僕はちょっと言葉に詰まってしまった。
片目の色は一緒だけれど、容姿に似ているところは欠片もないので、血縁かどうかは悩ましい。
かといって友人というには随分フィロとの距離が近い気がする。 向ける視線が、ちょっと不思議な感じだ。
暖かい、優しい、愛しさの篭った目。お父さんのような、お兄さんのような──あるいは、もっと別の、というのは流石に少し勘繰り過ぎかもしれないので置いておく。
発言をとりあげるなら保護者っぽいんだけど。でも、フィロの保護者って、確か……。
「そうだった。ミケルは始めて会うな。改めて紹介する。俺の──父さま、エラバガルスだ」
「えっ、やっぱりそうなの!? フィロのお父さんってことは、あの……!?」
僕は多少予想していたといっても、改めて言われると息を飲み込んだ。フィロが楽しそうに笑って頷く。
「ああ、ミケルの想像で間違ってないぞ」
少し考えてみれば解かることだ。フィロがこんなにも外見相応の顔で、嬉しそうに一緒にいる男性って言ったら、彼がとても大事に思っているというお父さんしかいないだろう。
エンシェントドラゴンが地上のお祭りに遊びに来てる、ということには驚きを隠せないけど。
「議会の許可は取ってますけど、騒ぎになると困りますので、他言無用ということで」
改めてまじまじ見てしまった僕の不躾は咎められることはなかったけれど、フィロのお父さんは自分の唇に指を軽く押し当てる仕草をして、口止めを頼んできた。僕は慌しく首を縦に振って頷く。
危害を加えられると思うわけじゃないけど、神代の存在を目の前にするというのは、幾ら僕がこわいもの知らずとはいっても、緊張感が半端ない。
けど、昔読んだ本の中には、ある程度力のある竜は人に化身することもできるという話が乗っていたし、お忍びでならこうやって地上に来ることもあるんだろう。
あんまり騒ぐと変に人の意識を引いてしまいそう──ただでさえフィロたちはちょっと目立つのだ──なので、僕は一生懸命自分を落ち着けるべく深呼吸を繰り返した。
その間に、フィロが隣のお父さんに向けて、僕を紹介する。
「──そして、父さま、彼が何時も話している、……ともだちの、ミケルです」
「会えて、嬉しいです、ミケルくん。貴方の話は吾子から聞いていますから。素直で気持ちの優しい──大事な友人だと」
漸く少し落ち着いてきた頃、フィロのお父さんが口にした言葉に僕は少し紅くなってしまった。
そんな風に言われていたんだと、改めて言われてしまうととても照れる。僕はそんな大層な人間じゃないんだけどな……。
「いやいや、そんな! 僕の方こそ何時もフィロにはお世話になっていて……!」
「ふふ、謙遜しなくとも。貴方のような友人が、この子にできたのはとても良い傾向です。これからも、吾子を、フィロスタインを宜しくお願いしますね」
温和に微笑んで僕にそうお願いしてきたエラバガルスさんは、本当にフィロのことが大事なんだろう。
力のあるドラゴンだとかそういう事は関係ない。子煩悩で温かみのある父親の顔をしていた。
最終更新:2011年07月06日 22:59