01 帰れない人 後編

 天空(スカイブルー)通りでの出来事から、数刻の後。


「ほら、そっちに逃げたぞ!両端から追い込め!」

『クエェッ!』

「へ、へい!」


 日も傾き始めた街の外壁外、虹影(ラソンブラ)区域の人気のない、入り組んだ裏道で。
 何かを追って駆け回る、2人と1匹の姿があった。

 追われている黒く素早い小柄な塊は、かけられた声で慌てて前に出た黄土髪に右を、大きな獣に左を塞がれて、逃げ場をなくし袋小路に飛び込んで行く。
 その背後から、ウィドが先ほど小男を押さえ込んだ時と同じように滑り込んで、その腕にとうとう捕らえたのは。


『 ―――きゃうん! 』


 犬だ。 真っ黒い犬が、がっちり捕まれた腕の中でじたじたともがいている。

「よぉーしよし。いい加減に観念しろ。お前も相変わらず懲りん奴だなぁ。」

 暴れる犬を抱き上げて笑う彼を、小男がぜぇはぁ息を切らしつつ、ポカンと眺めて瞬いた。

「…一仕事…って…この脱走犬を捕まえに…?」

「おお。コイツが中々曲者でな。街の民家で飼われているんだが、しょっちゅう塀を越えてはこんな所までうろついて…逃げ足も野生並みときた。飼い主だけの捜索では手に負えん、毎度毎度、例えば地域安全課なぞに頼んでいても、順番待ちの期間の方が長くなってしまうそうでな。キリが無いとよく捕獲を頼まれるんだが。
 いや、早く済んで助かったぞ。」

 ぐりぐりうりうr とホールドした犬の頭を撫でつつへにゃりと眉を下げて礼を言われ、小男は何を言っていいか分からぬ顔で、ちらりとペルシェの方を見た。

『 ケェ。 』

 竜は竜で鼻息一つ、犬の頭を小突こうと首を伸ばしている。


「… …で、その為に、わざわざ竜を連れてきたと…?」

「俺だけでは街中駆けずり回って、丸一日掛かってしまうからな。ペルシェならコイツの臭いも覚えている、2人がかりで追い込めばどうにか…そら、預かった首輪を掛けてやるから、お前が持ってくれ。大丈夫だ、ウチのと違って噛み付いたりはせん。」

 そう悪戯っぽい顔でからからと笑いながら、首輪を犬にかけた。小男が慌てて首輪の鎖を受け取ると、なるほど犬は観念して大人しくなり、ウィドはといえば、からかわれて不機嫌そうな相棒の手綱を握る。

「さてと。俺はもう、街の外に戻る。そいつはお前が連れて帰ってやってくれ。飼い主の家は夕煌(フィアンマ)通りにある武具工房だ。二棟ある家屋の屋根が色違いになっていてな、特徴的だから見ればすぐ分かる。報酬も貰える筈だしな。」

「え…で、でも、それじゃ…アンタの取り分は…」

「食うに困ってるんだろう?どうせ駄賃だ、お前が貰っておけ。…おお、そうだ。
 それじゃあ、半分は口止め料というのでどうだ?それがいい。」

「…はぇ?」

 訳の分からない答えに、小男は何度目かの素っ頓狂な声を上げた。自分が役人に突き出されぬよう、賄賂を払うというならまだしも――そもそもそれと引き換えの、タダ働きだと思っていたのだ――向こうがそんなものを払う道理が見当たらない。
 図りかねて呆然としている男を差し置いて、ウィドはさっさとペルシェの鞍に飛び乗った。

「乗用竜の様相で歩くのと違って、街で装備もなくうかつに飛ぶと、魔物や空襲と間違われて騒ぎになる事もあるんでな。中央塔の監視下にない、飛竜の出動が報告されても面倒だし、いつも通り徒歩で出るつもりだったが…虹影区域ならそう大事にはならんだろう。人影もない。お前さえ黙っていてくれれば、俺は楽に帰れる訳だが、どうだ?」

「…は、ぁ…」

 どうと聞かれても。男には相手の言っている事の、ほとんどが理解できなかった。監視下?出動?中央塔の?
 しかしそれでも、否定する理由も出来る度胸もあるはずはなく、男は手元を犬に引かれつつ曖昧に頷く。

「ちょうど下層雲も出ているな…よし。五秒で飛び込むぞ、ペルシェ。」

 言うが早いか、一組は袋小路から広い方へ、主人が手綱を捻り鐙(あぶみ)に乗せた足で白い腹を叩いて駆け出る。
 すると呼応するように、竜が翼を大きく広げ、地を煽いだ。
 穏やかな風が巻き起こり、二体分の重量で土に食い込んでいた爪がふわりと浮き上がる。


「ち、ちょっと待ってくれ、アンタ…あんた一体何者なんだ?」


「俺か?俺は…ただの元とび職見習いだ。今はな。

 ―――お前も、もう馬鹿な真似はするなよ。恐らくその生き方は向いてないぞ。」


 風に煽られる黄土髪に向けて、彼が片手を挙げ言い放つと同時。
 再度大きな羽撃きが一つ。


「それじゃ。そいつをよろしく頼む。」


 別れの挨拶と共に、衝撃を含んだ突風が沸き起こり。

 竜は空に打ちあがるが如く飛んだ。


「ひゃあ!?」

 轟音と風圧に悲鳴を上げ、小男は何度目かの尻餅をつく。鎖は何とか手放さなかったものの、犬の方も身を縮めて、道端に詰まれた箱や周囲のガラクタが散乱するのを警戒している。

 次に彼らが空を見上げた時には、上空の影は本当に雲に入って、消えてしまった。

「…」

 開いた口が塞がらないまま、呆けていた男は犬の身震いにハッとして、残されたそいつに顔を向ける。

「… …なあ…お前…あんなのとしょっちゅう、鬼ごっこしてんのか…」

 彼に、犬に話しかける趣味は本来なかった。
 が、何となくそうせざるはいられなかった。

 当の黒犬は、さっさと帰ろうとするように背を向けていたが。

 さっきまで全速力で逃げていたくせに。



―――そして、夕刻過ぎ。

 小男は、気付けばまた、天空通りにいた。
 言われた通りに犬を届けてみれば、飼い主に諸手を上げて喜ばれ。力一杯の握手と共に渡された報酬は、駄賃と言われても、冒険者のちょっとしたアルバイト程度の額があった。

「…あ。」

 あまりの出来事に、頭が回りきらず呆けて歩いているうち、彼はようやく件の宿まで戻って来てしまった事に気が付いた。
 いくらなんでも、共犯の仲間が役人に突き出されたであろう現行犯の場所に、のこのこ顔を出すなど油断以前の問題である。

「… …ホンットに、俺…向いてねぇのかもなぁ…仕事…探すか…」

 溜息をついて、肩を落としたその時。
 足早にやってきた客が宿の扉を開いて、威勢のいい会話が耳に飛んでくる。


「おぅい!今日よ、裏手に飛竜が停まってたよな?すげぇじゃねぇか、こんなトコに騎士様が何かご用だったんかい!?それともなんだ、誰か悪さでもしたか?」

「騎士様だぁ?ありゃあただの乗用竜だぜ、乗ってたのは土方のニイさんだよ。たまにウチに預けに来るんだけど?」

「おっま…馬鹿ぁ言え!その辺の乗用竜に羽が生えてる訳ねぇだろが!この街、いや、大陸広しと言えど飛竜乗りなんざ、騎士ドラグーンしか居…れを土方だぁ?… …」

 扉が閉まり、フェードアウトしていった音声に引っかかって、小男は眉根を潜めた。

 今。何と聞こえてきた?

「竜騎士(ドラグーン)…?」

 思わぬ言葉に、自ら呟いて、薄らとした記憶が掘り起こされる。
 かなり以前に聞いた事はあった。独立自治国家アルコ・イリスの、数少ない正式な常備兵団。その中に「空」を守る騎士の集団が、あるとかないとか。

 次に彼の頭には、呑気な顔で人の骨を折り、犬を抱えて苦笑する、あの男の人の良い顔がよぎった。

 騎士。あれが。そうなのかもしれない。確かに只者ではない腕をしていた。
 けれど彼は「街の外に戻る」と言っていた。この街の騎士なら、戻る場所は街の中ではないのか?
 そこまで考えて、ふと気付いた。
 街の外。あの虹影(ラソンブラ)よりも更に?
 アルコ・イリスは街そのものが中継地点だ。ここより外側に人がまともに住める場所などそうそう無い。ゴブリンも魔物も出没するような、森か山か、街道か。…

 何より、彼が自称していたのは確か。

「… …元、とび職。の…」


 ぼんやりと呟いて、完全に真っ白になった思考のまま、見上げた空は。
 既に灰暗く、彼の人が消えていった雲だけが、遠い落日に照らされていた。

“虹蛇の導き(ユルング・ライン)”が、今日も街の空を覆い始める。



――――



 その虹色に照らされ始めた街をただ一人。
 否、一人と一匹で。

 昼と夜の狭間、黄昏の空の雲間から、見下ろすその人が居た。


「いつ見ても、美しい街だ。」


 上空を緩やかに旋回する竜の翼が、薄雲を纏って切り裂く。

 その高さはゆうに山々を超え、常人ならば空気の薄さと低温で意識を失いかねない場所でもあった。大気の気流がつんざくように耳元を吹き過ぎる。
 地上に生きる様々な有翼の種族、あるいは箒をもって飛行する人々も、そうそう辿り着ける所ではない。

「…美しすぎて、まるで玩具のようにすら見える。」

 その場所から見る七色の都市は、掌に落ちそうな宝石の様に小さく、静かに色鮮やかに輝いていた。
 虹の光の向こうに、家々の灯りが箔(はく)のように散らばって、時折本当に作り物じみて見えそうなほど、燦然と。

「なあ。ペルシェ。…俺はまだ、あそこに帰れると思うか?」

 静かな問いかけに、返事はない。

 ただ。一時の間を置いて突然、竜の翼が波打つと、 ぐ ん っ とほとんど直角に近い角度で急上昇した。


「 お。 」


 思わず呟いた時には、彼らの天地はひっくり返っていて。

 何を思ったか。ふいに彼は、その両手を離した。



 落ちる。



 雲を背に、五体を宙に放して、重力が彼を誘う。

 自由落下の速度の中で、黄昏の空の向こうに、薄白い月が見えた。


 ああ。綺麗だ。


 思考がそこまで辿り着いてすぐ。
 彼は身を翻して反転し、両手足を広げた。
 その目下に、上空斜め後ろから飛び込んでくる相棒の姿を確認すると手を伸ばし。同じ速度でふわりと落下しながら、目前にやってきた手綱を掴んで、猫が着地するような身のこなしでまた竜の背に戻った。

 衝撃は薄い。層雲から積雲の高さまで、“虹星の叡知(アルマゲスト)”を飛び降りる程度の高低差は落ちた筈だが、せいぜい背の高さ程度を着地したようにしか感じられなかった。
 それは、同速落下から大きく旋回したペルシェが衝撃を受け止め、なおかつウィドがそれに正確に乗ってこそ出来る芸当だ。

 詰めた息を吐いて、彼は相棒の背をやや乱暴に撫でた。

「やるならやると言え。それとも今すぐ帰してやるという皮肉のつもりか?」

『 グェ。 』

 小さく喉を鳴らして答えた、その翼がまた緩やかに波打つ。

「今日は疲れたろう。…日が沈みきるまでもうしばらく、飛んでいようか。」



 宵の空に、十字点のシルエットが巡り。

 月の方角へと消えていく。









 風が一陣過ぎる。
 全てを撫でて通り抜ける。
 後には何もない。
 吹き抜けたその余韻だけが残る。

 風が一陣、過ぎていく。

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最終更新:2011年06月13日 15:41
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