第2話 不肖の弟子1

 色とりどりの酒瓶が棚に並んでいる。青や黄や緑の液体を湛えた瓶はどれも、中に花が咲いていたり魚が泳いでいたり一つとしてありきたりの琥珀の液体が詰まっている物はない。どれもが一品ものの芸術品のような華美な姿をしている。
 その中の一つ、中で常に渦を巻く酒瓶をザナは無造作に手に取り、コルクを抜いてひと口飲んだ。
 「なるほど。とても不味い」
 感心したようにうなずくザナ。
 「売り物を飲むな」
 部屋の奥、斜めに下がっている天井に押しつぶされそうな机に向かう年老いた老人がしわがれた声で叱る。年老いた老人、と二重に言わざるを得ないほど醜く老けこんだ汚いじじい。長い耳がこの老人が元は美しさを謳われたエルフであることを示している。
「だってボロじい、味を知らないとどんな酒か聞かれたらこまるじゃないか」
 「いつも通り天上の甘露のような美酒とでも言っておけばいいんだよ。どうせこれ見て買うやつは味なんてわからないもんだ」
 自分の「作品」の顧客をあざ笑うボロじい。ボロじいの手にかかれば安酒と木切れや汚い石が魔法のように美しい酒に代わる……が、味は泥水よりひどい。ボロじいから仕入れた酒をそこらの酒場で勝手に客に売りつける、そうやってザナは生活している。今は昨日の売り上げから酒代の払いと今夜の商品の仕入れに来ている。
 「それで、そのラザロってやつ、一目で儂の酒の材料当てたってか」
 「そう」
 どこか誇らしげに薄い胸を張るザナ。鼻を鳴らすボロじい。
 「ありえねぇ、と言いたいがまあ塔の導師ならありえねぇことだってやってのけるだろうな」
 「つまり私の先生は凄いってことでしょ」
 「つまりお前の先生はいけすかんやつだってことだ。そいつ、塔を追い出されたヤツじゃねぇか。新聞に化けもんだって出てたぞ。良いのかそんなもん家に連れ込んで」
 「いいんだよ。私に才能があるって言ってくれたんだ。悪い人なはずがない」
 「かーっ」呆れたようにボロじいは首を振る。「そこらのガキ見てぇに安いおだてに乗せられやがって。気をつけろガキ。ガキはいつも寂しがってて、おだててくれる大人に良いように手懐けられちまうんだ。
おいザナ、お前には才能がある。お前は天才だ。だからちょっと儂に抱かれろ」
 「妥協は良くないなボロじい。もっとムチムチなのが好きだって言ってたろ。……明日これにしよう」
 中に髑髏の漬けこまれた酒瓶を一つ、足で蹴り上げて空中で掴む。
 「呆れたガキだ。時にお前今は何習ってんだ」
 「字」
 口をつぐんで眉を寄せる老エルフ。
 「………ザナッ子、おめぇ文盲だったのか。そんなんで良く魔術覚えようとか思ったな。ひでぇ道楽だ」
 「ボロじい。私には才能があるんだよ。大魔術士になったらそのよぼよぼも治してあげるのに」
 ひどく当たり前のことのように言う。上からエルフを見下ろして、酒代を机の上に放り投げる。
 「うれしいことを言ってくれるが、そりゃ無駄だ。普通の人間は二十年も酒浸りで過ごせば脳が半分死ぬが、儂はもう二百年酒浸りだ。若返ったって何にもなりゃしねぇ。後五十年ばかり酒食らって死ねればそれで良いわい。儂はどうでもいいが、他にお前魔術士になって何するつもりだ」
 「さあ?」ひどくあっさりザナは肩をすくめる。「魔術士になったら何でもできるんだよ。何をするかなんか考える必要ないじゃない」
 「………こりゃあラザロってやつに同情するわ。このポンカス娘に魔術教えるなんぞ鉄鍋戦争以来の大事業だ」


 運河の座礁した船がザナの家だった。湿度が高く全体が傾いているが、それさえ我慢すればスラムにしては清潔な家だ。追剥を虐殺して以来数日が経った。ラザロは今日も不機嫌そうに弟子の家で暮らしている。
 ラザロはザナの作った食事を食いながら書を読んでいた。ザナの父親の置いて行ったという魔術書。ザナは凄いものだと思い込んでいたようだが、何のことはない塔の中等教科書だ。匙で料理を口に運びつつ、ぱらりぱらりと気が乗らない様子で簡単な呪文書をめくる。新しい知見があるでもないが、何かしら資料を読みながら食事をする癖がついてしまっている。
 「先生、味はどうですか。一生懸命作りましたが」
 「ん?」
 初めて自分が食事をしていることに気がついたようにラザロは皿に目を落とす。赤黒いソースにまみれた不揃いな小麦練り物。
 「不味いな。古い油の味がする。それはどうでもいいが、文字は覚えたか。俺に飯を作るために弟子になった訳じゃないだろう」
 ザロは少女に飯を作らせてる境遇に顔をしかめながら新しい弟子に言う。
 「はい。魔術を教えて下さい」
 「字は覚えたかと言ったのだ。ここに『私は生きていていい人間です』と書いてみろ」
 「えーと」
 ごりごりと授業用の小さな黒石に文字を書く。
 「やはり書けんか。『私生きてた』か。ゾンビに教える魔術はない。それとまずアルファベットから覚えろ。pとqの入っている単語を飛ばすな」
 初等教育以前の教育などラザロにとっては全くの専門外。何を教えていいかすら良くわかない。
 「………私には才能があるんでしょう?ならまず魔術を教えてくれても、ぴょっと使えるんじゃないですか?」
 「文字も読めんやつにぴょっと魔術なんぞ使われてたまるか。それとお前の才能はタチが悪過ぎる。人前では絶対に余計なことは言うなよ」
 不満そうにしながらも、師の言葉に素直にうなずくザナ。
 「魔術士というのは、厳密には自分で魔術を書く魔術登録士のことを言う。自分で作り書いた魔術をこの世界に登録し作用するようにする、世界に自分の才能を刻みこむ、それこそが魔術士だ。聞いたものをただ使えても、そこには何の発展性もない。偉大な魔術を創造し人間の可能性を拡張したものこそ真の魔術士だ」
 「私はなれますか、真の魔術士」
 「俺が知るか。俺は教えろと言うから教えてるだけだ。しかし、字の書き方から教えねばならんとはな。この調子で学ぶ気なら俺でなくてエルフの教師を探せ」
 びくりと身をすくめるザナ。
 「先生、きっと覚えます。だからそんなことは言わないで下さい。私は先生に教わりたいんです」
 「………ふん。例文を書いておいたから、声に出して読みながら書きとり百回やっておけ」
 言い捨てて立ち上がるラザロ。
 「先生、どこへ」
 「外だ。弟子なら弟子らしく師の行き先など気にするな」
 不機嫌そのもので外に出ていくラザロ。ずっと着ていたローブはもうボロボロで、私服の白いシャツの上にザナが貸した上着を羽織っていつもの大股で船を出ていく。
 ため息一つ吐いてザナは自分の頭の回転を呪い、師の残した宿題に取り掛かる。あと半時もしたら仕入れた酒を売りに行かないといけない。

 これではまるでヒモではないか。
 あてもなく蜜月通りを歩きながらラザロは憤る。そろそろ暮れていく蜜月通り、この街では今からが一番活気づく。塔の学士服を着た連中ともすれ違い、そのたびにラザロは顔をそむけた。誰も気づかない。中にはかつてラザロの教え受けた者もいるだろうに。
 ため息をつき人通りの多い通りから離れる。
 誰も責められん。慕われたいとも思ってこなかったのだから当然だ。直属の弟子に狙われるくらいだからな、と自嘲気味に笑う。
 あの娘の師弟ごっこに付き合って飯と部屋を与えられる、そんな己に激しい嫌悪感を禁じ得ない。そんな生き方はしていなかった。いつだって求められ与える立場であったものを。
 「お兄さん、遊んで行くかい」
 「黙れ」
 かけられる声を全て無視してラザロは蜜月通りを行く。七色の光がまがいものの昼を作る蜜月通りを歩いていて、夜空に落ちてゆきそうになる。なんという地上の頼りなさか、この街で俺を地上につなぎとめるのは何があると言うんだ。
 うらぶれた曖昧屋の女ども、それをからかう男ども。皆帰る家もあれば周囲に待つ人もいる。
俺は旅人と同じだ。俺は三十年この街で暮らしていたと言うのに。傲慢に高みだけを指し、自らを縛る何物も疎ましく思って作らなかった。別に後悔する気もないが、ただひたすらに身の軽さが薄気味悪い。
あふれるほどに光と人とざわめきに満ちた夜で、ラザロが消えてもこの街は微塵も気にしない。
いや。“世界視”だけは違うかもしれん。それを思うとますます心が重い。仮にも元は塔の導師が“世界視”に魔術を教えるなど。
早く抜け出さないと。ここにいてはだめだ。何物も得られずに腐って、いずれ消えてしまう。あの娘の腐った船で暮らしているわけにはいかない。
 ふと月が一瞬暗くなる。夜を飛ぶ猛禽が月の当たりをめぐっていた。
 「空に飛んでしまいそうか。なら」
暮れた空を飛ぶ鳥の影を目で追い、形のない焦りに焼かれながらラザロはある種の図面を脳裏で引く。


 「さあさあ旦那様がた、もう夜も良い時分だ。ほろ酔いで良い気分でしょうが、いつまでもそんな酒を煽っていても安い酔いで頭が痛くなるだけだ。ここらで本物の酒をお目にかけましょう。
 ほら、世にも珍しい緑の酒です。髑髏におびえることはない。この髑髏はえーと戦を止めるために死んだ歌姫の小さなされこうべ、生きている人に害をなすはずはありません。ただ、時々歌うだけ。
 ここは奇跡の街アルコ・イリスです。お客人、百年に一度の出物にいきなりめぐり合うなんてこんな幸運な夜はない、さあ祝いましょう。
 歌う酒、歌う酒が一杯たった銀貨一枚!今なら銀貨四枚で瓶ごと昔日の歌姫をお渡しします、大切にしてくれる方にならね」
 朗々と歌うように唱えあげても、四人の男どもはちらっと物珍しげに瓶を見ただけ。田舎者は疑り深いので案外受けが悪い。ザナは口上の半分も言わないうちにこの客は買わんと見切りをつけたが、因縁をつけられるのも嫌なので最後まで言うだけ言う。
 「なんだこりゃあ」
 「何か聞こえるぞ」
 「だがこんなもんに銀貨なんか出せるかよ。姉ちゃん他に行きな」
 良く日に焼けた顔を酒で赤らめて田舎の男どもは笑う。
 田舎で日ごろ肥やして、アルコ・イリスに食料を売りに来る。そのついでに虹の都で一晩騒ぐ。小金は持っているが財布は異常に固い。農民は心から酔うことはしない。
 「そうですか。ではまたいつか幸運な夜があれば会いましょう、立派な旦那様がた!」
 言ってさっさと酒場を後にする。表通りの通りに卓と席を出している店で、店員の目を盗んではインチキ酒を売っている身で時間をかけて商売することはできない。見つかってこっぴどくぶちのめされたのも一度や二度ではないが、全ては過去の話だ。
 酒場を離れる。数歩も歩くと田舎者たちの楽しげな声も喧噪で聞こえなくなる。影のように裏通りの男が一人すぐ横に並ぶ。
 「どうだ、連中」
 前を見たまま口元だけで放す。意図して聞こうとしなければこれからの夜を語らう喧噪に紛れてしまう、誰に言うでもない言葉。裏通りの者たちのしゃべり方。洒落者じみた短衣を着ているが、印象の薄い歩き姿。何度か会ったことのある男のはずだがほとんど記憶に残ってない。もしかしたら初めて会った新入りかもしれない。裏通りの組織の者は皆こうだ。
 「銀貨三連は持っているだろう。欲しい物は軽い酒と肉、安くて見栄えのいい土産物、カネのかからない見世物。そんなところ」
 組織の庇護なしに裏通りでは生きられない。売れなければ売れないで取れるものはある。持っているカネとそのカネの吐きださせ方。話に応じて組織は芸人を送ったり女を送ったりする。場合によってはごろつきや詐欺師を送ることもあるが、そこまでのことはザナの知ったことではない。  「そうか。女はどうだ」
 「そこまでは期待してなさそうだったけど。故郷に嫁も子供もいるんだろう」
 「ふん。小心な土民どもか」
 心底馬鹿にしたように裏通りの者は言う。その茫々とした横顔を見ながらザナは不思議に思う。この人にはあの田舎者たちを馬鹿にするほどの何があるのかと。身綺麗に飾って田舎よりは人の多い所に住んで少しばかり人間のいい加減さに馴染んでいて。
 「何を見てる」
 「いや。あんた、この街以外で生きようと思ったことある?」
 「は?」
 意外そうに横を見る組織の男。初めて表情らしきものを認識する。だが男は何も答えない。当たり前だ。裏通りの人間が裏通りを出て生きていけるものではない。だからこそ皆空を見上げるようにそのことを思う。
 私はここを出ていく。私はもっとマシなものになる。
 「ほら、あいつらどうだ。景気よさそうだぞ」
 ザナになど構わず裏通りの男が酔客の一団を指す。どぶ川にはどぶ川の仕事がある。

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最終更新:2011年06月13日 17:59
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