第2話 不肖の弟子6 第2話了

 すでに日は傾きつつある。敵は追い払ったが師は降りてこない。と言うかどこかに飛んで行った。戻って来ると信じてはいるがやはり悲しい。どれだけ頑張って師を狙う敵を追い払ったのか話したい。今度はさすがに少しくらい褒めてくれるだろう、とザナは願う。
 「医者を呼ぶか」
 家船まで肩を貸してくれた組織の男が言う。意外と親切なヤツだと思わなくもない。
 「いい。疲れが取れたら自分で何とかする。確か私、怪我は治せるはずだから」
 「頭打ったか」
 「打ってない」
 「そうか」まあ頭打ってたらどうしようもないしな、と聞こえるように呟きやがる組織の男。やっぱり冷たいヤツだと思う。
 「あの学生は逃げられたよ。魔術使うし、明らかに素人なのに妙に勘のいい動き方をしやがって。まあ百人くらい顔を覚えたから二度と蜜月通りは歩かせない」
 「うん」
 助けられた手前、とりあえず十分かと満足するほかない。
 「じゃあ。後これ」
 男が懐から掴みだすボロけた紙片。「あ」とザナは声を上げる。レオが放り投げたラザロへの手紙は幾人もの人間に踏まれ、繊細な蝋の封印は粉々に砕けている。
 「お前のとこの空飛ぶ狂人の名前があった。渡しとく」
 黙礼して受け取るが、こんな状態のものを渡したらラザロが何と言うか。何かあったら呼べ、と一応親身なことを言い置いて去っていく組織の男。
 痛む体を引きずって部屋の椅子に倒れ込む。痛い。ずきずきする。それ以上に苦い。
魔術では完敗したことにまた悔しさがこみ上げてくる。私には才能があるのに、と口の中で転がしてあわてて飲み込んだ。ヤバイ。ちょっと泣きそうだった。泣いても何も貰えない。泣き虫野郎は無様に逃げて行った。
 どれほどじっとしていたのか。日がすっかり影ってもラザロは帰ってこない。のろのろと煤まみれの油皿に火を入れる。先生が帰って来た時蹴躓くといけない。結構足元見ない人だから。
 明りをともしてまた椅子に座る。脇に放り出していた手紙の中が目に入る。今では多少単語を拾えるようになっているザナの目に、「魔力」という文字列が飛び込んでくる。
 悪いことだとは思った。少しだけ。
 「こころから………けんきゅうのけっか………ほ…ほら…ほらい?………まりょくの……かいふく?」
 長らく文字の読めなかったザナは手紙を盗み読むのは悪いことだ、という教育を受けていない。ごくわずかな後ろめたさは感じるものの、一度手に取って目を通し始めると、それはとても目を離せるような内容ではなかった。


 「どうぞ」
 部屋に入って来るクォールの姿が“見え”、あわててけだるい疲れを押してレオは身を起こす。だから立って実際に入って来た師を迎えることが出来た。
 「なんだか大変だったそうじゃないか」
 入って来るなり“土地殺し”は弟子を気遣う。
 「すみません。少し」
 何と説明したものか。元の師を殺そうとしてその弟子に撃退された、など到底言えたものではない。不本意な沈黙がしばし部屋を重くする。
 弟子が何も言わないのを見ると、クォールは自分からは事情を問わなかった。ただ「私の手紙は渡せたかい?」とだけ尋ねる。
 「あ」何と言ったものか。「多分、ラザロ先生の新しい弟子が持ってると思います。渡してくれるとは思いますけど、すみません確実じゃありません」僕を焼きますか、とは口には出さない。
 「そうか」言ってクォールはレオの部屋の壁にもたれる。
 「あ、どうぞ椅子に」
 「ありがとう。でも、立っている方が好きだ……弟子の手に渡ったのなら届くだろうね」
 「はい」レオは師が怒っている様子はないのでほっとする。「そういえば、いったいどんな手紙だったんですか?」
 「洞察の酒について、何を知っている?」
 弟子の問いとはまるで違う言葉が返って来る。レオは記憶を頼りに答えを探す。「魔力殺しの無能の毒、と。原料や製法などは極秘で」
 「原材料は炎眼虫という虫だ。脚と目がたくさんあって絵で見ただけだが非常にキモイ。大陸の東の方に分布し、蓬莱の山中などでは良く見る虫だそうだ」
 ケーキのトッピングでも教えるように、塔の極秘事項を口にするクォール。
 「先生、それは」
 「構うことはない。導師なら誰でも知っていることだ。君なら塔に残りさえすればいずれ導師くらいにはなるだろうし」無茶苦茶な理屈で機密保持違反をすっとばす。
 「もともとアレは、ただ一つの資質を殺すために作られた。その他にも魔術関係の懲罰に使える、ということで塔の最高処分に使用されているがそれは応用に過ぎない……まあそれはどうでもいい。
 私は昔洞察の酒を研究した。誰かの魔力を剥奪する、と言う方向性は私のコンセプトに合致していたからね。
 東では炎眼虫に噛まれると高熱を発し、ある種の熱病を引き起こすという。仮に炎眼熱と言うが、その後遺症で魔力を失うものがいる。洞察の酒はその後遺症だけを人為的に起こす。ただそれだけのものだ。
 あいにく経口摂取以外で短期間に効力を示す方法はなさそうで、私の“土地殺し”には応用できそうもない、というのが研究の結果で、つまり私は失敗したわけだね。些細な失敗ではあるけれど」
 「はあ」師の話がどこに向かうのか。こればかりは“見え”ない。だから正体不明の震えをレオは止められない。
 「ただ、私は洞察の酒の治療法を見つけた。と思う。正確には治療法のありかを見つけたんだ。要は『炎眼熱』の後遺症の治療ととらえれば、蓬莱では長年この病気と付き合いがあるからね。東の賢人たちは山の自然を頼りに、長い時間をかけてこの後遺症を治療する方法を編み出したとのことだ。洞察の酒から炎眼虫、そして炎眼熱について調べているうちにその情報に行きあたった。当時はどうでもよかったよ。自分が洞察の酒を食らう予定なんかなかったし。ラザロさんの一件で最近思いだした」
 「それは」まさか。レオには師が何を言っているのかとっさには理解できない。まさか。
 「手紙の内容はそれについて書いたものだ。蓬莱に渡って治療する気はないか、と。その気があるなら個人セオドア・クォールとして協力する用意があると。レオ君」一度言葉を切ってレオを静かに見据えるクォール。「前に話したね。ラザロさんが悪人に見えるか、と。私はそれについては知らない。だが禁呪に手を出すように見えたか、ということなら明確に否だ。これは善悪やラザロさんの性格の話じゃない。“親和”の金属魔術と禁呪は方向性がまるで違う。我が叡智の塔の指定する禁呪は“親和”の役には立たない」
 突然、地の底を覗きこむような思いをレオは味わう。自分は今武装した貧民たちに囲まれるより危うい所にいる、と唐突にそれこそ洞察する。
 しばらくレオは死人のように呼吸を止めていた。息をした瞬間に“土地殺し”の制裁が自分を襲いそうで。
 「が、それもどうでもいい」
 「は?」
 唐突に語気を緩めるクォールに思わず間抜けに聞き返す。
 「単に私にはそう思えた、と言うだけのことだ。人間はわからないから、ラザロさんにしか理解できない理由で実際に禁呪を試そうとしたのかもしれない。何の確信もないから、ただそうは見えなかったと言うだけで陥れられたというつもりもない。客観的に見れば証拠は明らかだ。呪文書があって弟子の……君の証言もある。君は嘘感知による尋問をクリアした。もっともラザロさんもそうらしいが、であれば導師と学生と、どちらが嘘感知をごまかせそうかは考えるまでもない。そうだったね」
 まだおびえながらもレオは必死に頷く。
 「これもまた“親和”は禁呪を必要としない、と同程度には強い事実だ。だから私は追放に反対しなかった。それにその時には仕事もあったし」
 待機。もし洞察の酒の最高処分に被告が実力を持って抵抗するようなことがあれば、その時には“土地殺し”の出番となる。
 「では、何故今になってラザロ先生に助けを?」
 「私がたった一つ興味があること。ラザロさんがこの街にいると、きっと争いが起こる。そうだろう?」
 これには、これだけは確信を持って答えられる。
 「はい」
 「君の言うのとは意味合いが違う気がするが、それもいい。あの人は争いをもたらす人だ。争いを避ける事。それだけが私の感心だ。何十年か蓬莱に行けば事態は変わる。九割の物事は時が一番うまく解決するからね」
 あまりにも多くのことを言われレオは呻く。頭が付いていかない。それで解決か?ラザロ先生が蓬莱に行けば、このビジョンは消えてくれるのか?
 「しかし、先生はそんな提案を受けますか?」
 「受けると思うよ。それがラザロさんの業だ。あの人は魔術と共にしか生きられない。
たとえどれほど間違ったことをしても、どれほどの犠牲を払っても。それだけ諦めた方が明らかに有利で有意義だと合理的に判断したとしても。それでもたった一つの選択肢しか選べない。人間の業だ。誰しも業からは逃れられない。
 何十年か蓬莱で過ごすなんて、魔力のためならラザロさんには軽いことだろう。他の要素があったとしてもね」
 暗に君だって業があるだろう、とクォールの眼が問いかける。弱々しくレオは首を振る。わからない、そんなことは。
 沈黙。その沈黙で初めて高い塔の壁を登って来た虫の音に気がつく。もうすっかり夜が来ていた。
 「じゃあ」と言って持たれていた壁から背を放すクォール。廊下の明りの漏れてくる入口に向かう。あわてて見送りに行くレオを手で制す。
 「休んで。何にしろ君は私の弟子だ。明日から手伝ってもらうことも学んでもらうこともたくさんある。だから休むんだ」
 師が出て行ってからしばらくして、ようやくレオは気がつく。クォールは今日の様を許してくれたのだと。


 何度も読み返した。それから何度も何度も読み返した。わからない単語もたくさんあった。それでもザナにはその手紙の内容は一つにしか解釈できなかった。
 魔力を回復しに、とても長い間ほら何とかに行け。
 先生はどうするだろう、とザナは衝撃を受けた頭で考える。塔の同僚の勧めに従って魔力を回復する旅に出るだろうか?それはとてもありそうに思えた。ザナの教育のためにこのボロ船に残ってくれるだろうか?それはとてもありえなさそうに思えた。
 先生は魔力を失ってとても苦しんでいた。自警団のベッドでうなされていた師を思い返す。これは大事な手紙だ。そうザナは思う。でも。
到底受け入れられない。
 外から足音がした。びくっと手紙を握りしめる。大股に地を踏みしめて歩いてくる、ここ数日でもう馴染んだラザロの足音。文字を教えてくれた先生が、これから魔術を教えてくれる先生が帰って来た。
当たり前のことなのに、とても苦しい。この手紙のせいだ。この手紙は先生を助ける。でも。
 選択は一瞬だった。
 間違っていると知りながら、ザナは油皿の火に紙を突っ込む。ぱっと火が付いたのを確認し、窓から運河に放り投げる。蝋の重みで飛ばされることもなく、明るい弧を描いて塔からラザロへの救済の手はどぶ川に消えて行く。
 とぷん、じゅっと宵闇にちいさな音。
 自分の行為の残像をぼんやり見ていると、ラザロが部屋に入って来た。
 「遅くなったな………なんだその格好は。土砂崩れでもあったのか」
 「いえ。気にしないでください。今は特に」
 のろのろとザナが振り返るとラザロは何やら包みを抱えていた。立派な布包みで、私からはお金受け取らなかったのにどうしたんだろうとザナはぼんやり考える。先生、泥棒したのかな。それとも借金か。
 ぼうっとしているザナは思いつくまま質問を口にする。何か言わないと押し潰れそうだった。
 「空は、どうでしたか」
 「良かった」
 「そうですか」
 ひどくあっさりした返答。他に言いようがないのだろう。そういえば羽根はどうしたのか。背負ってないし甲板に回って置いたような音もしなかった。
 「翼はどうしました」
 「売った」
 「はあ。売った」しばらくして「売った?」
 「ああ。フレッドに頭を下げた。ファ○ク!」思いだしムカつきするラザロ。「下げたくもない頭を、とはこのことだな。だが値はそこそこの値を付けてくれた」
 「いくらですか」
 ザナ二〇人が一年毎日インチキ酒を売って得られるほどの金額を口にするラザロ。
 「あんなガラクタの集めたのが?」別のショックで幾分正気に戻る。
 「素子がもとはガラクタだろうがなんだろうが、それが構成されるものの価値に何の影響もない。ま、見栄え悪かったのは事実だが。アレの価値は翼そのものではない。設計図と魔化呪文まで付けて売り払った。ファ○ク!」
 また腹を立てる。
 「俺の功績を丸ごと譲ってやったのだ。希代の有能アーティザン、フレッド爆誕と言う訳だ。評判ですぐにもとはとれるだろうな。まあ元々そのつもりで作った玩具だから仕方がない。ある程度の金がないと」
 ばさっと包みをザナに渡す。
 「これは?」
 「魔術士目指すのにその格好ではな。何だ一体その様は。そういえばあの薄汚い干からびた蚯蚓色の上着はどうした。まあいい開けろ」
 ザナが程良く乱暴に包みを開けると、羊毛織の立派な白いローブが出てきた。ふんわりと手に優しい感触が心には突き刺さる。
 「魔術士がローブを来ているのは酔狂ではない。体の線を隠し身につけている装備や宝飾品を目立たなくし、さらに収納も多い。あったかい。通気性は悪い」
 「…………これを私に?」
 「当たり前だ。そんな格好の弟子を引き連れて元…導師だなどと恥ずかしくて言えるか。弟子の面倒は師が見るのが塔の慣習だ。逆に弟子に飯を食わせて貰ってるなど、物笑いにしかならん」
 何か言われた言葉でも思い出したのか、師は口の中でまたファ○クと呟く。
 「ついでに蜜月養骨通りに魔化系の店を借りた。『親和する金属の店』よろず魔具・工具制作してやらんこともない、ってな。いつまでもここにいたら俺は死ぬ」
 だから今度からそこに通ってこい、とか言っているラザロの話なんてザナはもうほとんど聞いていない。飛んで行くなんて、考えてなかったんだ。置いていく気なんてなかったんだ。始めから私に魔術士の格好をさせてくれるつもりで鉄の翼を作ったんだ。
 「あ、そうだ」思い出したようにラザロが付け加える。「お前の魔化は完全に作動した。よくやった」
 それがとどめだった。
 「先生!」耐えきれない。ザナはローブに眼を落したまま鋭く師に声をかける。
 「は?」
 「大変失礼ですが少し部屋を開けて貰えますか。一人にしてほしい。急用です」
 「どうした?何が?それは、お」ザナの様子にラザロは意味がわからない。
 「先生!」早くしろ。
 「わかった。お前の船だ。俺も準備があるので店に行く。なんだか知らんが済んだら来い」
 追い払われてラザロは、不機嫌そうな足音で去っていく。その足音がやがて聞こえなくなるまでザナは耳を澄ます。

 一人になって、声を張り上げて不肖の弟子は泣いた。

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最終更新:2011年06月13日 18:19
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