「では…お前の取材先でばかり死人が出るのは偶然で、犯人の心当たりも全く無い…と?」
「ええ」
ティム・ベッテンドルフは額の汗を拭い、疲れた笑顔を見せた。
苛立った表情でペンを走らせる尋問官の質問は、一体何度目か。
事件当時のアリバイは、編集長や他の記者の証言も有り、概ね証明出来たが…
「…取材先の人間が、殆ど誰もお前を見ていないのは、どういう事だ?」
「困りましたね…内容が内容なので、人気の無い所で聞き取りを行ったのが悪かったですか…」
腕を組んで惚けるも、視線は出口を探すかの如く、卓上を迷走する。
…ティムの記事が載った『アルコ・イリス・クロニクル』。
…巷を騒がせ始めている、連続婦女殺人事件。その被害者についての
報告書。
並べて見れば不思議にも、取材先と死者の所属先が、綺麗に一致。
「これだけの記事が、只の取材で書けるか!弱味を掴んだか、術で情報を抜いて、口を封じたんではないのか?」
無茶な話だ。新聞記事の為だけにそこまでするのは、偏執狂か快楽殺人鬼くらいだろう。
だが『取材方法』に関して言葉を濁す記者に、官憲が悪印象を深めているのは間違いない。
どうした訳か、取材先での『アルコ・イリス・クロニクル記者ティム・ベッテンドルフ』の目撃者は極めて少なく、記事の内容も、折良く取材に行ったら信用して貰えた程度で書けるものではない。
関係者と密かに接触し、情報を引き出す手段が有るのではとの疑惑を解消出来ぬ限り、記者を犯人でないと断ずる事は難しい…強引な尋問は、無能な自警団と同じく、上位機関の安全課も証拠を掴めていないのか。
「ですから、私も真実を話してくれるよう、じっくり説得して…やっぱり信じてもらえません?」
アルコ・イリスでは、犯罪捜査の為でも、無闇に精神探査や過去知覚を用いる事は禁じられている。
犯罪者の権利云々より、上層部が何らかの容疑者になった場合、探られて困る事が多過ぎるから、と言うのが一般に囁かれる理由だが…ともあれ、普通ならば、そう危険な状況ではない。
が。
取調室への闖入者は三名。
三者三様、明らかに人間とは異なる。
漆黒の巨体を屈めた金属様の怪物と、対照的な浅黒い短躯はモヒカン頭のドワーフ。そして
「ええと…安全課の課長さん…でしたよね?」
「ブン屋。跳ね回りおるな」
そいつは獣の気を纏っていたが、獣はあんな、嫌な顔はしない。
芸術的なまでに秀麗な顔を、餌の足掻きと血の臭いに歪ませた笑いは。
…そして彼等?を従えたエルフの、記者を見下ろす表情は、むしろ契約履行を迫る魔神のそれだ。
「精神探索に掛けろ。記憶根刮ぎ引き摺り出して、棄ててこい」
血の気の引く音が、聞こえた気がした。
「…そこまで頭を掘り起こせば、大抵の人間は死に至りますが…宜しいので…?」
宜しい筈が無いではないか。
先の禁止事項は『緊急を要する重大案件』には適用されない。
治安機関の最上位に位置する安全課は、特例として事後承諾で精神探査や過去視、自白を行わせる魔術使用を許されている。それは危惧する点ではあった。
「せめて学院には、許可を取った方が…」
だが、それはあくまで”特例”。
如何に猟奇的な連続殺人事件でも、”参考人”に、議会の許可も学院の立ち会いも無く、深部の精神探査を行うなど、強権の安全課でも許される筈が無い。のだが…
「導師の派遣要請でしたら、即座に可能でありますが」
「…己に、同じ事を二度言わせる気か?」
それ以上言葉を発する者は無く、職員達が記者に歩み寄る。
魔神に操られる、傀儡の如く…
否。
魔神はあんな、おぞましい顔はしない。
例えるものが、有るとすれば―
『遠見』と『念話』の集中が切れるがやむなし。
攻撃も控える筈だったが、冗談ではない。
記者の記憶を探査されては、余計な事が官憲に知られる。
即座に我々に辿り着く事は無くとも、こんな無道簡な機関に存在を知られては、どれ程厄介か。
記者を消す事も出来まいが、混乱に乗じて逃亡してくれれば、むしろ好都合。
取調室から”目の前”へと視界が返って来る。
僅かな意識の混乱を、唇を噛んで解消し、全速で新たな魔法を組み上げる。
空間に集いし破壊の力を、結んだ印が現世へと誘導。
射程は充分。突き出した両掌から眼下の取調室へ向けて、爆炎の奔流が迸り―
水に投げ込まれた石の如く、微かな波紋を残し、掻き消えた。
「――――!?」
「安全課管理棟への攻撃行動を確認致しました。捕縛に移ります」
勢い良く開かれた窓から呪言が宙を駆け、魔力の縛鎖へ変じるや、術師の腕に、脚に、幾重にも食い込み、万力の如き力で拘束する。
「が、はっ…!」
「安全課に~御用でしゅたら…どーじょご案内ぃ…致しますじょぉ…」
数瞬前まで『遠見』で観察していた人物とは全く異なる―ひょっこり顔を出した尋問官は、それよりも20は年齢と、他の何かを積み重ねた、妖術師の風格漂う老人。
激痛の中、術師は給水塔の上で悟った。
―罠。目眩まし。
何と愚かな手に引っか―
拘束に抗う精神集中より早く、円筒状の物体が腹に食い込んでいた。
「”哲人”級か。安く見積もられたもんじゃな」
ドワーフが構えるは、彼の腕より太く、背丈より長い、銃より砲と表すべき業物。
弾体より噴き出した煙が皮膚や粘膜を刺し、視界と意識を奪う。
「三十六の呪縛符に沈黙符に、血煙茸のガスを仕込んだ特性弾じゃ。導師でも簡単にゃ逃げられん。よ~し!計算ピッタリの場所で炸裂したの!流石ワシの芸術品!」
無数の呪符が空中に解放されるのを防ぐ手段は、最早無かった。
「…幻術オチって、ちょっと卑怯な手法じゃないですか?解り難い」
「兵は詭道であります」
茶を啜るティムに明後日の方向に返答すると、デュールは再び頭を下げた。
死体の如く沈黙した男をぶら下げているが、いつ給水塔屋上まで赴いたか。
「ベッテンドルフ氏、只今を持ちまして、事情聴取を終了致します。長時間の捜査への御協力に感謝致します」
「すいましぇんのぉ…あにゃたを追っかけちょる人等にぃ…聞きたい事が有りましゅでの…」
好々爺の表情で尋問官が指を振ると、煌めく魔力が男を包み、身動き一つ出来ぬ形に拘束する。
「昨日の事とチャラにしとけ、兄ちゃん!儂等もこの件、なかなか尻尾が掴めんかったからな!」
銃身を磨くドワーフに言われ、ティムは肩を竦めた。
記事のネタを潰しての取引を反故にされては、堪った物ではない。
わざわざ窓付きの取調室に入った直後、これが囮と告げられていた。
ティム・ベッテンドルフを”視ている”者に用が有ると―
数日前か、数週前からか。気配は感じていたが、横合いから官憲が出てくる展開は、暫く泳がせる腹だったティムとしては、歓迎出来るものではない。
が、生憎疑わしい立場なのは事実で、
瑠璃通りで身柄を抑えられた事も有り、嫌とは言い難い。
実際、素性や取材方法等、参考人聴取はきっちり行われ、かわすのに苦慮する羽目になった。
「追跡者について、御心当たりは」
「さぁ?職業柄、逆恨みも無いとは言えませんけど。むしろ捜査協力者兼被害者候補の私も、取調べ結果を知る権利が有ると思いますんで、宜しく」
ティムが怪物の顔を間近で見るのは、これが二度目。
二度とも、作り笑顔。
「了解致しました。本件はこちらのゼペット衛視班長を責任者に、ボルボラ衛視、小生デュール二等衛視が担当致します。連絡窓口には小生が任命されております」
「ええ、どうぞ宜しく」
二度とも、目は決して笑う事無く、己の領域への侵入を拒む氷の矢と化していた。
「それにしても…此処、建物にどれだけ魔法掛かってるんですか?」
安全課管理棟に付与された術の数々は、探ろうとするだけで圧力を感じる程だ。
百か二百か、病的な数。
今回発動させたのは、初歩の視覚と聴覚の攪乱に過ぎぬだろうが、効果は意外に有った様で、監視者を暴発させ、身柄を確保してしまった。
「…あぁ…只の幻影だけじゃなく、心理投影も使ってるんですね。そりゃ騙される筈だ」
「…ほぉ~お分かりぃ…頂けましゅか」
…どの魔術が使われたかすら、並の魔術師ならば見抜ける筈も無いが―
飄々とした顔で壁に、天井に視線を走らせる若者は、見た目と本質が相当異なるらしい。
老人の目から、笑いの粒子は一片残らず消え失せていた。
「でも、少し分かりましたよ…貴方達も、イメージ戦略で苦労してる事とか」
それに対しても笑って見せるのは、肝が太いからよりむしろ、若者が話術・対人術に関しても、非凡なものを有している故であろう。
自分を無害な草食動物に見せる術を、心得ている。
「…強引に逮捕されたら最後、非道な方法で情報を引き出され、消される…そんなイメージを普段から植え付けておけば、咎人は貴方達を恐れ、動き一つに過剰反応するし、ボロも出やすくなる」
虚像を知り、虚像を操る新聞記者が他者の虚像を語る様は、奇術師が手品の種明かしをするのに、何処か似ていた。
「遠巻きに監視していた人間が、鬼の安全課に突然逮捕されれば? 何事か確かめようとするし、強引な取り調べを目にしても、不自然だとも幻術だとも思わない」
「そん通りじゃ兄ちゃん。なかな分かっとるのぅ!」
苦笑しつつ、ティムは視線を壁際のエルフに向ける。
「…で、この人、どうするんですか?簡単に白状してくれますかね?」
だが。
「見ない方が良かったかも知れませんね」
後日、編集長との酒の席で、ティムはこう述懐している。
「あんな、嫌な笑い顔」
「精神潜行に掛けろ。記憶根刮ぎ引き摺り出しても、背後の糞共の首を掴め」
「しょこまで頭をぉ~掘り起こされた側はぁ…しくじると死にますじょぉ~…」
「議会と学院に、許可取った方が…」
「執行委員の方ならば、直ぐにお呼び致しますが」
…みしり、と。
空気の軋む音がした。
「…己に、同じ事を二度言わせる気か」
「「「Aye, aye, sir! 直ちに全身全霊を以て精神探査を開始致します!!!」」」
瞬間転移を遥かに凌駕する速度で部下が消え去ると、エルフは指先の炎で、葉巻に火を着ける。
一息で18cmが灰と化し、有り得ない量の煙が有り得ない距離を走り、窓際の鳥を追い立てた。
「…無許可の精神探査や記憶介入はやり過ぎでしょう?」
「本星でなくとも、染み付いた死臭は誤魔化せぬ。市内での殺人及び組織犯罪の疑いに加え、安全課管理棟と職員への破壊魔法使用。緊急を要する重大懸案だ」
イメージ戦略との認識は、或いは撤回すべきであろうか。
安全課職員が殺されかけたと有れば、緊急・非常の事態と嘯くに何の問題も無い。
だが、その為に幻術まで使い、自分達やティムを囮に、攻撃魔法を使わせるとは―
恐らく自分に害意も殺意も持っていたろう術師の運命に、ティムは祈る仕草をした。
「…そう言えば、教えてくれても良いんじゃないですか? 昨日”変装”してた私を、どうやって見破ったんですか?」
安全課管理棟と市役所を繋ぐ渡り廊下は、差し込む夕日の紅のせいか、随分と長く見えた。
役目なのでと付いてきたデュールを見上げ、ティムは薄く笑う。
「私の居場所はまぁ、権限で聞き出せば分かるとして、躊躇も無く名を呼びましたよね」
ふと思い出したような物言いだが、最初から質す腹積もりでいたのだろう。
ティム・ベッテンドルフと言う名の―否、そう名乗っている存在にとって、放置出来る筈の無い疑問なのだから。
「魔素であります」
「…まそ?」
「はい。有機物・無機物を構成する、魔力の最小単位であります。世界の生命の最も小さき欠片、世界の根源と言い換える事も可能であります。小生の視覚機能は、物体の魔素含有量・割合を感知する能力を有しております」
「………」
話が奇妙な方向に超展開し始めるのは、煙に巻く腹か、しかし先程までと全く変わらぬ声音故、流石にティムも複雑な表情のまま、ただ続きを促す。
「貴方の魔素は、学院の戦闘データより読み取らせて頂き、記憶領域に保存しております。人族と異なる特徴的な魔素構成ですので、逆に特定も容易でありました」
「…何だか、私が人間じゃないみたいな言い方ですね?」
「はい。貴方は人族とは異なります」
夕日は世界を紅く染めていたが、両者の周囲は凍て付いた様に白く、無音の世界と化していた。
「貴方は人族と魔素の構成が1,7%異なり、また万色に変異する無属性の魔素を有しておいでです。これはスプリガン・ドッペルゲンガー等が人族に擬態した場合に見られる現象であります」
「………」
普通の人間には無礼極まりない言葉…実際には、爆弾に等しい危険な言葉も、淡々と分析結果を読み上げる様に言われると、反論を挟む隙間が無い。
歩みは止めず、視線だけで『で?』と問う記者の表情は硬い。
結論までは、何かを仕掛けるまいと、耐えているかの様に。
「ですが人族との差1,7%は、ドッペルゲンガーの7%と比較しても例の無い数値であります。希少種の魔神、或いは先祖返りを疑っておりました」
ポケットの中で、女性と見紛うほど繊細な指先は、複雑な印を描いていた。
表情も声も視線にも、さざ波一つ立てぬまま、アルコ・イリス・クロニクルの記者は、別の何かに変貌しつつあった。
結論の後に備えぬ訳では、ないのだ。
「随分な言われ様ですね…虹星の叡知からは…魔素?が違うなんて言われてませんけど」
「学院には報告しておりません。魔素の誤差を感知して居りますのは、小生と課長のみであります。ティム・ベッテンドルフ氏は善良な市民であると結論致しましたので、報告は必要有りません」
「…良い評価は有難いですけど、随分簡単に信用してくれるんですね。私が謎の種族の殺人犯だって可能性も、否定は出来ないんじゃ?」
この場で互いに向き合えば。
或いは歩みを止めたならば。
それは、死合う合図となるだろうか。
挑発とも取れる言葉を零す、口元を歪めたティムの笑顔は、近しい者が見れば後退るだろう。
「課長が貴方を殺人者でないと断定致しました。アリバイも証明されておりますし、周囲の方のお話や取調中の態度等、総合的に善良な方であると、小生は判断致しました」
「………それはどうも」
奇妙な怪物二体は、向き合うことも歩みを止める事も無く。
只、歩き続けた。
「…ここまでで良いですよ。疲れましたんで、何処かでお酒でも飲んで帰ります」
「承知致しました。ではベッテンドルフ氏、捜査協力に感謝致します。良き週末を」
”最悪の週末”との見出しが浮かんだが、既に何処かで使った様に思えて、ティムはそれを没にした。
最終更新:2011年06月23日 10:19